霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
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第八章 無理(むり)往生(わうじやう)〔一一一二〕

インフォメーション
著者:出口王仁三郎 巻:霊界物語 第41巻 舎身活躍 辰の巻 篇:第2篇 神機赫灼 よみ(新仮名遣い):しんきかくしゃく
章:第8章 無理往生 よみ(新仮名遣い):むりおうじょう 通し章番号:1112
口述日:1922(大正11)年11月11日(旧09月23日) 口述場所: 筆録者:北村隆光 校正日: 校正場所: 初版発行日:1924(大正13)年6月15日
概要: 舞台: あらすじ[?]このあらすじはMさん作成です(一部加筆訂正してあります)。一覧表が「王仁DB」にあります。[×閉じる]:
中央印度のデカタン高原の南方に、テルマン国という大国があった。テルマンの都に富豪の聞こえたかい毘舎族のシャールという男があった。シャールは富力にまかせて妾を買い込み、本妻のヤスダラ姫には至極冷淡な扱いをしていた。
ヤスダラ姫はイルナ国の刹帝利の生まれで、セーラン王の許嫁であったが、右守の策略でシャールに嫁がせられていた。
ヤスダラ姫の別宅には二人の侍女と、取り締まりとしてリーダーという若い男が仕えていた。リーダーは万事抜け目なく立ち回る利口な男で、ヤスダラ姫も心をゆるし、時おり琴などを弾じさせて日々の憂鬱を慰めていた。
ある日、普段は寄り付かないシャールが突然、ヤスダラ姫の別宅を訪ねてきた。シャールは、イルナ国右守の妻・テーナ姫を伴ってやってきて、ヤスダラ姫がイルナ国王に恋文を送り不貞の罪を犯したと身に覚えのないことで姫を責め立てるのであった。
右守は、イルナ国からセーラン王とクーリンスを放逐するにあたって、クーリンスの娘にして王の従妹であるヤスダラ姫が障害とならないよう、シャールに不貞の罪を讒言し、ヤスダラ姫を幽閉させようという計略であった。
シャールは、大黒主の信任が厚いイルナ国右守の権勢を恐れており、もともと不仲のヤスダラ姫を邸内の牢獄に幽閉してしまった。
風雨雷電の激しい夜、忠義のリーダーは堅牢な牢獄を打ち破り、ヤスダラ姫を救い出し闇にまぎれてシャールの館を脱出した。二人は夜を日についでイルナ国に逃げ帰ることになった。
主な登場人物[?]【セ】はセリフが有る人物、【場】はセリフは無いがその場に居る人物、【名】は名前だけ出て来る人物です。[×閉じる]: 備考: タグ: データ凡例: データ最終更新日:2022-12-11 11:46:06 文字数:4654 OBC :rm4108
愛善世界社版:113頁 八幡書店版:第7輯 572頁 修補版: 校定版:117頁 普及版:56頁 初版: ページ備考:
001 中央(ちうあう)印度(いんど)のデカタン高原(かうげん)の南方(なんぱう)に当(あた)るテルマン国(ごく)と云(い)ふ、002住民(ぢうみん)殆(ほとん)ど十万(じふまん)に近(ちか)き、003印度(いんど)では相当(さうたう)な大国(たいこく)があつた。004テルマンの都(みやこ)に富豪(ふうがう)の聞(きこ)え高(たか)き毘舎族(びしやぞく)にシヤールと云(い)ふ男(をとこ)があつた。005其(その)邸宅(ていたく)は都(みやこ)の東方(とうはう)最(もつと)も風景(ふうけい)佳(よ)き地(ち)を選(えら)み、006邸(やしき)の周囲(しうゐ)一(いち)里(り)四方(しはう)にあまり、007深(ふか)き広(ひろ)き濠(ほり)を囲(めぐ)らし、008其(その)勢(いきほ)ひ王者(わうじや)を凌(しの)ぐばかりの豪奢(がうしや)振(ぶ)りを発揮(はつき)してゐる。009富力(ふりよく)に任(まか)せて数多(あまた)の美人(びじん)を買(か)ひ求(もと)め来(きた)り之(これ)を妾(てかけ)となし、010本妻(ほんさい)のヤスダラ姫(ひめ)に対(たい)しては極(きは)めて冷酷(れいこく)な取扱(とりあつかひ)をしてゐた。011ヤスダラ姫(ひめ)は入那(いるな)の国(くに)のセーラン王(わう)が従妹(いとこ)に当(あた)る刹帝利(せつていり)の生(うま)れで、012セーラン王(わう)の許嫁(いひなづけ)であつた事(こと)は前節(ぜんせつ)已(すで)に述(の)べた通(とほ)りである。013ヤスダラ姫(ひめ)はシヤールの広(ひろ)き邸(やしき)の中(なか)に可(か)なり美(うる)はしき家宅(かたく)を与(あた)へられ、014二人(ふたり)の侍女(じぢよ)と共(とも)に面白(おもしろ)からぬ月日(つきひ)を送(おく)りつつあつた。015ヤスダラ姫館(ひめやかた)の取締(とりしまり)にリーダーと云(い)ふ年若(としわか)き綺麗(きれい)な万事(ばんじ)抜目(ぬけめ)なく立廻(たちまは)る利口(りこう)な男(をとこ)があつた。016ヤスダラ姫(ひめ)は此(この)リーダーを此上(こよ)なきものと愛(あい)し時々(ときどき)琴(こと)等(など)を弾(だん)じさせ其(その)日(ひ)の鬱(うつ)を慰(なぐさ)めてゐた。017或(ある)時(とき)ヤスダラ姫(ひめ)は一間(ひとま)に閉(と)ぢ籠(こも)り、018一絃琴(いちげんきん)を弾(だん)じながら述懐(じゆつくわい)を歌(うた)うてゐる。
019ヤスダラ姫『水(みづ)の流(なが)れと人(ひと)の行末(ゆくすゑ)
020定(さだ)めなき世(よ)と云(い)ひながら
021夢(ゆめ)の浮世(うきよ)に生(うま)れ来(き)て
022妾(わらは)は尊(たふと)き刹帝利(せつていり)
023セーラン王(わう)の従妹(いとこ)と生(うま)れ
024年端(としは)も行(ゆ)かぬ幼(をさな)き頃(ころ)より
025親(おや)と親(おや)との許嫁(いひなづけ)
026吾(わが)行末(ゆくすゑ)はイルナの国(くに)
027治統(うしは)ぎ給(たま)ふセーラン王(わう)の
028后(きさき)と仕(つか)へまつる身(み)の
029今(いま)は果敢(はか)なきヤスダラ姫(ひめ)
030遠(とほ)き山野(さんや)を隔(へだ)てたる
031テルマン国(ごく)の毘舎(びしや)と在(ま)す
032シヤールの妻(つま)と下(おろ)されて
033朝(あさ)な夕(ゆふ)なに現世(うつしよ)を
034はかなみ暮(くら)す悲(かな)しさよ
035空(そら)ゆく雲(くも)を眺(なが)むれば
036西(にし)へ西(にし)へと流(なが)れ行(ゆ)く
037御空(みそら)をかける鳥(とり)見(み)れば
038之(これ)また西(にし)へ進(すす)み行(ゆ)く
039空(そら)行(ゆ)く雲(くも)や飛(た)つ鳥(とり)の
040人(ひと)の哀(あは)れを知(し)るならば
041イルナの国(くに)に在(あ)れませる
042セーラン王(わう)の御(おん)許(もと)へ
043切(せつ)なき妾(わらは)が思(おも)ひねを
044完全(うまら)に詳細(つばら)に訪(おとづ)れよ
045朝(あさ)な夕(ゆふ)なに吾(わが)恋(こ)ふる
046聖(ひじり)の王(きみ)の身(み)の上(うへ)を
047案(あん)じ過(すご)して夜(よ)も昼(ひる)も
048心(こころ)痛(いた)むるヤスダラ姫(ひめ)
049思(おも)ひ廻(まは)せば吾(わが)身(み)ほど
050因果(いんぐわ)なものが世(よ)にあらうか
051月(つき)の国(くに)にて刹帝利(せつていり)の
052尊(たふと)き家(いへ)に生(うま)れあひ
053貴勝(きしよう)の地位(ちゐ)にありながら
054今(いま)は卑(いや)しき毘舎(びしや)の妻(つま)
055神(かみ)も仏(ほとけ)も世(よ)の中(なか)に
056お在(は)しまさずや、あゝ悲(かな)し
057情(つれ)なの娑婆(しやば)に永(なが)らへて
058胸(むね)の炎(ほのほ)を焦(こが)しつつ
059消(け)す術(すべ)もなき苦(くる)しさよ
060シヤールの夫(をつと)は朝夕(あさゆふ)に
061富(とみ)の力(ちから)に任(まか)せつつ
062毘舎(びしや)の娘(むすめ)や首陀(しゆだ)の子(こ)を
063彼方(あちら)此方(こちら)と狩(か)り集(あつ)め
064吾物顔(わがものがほ)に女子(をみなご)を
065弄(もてあそ)びつつ妹(いも)と背(せ)の
066尊(たふと)き道(みち)を打(う)ち忘(わす)れ
067妾(わらは)に対(たい)して一度(ひとたび)も
068情(なさけ)をかけし事(こと)もなし
069バラモン教(けう)を守(まも)ります
070梵天(ぼんてん)帝釈(たいしやく)自在天(じざいてん)
071大国彦(おほくにひこ)の神(かみ)様(さま)よ
072ヤスダラ姫(ひめ)の境遇(きやうぐう)を
073憐(あは)れみ給(たま)ひて一時(ひととき)も
074早(はや)く恋(こひ)しきセーラン王(わう)に
075一目(ひとめ)なりとも会(あ)はせかし
076仮令(たとへ)吾(わが)身(み)は朽(く)つるとも
077神(かみ)より受(う)けし吾(わが)魂(たま)は
078王(きみ)の御側(みそば)に通(かよ)ひつつ
079朝夕(あさゆふ)御(おん)身(み)を守(まも)るべし
080テルマン国(ごく)は広(ひろ)くとも
081シヤールの家(いへ)の瑞垣(みづがき)は
082山(やま)より高(たか)く築(きづ)くとも
083邸(やしき)を囲(めぐ)る濠水(ほりみづ)は
084何程(なにほど)深(ふか)く広(ひろ)くとも
085王(きみ)を慕(した)へる吾(わが)心(こころ)
086如何(いか)でか通(かよ)はぬ事(こと)やあらむ
087あゝ惟神(かむながら)々々(かむながら)
088御霊(みたま)幸(さち)はひましまして
089御魂(みたま)の清(きよ)き人(ひと)の来(き)て
090吾(わが)身(み)を救(すく)ひ夜(よ)に紛(まぎ)れ
091父(ちち)のまします入那(いるな)の国(くに)に
092送(おく)らせ給(たま)へ自在天(じざいてん)
093尊(たふと)き神(かみ)の御(おん)前(まへ)に
094心(こころ)も常(つね)に安(やす)からぬ
095ヤスダラ姫(ひめ)が真心(まごころ)を
096籠(こ)めてぞ祈(いの)り奉(たてまつ)る
097あゝ惟神(かむながら)々々(かむながら)
098此(この)世(よ)を造(つく)り給(たま)ひたる
099皇(すめ)大神(おほかみ)の御(おん)前(まへ)に
100慎(つつし)み敬(いやま)ひ願(ね)ぎ奉(まつ)る』
101と淑(しとや)かに歌(うた)つてゐる。102かかる所(ところ)へ邸(やしき)の内外(ないぐわい)の掃除(さうぢ)を済(す)ませ身禊(みそぎ)をなし、103正服(せいふく)と着換(きか)へて姫(ひめ)の室(しつ)を訪(たづ)ねて来(き)たのは忠僕(ちうぼく)のリーダーである。104姫(ひめ)は琴(こと)の手(て)をやめてニツコと笑(わら)ひ、
105ヤスダラ姫『あゝ其方(そなた)はリーダー殿(どの)、106大変(たいへん)早(はや)いぢやありませぬか。107大層(たいそう)お掃除(さうぢ)が……今日(けふ)は又(また)特別(とくべつ)によく出来(でき)たやうですな』
108リーダー『ハイ、109今日(けふ)は旦那(だんな)様(さま)から御(ご)命令(めいれい)が厶(ござ)りましたので、110早朝(さうてう)より室内(しつない)の掃除(さうぢ)を致(いた)し、111門(もん)の隅々(すみずみ)まで竹箒(たけばうき)がバイタになる所(ところ)まで掃(は)きちぎつて置(お)きました。112大変(たいへん)美(うつく)しくなつたでせう。113破(やぶ)れ草鞋(わらぢ)の様(やう)に隅(すみ)から隅(すみ)まではきちぎつて置(お)きました。114アハヽヽヽ』
115ヤスダラ姫『ホヽヽヽヽ、116掃(は)きちぎつて置(お)いたのは結構(けつこう)だが、117今日(けふ)に限(かぎ)つて特別(とくべつ)の御(ご)命令(めいれい)を遊(あそ)ばすとは、118何(なに)かのはき違(ちが)ひでも出来(でき)たのぢやありませぬか』
119リーダー『ハイハイ何分(なにぶん)僕(しもべ)のことで姫(ひめ)様(さま)が御存(ごぞん)じない位(くらゐ)ですから、120吾々(われわれ)にはハキハキと何(なに)御用(ごよう)か分(わか)りませぬ。121兎(と)も角(かく)履物(はきもの)の位置(ゐち)をキチンと揃(そろ)へて置(お)きました。122これで旦那(だんな)様(さま)がお見(み)えになつても、123家内(かない)しめて四(よ)名(めい)と云(い)ふ事(こと)が分(わか)りますやうに、124履物(はきもの)が玄関口(げんくわんぐち)にお迎(むか)へを致(いた)して居(を)りますわ』
125 ヤスダラ姫(ひめ)は少(すこ)しく頭(かうべ)を傾(かたむ)け、
126ヤスダラ姫『ハテナ、127いつもお見(み)えになつた事(こと)のない旦那(だんな)様(さま)が御(お)入(い)りなのか知(し)らぬ。128どうせ碌(ろく)なことではあるまい』
129と独語(ひとりご)ちつつ心配(しんぱい)さうに考(かんが)へ込(こ)んでゐる。130そこへ二三(にさん)人(にん)の供人(ともびと)を従(したが)へ足音(あしおと)高(たか)くやつて来(き)たのはシヤールである。131ヤスダラ姫(ひめ)は一絃琴(いちげんきん)を手早(てばや)くとつて床(とこ)の間(ま)にキチンと直(なほ)し、132襟(えり)を正(ただ)し満面(まんめん)に愛嬌(あいけう)を湛(たた)へながら、133言葉(ことば)優(やさ)しく、
134ヤスダラ姫『あゝ貴方(あなた)は旦那(だんな)様(さま)、135よくまあ入(い)らして下(くだ)さいました。136今日(けふ)は何(なに)か変(かは)つた御(ご)用向(ようむき)でも出来(でき)ましたか』
137と慇懃(いんぎん)に尋(たづ)ぬればシヤールは木訥(ぼくとつ)な声(こゑ)で、
138シャール『何(なに)、139別(べつ)にこれと云(い)ふ用(よう)はないのだが、140今日(けふ)はお前(まへ)に一(ひと)つ聞(き)き訊(ただ)さねばならぬ事(こと)が出来(でき)たのだから、141其(その)積(つも)りで包(つつ)まず隠(かく)さずハツキリと返答(へんたふ)をしてもらはねばならぬよ』
142と面(つら)膨(ふく)らし不機嫌(ふきげん)の体(てい)である。143ヤスダラ姫(ひめ)は胸(むね)を轟(とどろ)かせながら、
144ヤスダラ姫『それは又(また)変(かは)つた御(ご)用向(ようむき)、145何(なに)か妾(わらは)の一身(いつしん)上(じやう)に就(つ)いて嫌疑(けんぎ)がおありなさるのですか』
146シャール『あればこそ、147忙(いそが)しい中(なか)を一(いち)日(にち)の暇(ひま)を割(さ)いてお前(まへ)の館(やかた)へ出(で)て来(き)たのだ。148暫(しばら)く待(ま)つて居(ゐ)ろ。149入那(いるな)の都(みやこ)からカールチンの奥様(おくさま)テーナ姫(ひめ)様(さま)がお前(まへ)の身(み)の上(うへ)に就(つ)いてお越(こ)しになつたのだ。150お前(まへ)は夫(をつと)の目(め)を忍(しの)び、151入那(いるな)の国(くに)のセーラン王(わう)の御許(みもと)へ艶書(えんしよ)を送(おく)つたではないか』
152 ヤスダラ姫(ひめ)は打驚(うちおどろ)き顔色(がんしよく)を変(か)へて、
153ヤスダラ姫『な……何(なん)と仰(あふ)せられます。154まるで寝耳(ねみみ)に水(みづ)のやうなお話(はなし)ぢや厶(ござ)りませぬか』
155 シヤールはあげ面(づら)をしながら嫌(いや)らしく笑(わら)ひ、
156シャール『エヘヽヽヽ寝耳(ねみみ)に水(みづ)とは俺(おれ)の事(こと)だ。157お前(まへ)は幼少(えうせう)より左守(さもり)の司(かみ)の娘(むすめ)として深窓(しんそう)に育(そだ)てられ、158純粋(じゆんすゐ)な淑女(しゆくぢよ)だと思(おも)つてゐたのに、159夫(をつと)の目(め)を忍(しの)んで艶書(えんしよ)を送(おく)るとは何(なん)と云(い)ふ不貞腐(ふてくさ)れ女(をんな)だ、160見下(みさ)げ果(は)てたる莫蓮者(ばくれんもの)奴(め)、161今(いま)に面(つら)の皮(かは)をヒン剥(む)いてやるから楽(たの)しんで待(ま)つてゐるが宜(よ)からうぞ』
162 ヤスダラ姫(ひめ)は悲(かな)しさ身(み)に迫(せま)り、163声(こゑ)を立(た)ててワツと其(そ)の場(ば)に泣(な)き伏(ふ)した。164シヤールは此(この)体(てい)を見(み)て冷(ひや)やかに笑(わら)ひながら、
165シャール『アハヽヽヽ、166何(なん)とまあ、167劫(がふ)を経(へ)た古狸(ふるだぬき)だな。168女(をんな)の涙(なみだ)は城(しろ)を傾(かたむ)け五(ご)尺(しやく)の男子(だんし)を手鞠(てまり)の如(ごと)くに翻弄(ほんろう)すると聞(き)く。169併(しか)し乍(なが)ら此(この)シヤールは幾百(いくひやく)人(にん)とも知(し)れぬ女性(ぢよせい)に接(せつ)し居(を)れば、170女(をんな)の慣用(くわんよう)手段(しゆだん)たる泣(な)き声(ごゑ)や涙(なみだ)には決(けつ)して驚(おどろ)かないぞ。171此(この)道(みち)にかけては天下(てんか)無双(むさう)の勇士(ゆうし)、172シヤールに向(むか)つてはバベルの塔(たふ)を蝶(てふ)が襲撃(しふげき)する程(ほど)にも感(かん)じないのだから、173そんな古手(ふるて)な事(こと)は止(や)めて貰(もら)はうかい。174あた八釜(やかま)しい』
175ヤスダラ姫『旦那(だんな)様(さま)、176貴方(あなた)はどこ迄(まで)も妾(わらは)をお疑(うたが)ひ遊(あそ)ばすのですか。177此(この)頃(ごろ)入那(いるな)の国(くに)には悪人(あくにん)蔓(はびこ)り王(わう)様(さま)を廃立(はいりつ)せむと企(たく)らむ一派(いつぱ)と、178これを助(たす)けむとする一派(いつぱ)とが始終(しじう)暗闘(あんとう)を続(つづ)けてゐるさうですから、179大方(おほかた)反対党(はんたいたう)の方(はう)から何(なに)かの策略(さくりやく)で妾(わらは)を犠牲(ぎせい)にすべく中傷(ちうしやう)讒誣(ざんぶ)の声(こゑ)を放(はな)つたのでせう。180何卒(どうぞ)冷静(れいせい)に御(ご)熟考(じゆくかう)を願(ねが)ひます』
181シャール『何処(どこ)までも渋太(しぶと)い阿女(あまつちよ)奴(め)、182汝(なんぢ)の弁解(べんかい)は聞(き)く耳(みみ)持(も)たぬ。183今(いま)テーナ姫(ひめ)を此処(ここ)へお迎(むか)へ申(まを)し黒白(こくびやく)を分(わ)けて見(み)せてやるから、184赤恥(あかはぢ)をかかない様(やう)に致(いた)したが宜(よ)からう』
185 ヤスダラ姫(ひめ)はシヤールの暴言(ばうげん)に呆(あき)れ果(は)て、186心(こころ)弱(よわ)くては叶(かな)はじと気(き)をとり直(なほ)し、187眼(まなこ)を据(す)ゑ坐(すわ)り直(なほ)して襟(えり)を正(ただ)し、188儼然(げんぜん)として、
189ヤスダラ姫『妾(わらは)はいやしくも入那(いるな)の国(くに)の刹帝利(せつていり)左守(さもり)の司(かみ)のクーリンスが娘(むすめ)、190左様(さやう)な穢(けがら)はしき事(こと)が如何(どう)して出来(でき)ようぞ。191テーナ姫(ひめ)とやら、192証拠(しようこ)に立(た)つと申(まを)すなら、193一刻(いつこく)も早(はや)く此処(ここ)へお招(まね)きなさいませ。194屹度(きつと)妾(わらは)が悪者(わるもの)共(ども)の謀計(ぼうけい)を暴露(ばくろ)し懲(こら)しめてくれませう』
195と形相(ぎやうさう)物凄(ものすご)く稍(やや)声(こゑ)を尖(とが)らせて言(い)ひきつた。196シヤールも名代(なだい)の富豪(ふうがう)、197テルマン国(ごく)の有力者(いうりよくしや)の中(うち)に数(かぞ)へらるる身(み)なれども、198生(うま)れは卑(いや)しき毘舎(びしや)の種(たね)、199ヤスダラ姫(ひめ)の此(この)言葉(ことば)に何(なん)となく恐(おそ)れを抱(いだ)き、200次第(しだい)々々(しだい)に尻込(しりご)みなして引下(ひきさが)る。201かかる所(ところ)へ二三(にさん)の供(とも)に送(おく)られて肩(かた)で風(かぜ)を切(き)りながら、202絹(きぬ)ずれの音(おと)サヤサヤと上使(じやうし)気取(きど)りでやつて来(き)たのは右守(うもり)の司(かみ)カールチンの妻(つま)のテーナ姫(ひめ)である。
203 テーナ姫(ひめ)は鷹揚(おうやう)に玄関口(げんくわんぐち)を上(あが)り、204少(すこ)しくフン反(ぞ)り返(かへ)つて裾(すそ)を長(なが)く引(ひ)きずりながら、205身体(からだ)一面(いちめん)に瑠璃(るり)、206しやこ、207珊瑚(さんご)、208金(きん)、209銀(ぎん)、210瑪瑙(めなう)等(など)で飾(かざ)り立(た)て、211棚機姫(たなばたひめ)の降臨(かうりん)か、212松代姫(まつよひめ)の再来(さいらい)かと言(い)ふやうな満艦飾(まんかんしよく)で奥(おく)の間(ま)に遠慮(ゑんりよ)会釈(ゑしやく)もなく進(すす)み入(い)り、213シヤールに打(う)ち向(むか)ひ、
214テーナ姫『シヤール殿(どの)、215其方(そなた)の第一(だいいち)夫人(ふじん)ヤスダラ姫(ひめ)は此方(こなた)で厶(ござ)るかな』
216と鷹揚(おうよう)にヤスダラ姫(ひめ)を睨(ね)めつけながら故意(わざ)とに問(と)ひかける。217シヤールは頭(かうべ)を下(さ)げ、
218シャール『ハイ、219問題(もんだい)のヤスダラ姫(ひめ)はこれで厶(ござ)ります。220何卒(どうぞ)十分(じふぶん)にお取調(とりしらべ)を願(ねが)ひます。221貴女(あなた)の御(お)言葉(ことば)の通(とほ)りならば如何(どう)しても此(この)儘(まま)にして置(お)く訳(わけ)には参(まゐ)りませぬ』
222 テーナ姫(ひめ)は皺枯(しわが)れた声(こゑ)を出(だ)して、223さも憎々(にくにく)しげに、
224テーナ姫『此方(こなた)が問題(もんだい)のヤスダラ姫(ひめ)で厶(ござ)るかな。225如何(いか)にも虫(むし)も殺(ころ)さぬやうな淑女面(しゆくぢよづら)をさらし、226大(だい)それた事(こと)を致(いた)さるるものだな。227外面(げめん)如(によ)菩薩(ぼさつ)内心(ないしん)如(によ)夜叉(やしや)、228善(ぜん)の仮面(かめん)を被(かぶ)つてシヤールの家庭(かてい)を紊乱(ぶんらん)し、229次(つ)いでイルナの国(くに)を攪乱(かくらん)致(いた)す金毛(きんまう)九尾(きうび)の悪狐(あくこ)の再来(さいらい)、230一(いち)日(にち)も早(はや)く妾(わたし)の申(まを)す通(とほ)り堅牢(けんらう)なる座敷牢(ざしきろう)を造(つく)り、231外間(ぐわいかん)の交通(かうつう)を絶(た)ち幽閉(いうへい)なさらねば、232カールチンの右守(うもり)様(さま)に対(たい)し申訳(まをしわけ)が立(た)ちますまいぞ。233此(この)テルマン国(ごく)はイルナの国(くに)の属邦(ぞくほう)なれば、234当時(たうじ)大黒主(おほくろぬし)の信任(しんにん)厚(あつ)き右守(うもり)の司(かみ)の命令(めいれい)に背(そむ)かむか、235シヤールの家(いへ)は忽(たちま)ち闕所(けつしよ)の憂目(うきめ)に遇(あ)ひますぞ。236早(はや)く決行(けつかう)なさるが宜(よ)からう』
237と目(め)に角(かど)を立(た)て厳(おごそ)かに宣示(せんじ)するを、238シヤールは縮(ちぢ)み上(あが)り「ハツ」と畳(たたみ)に頭(かしら)をすりつけながら、
239シャール『仰(あふ)せに従(したが)ひ其(その)準備(じゆんび)に取(と)りかかるで厶(ござ)いませう』
240 ヤスダラ姫(ひめ)は夫(をつと)シヤールの不甲斐(ふがひ)なき態度(たいど)にグツと腹(はら)を立(た)て、241声(こゑ)を震(ふる)はせながらテーナ姫(ひめ)に向(むか)ひ、
242ヤスダラ姫『其方(そなた)は右守(うもり)の司(かみ)の妻(つま)テーナ姫(ひめ)ではないか。243汝(なんぢ)が夫(をつと)カールチンは卑(いや)しき首陀(しゆだ)の生(うま)れ、244吾(わが)父(ちち)クーリンス殿(どの)より引(ひ)き立(た)てられ、245今(いま)は右守(うもり)の司(かみ)の地位(ちゐ)に迄(まで)進(すす)み、246漸(やうや)く世(よ)に認(みと)めらるる様(やう)になつたのは誰(たれ)のお蔭(かげ)だと思(おも)うて居(を)るか。247汝(なんぢ)は吾(わが)幼少(えうせう)の時(とき)の子守役(こもりやく)を勤(つと)めて居(を)つた卑(いや)しき婢女(はしため)、248今(いま)は右守(うもり)の司(かみ)の妻(つま)となりたればとて、249妾(わらは)に対(たい)し無礼(ぶれい)の雑言(ざふごん)、250最早(もはや)聞棄(ききす)てはなりませぬぞ』
251と睨(ね)めつくればテーナ姫(ひめ)は平然(へいぜん)として打笑(うちわら)ひ、
252テーナ姫『オホヽヽヽ、253愈(いよいよ)以(もつ)てヤスダラ姫(ひめ)は狂気(きやうき)致(いた)したと見(み)ゆる。254妾(わたし)の夫(をつと)はイルナの国(くに)にて其(その)名(な)も高(たか)き刹帝利(せつていり)の生(うま)れ、255妾(わたし)は又(また)貴勝族(きしようぞく)の生(うま)れで厶(ござ)る。256ヤスダラ姫(ひめ)が父(ちち)クーリンスこそ卑(いや)しき首陀(しゆだ)の生(うま)れ、257吾(わが)夫(をつと)カールチンの引立(ひきたて)によりて今日(こんにち)の地位(ちゐ)を得(え)ながら、258其(その)大恩(だいおん)を忘(わす)れ、259反対(はんたい)に妾(わたし)の夫(をつと)を卑(いや)しき首陀族(しゆだぞく)と申(まを)すは何(なん)たる暴言(ばうげん)、260こりや屹度(きつと)正気(しやうき)ではあるまい。261早(はや)く牢獄(らうごく)に打(う)ち込(こ)めよ』
262と勢(いきほひ)に任(まか)して反対(はんたい)的(てき)の捏論(ねつろん)をまくしたて、263無理(むり)往生(わうじやう)にヤスダラ姫(ひめ)を幽閉(いうへい)せしめむと焦慮(あせ)つてゐる。264カールチンがテーナ姫(ひめ)をシヤールの館(やかた)に、265ヤスダラ姫(ひめ)に難癖(なんくせ)をつけて幽閉(いうへい)せしむべく、266使者(ししや)に遣(つか)はしたのは深(ふか)き考(かんが)へがあつての事(こと)である。267カールチンは大黒主(おほくろぬし)の後援(こうゑん)の下(もと)にセーラン王(わう)、268クーリンスを放逐(ほうちく)し其(その)野心(やしん)を達(たつ)せむとする折(をり)、269ヤスダラ姫(ひめ)のありては後日(ごじつ)の大妨害(だいばうがい)となる事(こと)を慮(おもんぱか)り、270難癖(なんくせ)をつけて姫(ひめ)を幽閉(いうへい)し置(お)かむとの策略(さくりやく)である。271又(また)一(ひと)つには娘(むすめ)のサマリー姫(ひめ)とセーラン王(わう)との交情(かうじやう)あまり面白(おもしろ)からざるは、272ヤスダラ姫(ひめ)此(この)世(よ)に生存(せいぞん)して何時(いつ)とはなしにセーラン王(わう)に思(おも)ひを通(つう)じるを以(もつ)て、273セーラン王(わう)の斯(か)くも吾(わが)娘(むすめ)を冷遇(れいぐう)するならむとの僻(ひが)みより、274犬糞(けんぷん)的(てき)にシヤールの館(やかた)へ頭抑(あたまおさ)へにテーナ姫(ひめ)が夫(をつと)の使者(ししや)として遥々(はるばる)やつて来(き)たのである。275ヤスダラ姫(ひめ)は心(こころ)汚(きたな)きカールチン、276テーナの計略(けいりやく)によつて、277シヤールの邸内(ていない)に堅牢(けんらう)なる牢獄(らうごく)を造(つく)り其(その)中(なか)に不愍(ふびん)にも残酷(ざんこく)にも幽閉(いうへい)さるる身(み)となつて了(しま)つた。
278 風雨(ふうう)雷電(らいでん)の烈(はげ)しき夜(よ)、279ヤスダラ姫(ひめ)によく仕(つか)へたるリーダーは堅牢(けんらう)なる牢獄(らうごく)を打(う)ち破(やぶ)り、280ヤスダラ姫(ひめ)を救(すく)ひ出(だ)し暗(やみ)に紛(まぎ)れてシヤールの館(やかた)を脱出(だつしゆつ)し、281夜(よ)を日(ひ)についで入那(いるな)の国(くに)、282父(ちち)の館(やかた)をさして逃(に)げ帰(かへ)る準備(じゆんび)にかかれり。
283(大正一一・一一・一一 旧九・二三 北村隆光録)
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