霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
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麦の秋晴

インフォメーション
題名:麦の秋晴 著者:出口王仁三郎
ページ:325 目次メモ:
概要:28歳の頃 備考: タグ: データ凡例: データ最終更新日:2023-05-08 00:00:00 OBC :B119800c073
二十八歳の頃
夏陽(なつひ)てる庭に(むぎ)こなす真昼間(まひるま)を三人づれの男()ひ来る
三人は岩田(いはた)弥太郎(やたらう)入江(いりえ)幸太郎(かうたらう)射場(いば)久助(きうすけ)印地(いぢ)の百姓
三人の来意を問へば弥太郎の妻の狂ひを頼むとのこと
養蚕(やうさん)をすれば(かひこ)の虫を()ひ一日に(めし)を三升()うといふ
(たぬき)()がついてゐるのに違ひなしおとしてくれよと合掌をする
(むぎ)こなし母と弟にまかせおきて印地(いぢ)岩田(いはた)(かた)に出でゆく
岩田氏は(みち)みち妻の狂態を眉をひそめて語らひにけり
入江(いりえ)射場(いば)両氏も言葉の尻につき狸の仕業と語るをかしさ
修行者の石田(いしだ)こすゑも諸共(もろとも)審神者(さには)の修行と同行(どうかう)なせり
五月田(さつきだ)の風にそよげる田圃路(たんぼぢ)を辿りて小林(をばやし)(さと)に着きたり
小林(をばやし)井筒屋(ゐづつや)旅館に休憩し一行五人(ちや)を飲みかたらふ
岩田(いはた)氏の妻のおふじを調ぶべく種種(しゆじゆ)霊的の打合(うちあは)せせり
千代川(ちよがは)小林(をばやし)小川(をがは)高野林(たかのばやし)千原(ちはら)川関(かわせき)越えて八木(やぎ)()
川関(かわぜき)八木(やぎ)のさかひの寅天(とらてん)井堰(ゐせき)のかたへの茶屋(ちやや)(やす)らふ
この茶店(ちやみせ)教祖の三女(さんぢよ)福島久子嫁入(よめい)りしたる家にてありけり
狸の憑依
八木(やぎ)(まち)の大橋渡り印地(いぢ)(さと)にやうやくつけば午後三時なり
岩田家の狭き家居(いへゐ)内外(うちそと)に参拝する人()()ちてをり
わが一行(もん)をくぐれば妻のふじ子上田(うへだ)さんはと主人にとひをり
上田さんは残念ながら留守だつたそれ故ぜひなく帰りたといふ
岩田(いはた)ふじはわれを(ゆび)さしあの人は巡査でないかと(つま)に問ひをり
参詣者次第(しだい)しだいに詰めかけて身うごきならぬ人の(なみ)打つ
岩田ふじは祭壇の前に合掌し天津祝詞の奏上をなす
ふじの声次第(しだい)しだいにかすれつつ(たぬき)のごとき目をむき()せり
つぶらなる目をむき()だし()ぎりかみ祭壇を(せな)に向きなほる凄さよ
岩田(いはた)ふじ相好(さうかう)次第にかはりゆきて全然(たぬき)の容貌となる
上田様御苦労ですとこの狸両手をついてあいさつをなす
弥太郎(やたらう)について穴太(あなを)へ行きました皆の話は聞いたと笑ふ
その(はう)は何者なるかとつめ問へば伏見の白城(しろき)明神と()
白城(しろき)明神は伏見稲荷の白狐(びやくこ)なりうそを云ふなときめつけて見し
神かけてうそは申さぬ(わたくし)を認めて欲しいと泣きつつ頼む
その(はう)妙見山(めうけんざん)新滝(しんだき)四郎衛門(しらうゑもん)(だぬき)と急所をつきたり
白城(しろき)明神ならぬ狸の四郎衛門(しらうゑもん)(まこと)を宣れと(われ)きめつける
頑強な狸もさすがに()を折りて仰せの通りとうつむきて泣く
妙霊(めうれい)教会一時は守護したりしが今は神座(しんざ)をはねられしといふ
千人の人の生命(いのち)を助けたるわれに神座(しんざ)(たま)へとたのむ
数百の参拝人(さんぱいにん)はこのさまを目前(もくぜん)に見ておどろきあへり
その日より岩田のふじは狂乱もぴたりと()みて神に仕へし
四郎衛門(しらうゑもん)(だぬき)がやまひを治すとて朝夕(あさゆふ)おちこち人のあつまる
穴太(あなを)より狸の親方とんできてふじ子を許したと噂ひろがる
二人の攻撃
この(うはさ)次第しだいに広まりて治郎松(ぢろまつ)由松(よしまつ)の耳に()りたり
治郎松(ぢろまつ)はこれ(さいは)ひとわが(いへ)に来たりて(われ)をねめつけてをり
飯綱(いひづな)ばかり使うと思へば狸まで貴様は使うか狸野郎()
こら喜楽もう正体が(あら)はれた早くこの()を出てうせと呶鳴る
応挙(おうきよ)(うま)れたこの()飯綱(いひづな)使(づか)ひ狸の貴様がけがしたと(なげ)
正体があらはれし上は狸など祀らさぬとて祭壇を(こぼ)
由松(よしまつ)もまた治郎松(ぢろまつ)と気を(あは)せともに祭壇こぼちて笑ふ
神界のことさまざまに説きつれど馬耳(ばじ)東風(とうふう)の二人はあばれる
神界の道理を説いてもなだめても耳にもかけぬ二人の気狂(きちが)
祭壇をまた(こは)たれて黙然(もくぜん)とわれうつむきつ落涙(らくるゐ)をなす
三組紛争
園部(そのべ)より()()喜衛門(きゑもん)帰りきてこの有様(ありさま)にあきれてゐたり
こりや三ツ屋(おれ)の兄貴をだましたと目を(みは)らして飛びかかりたり
飛びかかりさまに三ツ屋の禿頭(はげあたま)ぴしやりとなぐり顔をひきかく
かかれたる三ツ屋の顔は血ばしりて二筋(ふたすぢ)残るみみずばれのあと
こんな目にあはした由松(よしまつ)を警察へ訴へてやると三ツ屋は(おこ)
腰間(えうかん)矢立(やたて)取り出し三ツ屋親爺(おやぢ)告訴状をばしたためてをり
告訴状見るより由松(よしまつ)治郎松(ぢろまつ)は雲をかすみと逃げ去りにけり
喜衛門(きゑもん)は残念至極と云ひながら涙ふきつつ(おほかみ)泣きする
下司熊(げしくま)にだまされ(かね)は吸ひ取られまたここへ来て虐待と泣く
由松(よしまつ)に臭い(めし)をば食はさねば腹が()えぬと執念深き三ツ屋
二心(ふたごころ)出した報いとわれいへば済まなかつたと()(あは)()ぶる
下司熊(げしくま)に加担なしたる神罰(しんばつ)でこんな憂目(うきめ)(ぢい)述懐(じゆつくわい)
これからは私は駿河(するが)へ立ち帰りつぶさに言上(ごんじやう)すると息巻く
このさまを駿河(するが)へ報告されてはとわれは三ツ屋をなだめすかしつ
いきせきとこの場に下司熊(げしくま)追ひ(きた)りやにはに三ツ屋の頭をなぐる
どぶ(だぬき)糞食(くそくひ)(ぎつね)といひながら下司熊(げしくま)は三ツ屋をなぐりつづける
この親爺(おやぢ)相場に勝たすと云ひながら損をさしたと下司(げし)は目をつる
虎の子を相場にとられてしまつたのも(たぬき)親爺のわざよと(いか)
乳牛(ちちうし)が虎になつたかおもしろいと笑へば下司熊(げしくま)にが笑ひする
(たぬき)親爺社会のために警察へ訴へ出るといきまく下司熊(げしくま)
訴へるなら訴へよと喜衛門(きゑもん)が頭かかへつ泣き声にいふ
訴へるといつたら美事(みごと)に訴へる(あと)へはひかぬと威張る下司熊(げしくま)
この様子うかがひゐたる由松(よしまつ)治郎松(ぢろまつ)ともなひ(あら)はれ来たる
()げゝゝゝ()しゝくゝ(くま)うゝ(うし)をどゝゝしたけゝゝ警察と由松(よしまつ)がどもる
下司熊(げしくま)は三ツ屋を告訴するといひ由松(よしまつ)下司(げし)を告訴するといふ
三人が手を(ふる)はせて思ひおもひ告訴状かく(さま)のをかしも
告訴状われに見せよと三人にいへば(めい)めいわれに渡せり
三人の告訴状をばひとまとめばりばり破りてわれ鼻をかむ
三人の脅喝(けふかつ)的の告訴状破りてはなかみしときの気持(きもち)よさ
三人は(おこ)りもならずこら喜楽馬鹿にするなと(ののし)るのみなり
同じ神の道にあるもの和睦(わぼく)せよといへば下司熊(げしくま)(さけ)買へといふ
仲裁の酒宴
治郎松(ぢろまつ)とわれを(あは)せて五人連(ごにんづれ)天田(あまた)の料亭に仲直りにゆく
天田屋(あまたや)の料亭の二階に陣取りていよいよ和睦(わぼく)(えん)(ひら)きぬ
芸妓(げいぎ)二人しらして和睦(わぼく)の宴席の(なか)円満にとりもたせけり
酒の(よひ)まはるにつれて下司熊(げしくま)はそろそろ三ツ屋を(ののし)りかけたり
喜衛門(きゑもん)薬鑵頭(やくわんあたま)に湯気たてて(さかづき)下司(げし)の額に投げつく
由松(よしまつ)下司熊(げしくま)を打ち治郎松(ぢろまつ)は三ツ屋の頭かきむしりたり
折角の和睦の酒宴もたちまちに修羅(しうら)(ちまた)となり(かは)りたり
下司熊(げしくま)徳利(とくり)を投げる喜衛門(きゑもん)(ぜん)投げつけるがちやがちやの騒ぎ
由松(よしまつ)治郎松(ぢろまつ)二人は酔ひしれてあばれる芸者はきんきり(ごゑ)出す
乱痴気(らんちき)の騒ぎに芸者の三味線の(さを)をぽくりと二つに踏み折る
三味線の賠償をせよ道具代()せよと亭主厳談(げんだん)()
賠償は私がしますとことわれば亭主すごすご階段を(くだ)
下司熊(げしくま)と三ツ屋は四つに組みながら階下にどつところげ落ちたり
両人が咆哮(ほうこう)怒号(どごう)の声たかく料亭の前は人の山なり
(やうや)くにやつと二人をひきわけてふたたび二階に登らしめたり
下司熊(げしくま)は右のひぢ打ち喜衛門(きゑもん)は頭に凸凹(でこぼこ)こしらへてをり
喜楽()がこんな所へ連れて来て怪我をさせたと無茶いふ下司熊(げしくま)
由松(よしまつ)は大いに(いか)り自分から怪我しておいてと熊公(くまこう)をなぐる
下司熊(げしくま)は右腕を痛めて()むを得ずかたわの左手(ゆんで)をかすかに振れり
治郎松(ぢろまつ)は乱痴気騒ぎのすきを見て闇にまぎれて姿かくせり
治郎松(ぢろまつ)のをらぬに由松(よしまつ)心付(こころづ)きしかそと裏口ゆ逃げ帰りゆく
巡査出張
何者の訴へたるかサーベルの音がちやがちやと警官()()
下司熊(げしくま)と三ツ屋はひとまづ交番へわれも(とも)ども従ひてゆく
両人に訊問すれども酔ひしれて呂律(ろれつ)まはらず巡査を困らす
警官はわれより始終のいきさつを聞きて二人を放免なしたり
乱痴気のさわぎのあとの賠償をわれことごとく負はされ(くる)しむ
下司熊(げしくま)園部(そのべ)へ帰り喜衛門(きゑもん)は大阪おもてをさして()でゆく
由松(よしまつ)治郎松(ぢろまつ)の反対執拗(しつよう)にわが神(まつ)るさまたげのみなす
どこまでも神の大道(おほぢ)に仕へむと日夜(なみだ)の洗礼受けたり
精神上の欠陥者には惟神(かむながら)まことの道を説くもせんなし
衣食住を人生唯一の宝ぞとする小人(せうじん)をさとす道なし
信仰の道したがへば不思議にも親兄弟が(てき)たひ()たる
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10/22【霊界物語ネット】王仁文庫 第六篇 たまの礎(裏の神諭)』をテキスト化しました。
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