霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
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第一章 高姫(たかひめ)館(やかた)〔七八三〕

インフォメーション
著者:出口王仁三郎 巻:霊界物語 第27巻 海洋万里 寅の巻 篇:第1篇 聖地の秋 よみ(新仮名遣い):せいちのあき
章:第1章 高姫館 よみ(新仮名遣い):たかひめやかた 通し章番号:783
口述日:1922(大正11)年07月22日(旧閏05月28日) 口述場所: 筆録者:松村真澄 校正日: 校正場所: 初版発行日:1923(大正12)年6月20日
概要: 舞台: あらすじ[?]このあらすじはMさん作成です(一部加筆訂正してあります)。一覧表が「王仁DB」にあります。[×閉じる]:
桶伏山の東麓に建つ高姫館に、高山彦・黒姫夫婦がやってきた。門番の勝公・安公は丁寧に出迎えて、奥へと迎え入れた。
高姫は奥の間へ現れ、火鉢の前に座ると四角張って、二人が夫婦連れでやってきたことに嫌味を言った。黒姫は高山彦のたもとを引っ張って、早く帰れと促した。高山彦は、高姫の嫌味に賛同を表し、黒姫と口げんかをしている。
黒姫は、このようなことをしに来たのではない、と言って来意を告げた。国依別が高姫に進上するようにと、魚だと称して川石をどっさり持って来たので、高姫に処置を伺いに来たのであった。
高姫、黒姫は、これはてっきり国依別が意趣返しだと合点した。高姫は、国依別本人に問いただすのだと言い出し、安公に国依別を呼んで来るように言いつけた。
安公が国依別を呼びに行くと、秋彦も着いて来た。二人は滑稽を演じながらやってきて、安公を巻き込んで高姫館の門口で三文芝居をしている。
高姫は声を聞きつけて門口に出てきた。国依別は芝居の姿のまま、高姫の問いかけに俳句で答えている。そのまま国依別、秋彦は奥の間に入った。
高姫が、石の魚を寄越した意図を問いただしたが、国依別は相変わらずずっと俳句で答えて、高姫、黒姫を罵倒してなぶっている。黒姫は、高山彦に悔しくないのかとけしかけて、反撃するように促した。
高山彦は自分を滑稽に歌った歌を返してしまう。黒姫は怒って国依別の過去をあげつらった歌を歌って返した。それを聞いた国依別は大笑いして、黒姫の歌を褒め称える滑稽歌を返した。
さすがの高姫もあきれてしまう。再度の高姫の問いかけに、国依別は、石より固い高姫の心に敬意を表したのであり、食ってくれとは一言も言っていないと洒落の意を明かした。高姫も、あきれが過ぎて感心してしまう。
そこへ夏彦と常彦が、高姫のご機嫌伺いにやってきた。二人は案に相違して国依別、秋彦がその場に居たのでどぎまぎしている。国依別と秋彦は、密談の邪魔になるだろうから、と言って高姫館を去って行った。
帰り道、国依別は高姫もずいぶん辛抱強くなったと感心している。二人は滑稽口をたたきながら、国依別の庵まで戻ってきた。
主な登場人物[?]【セ】はセリフが有る人物、【場】はセリフは無いがその場に居る人物、【名】は名前だけ出て来る人物です。[×閉じる]: 備考: タグ:末で一つになる仕組(秋彦のセリフ「末になりたら~」) データ凡例: データ最終更新日:2024-06-03 23:27:38 文字数:12082 OBC :rm2701
愛善世界社版:9頁 八幡書店版:第5輯 245頁 修補版: 校定版:9頁 普及版:3頁 初版: ページ備考:
001五六七(みろく)の神世(かみよ)の経綸地(けいりんち)
002青垣山(あをがきやま)を繞(めぐ)らせる
003霊山(れいざん)会場(ゑぢやう)の蓮華台(れんげだい)
004桶伏山(をけぶせやま)の東麓(とうろく)に
005旭(あさひ)を受(う)けて小雲川(こくもがは)
006清(きよ)き流(なが)れを瞰下(かんか)する
007風景(ふうけい)絶佳(ぜつか)の岩(いは)が根(ね)に
008丸木柱(まるきばしら)に笹(ささ)の屋根(やね)
009厚(あつ)く葺(ふ)いたる神館(かむやかた)
010静(しづ)かに建(た)てる冠木門(かぶきもん)
011天然石(てんねんいし)を敷(し)き並(なら)べ
012梅(うめ)と松(まつ)との庭園(ていゑん)を
013可(か)なりに広(ひろ)く繞(めぐ)らして
014建(た)てる館(やかた)は四間造(よまづく)り
015奥(おく)の離(はな)れの一棟(ひとむね)は
016高姫(たかひめ)さまが書斎(しよさい)の間(ま)
017萩(はぎ)の小柴(こしば)を編(あ)み立(た)てて
018造(つく)り上(あ)げたる文机(ふみづくゑ)
019天然石(てんねんいし)の硯(すずり)をば
020お鍋(なべ)が味噌(みそ)を摺(す)る様(やう)に
021焼木杭(やけぼくくひ)をクリクリと
022連木(れんぎ)の様(やう)に摺(す)り減(へ)らし
023竹(たけ)の篦(へら)にて造(つく)りたる
024筆(ふで)に墨(すみ)をば染(そ)ませつつ
025青(あを)く乾(かわ)きし芭蕉葉(ばせうば)に
026何(なに)か知(し)らねどスラスラと
027書(か)き記(しる)し居(を)る時(とき)もあれ
028門(もん)を開(ひら)いて入(い)り来(きた)る
029高山彦(たかやまひこ)や黒姫(くろひめ)の
030姿(すがた)眺(なが)めて下男(しもをとこ)
031勝公(かつこう)安公(やすこう)両人(りやうにん)は
032竜宮(りうぐう)様(さま)の御(ご)入来(じゆらい)と
033いと丁寧(ていねい)に腰(こし)屈(かが)め
034敬意(けいい)を表(へう)せば黒姫(くろひめ)は
035高姫(たかひめ)様(さま)は在宅(ざいたく)か
036高山彦(たかやまひこ)の夫婦(ふうふ)連(づ)れ
037参(まゐ)りましたと奥(おく)の間(ま)へ
038伝(つた)へてお呉(く)れと促(うなが)せば
039ハイハイと答(こた)へて勝公(かつこう)は
040コレコレ安公(やすこう)門(もん)の番(ばん)
041しつかり頼(たの)むと言(い)ひ捨(す)てて
042いそいそ奥(おく)へ駆(か)けて行(ゆ)く
043暫(しばら)くありて勝公(かつこう)は
044二人(ふたり)の前(まへ)に腰(こし)屈(かが)め
045高姫(たかひめ)さまの仰(あふ)せには
046待兼山(まちかねやま)の時鳥(ほととぎす)
047お二人(ふたり)共(とも)に奥(おく)の間(ま)へ
048早(はや)くお進(すす)み下(くだ)さんせ
049以(もつ)ての外(ほか)の御(ご)機嫌(きげん)と
050話(はな)せば黒姫(くろひめ)羽撃(はばた)きし
051高山彦(たかやまひこ)も教服(けうふく)の
052塵(ちり)打払(うちはら)ひ悠々(いういう)と
053細(ほそ)き廊下(らうか)を伝(つた)ひつつ
054奥(おく)の間(ま)さして忍(しの)び入(い)る
055 高姫(たかひめ)は別棟(べつむね)の書斎(しよさい)から廊下(らうか)伝(づた)ひに袴(はかま)も着(つ)けず、056板縁(いたえん)をめきめき云(い)はせ乍(なが)ら、057稍(やや)空向(そらむ)き気味(ぎみ)になつて奥(おく)の間(ま)に現(あら)はれ、058木(き)の株(かぶ)を切抜(きりぬ)いた火鉢(ひばち)を前(まへ)に据(す)ゑ、059煎餅(せんべい)の様(やう)な薄(うす)い座蒲団(ざぶとん)の上(うへ)に四角張(しかくば)つて、
060高姫(たかひめ)『コレハコレハ高山彦(たかやまひこ)さまに黒姫(くろひめ)さま、061お仲(なか)の良(よ)いこと。062独身者(どくしんもの)の高姫(たかひめ)の前(まへ)にそんなお目出度(めでた)いとこを展開(てんかい)して貰(もら)ひますと、063堪(たま)りませぬワ。064オホヽヽヽ、065まあまあ御(ご)遠慮(ゑんりよ)は要(い)りませぬ。066ズツと奥(おく)へ御(お)通(とほ)り下(くだ)さい。067………さう遠慮(ゑんりよ)をして貰(もら)うと、068肝心要(かんじんかなめ)の話(はなし)も見(み)えず、069お顔(かほ)も聞(きこ)えず、070大変(たいへん)に都合(つがふ)がよくありませぬワ』
071と態(わざ)とに顔(かほ)が聞(きこ)えぬの、072話(はなし)が見(み)えぬのと、073脱線振(だつせんぶり)を発揮(はつき)して、074高山彦(たかやまひこ)夫婦(ふうふ)に対(たい)し大日(おほひ)の照(て)るのに、075昼日中(ひるひなか)気楽(きらく)相(さう)に夫婦(ふうふ)連(づ)れでやつて来(き)たのは、076チツト脱線(だつせん)ぢやないかとの意味(いみ)を仄(ほのめ)かして居(ゐ)る。
077 黒姫(くろひめ)の顔(かほ)はサツと変(かは)り、078高山彦(たかやまひこ)の袂(たもと)をチヨイチヨイと引張(ひつぱ)り、079早(はや)く気(き)を利(き)かして貴方(あなた)はお帰(かへ)りと云(い)ふ意味(いみ)を私(ひそ)かに示(しめ)した。
080高山彦(たかやまひこ)『コレ黒姫(くろひめ)、081お前(まへ)は何時(いつ)も人(ひと)の袂(たもと)をチヨイチヨイ引張(ひつぱ)るが、082唖(おし)でもあるまいに、083何故(なぜ)明瞭(はつきり)と言(い)はないのだ。084わしはそんな、085狐鼠(こそ)々々(こそ)と手真似(てまね)や仕方(しかた)で以心(いしん)伝心(でんしん)の使分(つかひわ)けは嫌(きら)ひだからなア』
086黒姫(くろひめ)『エー気(き)の利(き)かぬ……瓢六爺(へうろくおやぢ)だなア。087高姫(たかひめ)さまが最前(さいぜん)の御(お)言葉(ことば)、088貴方(あなた)は何(なん)と聞(き)きましたか。089竹生島(ちくぶしま)でも仰有(おつしや)つた通(とほ)り、090夫婦(ふうふ)ありては御用(ごよう)の出来(でき)ぬ御(お)道(みち)だのに、091高山(たかやま)さまを貰(もら)うてから、092私(わたし)の間(ま)が抜(ぬ)けたとキツパリ仰有(おつしや)りましたでせう』
093高山彦(たかやまひこ)『オホヽヽヽ、094いやもう恐(おそ)れ入(い)りました。095此(この)高山彦(たかやまひこ)も高姫(たかひめ)様(さま)の御(ご)精神(せいしん)に、096大賛成(だいさんせい)です』
097 黒姫(くろひめ)目(め)に角(かど)を立(た)て、098少(すこ)しく口角(こうかく)より泡(あわ)を滲(にじ)ませ乍(なが)ら、
099黒姫(くろひめ)『それ程(ほど)何々(なになに)さまがお気(き)に入(い)りますれば、100どうぞ御(お)好(す)きな様(やう)になさいませ。101何(なん)と云(い)つても何時(いつ)も貴方(あなた)の仰有(おつしや)る通(とほ)り、102色(いろ)の黒(くろ)い烏(からす)の嫁(よめ)に、103首(くび)や手足(てあし)の長(なが)い鶴(つる)の婿(むこ)さまは釣合(つりあ)ひませぬ。104ヘン……此(この)頃(ごろ)の空(そら)と男(をとこ)の心(こころ)、105折角(せつかく)御(お)邪魔(じやま)を致(いた)しましたが、106私(わたし)は是(これ)で御免(ごめん)を蒙(かうむ)ります。107高山彦(たかやまひこ)に鷹鳥姫(たかとりひめ)様(さま)、108高(たか)と鷹(たか)との情意(じやうい)投合(とうがふ)、109私(わたし)も是(これ)にて断念(だんねん)致(いた)します。110こんな厄介(やくかい)な爺(おやぢ)を誰(たれ)が好(す)き好(この)んでハズバンドにしたい者(もの)が御座(ござ)いませうか。111高姫(たかひめ)さまの御(ご)紹介(せうかい)だと思(おも)つてお道(みち)の為(ため)、112国家(こくか)の為(ため)に今迄(いままで)辛抱(しんばう)して参(まゐ)りました。113男鰥(をとこやもめ)に蛆(うじ)が湧(わ)く、114女鰥夫(をんなやもを)に花(はな)が咲(さ)く、115ヘン…済(す)まないが私(わたし)だつて……ヘーン』
116高山彦(たかやまひこ)『大変(たいへん)な所(とこ)へ鋒鋩(ほうばう)を向(む)けるのだなア。117ここを何(なん)と心得(こころえ)てる』
118黒姫(くろひめ)『ヘン、119仰有(おつしや)いますな、120そんな事(こと)の分(わか)らぬ様(やう)な黒姫(くろひめ)ですかいな。121擬(まが)ふ方(かた)なき高姫(たかひめ)さまの御(お)館(やかた)、122桶伏山(をけふせやま)の朝日(あさひ)の直刺(たださ)す景勝(けいしよう)の地(ち)、123小雲川(こくもがは)の畔(ほとり)で御座(ござ)んすぞえ』
124高姫(たかひめ)『オホヽヽヽ、125随分(ずゐぶん)御(お)気楽(きらく)なことですな。126私(わたし)等(ら)は春(はる)の花(はな)も仲秋(ちうしう)の月(つき)も、127楽(たの)しむ暇(いとま)は無(な)く、128何(なん)だか神(かみ)様(さま)の為(ため)にかうヂツとして居(ゐ)ても、129気(き)が焦々(いらいら)し、130忙(せは)しくつてなりませぬワ。131小心者(せうしんもの)の高姫(たかひめ)に比(くら)べては、132余裕(よゆう)綽々(しやくしやく)たる御(ご)夫婦仲(ふうふなか)、133実(じつ)にお羨(うらや)ましう御座(ござ)います。134ホツホヽヽ』
135黒姫(くろひめ)『今日(けふ)は左様(さやう)な貴女(あなた)の嘲罵(てうば)的(てき)御(お)話(はなし)を聞(き)きに参(まゐ)つたのぢや御座(ござ)いませぬ。136国依別(くによりわけ)が高姫(たかひめ)さまに進上(しんじやう)して呉(く)れと云(い)つて、137妙(めう)な物(もの)を持(も)つて来(き)ました。138開(あ)けて見(み)れば大変(たいへん)な立派(りつぱ)な重(ぢう)の内(うち)、139上(うへ)に一(ひと)つの短冊(たんざく)が載(の)つてゐる。140其(その)文面(ぶんめん)には………鮒(ふな)もろこ、141鯰(なまづ)からかぎ鯉(こひ)に鱒(ます)、142酒(さけ)の肴(さかな)に鰌(どぢやう)ニヨロニヨロ、143ふんぞくらいに砂(すな)くぐり、144石食(いしく)ひ魚(うを)に釜掴(かまつか)み、145直(すぐ)におあがり下(くだ)さらねば、146直(ただち)に石(いし)に変化(へんくわ)する虞(おそれ)あり………と書(か)いてありました。147こら妙(めう)だと開(あ)けて見(み)れば、148不思議(ふしぎ)も不思議(ふしぎ)、149上(うへ)の重(ぢう)も中(なか)の重(ぢう)も下(した)の重(ぢう)も残(のこ)らず石(いし)ばつかり、150何程(なにほど)国依別(くによりわけ)が悪戯(いたづら)好(ず)きだと云(い)つても、151まさか石(いし)を初(はじめ)から持(も)つては来(き)ますまい。152貴女(あなた)に怒(おこ)られると大変(たいへん)だと思(おも)ひ、153一寸(ちよつと)私(わたし)の宅(たく)に其(その)儘(まま)預(あづか)つておきました。154どう致(いた)しませうかな』
155 高姫(たかひめ)俄(にはか)に面(つら)を膨(ふく)らし、
156高姫(たかひめ)『黒姫(くろひめ)サン』
157と言葉尻(ことばじり)をピンと撥(は)ね、
158高姫(たかひめ)『お前(まへ)さまは余程(よつぽど)良(よ)い馬鹿(ばか)ですね』
159黒姫(くろひめ)『ヘー……』
160高山彦(たかやまひこ)『何分(なにぶん)にも竜宮(りうぐう)の乙姫(おとひめ)様(さま)が一(ひと)つ島(じま)とやらへ、161御(ご)旅行(りよかう)遊(あそ)ばした不在宅(るすたく)のガラン洞(どう)ですからなア、162アハヽヽヽ』
163黒姫(くろひめ)『情意(じやうい)投合(とうがふ)のお二人(ふたり)様(さま)、164どうなつと仰有(おつしや)りませ。165あなたは何時(いつ)もサカナ理屈(りくつ)を言(い)うておイシが悪(わる)いから、166意趣(いしゆ)返(がへ)しに団子(だんご)理屈(りくつ)………オツトドツコイ団子石(だんごいし)を国依別(くによりわけ)が態(わざ)と持(も)つて来(き)たのでせう。167そんな事(こと)の気(き)の付(つ)かぬ様(やう)な黒姫(くろひめ)ぢや御座(ござ)りませぬ。168金剛(こんがう)不壊(ふえ)の宝珠(ほつしゆ)でさへも御(お)呑(の)み遊(あそ)ばす高姫(たかひめ)さまだから、169今度(こんど)はお生憎(あひにく)様(さま)、170堅(かた)い玉(たま)がないから、171これなつと御(お)あがり遊(あそ)ばして、172腹(はら)の虫(むし)を御(お)癒(い)やしなされと云(い)ふ、173国依別(くによりわけ)の皮肉(ひにく)な謎(なぞ)ですよ』
174高姫(たかひめ)『兎(と)も角(かく)国依別(くによりわけ)を招(よ)んで来(き)ませうか。175本人(ほんにん)に直接(ちよくせつ)承(うけたま)はれば一番(いちばん)近道(ちかみち)だから………コレコレ安公(やすこう)さま、176お前(まへ)ちよつと御(ご)苦労(くらう)だが、177杢助館(もくすけやかた)の隣(となり)の豚小屋(ぶたごや)の様(やう)な小(ちひ)さい家(うち)に、178国依別(くによりわけ)が今頃(いまごろ)は昼寝(ひるね)の夢(ゆめ)でも見(み)て居(ゐ)るに違(ちが)ひないから、179高姫(たかひめ)さまが此(この)間(あひだ)の御(お)礼(れい)に御(ご)馳走(ちそう)をあげたい。180就(つ)いては折入(をりい)つて御(お)頼(たの)みしたい事(こと)があるから、181最大(さいだい)急行(きふかう)で御(お)出(い)で下(くだ)さいと、182呼(よ)んで来(く)るのだよ』
183安公(やすこう)『ハイ、184さう御(ご)註文(ちうもん)通(どほ)り、185国依別(くによりわけ)さまが来(き)て呉(く)れませうかな』
186高姫(たかひめ)『来(こ)いでかい。187もし来(こ)なかつたら……系統(ひつぽう)の生宮(いきみや)の命令(めいれい)を何故(なぜ)聞(き)かないか、188日(ひ)の出神(でのかみ)を何(なん)と心得(こころえ)て御座(ござ)る……と一本(いつぽん)、189槍(やり)を突(つ)つ込(こ)んでおくのだ。190さうすると国依別(くによりわけ)は取(と)るものも取(と)り敢(あへ)ず、191スタスタとやつて来(く)るよ。192サア早(はや)く往(い)つてお呉(く)れ』
193安公(やすこう)『アイ』
194と一声(ひとこゑ)後(あと)に残(のこ)し、195国依別(くによりわけ)の矮屋(わいをく)の前(まへ)に走(はし)り着(つ)いた。
196安公(やすこう)『もしもし、197国(くに)の大将(たいしやう)さま、198大変(たいへん)だ。199高姫(たかひめ)さまの御(お)居間(ゐま)で高山彦(たかやまひこ)と黒姫(くろひめ)が夫婦(ふうふ)喧嘩(げんくわ)をおつ始(ぱじ)め、200組(く)んず組(く)まれつ、201乱痴気(らんちき)騒(さわ)ぎ、202イヤもう大変(たいへん)な事(こと)ですよ。203それに就(つい)て、204国依別(くによりわけ)が愚図(ぐづ)々々(ぐづ)吐(ぬか)すと、205日(ひ)の出神(でのかみ)の生宮(いきみや)だ、206系統(ひつぽう)の身魂(みたま)を何(なん)と心得(こころえ)てる……と云(い)うて剣突(けんつく)を……ドツコイ違(ちが)うた。207槍(やり)を一本(いつぽん)突(つ)つ込(こ)んで帰(かへ)れと仰有(おつしや)つた。208もう邪魔臭(じやまくさ)いから何(なに)も彼(か)も一緒(いつしよ)に申(まを)し上(あ)げますワ』
209国依別(くによりわけ)『アハヽヽヽ、210夫婦(ふうふ)喧嘩(げんくわ)ぢやあるまい、211石(いし)の問題(もんだい)だらう、212此(この)頃(ごろ)は陽気(やうき)が悪(わる)いで、213早(はや)く料理(れうり)するか、214煮(に)しめん事(こと)にや、215石(いし)に変化(へんくわ)して了(しま)ふさうだ。216山(やま)の芋(いも)が鰻(うなぎ)になつたり、217鮒(ふな)が化石(くわせき)したり、218青雲山(せいうんざん)ぢやないが、219木(き)の枝(えだ)に魚(さかな)が実(な)つたり、220川(かは)の瀬(せ)に兎(うさぎ)が泳(およ)いだりする例(ため)しもあるからなア』
221安公(やすこう)『国(くに)さま、222最大(さいだい)急行(きふかう)だよ。223早(はや)う来(き)て貰(もら)はないと、224高姫館(たかひめやかた)は地震(ぢしん)雷(かみなり)火(ひ)の車(くるま)、225地異(ちい)天変(てんぺん)のガラガラ、226ドタンバタンの幕(まく)が下(お)りる。227急行(きふかう)々々(きふかう)』
228と国依別(くによりわけ)の手(て)を取(と)りて無理(むり)に表(おもて)へ引摺(ひきず)り出(だ)す。
229国依別(くによりわけ)『オイ安公(やすこう)、230手(て)を放(はな)せ。231コレから往(い)つてやらう』
232と先(さき)に立(た)ち高姫(たかひめ)の館(やかた)に行(ゆ)かんとする時(とき)、233秋彦(あきひこ)は後(あと)より走(はし)り寄(よ)つて、
234秋彦(あきひこ)『国依別(くによりわけ)さま、235どこへ御(お)出(い)で遊(あそ)ばす、236高姫館(たかひめやかた)ぢやありませぬか』
237国依別(くによりわけ)『オウさうだ。238これから一談判(ひとだんぱん)始(はじ)まる所(ところ)だ。239お前(まへ)も来(こ)ぬか、240随分(ずゐぶん)面白(おもしろ)いぞ』
241秋彦(あきひこ)『有難(ありがた)う、242サア参(まゐ)りませう。243……オイ安公(やすこう)、244しつかり案内(あんない)せいよ。245何分(なにぶん)天地(てんち)暗澹(あんたん)、246黒姫(くろひめ)の世(よ)の中(なか)ですから、247道路(だうろ)の石(いし)の高姫(たかひめ)に躓(つまづ)いて、248鼻(はな)の高山彦(たかやまひこ)を台無(だいな)しにしちや堪(たま)らないからなア、249アツハヽヽヽ』
250と嘲笑(あざわら)ひ乍(なが)ら、251スタスタと高姫(たかひめ)の門前(もんぜん)迄(まで)立向(たちむか)うた。252秋彦(あきひこ)は形(かたち)計(ばか)りの門(もん)を開(ひら)いて先(さき)へ飛(と)び込(こ)み、253少(すこ)しく腰(こし)を曲(ま)げ、254右(みぎ)の手指(てゆび)を固(かた)めて細(ほそ)くし乍(なが)ら、
255秋彦(あきひこ)『コレハコレハ国依別(くによりわけ)の宣伝使(せんでんし)様(さま)、256妾(わらは)が如(ごと)き見窄(みすぼ)らしき茅屋(あばらや)へよくこそ御(ご)入来(じゆらい)下(くだ)さいました。257日(ひ)の出神(でのかみ)の生宮(いきみや)、258心(こころ)の底(そこ)より光栄(くわうえい)に存(ぞん)じます。259又(また)先達(せんだつ)ては黒姫(くろひめ)様(さま)の御(お)手(て)を通(とほ)し、260結構(けつこう)な結構(けつこう)な堅(かた)いお魚(さかな)を沢山(たくさん)に頂戴(ちやうだい)致(いた)しまして有難(ありがた)う厶(ござ)います。261何(なに)か御(ご)返礼(へんれい)をしたいと思(おも)ひましても、262御存(ごぞん)じの通(とほ)り貧家(ひんか)に暮(くら)す高姫(たかひめ)、263御(お)礼(れい)の仕様(しやう)も厶(ござ)いませぬ。264併(しか)し乍(なが)ら折釘(をれくぎ)のかます子(ご)に、265最後屁(さいごべ)のかます、266手製(てせい)の左巻(ひだりま)き、267かいちう虫(むし)の饂飩(うどん)、268雪隠虫(せつちんむし)の汁(しる)の子(こ)、269青菜(あをな)に塩(しほ)の蛭(ひる)の素麺(そうめん)、270蛇(へび)の蒲焼(かばやき)、271蛙(かはづ)の吸物(すひもの)、272なめくじの胡瓜(きうり)揉(も)み、273どうぞ御(ご)遠慮(ゑんりよ)なく、274サア奥(おく)へチヤツと行(い)つて腹一杯(はらいつぱい)おあがり下(くだ)さいませ。275ホツホヽヽヽ、276あのマア国依別(くによりわけ)さまの御(ご)迷惑(めいわく)相(さう)な御(お)顔付(かほつき)…』
277国依別(くによりわけ)『コレコレ鹿(しか)さま……ではない……お鹿(しか)さま。278いい加減(かげん)に戯談(ぜうだん)仰有(おつしや)いませ』
279秋彦(あきひこ)『お鹿(しか)さまが申(まを)すのでは厶(ござ)いませぬ。280高姫(たかひめ)さまの副(ふく)守護神(しゆごじん)が此(この)門(もん)を入(はい)るや否(いな)や神憑(かむがか)り[※初版・校定版では「神憑り」、愛世版では「神懸り」。]されまして、281斯様(かやう)な事(こと)を仰有(おつしや)ります。282決(けつ)して秋彦(あきひこ)のお鹿(しか)が言(い)うたとは思(おも)つて下(くだ)さいますな、283オホヽヽヽ』
284と出歯(でば)の口(くち)を無理(むり)にオチヨボ口(ぐち)にしようと努(つと)むる可笑(をか)しさ。
285国依別(くによりわけ)『左様(さやう)ならば、286遠慮(ゑんりよ)なしに罷(まか)り通(とほ)るツ。287出歯鹿(でばしか)殿(どの)、288案内(あんない)召(め)され』
289安公(やすこう)『アハヽヽヽ、290門芝居(かどしばゐ)がお上手(じやうづ)な事(こと)、291高姫(たかひめ)さまが御覧(ごらん)になつたら嘸(さぞ)御(お)笑(わら)ひでせう…イヤ腮(あご)を外(はづ)してひつくり返(かへ)り、292又(また)もや外科(げくわ)医者(いしや)を頼(たの)みに行(ゆ)かねばならない様(やう)なことが突発(とつぱつ)したら、293又候(またぞろ)……安公(やすこう)さま、294御(ご)苦労(くらう)乍(なが)ら、295お前(まへ)一寸(ちよつと)外科医(げくわい)の山井(やまゐ)養仙(やうせん)さま所(とこ)へ、296最大(さいだい)急行(きふかう)で頼(たの)みに往(い)つて呉(く)れ……なんて仰有(おつしや)るのは目(ま)のあたりだ、297腮(あご)阿呆(あほ)らしい。298ワツハヽヽヽ』
299国依別(くによりわけ)『汝(なんぢ)安公(やすこう)とやら、300今日(こんにち)只今(ただいま)より国依別(くによりわけ)が直接(ちよくせつ)の家来(けらい)となし、301名(な)を安彦(やすひこ)と授(さづ)くる。302其(その)積(つも)りで国依別(くによりわけ)に随(つ)いて来(く)るがよからう』
303安公(やすこう)『コレハコレハ思(おも)ひもよらぬ御(ご)恩命(おんめい)、304安彦(やすひこ)の宣伝使(せんでんし)、305確(たし)かに御(ご)恩命(おんめい)を拝(はい)しませぬ、306アタ阿呆(あほ)らしい、307言依別(ことよりわけの)神(かみ)様(さま)から頂(いただ)くのなら、308結構(けつこう)だが、309巡礼(じゆんれい)上(あが)りの胸(むね)の悪(わる)い宗彦(むねひこ)に宣伝使(せんでんし)を任命(にんめい)されて堪(たま)らうかい』
310秋彦(あきひこ)『どうでも良(よ)いぢやないか。311兎(と)も角(かく)頂戴(ちやうだい)しておけ。312お前(まへ)は松鷹彦(まつたかひこ)になるのだよ。313さうしておれはお勝(かつ)になつて、314此(この)宗彦(むねひこ)さまと巡礼(じゆんれい)に歩(ある)くのだ。315少(すこ)し川(かは)は届(とど)かぬけれど、316あの小雲川(こくもがは)を宇都山(うづやま)川(がは)と見做(みな)し、317高姫館(たかひめやかた)を松鷹彦(まつたかひこ)の茅屋(あばらや)に擬(ぎ)し、318茲(ここ)で一(ひと)つ面白(おもしろ)い芝居(しばゐ)をやるのだな』
319安公(やすこう)『そんな事(こと)言(い)つたつて、320松鷹彦(まつたかひこ)がどうするのか、321ちつとも分(わか)らぬだないか』
322国依別(くによりわけ)『そこは臨機(りんき)応変(おうへん)だ。323そこは……此方(こち)から言(い)ふのに応(おう)じて答(こた)へればよいのだ。324お前(まへ)は霊界(れいかい)物語(ものがたり)の如意(によい)宝珠(ほつしゆ)の未(ひつじ)の巻(まき)を読(よ)んで居(ゐ)ないから、325其(その)間(かん)の消息(せうそく)が分(わか)るまいが、326其(その)時(とき)は又(また)其(その)時(とき)の絵(ゑ)を書(か)くのだ』
327安公(やすこう)『よし、328棹(さを)が無(な)いが、329茲(ここ)にチツと太(ふと)いけれど物干(ものほ)し竿(ざを)がある、330これでマア鷹(たか)や鴉(からす)を釣(つ)ることにしようかい。331サア早(はや)く巡礼(じゆんれい)御(ご)夫婦(ふうふ)、332やつて来(き)なさいや』
333国依別(くによりわけ)『よし、334ここを川辺(かはべ)と見做(みな)し、335向(むか)ふから宣伝歌(せんでんか)を歌(うた)ひつつやつて来(く)るから、336お前(まへ)は太公望(たいこうばう)気取(きど)りで竿(さを)を垂(た)れて居(ゐ)るのだ』
337と云(い)ひ乍(なが)ら国依別(くによりわけ)、338秋彦(あきひこ)は門(もん)を出(で)て一二丁(いちにちやう)後返(あとがへ)りをなし、339出鱈目(でたらめ)の歌(うた)を歌(うた)ひ乍(なが)ら進(すす)んで来(く)る。
340 安公(やすこう)は庭先(にはさき)の飛石(とびいし)を川(かは)の瀬(せ)と見做(みな)し、341物干(ものほ)し竿(ざを)の先(さき)に藤蔓(ふぢづる)を糸(いと)の代(かは)りに付(つ)け、342太公望(たいこうばう)気取(きど)りで魚釣(うをつ)りの真似(まね)をして居(ゐ)る。343そこへ勝公(かつこう)が飛(と)んで来(き)て、
344勝公(かつこう)『オイ安(やす)、345貴様(きさま)何(なに)して居(ゐ)るのだ。346最前(さいぜん)から高姫(たかひめ)さまが大変(たいへん)に御(お)待兼(まちかね)だ、347まだ使(つかひ)に行(ゆ)かぬのか』
348安公(やすこう)『喧(やかま)しく云(い)ふない、349無声(むせい)霊話(れいわ)をかけて招(よ)んであるのだ。350俺(おれ)は武志(たけし)の宮(みや)の松鷹彦(まつたかひこ)だぞ。351まあグヅグヅして居(ゐ)るより見(み)てをれ、352かうして居(を)れば国依別(くによりわけ)や秋彦(あきひこ)が引(ひ)つかかつて来(く)るのだよ。353俺(おれ)が此(この)竿(さを)を振(ふ)るや否(いな)や、354妙(めう)な宣伝歌(せんでんか)を歌(うた)つてツルツルツルと引摺(ひきず)られて来(く)るのだ』
355勝公(かつこう)『そんな馬鹿(ばか)な事(こと)があるものか。356是(これ)から高姫(たかひめ)様(さま)に注進(ちうしん)するぞ』
357と云(い)ひすてて、358屋内(をくない)に隠(かく)れた。359国依別(くによりわけ)はどこで寄(よ)せて来(き)たか、360蓑笠(みのかさ)を被(かぶ)り、361俄作(にはかづく)りの金剛杖(こんがうづゑ)を突(つ)き、
362国依別(くによりわけ)『嬶(かか)が表(おもて)に現(あら)はれて
363善(ぜん)ぢや悪(あく)ぢやと立騒(たちさわ)ぐ
364此(この)世(よ)の困(こま)つた娑婆塞(しやばふさ)ぎ
365乞食心(こじきごころ)の高姫(たかひめ)が
366只(ただ)玉々(たまたま)と朝夕(あさゆふ)に
367心(こころ)を焦(いら)つ気(き)の毒(どく)さ
368われは宗彦(むねひこ)バラモンの
369神(かみ)の教(をしへ)の修験者(しうげんじや)
370殺生(せつしやう)するのは善(よ)くないと
371高姫(たかひめ)さまが言(い)うた故(ゆゑ)
372小雲(こくも)の川(かは)におり立(た)つて
373生物(せいぶつ)擁護(ようご)の実行(じつかう)と
374無心(むしん)無霊(むれい)の団子石(だんごいし)
375魚(さかな)と見做(みな)して釣(つ)り上(あ)げる
376手間暇(てまひま)要(い)らぬ漁(すなど)りは
377経済(けいざい)上(じやう)の大便利(だいべんり)
378刃物(はもの)も要(い)らねば煮(に)る世話(せわ)も
379一寸(ちよつと)も要(い)らぬ石(いし)の魚(うを)
380さざれ石(いし)さへ年(とし)経(ふ)れば
381巌(いはほ)となりて苔(こけ)が蒸(む)す
382瓢箪(へうたん)からも駒(こま)が出(で)る
383団子石(だんごいし)とて馬鹿(ばか)にはならぬ
384如意(によい)の宝珠(ほつしゆ)や紫(むらさき)の
385玉(たま)に変(かは)るか分(わか)らない
386サア是(これ)からは是(これ)からは
387宇都(うづ)の河原(かはら)の川辺(かはべり)に
388松鷹彦(まつたかひこ)の庵(いほ)を訪(と)ひ
389一(ひと)つ談判(だんぱん)してやらう
390秋公(あきこう)来(きた)れ早(はや)来(きた)れ
391オツと違(ちが)うた妻(つま)お勝(かつ)
392教(をしへ)の道(みち)の兄弟(きやうだい)が
393夫婦(ふうふ)気取(きどり)で面白(おもしろ)く
394高姫川(たかひめがは)の川堤(かはづつみ)
395やつて来(き)たのは安公(やすこう)が
396芝居(しばゐ)気取(きどり)の太公望(たいこうばう)
397もうし もうしお爺(ぢい)さま
398お前(まへ)は古(ふる)い年(とし)をして
399水(みづ)なき川(かは)に竿(さを)を垂(た)れ
400何(なに)を釣(つ)るのか気(き)が知(し)れぬ
401諸行(しよぎやう)無常(むじやう)や是生(ぜしやう)滅法(めつぽふ)
402高姫(たかひめ)さまの目的(もくてき)は
403寂滅(じやくめつ)為楽(ゐらく)となるであろ
404黒姫(くろひめ)さまや高山(たかやま)の
405女大黒(をんなだいこく)福禄寿(げほう)面(づら)
406欲(よく)の川原(かはら)に竿(さを)たれて
407金剛(こんがう)不壊(ふえ)の玉(たま)の魚(うを)
408釣(つ)らむとするも辛(つら)からう
409欲(よく)につられて高姫(たかひめ)が
410南洋(なんやう)三界(さんかい)駆(か)け巡(めぐ)り
411黒(くろ)くなつたる面(つら)の皮(かは)
412つらつら思(おも)ひ廻(めぐ)らせば
413燻(くすぼ)り返(かへ)つた釣(つ)られ鯛(だい)
414睨(にら)み合(あ)うたる二人仲(ふたりなか)
415恵比須(ゑびす)でさへも尾(を)を巻(ま)いて
416跣足(はだし)でサツサと逃(に)げて行(ゆ)く
417あゝ気(き)の毒(どく)や気(き)の毒(どく)や
418安公(やすこう)までが国(くに)さまの
419言葉(ことば)に釣(つ)られて欲(よく)の川(かは)
420物干竿(ものほしざを)に綱(つな)をつけ
421宗彦(むねひこ)お勝(かつ)の巡礼(じゆんれい)が
422茲(ここ)に来(きた)るを待暮(まちくら)す
423あゝ惟神(かむながら)々々(かむながら)
424叶(かな)はん事(こと)が出来(でき)て来(き)た
425高姫(たかひめ)さまが腹(はら)を立(た)て
426コレコレ国(くに)よ国公(くにこう)よ
427日(ひ)の出神(でのかみ)の生宮(いきみや)を
428馬鹿(ばか)にするのも程(ほど)がある
429何程(なにほど)呑(の)み込(こ)みよい妾(わし)も
430歯節(はぶし)の立(た)たぬ団子石(だんごいし)
431団子(だんご)理屈(りくつ)を捏(こ)ねやうと
432二重(にぢう)三重(さんぢう)に封(ふう)をして
433持(も)つて来(き)たのが憎(にく)らしい
434此(この)因縁(いんねん)を聞(き)かうかと
435面(つら)ふくらして飛(と)びかかり
436胸倉(むなぐら)とつて一騒(ひとさわ)ぎ
437おつ始(ぱじ)まるに違(ちがひ)ない
438スワ一大事(いちだいじ)と言(い)ふ時(とき)に
439逃(に)げる用意(ようい)をしておかう
440秋公(あきこう)横門(よこもん)開(あ)けておけ
441まさか厠(かはや)の股(また)げ穴(あな)
442脱(ぬ)け出(だ)す訳(わけ)にも行(ゆ)かうまい
443太公望(たいこうばう)の安公(やすこう)よ
444もう釣竿(つりざを)は流(なが)すのだ
445是(これ)から釣(つ)るのは高姫(たかひめ)ぢや
446もうし もうし高山(たかやま)の
447福禄寿(げほう)爺(おやぢ)と黒(くろ)さまは
448当家(たうけ)におゐで遊(あそ)ばすか
449一寸(ちよつと)お尋(たづ)ね致(いた)します』
450此(この)声(こゑ)聞(き)いて勝公(かつこう)は
451戸口(とぐち)をガラリ引(ひき)あけて
452勝公『賤(いや)しき巡礼(じゆんれい)の二人(ふたり)連(づれ)
453国依別(くによりわけ)や秋彦(あきひこ)に
454よう似(に)た声(こゑ)を出(だ)しやがつて
455瞞(だま)しに来(き)てもそりやあかぬ
456スツカリ駄目(だめ)だと諦(あきら)めて
457早(はや)く帰(かへ)つて下(くだ)さんせ
458巡礼(じゆんれい)なぞのノソノソと
459出(で)て来(く)る場所(ばしよ)ではない程(ほど)に
460高姫(たかひめ)さまが見付(みつ)けたら
461長(なが)い柄杓(ひしやく)に水(みづ)汲(く)んで
462頭(あたま)の上(うへ)からザブザブと
463熱(ねつ)吹(ふ)きかけるに違(ちがひ)ない
464犬(いぬ)ぢやなけれど尾(を)を振(ふ)つて
465一(いち)時(じ)も早(はや)くイヌがよい
466ワンワンワンといがみ合(あ)ひ
467喧嘩(けんくわ)をされては堪(たま)らない
468巡礼(じゆんれい)に化(ば)けた国(くに)さまや
469秋(あき)さま二人(ふたり)の宣伝使(せんでんし)
470危険(きけん)区域(くゐき)を逸早(いちはや)く
471逃(のが)れてお帰(かへ)り下(くだ)さんせ
472奥(おく)に高姫(たかひめ)黒姫(くろひめ)が
473額(ひたひ)の静脈(じやうみやく)血(ち)を充(み)たし
474青筋(あをすぢ)立(た)てて控(ひか)へ居(を)る』
475早(はや)く早(はや)くと手(て)を拡(ひろ)げ
476つき出(だ)す様(やう)な真似(まね)をする。
477 高姫(たかひめ)は門口(かどぐち)の怪(あや)しき声(こゑ)に、478黒姫(くろひめ)、479高山彦(たかやまひこ)を奥(おく)の間(ま)に残(のこ)し、480自(みづか)ら茲(ここ)に現(あら)はれ、
481高姫(たかひめ)『勝公(かつこう)さま、482お前(まへ)今(いま)何(なに)を言(い)つて居(ゐ)たの、483どこに私(わし)が青筋(あをすぢ)を立(た)てて居(ゐ)ますか』
484勝公(かつこう)『イイエ滅相(めつさう)もない、485そんな事(こと)は申(まを)した覚(おぼ)えはテンで厶(ござ)いませぬ。486今(いま)そんな男(をとこ)が一寸(ちよつと)やつて来(き)ましたので、487高姫(たかひめ)さまのお目(め)にかけたら、488嘸(さぞ)お笑(わら)ひ遊(あそ)ばすだらうと云(い)つて居(ゐ)たので厶(ござ)います……それ、489そこに乞食(こじき)巡礼(じゆんれい)が二人(ふたり)立(た)つて居(ゐ)ませうがなア。490一人(ひとり)は宗彦(むねひこ)、491一人(ひとり)はお勝(かつ)、492もう一人(ひとり)は松鷹彦(まつたかひこ)、493欲(よく)の川(かは)で竿(さを)をたれ、494鷹(たか)とか鴉(からす)とかつるとか言(い)つて居(ゐ)ました。495……ヘーまあ、496何(なん)で厶(ござ)います、497ザツと此(この)通(とほ)りで』
498とモヂモヂして頭(あたま)を掻(か)く。
499高姫(たかひめ)『お前(まへ)は国依別(くによりわけ)さま、500秋彦(あきひこ)の両人(りやうにん)でせう。501大(だい)それた悪戯(いたづら)をなさつて、502此(この)高姫(たかひめ)に合(あは)す顔(かほ)がなくなり、503蓑笠(みのかさ)を被(かぶ)つて元(もと)の宗彦(むねひこ)時代(じだい)に立返(たちかへ)り、504心(こころ)の底(そこ)から改心(かいしん)を致(いた)しました、505と云(い)ふ証拠(しようこ)でやつて来(き)たのだらう。506そんな芸当(げいたう)は世界(せかい)の見(み)え透(す)く日(ひ)の出神(でのかみ)の前(まへ)では通用(つうよう)致(いた)しませぬぞえ。507サアサア早(はや)く正体(しやうたい)を現(あら)はして這入(はい)つて下(くだ)さい』
 
508国依別(くによりわけ)『幽霊(いうれい)の正体(しやうたい)見(み)たり枯尾花(かれをばな)。
509 たそがれて山(やま)低(ひく)う見(み)る薄(すすき)かな』
 
510高姫(たかひめ)『俄(にはか)に風流人(ふうりうじん)めいた事(こと)を言(い)つて、511誤魔化(ごまくわ)さうと思(おも)つてもあきませぬぞや。512サアサアとつとと這入(はい)つて下(くだ)さい。513お前(まへ)さまに尋(たづ)ねたい因縁(いんねん)があるのだから……』
 
514国依別(くによりわけ)『因縁(いんねん)の玉(たま)を集(あつ)むる此(この)館(やかた)……因縁(いんねん)つける高姫(たかひめ)大根(だいこん)……
515 旅役者(たびやくしや)大根(だいこん)と聞(き)いて顔(かほ)しかめ。
516 大根(だいこん)役者(やくしや)どこやらとなく魂(たま)が脱(ぬ)け。
517 玉(たま)おちのラムネぶつぶつ泡(あわ)を吹(ふ)き。
518 今(いま)抜(ぬ)いたラムネの泡(あわ)や高姫(たかひめ)……オツト高(たか)く飛(と)び。
519 黒姫(くろひめ)の様(やう)な葡萄酒(ぶだうしゆ)萩(はぎ)の茶屋(ちやや)。
520 高山(たかやま)も低(ひく)う見(み)ゆるや萩(はぎ)の花(はな)。
521 如意(によい)宝珠(ほつしゆ)空(そら)に輝(かがや)く秋(あき)の月(つき)。
522 秋彦(あきひこ)の空(そら)高(たか)くして馬(うま)は肥(こ)え』
 
523高姫(たかひめ)『コレコレ、524国(くに)さま、525何(なに)を愚図(ぐづ)々々(ぐづ)言(い)つて居(ゐ)るのだ。526這入(はい)れと云(い)つたら、527這入(はい)りなさい』
 
528国依別(くによりわけ)『這入(はい)れよと言(い)はれて躊躇(ためら)ふ熱(あつ)い風呂(ふろ)。
529 風呂吹(ふろぶき)を喰(く)はぬ役者(やくしや)の子供(こども)哉(かな)。
530 大根(だいこん)の役者(やくしや)の芝居(しばゐ)チヨボ葱(ねぶか)』
 
531高姫(たかひめ)『エー、532辛気(しんき)臭(くさ)い。533気(き)が咎(とが)めて閾(しきひ)が高(たか)いのだな』
 
534国依別(くによりわけ)『高姫(たかひめ)の敷居(しきゐ)の欲(よく)に股(また)が裂(さ)け。
535 股(また)裂(さ)けた五(いつ)つの玉(たま)は不在(るす)の間(ま)に。
536 黒姫(くろひめ)は酒(さけ)より男(をとこ)好(す)きと言(い)ひ。
537 高山(たかやま)に黒雲(くろくも)起(おこ)り日(ひ)は隠(かく)れ。
538 東天(とうてん)に日(ひ)の出(で)の光(ひかり)暗(やみ)は晴(は)れ。
539 堂々(だうだう)と国依別(くによりわけ)は進(すす)み入(い)り』
 
540と言(い)ひ乍(なが)ら秋彦(あきひこ)を伴(ともな)ひ、541高姫(たかひめ)に先立(さきだ)つて奥(おく)の間(ま)に進(すす)み入(い)る。
542 高姫(たかひめ)、543黒姫(くろひめ)、544高山彦(たかやまひこ)、545国依別(くによりわけ)、546秋彦(あきひこ)の五(いつ)つの頭(あたま)は火鉢(ひばち)を中(なか)に置(お)いて、547五弁(ごべん)の梅(うめ)の花(はな)の開(ひら)いた様(やう)に行儀(ぎやうぎ)よく並(なら)んだ。
 
548国依別(くによりわけ)『明月(めいげつ)や高山頭(たかやまがしら)に照(て)り渡(わた)り。
549 高山(たかやま)を透(す)かして見(み)れば星(ほし)低(ひく)し』
 
550高姫(たかひめ)『国依別(くによりわけ)さま、551此(この)間(あひだ)は御(お)心(こころ)を籠(こ)められた沢山(たくさん)な魚(さかな)を頂戴(ちやうだい)致(いた)しまして、552有難(ありがた)う御座(ござ)います。553これには何(なに)か御(ご)意趣(いしゆ)のあることで御座(ござ)いませう。554サア其(その)因縁(いんねん)から包(つつ)まず隠(かく)さず聞(き)かして下(くだ)され』
 
555国依別(くによりわけ)『和知川(わちがは)に洗(あら)ひ曝(さら)した石(いし)の玉(たま)、556我(われ)は尊(たふと)き人(ひと)に捧(ささ)げつ。
557 身魂(みたま)相応(さうおう)堅(かた)くなつたる石(いし)の玉(たま)。
558 石(いし)よりも堅(かた)い決心(けつしん)感(かん)じ入(い)り。
559 激流(げきりう)に揉(も)まれて石(いし)は円(まる)くなり。
560 瀬(せ)を早(はや)み岩(いは)に堰(せ)かれて石(いし)の魚(うを)』
 
561高姫(たかひめ)『エーもどかしい。562そんなむつかしい事(こと)を言(い)つて分(わか)りますかいな。563救世軍(きうせいぐん)のブース大将(たいしやう)が言(い)つた事(こと)を知(し)つて居(ゐ)ますか。564例(たと)へば一軒(いつけん)の家(うち)でも一番(いちばん)小(ちい)さい三(み)つ児(ご)か、565無学(むがく)な下女(げぢよ)に分(わか)る言葉(ことば)でなければ名語(めいご)ぢやありませぬぞ。566俳人(はいじん)気取(きど)りで何(なに)を駄句(だく)るのだ。567お前(まへ)さまチツト此(この)頃(ごろ)はどうかしとりますねえ。568小雲川(こくもがは)で一(ひと)つ顔(かほ)を冷(ひや)し目(め)を醒(さ)まして来(き)なさい』
 
569国依別(くによりわけ)『底(そこ)までも澄(す)みきりにけり秋(あき)の水(みづ)。
570 秋(あき)の水(みず)腐(くさ)つて居(を)れどいと清(きよ)し。
571 清(きよ)らかな水(みづ)には棲(す)まぬ鮒(ふな)もろこ。
572 濁江(にごりえ)の深(ふか)きに魚(うを)は潜(ひそ)むとも など川蝉(かはせみ)の取(と)らでおくべき』
 
573高姫(たかひめ)『おきなさんせ、574大石(おほいし)内蔵之助(くらのすけ)の真似(まね)をしたり、575何(なに)も知(し)らぬと言(い)へば調子(てうし)に乗(の)つて、576人(ひと)の歌(うた)まで自分(じぶん)が作(つく)つた様(やう)な顔(かほ)をしようと思(おも)つて……本当(ほんたう)にお前(まへ)は歌泥坊(うたどろばう)だ』
577国依別(くによりわけ)『床(ゆか)の下(した)深(ふか)きに玉(たま)は隠(かく)すとも
578 など高姫(たかひめ)の取(と)らでおくべき。579アツハヽヽヽ』
580高姫(たかひめ)『コレ国(くに)さま、581どこまでも人(ひと)を馬鹿(ばか)にするのかい』
 
582国依別(くによりわけ)『馬鹿(ばか)野郎(やろう)夜這(よばひ)の晨(あした)狼狽(らうばい)し ゆき詰(つま)りては胸(むね)も高姫(たかひめ)。583………動悸(どうき)は玉(たま)の置所(おきどころ)。
584 竜宮(りうぐう)へおと姫(ひめ)したかと気(き)を焦(いら)ち 世界(せかい)隈(くま)なく探(さが)す馬鹿者(ばかもの)』
 
585高姫(たかひめ)『コレ黒姫(くろひめ)さま、586国(くに)さまに是(これ)丈(だけ)馬鹿(ばか)にされてお前(まへ)さま何(なん)ともありませぬか。587チツト日頃(ひごろ)の弁舌(べんぜつ)をお使(つかひ)なさつたらどうですかい』
588黒姫(くろひめ)『何(なん)だか人間(にんげん)らしうないので、589話(はなし)の仕様(しやう)がありませぬもの』
 
590国依別(くによりわけ)『人間(にんげん)を超越(てうゑつ)したり神司(かむづかさ)。
591 黒雲(くろくも)に包(つつ)まれ星(ほし)は影(かげ)潜(ひそ)め。
592 高山(たかやま)に黒雲(くろくも)懸(かか)り雨(あめ)は降(ふ)り。
593 涙川(なみだがは)忽(たちま)ち濁(にご)る玉(たま)の雨(あめ)』
 
594黒姫(くろひめ)『コレ高山(たかやま)さま、595今(いま)国(くに)さまがどうやらお前(まへ)さまや妾(わたし)の事(こと)を、596俳句(はいく)とやらで罵倒(ばたふ)して居(ゐ)るやうだ。597お前(まへ)さまも立派(りつぱ)な男(をとこ)だないか、598何(なん)とか一(ひと)つ言霊(ことたま)で遣(や)り返(かへ)し、599国(くに)を遣(や)り込(こ)めて了(しま)ふ丈(だけ)の甲斐性(かひしやう)は無(な)いのかい』
 
600高山彦(たかやまひこ)『苦(く)にするな国依別(くによりわ)けて大切(たいせつ)な
601 げほう頭(あたま)は如意(によい)宝珠(ほつしゆ)……光(ひかり)は玉(たま)の如(ごと)くなりけり』
 
602黒姫(くろひめ)『高山(たかやま)さま、603自分(じぶん)の事(こと)を言(い)つてるのだないか。604国(くに)さまに対(たい)して言(い)ふのだよ。605エーエ、606鈍(どん)な男(をとこ)に緞子(どんす)の羽織(はおり)、607女房(にようばう)も随分(ずゐぶん)気(き)の揉(も)める事(こと)だなア。608そんなら妾(わたし)が代(かは)つて言(い)ひませう。609聞(き)いて居(ゐ)なされ、610斯(こ)う云(い)ふのだよ。611……
612黒姫(くろひめ)の黒(くろ)い眼(まなこ)で睨(にら)んだら
613 神(かみ)の国依別(くによりわけ)もなく散(ち)る
614桜(さくら)の花(はな)は神風(かみかぜ)に
615 吹(ふ)かれてバラバラバラモン信者(しんじや)
616聞(き)いてもムネ彦(ひこ)悪(わる)くなる
617負(まけ)てもお勝(かつ)の尻(しり)を追(お)ひ
618肥桶担(こえたごかつ)ぎの玉治別(たまはるわけ)に
619玉(たま)を取(と)られし気(き)の毒(どく)さ
620泣面(なきつら)に蜂(はち)
621止(と)まつて咬(か)んだ如(ごと)くなりけり』
622国依別(くによりわけ)『アハヽヽヽ、623ウフヽヽヽ、624此奴(こいつ)ア面白(おもしろ)い。625始(はじ)めて聞(き)いた名歌(めいか)だ。626柿本(かきのもとの)人麿(ひとまろ)も丸跣足(まるはだし)だ。627与謝野(よさの)晶子(あきこ)の所(とこ)へ持(も)つて往(い)つたら、628屹度(きつと)秀逸点(しういつてん)を呉(く)れるだらう。629イヒヽヽヽ、630エヘヽヽヽ、631オホヽヽヽ……
 
632 黒姫(くろひめ)の歌(うた)にお臍(へそ)が宿替(やどが)へし。
633 脇(わき)の下(した)キユウキユウキユウと鼠(ねずみ)鳴(な)き。
634 名歌(めいか)の徳(とく)床板(ゆかいた)迄(まで)が動(うご)き出(だ)し。
635 睾玉(きんたま)の皺(しわ)まで伸(の)ばす此(この)名歌(めいか)』
 
636高姫(たかひめ)『黒姫(くろひめ)さま、637こんな男(をとこ)にかかつちや、638口八丁(くちはつちやう)手八丁(てはつちやう)の高姫(たかひめ)だつて、639三舎(さんしや)を避(さ)けねばなりませぬワ。640もうそんな歌(うた)などで話(はな)しちや駄目(だめ)ですよ。641……コレ国(くに)さま、642お前(まへ)さまは何(なん)の為(ため)にあの様(やう)な物(もの)を、643私(わし)に贈(おく)つたのだ。644失礼(しつれい)ぢやありませぬか。645何程(なにほど)物喰(ものぐひ)のよい豚(ぶた)だつて石(いし)は喰(く)ひませぬよ』
 
646国依別(くによりわけ)『豚(ぶた)よりも物喰(ものぐ)ひのよき人(ひと)もあり。
647 如意(によい)宝珠(ほつしゆ)玉(たま)さへ噛(かぢ)る狂女(きやうぢよ)哉(かな)。
648 今(いま)の世(よ)は砂利(じやり)さへ喰(くら)ふ人(ひと)もあり。
649 嫁入(よめいり)の祝(いは)ひに据(す)ゑる石肴(いしざかな) 二世(にせ)を固(かた)めの標(しるし)なるらむ。
 
650マアざつと斯(か)う云(い)ふ精神(せいしん)で、651貴方(あなた)の堅固(けんご)な精神(せいしん)をお祝(いは)ひ申(まを)し、652お賞(ほ)め申(まを)した国依別(くによりわけ)の真心(まごころ)。
 
653 岩(いは)さへも射貫(いぬ)く女(をんな)の心(こころ)哉(かな)。
 
654と云(い)ふ様(やう)なものですワイ。655悪気(わるぎ)を廻(まは)して貰(もら)つちや、656折角(せつかく)の国依別(くによりわけ)の志(こころざし)が水泡(すゐほう)に帰(き)しまする。657魚(うを)だつて……魚(うを)が水(みづ)に棲(す)めば、658此(この)石(いし)だつて綺麗(きれい)な流水(りうすゐ)にすみきつて、659神世(かみよ)の昔(むかし)から永久(とこしへ)に川底(かはぞこ)に納(をさ)まりきつて居(を)つた石肴(いしざかな)ですよ。660別(べつ)に喰(く)つて下(くだ)されと云(い)つて贈(おく)つたのぢやありませぬ。661お目(め)にかけると云(い)つたのだから、662食(く)へる食(く)へぬはお前(まへ)さまの御(ご)勝手(かつて)、663そんな問題(もんだい)は些(ち)いと的外(まとはづ)れでせう』
664高姫(たかひめ)『流石(さすが)はドハイカラの仕込(しこ)み丈(だけ)あつて、665巧(うま)いものだワイ。666オホヽヽヽ。667コレコレ黒姫(くろひめ)さま、668高山彦(たかやまひこ)さま、669お前(まへ)も随分(ずゐぶん)鉈理屈(なたりくつ)が上手(じやうづ)だが、670国(くに)さまにかけちや側(そば)へも寄(よ)れますまい。671言霊(ことたま)の幸(さち)はふ世(よ)の中(なか)だ。672チツト是(これ)から言霊(ことたま)の練習(れんしふ)をなされませ』
673 斯(か)かる所(ところ)へ夏彦(なつひこ)、674常彦(つねひこ)両人(りやうにん)は、675言依別(ことよりわけ)の目(め)を忍(しの)び系統(ひつぽう)の高姫(たかひめ)に御(ご)機嫌(きげん)伺(うかが)ひの為(ため)、676太平柿(たいへいがき)を風呂敷(ふろしき)に包(つつ)み、677やつて来(き)た。678勝公(かつこう)は直(ただち)に奥(おく)の間(ま)に進(すす)み入(い)り、
679勝公(かつこう)『もしもし高姫(たかひめ)さま、680夏彦(なつひこ)、681常彦(つねひこ)の両人(りやうにん)が御(ご)機嫌(きげん)伺(うかが)ひだと云(い)つて今(いま)見(み)えました。682如何(いかが)致(いた)しませう』
683 高姫(たかひめ)したり顔(がほ)に、684嫌(いや)らしく笑(わら)ひ乍(なが)ら、685国依別(くによりわけ)、686秋彦(あきひこ)に目(め)を注(そそ)ぎ、
687高姫(たかひめ)『勝公(かつこう)さま、688どうぞ御(ご)両人(りやうにん)様(さま)、689ズツと奥(おく)へ御(お)通(とほ)り下(くだ)さい、690と丁寧(ていねい)に御(お)迎(むか)へ申(まを)してお出(い)で………アーアやつぱり身魂(みたま)の良(よ)い者(もの)は分(わか)るワイ。
 
691 落魄(おちぶ)れて袖(そで)に涙(なみだ)のかかる時(とき) 人(ひと)の心(こころ)の奥(おく)ぞ知(し)らるる
 
692だ。693妾(わし)が聖地(せいち)へ帰(かへ)つてから今日(けふ)で三日目(みつかめ)だ。694それに言依別(ことよりわけ)を始(はじ)め、695杢助(もくすけ)迄(まで)が不心得(ふこころえ)千万(せんばん)な、696系統(ひつぽう)のお帰(かへ)りを邪魔者(じやまもの)扱(あつかひ)に致(いた)して、697馬鹿(ばか)にして居(ゐ)る………エー、698今(いま)に見(み)ておぢやれよ、699アフンと致(いた)さして見(み)せるぞよと、700日(ひ)の出(で)さまが仰有(おつしや)るので、701先(ま)づ神(かみ)様(さま)にお任(まか)せして辛抱(しんばう)して居(ゐ)るのだ。702人間(にんげん)と云(い)ふ者(もの)は薄情(はくじやう)なものだ。703冷酷(れいこく)無惨(むざん)の浮世(うきよ)とは云(い)ひ乍(なが)ら、704人情(にんじやう)薄(うす)きこと紙(かみ)の如(ごと)しだ』
705国依別(くによりわけ)『此(この)国(くに)さまは人情(にんじやう)厚(あつ)きこと神(かみ)の如(ごと)しでせう』
706高姫(たかひめ)『さうでせうとも、707偶(たまたま)の挨拶(あいさつ)に団子石(だんごいし)を贈(おく)つて来(く)る様(やう)な、708無情(むじやう)……オツトドツコイ親切(しんせつ)なお方(かた)ですからな』
709国依別(くによりわけ)『イヤその御(お)礼(れい)には及(およ)びませぬ。710沢山(たくさん)なもので厶(ござ)いますから……』
711 斯(かか)る所(ところ)へ勝公(かつこう)に導(みちび)かれ、712夏彦(なつひこ)、713常彦(つねひこ)は目(め)をギヨロつかせ乍(なが)ら、714此(この)場(ば)に恐(おそ)る恐(おそ)る現(あら)はれ来(きた)り、715国依別(くによりわけ)や秋彦(あきひこ)の其(その)場(ば)に端坐(たんざ)せるを見(み)て、716聊(いささ)か手持(てもち)無沙汰(ぶさた)な顔付(かほつき)にて、717ドギマギして居(ゐ)る可笑(をか)しさ。718夏(なつ)、719常(つね)両人(りやうにん)、720丁寧(ていねい)に高姫(たかひめ)の前(まへ)に手(て)をつかへ、
721両人(りやうにん)『是(これ)は是(これ)は高姫(たかひめ)様(さま)、722御(ご)遠方(ゑんぱう)の所(ところ)永(なが)らく御(ご)苦労(くらう)様(さま)で厶(ござ)いました』
723高姫(たかひめ)『イヤもう御(ご)挨拶(あいさつ)痛(いた)み入(い)ります。724何分(なにぶん)身魂(みたま)が研(みが)けぬもので厶(ござ)いますから、725不調法(ぶてうはふ)計(ばか)り致(いた)して居(を)ります』
726両人(りやうにん)『滅相(めつさう)もない、727貴方(あなた)は決(けつ)して無駄(むだ)では厶(ござ)いませぬ。728神(かみ)様(さま)の御(お)筆(ふで)にも、729人民(じんみん)から見(み)れば何(なん)でもないやうだが、730神(かみ)の方(はう)からは大(おほ)きな御用(ごよう)が出来(でき)て居(ゐ)るぞよ……と現(あら)はれて居(を)りますから、731屹度(きつと)結構(けつこう)な御用(ごよう)が出来(でき)てをるに違(ちが)ひありませぬ。732兎角(とかく)神界(しんかい)のことは人民(じんみん)では分(わか)りませぬから、733形(かたち)の上(うへ)で彼此(かれこれ)申(まを)すのは、734申(まを)す人(ひと)が分(わか)らぬので御座(ござ)いませう』
735高姫(たかひめ)『ハイ、736有難(ありがた)う』
737と涙(なみだ)含(ぐ)む。
738両人(りやうにん)『是(これ)は是(これ)は高山彦(たかやまひこ)様(さま)、739黒姫(くろひめ)様(さま)、740つい申(まを)し遅(おく)れました。741あなたも永(なが)らく神界(しんかい)の為(ため)に御(ご)苦労(くらう)様(さま)で厶(ござ)いました。742直様(すぐさま)御(お)伺(うかが)ひ致(いた)すのが本意(ほんい)で厶(ござ)いますけれど、743二三(にさん)日前(にちまへ)から杢助(もくすけ)さまに………エー、744一寸(ちよつと)…何(なん)で厶(ござ)いますので………つい遅(おく)れまして厶(ござ)います。745マア御(ご)無事(ぶじ)で御(ご)両所(りやうしよ)共(とも)御(お)帰(かへ)り下(くだ)さいまして、746聖地(せいち)は益々(ますます)御(ご)神徳(しんとく)が上(あ)がるであらうと、747一同(いちどう)影(かげ)から御(お)喜(よろこ)び申(まを)してをる様(やう)な次第(しだい)で厶(ござ)います』
748高山彦(たかやまひこ)『ヤア常彦(つねひこ)さま、749夏彦(なつひこ)さま、750あなたも御(ご)無事(ぶじ)で御(お)目出度(めでた)う』
751黒姫(くろひめ)『ヨウ親切(しんせつ)に此(この)婆(ばば)アを訪(たづ)ねて下(くだ)さいました。752年(とし)がよると腰(こし)が屈(かが)む、753目汁(めじる)鼻汁(はなじる)……イヤもう醜(むさ)くるしいもので、754誰(たれ)もふりかへつて呉(く)れるものは御座(ござ)いませぬワイ。755力(ちから)と頼(たの)むは大神(おほかみ)様(さま)と、756日(ひ)の出神(でのかみ)様(さま)、757竜宮(りうぐう)の乙姫(おとひめ)様(さま)計(ばか)りで厶(ござ)います。758人情(にんじやう)紙(かみ)の如(ごと)き軽薄(けいはく)な世(よ)の中(なか)に、759ようマア御(お)訪(たづ)ね下(くだ)さいました。760あなたも御(ご)無事(ぶじ)で結構(けつこう)で厶(ござ)いますなア』
761両人(りやうにん)『ハイ、762有難(ありがた)う。763……ヤア国依別(くによりわけ)さま、764秋彦(あきひこ)さま、765あなたは何時(いつ)御(お)越(こ)しになりましたか』
766国依別(くによりわけ)『………』
767秋彦(あきひこ)『つい、768最前(さいぜん)参(まゐ)りました。769お三方(さんかた)が久(ひさ)し振(ぶり)で御(お)帰(かへ)りになつたので、770我々(われわれ)も何(なん)となく心(こころ)勇(いさ)み、771御(お)祝(いは)ひ旁(かたがた)お訪(たづ)ねしたのですよ』
 
772国依別(くによりわけ)『来客(らいきやく)に其(その)場(ば)を外(はづ)す悧巧(りかう)かな。
773 心(こころ)から除(の)けて見(み)たきは襖(ふすま)かな。
774 石(いし)よりも堅(かた)き心(こころ)の集(つど)ひかな。
775 鐘(かね)一(ひと)つ年(とし)は二(ふた)つに分(わ)かれけり』
 
776と口吟(くちずさ)み、777一同(いちどう)に、
778国依別(くによりわけ)『御(ご)密談(みつだん)の御(お)邪魔(じやま)になりませうから、779我々(われわれ)両人(りやうにん)は御(ご)遠慮(ゑんりよ)致(いた)します』
780との意(い)を示(しめ)し、781目礼(もくれい)し乍(なが)らスタスタと帰(かへ)つて行(ゆ)く。782門(もん)をくぐり出(で)た両人(りやうにん)、783互(たがひ)に顔(かほ)を見合(みあは)せ乍(なが)ら、784ニタリと笑(わら)ひ、
785国依別(くによりわけ)『高姫(たかひめ)も大分(だいぶん)に我(が)が折(を)れたねえ。786あれなればもう気遣(きづか)ひあるまいね』
787秋彦(あきひこ)『さうでせう。788黒姫(くろひめ)も、789高山彦(たかやまひこ)も余程(よほど)変(かは)つて来(き)ましたよ。790何時(いつ)もなら、791あんな石(いし)でも贈(おく)らうものなら、792忽(たちま)ち低気圧(ていきあつ)が襲来(しふらい)して雷鳴(らいめい)轟(とどろ)きわたり、793地異(ちい)天変(てんぺん)の勃発(ぼつぱつ)するところですが、794矢張(やつぱり)苦労(くらう)はせんならぬものですなア』
795国依別(くによりわけ)『アヽ是(これ)で杢助(もくすけ)さまに対(たい)し、796相当(さうたう)の報告(はうこく)が出来(でき)るワイ。797神(かみ)様(さま)の御(ご)経綸(けいりん)は到底(たうてい)我々(われわれ)には分(わか)るものでない。798それにつけても貧乏籤(びんばふくじ)を引(ひ)いたのは此(この)国依別(くによりわけ)だ。799いつとても揶揄役(からかひやく)を仰(あふ)せ付(つ)けられて居(を)るのだから、800堪(たま)つたものぢやない』
801秋彦(あきひこ)『身魂(みたま)の因縁(いんねん)で善(ぜん)の御用(ごよう)をするものと、802悪(あく)の御用(ごよう)をするものとあるのだから、803御(ご)苦労(くらう)な…あなたも御(お)役(やく)ですな』
804国依別(くによりわけ)『三千(さんぜん)世界(せかい)改造(かいざう)の大神劇(だいしんげき)の登場(とうぢやう)役者(やくしや)だから、805仕方(しかた)がない。806併(しか)し乍(なが)ら悪役(あくやく)ばつかりは御免(ごめん)蒙(かうむ)りたいワ』
807秋彦(あきひこ)『末(すゑ)になりたら、808皆(みな)一所(ひととこ)に集(あつ)まつて互(たがひ)に打解(うちと)け合(あ)ひ、809あゝ斯(こ)うであつたか、810さうだつたかと云(い)つて、811力(ちから)一杯(いつぱい)神(かみ)様(さま)に使(つか)はれて、812こんなことを思(おも)つて居(を)つたのかと、813笑(わら)ひの止(と)まらぬ仕組(しぐみ)ださうですから、814さう気投(きな)げをしたものぢやありますまいで、815常彦(つねひこ)や夏彦(なつひこ)が忠義顔(ちうぎがほ)して、816高姫(たかひめ)の前(まへ)で味噌(みそ)を摺(す)つて居(ゐ)るのも、817あれも何(なに)かの御(お)仕組(しぐみ)の一端(いつたん)でせう。818一寸(ちよつと)聞(き)くとムカツキますがなア。819よく考(かんが)へて見(み)ると、820どんな仕組(しぐみ)がしてあるか分(わか)りませぬからなア』
821国依別(くによりわけ)『そらさうだ。822マア細工(さいく)は流々(りうりう)仕上(しあ)げを御覧(ごら)うじと仰有(おつしや)るのだから、823改造(かいざう)鉄道(てつだう)の終点(しうてん)迄(まで)行(ゆ)かねば分(わか)らぬなア。824ヤアもう何時(いつ)の間(ま)にか、825国依別(くによりわけ)館(やかた)の門前(もんぜん)まで来(き)て了(しま)つた』
826秋彦(あきひこ)『ハヽヽヽヽ、827何処(どこ)に門(もん)があるのですかい』
828国依別(くによりわけ)『有(あ)つても無(な)うても、829有(あ)ると思(おも)へばある、830無(な)いと思(おも)へば無(な)いのだ。831俺(わし)の居宅(きよたく)は九尺(くしやく)二間(にけん)の豚小屋(ぶたごや)の様(やう)に、832お前(まへ)の眼(め)では見(み)えるだらうが、833国依別(くによりわけ)の天空(てんくう)海濶(かいくわつ)なる霊眼(れいがん)を以(もつ)て見(み)る時(とき)は、834錦(にしき)の宮(みや)の八尋殿(やひろどの)同様(どうやう)に広(ひろ)く見(み)えるのだからな。835これ丈(だけ)広(ひろ)い世界(せかい)も心(こころ)の持様(もちやう)一(ひと)つで、836我(わが)七(しち)尺(しやく)の体(からだ)を置(お)く所(ところ)もない様(やう)に見(み)えたり、837又(また)こんな小(ちい)さい居宅(きよたく)が宇宙大(うちうだい)に見(み)えたりするのだから、838色即(しきそく)是空(ぜくう)、839空即(くうそく)是色(ぜしき)だ。840娑婆(しやば)即(そく)寂光(じやくくわう)浄土(じやうど)の真諦(しんたい)はこんな小(ちい)さい家(いへ)の中(なか)に居(を)つて、841魂(みたま)を研(みが)くとよく了解(れうかい)が出来(でき)るよ。842アハヽヽヽ』
843秋彦(あきひこ)『そんなものですかいな。844私(わたし)の眼(め)には如何(どう)しても八尋殿(やひろどの)と同(おな)じ様(やう)には見(み)えませぬワイ。845裏口(うらぐち)出(で)た所(ところ)に厠(かはや)が附着(ひつつ)いたり、846小便壺(せうべんつぼ)が有(あ)つたり、847その横(よこ)に井戸(ゐど)が在(あ)つたり、848走(はし)りに竈(かまど)、849何(なん)だか醜(むさ)くるしい様(やう)な気分(きぶん)がするぢやありませぬか。850一寸(ちよつと)聞(き)くと、851あんたの御(お)言葉(ことば)は痩我慢(やせがまん)を言(い)つてるやうに聞(きこ)えますで。852何程(なにほど)無形(むけい)的(てき)に広(ひろ)いと云(い)つても、853現実(げんじつ)が斯(こ)う矮小(わいせう)醜陋(しうろふ)では、854余(あんま)り大(おほ)きなことも云(い)へますまい。855これから国依別(くによりわけ)さま、856私(わたくし)になら何(なに)を言(い)つてもよろしいが、857人(ひと)の前(まへ)でそんなことを仰有(おつしや)ると、858皆(みんな)が取違(とりちがひ)して、859国依別(くによりわけ)は負惜(まけをし)みの強(つよ)い奴(やつ)だ、860減(へ)らず口(ぐち)を叩(たた)く奴(やつ)だと却(かへつ)て軽蔑(けいべつ)しますよ』
861国依別(くによりわけ)『形(かたち)ある宝(たから)は錆(さ)び、862腐(くさ)り、863焼(や)け、864亡(ほろ)び、865流(なが)れ壊(こは)るる虞(おそれ)がある。866起(お)きて半畳(はんでふ)寝(ね)て一畳(いちでう)だ。867広(ひろ)い館(やかた)に住(す)んで居(を)れば、868あつたら光陰(くわういん)を掃除(さうぢ)三昧(ざんまい)に空費(くうひ)し、869肝腎(かんじん)の神業(しんげふ)の妨害(ばうがい)になるだないか。870小(ちい)さいのは結構(けつこう)だ、871何(なに)かに都合(つがふ)が好(よ)い。872第一(だいいち)経済(けいざい)上(じやう)から云(い)つても得策(とく)だからなア』
873秋彦(あきひこ)『あなた掃除(さうぢ)をなさつた事(こと)があるんですか。874雪隠(せんち)の虫(むし)が竈(かまど)の前(まへ)に這(は)うて居(ゐ)るぢやありませんか』
875国依別(くによりわけ)『……ここ暫(しば)し家(いへ)の美醜(びしう)は忘(わす)れけり 神(かみ)大切(たいせつ)に思(おも)ふ計(ばか)りに……
876と云(い)ふ様(やう)なものだな』
877秋彦(あきひこ)『ヘーエあなたも余程(よつぽど)高姫化(たかひめくわ)しましたねえ。878弁舌(べんぜつ)滔々(たうたう)風塵(ふうぢん)を捲(ま)く。879実(じつ)に揶揄役(からかひやく)のあなたは、880高姫(たかひめ)さまに接(せつ)するの度(ど)が多(おほ)いから余程(よほど)の経験(けいけん)が積(つ)んだと見(み)えますワイ。881都合(つがふ)の悪(わる)い時(とき)には、882発句(ほつく)か川柳(せんりう)か、883鵺式(ぬへしき)の言葉(ことば)を使(つか)つて駄句(だく)り続(つづ)け、884腰折歌(こしをれうた)を並(なら)べ随分(ずゐぶん)側(そば)から聞(き)いてると苦(くるし)さうでしたよ』
885国依別(くによりわけ)『苦(く)中(ちう)楽(らく)あり、886楽(らく)中(ちう)苦(く)ありだ。887それも見(み)やうによるのだよ。888一葉(いちえふ)目(め)を蔽(おほ)へば、889大空(たいくう)一度(いちど)に隠(かく)れ、890一葉(いちえふ)を掃(はら)へば、891大空(たいくう)我(わが)目(め)に映(えい)ずと云(い)つて、892凡(すべ)て物(もの)は見方(みかた)に依(よ)るのだ、893見方(みかた)が大切(たいせつ)だ』
894秋彦(あきひこ)『味方(みかた)計(ばか)り大切(たいせつ)だと云(い)つて愛(あい)する訳(わけ)には行(ゆ)きますまい。895神(かみ)様(さま)は敵(てき)する者(もの)を愛(あい)せよと仰有(おつしや)るぢやありませぬか』
896国依別(くによりわけ)『それだから高姫(たかひめ)さまに対(たい)し、897私(わたし)は何時(いつ)も適対(てきた)ふのではない、898適当(てきたう)の処置(しよち)を取(と)つて居(ゐ)るのだ。899ヤツパリ見方(みかた)によつては味方(みかた)に見(み)えるだらう』
900秋彦(あきひこ)『何程(なにほど)贔屓目(ひいきめ)に見(み)ても、901あなたが高姫(たかひめ)さまに対(たい)して為(な)さることは、902余(あま)り同情(どうじやう)のある遣(や)り方(かた)とは見(み)えませぬぜ。903何時(いつ)も高姫(たかひめ)さまの鼻(はな)をめしやげたり、904手古摺(てこず)らしては痛快(つうくわい)がつてるぢやありませぬか』
905国依別(くによりわけ)『……心(こころ)なき人(ひと)は何(なん)とも言(い)はば言(い)へ 世(よ)をも怨(うら)みじ人(ひと)も恨(うら)みじ……
906燕雀(えんじやく)何(なん)ぞ鴻鵠(こうこう)の志(こころざし)[※「鴻鵠」は一般には「こうこく」と読むが、ここでは「こうこう」とフリガナが付いている。誤字か?]を知(し)らんやだ。907紫蘭(しらん)満路(まんろ)に咲(さ)く、908芳香(はうかう)何(なん)ぞ没暁漢(ぼつげうかん)の知(し)る所(ところ)ならんやだ。909アハヽヽヽ』
910(大正一一・七・二二 旧閏五・二八 松村真澄録)
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