霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
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第一四章 蛸(たこ)の揚壺(あげつぼ)〔六四二〕

インフォメーション
著者:出口王仁三郎 巻:霊界物語 第18巻 如意宝珠 巳の巻 篇:第5篇 五月五日祝 よみ(新仮名遣い):ごがついつかのいわい
章:第14章 蛸の揚壺 よみ(新仮名遣い):たこのあげつぼ 通し章番号:642
口述日:1922(大正11)年04月28日(旧04月02日) 口述場所: 筆録者:東尾吉雄 校正日: 校正場所: 初版発行日:1923(大正12)年2月10日
概要: 舞台: あらすじ[?]このあらすじはMさん作成です(一部加筆訂正してあります)。一覧表が「王仁DB」にあります。[×閉じる]:
高山彦と黒姫は、玉照姫を迎えに行った富彦、寅若、菊若の消息を待っていた。そこへ三人はそっと中に入ってきた。首尾を尋ねる黒姫に、富彦は数百万の三五教徒に囲まれて奮戦したが、いったん退却してきたのだ、と大法螺を吹く。
黒姫が三人を叱りつけると、すごすごと居間に引き下がって行った。黒姫はふと思い当たることがあり、綾彦を呼んでその身元を尋ねる。綾彦はかたくなに身元を明かすことを拒んだ。
黒姫は青彦を呼んで、綾彦は、豊彦の息子ではないか、と鎌をかける。青彦はそのことを認めてしまう。黒姫は、綾彦夫婦と玉照姫を交換しようと思いつき、青彦に相談を持ちかけた。
主な登場人物[?]【セ】はセリフが有る人物、【場】はセリフは無いがその場に居る人物、【名】は名前だけ出て来る人物です。[×閉じる]: 備考: タグ: データ凡例: データ最終更新日:2021-03-07 12:39:15 文字数:6738 OBC :rm1814
愛善世界社版:231頁 八幡書店版:第3輯 723頁 修補版: 校定版:239頁 普及版:106頁 初版: ページ備考:愛世版・校定版・八幡版・普及版いずれも「壺」を使っている。
001 魔窟(まくつ)ケ原(はら)の地下室(ちかしつ)に、002ウラナイ教(けう)の双壁(そうへき)と己(おのれ)も許(ゆる)し人(ひと)も許(ゆる)した、003素人(しろうと)離(ばな)れのした黒姫(くろひめ)が、004高山彦(たかやまひこ)と睦(むつま)じさうに晩酌(ばんしやく)をグビリグビリとやつて居(ゐ)る。
005黒姫『コレ高山(たかやま)さま、006時節(じせつ)は待(ま)たねばならぬものだなア。007お前(まへ)と偕老(かいらう)同穴(どうけつ)の契(ちぎり)を結(むす)び乍(なが)ら、008枯木(こぼく)寒巌(かんがん)に依(よ)つて、009三冬(さんとう)暖気(だんき)無(な)しと云(い)ふやうな、010没分暁漢(わからずや)の部下(ぶか)の宣伝使(せんでんし)や信者(しんじや)の動揺(どうえう)を恐(おそ)れて気兼(きが)ねをして、011貴方(あなた)をフサの国(くに)の本山(ほんざん)に、012私(わし)はこの自転倒(おのころ)島(じま)へ渡(わた)つて、013神(かみ)様(さま)の為(ため)にお道(みち)の為(ため)に、014所在(あらゆる)最善(さいぜん)の努力(どりよく)を尽(つく)し、015一生(いつしやう)懸命(けんめい)に宣伝(せんでん)して来(き)たが、016何(なに)を云(い)つても追(お)ひ追(お)ひと年(とし)は寄(よ)る、017無常(むじやう)迅速(じんそく)の感(かん)に打(う)たれて、018何処(どこ)とも無(な)く心淋(うらさび)しく、019どうぞ晴(は)れて夫婦(めをと)と名乗(なの)つて暮(くら)したいと思(おも)つて居(ゐ)たが、020これ迄(まで)独身(どくしん)主義(しゆぎ)を高張(かうちやう)して来(き)た手前(てまへ)、021今更(いまさら)掌(てのひら)を覆(かへ)したやうな所作(しよさ)もならず、022本当(ほんたう)に空(そら)行(ゆ)く雲(くも)を眺(なが)めて雁(かり)がねの便(たよ)りもがなと、023明(あ)け暮(く)れ涙(なみだ)に暮(く)れた事(こと)は幾度(いくたび)あつたでせう、024然(しか)し乍(なが)ら何程(なにほど)お国(くに)の為(ため)お道(みち)の為(ため)だといつても、025自分(じぶん)に取(と)つて一生(いつしやう)の快楽(くわいらく)を犠牲(ぎせい)にしてまで、026痩(や)せ我慢(がまん)をはつて居(を)つても、027こいつは駄目(だめ)だ。028初(はじ)めの内(うち)は、029黒姫(くろひめ)は偉(えら)いものだ、030言行(げんかう)一致(いつち)だといつて褒(ほ)めて呉(く)れよつたが、031終(しま)ひには神(かみ)様(さま)の御(お)取次(とりつ)ぎする者(もの)は、032女(をんな)だつて独身(どくしん)生活(せいくわつ)するのは当然(あたりまえ)だ。033何(なに)感心(かんしん)する事(こと)があるものか。034あれや大方(おほかた)、035どつか身体(からだ)の一部(いちぶ)に欠陥(けつかん)があるので、036負惜(まけをし)みを出(だ)して独身(どくしん)生活(せいくわつ)をやつて居(ゐ)るのだ……何(なん)ぞと云(い)ふ者(もの)が出来(でき)て来(き)た。037エヽ、038アタ阿呆(あはう)らしい。039これだけ辛抱(しんばう)して居(を)つても悪(わる)く言(い)はれるのなら、040持(も)ちたい夫(をつと)を持(も)つて、041公然(こうぜん)とやつた方(はう)が、042何程(なにほど)ましか知(し)れないと、043いよいよ決行(けつかう)して見(み)たが、044初(はじ)めの内(うち)は夏彦(なつひこ)、045常彦(つねひこ)をはじめ、046頑固(ぐわんこ)連(れん)が追々(おひおひ)脱退(だつたい)し、047聊(いささ)か面喰(めんくら)つたが、048案(あん)じるより生(う)むが易(やす)いといつて、049何時(いつ)の間(ま)にやら、050私(わたし)と貴方(あなた)の結婚(けつこん)問題(もんだい)も信者(しんじや)の話頭(わとう)に上(のぼ)らなくなり、051この頃(ごろ)はソロソロと、052青彦(あをひこ)やお節(せつ)、053おまけに紫姫(むらさきひめ)といふ様(やう)な、054賢明(けんめい)な淑女(しゆくぢよ)迄(まで)が帰順(きじゆん)したり、055入信(にふしん)したり、056実(じつ)に結構(けつこう)な機運(きうん)に向(むか)つて来(き)たものだ。057これからは高山(たかやま)さま、058もう一寸(ちよつと)も遠慮(ゑんりよ)はいらないから、059私(わたし)ばかりに命令(めいれい)をささずに、060あなたは天晴(あつぱ)れ黒姫(くろひめ)の夫(をつと)として、061権利(けんり)を振(ふる)うて下(くだ)さいねエ』
062高山彦(たかやまひこ)『アヽさうだなア、063待(ま)てば海路(かいろ)の風(かぜ)が吹(ふ)くとやら、064時(とき)の力(ちから)位(くらゐ)、065結構(けつこう)なものの恐(おそ)ろしいものは無(な)いなア』
066黒姫(くろひめ)『時(とき)に寅若(とらわか)、067富彦(とみひこ)、068菊若(きくわか)の三(さん)人(にん)は、069ここを出(で)てから四五(しご)日(にち)にもなるに、070まだ帰(かへ)つて来(こ)ない。071何(なに)か道(みち)で変(かは)つた事(こと)でも出来(でき)たのではあるまいか。072何(なん)だか気(き)にかかつて仕方(しかた)が無(な)いワ』
073高山彦(たかやまひこ)『そう心配(しんぱい)するものでも無(な)い。074何事(なにごと)も時節(じせつ)の力(ちから)だ』
075 かく言(い)ふ折(をり)しも、076ソツと岩(いは)の戸(と)を開(あ)けて辷(すべ)り込(こ)んだ三(さん)人(にん)の男(をとこ)、
077黒姫(くろひめ)『アヽ、078噂(うはさ)をすれば影(かげ)とやら、079寅若(とらわか)エロウ遅(おそ)かつたぢやないか。080首尾(しゆび)はどうだつたなナ』
081寅若(とらわか)『ハイ、082委細(ゐさい)の様子(やうす)は悠(ゆつ)くりと、083明日(あす)の朝(あさ)でも申上(まをしあ)げませう。084ナア菊若(きくわか)、085富彦(とみひこ)、086エライ目(め)に遇(あ)うたぢやないか』
087黒姫(くろひめ)『お前(まへ)達(たち)は、088あまり遠(とほ)い道(みち)でも無(な)いのに、089どうして御座(ござ)つた。090今日(けふ)で七日目(なぬかめ)ぢやないか。091何時(いつ)も都合(つがふ)が良(よ)い時(とき)は、092大(おほ)きな声(こゑ)で門口(かどぐち)から呶鳴(どな)つて帰(かへ)つて来(く)るが、093今日(けふ)はコソコソと細(ほそ)うなつて這入(はい)つて来(き)たのは、094余(あま)り結構(けつこう)な話(はな)しぢや有(あ)るまい、095明日(あす)の朝(あさ)申(まを)し上(あ)げるとは、096そら何(なん)の事(こと)だ。097此(この)間(あひだ)から、098日日(ひにち)毎日(まいにち)指折(ゆびお)り数(かぞ)へて待(ま)つて居(ゐ)たのだ。099サア早(はや)く実地(じつち)の事(こと)を、100包(つつ)まず隠(かく)さず云(い)ひなさいや』
101 寅若(とらわか)、102頭(あたま)をガシガシ掻(か)き乍(なが)ら、103言(い)ひ難(にく)さうに、
104寅若(とらわか)『あの、105何(なん)で御座(ござ)います。106それはそれは、107大変(たいへん)な事(こと)で、108何(なん)とも彼(か)とも、109注進(ちうしん)の仕方(しかた)が有(あ)りませぬワイ。110併(しか)し乍(なが)ら、111物質(ぶつしつ)的(てき)獲物(えもの)は一寸(ちよつと)時期(じき)尚早(しやうそう)で、112暫時(ざんじ)機(き)の熟(じゆく)するまで保留(ほりう)して置(お)きましたが、113霊的(れいてき)には大変(たいへん)な収獲(しうくわく)がありました』
114黒姫(くろひめ)『又(また)しても又(また)しても、115霊的(れいてき)の収獲(しうくわく)と仰有(おつしや)るが、116それはお前(まへ)の慣用(くわんよう)的(てき)辞令(じれい)だ。117もう霊的(れいてき)の収獲(しうくわく)には、118この黒姫(くろひめ)もウンザリしました。119ハツキリと成功(せいこう)だつたとか、120不成功(ふせいこう)だつたとか、121女王(ぢよわう)の前(まへ)に陳述(ちんじゆつ)するのだよ』
122と声(こゑ)を尖(とが)らせ、123目(め)を丸(まる)うして睨(にら)みつける。
124 三(さん)人(にん)は縮(ちぢ)み上(あが)り、
125三人『イヤもう、126斯(こ)うなれば委細(ゐさい)残(のこ)らず言上(ごんじやう)いたします。127紫雲(しうん)棚引(たなび)く東北(とうほく)の天(てん)、128如何(いか)なる神(かみ)の出現(しゆつげん)したまふやと、129心(こころ)を清(きよ)め身(み)を清(きよ)め、130途々(みちみち)宣伝歌(せんでんか)を唱(とな)へながら、131弥仙(みせん)の山麓(さんろく)までやつて行(い)つた。132時(とき)しもあれ、133噂(うはさ)に高(たか)き玉照姫(たまてるひめ)の生母(せいぼ)お玉(たま)の方(かた)は、134吾々(われわれ)三(さん)人(にん)の威風(ゐふう)に恐(おそ)れてか、135一生(いつしやう)懸命(けんめい)に嬰児(あかご)を背(せ)に、136弥仙山(みせんざん)に向(むか)つて雲(くも)を起(おこ)し、137雨(あめ)を呼(よ)び、138為(ため)に地(ち)は震(ふる)ひ雷鳴(らいめい)轟(とどろ)き、139山岳(さんがく)は一度(いちど)に崩(くづ)るる許(ばか)りの大音響(だいおんきやう)を発(はつ)し、140面(おもて)を向(む)く可(べ)からざる景色(けしき)となつて来(き)た。141流石(さすが)の寅若(とらわか)、142富彦(とみひこ)、143菊若(きくわか)の三勇将(さんゆうしやう)も、144暫(しば)し躊躇(ためら)ふ折柄(をりから)に、145忽(たちま)ちあなたの御霊(みたま)や、146高山彦(たかやまひこ)の御霊(みたま)が、147吾々(われわれ)三(さん)人(にん)に憑依(ひようい)遊(あそ)ばされ、148勇気(ゆうき)百倍(ひやくばい)して弥仙山(みせんざん)目蒐(めが)けて驀地(まつしぐら)にかけ登(のぼ)り行(ゆ)く。149時(とき)しもあれや、150山(やま)の中腹(ちうふく)より、151現(あら)はれ出(いで)たる三五教(あななひけう)の奴輩(やつぱら)、152各自(てんで)に柄物(えもの)を携(たづさ)へ、153僅(わづ)か三(さん)人(にん)の吾々(われわれ)の一隊(いつたい)に向(むか)つて攻(せ)めよせ来(きた)るその勢(いきほひ)の凄(すさま)じさ、154されども黒姫(くろひめ)さま、155高山彦(たかやまひこ)様(さま)の御霊(みたま)の憑(かか)つた吾々(われわれ)三(さん)人(にん)、156何条(なんでう)怯(ひる)むべき。157群(むら)がる敵(てき)に向(むか)つて電光(でんくわう)石火(せきくわ)、158突撃(とつげき)攻撃(こうげき)、159言霊(ことたま)の火花(ひばな)を散(ち)らして戦(たたか)うたり。160さはさり乍(なが)ら、161此方(こちら)は形(かたち)許(ばか)りの九寸(くすん)五分(ごぶ)、162只(ただ)一本(いつぽん)あるのみ。163群(むら)がる敵(てき)は数百(すうひやく)千万(せんまん)の同勢(どうぜい)、164全山(ぜんざん)人(ひと)を以(もつ)て埋(うづ)まり、165如何(いか)に防(ふせ)ぎ戦(たたか)うとも、166遉(さすが)黒姫(くろひめ)様(さま)の御(ご)神力(しんりき)も是(こ)れには敵(てき)し兼(か)ねたりと見(み)え、167吾々(われわれ)三(さん)人(にん)の肉体(にくたい)を自由(じいう)自在(じざい)にお使(つか)ひ遊(あそ)ばされ、168血路(けつろ)を開(ひら)いてターターターと、169滝水(たきみづ)の落(お)ちるが如(ごと)く、170一潟(いつしや)千里(せんり)の勢(いきほひ)にて、171こなたに向(むか)つて予定(よてい)の退却(たいきやく)、172鬼神(おにがみ)も欺(あざむ)くその早業(はやわざ)、173勇(いさ)ましかりける次第(しだい)なり』
174黒姫(くろひめ)『コレ、175富彦(とみひこ)、176寅若(とらわか)の今(いま)言(い)つた通(とほ)り、177間違(まちがひ)は無(な)からうなア』
178富彦(とみひこ)『ヘーヘー、179間違(まちが)つて堪(たま)りますものか。180あなたは常(つね)に吾々(われわれ)の身(み)の上(うへ)に、181仁慈(じんじ)のお心(こころ)をお注(そそ)ぎ下(くだ)さいまする、182其(その)一念(いちねん)が幸(さち)はひ給(たま)ひて、183御(ご)分霊(ぶんれい)忽(たちま)ち降下(かうか)し給(たま)ひ、184さしもの強敵(きやうてき)に向(むか)つて、185獅々(しし)奮迅(ふんじん)の応戦(おうせん)をやつたのも、186全(まつた)くあなた様(さま)御(ご)両人(りやうにん)の神徳(しんとく)の然(しか)らしむる処(ところ)、187万々一(まんまんいち)お両方(ふたかた)の御霊(みたま)の御(ご)守護(しゆご)無(な)き時(とき)は、188如何(いか)に吾々(われわれ)勇(ゆう)なりと雖(いへど)も、189忽(たちま)ち木端(こつぱ)微塵(みぢん)に粉砕(ふんさい)されしは勿論(もちろん)のこと、190然(しか)るに僅(わづか)三(さん)人(にん)を以(もつ)て、191かく迄(まで)よく奮闘(ふんとう)し、192敵(てき)の胆(きも)を寒(さむ)からしめたるは、193形体(けいたい)上(じやう)に於(おい)ては兎(と)も角(かく)も、194精神(せいしん)上(じやう)に於(おい)て、195敵(てき)を威嚇(ゐくわく)せしこと、196幾何(いくばく)なるか計(はか)り知(し)られませぬ。197マアマア御(お)喜(よろこ)び下(くだ)さいませ』
198黒姫(くろひめ)『それは先(ま)づ結構(けつこう)であつた。199併(しか)し、200お玉(たま)に玉照姫(たまてるひめ)は何(ど)うなつたのか』
201富彦(とみひこ)『オイ菊若(きくわか)、202これからは貴様(きさま)の番(ばん)だ。203確(しつか)りと申(まを)し上(あ)げるのだぞ』
204菊若(きくわか)『ハイハイ、205申上(まをしあ)げます。206いやもう何(なん)のかのと云(い)うた処(ところ)で、207向(むか)うはたつた女(をんな)の一人(ひとり)』
208黒姫(くろひめ)『ナニ、209女(をんな)一人(ひとり)』
210菊若(きくわか)『女(をんな)一人(ひとり)と思(おも)ひきや、211四辺(あたり)の物蔭(ものかげ)より来(く)るワ来(く)るワ、212恰(あたか)も蟻(あり)の宿替(やどが)への如(ごと)く、213ゾロゾロゾロと此方(こなた)へ向(むか)つて馳(は)せ来(きた)る。214三(さん)人(にん)は丹州(たんしう)の霊縛(れいばく)にかけられ、215身体(しんたい)忽(たちま)ち強直(きやうちよく)し』
216黒姫(くろひめ)『何(なに)、217お前(まへ)達(たち)三(さん)人(にん)が』
218菊若(きくわか)『イエイエ、219滅相(めつさう)な、220丹州(たんしう)と云(い)ふ奴(やつ)、221吾々(われわれ)三(さん)人(にん)を目蒐(めが)けて、222霊縛(れいばく)を加(くは)へ強直(きやうちよく)させようとかかつた処(ところ)、223流石(さすが)黒姫(くろひめ)様(さま)、224高山彦(たかやまひこ)様(さま)の御(ご)威霊(ゐれい)憑(かか)らせ給(たま)ふ吾々(われわれ)三(さん)人(にん)を如何(いかん)ともするに由(よし)なく、225敵(てき)は一生(いつしやう)懸命(けんめい)死力(しりよく)を尽(つく)して押(お)しよせ来(きた)る。226吾々(われわれ)三(さん)人(にん)は、227アヽ面白(おもしろ)い面白(おもしろ)いと、228勇気(ゆうき)百倍(ひやくばい)して、229挑(いど)み戦(たたか)はむとする折(をり)しも、230吾々(われわれ)三(さん)人(にん)に憑(かか)り給(たま)うた御魂(みたま)の命令(めいれい)、231汝(なんぢ)は一先(ひとま)づ引返(ひきかへ)し、232時機(じき)を待(ま)つて捲土(けんど)重来(ぢうらい)の準備(じゆんび)をなすが得策(とくさく)なりと、233流石(さすが)神謀(しんぼう)鬼略(きりやく)に富(と)ませ給(たま)う黒姫(くろひめ)様(さま)、234高山彦(たかやまひこ)様(さま)の御(おん)霊(みたま)の命令(めいれい)もだし難(がた)く、235みすみす敵(てき)を見捨(みす)て一目散(いちもくさん)に立帰(たちかへ)つて候(さふらふ)』
236と言(い)ひをはつて冷汗(ひやあせ)を拭(ふ)く。
237黒姫(くろひめ)『コレコレ、238私(わたし)が馬鹿(ばか)になつて聞(き)いて居(を)ればお前(まへ)、239それや何(なん)という法螺(ほら)を吹(ふ)くのだい。240みな嘘(うそ)だらう。241一人(ひとり)か二人(ふたり)の木端(こつぱ)武者(むしや)に怖(おそ)れて一目散(いちもくさん)に逃(に)げ帰(かへ)つたのだらう。242そんなお前(まへ)さん達(たち)の下司(げす)身魂(みたま)に私(わし)の霊魂(みたま)が憑(うつ)つて堪(たま)るものか。243馬鹿(ばか)にしなさるな』
244寅若(とらわか)『そんなら、245あなたの名(な)を騙(かた)つて、246四足(よつあし)か何(なん)かが憑(つ)いたのでせうか』
247富彦(とみひこ)『そうかも知(し)れぬよ。248豊彦(とよひこ)の爺(ぢぢ)が言(い)つて居(ゐ)ただ無(な)いか』
249黒姫(くろひめ)『それ見(み)なさい。250お前(まへ)らは豊彦(とよひこ)の家(うち)へ行(い)つて尻(けつ)を喰(く)はされて、251謝罪(あやま)つて逃(に)げて帰(かへ)つたのだらう。252エヽ仕方(しかた)のない男(をとこ)だ。253はるばる高山(たかやま)さまがフサの国(くに)から、254選(よ)りに選(よ)つて連(つ)れて御座(ござ)つたお前(まへ)は大将株(たいしやうかぶ)ぢやないか。255そらまた何(なん)とした腰抜(こしぬ)けだ』
256寅若(とらわか)『何(なに)を云(い)つてもフサの国(くに)なれば、257地理(ちり)をよく存(ぞん)じて居(を)りますが、258この自転倒(おのころ)島(じま)は地理(ちり)不案内(ふあんない)で、259思(おも)うやうに戦闘(せんとう)も出来(でき)ず、260さうして陽気(やうき)が眠(ねむ)たいですから、261思(おも)うやうな活動(くわつどう)も、262実際(じつさい)の事(こと)は出来(でき)なかつたのです。263併(しか)し一遍(いつぺん)失敗(しつぱい)したつて、264さう気(き)なげをしたものぢやありませぬ。265失敗(しつぱい)毎(ごと)に経験(けいけん)を重(かさ)ね、266遂(つひ)には成功(せいこう)するものですから、267マア今度(こんど)の失敗(しつぱい)は結局(けつきよく)成功(せいこう)の門口(かどぐち)ですなア』
268黒姫(くろひめ)『エヽ、269おきなされ。270敗軍(はいぐん)の将(しやう)は兵(へい)を語(かた)らずという事(こと)が有(あ)るぢやないか。271余(あま)り大(おほ)きな声(こゑ)で減(へ)らず口(ぐち)を叩(たた)くものぢや無(な)い。272奥(おく)へ這入(はい)つて麦飯(むぎめし)なと、273ドツサリ食(く)つて休(やす)みなさい。274折角(せつかく)機嫌(きげん)よう飲(の)んで居(を)つた酒(さけ)までさめて了(しま)つた。275エヽ早(はや)く寝(ね)なさらぬか』
276と長煙管(ながぎせる)が折(お)れる程(ほど)火鉢(ひばち)を叩(たた)く。277三(さん)人(にん)は頭(あたま)を抱(かか)へ、278こそこそと奥(おく)に影(かげ)を隠(かく)した。
279黒姫(くろひめ)『高山(たかやま)さま、280もうお休(やす)みなさいませ。281私(わたし)は一寸(ちよつと)綾彦(あやひこ)に詮議(せんぎ)をしたい事(こと)がありますからお前(まへ)が側(そば)に居(を)られると、282ツイ臆(を)めてよう言(い)はないと困(こま)るから、283私(わたし)は女(をんな)の事(こと)であり、284やあはりと尋(たづ)ねて見(み)ますから、285早(はや)く寝(やす)んで下(くだ)さい』
286高山彦(たかやまひこ)『ハイハイ、287お邪魔(じやま)になりませう。288さやうなればお先(さ)き御免(ごめん)を蒙(かうむ)りませう』
289黒姫(くろひめ)『記憶(おぼ)えて居(ゐ)らつしやい。290貴方(あなた)こそお邪魔(じやま)になりませう。291紫姫(むらさきひめ)のお側(そば)へでも往(い)つて、292ゆつくりと夜明(よあ)かしをなさいませ』
293と、294ツンとした顔(かほ)をする。
295高山彦(たかやまひこ)『ハヽヽヽ、296形勢(けいせい)頗(すこぶ)る不隠(ふおん)と成(な)つて来(き)た。297どれどれ雷(かみなり)の落(お)ちぬ間(うち)に退却(たいきやく)しよう、298アヽ桑原(くはばら)桑原(くはばら)』
299と捨台詞(すてぜりふ)を残(のこ)し、300ノソリノソリと奥(おく)へ行(ゆ)く。
301黒姫(くろひめ)『高山(たかやま)さまはあゝ見(み)えても、302やつぱり可愛相(かはいさう)な程(ほど)正直(しやうぢき)な人(ひと)だ。303何処(どこ)ともなしに、304身魂(みたま)にいいとこが有(あ)るワイ』
305と肩(かた)を揺(ゆす)り、306又(また)もや長煙管(ながぎせる)に煙草(たばこ)をつぎ乍(なが)ら、
307黒姫『綾彦(あやひこ)綾彦(あやひこ)』
308と呼(よ)ぶ声(こゑ)に綾彦(あやひこ)はこの場(ば)に現(あらは)れ、309両手(りやうて)をつき、
310綾彦『今(いま)お呼(よ)びになりましたのは私(わたくし)で御座(ござ)いましたか』
311黒姫(くろひめ)『アヽ左様(さやう)ぢや左様(さやう)ぢや、312お前(まへ)に折入(をりい)つて尋(たづ)ねたいと此(この)間(あひだ)から思(おも)うて居(ゐ)たのぢやが、313ここへ来(き)てから大分(だいぶ)になりますが、314一体(いつたい)お前(まへ)のお国許(くにもと)は何処(どこ)ぢやな、315色々(いろいろ)と誰(たれ)に尋(たづ)ねさしても言(い)ひなさらぬが、316大方(おほかた)何処(どこ)かで悪(わる)い事(こと)をして逃(に)げて来(き)たのだらう。317それを体(てい)よう真名井(まなゐ)さまへ詣(まゐ)つたなぞと、318誤魔化(ごまくわ)しとるのだらう』
319綾彦(あやひこ)『イエイエ滅相(めつさう)もない、320生(うま)れてから悪(わる)い事(こと)は、321塵(ちり)程(ほど)もやつた覚(おぼ)えは有(あ)りませぬ』
322黒姫(くろひめ)『そんならお前(まへ)の処(ところ)は何処(どこ)ぢや。323虱(しらみ)でさへも生(うま)れ所(どこ)は有(あ)るのに、324滅多(めつた)に天(てん)から降(ふ)つたのでもあるまい。325地(ち)の底(そこ)から湧(わ)いて出(で)たのでも有(あ)るまい。326お父(とう)さまや、327お母(かあ)さまが有(あ)るだらう。328処(ところ)と親(おや)の名(な)と聞(き)かして下(くだ)さい』
329綾彦(あやひこ)『これ許(ばか)りはどうぞ赦(ゆる)して下(くだ)さいませ』
330黒姫(くろひめ)『それ見(み)たかな。331矢張(やつぱり)怪(あや)しい人(ひと)ぢや。332私(わし)は何処(どこ)までも、333言(い)うて悪(わる)い事(こと)は秘密(ひみつ)を守(まも)る、334私(わし)丈(だけ)に言(い)ひなさらぬかいな』
335綾彦(あやひこ)『貴方(あなた)様(さま)はいつも仰有(おつしや)る通(とほ)り、336世界中(せかいぢう)隅(すみ)から隅(すみ)まで見(み)え透(す)く、337竜宮(りうぐう)の乙姫(おとひめ)の生宮(いきみや)ぢやありませぬか。338そんな事(こと)お尋(たづ)ねなさらないでも、339遠(とほ)の昔(むかし)に何(なに)も彼(か)も御存(ごぞん)じの筈(はず)、340煽動(おだて)て下(くだ)さいますな』
341黒姫(くろひめ)『ソラさうぢや。342霊(れい)の方(はう)ではお前(まへ)の身魂(みたま)は何(なん)の身魂(みたま)ぢや、343昔(むかし)の根本(こつぽん)は何(ど)んな事(こと)をして居(を)つた。344また行(ゆ)く先(さき)は何(ど)う成(な)ると云(い)ふ事(こと)は、345能(よ)く分(わか)つて居(を)るが、346肉体(にくたい)上(じやう)の事(こと)は畑(はたけ)が違(ちが)うから、347聞(き)いた方(はう)が便利(べんり)がよい。348こんな事(こと)を神(かみ)さまに勿体(もつたい)なうて、349御(ご)苦労(くらう)かけずともお前(まへ)に聞(き)いた方(はう)が早(はや)いぢやないか。350又(また)お前(まへ)も、351これ丈(だけ)長(なが)らく世話(せわ)に成(な)つて居(ゐ)ながら、352何故(なぜ)生(うま)れた処(ところ)を言(い)はれぬのか』
353と言葉(ことば)に角(かど)を立(た)て、354長煙管(ながぎせる)で畳(たたみ)を二(ふた)つ三(み)つ叩(たた)いた。
355綾彦(あやひこ)『何(なん)と仰有(おつしや)つても、356これ丈(だけ)は申上(まをしあ)げられませぬ。357どうぞあなた、358天眼通(てんがんつう)でお調(しら)べ下(くだ)さいませ、359私(わたくし)の口(くち)が一旦(いつたん)いかなる事(こと)があつても国処(くにところ)、360親(おや)の名(な)は言(い)うで無(な)いと、361両親(りやうしん)にいましめられ、362決(けつ)して生命(いのち)にかかる様(やう)な事(こと)が有(あ)つても申(まを)しませぬと約束(やくそく)をして出(で)た以上(いじやう)は、363何処迄(どこまで)も申上(まをしあ)げる事(こと)は出来(でき)ませぬ』
364黒姫(くろひめ)『ハヽヽヽ、365お前(まへ)は親(おや)に孝行(かうかう)な人(ひと)ぢや。366親(おや)の言葉(ことば)をよく守(まも)つて、367どうしてもいけぬと仰有(おつしや)るのは、368実(じつ)に感心(かんしん)ぢや。369人間(にんげん)はさう無(な)くては成(な)らぬ。370併(しか)し乍(なが)ら、371お前(まへ)はモ一(ひと)つ大事(だいじ)の親(おや)を知(し)つて居(ゐ)ますか。372大方(おほかた)忘(わす)れたのだらう』
373綾彦(あやひこ)『私(わたくし)は親(おや)と云(い)つたら、374お父(とう)さまと、375お母(かあ)さまと二人(ふたり)より御座(ござ)いませぬ。376其(その)上(うへ)にま一(ひと)つ大事(だいじ)の親(おや)とは、377それや何(なん)の事(こと)で御座(ござ)いますか』
378黒姫(くろひめ)『アーアー、379お前(まへ)も見(み)た割(わり)とは愚鈍(ぐどん)な人(ひと)ぢやな。380あれ程(ほど)毎日(まいにち)日日(ひにち)、381竜宮(りうぐう)の乙姫(おとひめ)さまのお筆先(ふでさき)を読(よ)んで居(を)つて、382まだ判(わか)らぬのかいなア。383自分(じぶん)の肉体(にくたい)を生(う)んで呉(く)れた親(おや)は仮(かり)の親(おや)ぢやぞい。384吾々(われわれ)の霊魂(みたま)、385肉体(にくたい)の根本(こつぽん)をお授(さづ)け下(くだ)さつた、386天地(てんち)の誠(まこと)の親(おや)が有(あ)る事(こと)を、387お前(まへ)聞(き)いて居(を)るぢや無(な)いか』
388綾彦(あやひこ)『ハイ、389それはお筆先(ふでさき)でお蔭(かげ)をいただいて居(を)ります』
390黒姫(くろひめ)『お前(まへ)は、391誠(まこと)の親(おや)が大切(だいじ)か、392肉体(にくたい)の親(おや)が大切(たいせつ)か、393どちらが大切(たいせつ)か考(かんが)へてみなされ』
394綾彦(あやひこ)『それは何方(どちら)も大切(たいせつ)で御座(ござ)います』
395黒姫(くろひめ)『何方(どちら)も大切(たいせつ)な事(こと)は決(きま)つてゐるが、396併(しか)し其(その)中(なか)でも、397重(おも)い軽(かる)いが有(あ)るだらう。398僅(わづ)か百(ひやく)年(ねん)や二百(にひやく)年(ねん)の肉体(にくたい)を生(う)んで呉(く)れた親(おや)が大切(だいじ)か、399幾億万(いくおくまん)年(ねん)と知(し)れぬ身魂(みたま)の生命(いのち)を与(あた)へて万劫(まんごふ)末代(まつだい)守(まも)つて下(くだ)さる、400慈悲(じひ)深(ぶか)い神(かみ)様(さま)が大切(だいじ)か、401それが聞(き)きたい』
402綾彦(あやひこ)『ハイ………』
403黒姫(くろひめ)『天地(てんち)の根本(こつぽん)の神(かみ)様(さま)の生宮(いきみや)の私(わし)は、404つまり大神(おほかみ)様(さま)の代(かは)りぢや。405何故(なぜ)親(おや)の云(い)ふ事(こと)を聞(き)いて私(わし)の云(い)ふ事(こと)が聞(き)けぬのかい。406一寸(ちよつと)信心(しんじん)の仕方(しかた)が間違(まちが)うて居(ゐ)やせぬか』
407 かかる処(ところ)へ紫姫(むらさきひめ)現(あら)はれ来(きた)り、
408紫姫(むらさきひめ)『今(いま)承(うけたま)はりますれば、409大変(たいへん)に綾彦(あやひこ)さまに、410何(なに)かお尋(たづ)ねのやうですが、411何(ど)うぞ私(わたくし)に任(まか)して下(くだ)さいませ。412私(わたくし)が機(をり)を見(み)て、413綾彦(あやひこ)さまに篤(とつく)りと尋(たづ)ねまして、414お返事(へんじ)を致(いた)します』
415黒姫(くろひめ)『さよかさよか、416どうぞ貴女(あなた)、417やあはりと問(と)うて見(み)て下(くだ)さい。418何分(なにぶん)婆(ばば)の言(い)ふことは、419気(き)に入(い)らぬと見(み)えますワイ、420綺麗(きれい)な貴女(あなた)のお尋(たづ)ねなら、421綾彦(あやひこ)も惜気(をしげ)なく言(い)ひませう』
422紫姫(むらさきひめ)『ホヽヽヽ、423サア、424綾彦(あやひこ)さま、425もうお寝(やす)みなさいませ。426黒姫(くろひめ)さま、427夜(よ)も更(ふ)けました、428何卒(どうぞ)御(ご)休息(きうそく)を』
429黒姫(くろひめ)『ハイハイ、430早(はや)く寝(ね)て下(くだ)さい』
431紫姫(むらさきひめ)『さやうなら』
432 紫姫(むらさきひめ)は綾彦(あやひこ)の手(て)を引(ひ)き、433廊下(らうか)伝(づた)ひに奥(おく)に入(い)る。
434 黒姫(くろひめ)は又(また)もや疳声(かんごゑ)を出(だ)して、
435黒姫『青彦(あをひこ)青彦(あをひこ)』
436と呼(よ)び立(た)ててゐる。
437 青彦(あをひこ)は周章(あわ)てて此(こ)の場(ば)に走(はし)り来(きた)り、
438青彦『ハイ、439何(なん)の御用(ごよう)で御座(ござ)いましたか』
440黒姫(くろひめ)『青彦(あをひこ)、441お前(まへ)もお節(せつ)を高城山(たかしろやま)へやつて、442さぞ淋(さび)しからう。443心(こころ)の裡(うち)は私(わたし)もよく察(さつ)して居(ゐ)る。444本当(ほんたう)にお気(き)の毒(どく)ぢや。445同情(どうじやう)の涙(なみだ)は、446いつも外(そと)へ零(こぼ)さずに、447内(うち)へ流(なが)して居(を)る』
448と追従(つゐしやう)らしく言(い)ふ。
449青彦(あをひこ)『何(なに)御用(ごよう)かと思(おも)へば、450そんな事(こと)で御座(ござ)いますか。451イヤそんな事(こと)なら、452御(ご)心配(しんぱい)下(くだ)さいますな、453却(かへつ)て私(わたし)は気楽(きらく)で宜(よろ)しう御座(ござ)います』
454黒姫(くろひめ)『お前(まへ)に折入(をりい)つて尋(たづ)ねたい事(こと)がある。455外(ほか)でも無(な)いが、456あの綾彦(あやひこ)と云(い)ふ男(をとこ)は、457弥仙山(みせんざん)の麓(ふもと)の、458於与岐(およぎ)の村(むら)の豊彦(とよひこ)と云(い)ふ男(をとこ)の息子(むすこ)ぢやないか』
459青彦(あをひこ)『あなた、460それが何(ど)うして分(わか)りましたか』
461 黒姫(くろひめ)はしたり顔(がほ)にて、
462黒姫(くろひめ)『そんな事(こと)が判(わか)らないで、463竜宮(りうぐう)の乙姫(おとひめ)さまの生宮(いきみや)ぢやと言(い)はれますかいな。464蛇(じや)の道(みち)は矢張(やつぱり)蛇(へび)だ。465間違(まちが)ひは有(あ)らうまいがな』
466青彦(あをひこ)『ヤア、467あなたの御(ご)明察(めいさつ)には恐縮(きようしゆく)致(いた)しました。468それに間違(まちが)ひは有(あ)りますまい』
469黒姫(くろひめ)『さうだらう さうだらう、470流石(さすが)はお前(まへ)はよう改心(かいしん)が出来(でき)て居(ゐ)る。471正直(しやうぢき)な男(をとこ)だ。472時(とき)にお前(まへ)に折入(をりい)つて相談(さうだん)があるが、473乗(の)つて下(くだ)さるまいかな』
474青彦(あをひこ)『これは又(また)、475改(あらた)まつての御(お)言葉(ことば)、476何(なん)なりと御(ご)遠慮(ゑんりよ)なく仰有(おつしや)つて下(くだ)さいませ』
477黒姫(くろひめ)『ヤア、478有難(ありがた)い有難(ありがた)い。479お前(まへ)も噂(うはさ)に聞(き)いて居(を)る通(とほ)り於与岐(およぎ)の里(さと)に、480お玉(たま)といふ綺麗(きれい)な娘(むすめ)が有(あ)つて玉照姫(たまてるひめ)とかいふ、481不思議(ふしぎ)な子(こ)が出来(でき)たといふ事(こと)ぢや。482それは何(ど)うしても斯(こ)うしても、483ウラナイ教(けう)へ引(ひ)き入(い)れねば、484神界(しんかい)のお仕組(しぐみ)が成就(じやうじゆ)しないから、485此(こ)の間(あひだ)も、486寅若(とらわか)や、487富彦(とみひこ)、488菊若(きくわか)の三(さん)人(にん)を遣(つか)はして交渉(かうせふ)に遣(や)つたが、489何(ど)うやら失敗(しつぱい)して帰(かへ)つたらしい、490併(しか)し乍(なが)ら、491よう考(かんが)へて見(み)れば、492向(むか)うの老爺(おやぢ)が孫(まご)を呉(く)れんのも、493一(ひと)つの理由(りいう)がある。494何故(なぜ)といつたら、495あの綾彦(あやひこ)夫婦(ふうふ)は行衛(ゆくゑ)不明(ふめい)となり、496只(ただ)一人(ひとり)の娘(むすめ)お玉(たま)とやらが、497年寄(としより)の世話(せわ)をして居(を)るさうだ。498そのお玉(たま)に、499男(をとこ)も無(な)いのに子(こ)が胎(やど)り、500其(その)子(こ)が又(また)妙(めう)な神力(しんりき)を持(も)つて居(を)るので、501エライ評判(へうばん)ぢやげな。502そこで其(その)子(こ)を貰(もら)うには、503綾彦(あやひこ)夫婦(ふうふ)を元(もと)へ還(かへ)してやらねば成(な)るまい。504若(も)しも三五教(あななひけう)の連中(れんちう)が、505綾彦(あやひこ)とお民(たみ)が、506爺(ぢい)さまの子(こ)ぢやと云(い)ふ事(こと)を探知(さとら)うものなら、507何(ど)んな手段(しゆだん)を運(めぐ)らしてでも、508引張(ひつぱ)り込(こ)んで交換(かうくわん)に玉照姫(たまてるひめ)を貰(もら)つて了(しま)ふに違(ちが)ひ無(な)い。509さうなれば、510此方(こつち)は薩張(さつぱり)、511蛸(たこ)の揚壺(あげつぼ)を喰(く)つた様(やう)な羽目(はめ)に成(な)らねばならぬ。512どうぢや、513青彦(あをひこ)、514何(なん)とかお前(まへ)の智慧(ちゑ)で、515玉照姫(たまてるひめ)を此方(こつち)の者(もの)にする工夫(くふう)は有(あ)るまいかな』
516青彦(あをひこ)『それは重大(ぢうだい)事件(じけん)ですなア。517よくよく考(かんが)へませう。518どうぞ此処(ここ)限(かぎ)り他(た)に漏(も)れないやうに、519絶対(ぜつたい)秘密(ひみつ)を守(まも)つて下(くだ)さいませ』
520黒姫(くろひめ)『よしよし、521お前(まへ)と私(わし)と二人(ふたり)限(き)りだ。522高山彦(たかやまひこ)さまにだつて、523此(こ)の事(こと)成就(じやうじゆ)する迄(まで)は、524言(い)はぬと言(い)つたら言(い)はないから、525安心(あんしん)して下(くだ)さい』
526青彦(あをひこ)『左様(さやう)ならば充分(じゆうぶん)熟考(じゆくかう)した上(うへ)、527又(また)コツソリと御(ご)相談(さうだん)致(いた)しませう。528今晩(こんばん)はこれでお寝(やす)みなされませ』
529 青彦(あをひこ)は一間(ひとま)に姿(すがた)を隠(かく)した。530後(あと)に黒姫(くろひめ)はニタリと笑(わら)ひ、
531黒姫『アーアー、532何(なん)と言(い)つても青彦(あをひこ)だ。533今(いま)ウラナイ教(けう)で誰(たれ)がエライと言(い)つても、534彼(かれ)に越(こ)した奴(やつ)は有(あ)りはしない、535三五教(あななひけう)が欲(ほ)しがつた筈(はづ)だ。536持(も)つ可(べ)きものは家来(けらい)なりけりだ、537アヽどれどれ、538高山(たかやま)さまが淋(さび)しがつて御座(ござ)るであらう、539一寸(ちよつと)話相手(はなしあひて)になつて上(あ)げませう』
540と、541独言(ひとりご)ちつつ一間(ひとま)に入(い)る。
542(大正一一・四・二八 旧四・二 東尾吉雄録)
543(昭和一〇・六・二 王仁校正)
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