霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
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第一章 春野(はるの)の旅(たび)〔六二九〕

インフォメーション
著者:出口王仁三郎 巻:霊界物語 第18巻 如意宝珠 巳の巻 篇:第1篇 弥仙の神山 よみ(新仮名遣い):みせんのみやま
章:第1章 春野の旅 よみ(新仮名遣い):はるののたび 通し章番号:629
口述日:1922(大正11)年04月24日(旧03月28日) 口述場所: 筆録者:松村真澄 校正日: 校正場所: 初版発行日:1923(大正12)年2月10日
概要: 舞台: あらすじ[?]このあらすじはMさん作成です(一部加筆訂正してあります)。一覧表が「王仁DB」にあります。[×閉じる]:
紅包む弥生の空に朧に月がかかる。和知の里の小路をとぼとぼと、悦子姫、音彦、加米彦、夏彦らの宣伝使一行が歩いてくる。
向こうから二人連れがやってきて、宣伝使たちの方を見ながらひそひそとささやきつつ眺めていた。これは英子姫と亀彦であった。
一行は邂逅し、芝生の上に座って、これまで宣伝の旅の経緯を語り合った。
英子姫は、弥仙山に父神・神素盞嗚大神の神務を帯びて登ったというが、その内容については明かさなかった。悦子姫一行は、英子姫に勧められて弥仙山に登ることとし、英子姫と亀彦に別れを告げた。
険しい弥仙山を登っていく折りしも、加米彦と夏彦は軽口をたたいている。
途中で、一人の爺に声をかけられ、家によって神様の話をするように懇願される。聞けば、以前にここを通った英子姫一行が、後から来る宣伝使に神の道を聞け、と諭したのだという。
主な登場人物[?]【セ】はセリフが有る人物、【場】はセリフは無いがその場に居る人物、【名】は名前だけ出て来る人物です。[×閉じる]: 備考: タグ: データ凡例: データ最終更新日:2021-03-07 19:19:32 文字数:9549 OBC :rm1801
愛善世界社版:7頁 八幡書店版:第3輯 639頁 修補版: 校定版:7頁 普及版:3頁 初版: ページ備考:
001風(かぜ)暖(あたた)かく八重霞(やへがすみ)
002春日(はるひ)と伯母(をば)はクレさうで
003クレナイに包(つつ)む弥生空(やよひぞら)
004朧(おぼろ)の月(つき)は中天(ちうてん)に
005照(て)らず曇(くも)らずボンヤリと
006かかる山家(やまが)の夕(ゆふ)まぐれ
007川(かは)の流(なが)れは淙々(そうそう)と
008轟(とどろ)き渡(わた)る和知(わち)の里(さと)
009空(そら)を封(ふう)じて立並(たちなら)ぶ
010老樹(らうじゆ)の下(した)の小径(せうけい)を
011トボトボ来(きた)る宣伝使(せんでんし)
012神(かみ)の教(をしへ)をどこまでも
013伝(つた)へにや山家(やまが)の肥後(ひご)の橋(はし)
014月(つき)の光(ひかり)を力(ちから)とし
015神(かみ)の恵(めぐみ)を杖(つゑ)となし
016烏(からす)は眠(ねむ)る鷹栖(たかのす)の
017川辺(かはべ)の里(さと)に進(すす)み来(く)る
018顔(かほ)も容(かたち)も悦子姫(よしこひめ)
019水(みづ)の流(なが)れの音彦(おとひこ)や
020やがては来(きた)る夏彦(なつひこ)の
021九十九(つくも)曲(まが)りの山路(やまみち)を
022曲(まが)つた腰(こし)のトボトボと
023這(は)はぬばかりに加米彦(かめひこ)が
024草鞋(わらぢ)に足(あし)を擦(す)り乍(なが)ら
025神子坂(みこさか)橋(ばし)の袂(たもと)まで
026来(きた)る折(をり)しも向(むか)ふより
027スタスタ来(きた)る二人(ふたり)連(づ)れ
028何(なに)かヒソヒソ囁(ささや)きつ
029夜目(よめ)に透(す)かして一行(いつかう)を
030心(こころ)有(あ)りげに眺(なが)めゐる。
031二人(英子姫、亀彦)『モシモシ、032一寸(ちよつと)お尋(たづ)ね致(いた)します。033最前(さいぜん)から承(うけたま)はれば、034路々(みちみち)宣伝歌(せんでんか)を謡(うた)ひつつお出(いで)になつた様(やう)で御座(ござ)いますが、035若(も)しやあなたは、036三五教(あななひけう)の宣伝使(せんでんし)様(さま)では御座(ござ)いますまいか』
037 加米彦(かめひこ)は、
038加米彦『ヤアさう仰有(おつしや)るあなたは、039何(なん)だか聞覚(ききおぼ)えのあるやうな感(かん)じが致(いた)します。040朧夜(おぼろよ)の事(こと)とてハツキリお顔(かほ)は分(わか)りませぬが、041どなたで御座(ござ)いましたかなア』
042男(亀彦)『私(わたくし)は三五教(あななひけう)の宣伝使(せんでんし)亀彦(かめひこ)と申(まを)す者(もの)、043今(いま)一人(ひとり)の方(かた)は素盞嗚(すさのをの)尊(みこと)様(さま)のお娘子(むすめご)英子姫(ひでこひめ)と云(い)ふ方(かた)で御座(ござ)います』
044悦子姫『アヽお懐(なつか)しや、045英子姫(ひでこひめ)様(さま)で御座(ござ)いましたか、046妾(わたし)は悦子(よしこ)で厶(ござ)ります。047好(い)い所(ところ)でお目(め)にかかりました。048妾(わたし)は剣尖山(けんさきやま)の麓(ふもと)に於(おい)てお別(わか)れ申(まを)しましてより、049真奈井(まなゐ)ケ原(はら)の貴(うづ)の宝座(ほうざ)を拝礼(はいれい)致(いた)し、050それより三岳(みたけ)の岩窟(がんくつ)を言向和(ことむけやは)し、051鬼熊別(おにくまわけ)の割拠(かつきよ)する鬼(おに)ケ城(じやう)山(ざん)の岩窟(がんくつ)を、052四五(しご)の同志(どうし)と共(とも)に言霊(ことたま)を以(もつ)て包囲(はうゐ)攻撃(こうげき)致(いた)し、053それから生野(いくの)、054長田野(をさだの)を越(こ)え、055神知地(じんちぢ)山(やま)の魔神(まがみ)を征服(せいふく)し、056高城山(たかしろやま)に立向(たちむか)ひ、057再(ふたた)び道(みち)を転(てん)じ、058和知(わち)の流(なが)れに沿(そ)うて聖地(せいち)に引返(ひきかへ)し、059あなた様(さま)に御(おん)目(め)にかかり、060今後(こんご)の妾(わたし)等(ら)が取(と)るべき方法(はうはふ)を、061御(ご)相談(さうだん)申上(まをしあ)げたいと思(おも)ひまして、062遥々(はるばる)夜(よ)を冒(をか)し、063此処(ここ)まで参(まゐ)りました』
064英子姫(ひでこひめ)は喜(よろこ)び乍(なが)ら、
065英子姫『アヽ左様(さやう)ですか、066妾(わたし)は其方(そなた)に別(わか)れてより、067神(かみ)様(さま)の命(めい)に依(よ)り、068弥仙(みせん)の深山(しんざん)に、069或(ある)使命(しめい)を帯(お)びて登山(とざん)し、070今(いま)又(また)父(ちち)大神(おほかみ)の神霊(しんれい)のお告(つげ)に依(よ)りて、071亀彦(かめひこ)を伴(ともな)ひ、072伊吹山(いぶきやま)に参(まゐ)る途中(とちう)で御座(ござ)います。073アヽ好(よ)い所(ところ)でお目(め)にかかりました。074お連(つ)れの方(かた)は何方(どなた)か存(ぞん)じませぬが、075何(いづ)れ三五教(あななひけう)の方(かた)でせう。076此(この)川音(かはおと)を聞(き)き乍(なが)ら、077出会(であ)うたを幸(さいは)ひ悠(ゆつ)くりと休息(きうそく)致(いた)しませう』
078悦子姫『それは願(ねが)うてもないこと。079妾(わたし)もどこか良(い)い所(ところ)があれば一休(ひとやす)み致(いた)したいと思(おも)うて居(ゐ)ました。080……此(この)方(かた)は音彦(おとひこ)加米彦(かめひこ)の宣伝使(せんでんし)、081一人(ひとり)はウラナイ教(けう)に暫(しばら)く入信(にふしん)して居(ゐ)た夏彦(なつひこ)と云(い)ふ男(をとこ)で御座(ござ)います』
082亀彦『私(わたくし)は亀彦(かめひこ)です。083貴下(あなた)は由良(ゆら)の湊(みなと)の人子(ひとご)の司(つかさ)、084秋山彦(あきやまひこ)の門前(もんぜん)に於(おい)てお目(め)にかかつた加米彦(かめひこ)さまですか、085コレハコレハ妙(めう)な所(ところ)でお目(め)にかかりました。086又(また)音彦(おとひこ)さまとは、087フサの国(くに)でお別(わか)れ致(いた)しました私(わたくし)の旧友(きういう)ぢやありませぬか』
088音彦『左様(さやう)その音彦(おとひこ)で御座(ござ)いますよ』
089亀彦『遥々(はるばる)と此(この)自転倒(おのころ)島(じま)へお越(こ)しになつたのは、090何(なに)か深(ふか)い仔細(しさい)が御座(ござ)いませう』
091音彦『これに就(つ)いては、092種々(いろいろ)珍談(ちんだん)も御座(ござ)いまするが、093ユルリと後(あと)から申上(まをしあ)げませう。094サアサア皆(みな)さま、095打揃(うちそろ)うて此(この)芝生(しばふ)の上(うへ)で骨休(ほねやす)めを致(いた)しませうかい』
096一同『宜(よろ)しからう』
097と一同(いちどう)は老樹(らうじゆ)の蔭(かげ)に打解(うちと)け、098手足(てあし)を延(の)ばして休息(きうそく)したり。
099茲(ここ)に六人(むたり)の宣伝使(せんでんし)
100六(む)つの花(はな)散(ち)る冬(ふゆ)も過(す)ぎ
101風(かぜ)に散(ち)り布(し)く山桜(やまざくら)
102香(かほ)りを浴(あ)びて来(こ)し方(かた)の
103百(もも)の話(はなし)に花(はな)咲(さ)かせ
104思(おも)はず時(とき)を移(うつ)しける。
105音彦『モシ英子姫(ひでこひめ)様(さま)、106最前(さいぜん)あなたの御(お)言葉(ことば)に依(よ)れば、107弥仙山(みせんざん)へ神務(しんむ)を帯(お)びて御(ご)登山(とざん)になつたと仰(あふ)せられましたなア。108音彦(おとひこ)も一度(いちど)其(その)霊山(れいざん)へ、109是非(ぜひ)登山(とざん)致(いた)したいと存(ぞん)じて居(ゐ)ます。110随分(ずゐぶん)嶮岨(けんそ)な所(ところ)でせうなア』
111英子姫『お察(さつ)しの通(とほ)り、112実(じつ)に嶮峻(けんしゆん)な深山(しんざん)で御座(ござ)います。113昼(ひる)猶(なほ)暗(くら)く、114鬱蒼(うつさう)たる老樹(らうじゆ)天(てん)を封(ふう)じ、115到底(たうてい)日月(じつげつ)の光(ひかり)は拝(をが)む事(こと)は出来(でき)ませぬ。116併(しか)し乍(なが)ら、117貴方(あなた)方(がた)は登山(とざん)なされますならば、118大変(たいへん)都合(つがふ)の好(い)い事(こと)が御座(ござ)います。119妾(わたし)は父(ちち)の神勅(しんちよく)に依(よ)りて、120一(ひと)つの経綸(けいりん)を行(おこな)うて置(お)きました。121どうぞあなた方(がた)一度(いちど)行(い)つて下(くだ)さいませ』
122音彦『其(その)御(ご)経綸(けいりん)とは、123如何(いか)なる御用(ごよう)で御座(ござ)いました。124予(あらかじ)め仰有(おつしや)つて下(くだ)さいませぬか。125音彦(おとひこ)も其(その)覚悟(かくご)を致(いた)さねばなりませぬ』
126英子姫『只今(ただいま)申上(まをしあ)げずとも、127お出(いで)になれば、128……ハハア之(これ)であつたかなア……と自然(しぜん)にお判(わか)りになりませう。129先楽(さきたの)しみに、130此(この)お話(はなし)は暫(しばら)く保留(ほりう)して置(お)きませう』
131加米彦(かめひこ)『エー英子姫(ひでこひめ)様(さま)さう出(だ)し惜(をし)みをなさるものぢやない、132アツサリと云(い)つて下(くだ)さいナ』
133英子姫(ひでこひめ)『イエイエ宣伝使(せんでんし)の言葉(ことば)に二言(にごん)は御座(ござ)いませぬ。134一旦(いつたん)申上(まをしあ)げぬと云(い)つた事(こと)は、135金輪際(こんりんざい)口外(こうぐわい)する事(こと)は出来(でき)ませぬ』
136加米彦『あなた様(さま)は綺麗(きれい)な女神(めがみ)にも似(に)ず、137随分(ずゐぶん)愛嬌(あいけう)のない事(こと)を仰有(おつしや)いますなア。138初(はじ)めて加米(かめ)の御(お)願(ねが)ひしたことを、139直様(すぐさま)お聞(き)き容(い)れ下(くだ)されず、140クルツプ式(しき)砲弾(はうだん)を発射(はつしや)し、141加米(かめ)等(ら)の欲求(よくきう)を撃退(げきたい)なされますか。142シテ、143あなたは愛嬌(あいけう)の定義(ていぎ)を知(し)つて居(ゐ)ますか』
144英子姫『イヤもう おむつかしい議論(ぎろん)を吹(ふ)つかけられますこと。145マアマアぼつぼつと御(ご)登山(とざん)なされませ。146それはそれはアツと言(い)ふ様(やう)な仕組(しぐみ)がして御座(ござ)いますワ』
147加米彦『何(なん)だか諄々(じゆんじゆん)として詭弁(きべん)を弄(ろう)するお姫(ひめ)さまだナア。148キベン万丈(ばんぢやう)加米(かめ)当(あた)る可(べ)からずだ、149アハヽヽヽ』
150悦子姫『コレコレ加米彦(かめひこ)さま、151さうヅケヅケと無遠慮(ぶゑんりよ)に物(もの)を仰有(おつしや)るものでない。152チトたしなみなさらぬか』
153加米彦『ハイハイたしなみませうよ、154悦子(よしこ)さま。155無礼(ぶれい)ぢやとか、156謙遜(けんそん)ぢやとか、157遠慮(ゑんりよ)ぢやとか、158たしなみぢやとか、159種々(いろいろ)の雅号(ががう)が沢山(たくさん)有(あ)つて、160取捨(しゆしや)選択(せんたく)に殆(ほとん)ど閉口(へいこう)頓死(とんし)致(いた)します』
161 音彦(おとひこ)は顔(かほ)をシカメ、
162音彦『エー縁起(えんぎ)の悪(わる)い。163閉口(へいこう)頓死(とんし)なぞと、164せうもない事(こと)を言(い)ふものでない。165お前(まへ)達(たち)は哲学(てつがく)とか道学(だうがく)とか云(い)ふ親不孝(おやふかう)、166不作法(ぶさはふ)の学問(がくもん)をかぢつて居(を)るから、167仕末(しまつ)にをへない、168マアマア英子姫(ひでこひめ)様(さま)の仰有(おつしや)る通(とほ)りハイハイと温順(おとな)しくして居(を)れば良(い)いのだ。169吾々(われわれ)六(ろく)人(にん)の中(なか)では、170最(もつと)もお偉(えら)い方(かた)だ、171言(い)はば吾々(われわれ)のお師匠(ししやう)様(さま)だ。172師(し)の影(かげ)は六(ろく)尺(しやく)下(さが)つても踏(ふ)むなと云(い)ふ位(くらゐ)だ』
173加米彦『あなたも縁起(えんぎ)の悪(わる)い事(こと)を言(い)ひますネ。174加米(かめ)が閉口(へいこう)頓首(とんしゆ)と云(い)つた事(こと)を咎(とが)め乍(なが)ら、175あなたは死(し)の影(かげ)がどうの斯(か)うのつて、176夫(そ)れこそ自縄(じじよう)自縛(じばく)ぢやありませぬか』
177 音彦(おとひこ)は吹(ふ)き出(だ)し、
178音彦『ハヽヽヽ、179訳(わけ)の分(わか)らぬ団子(だんご)理屈(りくつ)を能(よ)く捏(こ)ねる男(をとこ)だなア』
180加米彦『お前(まへ)こそ団子(だんご)理屈(りくつ)だ。181吾々(われわれ)のは餅理屈(もちりくつ)だ。182蚋(ぶと)が餅(もち)搗(つ)きや加米彦(かめひこ)が捏(こ)ねる、183ポンポンと音彦(おとひこ)がすると云(い)ふぢやないか、184アハヽヽヽ』
185 亀彦(かめひこ)は立(た)ち上(あ)がり、
186亀彦『サア皆(みな)さま、187何時(いつ)まで御(お)話(はなし)を致(いた)して居(を)つても際限(さいげん)が有(あ)りませぬ。188冗談(ぜうだん)から暇(ひま)が出(で)る、189瓢箪(へうたん)から駒(こま)が出(で)る。190駒(こま)に鞭(むち)打(う)ち、191一日(ひとひ)も早(はや)く目的地(もくてきち)へ向(むか)つて発足(はつそく)致(いた)しませう。192ナア英子姫(ひでこひめ)様(さま)……』
193英子姫『折角(せつかく)お目(め)にかかつて嬉(うれ)しいと思(おも)へば、194神界(しんかい)の御(ご)命令(めいれい)、195止(や)むにやまれませぬ。196英子(ひでこ)も直様(すぐさま)お別(わか)れ致(いた)しませう。197皆様(みなさま)左様(さやう)なら、198何(いづ)れ又(また)お目(め)にかかる機会(きくわい)が御座(ござ)いませう』
199と会釈(ゑしやく)し、200早(はや)くも歩(あゆ)み出(だ)したり。
201 悦子姫(よしこひめ)は会釈(ゑしやく)しながら、
202悦子姫『左様(さやう)ならば、203姫(ひめ)様(さま)、204ご機嫌(きげん)よくお出(い)で下(くだ)さいませ。205亀彦(かめひこ)様(さま)、206御(ご)如才(じよさい)は御座(ござ)いますまいが、207どうぞ姫(ひめ)様(さま)の御(ご)身辺(しんぺん)に注意(ちうい)を払(はら)つて下(くだ)さいませやア』
208亀彦『亀彦(かめひこ)、209委細(ゐさい)承知(しようち)仕(つかまつ)りました。210必(かなら)ず必(かなら)ず御(ご)煩慮(はんりよ)下(くだ)さいますな。211サアこれからコンパスに油(あぶら)を注(さ)して進(すす)みませう。212悦子姫(よしこひめ)さま、213音彦(おとひこ)、214加米(かめ)の宣伝使(せんでんし)殿(どの)、215夏彦(なつひこ)さま、216左様(さやう)ならば御(ご)機嫌(きげん)よう……』
217一同『お二人(ふたり)様(さま)、218お仕合(しあは)せよう抜群(ばつぐん)の功名(こうみやう)手柄(てがら)を現(あら)はし給(たま)はむ事(こと)を念願(ねんぐわん)致(いた)します、219アリヨース』
220と双方(さうはう)に袂(たもと)を分(わか)つ。221二本(にほん)の白(しろ)い杖(つゑ)のみ朧月夜(おぼろづきよ)の山路(やまみち)を、222川上(かはかみ)指(さ)して上(のぼ)り行(ゆ)く。
223 春(はる)の夜(よ)は瞬(またた)く中(うち)に明(あ)け放(はな)れ、224霞(かすみ)の空(そら)を押(お)し分(わ)けて、225天津(あまつ)日(ひ)の大神(おほかみ)は、226まん円(まる)き温顔(をんがん)を差(さ)し出(だ)して、227四(よ)人(にん)が頭(かうべ)を照(てら)し給(たま)ふ。228心持(こころもち)よき春風(はるかぜ)に、229道(みち)も狭(せ)きまで散(ち)り布(し)く山桜(やまざくら)、230花(はな)を欺(あざむ)く悦子姫(よしこひめ)、231山路(やまみち)通(とほ)る床(ゆか)しさは、232画中(ぐわちう)の人(ひと)の如(ごと)くなり。
233 音彦(おとひこ)は急坂(きふはん)を打(う)ち仰(あふ)ぎ、
234音彦『アヽ随分(ずゐぶん)嶮(けは)しい坂(さか)ですなア。235英子姫(ひでこひめ)さまが一切(いつさい)沈黙(ちんもく)を守(まも)つて居(を)られたのも、236斯(か)う云(い)ふ胸突坂(むなつきざか)が沢山(たくさん)あるので、237吾々(われわれ)が恐怖心(きようふしん)を起(おこ)し、238折角(せつかく)張詰(はりつ)めた精神(せいしん)を、239薄志(はくし)弱行(じやくかう)の逆転(ぎやくてん)旅行(りよかう)と出(で)かけるかと思(おも)つての御(お)心(こころ)配(くば)り、240イヤもう恐(おそ)れ入(い)りました。241人(ひと)を導(みちび)き、242向上(かうじやう)させてやらうと思(おも)ふ宣伝使(せんでんし)の御(お)心(こころ)は、243又(また)格別(かくべつ)なものですなア』
244 悦子姫(よしこひめ)は、
245悦子姫『イヤ決(けつ)して決(けつ)して英子姫(ひでこひめ)様(さま)の御(ご)心中(しんちゆう)は、246さうではありますまい、247モ少(すこ)し意味(いみ)の深(ふか)い事(こと)があるのでせう。248妾(わたし)も英子姫(ひでこひめ)様(さま)の御(お)言葉(ことば)の端(はし)に、249深(ふか)い深(ふか)い意味(いみ)があると、250直(すぐ)に胸(むね)の琴線(きんせん)に触(ふ)れました。251マアマア行(ゆ)く所(ところ)まで行(い)つて見(み)なくては分(わか)りますまい』
252音彦『さうですかなア。253音彦(おとひこ)の様(やう)な木訥(ぼくとつ)な人間(にんげん)は、254ソンナ微細(びさい)な点(てん)まで気(き)が付(つ)きませぬ、255何分(なにぶん)仁王(にわう)の荒削(あらけづ)り然(ぜん)たる男(をとこ)ですからなア、256ハヽヽヽヽ』
257 加米彦(かめひこ)は大声(おほごゑ)で、
258加米彦『コレコレ音彦(おとひこ)さま、259巧妙(うま)い事(こと)言(い)つてるぢやないか。260悦子姫(よしこひめ)さまと、261此(この)細(ほそ)い道(みち)を引(ひ)つ付(つ)く様(やう)にして歩(ある)き乍(なが)ら、262似合(にあ)うの似合(にあ)はぬのつて、263ソラ何(なに)を言(い)ふのだ、264鬼(おに)が笑(わら)ふぞよ、265アツハヽヽヽ。266オイ夏彦(なつひこ)、267貴様(きさま)は苦(くる)しさうに、268汗(あせ)をたらたらと流(なが)して居(を)るぢやないか』
269夏彦『きまつた事(こと)ですよ。270夏(なつ)ヒコに当(あた)れば、271汗(あせ)は滝(たき)の如(ごと)く流(なが)れ出(で)るのが、272昔(むかし)からきまりきつた、273天地(てんち)の御(ご)規則(きそく)。274汗(あせ)をかかねば、275天則(てんそく)違反(ゐはん)の罪(つみ)に問(と)はれるよ加米(かめ)さま』
276加米彦『何(なに)を言(い)ふのだ。277鼈(すつぽん)に蓼(たで)を咬(か)ました様(やう)に、278大(おほ)きな鼻息(はないき)をしよつて……』
279夏彦『加米彦(かめひこ)、280鼈(すつぽん)だつて、281カメ彦(ひこ)だつて同(おな)じ事(こと)ぢやないか。282鼈(すつぽん)が荒(あら)い息(いき)をする様(やう)に、283亀(かめ)が一匹(いつぴき)、284どこやらで、285ヤツパリ、286フースーフースーと呼吸(いき)をし乍(なが)ら、287法界(はふかい)悋気(りんき)をやつて居(ゐ)るやうだワイ、288ハツハヽヽヽ』
289加米彦『アヽ夏(なつ)チヤン、290ホーカイなア』
291音彦『オイオイ加米彦(かめひこ)、292夏彦(なつひこ)の両人(りやうにん)、293早(はや)う来(こ)ぬか、294ナンダ、295斯(こ)ンなチツポケな坂(さか)に屁古垂(へこた)れよつて………随分(ずゐぶん)足(あし)の遅(おそ)い奴(やつ)だなア』
296加米彦『喧(やかま)しい言(い)うて呉(く)れない音彦(おとひこ)さま、297上(あが)り坂(ざか)は前(まへ)が高(たか)いワイ。298其(その)代(かは)りに下(くだ)り坂(ざか)になつたら、299ドンナものだ、300一瀉(いつしや)千里(せんり)の勢(いきほひ)で、301アフンとさしてやるぞ。302併(しか)し乍(なが)ら此(この)日(ひ)の永(なが)いのに、303さう急(いそ)ぐにも及(およ)ばぬぢやないか、304そこらの木蔭(こかげ)で一(ひと)つ切腹(せつぷく)したらどうだい』
305 音彦(おとひこ)は、
306音彦『エー又(また)縁起(えんぎ)の悪(わる)い事(こと)を云(い)ふ加米(かめ)だナア。307エヽ仕方(しかた)がない。308悦子姫(よしこひめ)様(さま)、309此(こ)の平地(ひらち)で一服(いつぷく)致(いた)しませうか、310両人(ふたり)の奴(やつ)、311大変(たいへん)に屁古垂(へこた)れて居(ゐ)る様(やう)ですから』
312 悦子姫(よしこひめ)は気軽(きが)るげに、
313悦子姫『マア此処(ここ)で悠(ゆつ)くりと待(ま)つてあげませう』
314 加米彦(かめひこ)は小柴(こしば)の茂(しげ)る小径(こみち)を、315ガサガサ喘(あへ)ぎ喘(あへ)ぎ、316手負猪(ておひじし)の様(やう)な鼻息(はないき)を立(た)て、317玉(たま)の汗(あせ)を絞(しぼ)りつつ、318漸(やうや)く二人(ふたり)の側(そば)に登(のぼ)り着(つ)きける。
319 足(あし)を容(い)るる許(ばか)りの細路(ほそみち)を、320粗朶(そだ)を背(せ)に負(お)うて降(くだ)り来(く)る二人(ふたり)の女(をんな)あり、321四(よ)人(にん)の姿(すがた)を見(み)て、
322女『コレハコレハ皆様(みなさま)、323狭(せま)い路(みち)を量(かさ)のたかい物(もの)を負(お)うて通(とほ)りまして、324誠(まこと)に済(す)みませぬ、325どうぞ御(ご)勘弁(かんべん)下(くだ)さいませ』
326 加米彦(かめひこ)は、
327加米彦『サアそれは仕方(しかた)がありませぬ、328天下(てんか)御免(ごめん)の大道(だいだう)、329否(いな)、330羊腸(やうちやう)の山路(やまみち)、331………サアサア皆(みな)さま、332林(はやし)の中(なか)へ暫(しばら)く沈没(ちんぼつ)致(いた)しませう。333そして敵艦(てきかん)二隻(にせき)、334暗礁(あんせう)を避(さ)けた安全(あんぜん)海路(かいろ)を通過(つうくわ)させてやりませうかい』
335 四(よ)人(にん)はガサガサと、336木(き)の茂(しげ)みへ避(よ)けると、337二人(ふたり)の女(をんな)は汗(あせ)を片手(かたて)に、338手拭(てぬぐひ)にて拭(ぬぐ)ひ乍(なが)ら、
339女『コレハコレハ皆(みな)さま、340済(す)みませぬ』
341と板(いた)を立(た)てし如(ごと)き細(ほそ)き坂路(さかみち)をエチエチ降(くだ)り行(ゆ)く。
342 加米彦(かめひこ)は二人(ふたり)の後姿(うしろすがた)を見送(みおく)りて、
343加米彦『アヽ無事(ぶじ)に御(ご)神輿(しんよ)通過(つうくわ)も済(す)ンだ。344サアサア皆(みな)さま、345一服(いつぷく)のやり直(なほ)しを致(いた)しませう……』
346音彦(おとひこ)『あの女(をんな)は沢山(たくさん)の粗朶(そだ)をムクムクと負(お)うて帰(かへ)りよつたが、347一体(いつたい)何(なん)と云(い)ふ雅名(がめい)だらう』
348加米彦(かめひこ)『あれかい、349きまつて居(を)るワイ。350オハラ女(め)が柴(しば)を負(お)うて通(とほ)つたのだ』
351音彦『ナニ、352斯(こ)ンな所(ところ)に大原女(おほはらめ)が通(とほ)つてたまるものか。353叡山(えいざん)の麓(ふもと)ぢやあるまいし』
354加米彦『それでも大(おほ)きな腹(はら)をして居(を)つたぢやないか』
355音彦『あれはヤセの女(をんな)だよ。356八瀬(やせ)大原(おほはら)と云(い)つて、357畑(はた)の小母(をば)の産地(さんち)だよ。358此処(ここ)もヤツパリ山地(さんち)には間違(まちが)ひない。359前(さき)の女(をんな)は大変(たいへん)な痩女(やせをんな)、360後(あと)のは孕(はら)み女(をんな)だ。361それで一人(ひとり)はヤセ女(め)、362一人(ひとり)はオハラ女(め)だ、363斯(か)う宣(の)り直(なほ)せば、364双方(さうはう)の意見(いけん)が成立(せいりつ)して、365複雑(ふくざつ)な議論(ぎろん)も起(おこ)らぬだらう』
366加米彦『モシ悦子姫(よしこひめ)さま、367あなた最前(さいぜん)音彦(おとひこ)と、368大変(たいへん)仲(なか)ようして歩(ある)いて居(ゐ)ましたなア。369気(き)をつけなされませや。370此(この)音彦(おとひこ)は、371女房(にようばう)の五十子(いそこ)姫(ひめ)は竜宮(りうぐう)の一(ひと)つ島(じま)へ行(い)つて居(を)るものですから、372やもめ鳥(どり)も同様(どうやう)、373ウツカリして居(を)ると、374今(いま)行(い)つた女(をんな)ぢやないが、375今(いま)はヤセ女(め)のあなたでも、376何時(いつ)の間(ま)にか大腹女(おほはらめ)になりますよ』
377悦子姫(よしこひめ)『オツホヽヽヽ、378お気遣(きづか)ひ下(くだ)さいますな、379決(けつ)して決(けつ)して御(ご)心配(しんぱい)はかけませぬから』
380加米彦(かめひこ)『アヽそれならマア私(わたくし)も御(ご)安心(あんしん)だ』
381音彦(おとひこ)『オイ加米彦(かめひこ)、382冗談(ぜうだん)も良(よ)い加減(かげん)にせぬか、383永(なが)い春日(はるひ)が又(また)暮(く)れて了(しま)ふぞ』
384悦子姫(よしこひめ)『サア皆(みな)さま、385参(まゐ)りませう』
386と九十九(つくも)折(をり)の嶮(けは)しき小径(こみち)を登(のぼ)り行(ゆ)く。
387音彦(おとひこ)『今度(こんど)は加米彦(かめひこ)、388夏彦(なつひこ)、389先(さき)へ行(ゆ)け、390又(また)煩雑(うるさ)い問題(もんだい)を提起(ていき)されては処置(しよち)に困(こま)るから』
391加米彦(かめひこ)『さうだらう。392ヤツパリ物(もの)がある奴(やつ)は、393何処(どこ)までも注意深(ちういぶか)いものだ、394イヒヽ』
395 加米彦(かめひこ)は悦子姫(よしこひめ)の後(あと)に、396三尺(さんじやく)許(ばか)り離(はな)れて随(つ)いて行(ゆ)く。397七八丁(しちはつちやう)登(のぼ)つたと思(おも)うと、398胸突坂(むねつきさか)を登(のぼ)り来(く)る二人(ふたり)の姿(すがた)、399半丁(はんちやう)許(ばか)り谷底(たにそこ)に、400笠(かさ)ばつかり揺(ゆら)ついて居(を)る。
401加米彦(かめひこ)『ヤア、402大(おほ)きな白(しろ)い松茸(まつたけ)が登(のぼ)つて来(く)るワイ。403オイ音彦(おとひこ)、404夏彦(なつひこ)、405悦子姫(よしこひめ)さまが夫(それ)程(ほど)恥(はづ)かしいのか。406何(なん)だ、407笠(かさ)で顔(かほ)も体(からだ)もみな隠(かく)しよつて……』
408悦子姫(よしこひめ)『加米彦(かめひこ)さま、409又(また)貴方(あなた)は嘲弄(からか)ふのかい、410良(よ)い加減(かげん)、411冗談(ぜうだん)はよしにしなさいよ』
412加米彦(かめひこ)『此(この)さみしい山路(やまみち)、413私(わたくし)の様(やう)な鳴(な)り物(もの)が一(ひと)つあるのも亦(また)重宝(ちようほう)でせう。414併(しか)し乍(なが)ら、415お気(き)に入(い)らぬとあれば仕方(しかた)がない。416冗談(ぜうだん)はこれ限(かぎ)りヨシコ姫(ひめ)に致(いた)しませう、417アツハヽヽヽ』
418悦子姫(よしこひめ)『それまた、419冗談(ぜうだん)を仰有(おつしや)るワ』
420加米彦(かめひこ)『仰有(おつしや)いますな。421加米彦(かめひこ)に憑依(ひようい)して居(を)る雲雀彦(ひばりひこ)の守護神(しゆごじん)奴(め)、422山(やま)へ来(く)ると親類(しんるゐ)へ帰(かへ)つた様(やう)に思(おも)つて、423はしやいでなりませぬワイ、424ウフヽ』
425悦子姫(よしこひめ)『大分(だいぶん)音彦(おとひこ)さまが遅(おく)れなさつたよな塩梅(あんばい)ぢや。426少(すこ)し待(ま)ち合(あ)はせませうか』
427加米彦(かめひこ)『ヤツパリ気(き)に懸(かか)りますかな、428遅(おく)れとるのは音彦(おとひこ)ばつかりぢやありませぬ。429腰(こし)の曲(まが)つた夏彦(なつひこ)にもチツとは目(め)を呉(く)れてやつて下(くだ)さいナ。430あなたは博愛心(はくあいしん)がどうかしてますネー』
431悦子姫(よしこひめ)『何(なん)だかケンケン言(い)つてるぢやありませぬか』
432加米彦(かめひこ)『エーあれや雉子(きじ)ですよ。433音彦(おとひこ)の兄弟分(きやうだいぶん)ですがなア。434二(ふた)つ目(め)にはケンケンコンコンと言(い)つては頭(あたま)を打(う)たれ、435腰(こし)を打(う)たれ、436攻撃(こうげき)の矢(や)ばつかり喰(く)つて居(ゐ)ます。437雉子(きじ)も鳴(な)かねば撃(う)たれまい………と云(い)ひましてなア……』
438悦子姫(よしこひめ)『雉子(きじ)と云(い)ふ鳥(とり)はコンナ深(ふか)い山(やま)に棲(す)みて、439何(なに)を喰(く)つてるのでせう』
440加米彦(かめひこ)『アルタイ山(ざん)の蛇掴(へびつかみ)の様(やう)に、441蛇(へび)ばつかり喰(く)つて居(ゐ)よるのです』
442悦子姫(よしこひめ)『丸(まる)で加米彦(かめひこ)さまの様(やう)な鳥(とり)ですネー』
443加米彦(かめひこ)『ソラ何(なに)を仰有(おつしや)います。444私(わたくし)が何時(いつ)蛇(へび)を喰(く)ひましたか』
445悦子姫(よしこひめ)『蛇(へび)ぢやありませぬ。446あなたは何時(いつ)も、447ヘマばつかり喰(く)つてるぢやありませぬか、448ホヽヽヽ』
449加米彦(かめひこ)『ナアンダ、450屁(へー)でもない屁理屈(へりくつ)を能(よ)く並(なら)べなさる。451あなたも随分(ずゐぶん)言霊(ことたま)の練習(れんしふ)が出来(でき)て、452お口(くち)丈(だけ)は悦子姫(よしこひめ)ぢやなくて、453悪子姫(わるこひめ)になりましたなア』
454悦子姫(よしこひめ)『ホツホヽヽヽ』
455加米彦(かめひこ)『アヽ何(なん)だか交通(かうつう)機関(きくわん)が倦怠(けんたい)して来(き)ました。456音彦(おとひこ)の来(く)るまで待(ま)つてやりませうかい』
457悦子姫(よしこひめ)『重宝(ちようほう)なお口(くち)だこと、458進退(しんたい)維(こ)れ谷(きは)まりて、459待(ま)つておあげなさるのでせう』
460加米彦(かめひこ)『ハハア、461あなた用心(ようじん)しなさいよ。462悪神(あくがみ)が憑(つ)いて居(ゐ)ますで………随分(ずゐぶん)言霊(ことたま)が濁(にご)つて来(き)ました。463一(ひと)つ神霊(しんれい)注射(ちうしや)をやつてあげませうか』
464悦子姫(よしこひめ)『有難(ありがた)う。465またユルユル皆(みな)さまの御(ご)協議(けふぎ)の上(うへ)で、466御(お)願(ねがひ)致(いた)します』
467と悦子姫(よしこひめ)が蓑(みの)を敷(し)いて、468一年越(いちねんごし)の霜枯(しもが)れの萱(かや)の上(うへ)にドツカとすわる。
469千歳(ちとせ)の老松(らうしよう)杉(すぎ)檜(ひのき)
470槻(けやき)楓(かへで)雑木(ざふき)も苔(こけ)蒸(む)して
471神(かむ)さび立(たて)る左右(さいう)の密林(みつりん)
472躑躅(つつじ)の花(はな)の此処(ここ)彼処(かしこ)
473白(しろ)に紅(くれなゐ)青(あを)黄色(きいろ)
474艶(えん)を争(あらそ)ふ其(その)中(なか)を
475藪鶯(やぶうぐひす)や山雀(やますずめ)
476四十雀(しじふがら)ガラ鳴(な)き立(た)つる
477山路(やまぢ)を越(こ)えて何時(いつ)しかに
478小広(こびろ)き田圃(たんぼ)に流(なが)れ出(で)る
479古(ふる)き神代(かみよ)の物語(ものがたり)
480唯(ただ)一言(ひとこと)も漏(も)らさずに
481書(か)き伝(つた)へむと土筆(つくづくし)
482鉛筆(えんぴつ)尖(とが)らし道(みち)の辺(べ)に
483待構(まちかま)へ居(ゐ)るしほらしさ
484麦(むぎ)の青葉(あをば)は止(と)め葉(ば)うち
485筆(ふで)を隠(かく)して青々(あをあを)と
486手具脛(てぐすね)ひいて待(ま)つて居(ゐ)る
487花(はな)は一面(いちめん)田(た)の面(おも)に
488艶(えん)を競(きそ)ふて咲(さ)きぬれど
489床(とこ)には置(お)くな、矢張(やはり)野(の)で見(み)よ紫雲英(げんげばな)
490虎杖草(いたんどうり)のここかしこ
491万年筆(まんねんひつ)の芽(め)を吹(ふ)いて
492書(か)き取(と)り清書(せいしよ)の準備顔(じゆんびがほ)
493此(この)物語(ものがたり)の主人公(しゆじんこう)
494四辺(あたり)の景色(けしき)も悦子姫(よしこひめ)は
495音彦(おとひこ)、加米彦(かめひこ)、夏彦(なつひこ)を
496吾子(わがこ)の如(ごと)く労(いた)はりつ
497親(おや)になつたる気取(きど)りにて
498お山(やま)を見当(めあ)てに進(すす)み行(ゆ)く。
499加米彦(かめひこ)『アーアナント云(い)ふ佳(よ)い景色(けしき)だらう。500……音彦(おとひこ)さま、501向(むか)ふに雲(くも)の被衣(かづき)を着(き)て居(ゐ)るズンと高(たか)い高山(かうざん)がそれぢやないか』
502音彦(おとひこ)『さうだ、503あれが目的(もくてき)の木(こ)の花姫(はなひめ)の御(ご)分霊(ぶんれい)の祀(まつ)られてある弥仙(みせん)のお山(やま)だ』
504加米彦(かめひこ)『道理(だうり)で、505首(くび)から上(うへ)は、506雲(くも)の奴(やつ)、507スツカリ包(つつ)みて、508峰(みね)の姿(すがた)を……ミセンの山(やま)だな、509併(しか)し乍(なが)ら泰然(たいぜん)自若(じじやく)として動(うご)かないあの姿(すがた)を見(み)ると、510実(じつ)に癪(しやく)に障(さは)るぢやないか。511俺(おれ)達(たち)ばつかりにテクらせよつて、512一歩(ひとあし)も動(うご)かず、513ヂツとして、514俺(おれ)が見(み)たけら此処(ここ)まで御座(ござ)れ、515と云(い)ふ塩梅(あんばい)式(しき)だ。516丸(まる)で吾々(われわれ)を眼下(がんか)に見(み)くだし、517奴隷視(どれいし)して居(ゐ)るぢやないか。518何(なん)だか軽蔑(けいべつ)せられる様(やう)な心持(こころもち)がしてきたワイ』
519音彦(おとひこ)『アハヽヽヽ、520云(い)ふ事(こと)が無(な)いと、521何(なん)なと言(い)はねば気(き)の済(す)まぬ男(をとこ)だなア。522さう心配(しんぱい)するな、523今(いま)に、524何程(なにほど)威張(ゐば)つて居(を)る弥仙山(みせんざん)でも、525頭(あたま)の頂辺(てつぺん)を、526吾々(われわれ)の足(あし)で踏(ふ)みにじる様(やう)になるのだよ。527さうだから、528時節(じせつ)を待(ま)て……と云(い)ふのだよ』
529夏彦(なつひこ)『皆(みな)さま、530此(この)美(うつく)しい紫雲英(げんげ)野(の)で、531お弁当(べんたう)でも開(ひら)いて、532お山(やま)を拝(をが)み乍(なが)ら休息(きうそく)致(いた)しませうか』
533加米彦(かめひこ)『待(ま)て待(ま)て、534女王(ぢよわう)様(さま)の御(ご)機嫌(きげん)を伺(うかが)つた上(うへ)、535認可(にんか)してやらう。536暫(しばら)く控(ひか)へて待(ま)つて居(を)らう』
537夏彦(なつひこ)『随分(ずゐぶん)薬鑵(やくわん)が能(よ)く沸騰(たぎ)りますなア、538否(いな)かめは能(よ)く沸騰(ふつとう)しますナア、539アハヽヽヽ』
540悦子姫(よしこひめ)『皆(みな)さま、541どうでせう、542此(この)麗(うるは)しい野原(のはら)で、543お山(やま)を遥拝(えうはい)し乍(なが)ら、544くつろぎませうか』
545夏彦(なつひこ)『ソラ、546どうだい、547以心(いしん)伝心(でんしん)、548吾輩(わがはい)の身魂(みたま)は暗々裡(あんあんり)に、549女王(ぢよわう)様(さま)に感応(かんのう)して居(ゐ)たのだ。550斯(か)うして見(み)ると、551肉体(にくたい)は主従(しゆじゆう)だが、552霊(みたま)は……』
553加米彦(かめひこ)『その次(つぎ)を言(い)はぬかい、554霊魂(みたま)が何(なん)だい、555狸身魂(たぬきみたま)の鼬(いたち)みたまをして、556何(なん)だか物(もの)臭(くさ)い事(こと)を言(い)ふ奴(やつ)だ、557斯(こ)ンな怪体(けつたい)なスタイルをして、558能(よ)うソンナ事(こと)が云(い)はれたものだワイ』
559夏彦(なつひこ)『ナーニ、560スタイルで女(をんな)が……ウンニヤ、561ムニヤムニヤ』
562加米彦(かめひこ)『又(また)行詰(ゆきつま)りよつたナ、563閻魔(えんま)さまの浄玻璃(じやうはり)の鏡(かがみ)の前(まへ)では、564心(こころ)の奥(おく)まで照(てら)されて、565恥(はづ)かしさに忽(たちま)ち唖(おし)とならねばなるまい。566グヅグヅして居(ゐ)ると、567舌(した)を抜(ぬ)かれて了(しま)ふぞ』
568夏彦(なつひこ)『舌(した)の一(いち)枚(まい)や二(に)枚(まい)抜(ぬ)かれたとて、569沢山(たくさん)に仕入(しい)れてあるから大丈夫(だいぢやうぶ)だよ。570今(いま)の人間(にんげん)に一(いち)枚(まい)や二(に)枚(まい)の舌(した)で甘(あま)ンじて居(を)る様(やう)な者(もの)は、571それこそ不便(ふべん)極(きは)まる片輪(かたわ)人足(にんそく)だ』
572加米彦(かめひこ)『本当(ほんたう)に能(よ)う廻(まは)る舌(した)だなア。573俺(おれ)も此奴(こいつ)には一寸(ちよつと)ビツクリ舌(した)、574イヤ感服(かんぷく)舌(した)、575アツハヽヽヽ』
576 斯(か)かる所(ところ)へ、577小夜具(さやぐ)染(ぞめ)の半纒(はんてん)をまとひ、578あかざの杖(つゑ)を突(つ)き乍(なが)ら、579ヒヨコリヒヨコリと一人(ひとり)の老翁(らうをう)、580四(よ)人(にん)が前(まへ)に立現(たちあら)はれ、
581翁(豊彦)『皆(みな)さま達(たち)は、582弥仙(みせん)のお山(やま)へ御(ご)参拝(さんぱい)のお方(かた)と見受(みう)けますが、583どうぞ私(わたし)の家(うち)へお寄(よ)り下(くだ)さいませぬか。584一(ひと)つお尋(たづ)ねをしたり、585お願(ねが)ひしたい事(こと)が御座(ござ)います』
586 加米彦(かめひこ)はシヤシヤり出(い)で、
587加米彦『ヤアお前(まへ)さまは、588北光(きたてる)の神(かみ)さまの様(やう)な、589崇高(すうかう)な容貌(ようばう)をしたお爺(ぢい)さまだな、590コンナ若(わか)い宣伝使(せんでんし)や、591若(わか)い男(をとこ)に、592老人(らうじん)が物(もの)を尋(たづ)ねるとは、593チツと間違(まちが)つては居(ゐ)やせぬか。594一(いち)年(ねん)でも先(さき)へ此(この)世(よ)へ飛(と)び出(だ)した者(もの)は、595経験(けいけん)が積(つ)み、596社会学(しやくわいがく)に達(たつ)して居(を)る筈(はず)だ、597怪体(けたい)な事(こと)を言(い)ふお爺(ぢい)さまだなア。598わしは又(また)、599お前(まへ)さまの姿(すがた)が木蔭(こかげ)にチラと見(み)えた時(とき)から……ヤア占(しめ)た、600一(ひと)つ沓(くつ)でも穿(は)かして上(あ)げて、601張子房(ちやうしばう)ぢやないが、602太公望(たいこうばう)の兵法(へいはふ)でも伝授(でんじゆ)して貰(もら)はうと思(おも)うて楽(たの)しみて居(ゐ)たのだ』
603爺(ぢい)(豊彦)『世界(せかい)の事(こと)なら、604一(いち)日(にち)でも先(さき)へ生(うま)れた丈(だけ)わしは兄貴(あにき)だ、605教(をし)へても上(あ)げるが、606これ丈(だけ)長生(ながいき)をして、607世(よ)の中(なか)の酸(す)いも甘(あま)いも悟(さと)りきつた此(この)爺(おやぢ)に、608どう考(かんが)へても合点(がてん)のいかぬ事(こと)が一(ひと)つあるのだ。609これはどうしても神(かみ)様(さま)のお道(みち)の人(ひと)に聞(き)かなくては、610分(わか)らぬ事(こと)だと思(おも)うて、611お山(やま)へ詣(まゐ)るお方(かた)を、612婆(ばば)アと二人(ふたり)が、613茅屋(あばらや)へ寄(よ)つて貰(もら)ひ、614種々(いろいろ)と尋(たづ)ねて見(み)るけれども、615どのお方(かた)も完全(くわんぜん)な解決(かいけつ)を与(あた)へて下(くだ)さらぬのだ。616此(この)間(あひだ)も英子姫(ひでこひめ)さまとやら……此(この)お女中(ぢよちう)よりもズツと綺麗(きれい)な、617神(かみ)様(さま)のお使(つか)ひのお方(かた)が凛々(りり)し相(さう)なお従者(とも)を連(つ)れて通(とほ)らしやつたので、618一(ひと)つ尋(たづ)ねてみた所(ところ)、619二人(ふたり)のお方(かた)はニヤツと笑(わら)うて、620何(なん)にも仰有(おつしや)つて下(くだ)さらず、621やがて女(をんな)一人(ひとり)男(をとこ)三(さん)人(にん)の一行(いつかう)が、622お山(やま)詣(まゐ)りをするから、623其(その)者(もの)に会(あ)うて尋(たづ)ねて呉(く)れいと仰有(おつしや)つたので、624毎日(まいにち)日日(ひにち)首(くび)を長(なが)うして待(ま)つて居(を)つたのだ、625もしや、626お前(まへ)さま等(ら)の事(こと)ではあるまいかと思(おも)うて、627重(おも)い足(あし)を引(ひ)きずつて出(で)て来(き)たのだ』
628加米彦(かめひこ)『アヽさうだつたか、629社会学(しやくわいがく)はまだ未完成(みくわんせい)だが、630神(かみ)様(さま)の事(こと)ならば、631ドンナ事(こと)でも解決(かいけつ)をつけてあげよう。632英子姫(ひでこひめ)さまも流石(さすが)は偉(えら)いワイ。633手柄(てがら)を俺(おれ)達(たち)に譲(ゆづ)つてやらうと思召(おぼしめ)して、634昨夜(ゆうべ)会(あ)うた時(とき)にも仰有(おつしや)らなかつたのだ。635流石(さすが)は先見(せんけん)の明(めい)ありだ。636古今(ここん)来(らい)を空(むな)しうして東西(とうざい)位(ゐ)を尽(つく)したる、637世界(せかい)の外(そと)の世界(せかい)迄(まで)踏(ふ)み込(こ)んで、638宇宙(うちう)の真相(しんさう)を悉皆(しつかい)看破(かんぱ)したる、639此(この)加米彦(かめひこ)がお出(い)でになると云(い)ふ事(こと)を、640流石(さすが)は明智(めいち)の英子姫(ひでこひめ)様(さま)、641予期(よき)して御座(ござ)つたと見(み)える。642サアサア何(なん)なりとお尋(たづ)ねなされ。643神界(しんかい)に関(くわん)する事(こと)ならば決(けつ)して退却(たいきやく)は致(いた)さぬ、644三五教(あななひけう)には退却(たいきやく)の二字(にじ)は有(あ)りませぬから………オツホン』
645爺(ぢい)(豊彦)『さうかな、646若(わか)いにも似合(にあ)はず、647能(よ)うそこまで勉強(べんきやう)をなさつた、648感心(かんしん)々々(かんしん)。649今時(いまどき)の若(わか)い者(もの)は、650皆(みな)心得(こころえ)が悪(わる)くて、651神(かみ)さまなンテ、652此(この)世(よ)の中(なか)に有(あ)るものか、653人間(にんげん)が神(かみ)さまだ、654神(かみ)があるのなら、655一遍(いつぺん)会(あ)はして呉(く)れ、656そしたら神(かみ)の存在(そんざい)を認(みと)めてやるなンテ、657大(だい)ソレた事(こと)を云(い)ふ時節(じせつ)だ。658それにお前(まへ)さまは、659何(なん)も彼(か)も御存(ごぞん)じとは、660実(じつ)に偉(えら)いお方(かた)だ、661此(この)爺(ぢい)も今迄(いままで)コンナ方(かた)に会(あ)ひたいと思(おも)うて、662待(ま)つて居(ゐ)ました……アヽ神(かみ)様(さま)、663有難(ありがた)う御座(ござ)います、664これと云(い)ふのも全(まつた)く弥仙(みせん)のお山(やま)の木(こ)の花姫(はなひめ)様(さま)の篤(あつ)き御(ご)守護(しゆご)……』
665と袖(そで)に涙(なみだ)を拭(ぬぐ)ふ。
666夏彦(なつひこ)『モシモシお爺(ぢい)さま、667此奴(こいつ)ア、668由良(ゆら)の湊(みなと)の秋山彦(あきやまひこ)の門番(もんばん)をして居(を)つた男(をとこ)です。669偉(えら)さうに口(くち)ばつかり開(ひら)くのですよ。670朝(あさ)から晩(ばん)まで門(もん)を開(ひら)くのが商売(しやうばい)だから、671其(その)惰力(だりよく)が未(いま)だに残(のこ)つて居(を)つて、672大門(おほもん)の様(やう)な大(おほ)けな口(くち)を開(ひら)きよるのだ。673相手(あひて)になりなさるな。674此(この)男(をとこ)の云(い)ふ位(くらゐ)な事(こと)は、675私(わたし)だつて、676年(とし)の功(こう)は豆(まめ)の粉(こ)だ、677豆(まめ)の粉(こ)は黄(き)な粉(こ)だ、678黄(き)な粉(こ)はヤツパリ豆(まめ)の粉(こな)だ。679猪(しし)喰(く)た犬(いぬ)は、680犬(いぬ)のどこやらに勝(すぐ)れた所(ところ)が有(あ)りますワイ。681私(わたし)が教(をし)へてあげませう』
682加米彦(かめひこ)『コレコレお爺(ぢい)さま、683此奴(こいつ)はなア、684ウラナイ教(けう)の黒姫(くろひめ)と云(い)ふ、685口(くち)ばつかり達者(たつしや)な奴(やつ)に十(じふ)年間(ねんかん)も朝(あさ)から晩(ばん)まで、686法螺(ほら)を仕込(しこ)まれて来(き)た奴(やつ)だから、687何(なに)を言(い)ふやら、688蜜柑(みかん)やら、689金柑桝(きんかんます)で量(はか)るやら、690なにも分(わか)つた代物(しろもの)ぢやありませぬワイ』
691爺(ぢい)(豊彦)『最前(さいぜん)から此(この)老爺(ぢぢい)が一生(いつしやう)懸命(けんめい)に頼(たの)みて居(を)るのに、692お前(まへ)さま達(たち)は、693此(この)老人(としより)を飜弄(ほんろう)するのかい、694エーエやつぱり英子姫(ひでこひめ)さまの仰有(おつしや)つた偉(えら)いお方(かた)は、695此(この)御(ご)連中(れんちう)ぢや有(あ)るまい。696アーア阿呆(あほ)らしい、697コンナ事(こと)なら此(この)重(おも)い足(あし)を、698老人(らうじん)が引摺(ひきず)つて来(く)るのぢやなかつたのに……』
699音彦(おとひこ)『モシモシお爺(ぢい)さま、700さう腹(はら)を立(た)てて下(くだ)さるな。701此(これ)等(ら)二人(ふたり)は雲雀(ひばり)や燕(つばめ)の親類(しんるゐ)ですから、702どうぞお望(のぞ)みの事(こと)を、703私(わたくし)に仰有(おつしや)つて下(くだ)さいませ。704私(わたくし)の力(ちから)限(かぎ)り神(かみ)様(さま)に伺(うかが)つて御(お)答(こたへ)を致(いた)しませう』
705爺(ぢい)(豊彦)『アヽさうかなア、706お前(まへ)さまはどこやらが、707締(しま)りのある男(をとこ)だと思(おも)うて居(を)つた。708此処(ここ)では話(はなし)が出来(でき)ませぬから、709お前(まへ)さま一人(ひとり)、710私(わたくし)の宅(うち)へ来(き)て下(くだ)され、711婆(ばば)アや娘(むすめ)が待(ま)つて居(を)ります』
712音彦(おとひこ)『お爺(ぢい)さま、713それは有難(ありがた)う御座(ござ)いますが、714私(わたくし)の……此処(ここ)に御(ご)主人(しゆじん)とも先生(せんせい)とも仰(あふ)ぐ悦子姫(よしこひめ)さまがいらつしやいます。715此(この)お方(かた)は吾々(われわれ)の大先生(だいせんせい)で御座(ござ)いますから、716此(この)方(かた)を捨(す)てて私(わたくし)ばつかり参(まゐ)る訳(わけ)にはゆきませぬ』
717爺(ぢい)(豊彦)『アーさうだらうさうだらう、718ソンナラ、719悦子姫(よしこひめ)さまの先生(せんせい)とお前(まへ)さまと来(き)て下(くだ)され、720斯(こ)ンな若(わか)い男(をとこ)は此処(ここ)に待(ま)たして置(お)いたら宜(よろ)しからう』
721音彦(おとひこ)『併(しか)し乍(なが)ら、722四(よ)人(にん)はどうしても離(はな)れないと云(い)ふ不文律(ふぶんりつ)が定(さだ)められてあるので、723此(この)男(をとこ)二人(ふたり)を此処(ここ)に放棄(はうき)して置(お)く訳(わけ)にはゆきませぬ、724四(よ)人(にん)共(とも)参(まゐ)りませう。725それがお気(き)に入(い)らねば仕方(しかた)がありませぬから御(お)断(ことわ)り申(まを)すより途(みち)は御座(ござ)いませぬ』
726爺(ぢい)(豊彦)『アヽソンナラ来(き)て下(くだ)さいませ。727コレコレ二人(ふたり)のお若(わか)いの、728私(わたくし)の家(うち)へ来(き)て下(くだ)さるのは構(かま)ひませぬが、729あまり喧(やかま)しう言(い)つて下(くだ)さるな、730娘(むすめ)の身体(からだ)に障(さは)ると困(こま)りますから……』
731加米彦(かめひこ)『オイ夏(なつ)、732貴様(きさま)一杯(いつぱい)奢(おご)らぬと冥加(みやうが)が悪(わる)いぞ、733此(この)中(うち)で一番(いちばん)の年長(としがさ)だ、734それに「お若(わか)いの」と云(い)はれよつたぢやないか、735是(こ)れと云(い)ふのも、736俺(おれ)の好男子(かうだんし)の余徳(よとく)に依(よ)りて若(わか)く見(み)られたのだよ。737それだから老爺(おぢい)さまが、738娘(むすめ)の体(からだ)に障(さは)ると困(こま)ります……ナンテ予防線(よばうせん)を張(は)るのだよ。739険呑(けんのん)な代物(しろもの)と見込(みこ)まれたものだなア、740アツハヽヽヽ』
741音彦(おとひこ)『サア悦子姫(よしこひめ)さま、742御(ご)苦労(くらう)乍(なが)ら、743一寸(ちよつと)老爺(おぢい)さまの宅(うち)まで寄(よ)つてあげて下(くだ)さいませ』
744悦子姫(よしこひめ)『不束(ふつつか)な妾(わたし)でもお間(ま)に合(あ)ひますれば、745お爺(ぢい)さま参(まゐ)ります』
746爺(ぢい)(豊彦)『ハア有難(ありがた)い有難(ありがた)い、747御(お)礼(れい)は後(あと)で致(いた)します。748老爺(ぢい)の家(うち)は此(この)向(むか)ふの森(もり)を一(ひと)つ廻(まは)つた所(とこ)で御座(ござ)います。749私(わたくし)の座敷(ざしき)から、750あなた方(がた)が此処(ここ)に御(ご)休息(きうそく)になつて御座(ござ)るのが、751手(て)に取(と)る様(やう)に見(み)えました位(くらゐ)ですから、752ホンの一寸(ちよつと)の廻(まは)りで御座(ござ)います』
753と先(さき)に立(た)ち、754ヨボヨボと己(おの)が家路(いへぢ)へ伴(ともな)ひ行(ゆ)く。
755(大正一一・四・二四 旧三・二八 松村真澄録)
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