二十八歳の頃
産土のもりのさくらは散り果てて梟の啼く真夜中さびし
産土の神の御前にぬかづけばささやく如き若葉わたる風
真白なる浄衣まとひて産土の宮居の庭に真夜中いのる
しんしんと小夜はくだちて丑満の風さむざむと身にしみわたる
かりごもの乱れはてたる暗の世を救はせ給へとひそかに祈る
夜の静寂やぶりて宮の御扉の音すと思へば眠りゐたりき
夢となくうつつともなく大前に声なき声をかしこみて聞く
人情の紙より薄き村びとのこころなげきぬ神の御前に
たらちねの母も弟妹もわがゆく道にさやるを歎けり
貧しかる家に生れしわれながら神にはぢざる心もちけり
世の状を歎きかこてど産土の神よりほかに語らふすべなし
真心の限りうちあけ大前に宣れども神はいらへたまはず
いらへなき神の御前に思ふこと訴へをへてこころ和みぬ
小夜くだち家家になく家鶏の声ひとしほ耳にしみとほりけり
木の間もる朧の月かげうち仰ぎひそに祈りぬ乱れたる世を
わが為めに力とならむよき人を与へたまへと祈るもひさし
真心のかぎりをひたに祈れどもみ空の月は声なかりけり
木の間もる月の真下にたたずめば一声なのる空の五位鷺
庭の面に散りしく桜の花筵にどつかと尻をおろして休らふ
わが上に春を笑ひし桜花を尻しきにしてこころなぐさむ
嵐山尾の上の花もかくのごとわが尻にしかむ時の来よかし
花筵ふみくだきつつ大前にふたたび祈ればまた家鶏の声
有憂華
ほのぼのとしののめの空あけそめて人の足音近寄り来たる
足音は忍びしのびに近づきぬ白衣のわれの立てるかたへに
先生よあまりですよと泣く声はまさしく彼女の来たるなりけり
あまりかは知らねど願事の邪魔になる女遠のけとたしなめてみし
神かけて私はあなたの邪魔はせぬ見直し給へと泣きすすりをり
木石にあらぬ吾身は真面目なる彼女の心に涙ぐみたり
今少し祈れば家にかへるべし吾がため早く帰れとうながす
如何しても私は一緒に帰ります祈るも一緒にと拍手をうつ
ひむがしの空はおひおひ白みつつ人声きこゆる古宮の庭
やむを得ず彼女が心にまかせつつ御前にぬかづき太祝詞のる
ほのぼのとほてりし面を若葉吹く風に吹かれて家路に帰る
わが家に彼女と帰れば隣人は珍らしさうに垣間見て居り
神界に仕ふる身なり一日もはやく帰れと彼女に宣りぬ
彼女首を左右に打ちふりて知らぬ知らぬと空うそぶきぬ
若き日の罪の報いか修行さへ出来ぬ苦しさ泣くにも泣かれず