霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
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第一六章 天消(てんせう)地滅(ちめつ)〔一六四五〕

インフォメーション
著者: 巻: 篇: よみ(新仮名遣い):
章: よみ(新仮名遣い): 通し章番号:
口述日: 口述場所: 筆録者: 校正日: 校正場所: 初版発行日:
概要: 舞台: あらすじ[?]このあらすじはMさん作成です(一部加筆訂正してあります)。一部の章はAIによって要約を作成しています。[×閉じる]: 主な登場人物[?]【セ】はセリフが有る人物、【場】はセリフは無いがその場に居る人物、【名】は名前だけ出て来る人物です。[×閉じる]: 備考: タグ: データ凡例: データ最終更新日: 文字数: OBC :rm64a16
愛善世界社版: 八幡書店版: 修補版: 校定版: 普及版: 初版: ページ備考:
001マリヤ『晴(は)れもせず曇(くも)りも果(は)てぬ橄欖山(かんらんざん)の
002  月(つき)の御空(みそら)に無我(むが)の声(こゑ)する
003 行先(ゆくさき)は無我(むが)の声(こゑ)する所(ところ)まで
004 無我(むが)の声(こゑ)あてに旅立(たびだ)つ法(のり)の道(みち)
005 父母(ちちはは)の愛(あい)にも勝(まさ)る無我(むが)の声(こゑ)
006○
007ほんに可愛(いと)しいあの人(ひと)の
008恋(こひ)しなつかし此(この)手紙(てがみ)
009涙(なみだ)で別(わか)れた其(その)夜(よ)から
010どこにどうして御座(ござ)るかと
011寝(ね)た間(ま)も忘(わす)れず居(を)つたのに
012なんぼなんでも余(あんま)りな
013今更(いまさら)切(き)れとは何(なに)かいな
014情(なさけ)ないやら悔(くや)しいやら
015無情(つれな)いお方(かた)になりました
016ほんにいとしい彼方(あのかた)と
017思(おも)へば泣(な)いても泣(な)き切(き)れず
018諦(あきら)められぬこの手紙(てがみ)
019いとしいとしと思(おも)ふ程(ほど)
020憎(にく)い言葉(ことば)のあの人(ひと)が
021妾(わたし)はほんとに懐(なつ)かしい』
022と云(い)ひ乍(なが)ら橄欖山(かんらんざん)の頂上(ちやうじやう)をウロついて居(ゐ)る一人(ひとり)の女(をんな)がある。023これはアメリカンコロニーの牛耳(ぎうじ)を取(と)つて居(ゐ)るマリヤであつた。024ブラバーサはマリヤの女難(ぢよなん)を避(さ)けむ為(ため)、025逸早(いちはや)くも僧院(そうゐん)ホテルを立(た)ち出(いで)てシオン山(ざん)の渓谷(けいこく)に草庵(さうあん)を結(むす)び隠(かく)れて居(ゐ)たのである。026マリヤは斯(かく)の如(ごと)く歌(うた)つて恋(こひ)に憔(やつ)れ乍(なが)ら、027ブラバーサの後(あと)を探(さが)して居(ゐ)るのである。028かかる所(ところ)へ橄欖山(かんらんさん)上(じやう)の木(き)の茂(しげ)みから優(やさ)しき女(をんな)の歌(うた)ひ声(ごゑ)が聞(きこ)えて来(き)た。
029サロメ『緑(みどり)の風(かぜ)に花(はな)は散(ち)り
030逝(ゆ)く春(はる)の宵(よひ)歎(なげ)きつつ
031己(おのれ)が心(こころ)に夏(なつ)は来(き)ぬ
032夕(ゆふべ)胡蝶(こてふ)の床(とこ)に臥(ふ)し
033晨(あした)輝(かがや)く花(はな)思(おも)ふ
034悩(なや)ましの夢(ゆめ)今(いま)さめぬ
035現実(げんじつ)の月(つき)空(そら)高(たか)く
036青葉(あをば)は光(ひか)る橄欖(かんらん)の山(やま)に
037せめて憩(いこ)はむ吾(わ)が心(こころ)』
038と歌(うた)ひつつ静々(しづしづ)朧(おぼろ)の月夜(つきよ)に浮(う)いたやうに出(で)て来(き)たのはサロメであつた。039折々(をりをり)両人(りやうにん)は此(この)山上(さんじやう)で月下(げつか)に出会(でくは)すのである。040されど互(たがひ)に余(あま)り心易(こころやす)くもせず、041又(また)沁々(しみじみ)と話(はな)した事(こと)もない。042双方(さうはう)とも期(き)せずして同情(どうじやう)の念(ねん)にかられ、043何物(なにもの)にか惹(ひ)かるる如(ごと)く二人(ふたり)は朧月夜(おぼろづきよ)にもハツキリ顔(かほ)の分(わか)る所(ところ)迄(まで)近(ちか)づいた。
044マリヤ『行(ゆく)水(みづ)の帰(かへ)らむよしもなし
045 散(ち)る花(はな)を止(とど)めむよしもなし』
046サロメ『桜(さくら)の花(はな)の盛(さか)りこそ
047 君(きみ)と睦(むつ)みし月日(つきひ)なり
048 月(つき)は幾度(いくたび)かはれども
049 日(ひ)は幾日(いくにち)か重(かさ)なれど
050 君(きみ)に遇(あ)ふべきよしもない』
051マリヤ『涙(なみだ)の中(うち)に夏(なつ)は来(き)ぬ
052 夜(よ)毎(ごと)に飛(と)び交(か)ふ螢(ほたる)こそ
053 こがるる吾(わが)身(み)に似(に)たるかな』
054サロメ『今(いま)は悲(かな)しき思(おも)ひ出(で)の
055 夜(よ)毎(ごと)に飛(と)び交(か)ふ螢(ほたる)こそ
056 焦(こが)るる吾(わが)身(み)に似(に)たるかな』
057 かく両人(りやうにん)は意気(いき)投合(とうがふ)して何(いづ)れも恋(こひ)の敗者(はいしや)となりし述懐(じゆつくわい)を打明(うちあ)け歌(うた)つた。058是(これ)よりマリヤ、059サロメの両人(りやうにん)は姉妹(しまい)の如(ごと)く親(した)しくなり、060互(たがひ)に心胸(しんきよう)を打(う)ち明(あ)けて語(かた)り合(あ)ふ事(こと)となつた。
061サロメ『マリヤ様(さま)、062貴女(あなた)の今(いま)のお歌(うた)によりまして妾(わたし)の境遇(きやうぐう)とソツクリだと云(い)ふ事(こと)を悟(さと)りました。063ほんたうに世(よ)の中(なか)は思(おも)ふやうにならないもので御座(ござ)いますなア』
064マリヤ『ハイ、065有難(ありがた)う御座(ござ)います。066もはや此(この)世(よ)の中(なか)が嫌(いや)になつて参(まゐ)りました。067思(おも)ひ込(こ)んだ男(をとこ)に捨(す)てられ、068もはや此(この)世(よ)に何(なん)の楽(たの)しみも御座(ござ)いませぬ。069オリオン星座(せいざ)よりキリストが現(あら)はれたまふとも人間(にんげん)として恋(こひ)に破(やぶ)れた以上(いじやう)は、070もはや何(なん)の楽(たの)しみも御座(ござ)いませぬ。071キリストの再臨(さいりん)なんか物(もの)の数(かず)では御座(ござ)いませぬわ』
072と半狂乱(はんきやうらん)の如(ごと)くになつて居(ゐ)る。
073サロメ『あなたは永(なが)らく独身(どくしん)生活(せいくわつ)を続(つづ)けなさつたのも、074キリスト再臨(さいりん)を待(ま)つ為(ため)では無(な)かつたのですか』
075マリヤ『妾(わたし)の待望(たいばう)して居(ゐ)るキリストは左様(さやう)な高遠(かうゑん)な神(かみ)様(さま)では御座(ござ)いませぬ。076妾(わたし)の愛(あい)の欲望(よくばう)を満(みた)して下(くだ)さる愛情(あいじやう)の深(ふか)い清(きよ)らかな男子(をとこ)で御座(ござ)います。077妾(わたし)の一身(いつしん)に取(と)つてキリストと仰(あふ)ぐのは日出(ひので)の島(しま)からお出(いで)になつた、078ブラバーサ様(さま)で御座(ござ)います』
079サロメ『妾(わたし)だつてキリストの再臨(さいりん)を待(ま)つて居(ゐ)るのですよ。080併(しか)し乍(なが)ら自分(じぶん)の心(こころ)を満(みた)して呉(く)れる愛情(あいじやう)の深(ふか)い方(かた)があれば、081其(その)方(かた)こそ妾(わたし)に対(たい)して本当(ほんたう)のキリストで御座(ござ)いますわ。082乾(かわ)き切(き)つたる魂(たましひ)に清泉(せいせん)の水(みづ)を与(あた)へ、083朽果(くちは)てむとする心(こころ)に生命(せいめい)を与(あた)へて下(くだ)さる方(かた)が所謂(いはゆる)キリストですわ。084さうしてブラバーサ様(さま)は何処(どちら)へお出(いで)になつたか分(わか)らないのですか』
085マリヤ『ハイ百(ひやく)日(にち)の行(ぎやう)をすると云(い)つて聖地(せいち)を巡覧(じゆんらん)遊(あそ)ばして居(を)られましたが、086百(ひやく)日(にち)も立(た)たない中(うち)にお姿(すがた)が見(み)えなくなつたのですよ。087あの方(かた)は雲(くも)に乗(の)つて来(き)たと云(い)つて居(を)られましたから、088竹取(たけとり)物語(ものがたり)の香具耶(かぐや)姫(ひめ)様(さま)のやうにオリオン星座(せいざ)へでもお帰(かへ)りになつたのではあるまいかと、089毎晩(まいばん)々々(まいばん)空(そら)を仰(あふ)いで其(その)御(ご)降臨(かうりん)を待(ま)つて居(ゐ)るので御座(ござ)いますよ。090本当(ほんたう)にあの方(かた)は普通(ふつう)の人(ひと)ではありませぬ、091きつと神(かみ)様(さま)の化身(けしん)ですわ』
092サロメ『何程(なにほど)これと目星(めぼし)をつけた男(をとこ)でも、093神(かみ)様(さま)の化身(けしん)では仕方(しかた)無(な)いではありませぬか。094どれ程(ほど)あなたがモウ一度(いちど)下(くだ)つてほしほしと毎日(まいにち)天(てん)を仰(あふ)いで居(ゐ)たつて駄目(だめ)で御座(ござ)いませう。095そんな遠(とほ)い天(てん)の星(ほし)を望(のぞ)むよりも間近(まぢか)にオリオン星座(せいざ)があるではありませぬか。096この地(ち)も天(てん)に輝(かがや)く星(ほし)の一(ひと)つでせう。097ドンと四股(しこ)を踏(ふ)んでも直(す)ぐと答(こた)へて呉(く)れるのは地球(ちきう)と云(い)ふこの星(ほし)ぢやありませぬか。098きつと此(この)星(ほし)の中(なか)に貴女(あなた)の恋人(こひびと)は隠(かく)れて居(ゐ)ませう。099どこ迄(まで)も探(さが)し出(だ)してユダヤ婦人(ふじん)の体面(たいめん)を保(たも)つて貰(もら)はねば、100妾(わたし)だつて世界(せかい)へ合(あ)はす顔(かほ)がありませぬわ。101妾(わたし)も一旦(いつたん)相思(さうし)の恋人(こひびと)が御座(ござ)いましたが、102花(はな)はいつ迄(まで)も梢(こずゑ)に留(とど)まらぬが如(ごと)く、103夜(よる)の嵐(あらし)に吹(ふ)かれ、104たうとう生木(なまき)を裂(さ)くやうな悲惨(ひさん)な目(め)に会(あ)ひ、105それからと云(い)ふものは恋(こひ)に狂(くる)ふて、106この霊地(れいち)にお参(まゐ)りするのをせめてもの心(こころ)慰(なぐさ)めとして居(を)るので御座(ござ)います。107貴女(あなた)の恋人(こひびと)と仰有(おつしや)るブラバーサ様(さま)は、108三四回(さんしくわい)も此(この)お山(やま)でお目(め)にかかりましたが、109ほんとに神(かみ)様(さま)の様(やう)なお方(かた)でした。110妾(わたし)だつて貴女(あなた)の恋人(こひびと)でなければキツト捕虜(ほりよ)にして居(ゐ)るのですけれども、111人(ひと)の恋人(こひびと)を取(と)つたと云(い)はれてはユダヤ婦人(ふじん)の体面(たいめん)にかかると思(おも)ふて、112どれだけ恋(こひ)の悪魔(あくま)と戦(たたか)つたか知(し)れはしませぬわ。113自分(じぶん)の好(す)く人(ひと)、114又(また)人(ひと)が好(す)くと云(い)ひまして、115男(をとこ)らしい男(をとこ)は誰(たれ)にも好(す)かれるものですなア。116さうかと云(い)つて今後(こんご)ブラバーサ様(さま)を発見(はつけん)しても、117決(けつ)して妾(わたし)は指一本(ゆびいつぽん)さえない事(こと)を誓(ちか)つておきますから安心(あんしん)して下(くだ)さいませ』
118マリヤ『あなたの恋人(こひびと)と仰(おほ)せらるるのはヤコブ様(さま)ぢや御座(ござ)いませぬか。119薄々(うすうす)噂(うはさ)に承(うけたま)はつて居(を)りました』
120サロメ『ヤコブ様(さま)と妾(わたし)の中(なか)には何(なん)の障壁(しやうへき)もなく、121極(きは)めて円満(ゑんまん)に清(きよ)い仲(なか)で御座(ござ)いましたが無理解(むりかい)な両親(りやうしん)が中(なか)に入(い)つて引(ひ)き分(わ)けてしまつたので御座(ござ)います。122かうなつて別(わか)れると妙(めう)なもので恋(こひ)の意地(いぢ)が募(つの)り、123どこ迄(まで)も添(そ)ひ遂(と)げねばおかないと云(い)ふ敵愾心(てきがいしん)が起(おこ)つて来(き)たのですよ。124貴女(あなた)もユダヤ婦人(ふじん)としてどこまでも奮闘(ふんとう)なさいませ。125妾(わたし)も此(この)儘(まま)泣(な)き寝入(ねい)るのでは御座(ござ)いませぬからなア。126かうして二人(ふたり)も失恋(しつれん)の女(をんな)が、127橄欖山(かんらんさん)上(じやう)に出遇(であ)はすと云(い)ふのも何(なに)かの因縁(いんねん)で御座(ござ)いませうよ』
128マリヤ『サロメ様(さま)、129妾(わたし)は夜(よ)も更(ふ)けましたから、130今晩(こんばん)はこれで帰(かへ)らうと思(おも)ひます。131コロニーのスバツフオード様(さま)が余(あま)り遅(おそ)くなると大変(たいへん)矢釜(やかま)しく仰有(おつしや)いますから、132又(また)明日(あす)ここで貴女(あなた)と楽(たの)しくお目(め)にかかりませう』
133サロメ『左様(さやう)ならば一歩先(ひとあしさき)へ帰(かへ)つて下(くだ)さいませ。134妾(わたし)はもう暫(しばら)く祈願(きぐわん)してお山(やま)を下(くだ)る事(こと)と致(いた)しませう』
135と別(わか)れをつげ、136サロメはシオン大学(だいがく)の基礎(きそ)工事(こうじ)の施(ほどこ)してある傍(かたはら)の作事場(さくじば)に行(い)つて腰(こし)を下(お)ろし、137暫(しばら)く身体(からだ)をやすめ、138再(ふたた)び祈願(きぐわん)にかかつて居(ゐ)た。
139 シオンの谷(たに)に恋(こひ)の鋭鋒(えいほう)をさけて隠(かく)れて居(ゐ)たブラバーサは、140もはや夜(よ)も深更(しんかう)になつたればマリヤがよもや来(き)て居(ゐ)る筈(はず)は無(な)からうと高(たか)を括(くく)り橄欖山(かんらんさん)上(じやう)に於(おい)てキリストの無事(ぶじ)再臨(さいりん)を祈(いの)るべく登(のぼ)つて来(き)た。141作事場(さくじば)の中(なか)に優(やさ)しい女(をんな)の祈(いの)り声(ごゑ)が聞(きこ)えて居(ゐ)る。142ブラバーサはもしやあの声(こゑ)はマリヤであるまいか、143もしマリヤであつたら又(また)とつつかまへられて五月蠅(うるさ)い事(こと)であらう、144併(しか)しあれだけ慕(した)ふて来(く)る女(をんな)をむげに捨(す)てるのも残酷(ざんこく)のやうであり、145さればとて彼(かれ)の意志(いし)に従(したが)へば罪悪(ざいあく)を犯(をか)したやうな心持(こころもち)がするなり、146大神(おほかみ)様(さま)の御(ご)化身(けしん)からは叱(しか)られ、147吁(あゝ)どうしたらよからう、148辛(つら)い事(こと)だな。149マテマテ世界(せかい)万民(ばんみん)を救(すく)ふのも一人(ひとり)の女(をんな)を救(すく)ふのも救(すく)ひに二(ふた)つはない、150一人(ひとり)の女(をんな)を見殺(みごろ)しにして世界(せかい)の人民(じんみん)を助(たす)けたつて最善(さいぜん)の行方(やりかた)で無(な)いかも知(し)れない。151吁(あゝ)、152私(わたし)は自己愛(じこあい)に陥(お)ちて居(ゐ)たのかも知(し)れない、153仮令(たとへ)あの女(をんな)を助(たす)けるために地獄(ぢごく)に陥(お)ちてもあの女(をんな)を助(たす)けるが赤心(まごころ)だ。154エーもうかうなれば善(ぜん)も悪(あく)もない、155シオンの谷(たに)に身(み)を隠(かく)し女(をんな)に罪(つみ)を作(つく)らせるよりも自分(じぶん)が罪人(ざいにん)となつて、156マリヤを助(たす)けてやらう、157それが男子(だんし)たるものの本分(ほんぶん)だ。158自分(じぶん)が居(ゐ)なくても、159又(また)失敗(しくじ)つてもウヅンバラチヤンダーの再臨(さいりん)の邪魔(じやま)にはなるまい。160キリストは万民(ばんみん)のために十字架(じふじか)に、161おかかりなされたのだ。162国(くに)に残(のこ)した妻(つま)には済(す)まないが、163妻(つま)だつて宣伝使(せんでんし)の妻(つま)だ。164その位(くらゐ)の犠牲(ぎせい)は忍(しの)ぶだらう、165エーもう構(かま)はぬ、166これだけ熱烈(ねつれつ)の女(をんな)を見殺(みごろ)しにするのも余(あま)り善(ぜん)ではあるまいと心(こころ)の中(うち)に問(と)ひつ答(こた)へつ思案(しあん)を定(さだ)め、167作事(さくじ)小屋(ごや)の中(なか)に進(すす)み入(い)つた。
168 ブラバーサは斯(か)く決心(けつしん)をきめた上(うへ)は、169もはや宇宙間(うちうかん)に何者(なにもの)も無(な)くなつて了(しま)つた。170此(この)広(ひろ)い世界(せかい)にマリヤの姿(すがた)が唯一(ただひと)つあるのみである。171今迄(いままで)聞(きこ)えて居(ゐ)た山鳩(やまばと)の声(こゑ)も虫(むし)の音(ね)も無(な)く、172一切(いつさい)万事(ばんじ)何処(どこ)かへ消(き)えて了(しま)ひ、173天(てん)もなく地(ち)もなく心(こころ)にうつるものはマリヤの姿(すがた)のみとなつて了(しま)つた。174それ故(ゆゑ)サロメの姿(すがた)がすつかりマリヤと見(み)えて了(しま)つて、175どうしても他(た)の人(ひと)と考(かんが)へ直(なほ)す暇(ひま)は微塵(みぢん)も無(な)かつた。
176 一方(いつぱう)サロメはヤコブの事(こと)を思(おも)ひ乍(なが)ら祈願(きぐわん)をこらして居(ゐ)たが、177心(こころ)の中(うち)に思(おも)ふやう、
178サロメ『たとへ両親(りやうしん)が何(なん)と云(い)はうとも、179世間(せけん)の人(ひと)が堕落(だらく)女(をんな)と譏(そし)らうとも、180そんな事(こと)に構(かま)ふものか。181自分(じぶん)の恋(こひ)を自分(じぶん)が味(あぢ)はふに何(なん)の構(かま)ふ事(こと)があるものか。182あの人(ひと)の為(ため)には天(てん)も無(な)く地(ち)も無(な)い。183森羅(しんら)万象(ばんしやう)をすべて葬(はうむ)り去(さ)つても吾(わが)心(こころ)を生(いか)すものはヤコブさまより無(な)いのだ、184地位(ちゐ)や、185名誉(めいよ)が何(なん)になる、186貴族(きぞく)の生(うまれ)が何(なん)だ。187鳥(とり)や獣(けもの)でも自由(じいう)に恋(こひ)を味(あぢ)はつて居(ゐ)る。188万物(ばんぶつ)の霊長(れいちやう)たる人間(にんげん)が恋(こひ)を味(あぢ)はふに何(なん)の不道理(ふだうり)があらう筈(はず)がない。189草(くさ)を分(わ)けても捜(さが)し出(だ)し、190ヤコブ様(さま)を見(み)つけ出(だ)して、191地位(ちゐ)や名誉(めいよ)を投(な)げ出(だ)して今迄(いままで)のお詫(わび)をせう。192妾(わたし)の意志(いし)が弱(よわ)かつた為(ため)ヤコブ様(さま)に思(おも)はぬ歎(なげき)をかけた……。193ヤコブ様(さま)許(ゆる)して下(くだ)さいませ。194仮令(たとへ)地獄(ぢごく)に堕(お)ちた所(ところ)で貴方(あなた)との約束(やくそく)を実行(じつかう)致(いた)しませう。195それが女(をんな)の本領(ほんりやう)で御座(ござ)いますから……』
196と傍(かたはら)に人(ひと)無(な)きを幸(さいは)ひ、197知(し)らず知(し)らず大(おほ)きな声(こゑ)を出(だ)して了(しま)つた。
198 ブラバーサは、199サロメがヤコブのことを云(い)つて居(ゐ)るのを聞(き)いてゐながら、200やつぱりマリヤとしか思(おも)へなかつた。201二人(ふたり)の男女(だんぢよ)は一所(いつしよ)に集(あつ)まつて互(たがひ)にかたく抱(だ)き締(し)めた。202そして天(てん)も地(ち)も、203橄欖山(かんらんざん)も自分(じぶん)の体(からだ)もどこかへ消滅(せうめつ)したやうな無我(むが)の域(ゐき)に入(い)つて了(しま)つた。204暫(しばら)くあつてサロメは、205ホツト気(き)がついたやうに、
206サロメ『あゝヤコブ様(さま)、207ヨウ来(き)て下(くだ)さいました。208妾(わたし)の一念(いちねん)が貴方(あなた)の魂(たましひ)に通(つう)じたので御座(ござ)りませう。209もう此(この)上(うへ)は身(み)も魂(たま)もあなたに捧(ささ)げまして決(けつ)して外(ほか)へは心(こころ)を散(ち)らしませぬから可愛(かあい)がつて下(くだ)さいませ』
210 ブラバーサはヤコブと云(い)ふ声(こゑ)を聞(き)いて大(おほい)に怒(いか)り、
211ブラバーサ『こりや不貞腐(ふていくさ)れのマリヤ奴(め)、212よう私(わたし)を翻弄(ほんろう)して呉(く)れたなア。213お前(まへ)の熱愛(ねつあい)して居(ゐ)るヤコブの代理(だいり)に己(おれ)を使(つか)ふとは、214馬鹿(ばか)にするのも程(ほど)があるではないか。215己(おれ)はマリヤより外(ほか)に愛(あい)する女(をんな)は無(な)いのだと思(おも)つて居(ゐ)たのにエヽ汚(けが)らはしい、216勝手(かつて)にどうなとしたがよからう。217俺(おれ)もこれで胸(むね)の迷(まよ)ひが取(と)れた。218あゝ惟神(かむながら)霊(たま)幸倍(ちはへ)坐世(ませ)』
219 サロメはやつぱり現(うつつ)になつてブラバーサをヤコブと思(おも)ひつめて居(ゐ)た。220マリヤより愛(あい)する女(をんな)が無(な)いと云(い)ふのを聞(き)いて、
221サロメ『エヽ悪性(あくしやう)男(をとこ)のヤコブ奴(め)、222ようもようも此(この)サロメを馬鹿(ばか)にしよつたなア。223命(いのち)を捨(す)てた此(この)体(からだ)、224もう此(この)上(うへ)は破(やぶ)れかぶれ思(おも)ひ知(し)つたがよからう』
225と護身用(ごしんよう)の短刀(たんたう)を抜(ぬ)いて切(き)つてかかる。226ブラバーサはマリヤ待(ま)つた待(ま)つたと作事(さくじ)小屋(ごや)のぐるりを逃(に)げ廻(まは)つて居(ゐ)る。227かかる所(ところ)へ疑(うたが)ひ深(ぶか)いマリヤは、228サロメがアンナ事(こと)をいつて、229ブラバーサを隠(かく)して居(ゐ)るのでなからうかと、230中途(ちうと)より引返(ひきかへ)し来(きた)り、231此(この)体(てい)を見(み)て打驚(うちおどろ)き、
232マリヤ『もしサロメ様(さま)、233マア待(ま)つて下(くだ)さいませ』
234と腕(うで)に食(くら)ひつく。235サロメは夜叉(やしや)の如(ごと)くに怒(いか)り狂(くる)ひ、
236サロメ『エヽ恋(こひ)の敵(かたき)マリヤ奴(め)、237ヤコブを取(と)りよつた恨(うらみ)だ、238覚悟(かくご)を致(いた)せ』
239と猛(たけ)り狂(くる)ふ。240其処(そこ)へ又(また)現(あら)はれて来(き)たのはサロメの後(あと)を追(お)ふてやつて来(き)た失恋(しつれん)男(をとこ)のヤコブであつた。241ヤコブは大声(おほごゑ)をあげて、
242ヤコブ『これこれサロメさまお気(き)が狂(くる)ふたのか一寸(ちよつと)待(ま)つて下(くだ)さい。243私(わたし)はヤコブで御座(ござ)います』
244 サロメは此(この)声(こゑ)に勢(いきほひ)抜(ぬ)け茫然(ばうぜん)として短刀(たんたう)を握(にぎ)つたまま衝立(つつた)つて居(ゐ)る。245月(つき)は皎々(かうかう)として山(やま)の端(は)を照(て)らし初(はじ)めた。246四(よ)人(にん)の顔(かほ)は一度(いちど)にハツキリして来(き)た。247マリヤは慄(ふる)ふて居(ゐ)るブラバーサの手(て)を固(かた)く握(にぎ)り、
248マリヤ『聖師(せいし)様(さま)何処(どこ)へ行(い)つてゐらしたの。249妾(わたし)どの位(くらゐ)たづねて居(ゐ)たのか分(わか)りませぬのよ』
250ブラバーサ『ウンお前(まへ)がマリヤであつたか。251夜中(やちう)の事(こと)とて甚(えら)い人違(ひとちが)ひをしたものだ。252あの活劇(くわつげき)を見(み)て居(を)つたであらうなア』
253マリヤは、
254マリヤ『ホヽヽヽヽ』
255サロメも、
256サロメ『ホヽヽヽヽ』
257ヤコブ『何(なん)だ人違(ひとちが)ひか、258サア、259サロメさま、260ヤコブはどこ迄(まで)も貴女(あなた)と離(はな)れませぬから覚悟(かくご)して下(くだ)さい、261命(いのち)がけですよ』
262サロメ『妾(わたし)だつて命(いのち)がけですわ。263ブラバーサ様(さま)があなたに見(み)えたので甚(えら)い間違(まちが)ひを致(いた)しました。264マア無事(ぶじ)で怪我(けが)が無(な)くて何(なに)より結構(けつこう)で御座(ござ)いました。265皆様(みなさま)茲(ここ)で神(かみ)様(さま)に感謝(かんしや)を致(いた)しませう』
266と男女(だんぢよ)四(よ)人(にん)は地上(ちじやう)に端座(たんざ)し、267恋(こひ)の成功(せいこう)を感謝(かんしや)した。268ヨルダン川(がは)の流(なが)れも峰(みね)吹(ふ)く風(かぜ)の音(おと)も天(てん)も地(ち)も漸(やうや)く四(よ)人(にん)の前(まへ)に開展(かいてん)して来(き)た。269あゝ惟神(かむながら)霊(たま)幸倍(ちはへ)坐世(ませ)。
270(大正一二・七・一二 旧五・二九 加藤明子録)
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