霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
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第七章 知(し)らぬが仏(ほとけ)〔七一九〕

インフォメーション
著者:出口王仁三郎 巻:霊界物語 第23巻 如意宝珠 戌の巻 篇:第2篇 恩愛の涙 よみ(新仮名遣い):おんあいのなみだ
章:第7章 知らぬが仏 よみ(新仮名遣い):しらぬがほとけ 通し章番号:719
口述日:1922(大正11)年06月11日(旧05月16日) 口述場所: 筆録者:外山豊二 校正日: 校正場所: 初版発行日:1923(大正12)年4月19日
概要: 舞台:栗栖の森の栗栖の宮 あらすじ[?]このあらすじはMさん作成です(一部加筆訂正してあります)。一覧表が「王仁DB」にあります。[×閉じる]:
駒彦と秋彦の二人は、常楠夫婦を連れて、栗栖川のほとりの栗栖の森に着いた。老人の常楠は疲れを覚えて、にわかに胸腹部の激痛を感じて発熱してしまった。一行は栗栖の宮に立ち寄って、介抱に尽くすことになった。
二人の宣伝使は栗栖川の上流に良薬があると聞いて、薬草を求めて山深く入って行った。お久は一人宮に残って、常楠の看病をしている。
すると夜更けに宮の縁側に覆面をした男が二人現れ、ひそびそ話を始めた。それは数日前に常楠のところに押し入ったバラモン教の虻公と蜂公だった。
お久はてっきり、駒彦と秋彦が戻ったのかと思って二人を中へ入れようとしたが、虻公と蜂公の顔を見て悟り、懐剣を抜くと逆手に構え、娘の敵を討つと凄んだ。
しかし長刀を抜き放った二人に詰め寄られてしまう。そこへ駒彦と秋彦が戻って来て、虻公と蜂公に霊縛をかけた。二人が持ち帰った薬草で、常楠はみるみるうちに恢復した。
常楠は霊縛された二人を見て、娘の敵とは言いながら憐れを催し、改心を促した。駒彦と秋彦も改心を促して、霊縛を説いた。虻公と蜂公は床に頭をつけてすすり泣いて懺悔をなす。
常楠は、自分が娘の敵といって二人を成敗したら、二人の両親が嘆くだろうと言って、親に免じて改心をするようにと諭した。そして、二人の生まれ育ちを聞きただす。
虻公は印南の里の森に捨てられていて、情け深い里人に拾われて育てられたが、大恩ある育ての親も六歳の頃に病気で亡くなってしまい、それからは放浪して悪事に染まってしまったと身の上を明かした。
虻公は捨てられていた自分に添えられていた守り刀に、常という字が印してあったのが唯一の手がかりだ、と明かした。
常楠はその守り刀を見せてもらうと、紛れも無く自分の家紋が記してあった。常楠は、若い頃に下女に産ませた子を、守り刀と共に捨てたことを懺悔した。虻公は、駒彦の母違いの兄弟であることが明らかになった。
常楠はお久に詫びをするが、お久も懺悔して、嫁ぐ前に親の許さぬ仲の男との間に子をもうけ、熊野の森へ捨て子したことを明かした。
それを聞いた蜂公は、自分は熊野の森に捨て子されていたのを、山賊の親分に拾われて育ち、今に至るのだと身の上を語った。そして、今は取り落としてしまったが捨て子の自分と一緒に添えられていた守り刀に、蜂という印があり、それで蜂公と呼ばれるようになったのだ、と明かした。
お久はそれを聞いて、蜂公が自分が捨てた子であるとわかった。一同は秋彦の導師で感謝祈願を奏上した。
主な登場人物[?]【セ】はセリフが有る人物、【場】はセリフは無いがその場に居る人物、【名】は名前だけ出て来る人物です。[×閉じる]: 備考: タグ: データ凡例: データ最終更新日:2021-06-27 17:48:55 文字数:6789 OBC :rm2307
愛善世界社版:113頁 八幡書店版:第4輯 535頁 修補版: 校定版:116頁 普及版:52頁 初版: ページ備考:
001 秋彦(あきひこ)、002駒彦(こまひこ)の宣伝使(せんでんし)は、003常楠(つねくす)、004お久(ひさ)の老夫婦(らうふうふ)と共(とも)に、005木山(きやま)の里(さと)を立出(たちい)で漸(やうや)う栗栖川(くりすがは)の畔(ほとり)、006栗栖(くりす)の森(もり)に着(つ)いた。007老人(らうじん)の事(こと)とて疲労(ひらう)を感(かん)じ、008此処(ここ)に駒彦(こまひこ)の父(ちち)常楠(つねくす)は、009俄(にはか)に胸腹部(きようふくぶ)の激痛(げきつう)を感(かん)じ、010発熱(はつねつ)甚(はなはだ)しく、011身動(みうご)きもならぬやうになつて了(しま)つた。012お久(ひさ)を始(はじ)め秋彦(あきひこ)、013駒彦(こまひこ)の両人(りやうにん)は、014如何(いか)にもして常楠(つねくす)の病気(びやうき)を恢復(くわいふく)せしめむと、015栗栖(くりす)の宮(みや)の半(なかば)破(やぶ)れたる社務所(ながとこ)に立寄(たちよ)り、016いろいろと介抱(かいほう)に手(て)を尽(つく)したが、017病(やまひ)は追々(おひおひ)重(おも)るばかりで、018命(めい)旦夕(たんせき)に迫(せま)つて来(き)た。
019 二人(ふたり)の宣伝使(せんでんし)は栗栖川(くりすがは)の上流(じやうりう)に妙薬(めうやく)ありと聞(き)き、020手配(てわけ)して山(やま)深(ふか)く薬草(やくさう)を求(もと)むべく進(すす)み入(い)つた。021後(あと)にお久(ひさ)は夫(をつと)の看病(かんびやう)に余念(よねん)なく、022心力(しんりよく)を尽(つく)して老(おい)の身(み)の労苦(らうく)も打忘(うちわす)れ、023看護(かんご)に努(つと)めた。024人里(ひとざと)離(はな)れし淋(さび)しき此(この)栗栖(くりす)の宮(みや)の森(もり)は人声(ひとごゑ)もなく、025時々(ときどき)烏(からす)の声(こゑ)、026百舌鳥(もず)の囁(ささや)きが聞(きこ)ゆるばかり、027凩(こがらし)は時(とき)を仕切(しき)つて吹(ふ)いて来(く)る。028さすが暖国(だんこく)の冬(ふゆ)も、029今日(けふ)に限(かぎ)つて殊更(ことさら)厳寒(げんかん)を感(かん)じ、030身(み)に寒疣(さむいぼ)を現(あら)はすばかりであつた。
031 夜(よ)は深々(しんしん)と更(ふ)け渡(わた)り、032月(つき)は皓々(かうかう)と中天(ちうてん)に輝(かがや)き、033憐(あは)れな老夫婦(らうふうふ)の境遇(きやうぐう)を憐(あは)れ気(げ)に見下(みお)ろし給(たま)ひつつあるものの如(ごと)く、034時々(ときどき)月(つき)の面(おも)を掠(かす)めて淡(あは)い雲(くも)が来往(らいわう)してゐる。035其(その)度(たび)毎(ごと)にパツと明(あか)くなつたり、036又(また)パツと薄暗(うすぐら)くなり、037空(そら)には薄茶色(うすちやいろ)の雲(くも)、038白雲(しらくも)に混(まじ)つて脚速(あしばや)く右往(うわう)左往(さわう)に彷徨(はうくわう)して居(ゐ)る。
039 此(この)時(とき)覆面(ふくめん)した二人(ふたり)の大男(おほをとこ)、040何事(なにごと)かヒソビソと囁(ささや)き乍(なが)ら、041此(この)森(もり)に向(むか)つて進(すす)み来(きた)り、042社務所(ながとこ)の中(なか)に老夫婦(らうふうふ)のあるをも知(し)らず、043縁側(えんがは)に腰(こし)打(うち)かけ、044ヒソビソ話(ばなし)に耽(ふけ)つて居(ゐ)たが、045遂(つひ)には興(きよう)に乗(の)つて声高(こわだか)に囀(さへづ)り始(はじ)めた。
046甲(かふ)『オイ虻公(あぶこう)、047此(この)頃(ごろ)は泥棒(どろばう)商売(しやうばい)も薩張(さつぱ)り冬枯(ふゆが)れで、048懐(ふところ)も寒(さむ)いことだないか。049なんぞ好(い)い鳥(とり)がやつて来(き)さうなものだな。050木山(きやま)の里(さと)で爺(ぢぢ)と婆(ばば)アの家(うち)に泊(とま)り込(こ)み、051奪(と)つて来(き)た金子(かね)は大方(おほかた)使(つか)ひ果(はた)し、052最早(もはや)二進(につち)も三進(さつち)も行(ゆ)かなくなつて了(しま)つたぢやないか。053此処(ここ)で一(ひと)つ大(おほ)きな仕事(しごと)をせぬことには、054持(も)ちもせぬ乾児(こぶん)を養(やしな)ふことも出来(でき)ず、055乾児(こぶん)の嬶(かかあ)や子供(こども)までが薩張(さつぱり)乾上(ひあが)つて了(しま)ふ。056何(なん)とか好(よ)い思案(しあん)は出(で)ないだらうかなア』
057虻公(あぶこう)『オイ蜂公(はちこう)、058貴様(きさま)は金子(かね)が手(て)に入(い)[*ママ]ると、059大風(おほかぜ)に灰(はひ)撒(ま)くやうに、060直(すぐ)にバラバラと撒(ま)き散(ち)らしやがるものだから困(こま)つて了(しま)ふワ。061貴様(きさま)は乾児(こぶん)も少(すくな)し、062一人(ひとり)生活(ぐらし)ぢやないか。063俺(おれ)のやうに有(あ)りもせぬ乾児(こぶん)の十(じふ)人(にん)も持(も)ち、064近所(きんじよ)の杢平(もくべい)が七八(しちはち)人(にん)の家族(かぞく)を抱(かか)へてゐては到底(たうてい)小(ちひ)さい働(はたら)きではやりきれない。065木山(きやま)の里(さと)で奪(と)つた金子(かね)も百(ひやく)両(りやう)ばかりあつたが、066貴様(きさま)は山分(やまわ)けにして五十(ごじふ)両(りやう)持(も)つて帰(かへ)つたのだから、067余程(よほど)使(つか)ひでがなければならぬ。068俺(おれ)達(たち)とは責任(せきにん)が大変(たいへん)違(ちが)ふのだから……』
069蜂公(はちこう)『何(なん)と云(い)つても五十(ごじふ)両(りやう)は五十(ごじふ)両(りやう)だ。070家内(かない)が少(すくな)いと云(い)つて五十(ごじふ)両(りやう)が百(ひやく)両(りやう)に使(つか)へる道理(だうり)も無(な)し、071又(また)家内(かない)や乾児(こぶん)が多(おほ)いと云(い)つても、072五十(ごじふ)両(りやう)は依然(やつぱり)五十(ごじふ)両(りやう)だ。073滅多(めつた)に二十(にじふ)両(りやう)になる気遣(きづか)ひは無(な)い。074そんな吝(けち)なことを云(い)ふない』
075虻公(あぶこう)『其(その)癖(くせ)貴様(きさま)は可愛相(かあいさう)に彼(あ)の娘(むすめ)を○○して、076両親(りやうしん)の前(まへ)でばらしたぢやないか。077ヨウま彼(あ)んな鬼(おに)のやうな事(こと)が出来(でき)たものだ』
078蜂公(はちこう)『ヘン俺(おれ)が鬼(おに)なら貴様(きさま)も鬼(おに)だ』
079虻公(あぶこう)『鬼(おに)にも善悪(ぜんあく)があつて、080貴様(きさま)のは特別製(とくべつせい)の角鬼(つのおに)だ、081所謂(いはゆる)雄(をす)だ。082俺(おれ)のは雌(めす)だから角(つの)の無(な)い鬼(おに)だからなア』
083蜂公(はちこう)『定(きま)つたことだ。084鬼(おに)なら鬼(おに)で、085何処迄(どこまで)も徹底(てつてい)的(てき)に鬼(おに)たるの本分(ほんぶん)を尽(つく)さねばなるまい、086貴様(きさま)のやうに少(すこ)し金子(かね)が出来(でき)ると、087仏(ほとけ)の道(みち)とか、088金(かね)の道(みち)とかに逆転(ぎやくてん)しやうとする様(やう)なことで、089何(ど)うして大(おほ)きな仕事(しごと)が出来(でき)るものか』
090と話(はな)してゐる。091社務所(ながとこ)の中(なか)より苦悶(くもん)の声(こゑ)、092両人(りやうにん)の耳(みみ)を刺(さ)した。
093虻公(あぶこう)『ヤア何(なん)だか妙(めう)な声(こゑ)がするぢやないか』
094蜂公(はちこう)『ほんに怪体(けつたい)な声(こゑ)が聞(きこ)えて来(き)た。095全(まる)で狼(おほかみ)の唸(うな)り声(ごゑ)のやうだ。096一体(いつたい)何物(なにもの)だらう。097一(ひと)つ調(しら)べて見(み)たら何(ど)うだ』
098虻公(あぶこう)『おけおけ、099君子(くんし)は危(あやふ)きに近付(ちかづ)かずだ。100幽霊(いうれい)かも知(し)れないぞ』
101蜂公(はちこう)『君子(くんし)が聞(き)いて呆(あき)れるワ。102貴様(きさま)のやうな悪党(あくたう)が、103何処(どこ)の盲(めくら)が見(み)たつて君子(くんし)と思(おも)ふ奴(やつ)があるか。104お軽(かる)の幽霊(いうれい)が貴様(きさま)達(たち)が此処(ここ)へ来(く)ると思(おも)つて、105待(ま)つてゐやがるのかも知(し)れぬぞ。106何(なん)だか俺(おれ)は首筋元(くびすぢもと)がゾクゾクして来(き)た。107外(そと)は寒(さむ)い風(かぜ)が吹(ふ)くなり、108中(なか)には嫌(いや)らし声(こゑ)が聞(きこ)えるなり、109遣(や)り切(き)れなくなつたぢやないか』
110虻公(あぶこう)『そんなチヨロ臭(くさ)いことを云(い)つて居(を)ると、111貴様(きさま)と俺(おれ)の名(な)ぢやないが虻蜂取(あぶはちと)らずになつて了(しま)ふぞ。112ひよつとしたら旅人(たびびと)が沢山(どつさり)金子(かね)を持(も)つて寝(ね)てゐやがるかも知(し)れぬぞ、113山吹色(やまぶきいろ)の奴(やつ)がウンウンと唸(うな)つてゐるのだらう。114一(ひと)つ勇気(ゆうき)を出(だ)して踏(ふ)ん込(ご)み、115ウンの正体(しやうたい)を見届(みとど)けやうぢやないか。116ひよつとしたら吾々(われわれ)の運(うん)の開(ひら)け口(ぐち)かも知(し)れぬぞ』
117蜂公(はちこう)『うつかり遣(や)り損(そこな)ふとウンが下(さが)つて尻(しり)から出(で)るウンにならぬやうにせよ。118貴様(きさま)は何時(いつ)も狼狽者(あわてもの)だから尻(しり)の局(つぼね)はついた事(こと)はない。119年(ねん)が年中(ねんぢう)手(て)を出(だ)しては糞垂(ばばた)れる奴(やつ)ぢやから、120アハヽヽヽ』
121と笑(わら)ふ。122お久(ひさ)は此(この)笑(わら)ひ声(ごゑ)を聞(き)いて、123待(ま)ちに待(ま)つたる二人(ふたり)の宣伝使(せんでんし)の帰(かへ)つたのだと早合点(はやがつてん)し、124中(なか)より戸(と)を開(ひら)いて、
125お久(ひさ)『アヽ待(ま)ち兼(か)ねました、126お二人(ふたり)の方(かた)、127早(はや)く這入(はい)つて下(くだ)さい。128嘸(さぞ)寒(さむ)かつたでせう』
129 二人(ふたり)一度(いちど)に、
130虻公、蜂公『ヤア誰(たれ)かと思(おも)へば貴方(あなた)は此家(ここ)の御(ご)主人(しゆじん)か。131兎(と)も角(かく)それでは一服(いつぷく)さして貰(もら)ひませう』
132と内(うち)に入(い)る。133微(かすか)な明(あか)りに映(うつ)つた虻(あぶ)、134蜂(はち)二人(ふたり)の顔(かほ)。135お久(ひさ)は之(これ)を眺(なが)めて、
136お久(ひさ)『アツ、137お前(まへ)等(ら)は此(この)間(あひだ)我(わ)が家(や)に泊(とま)り込(こ)み、138娘(むすめ)の生命(いのち)を奪(と)り、139有金(ありがね)をすつかり浚(さら)へて逃(に)げ居(を)つた泥棒(どろばう)ぢやないか。140サア、141斯(こ)うなる以上(いじやう)は我(わ)が子(こ)の仇敵(かたき)、142モウ承知(しようち)を致(いた)さぬ。143覚悟(かくご)せい』
144と懐剣(くわいけん)を逆手(さかて)に持(も)つて形相(ぎやうさう)凄(すさま)じく、145上段(じやうだん)に構(かま)へこんだ。146虻(あぶ)、147蜂(はち)の二人(ふたり)は大口(おほぐち)を開(あ)けて、148『アハヽヽヽ』と高笑(たかわら)ひする。
149お久(ひさ)『盗人(ぬすびと)猛々(たけだけ)しいとは其(その)方(はう)のこと。150此(こ)の婆(ばば)が死物狂(しにものぐる)ひの働(はたら)き、151覚悟(かくご)を致(いた)せ、152最早(もはや)死(し)んでも惜(を)しうない年寄(としより)の生命(いのち)だ』
153と斬(き)つてかかる。154二人(ふたり)は長刀(どす)をスラリと引抜(ひきぬ)き、
155虻公、蜂公『サア、156来(こ)い』
157と腰(こし)を据(す)ゑ、158寄(よ)らば斬(き)らむと控(ひか)へて居(ゐ)る。159お久(ひさ)も二人(ふたり)の荒武者(あらむしや)の身構(みがま)へにつけ入(い)る隙(すき)もなく、160瞬(またた)きもせず隙(すき)あらば斬(き)りかからんと狙(ねら)つて居(ゐ)る。161二人(ふたり)はジリジリと抜刀(ぬきみ)を両手(りやうて)に、162腹(はら)の辺(あた)りに柄(つか)を握(にぎ)り乍(なが)ら詰(つ)め寄(よ)つて来(く)る。
163 常楠(つねくす)は発熱(はつねつ)甚(はなはだ)しく夢中(むちう)になつて『ウンウン』と唸(うな)つて居(ゐ)る。164斯(か)かる処(ところ)へ秋彦(あきひこ)、165駒彦(こまひこ)の両人(りやうにん)は、166歩(あし)を速(はや)めて帰(かへ)り来(きた)り、167駒彦(こまひこ)先(ま)づ中(なか)へ這入(はい)つて見(み)れば此(こ)の状態(ありさま)。
168駒彦(こまひこ)『ヤア某(それがし)は三五教(あななひけう)の宣伝使(せんでんし)駒彦(こまひこ)と申(まを)すものだ。169汝(きさま)は泥棒(どろばう)と見受(みうけ)るが、170老人(としより)ばかりの家(とこ)にやつて来(き)て、171何(なに)を奪(と)らうと云(い)つたつて奪(と)るものは有(あ)るまい。172要(い)らざることを致(いた)すより、173早(はや)く此(この)場(ば)を立去(たちさ)つたがよからうぞ。174グヅグヅ致(いた)して居(を)ると、175汝(きさま)の利益(ため)にならぬぞ』
176 お久(ひさ)は始(はじ)めて此(この)声(こゑ)に気(き)がつき、177短刀(たんたう)を振(ふり)かざし乍(なが)ら、
178お久(ひさ)『伜(せがれ)の駒彦(こまひこ)か、179ようマア危(あぶ)ない処(ところ)へ帰(かへ)つて下(くだ)さつた。180……秋彦(あきひこ)さま、181何(ど)うぞ加勢(かせい)して下(くだ)さい。182此奴(こいつ)が私(わし)の娘(むすめ)を殺(ころ)し、183金子(かね)を盗(と)つて逃(に)げた悪人(あくにん)で御座(ござ)いますよ』
184と聞(き)いて二人(ふたり)は忽(たちま)ち両手(りやうて)を組(く)み、185満身(まんしん)の霊力(れいりよく)を籠(こ)めてウンと一声(いつせい)、186霊縛(れいばく)をかけた。187二人(ふたり)は身構(みがま)へした儘(まま)、188身体(しんたい)強直(きやうちよく)し木像(もくざう)の如(ごと)くになつて了(しま)ひ、189眼(め)ばかりギヨロつかせて居(ゐ)る。
190駒彦(こまひこ)『アハヽヽヽ、191マア一寸(ちよつと)斯(こ)うして置(お)いて、192悠(ゆつ)くりお父(とう)さまに薬(くすり)を上(あ)げ御(ご)恢復(くわいふく)の上(うへ)、193此(こ)の面白(おもしろ)い木像(もくざう)を慰(なぐさ)みに御(お)目(め)にかけることにせう。194秋彦(あきひこ)さま、195霊縛(れいばく)の弛(ゆる)まないやうに気(き)をつけて下(くだ)さい。196私(わたし)はこれより父(ちち)の看護(かんご)を致(いた)しますから。197………お母(かあ)さま、198危険(あぶな)いところで御座(ござ)いましたな』
199 お久(ひさ)は稍(やや)安堵(あんど)して短刀(たんたう)を鞘(さや)に納(をさ)め、200ドツカと坐(ざ)し、
201お久(ひさ)『アーお前(まへ)の帰(かへ)るのがモウ一息(ひといき)遅(おそ)かつたら、202爺(ぢぢ)も婆(ばば)も又(また)もや此奴(こいつ)のために生命(いのち)を奪(と)らるるところだつた』
203と嬉(うれ)しさ余(あま)つて声(こゑ)さへ曇(くも)つてゐる。204起死(きし)回生(くわいせい)の妙薬(めうやく)忽(たちま)ち効験(かうけん)顕(あら)はれ、205常楠(つねくす)は俄(にはか)に元気(げんき)恢復(くわいふく)し、206起(お)き上(あが)つて二人(ふたり)の泥棒(どろばう)の姿(すがた)を見(み)、
207常楠(つねくす)『アヽ御(お)かげで病気(びやうき)が余程(よつぽど)よくなつたと思(おも)へば、208又(また)しても此(この)間(あひだ)出(で)て来(き)た大悪党(だいあくたう)奴(め)、209刀(かたな)を抜(ぬ)いて執念深(しふねんぶか)くも吾々(われわれ)夫婦(ふうふ)を付(つ)け狙(ねら)うて居(ゐ)るのか。210偖(さて)も偖(さて)も度(ど)し難(がた)き代物(しろもの)だ。211こんな奴(やつ)は必定(きつと)根(ね)の国(くに)、212底(そこ)の国(くに)の成敗(せいばい)を受(う)けねばならぬ奴(やつ)だ。213想(おも)へば想(おも)へば可愛相(かあいさう)になつて来(き)た、214娘(むすめ)の仇(かたき)とは言(い)ひ乍(なが)ら何(ど)うしたものか、215此奴(こいつ)の精神(せいしん)が気(き)の毒(どく)になつて、216日頃(ひごろ)の恨(うら)みも、217腹立(はらだ)ちも何処(どこ)かへ往(い)つて了(しま)つた。218オイ泥棒(どろばう)、219お前(まへ)も好(い)い加減(かげん)に改心(かいしん)をしたら何(ど)うだ。220未来(みらい)のほどが恐(おそ)ろしいぞよ』
221 泥棒(どろばう)は目(め)をキヨロキヨロ回転(くわいてん)させるばかり、222唇(くちびる)を微(かすか)に動(うご)かしたきり一言(いちごん)も発(はつ)し得(え)ず、223固(かた)まつた儘(まま)苦悶(くもん)して居(ゐ)る。
224駒彦(こまひこ)『お父(とう)さま、225是(これ)等(ら)両人(りやうにん)は妹(いもうと)を殺(ころ)した奴(やつ)で御座(ござ)いますか。226本当(ほんたう)に仕方(しかた)のない悪人(あくにん)ですな。227併(しか)し乍(なが)ら吾々(われわれ)宣伝使(せんでんし)の神力(しんりき)を以(もつ)てしては、228此(この)様(やう)なものの五(ご)人(にん)や十(じふ)人(にん)は、229小指(こゆび)の先(さき)にも当(あた)りませぬが、230貴方(あなた)の仰(あふ)せの通(とほ)り罪(つみ)を憎(にく)んで人(ひと)を憎(にく)まず、231誠(まこと)の道(みち)に帰順(きじゆん)すれば救(たす)けてやりませうかなア…オイ泥棒(どろばう)、232貴様(きさま)等(ら)はまだ此(この)上(うへ)悪事(あくじ)をやる考(かんが)へか、233但(ただし)は今日(けふ)限(かぎ)り薩張(さつぱり)改心(かいしん)を致(いた)すか何(ど)うだ。234口(くち)利(き)く丈(だけ)は霊縛(れいばく)を解(と)いてやるから、235直(ただち)に返答(へんたふ)致(いた)せ』
236 虻公(あぶこう)は漸(やうや)く重(おも)たさうに口(くち)を開(ひら)いて、
237虻公『ハイ、238カ…イ…シ…ン…イ…タ…シ…マ…ス』
239と千切(ちぎ)れ千切(ちぎ)れに機械(きかい)的(てき)にヤツと答(こた)へた。
240駒彦(こまひこ)『ウン、241よし、242それに間違(まちが)ひはないなア。243モウ一人(ひとり)の奴(やつ)は何(ど)うだ。244貴様(きさま)も改心(かいしん)するか』
245 蜂公(はちこう)は機械(きかい)のやうに幾度(いくたび)となく、246頭(かしら)を縦(たて)に曲線(きよくせん)的(てき)に振(ふ)つてゐる。
247駒彦(こまひこ)『ウン、248よし、249改心(かいしん)するに違(ちが)ひはないな。250そんなら秋彦(あきひこ)さま、251霊縛(れいばく)を解(と)いてやつて下(くだ)さい、252万一(まんいち)暴(あば)れ出(だ)したら其(その)時(とき)又(また)霊縛(れいばく)をかけるまでの事(こと)だから……』
253秋彦(あきひこ)『承知(しようち)しました』
254と秋彦(あきひこ)は両手(りやうて)を組合(くみあは)せ、255天(あま)の数歌(かずうた)を一回(いつくわい)唱(とな)へ、256『許(ゆる)す』と一言(いちごん)、257言霊(ことたま)を発射(はつしや)するや両人(りやうにん)の身体(からだ)は自由(じいう)自在(じざい)の旧(もと)に復(ふく)した。258二人(ふたり)は夕立(ゆふだち)の如(ごと)き涙(なみだ)をボロボロと落(おと)しながら、259両手(りやうて)を合(あは)せ床(ゆか)に頭(かしら)を摺(すり)つけ、260懺悔(ざんげ)の念(ねん)に堪(た)へざるものの如(ごと)く啜(すす)り泣(な)きさへして居(ゐ)る。
261 常楠(つねくす)は両人(りやうにん)の姿(すがた)をツクヅクと眺(なが)め、
262常楠(つねくす)『コレ二人(ふたり)の泥棒(どろばう)、263お前(まへ)も生(うま)れ付(つ)いてからの悪人(あくにん)ではあるまい。264人間(にんげん)と云(い)ふものは育(そだ)ちが大切(たいせつ)だ。265大抵(たいてい)泥棒(どろばう)になつたりする奴(やつ)は、266若(わか)い時(とき)に親(おや)に離(はな)れるか、267或(あるひ)は継母(ままはは)育(そだ)ちか、268継父(ままてて)の家庭(かてい)に育(そだ)つたものが多(おほ)い様(やう)だが、269お前(まへ)の親(おや)は何(ど)うなつたのだ。270子(こ)の可愛(かあい)くない親(おや)は世界(せかい)にない筈(はず)だが、271何(ど)うぞして家(うち)の伜(せがれ)も一人前(いちにんまへ)に育(そだ)て上(あ)げ、272世間(せけん)から偉(えら)い奴(やつ)だと賞(ほ)めて貰(もら)ひたいのは親心(おやごころ)、273今(いま)に両親(りやうしん)が生(いき)て厶(ござ)るならば、274御(ご)心配(しんぱい)をして厶(ござ)るであらう。275今(いま)より綺麗(きれい)薩張(さつぱり)と心(こころ)を入(い)れ換(か)へ善(ぜん)の道(みち)に立帰(たちかへ)りなされや。276私(わし)もお前(まへ)さん等(ら)に大事(だいじ)の娘(むすめ)を殺(ころ)されたが、277お前(まへ)にも両親(りやうしん)があるだらう。278娘(むすめ)の仇(かたき)だと云(い)つて、279仇(かたき)を討(う)てば私(わし)は気分(きぶん)がサラリとしやうが、280お前(まへ)の両親(りやうしん)が聞(き)いたら嘸(さぞ)歎(なげ)かつしやることだらう。281之(これ)を思(おも)へばお前(まへ)さまに娘(むすめ)の仇(かたき)として、282一太刀(ひとたち)報(むく)いることも出来(でき)ぬやうになつて来(き)た。283何卒(どうぞ)今日(けふ)限(かぎ)り生命(いのち)が失(な)くなつたと思(おも)つて誠(まこと)の心(こころ)になつて下(くだ)され。284これが老先(おいさき)短(みじか)き年寄(としより)の頼(たの)みだ。285お前(まへ)の親(おや)の代(かは)りに意見(いけん)をするのだから、286何卒(どうぞ)忘(わす)れぬやうにしてお呉(く)れ』
287虻公(あぶこう)『ハイ有難(ありがた)う御座(ござ)います。288翻然(ほんぜん)として今迄(いままで)の夢(ゆめ)が醒(さ)めました。289私(わたくし)には親(おや)があつたさうで御座(ござ)いますが、290未(いま)だに分(わか)りませぬ。291印南(いなみ)の里(さと)の森(もり)に菰(こも)に包(つつ)まれ、292生(うま)れた直(ぢ)き直(ぢ)き捨(す)てられて居(を)つたのを、293情(なさけ)深(ぶか)い村人(むらびと)が救(すく)ひ上(あ)げて、294子(こ)の無(な)いのを幸(さいは)ひに私(わたくし)を子(こ)として育(そだ)てて下(くだ)さつたのですが、295私(わたくし)が六(ろく)才(さい)の時(とき)に大恩(たいおん)ある育(そだ)ての両親(りやうしん)は、296俄(にはか)の病(やまひ)で国替(くにがへ)をなされまして、297それから私(わたくし)は取(と)りつく島(しま)もなく、298乞食(こじき)の群(むれ)に入(い)り漸(やうや)く成人(せいじん)して女房(にようばう)を持(も)ちましたが、299子供(こども)の時(とき)より悪(わる)い事(こと)をやつて来(き)た癖(くせ)は今(いま)に直(なほ)らず、300好(よ)い事(こと)は一(ひと)つも致(いた)したことはありませぬ。301貴方(あなた)の只今(ただいま)の御(ご)教訓(けうくん)は生(う)みの親(おや)の慈悲(じひ)の御(お)言葉(ことば)のやうに感(かん)じまして、302心(こころ)の底(そこ)より有難涙(ありがたなみだ)が溢(あふ)れます。303モウ今日(けふ)限(かぎ)り悪(わる)いことは致(いた)しませぬ』
304常楠(つねくす)『アヽさうかさうか、305よう言(い)うて下(くだ)さつた。306それで私(わし)も安心(あんしん)した。307さうしてお前(まへ)は捨児(すてご)されたと云(い)はつしやつたが、308何(なに)か其(その)時(とき)の印(しるし)は無(な)かつたか』
309虻公(あぶこう)『ハイ私(わたくし)は虻公(あぶこう)と申(まを)して居(を)りますが、310私(わたくし)の肌(はだ)に添(そ)へてあつた守(まも)り刀(がたな)に、311「常(つね)」と云(い)ふ字(じ)が書(か)いてあつたさうで御座(ござ)います。312今(いま)は擦(す)れて字(じ)も見(み)えなくなりましたが、313之(これ)を証拠(しようこ)に生(う)みの親(おや)を探(たづ)ねんと、314斯(こ)んな悪人(あくにん)に似合(にあ)はず、315始終(しじう)肌身(はだみ)に離(はな)さず持(も)つて居(を)ります。316何(ど)うぞして一度(いちど)此(この)世(よ)でお父(とう)さまやお母(かあ)さまに会(あ)ひたいもので御座(ござ)います。317何(なに)しろ生(うま)れ落(お)ちると捨児(すてご)になるやうな不運(ふうん)なもので御座(ござ)いますから、318到底(たうてい)此(この)世(よ)では会(あ)ふことは出来(でき)ますまい』
319と身(み)の果敢(はか)なさを思(おも)ひ浮(う)かべて、320泥棒(どろばう)に似合(にあ)はずワツと許(ばか)り其(その)場(ば)に泣(な)き倒(たふ)れた。
321 常楠(つねくす)は首(くび)を傾(かたむ)けて吐息(といき)を洩(も)らして居(を)る。322暫(しば)らくあつて、
323常楠(つねくす)『其(そ)の守(まも)り刀(がたな)を一寸(ちよつと)見(み)せて下(くだ)さらぬか』
324虻公(あぶこう)『サア、325何(ど)うぞ御覧(ごらん)下(くだ)さいませ』
326と懐(ふところ)より取出(とりいだ)し押戴(おしいただ)いて手渡(てわた)しする。327常楠(つねくす)は手(て)に取上(とりあ)げ、328ためつ、329すかめつ鞘(さや)を払(はら)つてツクヅク眺(なが)め、
330常楠(つねくす)『擬(まが)ふ方(かた)なき我(わが)家(や)の紋所(もんどころ)、331○(まる)に十(じふ)が記(しる)してある。332此(この)刀(かたな)は私(わし)の大切(たいせつ)な、333若(わか)い時(とき)からの守刀(まもりがたな)であつた。334斯(こ)うなれば女房(にようばう)の前(まへ)で白状(はくじやう)するが、335実(じつ)の所(ところ)は女房(にようばう)の目(め)を忍(しの)び、336下女(げぢよ)のお竜(たつ)に子(こ)を妊娠(はらま)せ、337已(や)むを得(え)ず自分(じぶん)の知(し)り合(あひ)にお竜(たつ)を預(あづか)つて貰(もら)ひ、338生(う)み落(おと)したのが男(をとこ)の子(こ)、339女房(にようばう)の悋気(りんき)を恐(おそ)れて我(わ)が家(や)へ連(つ)れ帰(かへ)る訳(わけ)にも行(ゆ)かず、340何処(どこ)の誰人(たれ)かの情(なさけ)で育(そだ)つであらうと、341後(のち)の印(しるし)に此(こ)の守(まも)り刀(がたな)を付(つ)け、342「常(つね)」と云(い)ふ印(しるし)をして置(お)きました。343アヽそれならお前(まへ)は私(わし)の子(こ)であつたか。344悪(わる)いことは出来(でき)ぬものだ。345お前(まへ)が此(この)様(やう)な悪人(あくにん)になつたのも、346みんな私(わし)が天則(てんそく)に背(そむ)いたからだ。347コレ伜(せがれ)、348赦(ゆる)して呉(く)れ。349何事(なにごと)もみんな私(わし)が悪(わる)いのだから……』
350 此(この)物語(ものがたり)に一同(いちどう)ハツと呆(あき)れて、351常楠(つねくす)と虻公(あぶこう)の顔(かほ)を見較(みくら)べるのみであつた。352虻公(あぶこう)は常楠(つねくす)に縋(すが)りつき、
353虻公(あぶこう)『アヽ貴方(あなた)は父上(ちちうへ)様(さま)で御座(ござ)いましたか。354存(ぞん)ぜぬこととて御(ご)無礼(ぶれい)を致(いた)し、355可愛(かあい)い妹(いもうと)まで彼(あ)んな目(め)に会(あ)はして、356誠(まこと)に申訳(まをしわけ)が御座(ござ)いませぬ。357何(ど)うぞ重々(ぢうぢう)の罪(つみ)は御(お)赦(ゆる)し下(くだ)さいませ』
358駒彦(こまひこ)『そんなら私(わし)の兄弟(きやうだい)であつたか。359これと云(い)ふのも全(まつた)く神(かみ)様(さま)の御(お)引合(ひきあは)せだ。360有(あ)り難(がた)し、361辱(かたじけ)なし』
362と両手(りやうて)を合(あは)せ、363感謝(かんしや)の涙(なみだ)に沈(しづ)む。
364 お久(ひさ)は又(また)もや腕(うで)を組(く)み思案(しあん)に暮(く)れてゐる。365此(この)態(てい)を見(み)て常楠(つねくす)は、
366常楠(つねくす)『コレ女房(にようばう)、367怺(こら)へて呉(く)れ。368お前(まへ)は今(いま)の話(はなし)を聞(き)いて大変(たいへん)気嫌(きげん)を悪(わる)うしたやうだが、369これも私(わし)の罪(つみ)だ。370あつて過(す)ぎたことは何(なん)と云(い)つても仕方(しかた)が無(な)い。371これ此(この)通(とほ)りだ、372赦(ゆる)してお呉(く)れ』
373と両手(りやうて)を合(あは)せ、374お久(ひさ)の前(まへ)に頭(あたま)を下(さ)げ謝(あやま)らんとするを、375お久(ひさ)は押止(おしとど)め、
376お久(ひさ)『コレコレ親父(おやぢ)さま、377勿体(もつたい)ない、378何(なに)を言(い)はつしやるのだ。379妾(わたし)こそ貴方(あなた)にお詫(わび)をせねばならぬことが御座(ござ)います。380妾(わたし)が白状(はくじやう)すれば嘸(さぞ)貴方(あなた)は愛想(あいさう)を御(お)尽(つ)かしなさるでせうが、381妾(わたし)も罪亡(つみほろ)ぼしに此処(ここ)で懺悔(ざんげ)を致(いた)します。382人(ひと)さまの前(まへ)又(また)夫(をつと)や吾(わ)が子(こ)の前(まへ)で、383年(とし)が寄(よ)つて昔(むかし)の恥(はぢ)は言(い)ひたくはなけれど、384天道(てんだう)は正直(しやうぢき)、385何時(いつ)まで隠(かく)して居(を)つても罪(つみ)は亡(ほろ)びませぬから、386一応(いちおう)聞(き)いて下(くだ)さい』
387と涙(なみだ)ぐみつつ夫(をつと)の顔(かほ)を打看守(うちみまも)る。
388常楠(つねくす)『なアに夫婦(ふうふ)の仲(なか)に遠慮(ゑんりよ)は要(い)るものか。389何(なん)でも構(かま)はぬ、390皆(みな)云(い)つて呉(く)れ。391其(その)方(はう)が互(たがひ)に心(こころ)が解(と)け合(あ)つて、392何程(なにほど)愉快(ゆくわい)だか分(わか)つたものぢやない』
393お久(ひさ)『妾(わたし)は今迄(いままで)隠(かく)して居(を)りましたが、394貴方(あなた)の家(うち)へ嫁(とつ)ぐ前(まへ)に若気(わかげ)のいたづらから、395親(おや)の許(ゆる)さぬ男(をとこ)を持(も)ち一人(ひとり)の子(こ)を生(う)み落(おと)し、396爺(ぢい)さまのやうに熊野(くまの)の森(もり)へ捨児(すてご)を致(いた)しました。397それもクリクリとした立派(りつぱ)な可愛(かあい)い男(をとこ)の子(こ)であつた。398お爺(ぢい)さまの捨児(すてご)に会(あ)はれたのを見(み)るにつけ、399私(わたし)の捨(す)てた彼(あ)の児(こ)は如何(どう)なつたであらうと思(おも)へば、400立(た)つても居(ゐ)ても居(ゐ)られなくなりました。401……アヽ捨(す)てた児(こ)よ、402無残(むざん)な母(はは)と恨(うら)めて下(くだ)さるな。403事情(じじやう)があつてお前(まへ)を捨(す)てたのだから……』
404と又(また)もや泣(な)き倒(たふ)れる。405蜂公(はちこう)は怪訝(けげん)な顔(かほ)をして、
406蜂公(はちこう)『ヤア今(いま)承(うけたま)はれば、407お婆(ば)アさまは熊野(くまの)の森(もり)に捨児(すてご)をなさつたと云(い)ふことだ。408それは何年前(なんねんまへ)で御座(ござ)いますか』
409 婆(ばば)は涙(なみだ)を拭(ぬぐ)ひ乍(なが)ら、
410お久(ひさ)『ハイもう彼是(かれこれ)四十(しじふ)年(ねん)にもなるだらう。411今(いま)居(を)れば恰度(ちやうど)お前(まへ)さま位(ぐらゐ)に立派(りつぱ)な男(をとこ)になつて居(を)る筈(はず)ぢや。412アヽ妾(わし)も其(その)子(こ)が此(この)世(よ)に生(い)きて居(を)るのなら、413此(この)世(よ)の名残(なご)りに一度(いちど)見(み)て死(し)にたいものだ。414そればかりが冥途(よみぢ)の迷(まよ)ひだ。415若(わか)い時(とき)は気(き)が強(つよ)くて何(なん)とも思(おも)はなかつたが、416年(とし)が寄(よ)ると捨児(すてご)の事(こと)を心(こころ)に思(おも)はぬ間(ま)はありませぬ。417さうしてお前(まへ)さま、418其(そ)の捨児(すてご)の事(こと)に就(つい)て御(お)聞(き)き及(およ)びの事(こと)はありませぬか』
419蜂公(はちこう)『ハイ別(べつ)に何(なん)とも聞(き)いては居(を)りませぬが、420私(わたくし)は熊野(くまの)の森(もり)に捨(す)てられて居(を)つたのを、421或(ある)山賊(さんぞく)の親分(おやぶん)が見(み)つけて、422私(わたくし)を大台(おほだい)ケ原(はら)の山砦(さんさい)に伴(つ)れ帰(かへ)り、423立派(りつぱ)に成人(せいじん)させて呉(く)れました。424私(わたくし)が十八(じふはつ)才(さい)になつた時(とき)、425三五教(あななひけう)の宣伝使(せんでんし)がやつて来(き)て、426岩窟(いはや)退治(たいぢ)を致(いた)した時(とき)に生命(いのち)からがら其処(そこ)を脱(ぬ)け出(だ)し、427それから諸方(しよはう)に彷徨(さまよ)ひ、428女房(にようばう)を持(も)ち相変(あひかは)らず泥棒(どろばう)をやつて居(を)りました。429最前(さいぜん)から貴方(あなた)の御(お)話(はなし)を聞(き)くにつけ、430何(なん)だか貴方(あなた)が母上(ははうへ)のやうに思(おも)はれてなりませぬ』
431 お久(ひさ)は、
432お久(ひさ)『其(その)時(とき)に何(なに)か印(しるし)は無(な)かつたかな』
433蜂公(はちこう)『ハイ、434私(わたくし)は水児(みづご)の時(とき)に捨(す)てられたので何(なに)も存(ぞん)じませぬが、435他(ひと)の話(はなし)を聞(き)けば守(まも)り刀(がたな)が付(つ)いて居(を)つたさうです。436併(しか)し其(その)守(まも)り刀(がたな)も大台(おほだい)ケ原(はら)の岩窟(がんくつ)の騒動(さうだう)の時(とき)に取(と)り落(おと)しました。437それには蜂(はち)の印(しるし)が入(はい)つて居(を)つたさうで、438私(わたくし)を蜂々(はちはち)と呼(よ)ぶやうになつたと聞(き)いて居(を)ります』
439 お久(ひさ)は飛(と)びつく許(ばか)りに驚(おどろ)いて、
440お久(ひさ)『アヽそれ聞(き)けばてつきり我(わ)が子(こ)に間違(まちが)ひありませぬ。441何(なん)とした嬉(うれ)しい事(こと)が一度(いちど)に出(で)て来(き)たものだらう。442コレコレ親父(おやぢ)どの、443此(この)子(こ)は貴方(あなた)に嫁(とつ)ぐ迄(まで)の子(こ)でありますから、444何(ど)うぞ赦(ゆる)して下(くだ)さい。445今迄(いままで)包(つつ)んで居(を)つた罪(つみ)も何(ど)うぞ今日(けふ)限(かぎ)り赦(ゆる)すと仰有(おつしや)つて下(くだ)さい。446御(お)願(ねが)ひで御座(ござ)ります』
447と夫(をつと)に向(むか)つて手(て)を合(あは)し頼(たの)み入(い)る。
448常楠(つねくす)『そんなことは相身互(あひみたがひ)だ。449罪人(つみびと)同志(どうし)の寄合(よりあ)ひだから、450モウこれ限(かぎ)り今迄(いままで)の事(こと)は川(かは)へ流(なが)し、451改(あらた)めて二人(ふたり)の子(こ)が分(わか)つた喜(よろこ)びの御(お)礼(れい)を此処(ここ)で神(かみ)様(さま)に奏上(そうじやう)し、452明日(あす)は早(はや)く此処(ここ)を立去(たちさ)つて熊野(くまの)へ御(お)礼(れい)に参(まゐ)りませう』
453 一同(いちどう)は涙(なみだ)混(まじ)りに秋彦(あきひこ)の導師(だうし)の許(もと)に、454感謝(かんしや)祈願(きぐわん)を覚束(おぼつか)無(な)げに奏上(そうじやう)し了(をは)つた。455東(ひがし)の空(そら)は茜(あかね)さし、456金色(こんじき)の燦然(さんぜん)たる太陽(たいやう)は、457晃々(くわうくわう)と海(うみ)の彼方(あなた)より昇(のぼ)らせ給(たま)ふ。
458(大正一一・六・一一 旧五・一六 外山豊二録)
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