霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
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第八章 蛙(かはづ)の口(くち)〔六三六〕

インフォメーション
著者:出口王仁三郎 巻:霊界物語 第18巻 如意宝珠 巳の巻 篇:第3篇 反間苦肉 よみ(新仮名遣い):はんかんくにく
章:第8章 蛙の口 よみ(新仮名遣い):かわずのくち 通し章番号:636
口述日:1922(大正11)年04月26日(旧03月30日) 口述場所: 筆録者:北村隆光 校正日: 校正場所: 初版発行日:1923(大正12)年2月10日
概要: 舞台: あらすじ[?]このあらすじはMさん作成です(一部加筆訂正してあります)。一部の章はAIによって要約を作成しています。[×閉じる]:
綾彦とは、豊彦・豊姫の長男であった。豊彦は夢のお告げで、腹が膨れるお玉の祈願のために彦・お民夫婦を真名井の豊国姫命へ参拝させよ、と神命を受けた。さっそく二人を真名井に参詣させたところ、黒姫の部下たちに捕まってしまったのだった。
魔窟ケ原に帰ってきた浅公は、黒姫に報告をし、さも自分たちが神力でバラモン教徒から綾彦・お民を助け出したかのように語った。
黒姫は、綾彦に自分の身の回りで御用をするように申し付け、お民はウラナイ教の支所・高城山で、松姫の用を足すようにと命じた。
浅公以下は、黒姫から、綾彦夫婦を連れて来た手柄の褒美として、酒を飲むことを許可され、宴会を開いている。一同は酔いに乗じて、今日の策略を大声で話していた。
綾彦とお民は、廊下からふと酒酔いの笑い声を耳にして、聞き耳を立てると、浅公らの企みをすべて聞いてしまった。二人は顔を見合わせ、ひそひそと何事かを囁きながら一睡もせずに夜を明かした。
主な登場人物[?]【セ】はセリフが有る人物、【場】はセリフは無いがその場に居る人物、【名】は名前だけ出て来る人物です。[×閉じる]: 備考: タグ: データ凡例: データ最終更新日:2021-03-16 17:34:12 文字数:6738 OBC :rm1808
愛善世界社版:126頁 八幡書店版:第3輯 684頁 修補版: 校定版:130頁 普及版:57頁 初版: ページ備考:
001黄金(こがね)の峰(みね)と聞(きこ)えたる
002弥仙(みせん)の山(やま)の麓辺(ふもとべ)に
003此(この)世(よ)を忍(しの)ぶ豊彦(とよひこ)が
004娘(むすめ)お玉(たま)の訝(いぶ)かしや
005去年(こぞ)の秋(あき)よりブクブクと
006息(いき)も苦(くる)しく日(ひ)に月(つき)に
007むかつき出(だ)した布袋腹(ほていばら)
008豊彦(とよひこ)夫婦(ふうふ)は日(ひ)に夜(よる)に
009心(こころ)を痛(いた)め木(こ)の花(はな)の
010神(かみ)に願(ねがひ)を掛巻(かけま)くも
011畏(かしこ)き神(かみ)の夢(ゆめ)の告(つ)げ
012真名井(まなゐ)ケ原(はら)に現(あ)れませる
013豊国姫(とよくにひめ)の大神(おほかみ)の
014御許(みもと)に綾彦(あやひこ)お民(たみ)をば
015一日(ひとひ)も早(はや)く参(まゐ)らせよ
016天地(あめつち)かぬる大神(おほかみ)の
017貴(うづ)の御霊(みたま)の御心(みこころ)と
018諭(さと)し給(たま)ふと見(み)るうちに
019忽(たちま)ち夢(ゆめ)は破(やぶ)られて
020雨戸(あまど)を叩(たた)く雨(あめ)の音(おと)
021秋(あき)の木(こ)の葉(は)の凩(こがらし)に
022吹(ふ)かれて落(お)つる騒(さわ)がしさ
023夜(よ)も漸(やうや)くに明(あ)けぬれば
024兄(あに)の綾彦(あやひこ)妻(つま)お民(たみ)
025二人(ふたり)に命(めい)じて逸早(いちはや)く
026時(とき)を移(うつ)さず豊国姫(とよくにひめ)の
027珍(うづ)の命(みこと)の御(おん)前(まへ)に
028参向(さんかう)せよと命(めい)ずれば
029正直(しやうぢき)一途(いちづ)の孝行者(かうかうもの)
030親(おや)の言葉(ことば)を大地(だいち)より
031重(おも)しと仰(あふ)ぎ夫婦(ふうふ)連(づ)れ
032草蛙(わらぢ)脚絆(きやはん)の扮装(いでたち)に
033若草山(わかくさやま)を乗(の)り越(こ)えて
034空(そら)も真倉(まくら)の谷径(たにみち)を
035進(すす)み進(すす)みて一本木(いつぽんぎ)
036田辺(たなべ)、丸八江(まるやえ)、由良(ゆら)の川(かは)
037息(いき)も切戸(きれど)の文珠堂(もんじゆだう)
038天(あま)の橋立(はしだて)右(みぎ)に見(み)て
039親(おや)の言葉(ことば)に一言(ひとこと)も
040小言(こごと)は互(たがひ)に岩淵(いはふち)や
041広野(ひろの)を過(す)ぎて五箇(ごか)の庄(しやう)
042比治山(ひぢやま)峠(たうげ)の峰(みね)続(つづ)き
043比沼(ひぬ)の真名井(まなゐ)の神霊地(しんれいち)
044瑞(みづ)の宝座(ほうざ)に参拝(さんぱい)し
045草(くさ)の枕(まくら)も数(かず)重(かさ)ね
046普甲峠(ふかふたふげ)の麓(ふもと)まで
047すたすた帰(かへ)る二人(ふたり)連(づ)れ
048忽(たちま)ち暮(く)るる秋(あき)の空(そら)
049黒雲(くろくも)低(ひく)う塞(ふさ)がりて
050心(こころ)は暗(やみ)に怖々(おぢおぢ)と
051帰(かへ)り来(きた)れる道(みち)の上(うへ)
052思(おも)はず躓(つまづ)く人(ひと)の影(かげ)
053忽(たちま)ち五(ご)人(にん)の荒男(あらをとこ)
054前後(ぜんご)左右(さいう)に立(た)ち上(あが)り
055殺(ころ)して呉(く)れむと呶鳴(どな)りつつ
056打(う)つやら蹴(け)るやら殴(なぐ)るやら
057綾彦(あやひこ)お民(たみ)は声(こゑ)限(かぎ)り
058助(たす)けて呉(く)れえと叫(さけ)ぶ声(こゑ)
059聞(き)くより忽(たちま)ち暗(くら)がりに
060現(あら)はれ出(い)でた大男(おほをとこ)
061ウラナイ教(けう)の言霊(ことたま)に
062悪者(わるもの)共(ども)を追(お)ひ散(ち)らし
063綾彦(あやひこ)お民(たみ)を伴(ともな)ひて
064魔窟(まくつ)ケ原(はら)の岩窟(いはやど)に
065意気(いき)揚々(やうやう)と帰(かへ)り行(ゆ)く
066道(みち)に出会(であ)うた五人(ごにん)連(づ)れ
067手柄話(てがらばなし)の花(はな)咲(さ)かし
068土産(みやげ)沢山(たつぷり)黒姫(くろひめ)が
069隠家(かくれが)指(さ)して帰(かへ)り行(ゆ)く。
070 浅(あさ)、071幾(いく)の両人(りやうにん)は例(れい)の岩蓋(いはぶた)を剥(めく)つて一行(いつかう)十(じふ)人(にん)と共(とも)に滑(すべ)り入(い)る。
072浅公(あさこう)『高山彦(たかやまひこ)様(さま)、073黒姫(くろひめ)様(さま)、074只今(ただいま)帰(かへ)りました』
075黒姫(くろひめ)『ヤア、076お前(まへ)は浅公(あさこう)か、077ヤ、078幾公(いくこう)、079梅公(うめこう)、080えらう遅(おそ)いぢやないか、081何(なに)をして居(を)つたのだい、082何時(いつ)までも日(ひ)が暮(く)れてから其処(そこ)らをブラブラ歩(ある)いて居(を)ると、083大江山(おほえやま)の鬼(おに)の眷族(けんぞく)と間違(まちが)へられるから、084日(ひ)が暮(く)れたら直(すぐ)に帰(かへ)つて来(く)るのだよ、085今日(けふ)は又(また)えらい遅(おそ)い事(こと)ぢやないか、086ヤ、087今日(けふ)は見馴(みなれ)ぬ方(かた)がお二人(ふたり)、088これや又(また)如何(どう)ぢや、089えらう頭(あたま)の髪(かみ)も乱(みだ)れて居(ゐ)る、090何(なに)かこれには様子(やうす)でもあるのかな』
091幾公(いくこう)『これに就(つ)いて色々(いろいろ)の苦心話(くしんばなし)が御座(ござ)います、092それが為(ため)に今日(けふ)は吾々(われわれ)一同(いちどう)の者(もの)が遅(おそ)くなりました、093三五教(あななひけう)の宣伝使(せんでんし)数多(あまた)の人民(じんみん)を迷(まよ)はすに依(よ)つて、094吾々(われわれ)は三五教(あななひけう)の宣伝使(せんでんし)を見(み)つけ出(だ)し、095天地(てんち)の道理(だうり)を説(と)き聞(き)かせ帰順(きじゆん)させむものと普甲峠(ふかふたふげ)を降(くだ)つて来(き)ました。096暗(くら)さは暗(くら)し、097風(かぜ)はピユーピユーと吹(ふ)いて来(く)る、098浪(なみ)立(た)ち騒(さわ)ぐ海原(うなばら)は太鼓(たいこ)の様(やう)な音(おと)をたててイヤもう凄(すさま)じい光景(くわうけい)、099忽(たちま)ち騒(さわ)がしい物音(ものおと)、100何事(なにごと)ならむと吾々(われわれ)一同(いちどう)は耳(みみ)をすまして聞(き)き居(を)れば「人殺(ひとごろ)し人殺(ひとごろ)し、101助(たす)けて呉(く)れえ」との嫌(いや)らしい声(こゑ)が聞(きこ)えて来(く)る、102ア、103これや大変(たいへん)だ、104人(ひと)を助(たす)けるのがウラナイ教(けう)の神(かみ)の教(をしへ)、105吾(わが)身(み)は如何(どう)なつても構(かま)はぬ、106仮令(たとへ)大江山(おほえやま)の鬼(おに)の餌食(ゑじき)にならうとも神(かみ)に仕(つか)ふる吾々(われわれ)、107此(この)悲鳴(ひめい)を聞(き)いて如何(どう)して捨(す)てて帰(かへ)れようか、108人(ひと)を助(たす)くるは宣伝使(せんでんし)の役(やく)と、109生命(いのち)を的(まと)に声(こゑ)する方(はう)に窺(うかが)ひ寄(よ)り見(み)れば、110案(あん)に違(たが)はぬ百(ひやく)人(にん)近(ちか)くの鬼雲彦(おにくもひこ)が眷族(けんぞく)の者共(ものども)、111覆面(ふくめん)頭巾(づきん)の扮装(いでたち)、112槍(やり)、113薙刀(なぎなた)に棍棒(こんぼう)、114刺股(さすまた)氷(こほり)の刃(やいば)、115暗(やみ)に閃(ひらめ)かし十重(とへ)二十重(はたへ)に取(と)り囲(かこ)み、116中(なか)で二人(ふたり)の男女(だんぢよ)を捕(とら)へて四五(しご)人(にん)の男(をとこ)、117打(う)つ蹴(け)る殴(なぐ)るの乱暴(らんばう)狼藉(ろうぜき)、118大江山(おほえやま)の砦(とりで)に連(つ)れ帰(かへ)りバラモン教(けう)の神(かみ)の贄(いけにへ)にせむとの企(たく)み、119と覚(さと)つた吾々(われわれ)は矢(や)も楯(たて)も堪(たま)らず、120一生(いつしやう)懸命(けんめい)熱湯(ねつたう)の汗(あせ)を絞(しぼ)り、121ウラナイ教(けう)の大神(おほかみ)様(さま)、122何卒(なにとぞ)々々(なにとぞ)この旅人(たびびと)が生命(いのち)を救(すく)はせ玉(たま)へ、123吾々(われわれ)の生命(いのち)はたとへ無(な)くなつても、124と幸魂(さちみたま)を極端(きよくたん)に発揮(はつき)し暗祈(あんき)黙祷(もくたう)すれば、125アーラ不思議(ふしぎ)や吾(わが)身体(しんたい)に忽(たちま)ち降(くだ)り給(たま)ふ天津(あまつ)神(かみ)国津(くにつ)神(かみ)八百万(やほよろづ)の神(かみ)等(たち)、126日(ひ)の出神(でのかみ)を先頭(せんとう)に竜宮(りうぐう)の乙姫(おとひめ)、127吾々(われわれ)三(さん)人(にん)が肉体(にくたい)に懸(かか)らせ給(たま)ひ、128天地(てんち)に轟(とどろ)く言霊(ことたま)の声(こゑ)、129一(ひと)二(ふた)三(み)四(よ)と皆(みな)まで言(い)はずに、130さしも強力(がうりき)無双(むさう)の鬼雲彦(おにくもひこ)が手下(てした)共(ども)、131朝日(あさひ)に露(つゆ)の消(き)ゆるが如(ごと)く、132魂(たましひ)奪(うば)はれ骨(ほね)は砕(くだ)けて生命(いのち)惜(を)しさに涙(なみだ)と共(とも)に頼(たの)み入(い)る。133思(おも)へば憎(に)つくき奴(やつ)なれど、134彼(かれ)等(ら)と雖(いへど)も元(もと)は神(かみ)の分霊(わけみたま)、135善(ぜん)を助(たす)け悪(あく)を許(ゆる)すは大神(おほかみ)の慈悲(じひ)、136と心(こころ)の裡(うち)に見直(みなほ)し宣(の)り直(なほ)せば、137百(ひやく)に余(あま)る豪傑(がうけつ)どもは、138チウの声(こゑ)も能(よ)う立(た)てず足音(あしおと)を忍(しの)ばせ乍(なが)ら、139風(かぜ)の如(ごと)く魔(ま)の如(ごと)く水泡(みなわ)と消(き)えてやみの中(なか)、140そこで吾々(われわれ)八(はち)人(にん)は予(かね)ての計略(けいりやく)、141オツト、142ドツコイ……計略(けいりやく)を以(もつ)て旅人(たびびと)を苦(くる)しめむと致(いた)す鬼(おに)共(ども)に、143言霊(ことたま)の鉄鎚(てつつゐ)を加(くは)へ今後(こんご)を戒(いまし)め置(お)き二人(ふたり)のこれなる夫婦(ふうふ)を救(すく)ひ花々(はなばな)しく立(た)ち帰(かへ)つて候(さふらふ)』
144黒姫(くろひめ)『ヤア、145それは御(ご)苦労(くらう)であつた、146人間(にんげん)と云(い)ふものは目前(まさか)の時(とき)になれば神(かみ)様(さま)がお使(つか)ひ下(くだ)さるもの「腐(くさ)り縄(なは)にも取(と)りえ」と云(い)ふ事(こと)がある、147私(わし)もお前(まへ)の様(やう)な穀潰(ごくつぶ)しを沢山(たくさん)に養(やしな)つて置(お)いてつまらぬ者(もの)ぢや、148棄(ほ)かすにも棄(す)かされず、149大根(だいこん)の葉(は)にねちが着(つ)いた様(やう)なものぢやと思(おも)つて居(を)つたが、150目前(まさか)の時(とき)にそれ丈(だけ)の神力(しんりき)が出(で)れば万更(まんざら)捨(す)てたものぢや無(な)い。151ヤ、152御(ご)苦労(くらう)だつた、153サアサア一服(いつぷく)して下(くだ)され、154然(しか)し乍(なが)ら丑(うし)、155寅(とら)、156辰(たつ)外(ほか)二人(ふたり)の男(をとこ)は今迄(いままで)何(なに)をして居(を)つたのだ、157浅(あさ)、158幾(いく)の様(やう)にお前(まへ)もチツと活動(くわつどう)をせなくては神(かみ)様(さま)に済(す)むまいぞや』
159寅公(とらこう)『吾々(われわれ)は御(ご)神前(しんぜん)に於(おい)て……否(いや)無形(むけい)の神殿(しんでん)に向(むか)つて祈願(きぐわん)する折(をり)しも、160忽(たちま)ち吾々(われわれ)の天眼通(てんがんつう)に映(えい)じた普甲峠(ふかふたうげ)の突発(とつぱつ)事件(じけん)。161やれ可憐相(かはいさう)な二人(ふたり)の旅人(たびびと)、162神力(しんりき)を以(もつ)て助(たす)けてやらむと心(こころ)は千々(ちぢ)に焦慮(あせ)れども、163何(なに)を云(い)つても遠隔(ゑんかく)の地(ち)、164アヽ仕方(しかた)が無(な)い、165遠隔(ゑんかく)神霊(しんれい)注射法(ちうしやはふ)を実行(じつかう)せむかと思(おも)ふ折(をり)、166又(また)もや吾々(われわれ)が天眼(てんがん)に映(えい)じたのは浅(あさ)、167幾(いく)、168梅(うめ)の三(さん)人(にん)、169これや良(よ)い霊代(みたましろ)だと五(ご)人(にん)一度(いちど)に三(さん)人(にん)の身体(からだ)に神懸(かむがか)りし、170群(むら)がる魔軍(まぐん)に向(むか)つて、171言霊(ことたま)の神力(しんりき)は申(まを)すに及(およ)ばず、172あらゆる霊力(れいりよく)を尽(つく)して戦(たたか)へば、173敵(てき)は蜘蛛(くも)の子(こ)を散(ち)らすが如(ごと)く、174散(ち)り散(ぢ)りパツと花(はな)に嵐(あらし)の当(あた)りし如(ごと)く、175霞(かすみ)となつて消(き)え失(う)せたりツ』
176浅公(あさこう)『アハヽヽヽ』
177黒姫(くろひめ)『何(なに)は兎(と)もあれ、178藪医者(やぶいしや)が手柄(てがら)をした様(やう)なものだ、179篦(へら)で鬼(おに)の首(くび)とつたも同然(どうぜん)、180今日(けふ)は離(はな)れの室(ま)で御(お)神酒(みき)でも沢山(たくさん)頂(いただ)いてグツスリと寝(ね)たが良(よ)い、181コレコレ旅(たび)の方(かた)、182神(かみ)様(さま)の尊(たふと)い事(こと)が分(わか)りましたかな』
183綾(あや)、184民(たみ)『ハイ、185何(なん)とも有難(ありがた)うて申(まを)し様(やう)が御座(ござ)いませぬ、186只(ただ)もう此(この)通(とほ)り……』
187と夫婦(ふうふ)は両手(りやうて)を合(あは)せ黒姫(くろひめ)の顔(かほ)を伏(ふ)し拝(をが)み、188熱(あつ)い涙(なみだ)をボロボロと零(こぼ)すのみである。
189黒姫(くろひめ)『お前(まへ)は真(ほん)に幸福(しあはせ)な御(ご)夫婦(ふうふ)ぢや、190結構(けつこう)な御(お)神徳(かげ)を頂(いただ)きなさつた、191袖振(そでふ)り合(あ)ふも多生(たしやう)の縁(えん)、192躓(つまづ)く石(いし)も縁(えん)の端(はし)と云(い)うて、193コンナ結構(けつこう)な神(かみ)様(さま)の教(をしへ)の取次(とりつぎ)に助(たす)けて貰(もら)うとはよくよく深(ふか)い昔(むかし)からの果報(くわはう)が現(あら)はれたのぢやぞえ、194私(わし)も何(なん)ぢやか始(はじ)めて会(あ)うた人(ひと)の様(やう)な気(き)がせぬ、195之(これ)からは総(すべ)ての娑婆心(しやばごころ)を捨(す)てて神界(しんかい)の為(ため)に千騎(せんき)一騎(いつき)の活動(くわつどう)をしなされや、196就(つ)いては夫婦(ふうふ)ありては御用(ごよう)の出来(でき)ぬ神(かみ)のお道(みち)ぢやから、197お前(まへ)は明日(あす)から夫婦(ふうふ)別(わか)れて御用(ごよう)をするのだ、198死(し)ンで別(わか)るるのは辛(つら)いけれど、199此(この)世(よ)に生(い)きて居(を)れば矢張(やつぱ)り同(おな)じウラナイの道(みち)に御用(ごよう)するのだから会(あ)ふ機会(きくわい)は幾(いく)らもある、200お前(まへ)は何(なん)と云(い)ふ名(な)だ』
201綾彦、お民『ハイ、202綾彦(あやひこ)と申(まを)します。203妾(わらは)はお民(たみ)と申(まを)します』
204黒姫(くろひめ)『アヽさうか、205綾彦(あやひこ)は俺(わし)の側(そば)で御用(ごよう)をするなり、206お民(たみ)は矢張(やつぱ)りウラナイ教(けう)の支所(でやしろ)で高城山(たかしろやま)と云(い)う処(ところ)、207そこには意地(いぢ)くねの………悪(わる)くない松姫(まつひめ)が控(ひか)へて居(を)る、208お民(たみ)は松姫(まつひめ)の側(そば)へ行(い)つて御用(ごよう)をなさるのだ、209御(ご)承知(しようち)がゆけば明日(あす)から、210幾公(いくこう)に送(おく)らしてあげよう』
211お民(たみ)『ハイ、212如何(いか)なる事(こと)でも神(かみ)様(さま)の御(おん)為(た)めなれば否(いや)とは申(まを)しませぬ、213然(しか)し何卒(どうぞ)三四日(さんよつか)許(ばか)り一緒(いつしよ)に置(お)いて下(くだ)さいますまいか、214とつくり夫婦(ふうふ)の者(もの)が相談(さうだん)を致(いた)し度(た)う御座(ござ)いますから……』
215黒姫(くろひめ)『アヽ其(その)相談(さうだん)がいかぬのだ、216人間心(にんげんごころ)で取越(とりこし)苦労(くらう)をしたつて何(なに)になるものか、217何事(なにごと)も神(かみ)様(さま)に絶対(ぜつたい)にお任(まか)せするのだ、218夫婦(ふうふ)別(わか)るるのが辛(つら)いかな、219それはお若(わか)い身(み)の上(うへ)だから無理(むり)も無(な)い、220年寄(としよ)りの私(わし)でさへも夫婦(ふうふ)は無(な)ければならぬ者(もの)ぢやと思(おも)うて居(を)る位(くらゐ)ぢや、221然(しか)し年寄(としよ)りは又(また)例外(れいぐわい)ぢや、222末(すゑ)が短(みじか)いから……、223若(わか)い者(もの)は何程(なんぼ)でも会(あ)う機会(きくわい)が、224長(なが)い月日(つきひ)には有(あ)るものぢや。225あの木貂(きてん)と云(い)ふ奴(やつ)は、226夫婦仲(ふうふなか)の良(よ)いものぢやが決(けつ)して夫婦(めをと)は一緒(いつしよ)に棲(す)まひはせぬ、227雄(をす)の方(はう)が東(ひがし)の山(やま)の木(き)の洞(うろ)に棲(す)みて居(を)れば、228雌(めす)の方(はう)は屹度(きつと)谷(たに)を隔(へだ)てて、229西(にし)の山(やま)の木(き)の洞(うろ)に棲居(すまゐ)をし、230西(にし)からと東(ひがし)からと互(たがひ)に見張(みはり)をして居(を)るさうぢや、231若(も)し雌(めす)の棲(す)みて居(を)る大木(たいぼく)の麓(ふもと)へ猟師(れふし)でも出(で)て来(き)たら、232灯台(とうだい)元暗(もとくら)がり、233近(ちか)くに居(ゐ)る雌(めす)に気(き)がつかいでも遠(とほ)くから見(み)て居(ゐ)る雄(をす)がチヤンと之(これ)を悟(さと)つて、234電波(でんぱ)を送(おく)つて雌(めす)に知(し)らせ、235雄(をす)に危険(きけん)が迫(せま)つた時(とき)は又(また)遠(とほ)くから見(み)て居(ゐ)る雌(めす)が電波(でんぱ)を以(もつ)て雄(をす)に知(し)らせると云(い)う事(こと)だ。236その通(とほ)りお前(まへ)も両方(りやうはう)に分(わ)かれて互(たがひ)に妻(つま)は夫(をつと)を思(おも)ひ、237夫(をつと)は妻(つま)を思(おも)ひ、238偶々(たまたま)会(あ)うた時(とき)のその嬉(うれ)しさは何(なん)とも云(い)へぬ味(あぢ)が出(で)るぞえ、239之(これ)だけ若(わか)い者(もの)ばかり沢山(たくさん)居(を)るのだからお前(まへ)の様(やう)な若夫婦(わかめをと)を一緒(いつしよ)において置(お)くと、240いろいろと若(わか)い者(もの)が修羅(しゆら)を燃(も)やしてごてつき、241お前(まへ)も亦(また)辛(つら)いであらうから、242明日(あす)は直(すぐ)にお民(たみ)は高城山(たかしろやま)へ行(い)つて御用(ごよう)をして下(くだ)さい』
243綾彦、お民『何事(なにごと)も神(かみ)様(さま)にお任(まか)せした以上(いじやう)は、244何卒(どうぞ)貴女(あなた)の思召(おぼしめし)の通(とほ)りお使(つか)ひ下(くだ)さいませ』
245黒姫(くろひめ)『ア、246さうかさうか、247結構(けつこう)結構(けつこう)、248本当(ほんたう)に聞訳(ききわけ)の良(よ)い人(ひと)ぢや、249サアサ今晩(こんばん)は奥(おく)へ行(い)つて寝(やす)みなされ、250俺(わし)も大変(たいへん)草臥(くたび)れたから今晩(こんばん)は之(これ)で寝(やす)みませう、251然(しか)しこれこれお若(わか)いの、252神(かみ)様(さま)に手(て)を合(あは)せお礼(れい)を申(まを)して寝(やす)みなされや、253必(かなら)ず必(かなら)ず神(かみ)様(さま)の祀(まつ)つてある方(はう)に尻(しり)を向(む)けたり足(あし)を向(む)けてはなりませぬぞえ』
254夫婦(ふうふ)『ハイ有難(ありがた)う御座(ござ)います、255然(しか)らば寝(やす)まして頂(いただ)きます』
256と奥(おく)を目蒐(めが)けて両人(りやうにん)は徐々(しづしづ)進(すす)み行(ゆ)く。
257黒姫(くろひめ)『アーア、258世(よ)の中(なか)は思(おも)ふ様(やう)にいかぬものだなア、259今(いま)斯(か)う云(い)うて若夫婦(わかふうふ)に生木(なまき)を裂(さ)く様(やう)な命令(めいれい)をしたが、260思(おも)へば思(おも)へば可憐相(かはいさう)な者(もの)だ。261俺(わし)とても其(その)通(とほ)り、262高山彦(たかやまひこ)さまが二三(にさん)日(にち)他所(よそ)へ行(い)つてお顔(かほ)が見(み)ええでも淋(さび)しくて仕方(しかた)が無(な)いのに、263鴛鴦(をしどり)の様(やう)な仲(なか)の良(よ)い若夫婦(わかふうふ)が別(わか)れて御用(ごよう)するのは、264私(わし)に比(くら)ぶれば幾層倍(いくそうばい)辛(つら)いだらう。265ウラナイ教(けう)の双壁(そうへき)といはれた竜宮(りうぐう)の乙姫(おとひめ)の此(この)生宮(いきみや)でさへも、266高山彦(たかやまひこ)さまを夫(をつと)に持(も)つたのが露見(あらは)れてより、267夏彦(なつひこ)や常彦(つねひこ)は直(すぐ)に飛(と)び出(だ)し、268それから後(のち)は毎日(まいにち)日日(ひにち)何(なん)とか、269かとか云(い)つて、270岡餅(をかもち)を焼(や)いて法界(はふかい)悋気(りんき)の続出(ぞくしゆつ)、271コンナ事(こと)では折角(せつかく)築(きづ)き上(あ)げたウラナイ教(けう)も崩解(ほうかい)するかも知(し)れない、272何(なに)ほど一旦(いつたん)綱(つな)かけたらホーカイはやらぬと、273色(いろ)の黒(くろ)き尉殿(じやうどの)が鈴(すず)を振(ふ)る様(やう)に矢釜(やかま)しく云(い)つても駄目(だめ)だ、274アヽいやいやいやオンハと、275三番叟(さんばさう)もどきに逃(に)げて去(い)ぬ奴(やつ)が踵(くびす)を接(せつ)するのだから、276法界(ほふかい)悋気(りんき)の深(ふか)い連中(れんちう)の中(なか)へ、277何(なに)ほど可憐相(かはいさう)でも若夫婦(わかふうふ)を交(まじ)へて置(お)く事(こと)は出来(でき)ぬ。278アーア若夫婦(わかめをと)、279必(かなら)ず必(かなら)ず黒姫(くろひめ)は邪慳(じやけん)な奴(やつ)ぢやと思(おも)うて呉(く)れな、280口先(くちさき)では強(きつ)う云(い)うては居(ゐ)るものの、281涙(なみだ)もあれば血(ち)もある、282アヽ可憐相(かはいさう)だ、283青春(せいしゆん)の血(ち)に燃(も)ゆる二人(ふたり)の心(こころ)、284察(さつ)しのない様(やう)な黒姫(くろひめ)ぢや御座(ござ)いませぬ』
285と独語(ひとりご)ちつつ同情(どうじやう)の涙(なみだ)に暮(く)れて居(ゐ)る。
286 かかる所(ところ)へ高山彦(たかやまひこ)現(あら)はれ来(きた)り、
287高山彦『ヤア黒姫(くろひめ)か、288夜(よ)も大分(だいぶん)更(ふ)けた様(やう)だ、289もうお寝(やす)みになつたら如何(どう)です』
290黒姫『ハイ、291只今(ただいま)寝(やす)みます』
292高山彦『お前(まへ)に一(ひと)つ相談(さうだん)がある、293聞(き)いて呉(く)れまいか』
294黒姫『之(これ)は又(また)改(あらた)まつたお言葉(ことば)、295相談(さうだん)とは何事(なにごと)で御座(ござ)いますか』
296高山彦『外(ほか)でも無(な)い、297俺(わし)は一(ひと)つ大(おほい)に期(き)する処(ところ)があるのだ、298之(これ)からフサの国(くに)へ一先(ひとま)づ立(た)ち帰(かへ)り、299大(おほい)に高姫(たかひめ)さまの後援(こうゑん)をして大々(だいだい)的(てき)活動(くわつどう)を仕様(しやう)と思(おも)ふ、300お前(まへ)は此処(ここ)に居(を)つて自転倒(おのころ)島(じま)を征服(せいふく)して下(くだ)さい、301明日(あす)からすぐ出立(しゆつたつ)しようと思(おも)ふから…』
302黒姫『エ、303何(なん)と仰(おつ)しやいます、304夫婦(ふうふ)は車(くるま)の両輪(りやうりん)、305唇歯(しんし)輔車(ほしや)の関係(くわんけい)を保(たも)たねばなりませぬ、306例(たと)へば男(をとこ)は左(ひだり)の手足(てあし)、307女(をんな)は右(みぎ)の手足(てあし)も同様(どうやう)、308片手(かたて)片足(かたあし)では大切(たいせつ)な神業(しんげふ)に奉仕(ほうし)する事(こと)は出来(でき)ますまい、309ちつとお考(かんが)へ直(なほ)しを願(ねが)ひます』
310高山彦『黄貂(きてん)[※一般的には「木貂」と書く。]、311一名(いちめい)雷獣(らいじう)と云(い)ふ獣(けだもの)は随分(ずゐぶん)仲(なか)の良(よ)いものだが、312夫婦(ふうふ)は決(けつ)して一緒(いつしよ)に居(ゐ)ないものだ』
313黒姫『エヽ措(を)いて下(くだ)され、314妾(わたし)の模像(もざう)ばつかりやるのですな、315ソンナ玩弄物(おもちや)の九寸(くすん)五分(ごぶ)を突(つ)きつけた様(やう)な同情(どうじやう)ある恐喝(きようかつ)手段(しゆだん)にのる様(やう)な黒姫(くろひめ)とは違(ちが)ひますわいな、316ヘン……いい加減(かげん)に揶揄(からか)つて置(お)きなさいよ、317ホヽヽヽ』
318高山彦『ヤア真剣(しんけん)だ、319強(た)つてお暇(ひま)を願(ねが)ひ度(た)い』
320黒姫『まつたくですか、321ハヽア、322宜(よろ)しい、323御(ご)勝手(かつて)になさいませ、324外(ほか)に増花(ますはな)が出来(でき)たと見(み)えます、325もの云(い)ふ花(はな)は此(この)黒姫(くろひめ)一人(ひとり)だと妾(わたし)が心(こころ)で自惚(うぬぼれ)して居(を)つたのは妾(わたし)の不覚(ふかく)、326薊(あざみ)の花(はな)に接吻(キツス)をして来(き)なさいよ』
327高山彦『そう怒(おこ)つて貰(もら)つては困(こま)るぢやないか、328二(ふた)つ目(め)には妙(めう)な処(ところ)へ論鋒(ろんぽう)を向(む)けるのだな、329昼(ひる)演壇(えんだん)に立(た)つて滔々(たうたう)と苦集(くしふ)滅道(めつだう)を説(と)くお前(まへ)の態度(たいど)と今(いま)の態度(たいど)とは丸(まる)で別人(べつじん)の様(やう)な、330声(こゑ)の色(いろ)まで変(かは)つて居(を)るぢやないか』
331黒姫『ヘンきまつた事(こと)ですよ』
332と肩(かた)を高山彦(たかやまひこ)の方(はう)へニユツと突(つ)き出(だ)し、333首(くび)を斜(ななめ)にし目(め)を細(ほそ)うし、
334黒姫『野暮(やぼ)な事(こと)仰(おつ)しやるな、335こゑは思案(しあん)の外(ほか)ぢやないか、336ホヽヽヽ』
337と鰐口(わにぐち)を無理(むり)におちよぼ口(ぐち)に仕様(しやう)とつとめる。338巾着(きんちやく)を引(ひ)き締(し)めた様(やう)に縦(たて)の皺(しわ)が一所(ひとところ)に集中(しふちう)し、339牛蒡(ごぼう)の切(き)り口(くち)の様(やう)に口(くち)の辺(あた)りが見(み)えて居(ゐ)る。
340 高山彦(たかやまひこ)は、
341高山彦『アヽもう寝(やす)まうか』
342と黒姫(くろひめ)の背中(せなか)をポンと叩(たた)く。
343黒姫『勝手(かつて)に一人(ひとり)寝(ね)やしやンせいな』
344と黒姫(くろひめ)は、345故意(わざ)とピーンとした顔(かほ)を見(み)せ、346向返(むきかへ)つて背中(せなか)を向(む)ける。
347高山彦『ハヽヽヽ、348非常(ひじやう)な逆鱗(げきりん)だ、349どれどれ今晩(こんばん)は山(やま)の神(かみ)さまに巨弾(きよだん)を撃(う)たれて、350只(ただ)一人(ひとり)赤十字(せきじふじ)病院(びやうゐん)に収容(しうよう)されるのかな、351アハヽヽヽ』
352と寝室(ねま)に帰(かへ)り行(ゆ)く。353黒姫(くろひめ)は水鏡(みづかがみ)を灯火(あかり)に照(てら)し顔(かほ)の修繕(しうぜん)をなし、354羽(は)ばたきし乍(なが)ら四辺(あたり)を見(み)まはし目(め)を細(ほそ)うし、
355黒姫『どれ夫(をつと)の負傷(ふしやう)を、356女房(にようばう)としてお見舞(みまひ)申(まを)さねばなるまい』
357と又(また)もや一室(ひとま)にいそいそ走(はし)り行(ゆ)く。
358○
359 黒姫(くろひめ)が許可(ゆるし)を得(え)て浅公(あさこう)、360幾公(いくこう)、361梅公(うめこう)、362その他(た)十数(じふすう)名(めい)の老壮(らうさう)連(れん)は御(お)神酒(みき)頂戴(ちやうだい)の名(な)の下(もと)に、363「会(あ)うた時(とき)に笠(かさ)脱(ぬ)げ」式(しき)にガブリガブリと酌(つ)いでは飲(の)み酌(つ)いでは飲(の)み、364酔(ゑい)が廻(まは)るにつれ徳利(とくり)の口(くち)から「火(ひ)吹(ふ)き竹(だけ)飲(の)み」を初(はじ)め出(だ)しける。
365甲(かふ)『オイ、366梅(うめ)の大将(たいしやう)、367随分(ずゐぶん)よく飲(の)むぢやないか』
368梅公(うめこう)『きまつた事(こと)だ、369大蛇(をろち)の子孫(しそん)だもの、370飲(の)む事(こと)にかけたら天下(てんか)一品(いつぴん)だ、371親譲(おやゆづ)りの山(やま)を呑(の)み田(た)を呑(の)み家(いへ)まで呑(の)みて、372酒(さけ)の肴(さかな)に親(おや)の脛(すね)を噛(かじ)り、373此奴(こいつ)手(て)に負(お)へぬ奴(やつ)ぢや、374七生(しちしやう)(升(しよう))までの勘(かん)(燗(かん))当(だう)ぢやと云(い)つて放(ほ)り出(だ)されたと云(い)ふ阿哥兄(にい)さまだ。375親爺(おやぢ)が七升(しちしよう)の燗(かん)をせいと云(い)つた時(とき)は流石(さすが)の俺(おれ)も一寸(ちよつと)弱(よわ)つたね、376朝(あさ)九一合(くいちがふ)、377昼(ひる)九一合(くいちがふ)、378晩(ばん)九一合(くいちがふ)、379夜中(よなか)に九一合(くいちがふ)、380夜明(よあ)け前(まへ)に九一合(くいちがふ)、381マア一寸(ちよつと)ゴシヨゴシヨ(五升(ごしよう))とやつた処(ところ)で、382それ以上(いじやう)は腹(はら)の虫(むし)が「梅公(うめこう)、383あまりぢや、384もう此(この)上(うへ)は六升(ろくしよう)だ、385七升(しちしよう)(七生(しちしやう))迄(まで)怨(うら)み升(ます)」と副守(ふくしゆ)の奴(やつ)でさへも弱音(よわね)を吹(ふ)いたのだからな』
386甲(かふ)『随分(ずゐぶん)酒豪(しゆがう)だな』
387梅公(うめこう)『酒豪(しゆがう)な守護神(しゆごじん)だ、388然(しか)し之(これ)だけ、389酒(さけ)飲(の)みの梅公(うめこう)も此(この)頃(ごろ)はずつと改心(かいしん)して、390滅多(めつた)に飲(の)みた事(こと)はあるまいがな、391偉(えら)い者(もの)だらう』
392浅公(あさこう)『アハヽヽヽ、393飲(の)み度(た)いと云(い)つたつて飲(の)ます者(もの)がないものだから気(き)の毒(どく)なものだ』
394梅公(うめこう)『酒(さけ)の酔(よ)い本性(ほんしやう)違(たが)はずだ、395何程(なにほど)酔(よ)つた処(ところ)で足(あし)がひよろつくの、396頭(あたま)が痛(いた)いの、397眩暈(めまい)が来(く)るの、398八百屋(やほや)店(みせ)を開業(かいげふ)するのと云(い)ふ様(やう)な不始末(ふしまつ)な事(こと)は、399ちつとも、400無(な)いのだからな、401それで今日(けふ)の様(やう)な妙案(めうあん)奇策(きさく)を捻(ひね)り出(だ)すのだ、402今晩(こんばん)斯(か)うして貴様(きさま)達(たち)が甘(うま)い酒(さけ)に舌鼓(したつづみ)を打(う)つ様(やう)にしてやつたのは俺(おれ)のお蔭(かげ)ぢやないか、403随分(ずゐぶん)うまくいつたぢやないか』
404寅公(とらこう)『あの暗(くら)がりに飲(の)まぬ酒(さけ)に酔(よ)うた気(き)になつて、405冷(つめた)い土(つち)の上(うへ)に横(よこた)はり、406向(むか)うから一歩(ひとあし)々々(ひとあし)近(ちか)づいて来(く)る足音(あしおと)、407何処(どこ)を踏(ふ)まれるか分(わか)つたものぢやない、408其(その)時(とき)の心(こころ)のせつなさ、409腰(こし)をトウトウ土足(どそく)で踏(ふ)まれ、410睾丸(きんたま)を踏(ふ)まれた時(とき)の痛(いた)いの痛(いた)くないのつて一生(いつしやう)懸命(けんめい)の放(はな)れ業(わざ)だ、411随分(ずゐぶん)俺(おれ)も骨(ほね)を折(お)つた、412何(なに)ほど梅公(うめこう)が賢(かしこ)うても俺(おれ)達(たち)が実行(じつかう)せなくては今夜(こんや)の芝居(しばゐ)は打(う)てやしない、413あまり威張(ゐば)つて貰(もら)うまいかい』
414辰公(たつこう)『俺(おれ)だつて臍(へそ)の上(うへ)をギユツと踏(ふ)まれた時(とき)の苦(くる)しさ、415早速(さつそく)ベランメー口調(くてう)で業託(ごうたく)を云(い)はうと思(おも)つても満足(まんぞく)に声(こゑ)も出(で)やがらぬのだ、416皆(みな)の奴(やつ)、417気(き)が利(き)かぬ者(もの)だから暗(くら)がり紛(まぎ)れに旅人(たびびと)だと思(おも)つて俺(おれ)の頭(あたま)と云(い)はず背中(せなか)と云(い)はず、418幾(いく)ら叩(たた)きよつたか分(わか)つたものぢやない、419コオこれを見(み)い、420背中(せなか)が青(あを)くなつて居(を)るワ』
421梅公(うめこう)『アハヽヽヽ、422何(なに)ぬかしよるのだ、423蛙(かはづ)ぢやあるまいし背中(せなか)の青(あを)くなつたのが如何(どう)して分(わか)るかい、424兎角(とかく)芝居(しばゐ)は幕開(まくあ)きはしたものの馬(うま)の脚(あし)や猪(しし)になる大根(だいこん)役者(やくしや)が、425うまくやつて呉(く)れるかと思(おも)つて随分(ずゐぶん)気(き)を揉(も)みたよ、426マアマア木戸銭(きどせん)取(と)らずの奉納(ほうなふ)芝居(しばゐ)だから、427あれ位(くらゐ)で観客(くわんきやく)も何(なん)とも云(い)はぬが、428下足賃(げそくちん)でも徴(と)つて見(み)よ、429それこそ一人(ひとり)も這入(はい)る者(もの)はありやせないぞ、430然(しか)し寅公(とらこう)、431辰公(たつこう)、432鳶公(とびこう)、433貴様(きさま)等(ら)五(ご)人(にん)は如何(どう)しやがつたかと思(おも)つて心配(しんぱい)して居(を)つたら、434何時(いつ)の間(ま)にか先(さき)に行(ゆ)きよつて天眼通(てんがんつう)だの、435何(なん)のと甘(うま)い事(こと)を云(い)ひよつたね』
436寅公(とらこう)『当意(たうい)即妙(そくめう)、437神謀(しんぼう)奇略(きりやく)の智勇(ちゆう)兼備(けんび)の大将(たいしやう)だ、438知識(ちしき)の源泉(げんせん)たる吾々(われわれ)、439何処(どこ)に抜(ぬ)け目(め)があるものかい、440サアサ良(い)い加減(かげん)に寝(やす)まうぢやないか』
441浅公(あさこう)『オヽ、442寝(やす)みても宜(よ)からう、443膝坊主(ひざばうず)でも抱(だ)いて寝(ね)エ、444アーア、445今晩(こんばん)の女(をんな)は随分(ずゐぶん)素敵(すてき)な奴(やつ)ぢやないか、446アンナ良(よ)い女房(にようばう)を持(も)つたハズバンドは随分(ずゐぶん)に幸福(かうふく)だらうな、447エー怪体(けつたい)の悪(わる)い、448あれ程(ほど)堅苦(かたぐる)しい事(こと)云(い)つて居(ゐ)た黒姫(くろひめ)の大将(たいしやう)は婿(むこ)を持(も)つ、449やもめばつかりの俺(おれ)達(たち)は指(ゆび)を啣(くは)へて、450見(み)て居(を)るより仕方(しかた)が無(な)い、451そこへ又(また)うら若(わか)い綺麗(きれい)な夫婦(ふうふ)がやつて来(き)やがつて、452随分(ずゐぶん)貴様(きさま)達(たち)も気(き)が揉(も)める事(こと)だらう、453アハヽヽヽ』
454と酔(よ)ひに乗(じやう)じて四辺(あたり)構(かま)はず罵(ののし)つて居(を)る。455綾彦(あやひこ)、456お民(たみ)は黒姫(くろひめ)の命(めい)に依(よ)り、457一室(ひとま)に行(い)つて寝(しん)に就(つ)かむと廊下(らうか)を通(とほ)る折(をり)、458思(おも)はぬ酒(さけ)の酔(よ)ひの笑(わら)ひ声(ごゑ)、459立(た)ち聞(ぎ)きは不道徳(ふだうとく)とは知(し)り乍(なが)らも、460つひ気(き)にかかりフツと耳(みみ)を傾(かたむ)け聞(き)いて居(を)れば、461どうやら自分(じぶん)の事(こと)らしい、462二人(ふたり)は顔(かほ)見合(みあは)せ何事(なにごと)かひそひそ囁(ささや)き乍(なが)ら一睡(いつすゐ)もせず其(その)夜(よ)を明(あ)かしける。
463(大正一一・四・二六 旧三・三〇 北村隆光録)
464(昭和一〇・六・一 王仁校正)
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