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五月卅一日 於大洲支部

インフォメーション
題名:5月31日 於大洲支部 著者:月の家(出口王仁三郎)
ページ:282 目次メモ:
概要: 備考: タグ: データ凡例: データ最終更新日:2018-08-19 19:58:48 OBC :B117500c27
さはやかに(すずめ)は唄ひ田の面に
雲雀(ひばり)(さへづ)る朝晴れの空。
伊都能売(いづのめ)会兼題早苗(さなへ)の歌()りて
朝の勤めを済ませけるかな。
がちやがちやと炊事場の音人の声
雲雀の如く(きこ)ゆる朝かな。
一本(ひともと)(かし)の老樹の枝茂り
小庭(さには)の面を塞ぎて立てり。
瓦屋根()の照り映えて蒸し暑く
夏の心地の漂ふ今日かな。
大本は十年以来雌伏(しふく)せしと
云へども吾は雄飛(ゆうひ)のみせし。
十年の事件後雌伏の大本と
云ふ宣伝使顔を洗へよ。
朝夕に常住不断の活動を
続け来にけり大本の吾。
火に焼けず水に(おぼ)れぬ大本の
生ける信仰天地に(みなぎ)る。
有名な五色の浜現在は伊予港の五色浜公園に遊ばんと
信徒(まめひと)共に支部を出でゆく。
大空に薄雲の幕張りまはし
そよ風吹きて舟遊に良し。
 正午過ぎ支部其他の役員信者と共に、郡中町にて名高き五色の浜辺に遊ばんと、海辺まで約百間(ばか)りの街路を徒歩(かち)にて進む。浜辺には老松二株(こけ)()して()てる(みなと)神社静かに建ちて風清く、石持魚(いしもちうを)を漁夫等の浜辺に並べて干せる様()とも床し。陶器会社の大煙突は天に(ちゆう)して黒煙を吐き、牛小ケ原の松並木は北方の浜辺に長く、蛇の如く、蜈蚣(むかで)の如く伸び栄え、西方の海上には宝永年間大地震の為揺り沈められしと云ふ由利(ゆり)(じま)松山港の沖合にあり、現在は無人島ぼんやり(かすみ)に浮び、正北の空には伊予の小富士釣島あり。新川の海水浴場も余り遠からぬ地点に見えたり。中にも由利島は(うさぎ)雉子(きぎす)の名所にして全島に数多棲息せる由。(いにし)へ此の島に由利長者と云へる者ありしが宝永の地震にて沈没し、今は只島の一部を遺せるのみと聞く。此近くの海底には古器物数多沈没せりとて、大蛸(おほだこ)の首を縛りて海底に入れ、種々の珍器をつかませ、盛んに探得せし事ありと云ふ。(いづ)れにしても珍らしき話といふべし。又東南の空に(そび)ゆる谷上(たかみ)山には千手観音を祀れる名刹(めいさつ)宝珠寺といへるありて四国人の信仰するもの最も多しとの事なり。天気晴朗にして風澄みたる日は九州の国東(くにさき)半島や山口県の大島山を見る事を得るといふ。吾等一行は此の伊予灘(いよなだ)(一名硫黄灘(いわうなだ))に二隻の船を浮かべて、凉風を浴びつつ郡中にて名高き粥喰(かゆくひ)山の松原に上陸し、五色石なぞを拾ひ、船を(なぎさ)に待たせおきて、松の木蔭に(むしろ)を敷き、一同と(とも)に海の景色をながめつつ小宴を張る。白帆の来往、(かに)捕り船の数限りなく海面に浮かびて風光一入(ひとしほ)(たへ)なり。伝え()ふ、この粥喰島は天保七年の饑饉(ききん)に当り餓人道路に横たはり、死するもの日々(その)数を知らざりしが、時の藩公令を下し、砂石を少々なりとも(ここ)に運び来る(ごと)に粥一椀を与ふると為したるに、(たちま)ちにして(この)島山を造りたりと云ふ。今は町人の遊園となれり。
 一行三十三人沖を眺めて興に入る折しも広島へ通ふ材木を満載したる栄久丸は(なみ)()立てて出帆(しゆつぱん)せり。再び船に乗りて湊神社前の(なぎさ)に上陸し、郡中支部に帰れば大洲(おほず)より出迎への為信者八人来たりて待てり。時正に午後の一時。
 午後の二時半といふに三台の自動車を(つら)ねて大洲に向ふ。米港(こみなと)より道を左に折れて松柏茂る池見峠の小坂を越ゆれば九十九折(つづらをり)の下り坂、左右に赤らみたる麦畠(むぎばたけ)あり。余り車の往来もなく、飛ぶが如くに快走す。珍らしき出口橋を渡れば海岸に出づ。沖の彼方に青島一つ浮かべる外海上眼に入るもの無し。道路の傍に坐して白髪の老人(あみ)を造れるあり。人家の石垣には赤き草花(すだれ)の如く(かか)りて(うる)はし。上灘(かみなだ)に入れば高き石段の上に天一神社の森あり。上灘橋本郷橋なぞ渡り行けば、二本の枝振り面白き松三島神社の崇厳を添へ、海岸一帯面白き神代木(じんだいぼく)の化石岩並び、奇岩怪石水面に散在して風光絶佳なり。豊田の海岸、一老松の下にて自動車パンクしたれば、直ちに後列の車に乗り替へ、下灘(しもなだ)疾駆(しつく)して長浜に入り、加屋(かや)八多喜(はたき)春賀(はるが)の村々(ひぢ)川の清流に添ひ(なが)ら、午後五時過ぎ大洲(おほず)常磐(ときは)(まち)喜多郡大洲町常磐町、現・大洲市常磐町の宇知麿佐賀伊佐男。王仁三郎の三女・八重野と結婚。宇知麿(うちまる)は大本名。が生家に着きぬ。
郡中の支部を立ち出で硫黄灘の
浜辺に進む三十三名。
磯端の石持魚を()す棚の
幾十と無く並べる浜かな。
(かに)(あさ)る小船数十海の()
点々浮かべる(さま)面白し。
枝振りの(たへ)なる老松(こけ)むして
湊神社の風致添へけり。
障子山正南の空に泰然(たいぜん)
高く(そび)えて(なみ)()低し。
宝永の昔陥落(かんらく)せしといふ
由利島遠くかすみて浮けり。
(きじ) 兎 数多住むてふ由利島は
昔長者の住みしとぞ聞く。
西北の空に(そび)ゆる伊予小富士
釣島の景美はしきかな。
松並木海辺に立てる牛小(うしこ)ケ原
蜈蚣(むかで)()へる如く並べり。
新川の海水浴場ほの見えて
白帆三つ四つ浪にただよふ。
谷上(たかみ)山千手観音まつりたる
霊峯辰巳(たつみ)の空に光れり。
宝珠寺の谷上の山の霊跡は
伊予第一の名刹(めいさつ)なりけり。
快晴の日は大島や国東(くにさき)
見ゆると聞けど今日は(せん)なし。
粥喰(かゆくひ)の山に登りて小宴を
開けば海風来たりて(すず)し。
海辺に船をつなぎて名物の
五色の石を拾ひけるかな。
五色浜五色の石の(うる)はしさ
月の宝座に敷き()くぞ思ふ。
運送船栄久丸は木材を
積みて広島さして出でたり。
午後一時支部に帰れば大洲(おほず)より
吾迎へんと八人待ちけり。
郡中の町を突き抜け自動車を
池見峠に()せ登りゆく。
九十九(つづら)坂下れば左右の田の面に
刈頃の麦赤く並べり。
長からぬ出口橋渡り見れば
瀬戸の内海目に入りにけり。
海岸の路のかたへに白髪の
翁静かに網造る見ゆ。
家々の石垣赤く何花か
名は知らねども(うる)はしきかな。
上灘(かみなだ)の村に進めば天一神社
石段高く(いはほ)に立てり。
三島神社包む二本の老松は
枝振り(こと)に珍らしかりけり。
海岸は神代(じんだい)樹木の化石のみ
数里続きてながめ美はし。
豊田村老松一本(ひともと)()つ下に
吾自動車はもろくもパンクす。
後列の車に乗り替へ海岸を
ながめつ勇み風切りてゆく。
ほんのりと波の彼方に青島の
静かに浮ける山姿めでたし。
下灘(しもなだ)を過ぐれば長浜船着場
大船小船港内に充つ。
加屋 八多喜(はたき) 春賀(はるが)の景勝ほめ(なが)
(ひぢ)川づたひ大洲に入りけり。
午後の四時半に一行常磐(ときは)
宇知麿生家につきにけるかな。
黄昏(たそが)るる頃より大空雲ふさぎ
月の光も見えずなりけり。
海棠(かいだう)の露をおびたる如くなる
汝のひとみに吾魂とけいる。
その眉毛その黒澄みしひとみこそ
吾生命かも吾悩みかも。
薄紅のふくらむほほに口づけて
地にある吾を忘れけるかな。
今小町(いまこまち)今業平(いまなりひら)と唄はれて
花にうそつく身とぞなりたき。
二八二九弥生の花は散りぬれど
色香残るか人に恋はるる。
色も香もある男よと美人等に
ほこれど見返る皺花もなし。
姑の十八言ふと笑ふなよ
これでも昔は業平(なりひら)(きみ)
湯上りの妻の化粧のあでやかさ
思はず知らずみとれけるかな。
これ程の妻を美人と知らざりき
正装したる姿見るまで。
吾ものと思へば老いし吾妹子も
いとなつかしくなりにけるかな。
若人の花の姿を見る夕べ
吾たましひも若やぎにけり。
草枕旅路の空に愛媛見て
吾ふるさとの恋しくなりけり。
旅枕人目の瀬戸の海越えて
花の御園を(しの)ぶ吾かな。
吾背子は浪路を遠くゆきましぬ
家守る吾の心も知らずに。
うらさびし夜なりと夜半(よは)に目さませば
吾背の君は旅立のあと。
淋しさに病と称して吾妹子の
旅立つ空に電報打ちたり。
神様は尊し背子は慕はしし
家守る夜半の明けがたきかな。
宣伝の旅に出ながら吾妹子を
(しの)びていぬる夜の長きかな。
吾妹子よ夫よ子よと朝夕に
顔見て暮す人ぞうらめし。
七夕の神の御魂(みたま)か知らねども
遠くへだてて住むぞ苦しき。
二名(ふたな)島に愛媛乙姫ましませど
吾妹子ならねばままならぬかな。
やけくそになりてナイスに()をひりて
ますますあいそつかされにけり。
人無しと尻をまくつて屁をひれば
ナイス窓の戸開けて微笑(ほほゑ)む。
もう十日すれば女房になる身ぞと
思へば心さわぎぬるかな。
のろけ歌夜の()くるまで書かされて
はあはあためいきする女かな。
恥気なく美人の前で放屁(はうひ)する
吾にも恋は燃えてありけり。
一月の旅はつらしと思はねど
汝とあはぬぞうらみなりけり。
電報を打つて吾妹子呼ばんかと
時々一寸思ひ見しかな。
阿波 讃岐 伊予 土佐 四国(まわ)れども
汝にまされる美人なきかな。
背子の君吾とこいりを待ち(たま)
一夜の宿直苦しき今日かな。
みづづくし黒髪の露香も高き
君が手枕夢に見しかな。
山と海遠く渡りて吾は今
命の君に会ひにけるかな。
嫁ぐべき人としなりて(いちじ)るく
君の心の変りけるかな。
ゆくりなく君と(あひ)見し夕べより
なやみの吾となりにけるかも。
吾恋ふる人も背の君ますと聞きて
胸の炎の燃えさかるなり。
あこがれの君に逢ひ見し苦しさよ
人目の関も越ゆる術なく。
(うつ)し世の人目の関の高ければ
目にて物()ふさへままならず。
大空は(くま)なく高く澄み渡り
星影清き夢を見しかな。
(うし)の刻過ぐる頃より(にはか)
瓦屋根打つ音に眼醒めぬ。
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