霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
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第二章 月(つき)の影(かげ)〔一一七一〕

インフォメーション
著者:出口王仁三郎 巻:霊界物語 第44巻 舎身活躍 未の巻 篇:第1篇 神示の合離 よみ(新仮名遣い):しんじのごうり
章:第2章 月の影 よみ(新仮名遣い):つきのかげ 通し章番号:1171
口述日:1922(大正11)年12月07日(旧10月19日) 口述場所: 筆録者:北村隆光 校正日: 校正場所: 初版発行日:1924(大正13)年8月18日
概要: 舞台:祠の森 あらすじ[?]このあらすじはMさん作成です(一部加筆訂正してあります)。一覧表が「王仁DB」にあります。[×閉じる]: 主な登場人物[?]【セ】はセリフが有る人物、【場】はセリフは無いがその場に居る人物、【名】は名前だけ出て来る人物です。[×閉じる]: 備考: タグ: データ凡例: データ最終更新日:2023-01-15 12:04:56 文字数:4675 OBC :rm4402
愛善世界社版:19頁 八幡書店版:第8輯 146頁 修補版: 校定版:20頁 普及版:9頁 初版: ページ備考:
001 治国別(はるくにわけ)は万公(まんこう)、002晴公(はるこう)の他愛(たあい)なき鼾声(いびきごゑ)を聞(き)き乍(なが)ら諸手(もろて)を組(く)み差俯向(さしうつむ)いてしばし冥想(めいさう)に耽(ふけ)りゐる。003そこへ慌(あわ)ただしく、004息(いき)を喘(はづ)ませ森(もり)の急坂(きふはん)を登(のぼ)り来(き)たるものは五三公(いそこう)にぞありける。
005五三公『もし、006先生(せんせい)、007奥(おく)さまが見(み)えました。008さア何卒(どうぞ)早(はや)く祠(ほこら)の前(まへ)迄(まで)お下(くだ)り下(くだ)さいませ』
009治国別『何(なに)、010奥(おく)が見(み)えたとは何(なに)しに来(き)たのだらう。011奥(おく)に用(よう)はない。012面会(めんくわい)は相叶(あひかな)はぬから直(すぐ)に引返(ひきかへ)せと云(い)つて呉(く)れ』
013と治国別(はるくにわけ)は不興顔(ふきようがほ)なり。
014五三公『何程(なにほど)あなたが権利(けんり)があると云(い)つて、015玉国別(たまくにわけ)様(さま)の奥様(おくさま)に対(たい)し、016そンな命令権(めいれいけん)があるとは五三公(いそこう)には思(おも)はれませぬワ』
017治国別『何(なん)だ、018五十子(いそこ)姫(ひめ)様(さま)か、019お前(まへ)は奥様(おくさま)だと云(い)ふから又(また)菊子姫(きくこひめ)が後(あと)を追(お)うて来(き)たのではあるまいか、020怪(け)しからぬ奴(やつ)だと思(おも)つたからだ』
021五三公『本当(ほんたう)に怪(け)しからぬですな。022五十子(いそこ)姫(ひめ)様(さま)を御覧(ごらん)なさいませ。023玉国別(たまくにわけ)様(さま)の御(おん)身(み)の上(うへ)を案(あん)じ煩(わづら)ひ、024女(をんな)の身(み)をも顧(かへり)みず此(この)山坂(やまさか)を夜(よ)を日(ひ)に次(つ)いでお尋(たづ)ね遊(あそ)ばされました。025それに同(おな)じ宣伝使(せんでんし)の奥様(おくさま)菊子姫(きくこひめ)様(さま)こそ、026怪(け)しからぬぢやありませぬか。027夫婦(ふうふ)の情合(じやうあひ)と云(い)ふものは、028そンな水臭(みづくさ)いものぢやなからうと五三公(いそこう)は思(おも)ひますよ』
029治国別『アハヽヽヽ人間(にんげん)の心(こころ)といふものは一人(ひとり)一人(ひとり)違(ちが)ふものだな。030俺(わし)は斯(か)うして宣伝(せんでん)しに出(で)た以上(いじやう)は女房(にようばう)も忘(わす)れ、031家(いへ)も忘(わす)れ、032自分(じぶん)の生命(せいめい)までも忘(わす)れて居(ゐ)るのだよ』
033五三公『何(なん)とまア、034水臭(みづくさ)い方(かた)ですな。035菊子姫(きくこひめ)様(さま)がお聞(き)きになつたら嘸(さぞ)失望(しつばう)落胆(らくたん)なさるでせう。036天(てん)にも地(ち)にも掛替(かけがへ)のない一人(ひとり)の夫(をつと)が左様(さやう)の(浄瑠璃(じやうるり))水臭(みづくさ)いお心(こころ)とは露(つゆ)知(し)らず、037都(みやこ)でお別(わか)れ申(まを)してより、038雨(あめ)の晨(あした)、039風(かぜ)の夕(ゆふべ)、040片時(かたとき)たりとも忘(わす)れし暇(ひま)はなきものを、041思(おも)へば情(つれ)なき貴方(あなた)の心(こころ)、042あゝ何(なん)としようぞいな何(なん)としようぞいなア……とお嘆(なげ)き遊(あそ)ばすは石(いし)の証文(しようもん)に岩(いは)の判(はん)を押(お)した様(やう)なものですよ。043肝腎(かんじん)の女房(にようばう)を忘(わす)れるやうな先生(せんせい)だから弟子(でし)の私(わたし)等(たち)をお忘(わす)れになる位(くらゐ)は何(なん)でもないでせう。044一人(ひとり)途中(とちう)に放(ほ)つとけぼりを喰(くら)はされては、045それこそ……本当(ほんたう)につれないわ、046本当(ほんたう)につれないわ』
047治国別『アハヽヽヽ、048怪体(けたい)な男(をとこ)だな、049河鹿(かじか)峠(たうげ)の猿(さる)の霊(れい)が憑(つ)いたと見(み)えるわい。050エーエ、051困(こま)つた人足(にんそく)を連(つ)れて来(き)たものだ。052一層(いつそう)の事(こと)、053五十子(いそこ)姫(ひめ)のお帰(かへ)りの時(とき)に五三公(いそこう)を袂(たもと)の中(なか)に入(い)れて這(は)ひ出(で)ぬ様(やう)に袂(たもと)の先(さき)を蔓(つる)ででも括(くく)つて帰(かへ)りて貰(もら)ひ雪隠(せんち)の隅(すみ)にでも放(ほ)つといて貰(もら)はうかな。054アハハヽヽ』
055 万公(まんこう)、056晴公(はるこう)は今迄(いままで)治国別(はるくにわけ)の厳(きび)しき命令(めいれい)に寝(ね)れぬ目(め)を無理(むり)に塞(ふさ)ぎ、057態(わざ)とに高鼾(たかいびき)をかき、058寝真似(ねまね)をしてゐたが、059余(あま)りの可笑(をか)しさに両人(りやうにん)一度(いちど)に吹(ふ)き出(だ)し、
060両人『ギヤツハヽヽヽギユツフヽヽヽ』
061治国別『万公(まんこう)、062晴公(はるこう)、063治国別(はるくにわけ)に寝(ね)た真似(まね)をして見(み)せてゐたのだな、064仕方(しかた)のない男(をとこ)ばかりだな』
065五三公『本当(ほんたう)に男(をとこ)ばかりでは仕方(しかた)がありませぬ、066殺風景(さつぷうけい)なものですよ。067あの祠(ほこら)の近辺(きんぺん)を御覧(ごらん)なさいませ。068五十子(いそこ)姫(ひめ)様(さま)に今子姫(いまこひめ)様(さま)、069仲々(なかなか)仕方(しかた)がたつぷりありますよ。070こりや万公(まんこう)、071晴公(はるこう)、072いい加減(かげん)に狸(たぬき)の代理(だいり)はよしにして先生(せんせい)のお伴(とも)に参(まゐ)り祠(ほこら)の前(まへ)の春(はる)の様(やう)な気分(きぶん)を御(お)相伴(しやうばん)しようぢやないか。073斎苑(いそ)の館(やかた)をたつてから異性(いせい)の香(にほひ)を嗅(か)いだ事(こと)もなく、074殺風景(さつぷうけい)な場面(ばめん)ばかり、075心(こころ)も気(き)も荒(あ)れ果(は)てた処(ところ)で春陽(しゆんやう)の気(き)の漂(ただよ)ふ絶世(ぜつせい)のナイスがやつてきたのだから何(なん)とはなしに上気分(じやうきぶん)だ。076エーン、077いい加減(かげん)に森(もり)を出立(しゆつたつ)してホコラ(そこら)あたりを五三公(いそこう)と共(とも)に迂路(うろ)つかうぢやないか』
078万公『万公(まんこう)さまの御(お)耳(みみ)には、079何(なん)だか祠(ほこら)の近辺(きんぺん)には笑声(せうせい)が湧(わ)きたつて居(ゐ)るやうに聞(き)こへて堪(たま)らないがナア』
080五三公『それだから小生(せうせい)が人間(にんげん)の処世法(しよせいはふ)は笑(わら)ふに限(かぎ)る、081笑(わら)ひは天国(てんごく)の門(もん)を開(ひら)く捷径(せふけい)だと云(い)つてゐるのだよ。082さア先生(せんせい)、083五三公(いそこう)と共(とも)に参(まゐ)りませう。084貴方(あなた)も久(ひさ)し振(ぶ)りで五十子(いそこ)姫(ひめ)様(さま)にお会(あ)ひになつても、085あまり悪(わる)い気(き)は致(いた)しますまいぜ。086義理(ぎり)の姉(ねえ)さまぢやありませぬか。087やがて松公(まつこう)さまも伊太公(いたこう)を連(つ)れて帰(かへ)つて来(こ)られませうから兄弟(きやうだい)の対面(たいめん)も間近(まぢか)に迫(せま)つたりと云(い)ふもの、088さア早(はや)く御輿(みこし)をお上(あ)げなさいませ。089如何(いか)に重々(おもおも)しいのが宣伝使(せんでんし)の威厳(ゐげん)だと云(い)つても、090さう尻(しり)が重(おも)たくては千変(せんぺん)万化(ばんくわ)の活動(くわつどう)は出来(でき)ませぬぞや』
091治国別『アハヽヽヽそンなら三(さん)人(にん)の部下(ぶか)に擁立(ようりつ)されて治国別(はるくにわけ)も危険(きけん)区域(くゐき)へ出陣(しゆつぢん)しようかな』
092五三公『(芝居(しばゐ)口調(くてう))早速(さつそく)の御(ご)承知(しようち)、093五三公(いそこう)身(み)にとり、094光栄(くわうえい)至極(しごく)に存(ぞん)じます。095然(しか)らば私(わたし)が先登(せんとう)に立(た)つて御(ご)案内(あんない)、096あいや、097万公(まんこう)、098晴公(はるこう)は治国別(はるくにわけ)宣伝使(せんでんし)の前後(ぜんご)を守(まも)り吾(わが)後(あと)に従(したが)つて来(こ)よ。099下(した)に 下(した)に 下(した)に』
100と杖(つゑ)を以(もつ)て四辺(あたり)を払(はら)ひ乍(なが)ら祠(ほこら)をさして下(くだ)り進(すす)む。
101 治国別(はるくにわけ)は漸(やうや)く祠前(しぜん)に進(すす)み、102拝礼(はいれい)終(をは)つた後(のち)、
103治国別『玉国別(たまくにわけ)様(さま)、104お塩梅(あんばい)は如何(いかが)でございますか。105これはこれは五十子(いそこ)姫(ひめ)様(さま)、106ようまアおいで下(くだ)さいました。107やア之(これ)で私(わたし)も一安心(ひとあんしん)、108誠(まこと)に玉国別(たまくにわけ)様(さま)はお気(き)の毒(どく)で厶(ござ)りました』
109五十子姫『治国別(はるくにわけ)様(さま)、110夫(をつと)が色々(いろいろ)と深(ふか)いお世話(せわ)になりましてお礼(れい)の申(まを)しやうも厶(ござ)りませぬ。111吾々(われわれ)夫婦(ふうふ)の改心(かいしん)のため神(かみ)様(さま)が目(め)を覚(さ)まさして下(くだ)さつたので厶(ござ)りませう。112思(おも)へば思(おも)へば実(じつ)に有難(ありがた)い御(ご)神徳(しんとく)を頂(いただ)きました』
113治国別『今子姫(いまこひめ)様(さま)、114治国別(はるくにわけ)で厶(ござ)りますよ、115御(ご)苦労(くらう)でしたな。116嘸(さぞ)お疲(つか)れになつたでせう』
117五三公『エヘヽヽヽ女(をんな)と云(い)ふものは結構(けつこう)な者(もの)だな。118玉国別(たまくにわけ)様(さま)に一寸(ちよつと)義理(ぎり)一遍(いつぺん)の簡単(かんたん)な御(ご)挨拶(あいさつ)、119それから異性(いせい)の五十子(いそこ)姫(ひめ)様(さま)に対(たい)しては至(いた)れり尽(つく)せりの親切(しんせつ)振(ぶ)り、120其(その)余波(よは)を今子姫(いまこひめ)様(さま)へタツプリ浴(あび)せかけ、121いやもう抜目(ぬけめ)のない先生(せんせい)のやり方(かた)、122五三公(いそこう)も女(をんな)に生(うま)れて来(き)たらモチト位(ぐらゐ)やさしい言葉(ことば)をかけて頂(いただ)くのだけどな。123五十子(いそこ)姫(ひめ)と五三公(いそこう)との間違(まちが)ひで、124之(これ)程(ほど)社会(しやくわい)の待遇(たいぐう)が変(かは)るものかな』
125 五十子(いそこ)姫(ひめ)は吹(ふ)き出(い)だし、
126五十子姫『オホヽヽヽ何(なん)と面白(おもしろ)い、127治国別(はるくにわけ)様(さま)は同勢(どうぜい)を連(つ)れて居(ゐ)なさいますこと、128屹度(きつと)道中(だうちう)は弥次(やじ)喜多(きた)気分(きぶん)が漂(ただよ)うて愉快(ゆくわい)な事(こと)で厶(ござ)りませう』
129治国別『兎(と)も角(かく)神(かみ)様(さま)の御(おん)為(た)めに活動(くわつどう)する位(くらゐ)、130楽(たの)しい事(こと)は厶(ござ)りませぬ。131就(つ)いては此処(ここ)に一(ひと)つ云(い)ふに云(い)はれぬ有難(ありがた)い事(こと)が私(わたし)の身(み)に突発(とつぱつ)致(いた)しました』
132と聞(き)くより五十子(いそこ)姫(ひめ)は驚(おどろ)きの色(いろ)をなして、
133五十子姫『それは何(なに)より結構(けつこう)で厶(ござ)ります。134さうして、135その嬉(うれ)しい事(こと)とは何(なん)で厶(ござ)りますか、136早(はや)く聞(き)かして下(くだ)さりませ』
137 治国別(はるくにわけ)は「ハイ」と言(い)つて首(くび)を垂(た)れてゐる。
138五三公『先生(せんせい)様(さま)に代(かは)つて五三公(いそこう)が報告(はうこく)の任(にん)に当(あた)りませう。139治国別(はるくにわけ)様(さま)は御(ご)兄弟(きやうだい)の対面(たいめん)を成(な)さいました。140それはそれは立派(りつぱ)な弟(おとうと)さまがお在(あ)りなさるのですよ。141しかも片彦(かたひこ)将軍(しやうぐん)の秘書役(ひしよやく)ですから随分(ずゐぶん)立派(りつぱ)な方(かた)ですわ。142人品(じんぴん)骨柄(こつがら)と云(い)ひ、143其(その)容貌(ようばう)と云(い)ひ、144先生(せんせい)様(さま)と瓜二(うりふた)つですもの』
145五十子姫『何(なに)、146御(ご)兄弟(きやうだい)に御(ご)対面(たいめん)遊(あそ)ばしましたと、147それはそれはお目出度(めでた)い事(こと)で厶(ござ)ります。148然(しか)し乍(なが)らバラモン教(けう)の片彦(かたひこ)将軍(しやうぐん)が秘書役(ひしよやく)とは不思議(ふしぎ)ぢや厶(ござ)りませぬか。149運命(うんめい)とか云(い)ふ神(かみ)の手(て)に人間(にんげん)は翻弄(ほんろう)されて居(を)るやうなものですな。150如何(どう)かして三五教(あななひけう)に御(ご)帰順(きじゆん)遊(あそ)ばし兄弟(きやうだい)揃(そろ)うて御(ご)神業(しんげふ)にお尽(つく)し遊(あそ)ばすことは出来(でき)ぬもので厶(ござ)りませうか』
151と稍(やや)心配(しんぱい)げに治国別(はるくにわけ)の顔(かほ)を見(み)つめる。
152治国別『惟神(かむながら)の御(ご)摂理(せつり)によつて都合(つがふ)よくして下(くだ)さるでせう。153伊太公(いたこう)さまの所在(ありか)を尋(たづ)ねて参(まゐ)りましたから、154やがて弟(おとうと)は帰順(きじゆん)の上(うへ)、155ここへ帰(かへ)つて来(く)るでせう』
156五十子姫『伊太公(いたこう)さまは何処(どこ)へ行(ゆ)きましたか。157バラモンの手(て)にでも、158捕(とら)はれたのぢや厶(ござ)りますまいかな』
159と五十子(いそこ)姫(ひめ)の晴(は)れぬ顔色(かほいろ)を見(み)るや治国別(はるくにわけ)は、
160治国別『ハイ伊太公(いたこう)はバラモンの軍人(いくさびと)に捕(とら)へられ、161清春山(きよはるやま)の岩窟(がんくつ)に幽閉(いうへい)されて居(を)りますのを私(わたし)の弟(おとうと)が改心(かいしん)帰順(きじゆん)の結果(けつくわ)、162神(かみ)様(さま)へ御(ご)奉公(ほうこう)始(はじ)めに伊太公(いたこう)さまを、163とり返(かへ)しに行(い)つたので厶(ござ)ります。164伊太公(いたこう)さまを首尾(しゆび)克(よ)く連(つ)れ帰(かへ)る迄(まで)は此(この)治国別(はるくにわけ)は兄弟(きやうだい)の名乗(なの)りを許(ゆる)さない覚悟(かくご)で厶(ござ)ります』
165と云(い)ひ終(をは)つて涙(なみだ)ぐむ。
166 斯(か)く話(はな)す折(をり)しも谷道(たにみち)の下方(かはう)より四五(しご)人(にん)の人声(ひとごゑ)聞(きこ)え来(き)たる。167玉国別(たまくにわけ)は其(その)人声(ひとごゑ)に耳(みみ)を聳(そばた)てバラモン教(けう)の残党(ざんたう)の襲来(しふらい)に非(あら)ずやと胸(むね)を躍(をど)らし待(ま)ち構(かま)へ居(ゐ)る、168斯(かか)る処(ところ)へ伊太公(いたこう)を伴(ともな)ひ帰(かへ)り来(きた)れるは松公(まつこう)、169竜公(たつこう)外(ほか)数人(すうにん)なりける。170松公(まつこう)は祠(ほこら)の前(まへ)に合掌(がつしやう)し感謝(かんしや)の神言(かみごと)を奏上(そうじやう)し終(をは)つて一同(いちどう)に向(むか)ひ恭(うやうや)しく礼(れい)を施(ほどこ)し治国別(はるくにわけ)の前(まへ)へ進(すす)み出(い)で、
171松公『宣伝使(せんでんし)様(さま)、172松公(まつこう)で厶(ござ)ります。173お蔭(かげ)を以(もつ)て伊太公(いたこう)様(さま)を迎(むか)へて参(まゐ)りました』
174治国別『それは御(ご)苦労(くらう)感謝(かんしや)する。175まづゆるゆると休息(きうそく)して下(くだ)さい。176伊太公(いたこう)さま、177嘸(さぞ)お困(こま)りでしたらう。178お察(さつ)し申(まを)します』
179 伊太公(いたこう)は第一(だいいち)に玉国別(たまくにわけ)に向(むか)つて涙(なみだ)と共(とも)に挨拶(あいさつ)を終(をは)り五十子(いそこ)姫(ひめ)、180今子姫(いまこひめ)其(その)他(た)に対(たい)し感謝(かんしや)の涙(なみだ)を湛(たた)へ無事(ぶじ)を祝(しゆく)し、181治国別(はるくにわけ)に向(むか)ひ容(かたち)を改(あらた)め、
182伊太公『神(かみ)様(さま)の御恵(みめぐみ)と松公(まつこう)、183竜公(たつこう)さまのお蔭(かげ)によりまして無事(ぶじ)に先生(せんせい)のお側(そば)へ帰(かへ)る事(こと)を得(え)ました。184有難(ありがた)く御(おん)礼(れい)を申(まを)し上(あ)げます』
185治国別『貴方(あなた)の壮健(さうけん)なお顔(かほ)を見(み)て治国別(はるくにわけ)も安心(あんしん)致(いた)しました。186お蔭(かげ)で弟(おとうと)に公然(こうぜん)と対面(たいめん)が出来(でき)るやうになりました。187あゝ惟神(かむながら)霊(たま)幸倍(ちはへ)坐世(ませ)』
188と合掌(がつしやう)する。
189道公『もし先生(せんせい)、190道公(みちこう)の一行(いつかう)はもとの森蔭(もりかげ)へ転宅(てんたく)致(いた)しませうか。191兄弟(きやうだい)御(ご)対面(たいめん)につきまして何(いづ)れ海山(うみやま)の話(はなし)がありませう。192貴方(あなた)が五十子(いそこ)姫(ひめ)様(さま)と御(ご)面会(めんくわい)の時(とき)も治国別(はるくにわけ)様(さま)は気(き)を利(き)かしてあの森蔭(もりかげ)に待(ま)つて居(ゐ)て下(くだ)さつたのですから、193此方(こちら)も其(その)返礼(へんれい)にしばらく此(この)幕(まく)を切(き)り上(あ)げようぢやありませぬか。194ねえ五十子(いそこ)姫(ひめ)様(さま)、195さうでせう』
196五十子姫『旦那(だんな)様(さま)、197私(わたし)が手(て)を曳(ひ)いて上(あ)げますから、198あの森蔭(もりかげ)迄(まで)遠慮(ゑんりよ)致(いた)しませう』
199治国別『別(べつ)に男(をとこ)と男(をとこ)との兄弟(きやうだい)が久(ひさ)し振(ぶ)りに巡(めぐ)り合(あ)うたのですから、200又(また)夫婦(ふうふ)の御(ご)面会(めんくわい)とは模様(もやう)が違(ちが)ひます。201何卒(なにとぞ)御(ご)遠慮(ゑんりよ)は要(い)りませぬから、202ここに居(ゐ)て下(くだ)さいな』
203玉国別『伊太公(いたこう)お前(まへ)は如何(どう)だつた。204随分(ずゐぶん)困(こま)つたらうな。205玉国別(たまくにわけ)の言(い)ふ事(こと)も聞(き)かずに血気(けつき)の勇(ゆう)を揮(ふる)つて飛(と)び出(だ)すものだから皆(みんな)のお方(かた)に心配(しんぱい)をかけたのだよ。206これからは気(き)をつけて貰(もら)はねば困(こま)るよ』
207伊太公『はい、208誠(まこと)に申訳(まをしわけ)も厶(ござ)りませぬ。209至(いた)つて至(いた)らぬ伊太公(いたこう)、210此(この)後(ご)は屹度(きつと)心得(こころえ)、211自由(じいう)行動(かうどう)は今日(けふ)限(かぎ)り鼬(いたち)の道切(みちぎ)れといたちます』
212道公『アハヽヽヽ何処迄(どこまで)も気楽(きらく)な男(をとこ)だなア、213道公(みちこう)の私(わたし)もあきれて了(しま)ひました。214先生(せんせい)、215此奴(こいつ)はもう脈上(みやくあが)りですよ。216こんながらがらを旅(たび)につれて歩(ある)くのは一(ひと)つ考(かんが)へ物(もの)です。217奥様(おくさま)のお帰(かへ)りの時(とき)に懐(ふところ)へでも入(い)れて持(も)つて帰(かへ)つて頂(いただ)いたら如何(どう)でせう』
218五十子姫『五十子(いそこ)姫(ひめ)だつて、219さう二人(ふたり)も軽(かる)い男(をとこ)を懐(ふところ)に入(い)れて帰(かへ)るのは困(こま)ります。220ねえ今子(いまこ)さま』
221今子姫『あの五十子(いそこ)姫(ひめ)様(さま)の弱(よわ)い事(こと)を仰有(おつしや)りますこと、222今子(いまこ)は歯痒(はが)ゆくなりましたワ。223男(をとこ)の三(さん)人(にん)や五(ご)人(にん)は髪(かみ)の毛(け)一筋(ひとすぢ)あればつないで帰(かへ)れるぢやありませぬか。224現代(げんだい)の男(をとこ)はまるで屁(へ)の様(やう)なものですからな。225ホヽヽヽヽ』
226伊太公『此奴(こいつ)あ怪(け)しからぬ。227斯(か)う女(をんな)に侮辱(ぶじよく)されては伊太公(いたこう)も男子(だんし)を廃業(はいげふ)したくなつて来(き)たわい』
228 治国別(はるくにわけ)は言葉(ことば)を改(あらた)めて、
229治国別『今日(けふ)より松公(まつこう)は治国別(はるくにわけ)の弟(おとうと)、230竜公(たつこう)さまは義理(ぎり)の弟(おとうと)、231何卒(どうぞ)皆(みな)さまと一緒(いつしよ)に仲良(なかよ)うして神業(しんげふ)に尽(つく)して貰(もら)ひ度(た)い』
232 松(まつ)、233竜(たつ)両人(りやうにん)はハツとばかりに嬉(うれ)し涙(なみだ)に咽(むせ)び頭(かしら)も得上(えあ)げず大地(だいち)に踞(しやが)みて俯向(うつむ)き居(ゐ)る。
234治国別『皆(みな)さまに御免(ごめん)を蒙(かうむ)つて治国別(はるくにわけ)が其方(そなた)と別(わか)れし後(のち)のアーメニヤの状況(じやうきやう)を詳(くは)しく聞(き)かして呉(く)れないか。235さうして其方(そなた)は如何(どう)云(い)ふ手続(てつづ)きでバラモン教(けう)に這入(はい)つたのか。236その動機(どうき)を聞(き)かして貰(もら)ひ度(た)い』
237松公『兄上(あにうへ)様(さま)がアーメニヤの神都(しんと)より宣伝使(せんでんし)となつて竜宮(りうぐう)の一(ひと)つ島(じま)へ渡(わた)られた後(のち)、238バラモン教(けう)の一派(いつぱ)に襲(おそ)はれ刹帝利(せつていり)、239浄行(じやうぎやう)を始(はじ)め毘舎(びしや)、240首陀(しゆだ)の四族(しぞく)は四方(しはう)に散乱(さんらん)し目(め)も当(あ)てられぬ大惨事(だいさんじ)が突発(とつぱつ)しました。241大宜津(おほげつ)姫(ひめ)様(さま)がコーカス山(ざん)から敗亡(はいばう)の体(てい)で逃(に)げ帰(かへ)つて来(こ)られてから間(ま)もない疲弊(ひへい)の瘡(きず)の癒(い)え切(き)らない所(ところ)だから、242忽(たちま)ち神都(しんと)は防禦力(ばうぎよりよく)を失(うしな)ひ常世(とこよ)の国(くに)へウラル彦(ひこ)、243ウラル姫(ひめ)様(さま)一族(いちぞく)は其(その)姿(すがた)を隠(かく)し玉(たま)ひ諸司(しよし)百官(ひやくくわん)庶民(しよみん)の住宅(ぢうたく)は焼(や)き亡(ほろ)ぼされ、244ウラル河(がは)の辺(ほと)りに武士(ぶし)の館(やかた)が少(すこ)し許(ばか)り残(のこ)されたのみ。245離々(りり)たる原上(げんじやう)の草(くさ)、246累々(るゐるゐ)たる白骨(はくこつ)叢(くさむら)に纒(まと)はれて、247ありし昔(むかし)の都(みやこ)の俤(おもかげ)も見(み)えず蓮府(れんぷ)槐門(くわいもん)の貴勝(きしよう)を初(はじ)め毘舎(びしや)の族(ぞく)に至(いた)るまでウラル河(がは)に身(み)を投(とう)じて水屑(みくづ)となつたものも沢山(たくさん)にあり、248中(なか)には遠国(ゑんごく)に落(お)ち延(の)び田夫野人(でんぷやじん)の賤(いや)しきに身(み)を寄(よ)せ或(あるひ)は山奥(やまおく)の片田舎(かたいなか)に忍(しの)び隠(かく)れて桑門(さうもん)竹扉(ちくひ)に詫住居(わびずまゐ)する貴勝(きしよう)の身(み)の果敢(はか)なさ。249夜(よる)の衣(ころも)は薄(うす)くして暁(あかつき)の霜(しも)冷(つめ)たく朝餉(あさげ)の煙(けぶり)も絶(た)えて首陽(しゆやう)に死(し)する人(ひと)も少(すくな)からず。250その中(なか)にも私(わたし)は父母(ふぼ)兄弟(きやうだい)に生別(いきわか)れ、251死別(しにわか)れの憂目(うきめ)に会(あ)ひ、252広(ひろ)い天下(てんか)を当所(あてど)もなく漂流(へうりう)する内(うち)バラモン教(けう)の片彦(かたひこ)に見出(みいだ)され、253心(こころ)ならずも兄(にい)様(さま)の所在(ありか)を探(さぐ)るを唯一(ゆゐいつ)の目的(もくてき)として今日(けふ)まで日(ひ)を送(おく)つて参(まゐ)りました。254アヽ有難(ありがた)き大神(おほかみ)様(さま)の御(お)引合(ひきあは)せ、255コンナ嬉(うれ)しい事(こと)は厶(ござ)りませぬ』
256と袖(そで)に涙(なみだ)を搾(しぼ)る。
257 一同(いちどう)は松公(まつこう)の物語(ものがたり)を聞(き)き感(かん)に打(う)たれてすすり泣(な)きするものさへありき。258夜(よ)は段々(だんだん)と更(ふ)け渡(わた)り、259月(つき)は黒雲(こくうん)に包(つつ)まれ、260忽(たちま)ち四面(しめん)暗黒(あんこく)の帳(とばり)は深(ふか)く下(お)ろされぬ。261山猿(やまざる)の叫(さけ)ぶ声(こゑ)、262彼方(かなた)此方(こなた)の谷間(たにま)より消魂(けたたま)しく響(ひび)き来(きた)る。
263(大正一一・一二・七 旧一〇・一九 北村隆光録)
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