霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
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第三章 偽恋(にせこひ)〔一一〇七〕

インフォメーション
著者:出口王仁三郎 巻:霊界物語 第41巻 舎身活躍 辰の巻 篇:第1篇 天空地平 よみ(新仮名遣い):てんくうちへい
章:第3章 偽恋 よみ(新仮名遣い):にせこい 通し章番号:1107
口述日:1922(大正11)年11月10日(旧09月22日) 口述場所: 筆録者:加藤明子 校正日: 校正場所: 初版発行日:1924(大正13)年6月15日
概要: 舞台: あらすじ[?]このあらすじはMさん作成です(一部加筆訂正してあります)。一覧表が「王仁DB」にあります。[×閉じる]:
ユーフテスは王に一喝されて自宅に戻り、思案に暮れていた。すると番頭が、門前に美人が現れて手紙をユーフテスに渡してくれと言っているという。ユーフテスが手紙を開いて見ると、それはセーリス姫からの恋文だった。
ユーフテスは、門番に命じてセーリス姫を室内に呼び出させた。セーリス姫はユーフテスに気があるような素振りをし、右守カールチンのたくらみをすっかり聞き出してしまった。そして明日また登城してから会う約束をしてその日は別れた。
主な登場人物[?]【セ】はセリフが有る人物、【場】はセリフは無いがその場に居る人物、【名】は名前だけ出て来る人物です。[×閉じる]: 備考: タグ: データ凡例: データ最終更新日:2022-12-07 10:47:04 文字数:5702 OBC :rm4103
愛善世界社版:40頁 八幡書店版:第7輯 544頁 修補版: 校定版:41頁 普及版:19頁 初版: ページ備考:
001 セーラン王(わう)の一喝(いつかつ)にあひ、002悄然(せうぜん)として早々(さうさう)城内(じやうない)を逃(に)げ帰(かへ)り、003自宅(じたく)の奥(おく)の間(ま)に手(て)を組(く)んで思案(しあん)に暮(く)れて居(ゐ)るのは、004当時(たうじ)城内(じやうない)にては飛(と)ぶ鳥(とり)も落(おと)すやうな勢力(せいりよく)盛(さかん)なる右守(うもり)の司(かみ)カールチンの家老職(からうしよく)ユーフテスである。005そこへ番頭(ばんとう)のコールが、006慌(あわただ)しく馳(は)せ来(きた)り、
007コール『もしもし旦那(だんな)様(さま)、008門前(もんぜん)に素敵(すてき)滅法界(めつぱふかい)な美人(びじん)が現(あら)はれまして、009此(この)手紙(てがみ)を旦那(だんな)様(さま)に渡(わた)して呉(く)れと申(まを)しました。010さうして直様(すぐさま)御(ご)返事(へんじ)が頂(いただ)きたいとの事(こと)で厶(ござ)います。011随分(ずゐぶん)旦那(だんな)様(さま)も固(かた)くるしいお方(かた)のやうで厶(ござ)いますが、012○○の道(みち)は又(また)格別(かくべつ)と見(み)えますなア。013本当(ほんたう)に油断(ゆだん)がなりませぬわい』
014とニヤリと笑(わら)ひ、015一通(いつつう)の手紙(てがみ)をユーフテスに渡(わた)す。016ユーフテスは、
017ユーフテス『コール、018何(なん)と云(い)ふ失礼(しつれい)な事(こと)を申(まを)すか、019ちと心得(こころえ)たがよからうぞよ』
020コール『ハイ、021承知(しようち)致(いた)しました。022コールからキツト心得(こころえ)ます、023イヒヽヽヽ』
024と小(ちひ)さく笑(わら)ひながら、025踞(うづくま)つて控(ひか)へて居(ゐ)る。026ユーフテスは手早(てばや)く其(その)信書(しんしよ)を押(お)し展(ひら)き検(あらた)め見(み)れば、
 
027私(わたし)は貴方(あなた)様(さま)に幾度(いくたび)も御(ご)親切(しんせつ)なお手紙(てがみ)を頂(いただ)きましたセーリス姫(ひめ)で厶(ござ)ります。028早速(さつそく)お返事(へんじ)を申上(まをしあ)げたいのは山々(やまやま)で厶(ござ)いましたが、029何(なに)を云(い)うても人目(ひとめ)の関(せき)に隔(へだ)てられ、030燃(も)ゆる思(おも)ひを押(お)し隠(かく)し、031今日(こんにち)迄(まで)耐(こら)へ忍(しの)んで参(まゐ)りましたが、032もはや恋(こひ)の炎(ほのほ)に身(み)を焼(や)かれ立(た)つても居(ゐ)てもゐられなくなつて来(き)ました。033それ故(ゆゑ)女(をんな)の身(み)をもつて御(ご)迷惑(めいわく)とは存(ぞん)じながら人目(ひとめ)を忍(しの)びお慕(した)ひ申(まを)して参(まゐ)つたので厶(ござ)います。034何卒(なにとぞ)御(ご)迷惑(めいわく)で厶(ござ)いませうが、035一目(ひとめ)逢(あ)はして下(くだ)さいませぬか。036妾(わらは)はお返事(へんじ)のある迄(まで)表門(おもてもん)にお待(ま)ち申(まを)して居(を)ります。037一(いち)時(じ)も早(はや)く色(いろ)よきお返事(へんじ)をお待(ま)ち申(まを)します。038穴賢(あなかしこ)
039      セーリスより
040  ユーフテス様へ
 
041と記(しる)しあるを見(み)るより、042ユーフテスは俄(にはか)に苦(にが)り切(き)つた顔(かほ)の紐(ひも)を無雑作(むざふさ)に緩(ゆる)め、043牡丹餅(ぼたもち)を砂原(すなはら)に打(う)ちつけたやうな崩(くづ)れた相好(さうがう)で、044右手(みぎて)の甲(かふ)で流(なが)れ落(お)つる口辺(くちばた)の唾涎(よだれ)の始末(しまつ)をつけながら、045目(め)迄(まで)細(ほそ)くして猫撫声(ねこなでごゑ)となり、
046ユーフテス『オー、047コール、048よう使(つかひ)に来(き)て呉(く)れた。049旦那(だんな)様(さま)が、050御(ご)多用中(たようちう)なれども万障(ばんしやう)繰合(くりあは)せ、051暫(しばら)くの間(あひだ)面会(めんくわい)すると仰有(おつしや)るから早(はや)くお出(い)でなさいと案内(あんない)をして来(く)るのだぞ』
052 コールは少(すこ)し耳(みみ)が遠(とほ)いので、053右(みぎ)の手(て)で耳(みみ)を拘(かか)へながら、054ユーフテスの言葉(ことば)を聞(き)き噛(かぢ)り怪訝(けげん)な顔(かほ)して、
055コール『エヽ何(なん)と仰有(おつしや)います。056多忙中(たばうちう)だから面会(めんくわい)が出来(でき)ない、057又(また)出直(でなほ)して来(き)て下(くだ)さいと申上(まをしあ)げるのですか。058折角(せつかく)あんな天女(てんによ)が天降(あまくだ)つて来(き)たのに素気(すげ)なう追(お)ひ帰(かへ)すと云(い)ふ事(こと)がありますかい。059三五教(あななひけう)ぢやないが、060些(ちつ)と見直(みなほ)し聞直(ききなほ)し宣(の)り直(なほ)しをなさつて、061一目(ひとめ)逢(あ)つておやりなさつたらどうでせう』
062ユーフテス『エヽ聾(つんぼ)と云(い)ふ奴(やつ)は仕方(しかた)のないものだなア。063又(また)聞(き)き損(ぞこな)ひをして折角(せつかく)来(き)た恋人(こひびと)を追(お)ひ出(だ)してしまはれては大変(たいへん)だ。064手紙(てがみ)を書(か)いてやるが一番(いちばん)間違(まちが)ひがなくて宜(よ)からう』
065とユーフテスは、066文箱(ふばこ)より料紙(れうし)を取(と)り出(だ)し筆(ふで)に墨(すみ)を滲(にじ)ませ、067筆(ふで)の穂(ほ)を一寸(ちよつと)かんでプツプと黒(くろ)い唾(つば)を二(ふた)つ三(み)つ吐(は)きながら、068すらすらと何事(なにごと)か書(か)き流(なが)し厳封(げんぷう)した上(うへ)、
069ユーフテス『オイ、070コール、071貴様(きさま)は耳(みみ)が遠(とほ)いから間違(まちが)ひがあつては困(こま)るによつて、072其(その)女(をんな)に此(この)手紙(てがみ)を渡(わた)すのだ。073サア早(はや)くこれをもつて往(ゆ)けや』
074と声(こゑ)を高(たか)め耳(みみ)のはた近(ちか)く寄(よ)つて云(い)ひつける。075コールは忽(たちま)ち呑(の)み込(こ)み顔(がほ)、
076コール『ハイ承知(しようち)致(いた)しました』
077と肩(かた)を怒(いか)らし一足(ひとあし)々々(ひとあし)四股踏(しこふ)みながら表門(おもてもん)さして走(はし)り出(い)で、
078コール『コレ、079ナイス、080お前(まへ)も余(あま)り気(き)が利(き)かねえぢやないか。081こんな白昼(はくちう)に、082そんな白首(しらくび)がのそのそとやつて来(く)るものだから、083旦那(だんな)様(さま)が大変(たいへん)な嫌(いや)な顔(かほ)をなさつて御(ご)迷惑(めいわく)をして居(ゐ)なさる。084サア早(はや)く帰(かへ)つたがよからうぞ。085多忙(たばう)で万障(ばんしやう)繰(く)り合(あ)つて居(を)るから、086断(ことわ)り状(じやう)をお書(か)き遊(あそ)ばしたから之(これ)を読(よ)んで諦(あきら)めて帰(かへ)つたがよからう。087本当(ほんたう)に気(き)が利(き)かねえ女(をんな)だなア。088そんな不味(まづ)いやり方(かた)で、089ユーフテス様(さま)を擒(とりこ)にしようと思(おも)つたつて、090手管(てくだ)に乗(の)せようと思(おも)つたつて駄目(だめ)だぞ、091アハヽヽヽ』
092セーリス姫『何(なに)、093ユーフテス様(さま)が帰(かへ)つてくれと仰有(おつしや)つたのかい。094そんな筈(はづ)はありますまいが』
095コール『さてさて強太(しぶと)い女(をんな)だなア。096何(なに)よりも其(その)断(ことわ)り状(じやう)が証拠(しようこ)だ。097早(はや)く封(ふう)押(お)し切(き)つて読(よ)んで見(み)なさい。098さうしたらこなさんの仰有(おつしや)る事(こと)が嘘(うそ)でないと云(い)ふ事(こと)が一目(いちもく)瞭然(れうぜん)となるであらう。099あゝ惜(を)しいものだなア。100旦那(だんな)様(さま)も逢(あ)ひたい事(こと)であらうが、101矢張(やつぱり)俺(おれ)達(たち)に昼(ひる)だと思(おも)つて気兼(きがね)をしてゐらつしやると見(み)える。102ヤイ女(をんな)、103今晩(こんばん)裏口(うらぐち)からやつて来(こ)い。104此(この)コールが気(き)を利(き)かしてソツと逢(あ)はしてやるから、105イヒヽヽヽ』
106 セーリス姫(ひめ)は慌(あわただ)しく封(ふう)じ目(め)を切(き)り、107ソツと読(よ)み下(くだ)せば美事(みごと)な筆跡(ひつせき)で艶(なま)めかしい文字(もんじ)が列(つら)ねてある。108姫(ひめ)はニツコリと打(う)ち笑(わら)ひながら静々(しづしづ)と門(もん)の閾(しきゐ)を跨(また)げて奥(おく)に入(い)らうとする。109コールは頻(しき)りに首(くび)を傾(かたむ)け、
110コール『何(なん)とまア、111押尻(おしけつ)の強(つよ)い女(をんな)だなア。112それだから今時(いまどき)の女(をんな)は奴転婆(どてんば)と云(い)ふのだよ。113百鬼(ひやくき)昼行(ちうこう)とは此(この)事(こと)だ。114こんな厳粛(げんしゆく)なお館(やかた)へ昼(ひる)の日中(ひなか)に白首(しらくび)が往来(わうらい)するやうになつては、115最早(もはや)世(よ)も末(すゑ)だ』
116と云(い)ひながら、117セーリス姫(ひめ)の袖(そで)をグツと握(にぎ)り、
118コール『これこれ、119何処(どこ)のナイスか知(し)らぬが厚顔(あつかま)しい、120断(ことわ)り言(い)はれた家(うち)へ入(はい)ると云(い)ふ事(こと)があるか。121早(はや)く帰(かへ)つたり早(はや)く帰(かへ)つたり』
122とグツと力(ちから)にまかして引(ひ)き戻(もど)さうとするのをセーリス姫(ひめ)は、
123セーリス姫『エヽ面倒(めんだう)』
124と一(ひと)つ肱(ひぢ)を振(ふ)つた途端(とたん)に、125コールは二三間(にさんげん)ばかり跳飛(はねと)ばされドスンと大地(だいち)に尻餅(しりもち)をつき、126アイタヽヽと面(つら)を顰(しか)めて姫(ひめ)の姿(すがた)を見送(みおく)つて居(ゐ)る。127姫(ひめ)はコールに頓着(とんちやく)なく、128奥庭(おくには)さして進(すす)み入(い)る。
129 ユーフテスは、130セーリス姫(ひめ)の入(い)り来(きた)るを今(いま)や遅(おそ)しと待(ま)つ間(ま)の長(なが)き鶴(つる)の首(くび)、131石亀(いしがめ)のやうに手足(てあし)を急(せは)しく動(うご)かしながら、132座敷中(ざしきちう)を願望(ぐわんばう)成就(じやうじゆ)の時節(じせつ)到来(たうらい)とステテコ踊(をど)りをやつて居(ゐ)る、133そこへサラサラと衣摺(きぬず)れの音(おと)聞(きこ)えて入(い)り来(く)る人(ひと)の跫音(あしおと)は、134どうやらセーリス姫(ひめ)らしいので、135俄(にはか)に眉毛(まゆげ)を撫(な)でたり目脂(めやに)が溜(たま)つて居(ゐ)ないかといぢつてみたり、136鼻糞(はなくそ)を掃除(さうぢ)したり唾涎(よだれ)を拭(ぬぐ)つたり襟(えり)を直(なほ)したり、137態(わざ)とに躍(をど)る胸(むね)を撫(な)でながら控(ひか)へて居(ゐ)る。138どことはなしに顔(かほ)はパツと紅葉(もみぢ)を散(ち)らし心(こころ)落(お)ちつかぬ様子(やうす)である。139其処(そこ)へ襖(ふすま)をソツと押(お)し開(あ)けて一瞥(いちべつ)、140城(しろ)を覆(くつが)へすやうな絶世(ぜつせい)の美人(びじん)、141イルナ城(じやう)の花(はな)と謳(うた)はれたセーリス姫(ひめ)が立居(たちゐ)もいと淑(しと)やかに満面(まんめん)に笑(ゑみ)を湛(たた)へ入(い)り来(きた)る姿(すがた)は、142牡丹(ぼたん)か芍薬(しやくやく)か百合(ゆり)の花(はな)か、143又(また)も違(ちが)うたら白蓮華(しろれんげ)、144桔梗(ききやう)の花(はな)の雨露(あめつゆ)に霑(うるほ)ふ優姿(やさすがた)、145淑(しと)やかに白(しろ)き細(ほそ)き柔(やはら)かき鼈甲(べつかふ)のやうな皮膚(きめ)の細(こま)かい手(て)をつきながら、146態(わざ)とに声(こゑ)を震(ふる)はせ恥(はづ)かし気(げ)に、
147セーリス姫『ユーフテス様(さま)、148お懐(なつ)かしう厶(ござ)います』
149と云(い)つたきり畳(たたみ)に首(くび)を打(う)ちつけて態(わざ)とに肩(かた)で息(いき)をして見(み)せる。150ユーフテスはニコニコしながら嬉(うれ)しさうな顔(かほ)をして、151女(をんな)に馬鹿(ばか)にしられてはならぬ、152此処(ここ)が一(ひと)つ男(をとこ)の売(う)り所(どころ)だと云(い)はむばかりに儼然(げんぜん)として、
153ユーフテス『セーリス姫(ひめ)殿(どの)、154此(この)白昼(はくちう)に女(をんな)の身(み)として人目(ひとめ)も繁(しげ)きに拘(かかは)らず、155お訪(たづ)ね下(くだ)さるとは些(ちつ)と不注意(ふちうい)では厶(ござ)らぬか。156左様(さやう)な気(き)の利(き)かない貴女(あなた)とは思(おも)はなかつた。157今迄(いままで)吾々(われわれ)も姫(ひめ)の容色(ようしよく)に迷(まよ)ひ、158幾度(いくたび)となく艶書(えんしよ)を差上(さしあ)げたなれど、159決(けつ)して自分(じぶん)の本心(ほんしん)では厶(ござ)らぬ事(こと)はない。160何用(なによう)あつて今頃(いまごろ)吾(わが)宅(たく)をお訪(たづ)ねなさつたか、161女(をんな)の分際(ぶんざい)として些(ち)と不届(ふとど)きでは厶(ござ)らぬかナ』
162と空威張(からゐば)りして見(み)せて居(ゐ)る。
163セーリス姫『ホヽヽヽヽお情(なさけ)ないそのお言葉(ことば)、164それ程(ほど)妾(わたし)がお気(き)に入(い)りませぬなら只今(ただいま)限(かぎ)りお暇(いとま)を致(いた)します。165不束(ふつつか)な女(をんな)が参(まゐ)りましてお腹(はら)を立(た)てさせまして誠(まこと)に申訳(まをしわけ)が厶(ござ)いませぬ。166妾(わたし)も女(をんな)のはしくれ、167今迄(いままで)貴方(あなた)に操(あやつ)られて居(ゐ)たかと思(おも)へば腹(はら)が立(た)ちます』
168と立(た)ち上(あが)り、169クルリと後(うしろ)を向(む)け帰(かへ)らうとするのをユーフテスはあわてて引(ひ)き止(と)め、
170ユーフテス『マヽヽマお待(ま)ちなさいませ。171短気(たんき)は損気(そんき)、172姫(ひめ)様(さま)のやうにさう早取(はやど)りをしられては困(こま)ります。173貴女(あなた)は貴(たふと)い刹帝利(せつていり)の家筋(いへすぢ)、174私(わたし)は卑(いや)しい首陀(しゆだ)の成(な)り上(あが)りもの、175到底(たうてい)階級(かいきふ)が違(ちが)ひますから、176貴女(あなた)のお傍(そば)へも寄(よ)れない身分(みぶん)で厶(ござ)いますが、177恋(こひ)には上下(じやうげ)の隔(へだ)てなしとか、178つい失礼(しつれい)な事(こと)を申上(まをしあ)げました。179どうぞ許(ゆる)して下(くだ)さいませ』
180セーリス姫『ホヽヽヽそりや何(なに)を仰有(おつしや)いますか。181若(わか)き血潮(ちしほ)の湧(わ)き満(み)ちた佳人(かじん)と佳人(かじん)、182誰(たれ)に遠慮(ゑんりよ)が厶(ござ)いませう。183現界(げんかい)の階級(かいきふ)は階級(かいきふ)と致(いた)しましても、184恋愛(れんあい)と云(い)ふ神聖(しんせい)な道(みち)には上下(じやうげ)の区別(くべつ)は厶(ござ)いますまい。185妾(わたし)は左様(さやう)な階級(かいきふ)的(てき)制度(せいど)は気(き)に入(い)りませぬ。186何(なん)とかして時代(じだい)に目醒(めざ)めたる婦人(ふじん)を集(あつ)め恋愛(れんあい)神聖論(しんせいろん)を天下(てんか)に高調(かうてう)したいと内々(ないない)活動中(くわつどうちう)で厶(ござ)いますよ、187ホヽヽヽ』
188ユーフテス『思(おも)ひの外(ほか)開(ひら)けた姫(ひめ)様(さま)だナア。189それだから此(この)ユーフテスが好(す)きで耐(たま)らないと申(まを)しまするのだ。190いやもうズツと気(き)に入(い)りました。191斯(か)うして姫(ひめ)様(さま)の御(ご)心中(しんちう)を承(うけたま)はつた以上(いじやう)は何(なに)も彼(か)も打(う)ち明(あ)けて、192一(ひと)つ天下(てんか)の為(た)めに大活動(だいくわつどう)を致(いた)さうぢやありませぬか』
193セーリス姫『左様(さやう)で厶(ござ)います。194恋愛(れんあい)は恋愛(れんあい)として置(お)きまして、195一(ひと)つ此(この)世(よ)に生(うま)れて来(き)た以上(いじやう)は、196貴方(あなた)と妾(わたし)と夫婦(ふうふ)となり、197息(いき)を合(あは)して纒(まと)まつた大事業(だいじげふ)を起(おこ)したらどうでせうかなア』
198ユーフテス『ホー、199そいつは面白(おもしろ)い。200それだからどうしてもお前(まへ)さまの事(こと)が思(おも)ひ切(き)れないと云(い)ふのだ。201エヘヽヽヽ』
202セーリス姫『オホヽヽヽ、203貴方(あなた)も仲々(なかなか)隅(すみ)に置(お)けない悪人(あくにん)ですなア』
204ユーフテス『そりやさうでせうかい、205右守(うもり)さまのお気(き)に入(い)りになつて居(を)る位(くらゐ)だから。206エヽ併(しか)し姫(ひめ)様(さま)は左守(さもり)さまの御(おん)息女(むすめ)、207表面(へうめん)は左守(さもり)右守(うもり)として日々(にちにち)お勤(つと)めになつて親密(しんみつ)さうにして厶(ござ)るが、208心(こころ)の中(なか)は犬(いぬ)と猿(さる)、209丁度(ちやうど)仇(かたき)同士(どうし)のやうなもので厶(ござ)いますなア。210こいつを何(なん)とかして都合(つがふ)よく纒(まと)めたいものです。211さうでなければ、212私(わたし)と貴女(あなた)との恋(こひ)はいつ迄(まで)も完全(くわんぜん)に維持(ゐぢ)することは出来(でき)ますまい』
213セーリス姫『何(なん)と不思議(ふしぎ)の事(こと)を承(うけたま)はります。214左守(さもり)、215右守(うもり)の両役(りやうやく)はセーラン王(わう)様(さま)の両腕(りやううで)、216鳥(とり)で云(い)はば左右(さいう)の翼(つばさ)、217どうしてそんな暗闘(あんとう)が厶(ござ)いませうぞ。218それは何(なに)かのお考(かんが)へ違(ちが)ひでは厶(ござ)いますまいかなア』
219 ユーフテスは首(くび)を左右(さいう)に振(ふ)り、
220ユーフテス『イエイエどうしてどうして、221大変(たいへん)な暗闘(あんとう)で厶(ござ)いますよ。222暗闘(あんとう)の中(うち)はまだ宜(よろ)しいが、223今日(こんにち)の所(ところ)は既(すで)に表向(おもてむき)の戦(たたか)ひになりかけて居(を)りますよ』
224 セーリス姫(ひめ)は態(わざ)と驚(おどろ)いたやうな顔付(かほつき)きで、225一寸(ちよつと)口(くち)を尖(とが)らし目(め)を丸(まる)くし、226ユーフテスの顔(かほ)を打(う)ち眺(なが)めながら、
227セーリス姫『それは大変(たいへん)な事(こと)を承(うけたま)はりました。228果(はた)してそんな事(こと)があつたら妾(わたし)はどう致(いた)しませうか。229貴方(あなた)との恋(こひ)も従(したが)つて駄目(だめ)になりませう。230それが残念(ざんねん)で厶(ござ)います』
231と空涙(そらなみだ)を零(こぼ)して俯向(うつむ)く。
232ユーフテス『訳(わけ)を申(まを)さねば分(わか)りますまいが、233貴女(あなた)のお姉様(ねえさま)のヤスダラ姫(ひめ)様(さま)が、234セーラン王(わう)様(さま)の御許婚(いひなづけ)であつた事(こと)は御存(ごぞん)じの通(とほ)りです。235さうした処(ところ)が、236セーラン王(わう)様(さま)は余(あま)り剛直(がうちよく)一方(いつぱう)のお方(かた)で、237世上(せじやう)の交際(かうさい)がまづいため、238当時(たうじ)勢(いきほひ)並(なら)ぶものなき大黒主(おほくろぬし)様(さま)に御(ご)意見(いけん)を申上(まをしあ)げたり、239又(また)鬼熊別(おにくまわけ)様(さま)に同情(どうじやう)をしたり遊(あそ)ばすものだから、240大棟梁(だいとうりやう)様(さま)の御(ご)気勘(きかん)に触(さは)り、241既(すで)にイルナの国王(こくわう)を召(め)し上(あ)げらるる所(ところ)であつたのを、242右守(うもり)のカールチン様(さま)が種々(いろいろ)と弁解(べんかい)を遊(あそ)ばし、243一(いち)時(じ)は無事(ぶじ)に治(をさ)まつたので厶(ござ)います。244其(その)代(かは)りにヤスダラ姫(ひめ)様(さま)をテルマン国(ごく)のシヤールといふ毘舎(びしや)の家(いへ)に降(くだ)し、245カールチン様(さま)のお息女(むすめ)サマリー姫(ひめ)様(さま)を妃(きさき)に入(い)れて漸(やうや)う其(その)場(ば)のゴミを濁(にご)し、246イルナの国(くに)を今日(こんにち)迄(まで)維持(ゐぢ)してお出(い)でになつたのは、247隠(かく)れたる忠臣(ちうしん)カールチン様(さま)で厶(ござ)います。248貴女(あなた)の父上(ちちうへ)クーリンス様(さま)は左守(さもり)の職(しよく)にありながら、249社交術(しやかうじゆつ)が不味(まづ)いためにイルナの国(くに)を既(すで)に棒(ぼう)に振(ふ)らうとなさいました。250此(この)間(かん)の消息(せうそく)を知(し)つて居(ゐ)るものは、251此(この)ユーフテスしかありませぬよ。252定(さだ)めてセーラン王(わう)様(さま)もカールチンは不忠(ふちう)な奴(やつ)、253自分(じぶん)の娘(むすめ)を妃(きさき)となし、254ヤスダラ姫(ひめ)を退(の)け、255遂(つひ)にはイルナの国(くに)を占領(せんりやう)しようとするものと早合点(はやがつてん)してゐらつしやるさうですが、256如何(いか)に隠(かく)れたる忠臣(ちうしん)たるカールチン様(さま)だとて、257サマリー姫(ひめ)様(さま)を王(わう)様(さま)が虐待(ぎやくたい)なされ、258それがため御(ご)離縁(りえん)になるやうな事(こと)があればそれこそ大変(たいへん)です。259大黒主(おほくろぬし)様(さま)に対(たい)してでも、260カールチン様(さま)は反旗(はんき)を翻(ひるがへ)し、261涙(なみだ)を呑(の)んでセーラン王(わう)を国家(こくか)のために放逐(はうちく)せなければならぬやうになつて居(を)ります』
262セーリス姫『何(なん)とマア右守(うもり)様(さま)は、263そのやうな立派(りつぱ)なお方(かた)で厶(ござ)いますかなア。264最前(さいぜん)貴方(あなた)は大悪人(だいあくにん)の右守(うもり)の部下(ぶか)だからと仰有(おつしや)つたでは厶(ござ)いませぬか』
265ユーフテス『そりや悪人(あくにん)と云(い)へば悪人(あくにん)でせう。266一(ひと)つ虫(むし)の居所(ゐどころ)が悪(わる)くなつたら、267どんな事(こと)をなさるか計(はか)り難(がた)い権幕(けんまく)ですから「君(きみ)君(きみ)たらずんば臣(しん)臣(しん)たるべからず」と常々(つねづね)仰有(おつしや)つて居(ゐ)ましたから、268今度(こんど)サマリー姫(ひめ)様(さま)が王(わう)様(さま)と争(いさかひ)をしてお帰(かへ)りになつたを機(しほ)に、269ハルナの都(みやこ)に早馬使(はやうまづかひ)を立(た)てられましたから、270キツト王(わう)様(さま)の為(ため)に好(よ)い事(こと)はありますまい。271併(しか)しながらこのユーフテスは、272カールチン様(さま)の秘密(ひみつ)の鍵(かぎ)を握(にぎ)つた男(をとこ)、273私(わたし)の首(くび)の振(ふ)りやう一(ひと)つで大抵(たいてい)の事(こと)は結末(けつまつ)がつきますから、274貴女(あなた)と斯(か)うなつた以上(いじやう)は、275秘密(ひみつ)さへ守(まも)つて下(くだ)さるなら、276何(なに)も彼(か)も相談(さうだん)し合(あ)つて、277貴女(あなた)のお願(ねが)ひとならばセーラン王(わう)様(さま)をお助(たす)けしないものでもありませぬ。278又(また)クーリンス様(さま)をお助(たす)けするもしないも、279皆(みな)此(この)ユーフテスの手(て)に握(にぎ)つて居(を)る絶対(ぜつたい)権利(けんり)でありますからなア』
280と稍(やや)傲慢気(がうまんげ)に述(の)べ立(た)てるを、281セーリス姫(ひめ)は態(わざ)と心配気(しんぱいげ)な顔(かほ)をして、
282セーリス姫『実(じつ)を申(まを)せば、283妾(わたし)だつて王(わう)様(さま)に対(たい)しあまり深(ふか)い恩顧(おんこ)を受(う)けたと云(い)ふでもなし、284貴方(あなた)とかうして気楽(きらく)に暮(くら)さるれば、285これに越(こ)したる喜(よろこ)びは厶(ござ)いませぬワ』
286ユーフテス『姫(ひめ)がさういふお心(こころ)なら、287私(わたし)は何(なに)も彼(か)も包(つつ)まずに云(い)ひませう。288実(じつ)は大黒主(おほくろぬし)の大棟梁(だいとうりやう)より、289幾度(いくたび)も密使(みつし)が参(まゐ)り、290カールチン様(さま)に入那(いるな)の国(くに)の国王(こくわう)となれとの御(ご)命令(めいれい)、291それについては鬼熊別(おにくまわけ)の妻子(さいし)が三五教(あななひけう)の宣伝使(せんでんし)となり、292バラモン教(けう)の根底(こんてい)を攪乱(かくらん)すべく斎苑(いそ)館(やかた)の本拠(ほんきよ)を立(た)ち出(い)でて此方(こなた)に来(く)るとの事(こと)で、293彼(かれ)を一(いち)日(にち)も早(はや)く引(ひ)き捕(とら)へよとの御(ご)厳命(げんめい)、294それさへ早(はや)く手(て)に入(い)れば、295カールチン様(さま)は忽(たちま)ちイルナの国王(こくわう)とおなり遊(あそ)ばし、296ユーフテスは直(ただち)に左守(さもり)に抜擢(ばつてき)される事(こと)に極(きま)つて居(を)ります。297これは大(だい)の秘密(ひみつ)ですから誰(だれ)にも言(い)つてはなりませぬぞや』
298セーリス姫『それは嬉(うれ)しい事(こと)で厶(ござ)います。299仮令(たとへ)どうならうと貴方(あなた)の御(ご)出世(しゆつせ)さへ出来(でき)れば、300妾(わたし)は貴方(あなた)の女房(にようばう)、301麻(あさ)につれ添(そ)う蓬(よもぎ)とやら、302一緒(いつしよ)に権力(けんりよく)がのび行(ゆ)くのですから、303どうぞ御(ご)成功(せいこう)を望(のぞ)みます』
304ユーフテス『イヤ、305それ聞(き)いて私(わたし)も安心(あんしん)を致(いた)しました。306それならセーリス姫(ひめ)殿(どの)、307キツト私(わたし)の妻(つま)ですなア。308必(かなら)ず変心(へんしん)して下(くだ)さるなや』
309セーリス姫『女(をんな)の一心(いつしん)岩(いは)でも射貫(いぬ)く、310妾(わたし)は決(けつ)して変(かは)りませぬ。311貴方(あなた)こそ左守(さもり)とおなり遊(あそ)ばしたら妾(わたし)をお捨(す)てなさるのでせう。312それが心配(しんぱい)でなりませぬわ』
313ユーフテス『決(けつ)して決(けつ)して、314左様(さやう)な心配(しんぱい)はして下(くだ)さるな。315二世(にせ)三世(さんせ)は愚(おろ)か五百世(いほせ)まで誠(まこと)の夫婦(ふうふ)で厶(ござ)る』
316セーリス姫『それを承(うけたま)はつてヤツと安心(あんしん)を致(いた)しました。317併(しか)しながら人目(ひとめ)の関(せき)も厶(ござ)りますれば、318今日(けふ)はこれでお暇(いとま)を致(いた)します。319どうぞ女(をんな)が度々(たびたび)参(まゐ)りましては目的(もくてき)の妨(さまた)げになりますから、320城内(じやうない)でお目(め)にかかりませう』
321ユーフテス『あゝ惜(を)しい別(わか)れだが二人(ふたり)の将来(しやうらい)の為(た)めだ。322それならここで別(わか)れませう』
323セーリス姫『明日(あす)御(ご)登城(とじやう)になりましたら、324どうぞ妾(わたし)の居間(ゐま)をお訪(たづ)ね下(くだ)さいませ。325併(しか)し人目(ひとめ)もありますから、326態(わざ)とに素気(すげ)なう致(いた)して居(を)りますから、327必(かなら)ずお気(き)に触(さ)へて下(くだ)さいますなや』
328ユーフテス『口(くち)で悪(わる)云(い)うて心(こころ)でほめて蔭(かげ)の惚気(のろけ)が聞(き)かしたい……と云(い)ふ筆法(ひつぱふ)ですな、329アハヽヽヽ』
330セーリス姫『オホヽヽヽ左様(さやう)ならばお暇(いとま)致(いた)します』
331と両人(りやうにん)は立(た)ち上(あが)り堅(かた)く手(て)を握(にぎ)り合(あ)ひ、332目(め)と目(め)を見合(みあ)はし、333残(のこ)り惜(を)しげに左右(さいう)に袂(たもと)を分(わか)てり。
334(大正一一・一一・一〇 旧九・二二 加藤明子録)
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