朝早くより天晴れ地澄み風そよぎ陽はうららかに阿波の国原を照して、吾出で立ちを守るが如く思はれぬ。午前の九時十分自動車三台に分乗して国幣中社天之日鷲命を祀りたる勢見ケ丘の忌部神社に詣で行く。数百の石の階段、息もせきせき上り詰むれば、当社の禰宜、白衣を着用して吾が参着を待ち迎へ居ませり。無言の礼を交はしつ大鳥居の前に進めて当社の主典狩衣を着け、祓戸席を設け、大幣を手にして待構へ居たり。然れど峻坂を刻み上りたる吾身には、呼吸促迫動悸昂進して直ちに神前に祝文を唱ふる事難ければ、一先づ勢見の貴賓館に入りて休憩する事とはなりぬ。東北の阿波の平野は限りなく展開し、風景美はしく、原野を劃する二條の水流は一入の眺めにして、恰も草山より台北の原野を瞰下するの思ひありき。東方は勝浦川、西方は吉野川の本流にして、河面の水は太陽に照り映えて銀河の如く、二川の流、海辺近く合するあたりの美はしさ、暫時吾を忘れて見惚れたり。名にし負ふ阿波の鳴戸の川口の真帆片帆行き交ふ眺めはいと珍らしくして、心魂を洗ふの思ひありき。禰宜の案内にて中門を潜り玉串を大神に献り、宣伝使信徒等異口同音に大本祝詞を奏上し終るや、宮司大木清人氏に案内されて、再び貴賓館に入り、一服の茶や菓子の饗応を受け、大木宮司より、親しく神社の由緒や淵源を聴かされ、参詣者名簿に吾名を記入し、次で大前に立ち吾小照を撮り、重ねて一同と共にレンズに向ふ。太陽は晃々として大空に暉きたまひ、単衣の身にも汗 瀧の如く流れ落つ。やがて宮司其他の神職に厚く礼を述べ、好意を謝して袂を別ちぬ。
午前九時過ぎて分所を出立し
忌部神社に詣でてぞ行く。
数百の階段上り勢見の山
国幣中社の大前につく。
階段を上れば左側の岩壁に
霊鷲の像現はれてあり。
大前に幣帛料を献り
禰宜の案内で中門に入る。
玉串を榊の御前にたてまつり
謹み一同太祝詞のる。
貴賓室案内されて茶を呑みつ
阿波の平原見おろす清しさ。
吉野川 勝浦の川の合ふあたり
風光一入妙にかがやく。
参詣者名簿に吾名を署名して
後の記念となしにけるかな。
大木宮司忌部神社の起原など
いと細々と語り聞かせり。
義経の軍勢を見し勢見山に
国幣中社の建てられしとふ。
大前に立ちて小照とりにけり
阿波に渡りし永久の記念と。
神苑ゆ西南の空ふさぎつつ
そびゆる眉山の眼新しきかな。
大瀧の山も眉山につらなりて
常磐の山姿現はしにけり。
裏坂を下りて名高き金刀比羅の
宮の庭へと進みけるかな。
金刀比羅の宮の望楼より徳島市
見れば国の秀かがやき渡る。
金刀比羅の階段下れば自動車は
三台並びて吾待ち居たり。
徳島の市を走せつつ富田川
富田の橋を渡る凉しさ。
旧城趾猪津山麓公園に
進めば千花艶をきそへる。
常磐木の茂り合ひたる城山の
景色は殊更市の誇りなる。
市をはなれ田圃路わたり吉野川
長大橋を進む愉快さ。
徳島ゆ三里隔てし撫養の町に
正午十二時着きにけるかな。
十二社の宮のほとりに最とひろき
競馬場こそ開かれてあり。
もう三町行けば鳴戸の海岸と
聞けど見に行く時は到らず。
鳴戸鯛 鳴戸若布の味のよさ
日本一との誉れ保てる。
此の土地の名物凧の大きさは
蓆五十枚連ぬるときく。
例年になき此頃の海の時化
龍神吾を迎ふるならん。
千年の苔生す老松茂りたる
宮の斎庭に弁当開けり。
宮崎氏庭のおもてに児の手檜葉
一本静に立ち栄えけり。
昼飯を一同座敷や森影に
坐して沢山よばれけるかな。
鳴戸鯛其の味はひは他の国の
とても及ばぬ珍味なりけり。
十二社の外陣近く参入し
大本祝詞奏上せしかな。
拝礼も首尾よく済みて一同と
社前に記念の小照を撮る。
競馬場横切り麦生の畑縫ふて
自動車待てる辻堂につく。
文明橋渡れば撫養の田舎町
並べる中に天理教あり。
天理教大教会の建築は
あたりに見られぬ壮観なりけり。
三里余の道を苦もなく乗り越えて
吉野川なる大橋渡る。
助任橋渡れば猪山公園地
樹々の梢の緑さやけし。
午後の四時沖ノ洲町に自動車を
乗り捨て沖の洲支部に向ひぬ。
沖の洲の支部に漸く着きぬれば
酔ひしれし人吾道塞ぎぬ。
勢見山の忌部神社を後にして、憧憬の阿波徳島市中を車上馳走しつつ、古城趾、今は公園猪津山は中央に蒼々として老樹聳え、風光絶佳、神仙境にあるの心地なしぬ。
公園を出でて石造の新らしき助任橋を打渡り、吉野川の本流古川橋を三台の自動車は進み行きぬ。橋の長さ六百六十間、十一丁に亘ると聞くも珍らし。それより吉野川の支流を二つ三つのりこえて撫養の町に入る。此処には天理教撫養大教会なる宏壮なる殿堂あり。役員の邸宅左右に美はしく立並び見るも羨ましき構なるかなと或る人の囁けるも無理ならざるべし。石造の文明橋を打渡れば妙見山の勝地ありて、此処よりは道幅狭く自動車の通行最もなやまさる。良馬の産地とて競馬場さへ開かれ、山腹には人丸の神社老松の森に建てられてあり。途中若布の吊乾し等旺なりき。宮崎氏に迎へられ村氏に案内されて、十二神社側の宮崎正氏邸に入りて休らひ、昼食の饗応一行と倶にあづかる。阿波鳴戸の紙鳶に蛤貝、若布なぞ最も知られたり。此の際鳴戸見物を勧められしも、未だ天の時到らずとして見合せにける。
吾こそは瑞の御魂の内命を
受けしと詐る贋宣使あり。
三五の誠一つの御教ぞ
秘密の使者の有る道理なし。
霊陽や小原天狗や徳風や
霊城小中副守忌々しき。
○二名島旅行の閑暇雑誌神の国の為にものしたる道歌なれど、是も今回の花の添物として書きしるしおくになむ。
五十鈴川源遠く水清く
流れて百草生かす御代かな。
五十鈴川清き流れに浮びたる
桃の実こそは世の宝なる。
現し世の隠れし宝現はして
神国を照らす貴の月光。
桃の実は忽ち割れて月となり
天に上りて闇を照らさむ。
選まれし神の司の苦しさは
如何なる小事も隠す術なし。
愛と信の御代松ケ枝に三五の
月照り渡る御代ぞ待たるる。
大空の月をあし以て蹴り乍ら
大樹の枝に天狗寝るなり。
望の夜の月を足蹴に為し乍ら
草の褥に寝る乞食かな。
蟹が行く邪さの道を寝て見れば
正しく立ちて往く如く見ゆ。
鵲の渡せる橋に夜は更けて
霜白々と襲ふ闇の世。
耀ける人の面は天つ神の
霊魂の宿る証しなりけり。
かがやける天津御国をまのあたり
綾の高天の庭に見るかな。
かんながら恵の露を浴びながら
魂の涸れたる曲人もあり。
地の底に落ちたる種も春されば
新に萌ゆる天地の則。
足蹴され踏蹂られし玉草の
芽生え初めたる麻柱の道。
三千年の天の岩戸も明烏
啼き渡りつつ世をさますなり。
国魂の草にかくれし世の中は
月日重ねて曲たけぶなり。
国魂の神の眠りの醒めぬれば
世は永久の天国なりけり。
外国の醜の言霊草茂り
豊葦原にまが風おそふ。
国々の国魂やしろに詣で見て
御国の前途に涙せしかな。
衣手は涙の露にぬれにけり
昼夜を守る神し偲びて。
心して読めよ霊界物語
みろく胎蔵の貴の神言。
曲津神主神の命をおかしつつ
誠の信者に煮茶浴びせる。
三五の内に白蟻巣ぐひつつ
神名かたりて信徒苦しむ。