霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
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第一二章 西王母(せいわうぼ)〔一二六六〕

インフォメーション
著者:出口王仁三郎 巻:霊界物語 第48巻 舎身活躍 亥の巻 篇:第3篇 愛善信真 よみ(新仮名遣い):あいぜんしんしん
章:第12章 西王母 よみ(新仮名遣い):せいおうぼ 通し章番号:1266
口述日:1923(大正12)年01月13日(旧11月27日) 口述場所: 筆録者:北村隆光 校正日: 校正場所: 初版発行日:1924(大正13)年10月25日
概要: 舞台: あらすじ[?]このあらすじはMさん作成です(一部加筆訂正してあります)。一部の章はAIによって要約を作成しています。[×閉じる]:
高天原の大主宰神は大国常立尊である。またの御名は天之御中主大神と称え奉る。その霊徳が完全に発揮し給う御状態を称して天照皇大神と称え奉るのである。
この大神様は厳霊と申し奉る。厳という意義は、至厳至貴至尊にして過去、現在、未来に一貫し、無限絶対無始無終にまします神という意義である。愛と信との源泉と現れます至聖至高の御神格である。
あるときには瑞霊と現れて、現界、幽界、神界の三方面に出没し、一切万有に永遠の生命を与えて歓喜悦楽を下し給う神様である。瑞という意義は、水々しということであって、至善至美至愛至真にましまし、かつ円満具足の大光明ということである。また霊力体の三大元に関して守護し給うゆえに三つの御魂と称え奉り、現・幽・神三界を守り給う。
神は宇宙にただ一柱ましますのみであるが、その御神格の情動によって万神と化現し給うものである。厳霊は経の御魂と申し上げ神格の本体とならせ給い、瑞霊は実地の活動力におわしまして御神格の目的(用)をなし給うべく現れ給う。ゆえに言霊学上、瑞霊を豊国主尊と申し奉り、また神素盞嗚尊とも称え奉るのである。
厳霊は高天原の太陽と現れ給うが、瑞霊は高天原の月と現れ給う。ミロクの大神を月の大神と申し上げる。ミロクは至仁至愛の意味である。その仁愛と信真によって宇宙の改造に直接当たらせ給うゆえに、漢字にて弥勒すなわち「いよいよ革む力」と書く。これによってこの神の御神業を知ることができる。
善悪不二、正邪一如ということも、自然界の法則を基礎としてはとうていその真相はわからない。これらの言葉は、自然界の人間が言うべき資格はない。ただ神の大慈大悲の御目より見給いて仰せられる言葉であって、その大愛に区別がないことを示しているのである。
人は自然界に身を置きながらも、霊主体従といって神を先にし愛の善と信の智を主として世に立たなければならない。しかし現代人はどうしても体を重んじ霊を軽んじて物質的欲念にかられて地獄に落ちやすい。
こうした現界の不備欠点を補うために、大神は自ら地に降りその神格によって精霊を充たし、予言者に天界の福音を宣伝せしめ給うにいたったのである。
人間は天人の養成器となり苗代となるべきもので、天人は人間の善徳が発達したものである。ゆえに人間は、現界の生を終えて天国に復活し、天国をますます円満ならしめるべく活動するために、大神の目的によって造られたのである。
大神の神格の内流は終極点である人間の肉体に来たり、そこに留まってその霊性を発達せしめ、しかして天国に復活し、ここに初めて天国各団体を構成するに至るものである。ゆえに人は天地経綸の司宰者といい、天地の花といい、神の生き宮と称えるゆえんである。
治国別と竜公は、言霊別命の案内によって第一天国に着いた。ここには得も言われぬ荘厳を極めた宮殿が立っている。これは日の大神の永久に鎮まります都率天の天国紫微宮であって、神道家のいう日の若宮である。
宮殿の前の広庭には天人が列をなして一行が来るのを歓喜をもって迎えていた。言霊別命はこの情景を指さして二人に示したが、二人はただ輝く光と天人の姿がかすかに見えるだけであった。
二人は言霊別命の後にしたがい、天人たちが歓迎する中、被面布をかぶって静かに進んで行った。言霊別命は門内に二人を待たせて奥に進んで行った。二人は園内の美しさに驚きに打たれて吐息をもらしている。
そこへ目もくらむばかりの光を放ち、ゆうゆうと入り来る天女があった。二人は思わず大地にしゃがみ敬礼を表した。この女神は西王母といって伊邪那美尊の御分身、坤の金神であった。
女神は言霊別命が奥殿から帰ってくるまで、二人に庭園を巡覧させようと桃畑に導いた。庭園は前園、中園、後園に区画されており、西王母は二人に桃園の説明をしながら案内した。
前園の桃は三千年に一度熟し、これを食う者は最高天国の天人の列に加えられる。中園の桃は六千年に一度実り、これを食う者は天地とともに長生きし不老不死の生命を続けることができる。後園の桃は九千年に一度実り、これを食う者は天地日月と共に生命を等しくする。
西王母はこの因縁の詳細を治国別に説いた。この密意は容易に発表することはできない。しかし桃は地上においては三月三日に花咲き、五月五日に熟するものであることは、この物語に示された。これによってこの桃にどんな御経綸があるかは推知できるであろう。
西王母はひとたび地上に降臨して黄錦の御衣を着し、数多のエンゼルと共にこれを地上の神権者にささげ給う時機があることは、現在流行の謡曲によっても推知することができるであろう。
西王母は桃園の案内を終わり、二人に別れを告げて神姿を隠し給うた。二人はその後ろ姿を伏し拝み、示された神界経綸の密意を覚り合掌して感涙にむせんだ。
そこへ、紫微宮の黄金の中門を開いて現れ来た美しい天女が五色の光輝に満ちた羽衣を来て現れ来たるその荘厳さとその円満の相は、二人にとっても天国巡覧以来初めてであった。
十二人の天女たちは無言のまま二人を差し招いた。今まで聞いたこともない微妙な音楽が四方から起こり、芳香馥郁として薫じ、二人は歓喜に充たされてかすかに天津祝詞を奏上しながら進んで行った。
主な登場人物[?]【セ】はセリフが有る人物、【場】はセリフは無いがその場に居る人物、【名】は名前だけ出て来る人物です。[×閉じる]: 備考: タグ: データ凡例: データ最終更新日:2023-05-27 12:18:40 文字数:5077 OBC :rm4812
愛善世界社版:175頁 八幡書店版:第8輯 653頁 修補版: 校定版:182頁 普及版:91頁 初版: ページ備考:
派生[?]この文献を底本として書かれたと思われる文献です。[×閉じる]:出口王仁三郎著作集 > 第一巻 神と人間 > 『霊界物語』 抄 > 愛善信真
001 高天原(たかあまはら)の総統神(そうとうしん)即(すなは)ち大(だい)主宰神(しゆさいしん)は大国常立(おほくにとこたちの)尊(みこと)である。002又(また)の御名(みな)は天之(あめの)御中主(みなかぬしの)大神(おほかみ)と称(とな)へ奉(たてまつ)り、003其(その)霊徳(れいとく)の完全(くわんぜん)に発揮(はつき)し給(たま)ふ御(ご)状態(じやうたい)を称(しよう)して天照皇(あまてらすすめ)大神(おほかみ)と称(とな)へ奉(たてまつ)るのである。004そして此(この)大神(おほかみ)様(さま)は厳霊(いづのみたま)と申(まを)し奉(たてまつ)る。005厳(いづ)と云(い)ふ意義(いぎ)は至厳(しげん)至貴(しき)至尊(しそん)にして過去(くわこ)、006現在(げんざい)、007未来(みらい)に一貫(いつくわん)し、008無限(むげん)絶対(ぜつたい)無始(むし)無終(むしう)に坐(まし)ます神(かみ)の意義(いぎ)である。009さうして愛(あい)と信(しん)との源泉(げんせん)と現(あ)れます至聖(しせい)至高(しかう)の御(ご)神格(しんかく)である。010さうして或(ある)時(とき)には瑞霊(みづのみたま)と現(あら)はれ現界(げんかい)、011幽界(いうかい)、012神界(しんかい)の三方面(さんはうめん)に出没(しゆつぼつ)して一切(いつさい)万有(ばんいう)に永遠(ゑいゑん)の生命(せいめい)を与(あた)へ歓喜(くわんき)悦楽(えつらく)を下(くだ)し給(たま)ふ神(かみ)様(さま)である。013瑞(みづ)と云(い)ふ意義(いぎ)は水々(みづみづ)しと云(い)ふ事(こと)であつて至善(しぜん)至美(しび)至愛(しあい)至真(ししん)に坐(まし)まし且(かつ)円満(ゑんまん)具足(ぐそく)の大光明(だいくわうみやう)と云(い)ふ事(こと)になる。014又(また)霊力体(れいりよくたい)の三大元(さんだいげん)に関聯(くわんれん)して守護(しゆご)し給(たま)ふ故(ゆゑ)に三(みつ)の御魂(みたま)と称(とな)へ奉(たてまつ)り、015或(あるひ)は現界(げんかい)、016幽界(いうかい)(地獄界(ぢごくかい))、017神界(しんかい)の三界(さんかい)を守(まも)り給(たま)ふが故(ゆゑ)に三(みつ)の御魂(みたま)とも称(とな)へ奉(たてまつ)るのである。018要(えう)するに神(かみ)は宇宙(うちう)に只(ただ)一柱(ひとはしら)坐(まし)ますのみなれども、019其(その)御(ご)神格(しんかく)の情動(じやうどう)によつて万神(ばんしん)と化現(けげん)し給(たま)ふものである。020さうして厳霊(いづのみたま)は経(たて)の御霊(みたま)と申(まを)し上(あ)げ神格(しんかく)の本体(ほんたい)とならせ給(たま)ひ、021瑞霊(みづのみたま)は実地(じつち)の活動力(くわつどうりよく)に在(おは)しまして御(ご)神格(しんかく)の目的(もくてき)即(すなは)ち用(よう)を為(な)し給(たま)ふべく現(あら)はれ給(たま)うたのである。022故(ゆゑ)に言霊学(ことたまがく)上(じやう)之(これ)を豊国主(とよくにぬしの)尊(みこと)と申(まを)し奉(たてまつ)り又(また)神(かむ)素盞嗚(すさのをの)尊(みこと)とも称(とな)へ奉(まつ)るのである。023さうして厳霊(いづのみたま)は高天原(たかあまはら)の太陽(たいやう)と現(あら)はれ給(たま)ひ、024瑞霊(みづのみたま)は高天原(たかあまはら)の月(つき)と現(あら)はれ給(たま)ふ。025故(ゆゑ)にミロクの大神(おほかみ)を月(つき)の大神(おほかみ)と申上(まをしあ)ぐるのである。026ミロクと云(い)ふ意味(いみ)は至仁(しじん)至愛(しあい)の意(い)である。027さうして其(その)仁愛(じんあい)と信真(しんしん)によつて、028宇宙(うちう)の改造(かいざう)に直接(ちよくせつ)当(あた)らせ給(たま)ふ故(ゆゑ)に、029弥勒(みろく)と漢字(かんじ)に書(か)いて弥々(いよいよ)革(あらた)むる力(ちから)とあるのを見(み)ても、030此(この)神(かみ)の御(ご)神業(しんげふ)の如何(いか)なるかを知(し)る事(こと)を得(え)らるるのである。031善悪(ぜんあく)不二(ふじ)、032正邪(せいじや)一如(いちによ)と云(い)ふ如(ごと)きも、033自然界(しぜんかい)の法則(はふそく)を基礎(きそ)としては到底(たうてい)其(その)真相(しんさう)は分(わか)るものでない。034善悪(ぜんあく)不二(ふじ)、035正邪(せいじや)一如(いちによ)の言葉(ことば)は自然界(しぜんかい)の人間(にんげん)が云(い)ふべき資格(しかく)はない、036只(ただ)神(かみ)の大慈(だいじ)大悲(だいひ)の御目(みめ)より見給(みたま)ひて仰(おほ)せられる言葉(ことば)であつて、037神(かみ)は善悪(ぜんあく)正邪(せいじや)の区別(くべつ)に依(よ)つて其(その)大愛(たいあい)に厚(あつ)き薄(うす)きの区別(くべつ)なき意味(いみ)を善悪(ぜんあく)不二(ふじ)、038正邪(せいじや)一如(いちによ)と仰(おほ)せらるるのである。039併(しか)しながら自然界(しぜんかい)の事物(じぶつ)に就(つい)ても亦(また)善悪(ぜんあく)混淆(こんこう)し美醜(びしう)互(たがひ)に交(まじ)はつて一切(いつさい)の万物(ばんぶつ)が成育(せいいく)し、040一切(いつさい)の順序(じゆんじよ)が成立(なりた)つのである。041故(ゆゑ)に人(ひと)は霊主(れいしゆ)体従(たいじう)と云(い)つて自然界(しぜんかい)に身(み)を置(お)くとも、042凡(すべ)て何事(なにごと)も神(かみ)を先(さき)にし、043愛(あい)の善(ぜん)と信(しん)の智(ち)を主(しゆ)として世(よ)に立(た)たねばならないのである。044然(しか)るに霊的(れいてき)事物(じぶつ)の何(なん)たるを見(み)る事(こと)の出来(でき)ない様(やう)になつた現代人(げんだいじん)は、045如何(どう)しても不可見(ふかけん)の霊界(れいかい)を徹底(てつてい)的(てき)に信(しん)じ得(え)ず、046稍(やや)霊的(れいてき)観念(くわんねん)を有(いう)するものと雖(いへど)も、047要(えう)するに暗中(あんちう)模索(もさく)の域(ゐき)を脱(だつ)する事(こと)が出来(でき)ない。048それ故(ゆゑ)に人(ひと)は何(ど)うしても体(たい)を重(おも)んじ、049霊(れい)を軽(かる)んじ物質(ぶつしつ)的(てき)欲念(よくねん)に駆(か)られ易(やす)く地獄(ぢごく)に落(お)ち易(やす)きものである。050かかる現界(げんかい)の不備(ふび)欠点(けつてん)を補(おぎな)はむが為(ため)に大神(おほかみ)は自(みづか)ら地(ち)に降(くだ)り其(その)神格(しんかく)に依(よ)つて精霊(せいれい)を充(みた)し、051予言者(よげんしや)に向(むか)つて地上(ちじやう)の蒼生(さうせい)に天界(てんかい)の福音(ふくいん)を宣伝(せんでん)し給(たま)ふに至(いた)つたのである。052凡(すべ)て人間(にんげん)が現実界(げんじつかい)に生(うま)れて来(き)たのは、053云(い)はば天人(てんにん)の胞衣(えな)の如(ごと)きものである。054さうして又(また)天人(てんにん)の養成器(やうせいき)となり苗代(なはしろ)となり又(また)霊子(れいし)の温鳥(ぬくめどり)となり、055天人(てんにん)の苗(なへ)を育(そだ)つる農夫(のうふ)ともなり得(う)ると共(とも)に、056人間(にんげん)は天人(てんにん)其(その)ものであり又(また)在天国(ざいてんごく)の天人(てんにん)は人間(にんげん)が善徳(ぜんとく)の発達(はつたつ)したものである。057さうして天人(てんにん)は愛善(あいぜん)と信真(しんしん)に依(よ)つて永遠(ゑいゑん)の生命(せいめい)を保持(ほぢ)し得(う)るものである。058故(ゆゑ)に人間(にんげん)は現界(げんかい)の生(せい)を終(を)へ天国(てんごく)に復活(ふくくわつ)し、059現界人(げんかいじん)と相似(さうじ)せる生涯(しやうがい)を永遠(ゑいゑん)に送(おく)り、060天国(てんごく)の円満(ゑんまん)をして益々(ますます)円満(ゑんまん)ならしむべく活動(くわつどう)せしむる為(ため)に、061大神(おほかみ)の目的(もくてき)に依(よ)つて造(つく)りなされたものである。062故(ゆゑ)に高天原(たかあまはら)に於(お)ける天国(てんごく)及(およ)び霊国(れいごく)の天人(てんにん)は一人(ひとり)として人間(にんげん)より来(きた)らないものはない。063大神(おほかみ)様(さま)を除(のぞ)く外(ほか)、064一個(いつこ)の天人(てんにん)たりとも天国(てんごく)に於(おい)て生(うま)れたものはないのである。065必(かなら)ず神格(しんかく)の内流(ないりう)は終極点(しうきよくてん)たる人間(にんげん)の肉体(にくたい)に来(きた)り、066此処(ここ)に留(とど)まつて其(その)霊性(れいせい)を発達(はつたつ)せしめ、067而(しか)して後(のち)天国(てんごく)へ復活(ふくくわつ)し、068茲(ここ)に初(はじ)めて天国(てんごく)各団体(かくだんたい)を構成(こうせい)するに至(いた)るものである。069故(ゆゑ)に人(ひと)は天地(てんち)経綸(けいりん)の司宰者(しさいしや)と云(い)ひ、070又(また)天地(てんち)の花(はな)と云(い)ひ、071神(かみ)の生宮(いきみや)と称(とな)ふる所以(ゆゑん)である。072愚昧(ぐまい)なる古今(ここん)の宗教家(しうけうか)や伝教者(でんけうしや)は概(おほむ)ね此(この)理(り)を弁(わきま)へず、073天人(てんにん)と云(い)へば、074元(もと)より天国(てんごく)に在(あ)つて特別(とくべつ)の神(かみ)の恩恵(おんけい)に依(よ)つて天国(てんごく)に生(うま)れたるものの如(ごと)く考(かんが)へ、075又(また)地獄(ぢごく)にある悪鬼(あくき)どもは元(もと)より地獄(ぢごく)に発生(はつせい)せしものの如(ごと)く考(かんが)へ、076其(その)地獄(ぢごく)の邪鬼(じやき)が人間(にんげん)の堕落(だらく)したる霊魂(れいこん)を制御(せいぎよ)し或(あるひ)は苦(くる)しむるものとのみ考(かんが)へてゐたのである。077之(これ)は大(だい)なる誤解(ごかい)であつて、078数多(あまた)の人間(にんげん)を迷(まよ)はす事(こと)、079実(じつ)に大(だい)なりと云(い)ふべしである。080茲(ここ)に於(おい)て神(かみ)は時機(じき)を考(かんが)へ、081弥勒(みろく)を世(よ)に降(くだ)し、082全天界(ぜんてんかい)の一切(いつさい)を其(その)腹中(ふくちう)に胎蔵(たいざう)せしめ、083之(これ)を地上(ちじやう)の万民(ばんみん)に諭(さと)し、084天国(てんごく)の福音(ふくいん)を完全(うまら)に詳細(つばら)に示(しめ)させ給(たま)ふ仁慈(みろく)の御代(みよ)が到来(たうらい)したのである。085されど大神(おほかみ)は予言者(よげんしや)の想念中(さうねんちう)に入(い)り給(たま)ひ、086其(その)記憶(きおく)を基礎(きそ)として伝(つた)へ給(たま)ふが故(ゆゑ)に、087日本人(につぽんじん)の肉体(にくたい)に降(くだ)り給(たま)ふ時(とき)は即(すなは)ち日本(につぽん)の言葉(ことば)を以(もつ)て現(あら)はし給(たま)ふものである。088科学(くわがく)的(てき)頭脳(づなう)に魅(み)せられたる現代(げんだい)の学者(がくしや)又(また)は小賢(こざか)しき人間(にんげん)は「神(かみ)は全智(ぜんち)全能(ぜんのう)なるべきものだ。089然(しか)るに何故(なにゆゑ)に各国(かくこく)の民(たみ)に分(わか)り易(やす)く、090地上(ちじやう)到(いた)る所(ところ)の言語(げんご)を用(もち)ひて示(しめ)し給(たま)はざるや」と云(い)つて批判(ひはん)を試(こころ)み、091神(かみ)の遣(つか)はしたる予言者(よげんしや)の言(げん)を以(もつ)て怪乱(くわいらん)狂妄(きやうまう)と罵(ののし)り、092或(あるひ)は無学者(むがくしや)の言(げん)とか或(あるひ)は不徹底(ふてつてい)の言説(げんせつ)とか何(なん)とかケチをつけたがる盲(めくら)が多(おほ)いのは、093神(かみ)の予言者(よげんしや)も大(おほい)に迷惑(めいわく)を感(かん)ずる所(ところ)である。
094 高天原(たかあまはら)と天界(てんかい)は至大(しだい)なる一形式(いちけいしき)を備(そな)へたる一個人(いちこじん)である。095さうして高天原(たかあまはら)に構成(こうせい)されたる天国(てんごく)の各団体(かくだんたい)は之(これ)に次(つ)げる所(ところ)の大(だい)なる形式(けいしき)を備(そな)へたる一個人(いちこじん)の様(やう)なものである。096さうして天人(てんにん)は又(また)其(その)至小(しせう)なる一個人(いちこじん)である。097人間(にんげん)も亦(また)天界(てんかい)の模型(もけい)であり、098小天地(せうてんち)である事(こと)は屡(しばしば)述(の)べた所(ところ)である。099神(かみ)は此(この)一個人(いちこじん)なる高天原(たかあまはら)の頭脳(づなう)となつて其(その)中(なか)に住(ぢゆう)し給(たま)ひ、100万有(ばんいう)一切(いつさい)を統御(とうぎよ)し給(たま)ふ故(ゆゑ)に、101又(また)地獄界(ぢごくかい)も統御(とうぎよ)し給(たま)ふは自然(しぜん)の道理(だうり)である。102人間(にんげん)も亦(また)其(その)形体中(けいたいちう)に天国(てんごく)の小団体(せうだんたい)たる諸官能(しよくわんのう)を備(そな)へ種々(しゆじゆ)の機関(きくわん)を蔵(ざう)し、103而(しか)して天国(てんごく)地獄(ぢごく)を包含(はうがん)してゐるものである。
104 扨(さ)て高天原(たかあまはら)の如(ごと)き極(きは)めて円満(ゑんまん)具足(ぐそく)せる形式(けいしき)を有(いう)するものには、105各(おのおの)分体(ぶんたい)に全般(ぜんぱん)の面影(おもかげ)があり又(また)全般(ぜんぱん)に各分体(かくぶんたい)の面影(おもかげ)がある。106其(その)理由(りいう)は高天原(たかあまはら)は一個(いつこ)の結社(けつしや)の様(やう)なものであつて、107其(その)一切(いつさい)の所有(しよいう)を衆(しう)と共(とも)に相分(あひわか)ち、108衆(しう)は又(また)一切(いつさい)の其(その)所有(しよいう)を結社(けつしや)より受領(じゆりやう)して生涯(しやうがい)を送(おく)る故(ゆゑ)である。109かくの如(ごと)く天界(てんかい)の天人(てんにん)は一切(いつさい)の天的(てんてき)事物(じぶつ)の受領者(じゆりやうしや)なるによつて、110彼(かれ)は又(また)一個(いつこ)の天界(てんかい)の極(きは)めて小(せう)なるものとなすのである。111現界(げんかい)の人間(にんげん)と雖(いへど)も、112其(その)身(み)の中(うち)に高天原(たかあまはら)の善(ぜん)を摂受(せつじゆ)する限(かぎ)り、113天人(てんにん)の如(ごと)き受領者(じゆりやうしや)ともなり、114一個(いつこ)の天界(てんかい)ともなり、115又(また)一個(いつこ)の天人(てんにん)ともなるのである。
116 治国別(はるくにわけ)、117竜公(たつこう)両人(りやうにん)は言霊別(ことたまわけの)命(みこと)の案内(あんない)によつて第一(だいいち)天国(てんごく)の或(ある)個所(かしよ)に漸(やうや)く着(つ)いた。118此処(ここ)には得(え)も云(い)はれぬ荘厳(さうごん)を極(きは)めた宮殿(きうでん)が立(た)つてゐる。119これは日(ひ)の大神(おほかみ)の永久(とことは)に鎮(しづ)まります都率天(とそつてん)の天国(てんごく)紫微宮(しびきう)であつて、120神道家(しんだうか)の所謂(いはゆる)日(ひ)の若宮(わかみや)である。121智慧(ちゑ)と証覚(しようかく)と愛(あい)の善(ぜん)と信(しん)の真(しん)に充(みた)されたる数多(あまた)の天人(てんにん)は此(この)宮殿(きうでん)の前(まへ)の広庭(ひろには)に列(れつ)をなし、122言霊別(ことたまわけ)一行(いつかう)の上(のぼ)り来(きた)るを歓喜(くわんき)の情(じやう)を以(もつ)て迎(むか)へて居(ゐ)たのである。123言霊別(ことたまわけの)命(みこと)は遥(はる)か此方(こなた)より此(この)光景(くわうけい)を指(ゆび)さし、
124言霊別『治国別(はるくにわけ)様(さま)、125あの前(まへ)に金色(きんしよく)燦然(さんぜん)として輝(かがや)いてゐるのは、126エルサレムで厶(ござ)ります。127さうしてあの通(とほ)り巨大(きよだい)なる石垣(いしがき)を以(もつ)て造(つく)り固(かた)められ、128数百(すうひやく)キユーピツトの城壁(じやうへき)を囲(めぐ)らしてあるのを御覧(ごらん)なさいませ』
129治国別『ハイ、130有難(ありがた)う厶(ござ)ります、131如何(どう)したものか吾々(われわれ)は円満(ゑんまん)の度(ど)が欠(か)けて居(を)りまするために、132エルサレムは何処(どこ)だか、133石垣(いしがき)は何処(どこ)にあるか、134城壁(じやうへき)の高(たか)さも分(わか)りませぬ。135只(ただ)私(わたし)の目(め)に映(えい)ずるのは赫灼(かくしやく)たる光(ひかり)と天人(てんにん)の姿(すがた)が幽(かす)かに見(み)ゆるばかりです。136さうしてエルサレムとか仰有(おつしや)りましたが、137それは小(せう)亜細亜(アジア)の土耳古(トルコ)にある聖地(せいち)では厶(ござ)りませぬか』
138言霊別『エルサレムの宮(みや)とは大神(おほかみ)様(さま)の御教(みをしへ)を伝(つた)ふる聖場(せいぢやう)の意味(いみ)であります。139又(また)高(たか)き処(ところ)の意味(いみ)であつて即(すなは)ち最高(さいかう)天界(てんかい)の中心(ちうしん)を云(い)ふのです。140石垣(いしがき)と申(まを)すのは即(すなは)ち虚偽(きよぎ)と罪悪(ざいあく)との襲来(しふらい)を防(ふせ)ぐ為(ため)の神真(しんしん)其(その)ものであります。141度(キユーピツト)と申(まを)すのは性相(せいさう)其(その)ものであつて、142聖言(せいげん)に云(い)ふ、143人(ひと)とは凡(すべ)ての真(しん)と善徳(ぜんとく)とを悉(ことごと)く具有(ぐいう)するものの謂(いひ)であります。144即(すなは)ち人間(にんげん)の内分(ないぶん)に天界(てんかい)を有(いう)するものを人(ひと)と云(い)ひ、145天界(てんかい)を有(いう)せないものを人獣(にんじう)と云(い)ふのです。146ここには決(けつ)して人(ひと)なる天人(てんにん)はあつても現界(げんかい)の如(ごと)き人獣(にんじう)は居(を)りませぬ。147然(しか)し私(わたし)が今(いま)人獣(にんじう)と云(い)つたのは霊的(れいてき)方面(はうめん)から云(い)つたのです。148凡(すべ)て神(かみ)の坐(ま)します聖場(せいぢやう)及(およ)び其(その)御教(みをしへ)を伝(つた)ふる聖場(せいぢやう)を指(さ)して貴(うづ)の都(みやこ)と云(い)ひ、149或(あるひ)はエルサレムの宮(みや)と云(い)ふのです』
150治国別『さう致(いた)しますと、151現界(げんかい)に於(お)けるウブスナ山(やま)の斎苑(いそ)館(やかた)を始(はじ)め、152黄金山(わうごんざん)、153霊鷲山(りやうしうざん)、154綾(あや)の聖地(せいち)及(およ)び天教山(てんけうざん)、155地教山(ちけうざん)、156万寿山(まんじゆざん)其(その)他(た)の聖地(せいち)は凡(すべ)て天国(てんごく)であり、157エルサレムの宮(みや)と云(い)ふのですか』
158言霊別『さうです、159実(じつ)に神格(しんかく)によつて円満(ゑんまん)なる団体(だんたい)の作(つく)られたものは凡(すべ)てエルサレムとも云(い)ひ、160地上(ちじやう)に於(おい)ては地(ち)の高天原(たかあまはら)と称(とな)ふべきものです。161地上(ちじやう)の世界(せかい)は要(えう)するに高天原(たかあまはら)の移写(いしや)ですから、162地上(ちじやう)にある中(うち)に高天原(たかあまはら)の団体(だんたい)に籍(せき)をおいておかなくては、163霊相応(みたまさうおう)の道理(だうり)順序(じゆんじよ)に背(そむ)いては、164死後(しご)天国(てんごく)の生涯(しやうがい)を送(おく)る事(こと)は出来(でき)ませぬ。165サア之(これ)より最奥(さいあう)天国(てんごく)の中心点(ちうしんてん)、166大神(おほかみ)の御舎(みあらか)に御(ご)案内(あんない)致(いた)しませう』
167と先(さき)に立(た)つて歩(あゆ)み出(だ)した。168二人(ふたり)は足(あし)の裏(うら)がこそばゆい様(やう)な気分(きぶん)に打(う)たれ、169いと恥(はづ)かし気(げ)に従(したが)ひ行(ゆ)く。170路傍(ろばう)に堵列(とれつ)せる数多(あまた)の天人(てんにん)は『ウオーウオー』と手(て)を拍(う)つて叫(さけ)び、171愛善(あいぜん)の意(い)の表示(へうじ)をなしてゐる。172二人(ふたり)は言霊別(ことたまわけの)命(みこと)の背後(はいご)に従(したが)ひ、173被面布(ひめんぷ)を冠(かぶ)りながら心(こころ)落(お)ち着(つ)き、174静々(しづしづ)と日(ひ)の若宮(わかみや)の表門(おもてもん)を潜(くぐ)り入(い)る。
175 言霊別(ことたまわけの)命(みこと)は二人(ふたり)を門内(もんない)に待(ま)たせ置(お)き悠々(いういう)として奥深(おくふか)く入(い)り給(たま)うた。176二人(ふたり)は門内(もんない)に佇(たたず)み園内(ゑんない)に繁茂(はんも)せる果樹(くわじゆ)の美(うつく)しきを眺(なが)めやり、177舌(した)うちしながら頭(かうべ)を傾(かたむ)け『アーア』と驚(おどろ)きに打(う)たれ吐息(といき)を洩(も)らしてゐる。178暫(しばら)くすると庭園(ていえん)の一方(いつぱう)より目(め)も眩(くら)むばかりの光(ひかり)を放(はな)ち悠々(いういう)と入(い)り来(きた)り給(たま)ふ妙齢(めうれい)の天女(てんによ)があつた。179二人(ふたり)は思(おも)はずハツと大地(だいち)に踞(しやが)み敬礼(けいれい)を表(へう)した。180此(この)女神(めがみ)は西王母(せうわうぼ)と云(い)つて伊邪那美(いざなみの)尊(みこと)の御(ご)分身(ぶんしん)、181坤(ひつじさる)の金神(こんじん)であつた。182西王母(せいわうぼ)と云(い)ふも同身(どうしん)異名(いめい)である。183女神(めがみ)は二人(ふたり)の手(て)をとりながら言霊別(ことたまわけの)命(みこと)の奥殿(おくでん)より帰(かへ)り来(きた)る間(あひだ)、184庭園(ていえん)を巡覧(じゆんらん)させむと桃畑(ももばたけ)に導(みちび)き給(たま)うた。185二人(ふたり)は恐(おそ)る恐(おそ)る手(て)を曳(ひ)かれながら芳(かんば)しき桃樹(たうじゆ)の園(その)に導(みちび)かれ行(ゆ)く。186此処(ここ)には三千株(さんぜんかぶ)の桃(もも)の樹(き)が行儀(ぎやうぎ)よく繁茂(はんも)してゐる。187さうして前園(ぜんゑん)、188中園(ちうゑん)、189後園(こうゑん)と区劃(くくわく)され、190前園(ぜんゑん)には一千株(いつせんかぶ)の桃樹(もものき)があつて美(うる)はしき花(はな)が咲(さ)き且(かつ)一方(いつぱう)には美(うる)はしき実(み)を結(むす)んだのも尠(すく)なくはない。191此(この)前園(ぜんゑん)の桃園(ももぞの)は花(はな)も小(ちひ)さく又(また)其(その)実(み)も小(ちひ)さい。192さうして三千(さんぜん)年(ねん)に一度(いちど)花(はな)咲(さ)き熟(じゆく)して、193之(これ)を食(くら)ふものは最高(さいかう)天国(てんごく)の天人(てんにん)の列(れつ)に加(くは)へらるるものである。194さうして此(この)桃(もも)の実(み)は余程(よほど)神(かみ)の御心(みこころ)に叶(かな)つたものでなければ与(あた)へられないものである。195西王母(せいわうぼ)は二人(ふたり)に一々(いちいち)此(この)桃(もも)の実(み)の説明(せつめい)をしながら中園(ちうゑん)に足(あし)を踏(ふ)み入(い)れた。196ここにも亦(また)一千株(いつせんかぶ)の桃(もも)の樹(き)があり、197美(うる)はしき八重(やへ)の花(はな)が咲(さ)き充(み)ち又(また)甘(うま)さうな実(み)がなつて居(ゐ)る。198之(これ)は六千(ろくせん)年(ねん)に一度(いちど)花(はな)咲(さ)き実(みの)り、199之(これ)を食(くら)ふものは天地(てんち)と共(とも)に長生(ながいき)し、200如何(いか)なる場合(ばあひ)にも不老(ふらう)不死(ふし)の生命(せいめい)を続(つづ)けると云(い)ふ美(うる)はしき果物(くだもの)である。201西王母(せいわうぼ)は又(また)もや詳細(しやうさい)に桃畑(ももばたけ)の因縁(いんねん)を説(と)き諭(さと)し、202終(をは)つて後園(こうゑん)に足(あし)を入(い)れ給(たま)うた。203此処(ここ)にも亦(また)一千株(いつせんかぶ)の桃樹(もものき)が行儀(ぎやうぎ)よく立(た)ち並(なら)び、204大(おほ)いなる花(はな)が咲(さ)き匂(にほ)ひ、205実(み)も非常(ひじやう)に大(おほ)きなのが枝(えだ)も折(を)れむばかりに実(みの)つてゐる。206此(この)桃(もも)の樹(き)は九千(きうせん)年(ねん)に一度(いちど)花(はな)咲(さ)き実(みの)り、207之(これ)を食(くら)ふものは天地(てんち)日月(じつげつ)と共(とも)に生命(せいめい)を等(ひと)しうすると云(い)ふ重宝(ちようはう)至極(しごく)な神果(しんくわ)である。208西王母(せいわうぼ)は此(この)因縁(いんねん)を最(もつと)も詳細(しやうさい)に治国別(はるくにわけ)に諭(さと)し給(たま)うた。209然(しか)し此(この)桃(もも)の密意(みつい)については容易(ようい)に発表(はつぺう)を許(ゆる)されない、210然(しか)しながら桃(もも)は三月(さんぐわつ)三日(みつか)に地上(ちじやう)に於(おい)ては花(はな)咲(さ)き、211五月(ごぐわつ)五日(いつか)に完全(くわんぜん)に熟(じゆく)するものなる事(こと)は、212此(この)物語(ものがたり)に於(おい)て示(しめ)されたる所(ところ)である。213之(これ)によつて此(この)桃(もも)に如何(いか)なる御(ご)経綸(けいりん)のあるかは略(ほぼ)推知(すゐち)し得(え)らるるであらう。214西王母(せいわうぼ)は一度(ひとたび)地上(ちじやう)に降臨(かうりん)して黄錦(くわうきん)の御衣(ぎよい)を着(ちやく)し、215数多(あまた)のエンゼルと共(とも)に之(これ)を地上(ちじやう)の神権者(しんけんしや)に献(ささ)げ給(たま)ふ時機(じき)ある事(こと)は、216現在(げんざい)流行(りうかう)する謡曲(えうきよく)によつても略(ほぼ)推知(すゐち)さるるであらう。
217 却説(さて)、218西王母(せいわうぼ)は桃園(ももぞの)の案内(あんない)を終(をは)り、219二人(ふたり)の手(て)を引(ひ)きながら元(もと)の門口(もんぐち)に送(おく)り来(きた)り、
220西王母『治国別(はるくにわけ)殿(どの)、221竜公(たつこう)殿(どの)、222之(これ)にてお別(わか)れ申(まを)す』
223と云(い)ふより早(はや)く桃園内(たうゑんない)に神姿(しんし)を隠(かく)し給(たま)うた。224二人(ふたり)は其(その)後姿(うしろすがた)を伏(ふ)し拝(をが)み、225王母(わうぼ)が説明(せつめい)によつて神界(しんかい)経綸(けいりん)の深遠(しんゑん)微妙(びめう)なる密意(みつい)を悟(さと)り、226思(おも)はず合掌(がつしやう)して感涙(かんるい)に咽(むせ)びつつあつた。
227 かかる所(ところ)へ紫微宮(しびきう)の黄金(わうごん)の中門(ちうもん)を開(ひら)いて現(あら)はれ来(きた)る美(うる)はしき天女(てんによ)、228五色(ごしき)の光輝(くわうき)に充(み)ちた羽衣(はごろも)を着(ちやく)しながら出(い)で来(きた)る其(その)荘厳(さうごん)さ、229天国(てんごく)の天人(てんにん)は何(いづ)れも美(うる)はしく円満(ゑんまん)の相(さう)を具備(ぐび)すれども、230未(いま)だ嘗(かつ)て斯(かく)の如(ごと)き円満(ゑんまん)なる妙相(めうさう)を備(そな)へたる神人(しんじん)を見(み)るのは二人(ふたり)とも天国(てんごく)巡覧(じゆんらん)以来(いらい)初(はじ)めてであつた。
231 因(ちなみ)に羽衣(はごろも)とは決(けつ)して謡曲(えうきよく)にある如(ごと)き中空(ちうくう)を翔(か)ける空想(くうさう)的(てき)のものでない。232最(もつと)も美(うる)はしき袖(そで)は手(て)より数(すう)尺(しやく)長(なが)く、233裾(すそ)は一二丈(いちにぢやう)も後(うしろ)に垂(た)れてゐる神衣(しんい)の事(こと)である。
234 扨(さ)て十二(じふに)人(にん)の天女(てんによ)は、235無言(むごん)の儘(まま)二人(ふたり)を指(さ)し招(まね)き、236前(まへ)に六(ろく)人(にん)、237後(うしろ)に六(ろく)人(にん)、238二人(ふたり)を守(まも)りながら黄金(わうごん)の中門(ちうもん)を潜(くぐ)つて迎(むか)へ入(い)れるのであつた。239此(この)時(とき)今(いま)まで聞(き)いた事(こと)もない様(やう)な微妙(びめう)な音楽(おんがく)四方(しはう)より起(おこ)り、240芳香(はうかう)馥郁(ふくいく)として薫(くん)じ、241二人(ふたり)は吾(わが)身(み)の何処(いづこ)にあるやも忘(わす)るるばかり歓喜(くわんき)に充(みた)されながら、242微(かすか)の声(こゑ)にて天津(あまつ)祝詞(のりと)を奏上(そうじやう)しつつ欣々(いそいそ)として進(すす)み入(い)る。
243(大正一二・一・一三 旧一一・一一・二七 北村隆光録)
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