高天原の霊国および天国は光明の世界である。その光明は実性において神真である。すなわち霊的神的証覚である。また天人は高天原の愛の熱に包まれている。この熱は実性において神善・神愛にして、われわれがますます証覚に入ろうとする情動、願望を有するのは、この熱より来るのである。
高天原の霊国・天国は万善の集合所であり、天人の証覚の程度は、現界人の口舌のよく尽くしえるところではない。大本開祖の真湯も、その密意は現代人では容易に解し難いが、智慧証覚のはる天人には直ちに無辺無量の密意を諒得することができる。
この語辞については霊界物語第二輯第三巻(第十五巻)第一天国というところにその状況を示していあるので参照されたい。
ゆえに人間はその精霊を善と真とに鍛え上げ、生きながら高天原の団体に籍を有するようにしなければ、大本の神諭は容易に解釈することはできない。国祖大国常立尊が厳霊として顕現し、稚姫君命、国武彦命等の精霊にその神格を充たし、そうして天人の団体に籍を有する予言者である出口開祖の肉体に来して、大神の直々の御教えを伝達されたものだからである。
しかしながら大神は至仁至愛にましますがゆえに、神諭の密意を自然界の人間に容易に諭らしむために瑞霊の神格を精霊に充たし、変性女子の肉体に来らしめ、その手と口を通して霊界の真相を覚らしめ給はんとの御経綸をあそばしたのである。
神格に充たされた天人すなわち本守護神の言語は衝動と相一致し、一々概念と一致するものである。内辺の天人は言者の音声および言う所の僅少なる語字によってその人の一生を洞察し知悉し得るのである。
人間の想念および情動はその声音に現れ、皮膚に現れ、霊的智者賢者の前にはこれを秘することができないものである。しかし心に欲があり悪を包み利己心あるときは、情動は鈍り知性はおとろえて、人に欺かれ失敗を招く。
すべてのこの宇宙は至善至真至愛の神が目的のために万物を造り、相応の順序によって人間を神の形体に作り、神業を完全に遂行せしめ給はんとして万物の霊長として人間を世に下し給うた。人間は神界の秩序整然たる順序を守り、善のために善をなし真のために真を尽くさねばならない。
しかし神が人間に自由を与えて十二分の神的活動を来さしめ給はんとしたのを、人間が次第に神に背き曲神等の捕虜となり、神を無視して暗黒無明の世界が現出したのである。ここに大神は現幽神三界の大革正を遂行するために予言者を地上に降し、一定の猶予期間を与えて人間に対して神の愛を覚らしめ、行動を改めしめようと画策し給うたのである。
さて、ランチ、片彦、ガリヤ、ケースたちは伊吹戸主神のはらかいによって地獄に追い込められることになった。四人は斜め下方に続く暗黒の隧道を次第に下って行く。最後に、大きな川が横たわって細い長い橋が架けられている少し広いところに着いた。
ここには武装し厳めしい顔をした冥官が武装して二十人ばかり控えていた。冥官の一人が前に進み寄って四人に説明をした。非常な悪業を盛んにやった四人は、この橋を渡りきらなければ娑婆に帰れないのだという。
橋の幅はわずかに一尺ばかり、手すりもなく上下左右に揺り動いている。橋の下の激流には怪物が大口を開けて通行人が落ちてくるのを待っている。橋の上は膚をつんざく寒風が吹き、いやらしい声が八方から聞こえている。
ランチは恐ろしさに身体すくんで震え、冥官に許しを乞うた。冥官は、身魂が地獄に落ちるのを望む者は一人もない、自らの罪業によってこの罪人橋を渡るよう準備をなし、永久の住処を地獄に作った以上、誰も救うことはできないのだ、と涙を流して説明した。
冥官は四人の霊衣を見て、まだ冥途へくるべき命数でないことに気が付いていぶかった。そこへ我利我利亡者の一隊が現れて四人に武者ぶりついた。四人は悲鳴を上げて泣き叫んでいる。
このときどこともなく天の数歌がかすかに聞こえてきた。見る見るうちに我利我利亡者たちは煙のように消えてしまった。そして冥官の姿も一人減り二人減っていく。宣伝歌の声がおいおい近づいてきた。薄暗かったあたりは次第に明るくなってきた。