霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
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第七章 曲輪玉(まがわのたま)〔一三二二〕

インフォメーション
著者:出口王仁三郎 巻:霊界物語 第51巻 真善美愛 寅の巻 篇:第2篇 夢幻楼閣 よみ(新仮名遣い):むげんろうかく
章:第7章 曲輪玉 よみ(新仮名遣い):まがわのたま 通し章番号:1322
口述日:1923(大正12)年01月25日(旧12月9日) 口述場所: 筆録者:松村真澄 校正日: 校正場所: 初版発行日:1924(大正13)年12月29日
概要: 舞台: あらすじ[?]このあらすじはMさん作成です(一部加筆訂正してあります)。一覧表が「王仁DB」にあります。[×閉じる]:
文助は階段を十二三階上がったところで妖幻坊とぶつかり、顔を引っ掻かれて引き倒されてしばらく気が遠くなっていた。気が付くと、懐に何か蜂の巣のような音がする、丸い塊が入っていた。
目の悪い文助は、てっきり妖幻坊の杢助がいたずらに蜂の巣を懐に入れたのだろうと思い、受付に戻って傍らにあった板箱に入れてしまった。箱がかたかたいって飛び上がったり唸りがひどくなっても、蜂のせいだと思っていた。
一方、妖幻坊は自分の変相術に必須の曲輪の玉を落としたことに気が付いた。妖幻坊は体の具合が悪くなってきた。この曲輪の玉は、肌を離れてから一昼夜経つと、変相が解けて本性が現れてしまう。またスマートが雷のような声で唸ったので、路傍の芝生の上に倒れてしまった。
高姫が追いついてきたので、妖幻坊は自分は斎苑の館から奪ってきた如意宝珠を小北山に落としてきたようだ、とごまかした。妖幻坊は文助と衝突したときに思い当り、初と徳がやってくると、二人に小北山に戻って玉を取ってくるように命じた。
初と徳は仕方なく小北山の受付に戻り、文助が事情を知らないのをいいことに玉を奪おうとしたが、文助は二人の態度に頑なになってしまった。徳が文助と格闘している間に、初は音をたよりに玉の入った箱を探りだし、箱ごと懐に入れた。
二人は小北山を逃れると、ようやく命からがら怪志の森の妖幻坊と高姫のところに戻ってきた。妖幻坊は二人が玉の箱を持ってきたので満足したが、高姫は如意宝珠の玉だと聞いていたので、また執着心を出して玉を欲しがった。
妖幻坊は、後で必ず見せるとその場をごまかして逃れた。妖幻坊は先を急ごうとしたが、初と徳がへばってこれ以上進むことができなかった。一同は野宿をすることにしたが、初と徳が寝込んでしまうと、高姫は妖幻坊を促し、森を抜けて浮木の里を指して走り出した。
主な登場人物[?]【セ】はセリフが有る人物、【場】はセリフは無いがその場に居る人物、【名】は名前だけ出て来る人物です。[×閉じる]: 備考: タグ: データ凡例: データ最終更新日:2023-08-08 18:35:15 文字数:8582 OBC :rm5107
愛善世界社版:101頁 八幡書店版:第9輯 302頁 修補版: 校定版:103頁 普及版:48頁 初版: ページ備考:
001 階段(かいだん)を十二三(じふにさん)階(かい)上(あ)がつた所(ところ)で、002文助(ぶんすけ)は妖幻坊(えうげんばう)に顔(かほ)をひつかかれ、003突倒(つきたふ)され、004ウンと呻(うめ)いて、005暫(しばら)くは気(き)が遠(とほ)くなつてゐた。006それ故(ゆゑ)、007後(あと)から走(はし)つた高姫(たかひめ)や初(はつ)、008徳(とく)の事(こと)はチツとも知(し)らなかつた。009依然(いぜん)として、010彼(かれ)等(ら)一同(いちどう)は教主館(けうしゆやかた)に休息(きうそく)し居(ゐ)るものとのみ考(かんが)へてゐた。011ヤツと気(き)が付(つ)き見(み)れば、012懐(ふところ)に何物(なにもの)か蜂(はち)の巣(す)のやうな声(こゑ)が聞(きこ)えて来(く)る。013文助(ぶんすけ)は、
014文助『ハテ此奴(こいつ)ア不思議(ふしぎ)だ。015杢助(もくすけ)さまに衝突(しようとつ)して気(き)が遠(とほ)くなり逆上(のぼ)せて居(ゐ)るのかなア』
016と思(おも)ひながら、017懐(ふところ)へ手(て)を入(い)れると、018余(あま)り重(おも)くない、019丸(まる)い塊(かたまり)の物(もの)が懐(ふところ)に残(のこ)つてゐた、020周囲(まはり)は石綿(いしわた)のやうに軟(やはら)かく、021そして耳(みみ)へあてて見(み)ると「ウーン、022ウン」と呻(うな)つてゐる。023文助(ぶんすけ)は少時(しばらく)掌(てのひら)に載(の)せたり、024耳(みみ)に当(あ)てたりして考(かんが)へてゐた。025そしてハタと片手(かたて)に膝(ひざ)を打(う)ち、
026文助『ヤ、027此奴(こいつ)ア、028蜂(はち)の巣(す)だ。029うつかり破(やぶ)らうものなら、030此(この)悪(わる)い目(め)を此(この)上(うへ)に刺(さ)されちやたまらぬ。031杢助(もくすけ)さまも随分(ずいぶん)悪戯好(いたづらず)きだな、032人(ひと)が目(め)が見(み)えぬかと思(おも)うて、033懐(ふところ)へつつ込(こ)んで行(い)つたのだな。034余(あま)りエライ勢(いきほひ)でおりて来(き)たものだから、035私(わたし)と衝突(しようとつ)して、036それでつき倒(たふ)されたのだ。037何(なん)だか顔(かほ)がピリピリする。038石(いし)で顔(かほ)をすり剥(む)いたと見(み)える』
039と独(ひと)り判断(はんだん)してゐる。
040文助『そして握(にぎ)りつぶしちや蜂(はち)が可愛相(かあいさう)だ、041併(しか)しながら、042そこらに放(ほ)つておけば人(ひと)がいたづらすると困(こま)る、043此奴(こいつ)ア一(ひと)つ、044御玉筥(みたまばこ)の中(なか)へでも入(い)れておかうかなア。045ウン、046幸(さいは)ひ、047ここに鞠(まり)の空箱(あきばこ)がある。048丁度(ちやうど)具合(ぐあひ)がよささうだ』
049と云(い)ひながら、050あつい板箱(いたばこ)に玉(たま)を入(い)れ、051荒白苧(あらさを)で固(かた)く結(むす)び、052自分(じぶん)の座右(ざう)において、053又(また)もや松(まつ)に日(ひ)の出(で)の絵(ゑ)の書(か)きさしを、054せつせと彩色(ゑど)つてゐた。055箱(はこ)はカタカタと自然(しぜん)に飛上(とびあが)るのを別(べつ)に怪(あや)しとも思(おも)はず、056蜂(はち)が非常(ひじやう)にあばれてをるのだと早合点(はやがてん)し、057其(その)上(うへ)に珍石(ちんせき)の風鎮(ふうちん)を載(の)せておいた。058唸(うな)りはますます烈(はげ)しくなつて来(き)た。
059文助『ハハア、060蜂(はち)がたうとう巣(す)を破(やぶ)つて出(で)よつたとみえる、061エーエー蜂(はち)の巣(す)を破(やぶ)つたやうだといふが、062いかにも喧(やかま)しいものだなア』
063と独語(ひとりご)ちつつ、064又(また)もや絵筆(ゑふで)をせつせと走(はし)らしてゐる。
065 話(はなし)変(かは)つて妖幻坊(えうげんばう)は逃(に)げしなに、066自分(じぶん)の変相術(へんさうじゆつ)に必要(ひつえう)欠(か)く可(べか)らざる曲輪(まがわ)の玉(たま)を、067どつかにおとし、068俄(にはか)に体(からだ)の具合(ぐあひ)が悪(わる)くなつて来(き)た。069此(この)曲輪(まがわ)は肌(はだ)を離(はな)れてから一昼夜(いつちうや)経(た)てば、070変相(へんさう)が現(あら)はれるのである。071そして山(やま)の上(うへ)からスマートが雷(らい)の如(ごと)き声(こゑ)で唸(うな)つたので、072ペタリと路傍(ろばう)の芝生(しばふ)の上(うへ)に倒(たふ)れて了(しま)つた。073そこへ高姫(たかひめ)が一生(いつしやう)懸命(けんめい)に追(お)つ付(つ)き、
074高姫『コレ杢助(もくすけ)さま、075お前(まへ)さまはこんな所(ところ)に倒(たふ)れてゐるのかいな、076サアサア起(お)きなさい起(お)きなさい、077どつこも怪我(けが)はありませぬかなア』
078 妖幻坊(えうげんばう)は、079懐(ふところ)を探(さぐ)り、080曲輪(まがわ)のない事(こと)に気(き)がつき、081蒼白(まつさを)な顔(かほ)をし、
082妖幻坊の杢助『ヤ、083失敗(しま)つた、084肝腎(かんじん)の宝(たから)を失(うしな)つて了(しま)つた。085これがなければ忽(たちま)ち正体(しやうたい)が現(あら)はれるがなア、086ああ如何(どう)したらよからうかなア』
087高姫『コレ杢助(もくすけ)さま、088正体(しやうたい)が現(あら)はれると今(いま)仰有(おつしや)つたが、089ソラ一体(いつたい)何(なん)の事(こと)ですか。090そして曲輪(まがわ)とか、091今(いま)云(い)はれたやうだが、092其(その)曲輪(まがわ)は何(なに)をするものですか』
093妖幻坊の杢助『ウン、094これは一名(いちめい)金剛(こんがう)不壊(ふゑ)の如意(によい)宝珠(ほつしゆ)と云(い)つて、095あれさへあれば、096世(よ)の中(なか)は自由(じいう)自在(じざい)になるのだ。097それをたうとう落(おと)して了(しま)つたのだ、098ああ困(こま)つた事(こと)をしたわい』
099高姫『何(なに)、100金剛(こんがう)不壊(ふゑ)の如意(によい)宝珠(ほつしゆ)? それはお前(まへ)さま、101何処(どこ)から手(て)に入(い)れたのだい。102私(わたし)も其(その)宝珠(ほつしゆ)については随分(ずいぶん)苦労(くらう)したものだよ。103一旦(いつたん)私(わたし)の腹(はら)に呑込(のみこ)んだ事(こと)があるのだからな、104それをお前(まへ)さまが持(も)つてゐたとは、105因縁(いんねん)といふものは怖(こは)いものだな。106如何(どう)して、107杢助(もくすけ)さま、108貴方(あなた)のお手(て)に入(い)りましたか』
109妖幻坊の杢助『私(わし)が総務(そうむ)をやつてゐたものだから、110始終(しじう)斎苑(いそ)の館(やかた)のお宝物(たからもの)として監督(かんとく)してゐたのだ。111それをば此方(こちら)へ来(き)がけに、112ソツと物(もの)して来(き)たのだよ』
113高姫『それを何(ど)うしたと云(い)ふのだい』
114妖幻坊の杢助『どうも小北山(こぎたやま)でおとして来(き)たやうだ。115確(たしか)に階段(かいだん)を下(くだ)る時(とき)には懐(ふところ)にあつたやうに思(おも)ふが、116あの文助(ぶんすけ)に行当(ゆきあた)つた時(とき)に、117彼奴(あいつ)に取(と)られたかも知(し)れない。118ああ向(むか)ふの手(て)に入(い)るからは最早(もはや)取返(とりかへ)す事(こと)も出来(でき)まい。119反対(あべこべ)に、120あちらからあれを使(つか)はれようものなら、121何(ど)うする事(こと)も出来(でき)ぬからのう』
122高姫『杢助(もくすけ)さま、123そんな気楽(きらく)な事(こと)言(い)うてをれますか。124仮令(たとへ)火(ひ)の中(なか)へ飛込(とびこ)まうが、125水(みづ)の中(なか)へ入(はい)らうが、126取返(とりかへ)さなくちや、127思惑(おもわく)が立(た)たぬぢやありませぬか。128其(その)玉(たま)さへあれば三五教(あななひけう)を崩壊(ほうくわい)させ、129ウラナイ教(けう)の天下(てんか)にするのは朝飯前(あさめしまへ)の仕事(しごと)ぢやないか、130何程(なにほど)吾々(われわれ)があせるよりも、131其(その)玉(たま)一(ひと)つがどれだけ働(はたら)きをするか分(わか)りますまい。132之(これ)から私(わたし)が調(しら)べて来(き)ます。133もしも文助(ぶんすけ)が持(も)つて居(を)つたら、134ひつたくつて来(き)ますから』
135妖幻坊の杢助『イヤ、136あの玉(たま)はお前(まへ)なんぞが、137いらふものぢやない、138人(ひと)がいらふと消(き)えて了(しま)ふからな』
139高姫『馬鹿(ばか)な事(こと)を言(い)ひなさるな、140私(わたし)だつて一度(いちど)は手(て)に持(も)つた事(こと)もあり、141口(くち)に呑(の)んだ事(こと)もあるのだ。142滅多(めつた)に消(き)える気遣(きづか)ひはありませぬぞや。143サ、144これから私(わたし)が取返(とりかへ)して来(き)ませう』
145妖幻坊の杢助『何(なん)と云(い)つても、146お前(まへ)は此処(ここ)を動(うご)いちや可(い)かない、147此処(ここ)に居(を)つてくれ。148何時(いつ)スマートがやつて来(く)るか、149分(わか)つたものぢやないから』
150高姫『ヘン、151スマートスマートて、152何(なん)ですか、153ありや四足(よつあし)ぢやありませぬか』
154妖幻坊の杢助『俺(おれ)はあの犬(いぬ)に限(かぎ)つて、155頭(あたま)が痛(いた)くつて仕方(しかた)がないのだ』
156と話(はな)してゐる。157そこへハアハアと息(いき)を喘(はづ)ませながら、158初(はつ)、159徳(とく)の両人(りやうにん)が漸(やうや)く追付(おつつ)いた。
160妖幻(えうげん)『ヤ、161初(はつ)、162徳(とく)、163お前(まへ)はついて来(き)たのか、164ああ偉(えら)いものだ。165ヤツパリ俺(おれ)たちの味方(みかた)だ』
166初(はつ)『ハイ、167もうあなた、168かうなつちや、169私(わたし)だつて小北山(こぎたやま)には居(ゐ)られませぬ。170貴方(あなた)等(がた)のお世話(せわ)になるより仕方(しかた)がないと思(おも)つて、171後(あと)追(お)つかけて参(まゐ)りました』
172高姫(たかひめ)『ああ徳(とく)も来(き)て居(ゐ)るぢやないか』
173徳『ハイ、174何卒(どうぞ)宜(よろ)しう願(ねが)ひます。175到底(たうてい)小北山(こぎたやま)へは帰(かへ)る顔(かほ)が厶(ござ)いませぬからな。176貴方(あなた)等(がた)の御(お)世話(せわ)になるより、177最早(もはや)活路(くわつろ)は厶(ござ)いませぬ』
178高姫『お前(まへ)、179御(ご)苦労(くらう)だが、180一寸(ちよつと)マ一度(いちど)、181小北山(こぎたやま)まで行(い)つて来(き)て貰(もら)へまいかな』
182初(はつ)『ヘー、183行(い)かぬこた厶(ござ)いませぬが、184何(なに)かお忘(わす)れにでもなつたのですか』
185高姫『杢助(もくすけ)様(さま)が一寸(ちよつと)した、186丸(まる)いものを落(おと)して厶(ござ)つたのだ。187大方(おほかた)、188あの文助(ぶんすけ)が拾(ひろ)うて居(ゐ)るに違(ちが)ひないから、189お前(まへ)うまくチヨロまかして、190文助(ぶんすけ)の手(て)から受取(うけと)つて来(き)て下(くだ)さい。191いい子(こ)だからな』
192初『ヘー、193行(い)かぬこた厶(ござ)いませぬが、194又(また)尻(しり)の三百(さんびやく)も叩(たた)かれちや堪(たま)りませぬから、195小北山(こぎたやま)ばかりはこらへて貰(もら)ひたいものですな。196約束(やくそく)を破(やぶ)つて、197貴女(あなた)は本当(ほんたう)に叩(たた)いたものですから、198足(あし)が痛(いた)くつて、199ここまで走(はし)つて来(く)るのが並大抵(なみたいてい)のこつちやなかつたですよ。200此(この)痛(いた)い足(あし)で、201あのきつい坂(さか)を再(ふたた)び登(のぼ)れとは、202チツと酷(ひど)いですな。203徳(とく)、204お前(まへ)何(ど)うだ。205おれとは余程(よほど)疵(きず)が軽(かる)いやうだから、206一寸(ちよつと)使(つかひ)に行(い)つて来(き)てくれまいかなア』
207徳(とく)『俺(おれ)だつて、208貴様(きさま)より余程(よつぽど)きついぞ。209どうも痛(いた)くつて、210いのこがさして、211碌(ろく)に歩(ある)かれやしないワ。212足(あし)が丸切(まるき)り棒(ぼう)のやうになつて了(しま)つたよ』
213高姫『それなら二人(ふたり)行(い)つて来(き)て下(くだ)さいな。214少々(せうせう)ばかり遅(おそ)くなつても構(かま)はないから、215私(わたし)は向(むか)ふの怪志(あやし)の森(もり)で、216杢助(もくすけ)さまと、217神(かみ)様(さま)に祈(いの)つて待(ま)つてゐるから……』
218 二人(ふたり)は不承(ふしよう)々々(ぶしよう)に踵(きびす)を返(かへ)し、219足(あし)をチガチガさせながら竹切(たけぎ)れを拾(ひろ)つて杖(つゑ)となし、220一本橋(いつぽんばし)を危(あやふ)く渡(わた)り、221小北山(こぎたやま)の急坂(きふはん)を登(のぼ)つて、222漸(やうや)く受付(うけつけ)の前(まへ)に行(い)つた。223見(み)れば文助(ぶんすけ)は一生(いつしやう)懸命(けんめい)に絵(ゑ)を描(か)いてゐる。
224初(はつ)『もし文助(ぶんすけ)さま、225お前(まへ)さま、226最前(さいぜん)はひどうこけましたなア、227どつこもお怪我(けが)はありませなんだかなア』
228文助『ハイ有難(ありがた)う、229杢助(もくすけ)さまが、230余(あま)り勢(いきほひ)よく坂(さか)を下(くだ)つて厶(ござ)るのに、231私(わたし)は目(め)が悪(わる)いものだからヨボヨボして上(あが)るのと、232細(ほそ)い階段(かいだん)だから、233衝突(しようとつ)し、234はね飛(と)ばされて、235チツとばかり、236こんな疵(きず)をしました。237ピリピリして仕方(しかた)がないのだ。238それでも神(かみ)様(さま)のお蔭(かげ)で、239御(ご)神水(しんすい)をつけたら余程(よつぽど)痛(いた)みが止(と)まりましたよ。240今晩(こんばん)はお土(つち)をドツサリ頂(いただ)いて休(やす)まして貰(もら)はうと思(おも)つてゐるのだ』
241初『ヤア、242何(なん)とえらい疵(きず)だな、243爪形(つめがた)が入(はい)つて居(ゐ)るぢやないか』
244文助『尖(とが)つた石(いし)が沢山(たくさん)に敷(し)いてあるものだから、245こんなに傷(きずつ)いたのだよ。246杢助(もくすけ)さまは教主館(けうしゆやかた)にゐられるだらうな。247そして高姫(たかひめ)さまも機嫌(きげん)がよいかなア』
248 初公(はつこう)は文助(ぶんすけ)が、249まだ杢助(もくすけ)、250高姫(たかひめ)等(など)が逃出(にげだ)した事(こと)を知(し)らぬものと悟(さと)り、251稍(やや)安心(あんしん)の胸(むね)をなで、
252初『ハイ、253今(いま)奥(おく)に休(やす)んでゐられますよ。254そして、255エー、256文助(ぶんすけ)さまに衝突(しようとつ)してすまなかつたから、257断(ことわ)りを云(い)つて来(き)てくれと仰有(おつしや)るのですよ。258杢助(もくすけ)さまも目(め)がまはるとか云(い)つて休(やす)んでゐられます、259高姫(たかひめ)さまも介抱(かいほう)して厶(ござ)るものだから、260貴方(あなた)にお伺(うかが)ひにも行(ゆ)かれないからと云(い)つてくれと云(い)はれました』
261文助『それはマア御(ご)親切(しんせつ)に有難(ありがた)いことだ。262何卒(どうぞ)宜(よろ)しう、263文助(ぶんすけ)が云(い)つて居(を)つたと伝(つた)へて下(くだ)さい。264ああ神(かみ)様(さま)のお道(みち)の方(かた)は、265何(なに)から何(なに)までよく気(き)の付(つ)くものだなア』
266初『時(とき)に文助(ぶんすけ)さま、267お前(まへ)さま何(なに)か不思議(ふしぎ)なものを拾(ひろ)はなかつたかな』
268文助『別(べつ)に何(なん)にも拾(ひろ)つた覚(おぼえ)はないが、269杢助(もくすけ)さまと衝突(しようとつ)した時(とき)、270私(わたし)の懐(ふところ)に妙(めう)な声(こゑ)がするので探(さぐ)つて見(み)れば、271蜂(はち)の巣(す)のやうなものが出(で)て来(き)たのだ。272そしてそれを耳(みみ)にあてて見(み)ると、273ブンブンブンと唸(うな)つてゐる。274此奴(こいつ)ア杢助(もくすけ)さまが土窩蜂(どかばち)の巣(す)を握(にぎ)つて来(き)て、275私(わたし)を吃驚(びつくり)ささうと思(おも)つて、276私(わたし)の懐(ふところ)へ捻込(ねぢこ)んだのだな。277エエ年(とし)してテンゴする人(ひと)だと思(おも)つてゐる。278併(しか)し何程(なにほど)年寄(としよ)つても、279神(かみ)様(さま)のお道(みち)へ入(はい)ると子供(こども)のやうになるから、280つい誰(たれ)しも悪戯(いたづら)のしたくなるものだ』
281初『其(その)蜂(はち)の巣(す)とやらを一寸(ちよつと)見(み)せて下(くだ)さらぬか』
282文助『イヤイヤそんな物(もの)いらつて、283何(ど)うなるものか。284私(わたし)はそこらへ蜂(はち)に出(で)られちや大変(たいへん)だと思(おも)つて、285箱(はこ)の中(なか)へ入(い)れて了(しま)つたのだ。286どうやら蜂(はち)が巣(す)を破(やぶ)つたとみえて、287喧(やかま)しい事(こと)いの。288こんなものをいぢつたら、289それこそ一遍(いつぺん)に目(め)を刺(さ)されて了(しま)ひますよ』
290徳(とく)『其(その)蜂(はち)の巣(す)を是非(ぜひ)とも見(み)せて頂(いただ)きたいものだな、291刺(さ)されたつて構(かま)やしないぢやないか』
292文助『イヤ、293おきなさい おきなさい、294お前(まへ)さまばかりの難儀(なんぎ)ぢやない、295こんな所(ところ)であばれられようものなら、296誰(たれ)もかれも大変(たいへん)な目(め)に遇(あ)はねばならぬ。297それだから私(わし)がチヤンと箱(はこ)に入(い)れてしまつておいたのだ』
298初(はつ)『何卒(どうぞ)一遍(いつぺん)、299其(その)箱(はこ)なつと見(み)せて下(くだ)さいな。300中(なか)まで開(あ)けようとは言(い)ひませぬから……』
301文助『イヤイヤ、302お前(まへ)達(たち)に渡(わた)してたまらうか、303之(これ)は直接(ちよくせつ)に杢助(もくすけ)様(さま)にお渡(わた)しするのだ。304お寝(やす)みになつて居(を)れば、305何(いづ)れお目(め)が醒(さ)めるだらう。306其(その)時(とき)私(わたし)が手(て)づから御(お)渡(わた)しする積(つも)りだ。307これは蜂(はち)の巣(す)のやうだが、308よくよく考(かんが)へると、309何(なに)かの宝(たから)らしいから、310お前(まへ)さまに渡(わた)すこたア出来(でき)ませぬワイ。311たつて渡(わた)せと云(い)ふなら、312杢助(もくすけ)様(さま)から何(なに)か印(しるし)をもつて来(き)て下(くだ)さい、313さうすりや其(その)印(しるし)と引替(ひきかへ)に渡(わた)しませう。314後(あと)から面倒(めんだう)が起(おこ)ると文助(ぶんすけ)も困(こま)るからなア』
315初『ああ困(こま)つた事(こと)だなア、316何(なん)とかして持(も)つて帰(い)ななくちや駄目(だめ)だぞ』
317文助『コレ、318お前(まへ)は何(なん)といふ事(こと)を仰有(おつしや)る。319どこへ持(も)つて帰(い)ぬのだい』
320初『杢助(もくすけ)さまのお居間(ゐま)まで持(も)つて帰(かへ)つて、321其(その)ブンブン玉(だま)をお慰(なぐさ)みにするのだ。322さうすればお気(き)の慰(なぐさ)めになつて、323早(はや)くお治(なほ)りになるだらうからな』
324文助『それ程(ほど)必要(ひつえう)なら、325之(これ)から私(わたし)が、326つい五間(ごけん)許(ばか)りだから、327杢助(もくすけ)さまのお居間(ゐま)へお訪(たづ)ね申(まを)して、328直接(ちよくせつ)お手(て)に渡(わた)しませう。329遠(とほ)い所(ところ)ではなし、330面倒(めんだう)な手続(てつづ)きもいらないから……』
331徳『オイ、332初公(はつこう)、333此奴(こいつ)ア迚(とて)も駄目(だめ)だぞ。334直接(ちよくせつ)行動(かうどう)だ。335此(この)文助(ぶんすけ)を押倒(おしこか)しといて持(も)つて行(ゆ)かうぢやないか』
336文助『ヘン、337偉(えら)さうに云(い)ふない、338私(わたし)が隠(かく)してあるのだから、339口(くち)から外(そと)へ出(だ)さぬ限(かぎ)り、340お前(まへ)たちが二(に)年(ねん)三(さん)年(ねん)かかつて探(さが)した所(ところ)で、341其(その)所在(ありか)が分(わか)つてたまるものか。342何(なん)でも、343あれは結構(けつこう)な神力(しんりき)を持(も)つてゐる宝(たから)に違(ちが)ひない、344私(わたし)の身(み)に添(そ)うてゐるのかも知(し)れない。345何(なん)だか俄(にはか)に惜(を)しくなつて来(き)た。346杢助(もくすけ)さまが私(わたし)を突(つ)き倒(たふ)してまで、347懐(ふところ)に入(い)れてくれたのだから、348今(いま)になつて返(かへ)せと云(い)つたつて、349権利(けんり)が此方(こちら)へ移(うつ)れば最早(もはや)文助(ぶんすけ)の物(もの)だ。350滅多(めつた)に返(かへ)しませぬぞや』
351 此(この)時(とき)側(そば)において風呂敷(ふろしき)で隠(かく)してあつた玉箱(たまばこ)が、352ウーンウーンと一層(いつそう)高(たか)く唸(うな)り出(だ)した。353二人(ふたり)は、
354初、徳『ヤ、355何(なん)でも此(この)近(ちか)くにあるらしいぞ。356オイ、357此(この)盲爺(めくらぢい)を貴様(きさま)、358突倒(つつこか)して抑(おさ)へてをれ、359其(その)間(ま)に俺(おれ)が捜索(そうさく)するから……』
360文助『コリヤ、361目(め)がみえなくても、362まさかの時(とき)になればコレ此(この)通(とほ)り、363細(こま)かい絵(ゑ)を描(か)く俺(おれ)だぞ。364俺(おれ)はワザとに盲(めくら)と云(い)つて、365貴様(きさま)たちの様子(やうす)を考(かんが)へて居(ゐ)るのだ。366盲(めくら)でない証拠(しようこ)は此(この)絵(ゑ)をみい、367これでも分(わか)るだろ。368そして柔道(じうだう)は百段(ひやくだん)の免状取(めんじやうと)りだ。369お前(まへ)達(たち)が十(じふ)人(にん)や百(ひやく)人(にん)束(たば)になつて来(き)たとて、370こたへるやうな文助(ぶんすけ)ぢやないぞ。371此(この)玉(たま)はブンブンいふから文助(ぶんすけ)に授(さづ)かつた文助玉(ぶんすけだま)だぞ。372貴様(きさま)達(たち)に渡(わた)すべき物(もの)ぢやない、373秋口(あきぐち)の蚊(か)のやうにブンブンぬかさずに、374すつ込(こ)んでゐなさい。375それよりも早(はや)く炊事場(すゐじば)へ行(い)つて、376御飯(ごはん)の用意(ようい)でもしたがよからうぞや。377ゴテゴテ申(まを)すと、378松姫(まつひめ)さまに申上(まをしあ)げるぞえ』
379初(はつ)『ヤア、380此奴(こいつ)ア、381一寸(ちよつと)グツが悪(わる)いワイ。382柔道(じうだう)百段(ひやくだん)と聞(き)いちやア、383滅多(めつた)に手出(てだ)しは出来(でき)ぬぞ。384俺(おれ)も尻(しり)さへ痛(いた)くなけりや、385こんな爺(ぢい)さまの一人(ひとり)や二人(ふたり)何(なん)でもないが、386だんだん腫(は)れて来(き)て歩(ある)けないからな』
387徳(とく)『それでも杢助(もくすけ)さまや高姫(たかひめ)さまが怪志(あやし)の森(もり)に待(ま)つて厶(ござ)るぢやないか』
388文助『ナニ、389怪志(あやし)の森(もり)に待(ま)つて厶(ござ)ると。390ハハア、391さうすると、392松姫(まつひめ)様(さま)に叱(しか)られて、393逃(に)げよつたのだなア、394フーン、395それで何(なん)だか犬(いぬ)がワンワン吠(な)いて居(を)つたて』
396徳『オイ初公(はつこう)、397此奴(こいつ)、398目(め)が見(み)えるなんて嘘(うそ)だよ。399何(なん)でも此(この)間中(まぢう)捜(さが)せばあるのだ。400貴様(きさま)、401此(この)爺(ぢい)と一(ひと)つ格闘(かくとう)してをれ、402其(その)間(ま)に俺(おれ)が捜(さが)すから』
403初『俺(おれ)は体(からだ)が自由(じいう)にならぬから、404ヤツパリ貴様(きさま)、405文助(ぶんすけ)と格闘(かくとう)してをれ、406其(その)間(ま)にマンマと玉(たま)を捜(さが)し出(だ)して持(も)つて行(ゆ)くから……』
407徳『ヨーシ』
408と徳(とく)は文助(ぶんすけ)の足(あし)をさらへ、409其(その)場(ば)に倒(たふ)した。410文助(ぶんすけ)は実際(じつさい)目(め)が見(み)えぬのである。411一生(いつしやう)懸命(けんめい)に文助(ぶんすけ)は呶鳴(どな)りながら、412徳(とく)と格闘(かくとう)をしてゐる。413徳(とく)も尻(しり)がはれ、414足(あし)が自由(じいう)に動(うご)かぬので、415盲(めくら)の文助(ぶんすけ)に捻(ね)ぢ抑(おさ)へられ、416フーフーいつて居(ゐ)る。417初公(はつこう)は音(おと)のするのを耳(みみ)をすまして考(かんが)へてゐたが、418前(まへ)にするかと思(おも)へば後(うしろ)に聞(きこ)える、419右(みぎ)に聞(きこ)えたり左(ひだり)に聞(きこ)えたり、420頭(あたま)の上(うへ)に聞(きこ)えたり又(また)床下(ゆかした)のやうでもあり、421チツとも見当(けんたう)がつかなかつた。422そこへ二人(ふたり)がドタン、423バタンと騒(さわ)ぐ音(おと)、424喚(わめ)く声(こゑ)がゴツチヤになつて、425如何(どう)しても処在(ありか)が分(わか)らない。426フト風呂敷(ふろしき)に躓(つまづ)いた拍子(ひやうし)に、427古(ふる)い四角(しかく)い箱(はこ)が出(で)て来(き)た。428手早(てばや)く手(て)に取(と)つて耳(みみ)にあてると、429ウンウンウンと唸(うな)つてゐる。430初公(はつこう)は、
431初『ヤ、432これに間違(まちが)ひない』
433と懐(ふところ)に捻込(ねぢこ)み、434文助(ぶんすけ)の頭(あたま)を三(み)つ四(よ)つこついた。435文助(ぶんすけ)はビツクリして手(て)を放(はな)した、436トタンに徳公(とくこう)は漸(やうや)く遁(のが)れ、437初公(はつこう)と共(とも)に足(あし)をチガチガさせながら、438坂路(さかみち)を這(は)ふやうにして下(くだ)つて行(ゆ)く。439漸(やうや)くにして命(いのち)カラガラ怪志(あやし)の森(もり)へ帰(かへ)つて来(き)た。440そして手柄(てがら)さうに妖幻坊(えうげんばう)の前(まへ)に現(あら)はれ、
441両人(りやうにん)『ヘー、442やつとの事(こと)で、443只今(ただいま)帰(かへ)りました』
444妖幻(えうげん)『ヤ、445それは御(ご)苦労(くらう)だつた、446分(わか)つたかなア』
447初(はつ)『ヘー、448中々(なかなか)分(わか)りませぬ。449文助(ぶんすけ)の奴(やつ)、450どつかへ隠(かく)して了(しま)ひ、451すつたもんだと、452小理窟(こりくつ)ばかり吐(ぬか)して、453そんな物(もの)は知(し)らぬといふのです。454そこで私(わたし)と徳公(とくこう)が、455何(なに)知(し)らぬ筈(はず)があるものか、456其(その)ブンブン玉(だま)を渡(わた)せと左右(さいう)よりつめよりますと、457あの文助(ぶんすけ)、458柔道(じうだう)百段(ひやくだん)の免状取(めんじやうとり)ですから、459はしかいの、460はしこないのつて、461吾々(われわれ)両人(りやうにん)を右(みぎ)へ投(な)げ左(ひだり)へ投(な)げ、462手玉(てだま)に取(と)つて翻弄(ほんろう)致(いた)します。463私(わたし)も常(つね)なら、464あんな爺(ぢぢ)位(くらゐ)指一本(ゆびいつぽん)で押(おさ)へてやるのですが、465何(なに)しろお前(まへ)さまらに打(う)たれて此(この)通(とほ)り腫(は)れ上(あが)つたものだから、466其(その)上(うへ)又(また)痛(いた)い尻(しり)を叩(たた)かれ、467イヤハヤ苦(くる)しい目(め)を致(いた)しました』
468妖幻坊の杢助『それはさうと、469玉(たま)は手(て)に入(い)つたのか。470どうだ、471早(はや)くいはぬか』
472初『ヘー、473此(この)ブンブン玉(だま)は、474ブンブンいふから文助(ぶんすけ)に因縁(いんねん)がある、475これは杢助(もくすけ)さまが私(わたし)にくれたのだ。476私(わたし)を突飛(つきと)ばしてまで懐(ふところ)へ捻込(ねぢこ)んで下(くだ)さつたのだから、477返(かへ)せというても、478何処(どこ)までも返(かへ)さないと頑張(ぐわんば)ります。479そして此(この)玉(たま)は始(はじ)めは蜂(はち)の巣(す)かと思(おも)つてゐたが、480決(けつ)してさうではない、481結構(けつこう)な宝(たから)だと云(い)つて、482あの爺(ぢい)、483執着心(しふちやくしん)が強(つよ)く、484何(なん)と云(い)うても返(かへ)さないのです』
485高姫(たかひめ)『エーエ、486雉子(きぎす)の直使(ひたづかひ)とはお前(まへ)の事(こと)だ。487何(なに)をさしても役(やく)にたたぬ男(をとこ)だな、488お前(まへ)さまは睾丸(きんたま)を何処(どこ)へ落(おと)したのだ』
489初(はつ)『ヘー、490余(あま)り尻(しり)を叩(たた)かれたものですから、491ビツクリしてどつかへ転宅(てんたく)して了(しま)ひました』
492徳(とく)『併(しか)し両人(りやうにん)が奮戦(ふんせん)激闘(げきとう)火花(ひばな)を散(ち)らし、493戦(たたか)ひの結果(けつくわ)、494戦利品(せんりひん)として、495其(その)ブンブン玉(だま)をここへ持(も)つて帰(かへ)りました。496イザ、497改(あらた)めて、498お受取(うけと)り下(くだ)さいませう』
499高姫『何(なん)だ、500本当(ほんたう)に腹(はら)の悪(わる)い、501肝(きも)をつぶしたぢやないか。502早(はや)く此処(ここ)へお出(だ)し、503コレ杢助(もくすけ)さま、504喜(よろこ)びなさい。505此奴(こいつ)等(ら)二人(ふたり)、506碌(ろく)でなしだと思(おも)つて居(を)つたが、507みんごと役(やく)に立(た)つたやうです』
508妖幻(えうげん)『オイ両人(りやうにん)、509本当(ほんたう)に其(その)玉(たま)を取返(とりかへ)して来(き)たのか』
510初『ヘーヘ、511それは流石(さすが)初(はつ)さまですワイ』
512徳『某(それがし)が文助(ぶんすけ)爺(ぢい)と大格闘(だいかくとう)を演(えん)じてゐる、513其(その)隙(すき)に初公(はつこう)に命(めい)じてぼつたくらしたのですよ』
514妖幻坊の杢助『それは御(ご)苦労(くらう)だつた、515どうぞ、516サ、517早(はや)く俺(おれ)の懐(ふところ)へソツと入(い)れてくれ』
518高姫(たかひめ)『一寸(ちよつと)私(わたし)に見(み)せて下(くだ)さい、519如意(によい)宝珠(ほつしゆ)の玉(たま)なれば私(わたし)も因縁(いんねん)があるのだ、520真(しん)か偽(ぎ)か一遍(いつぺん)調(しら)べておく必要(ひつえう)があるから、521サ、522チヤツと見(み)せなさい』
523妖幻坊の杢助『イヤ決(けつ)して見(み)せちやならないぞ、524直様(すぐさま)私(わし)に渡(わた)すのだ、525高姫(たかひめ)に渡(わた)すと、526一寸(ちよつと)都合(つがふ)の悪(わる)い事(こと)がある、527之(これ)は誰(たれ)にも渡(わた)さないといふ玉(たま)だから』
528高姫『ヘン、529よう仰有(おつしや)いますワイ。530初公(はつこう)が今(いま)現(げん)に持(も)つて帰(かへ)つたぢやありませぬか。531女房(にようばう)の私(わたし)が何故(なぜ)一寸(ちよつと)位(くらゐ)見(み)られぬのです。532お前(まへ)さまに返(かへ)さぬといふぢやなし、533そんな水臭(みづくさ)い事(こと)云(い)ふものぢやありませぬぞや』
534妖幻坊の杢助『それでもお前(まへ)は、535大変(たいへん)に如意(によい)宝珠(ほつしゆ)に執着心(しふちやくしん)を持(も)つてゐるから、536渡(わた)せないと言(い)ふのだ。537此(この)宝珠(ほつしゆ)はチツとも欲(よく)のない者(もの)が持(も)たなくちや汚(けが)れるからな』
538高姫『ヘン、539汚(けが)れますかな。540それなら、541よう私(わたし)のやうな汚(けが)れた女(をんな)と酒(さけ)を飲(の)んだり、542一緒(いつしよ)に寝(やす)んだりなさいますな。543何(なん)とマア口(くち)といふものは調法(てうはふ)なものだ。544それ程(ほど)私(わたし)が憎(にく)いのですか。545ヘン、546宜(よろ)しい、547私(わたし)も私(わたし)で、548考(かんが)へがありますから』
549妖幻坊の杢助『さう怒(おこ)つて貰(もら)つちや困(こま)るぢやないか。550今(いま)見(み)せなくても、551かうして立派(りつぱ)に箱(はこ)へ入(はい)つてるのだから、552トツクリと又(また)見(み)せてやるぢやないか。553オイ初(はつ)、554徳(とく)の両人(りやうにん)、555中(なか)を開(あ)けて見(み)たか、556何(ど)うだ』
557初(はつ)『エエ滅相(めつさう)な、558かうブンブン唸(うな)つてるのだから、559うつかり開(あ)けて蜂(はち)にでも刺(さ)されたら大変(たいへん)ですからな、560コハゴハ持(も)つて来(き)たのですよ』
561妖幻坊の杢助『ヤア、562そりや出(で)かした、563それで結構(けつこう)だ。564オイ高姫(たかひめ)さま、565又(また)今晩(こんばん)ゆつくりと、566お前(まへ)だけに見(み)せるから、567それまで待(ま)つてゐてくれ。568ここで開(あ)けると、569此(この)両人(りやうにん)が見(み)るからなア。570さうすりや、571それだけ神力(しんりき)がおちるのだから』
572高姫『成程(なるほど)、573それなら分(わか)りました。574キツト見(み)せて下(くだ)さるでせうなア』
575妖幻坊の杢助『ウン、576男(をとこ)が一旦(いつたん)見(み)せると云(い)つたら見(み)せるよ』
577高姫『キツトですなア』
578妖幻坊の杢助『ウン、579キツトだ。580もし間違(まちが)つたら、581俺(おれ)の一(ひと)つよりない首(くび)を、582幾(いく)つでもお前(まへ)に進上(しんじやう)する。583何(なん)と云(い)つても、584親(した)しい夫婦(ふうふ)の仲(なか)ぢやないか、585さう俺(おれ)の心(こころ)を疑(うたが)ふものぢやないワ』
586高姫『誠(まこと)に済(す)みませぬ。587サ、588杢(もく)ちやま、589モウちつと許(ばか)り先方(むかふ)まで行(ゆ)きませうか』
590初(はつ)『もし杢助(もくすけ)さま、591高姫(たかひめ)さま、592私(わたし)は足(あし)が痛(いた)くつて、593モ一歩(いつぽ)も歩(ある)けぬやうになりました。594どうぞ此処(ここ)で今晩(こんばん)は露宿(ろしゆく)して下(くだ)さいな』
595徳(とく)『私(わたし)も歩(ある)けませぬ。596余(あま)り尻(しり)を叩(たた)かれたものですから、597どうぞ明日(あす)の朝(あさ)まで、598ここでとまる事(こと)にして下(くだ)さい、599さうすれば明日(あす)になつたら、600キツト歩(ある)けるやうになるでせうから』
601高姫(たかひめ)『エーエ、602仕方(しかた)のない男(をとこ)だなア。603コレ杢助(もくすけ)さま、604ここに、605今晩(こんばん)は泊(とま)つてやりませうか。606二人(ふたり)が余(あま)り可愛相(かあいさう)ぢやありませぬか』
607妖幻(えうげん)『ああ仕方(しかた)がないなア。608せめてモウ一(いち)里(り)許(ばか)り、609何(ど)うとかして歩(ある)くことが出来(でき)ぬのか。610オイ両人(りやうにん)、611チツと気(き)をはりつめて、612モウ一(いち)里(り)許(ばか)り従(つ)いて来(き)たら何(ど)うだ』
613初(はつ)『何(なん)と云(い)つて貰(もら)つても、614とても体(からだ)が動(うご)きませぬワ』
615妖幻坊の杢助『ウーン、616そいつア困(こま)つたのう。617徳(とく)は何(ど)うだ、618チツと位(くらゐ)歩(ある)けるだろ』
619徳『私(わたし)だつて、620同(おな)じ事(こと)ですわ、621初(はつ)の疵(きず)よりも余程(よつぽど)ひどいのですからなア。622本当(ほんたう)に貴方(あなた)等(がた)は甚(ひど)い目(め)に遇(あ)はしましたねえ。623八百長(やほちやう)の芝居(しばゐ)がこんなにならうとは思(おも)ひませなんだ。624今(いま)こそ気(き)が張(は)つて居(を)りますが、625実(じつ)の所(ところ)は痛(いた)くつて痛(いた)くつて仕方(しかた)がありませぬワ』
626高姫(たかひめ)『あああ、627これも係(かか)り合(あは)せだ。628仕方(しかた)がない、629それなら此(この)森(もり)で、630今晩(こんばん)は一夜(いちや)明(あ)かす事(こと)にしませう。631なア杢助(もくすけ)さま、632貴方(あなた)もさうして下(くだ)さいな』
633妖幻坊の杢助『ウーン、634それなら、635さうしてもよい。636併(しか)し、637高姫(たかひめ)、638お前(まへ)はスマートが来(こ)ないやうに気(き)をつけてゐてくれよ。639俺(おれ)は何(なん)だか知(し)らぬが、640あれ位(くらゐ)気(き)にくはぬ奴(やつ)はないのだから』
641高姫『私(わたし)だつて、642彼奴(あいつ)の声(こゑ)を聞(き)くと、643腹(はら)の中(なか)がデングリ返(かへ)るやうに苦(くる)しいのですよ』
644初(はつ)『もし、645お二人(ふたり)さま、646私(わたし)の云(い)ふ事(こと)を聞(き)いて下(くだ)さつて、647ここでお泊(とま)りになるのなれば、648私(わたし)は犬(いぬ)の番(ばん)を致(いた)します。649犬(いぬ)なら、650仮令(たとへ)五十匹(ごじつぴき)や百匹(ひやくぴき)やつて来(き)たつて、651ビクとも致(いた)しませぬ。652若(わか)い時(とき)から犬博労(いぬばくらう)と綽名(あだな)を取(と)つた男(をとこ)です。653随分(ずいぶん)犬(いぬ)の咬(か)み合(あは)せに、654そこら中(ぢう)へ行(い)つたものですから、655犬(いぬ)に対(たい)する呼吸(こきふ)は充分(じうぶん)呑込(のみこ)んで居(を)りますからなア』
656高姫(たかひめ)『ヤ、657それは重宝(ちようほう)な男(をとこ)だ。658さうすると、659お前(まへ)は今晩(こんばん)は犬番(けんばん)を勤(つと)めて貰(もら)はうかな。660狐(きつね)狸(たぬき)の集(あつ)まつてゐる芸者屋(げいしやや)でも、661ヤツパリ、662ケン番(ばん)がおいてあるからな』
663初(はつ)『それなら、664徳(とく)と両人(りやうにん)が神妙(しんめう)に御用(ごよう)致(いた)しませう、665ああ有難(ありがた)い有難(ありがた)い、666いよいよ星(ほし)の蒲団(ふとん)に草(くさ)の褥(しとね)、667といふ段取(だんどり)だ。668桃(もも)の花(はな)の香(かを)りが、669何(なん)とはなしに、670身(み)に沁(し)みるやうだ。671あああ早(はや)いものだ、672たうとう日(ひ)が暮(く)れたとみえるワイ。673ここは怪志(あやし)の森(もり)と云(い)つて、674化物(ばけもの)が出(で)るといふ事(こと)だが、675何(なん)と云(い)つても、676時置師(ときおかしの)神(かみ)様(さま)のお供(とも)だから大丈夫(だいぢやうぶ)だ。677そこへ、678あのブンブン玉(だま)があるのだから、679何(なに)が来(き)たつて、680チツとも恐(おそ)るる事(こと)はない、681なア徳(とく)』
682徳『ウン、683さうださうだ、684それなら高姫(たかひめ)様(さま)、685杢助(もくすけ)様(さま)、686お休(やす)みなさいませ』
687高姫(たかひめ)『コレコレ、688お前(まへ)達(たち)、689お祝詞(のりと)をあげて寝(やす)まぬかいな。690私(わたし)は霊(みたま)が違(ちが)ふから、691杢助(もくすけ)さまと二人(ふたり)は神(かみ)様(さま)を拝(をが)む訳(わけ)には行(ゆ)かない。692何(なん)と云(い)つても高天原(たかあまはら)の霊国(れいごく)の天人(てんにん)の霊(みたま)、693日(ひ)の出神(でのかみ)の義理(ぎり)天上(てんじやう)だから、694お前(まへ)達(たち)は八衢(やちまた)にまだうろついてをる、695言(い)はば娑婆(しやば)亡者(まうじや)だから……天国(てんごく)へやつて下(くだ)さるやうに、696起(お)きた時(とき)と寝(ね)る時(とき)には、697必(かなら)ず天津(あまつ)祝詞(のりと)を奏上(そうじやう)するのだよ』
698妖幻(えうげん)『イヤ、699両人(りやうにん)、700今晩(こんばん)は天津(あまつ)祝詞(のりと)は免除(めんぢよ)しておく。701沢山(たくさん)の天人(てんにん)様(さま)がお出(い)でになると、702一寸(ちよつと)御(ご)挨拶(あいさつ)に困(こま)るからなア、703ハツハハハ』
704高姫『コレ、705今日(けふ)は杢助(もくすけ)さまの御(ご)挨拶(あいさつ)で、706許(ゆる)して上(あ)げるけれど、707明日(あす)からはキツト天津(あまつ)祝詞(のりと)を上(あ)げるのだよ』
708 両人(りやうにん)は、
709初、徳『ハイ承知(しようち)致(いた)しました』
710と言(い)ひも了(をは)らず、711疲労(くたび)れはてて横(よこ)になつた儘(まま)、712白河(しらかは)夜船(よぶね)を漕(こ)いでゐる。713其(その)間(ま)に高姫(たかひめ)は杢助(もくすけ)を促(うなが)し、714一生(いつしやう)懸命(けんめい)に森(もり)を脱(ぬ)け出(だ)し、715浮木(うきき)の里(さと)を指(さ)して、716暗(やみ)の道(みち)を韋駄天(ゐだてん)走(ばし)りに駆出(かけだ)した。717高姫(たかひめ)及(およ)び妖幻坊(えうげんばう)は、718今後(こんご)如何(いか)なる活動(くわつどう)をするであらうか。
719(大正一二・一・二五 旧一一・一二・九 松村真澄録)
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