霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
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第一章 三途川(せうづがは)〔五五一〕

インフォメーション
著者:出口王仁三郎 巻:霊界物語 第14巻 如意宝珠 丑の巻 篇:第1篇 五里夢中 よみ(新仮名遣い):ごりむちゅう
章:第1章 三途川 よみ(新仮名遣い):しょうずがわ 通し章番号:551
口述日:1922(大正11)年03月23日(旧02月25日) 口述場所: 筆録者:松村真澄 校正日: 校正場所: 初版発行日:1922(大正11)年11月15日
概要: 舞台: あらすじ[?]このあらすじはMさん作成です(一部加筆訂正してあります)。一覧表が「王仁DB」にあります。[×閉じる]:
大海原の宝の島と伝えられる竜宮海の一つ島に、ウラル教を広めようとやってきた六人の宣伝使たちは、島を守る三五教の飯依彦の善言美詞の勢い退散し、フサの海まで帰り来たとき、船上で日の出別宣伝使に出合った。そして上陸したシヅの森で、一同は三五教に改心した。
一行は醜の岩窟を探検したあと、猿山峠で音彦、弥次彦、与太彦は他の宣伝使に遅れをとり、そこをウラル教の捕り手に襲われた。関所を抜けて、泥田で弥次彦・与太彦は服を失った。ついに囲まれて衆寡敵せず、三人はやむなく千尋の谷間に飛び込んだ。
気がつくと三人は青々とした淵の辺にいた。服を失った弥次彦、与太彦は、生まれ赤子の心だなどと呑気なことを言っている。
音彦は、これから旅を続けるのに都合が悪いからと言って、自分の衣服の一部を貸そうとするが、弥次彦・与太彦は聞かない。暗くなってきた路を、三人はそのまま進んで行く。
すると、にわかにあたりが明るくなってきた。そこには大変な大河が南北に流れている。河向こうには金殿玉楼がうっすらと浮かんで見える。三人は川岸に着いた。
与太彦はどうやって河を渡ろうかと案じるが、弥次彦はこのまま泳いでいけばよい、音彦も服を捨てて裸になればよい、と言う。音彦は宣伝使として法服や被面布を捨てるわけにいかない、と行って思案に暮れている。
ふと見ると、傍らにみすぼらしい藁小屋がある。弥次彦は小屋の中で会議をしようと中をうかがうと、婆さんがいる。婆はここは三途の川だと告げ、自分は脱衣婆だと名乗った。
一行はようやく、これは幽界を旅行しているようだと気がついた。脱衣婆は弥次彦の生前の行いをあげつらい、宣伝使としての行いを非難する。弥次彦はそれに対していちいちおかしな理屈を混ぜながら反論している。
弥次彦が脱衣婆をおかしな問答をしていると、ウラル教の大目付源五郎がやってきた。源五郎は、猿山峠で宣伝使たちを追い詰めたが、その後馬から振り落とされて死んだのであった。
弥次彦は敵を討とうと、脱衣婆から職権を一時的に譲り受けると、源五郎の着物をはいで、自分と与太彦のものにしてしまった。また、脱衣婆から釘抜きを借りて、源五郎の舌を抜きにかかった。源五郎はたくさんの罪を抱えて、非常に多くの舌を持っていた。
脱衣婆は、一同にもう河を渡るようにと促した。不思議にも、三途の河の水がなくなって、歩いて渡れるようになっていた。弥次彦は脱衣婆を夫婦気取りで別れを嘆く。それを見て音彦、与太彦、源五郎は吹きだす。
主な登場人物[?]【セ】はセリフが有る人物、【場】はセリフは無いがその場に居る人物、【名】は名前だけ出て来る人物です。[×閉じる]: 備考: タグ:テスト データ凡例: データ最終更新日:2024-10-27 23:21:49 文字数:10933 OBC :rm1401
愛善世界社版:9頁 八幡書店版:第3輯 159頁 修補版: 校定版:11頁 普及版:3頁 初版: ページ備考:
001大海原(おほうなばら)に漂(ただよ)へる
002宝(たから)の島(しま)と聞(きこ)えたる
003竜宮海(りうぐうかい)の一(ひと)つ島(じま)
004宝(たから)の数(かず)もオセアニヤ
005ウラルの彦(ひこ)の神勅(しんちよく)を
006奉(ほう)じて来(きた)る六(ろく)人(にん)が
007信神(しんじん)堅固(けんご)の守護神(まもりがみ)
008元(もと)は竜宮(りうぐう)に仕(つか)へたる
009神(かみ)の力(ちから)を田依彦(たよりひこ)
010魂(たま)を研(みが)いて飯依彦(いひよりひこ)の
011神(かみ)の司(つかさ)と現(あら)はれて
012善言(ぜんげん)美詞(びし)の言霊(ことたま)に
013言向和(ことむけやは)す勢(いきほひ)は
014ウラルの教(をしへ)の宣伝使(せんでんし)
015三年(みとせ)の苦労(くらう)も水(みづ)の泡(あわ)
016何(なに)の土産(みやげ)もアルパニー
017港(みなと)を後(あと)に千万(ちよろづ)の
018浮島原(うきしまばら)を乗越(のりこ)えて
019航路(かうろ)も長(なが)き鶴(つる)の国(くに)
020鶴(つる)の港(みなと)を立出(たちい)でて
021フサの海(うみ)まで帰(かへ)り来(く)る
022時(とき)しもあれや東北(とうほく)の
023風(かぜ)に煽(あふ)られフサの海(うみ)
024三五教(あななひけう)の宣伝使(せんでんし)
025日(ひ)の出(で)の別(わけ)に巡(めぐ)り合(あ)ひ
026タルの港(みなと)に上陸(じやうりく)し
027足(あし)さへダルの河(かは)の辺(へ)を
028徐々(しづしづ)進(すす)むシヅの森(もり)
029神(かみ)の光(ひかり)に照(てら)されて
030茲(ここ)に心(こころ)を翻(ひるがへ)し
031忽(たちま)ち変(かは)る三五(あななひ)の
032教司(をしへつかさ)に伴(とも)なはれ
033フル野(の)ケ原(はら)を打渡(うちわた)り
034醜(しこ)の岩窟(いはや)を探険(たんけん)し
035コシの峠(たうげ)もいつしかに
036わたりて茲(ここ)に猿山(さるやま)の
037峠(たうげ)の麓(ふもと)に一同(いちどう)は
038まどろむ折(をり)しも音彦(おとひこ)が
039眠(ねむり)を醒(さま)して眺(なが)むれば
040月(つき)は木(こ)の間(ま)に輝(かがや)きて
041茲(ここ)に五(ご)人(にん)の宣伝使(せんでんし)
042影(かげ)も姿(すがた)も長(なが)の旅(たび)
043弥次彦(やじひこ)与太彦(よたひこ)伴(とも)なひて
044寄(よ)せ来(く)る敵(てき)に追(お)はれつつ
045荒野(あれの)を渡(わた)り河(かは)を越(こ)え
046曲(まが)の関所(せきしよ)を乗(の)り越(こ)えて
047泥田(どろた)に落(お)ちし裸身(はだかみ)の
048足(あし)も軽(かる)げに小鹿山(こしかやま)
049四十八(しじふや)坂(さか)に来(き)かかりし
050時(とき)こそあれや前後(まへうしろ)
051数多(あまた)の敵(てき)の襲来(しふらい)に
052衆寡(しうくわ)敵(てき)せず音彦(おとひこ)は
053弥次彦(やじひこ)与太彦(よたひこ)諸共(もろとも)に
054千尋(ちひろ)の谷間(たにま)に飛込(とびこ)みて
055谷間(たにま)流(なが)るる速川(はやかは)の
056水(みづ)の藻屑(もくづ)となりひびく
057谷間(たにま)を渡(わた)る荒風(あらかぜ)は
058実(げ)に凄(すさま)じき許(ばか)りなり。
059弥(や)『世(よ)の中(なか)は能(よ)くしたものですな。060一方(いつぱう)には断巌(だんがん)屹立(きつりつ)したる山腹(さんぷく)を控(ひか)へ、061一方(いつぱう)には千仭(せんじん)の谷間(たにま)、062かてて加(くは)へて前後(ぜんご)より数多(あまた)の敵(てき)に取囲(とりかこ)まれ、063衆寡(しうくわ)敵(てき)せず、064命(いのち)を的(まと)に溪川(たにがは)目(め)がけて、065ザンブと許(ばか)り飛込(とびこ)みた時(とき)の心持(こころもち)と云(い)つたら、066何(なん)ともかとも知(し)れぬ苦(くる)しさであつたが、067エーままよ、068神(かみ)様(さま)に捧(ささ)げた生命(いのち)、069一寸先(いつすんさき)は神(かみ)の御手(みて)にあるのだと覚悟(かくご)をきわめ、070飛込(とびこ)み見(み)れば、071都合(つがふ)の好(よ)い青々(あをあを)とした淵(ふち)、072素(もと)より裸(はだか)の吾々(われわれ)両人(りやうにん)は、073水泳(すゐえい)には誂(あつら)へ向(むき)だ。074宣伝使(せんでんし)はドツサリと、075ベラベラした装束(しやうぞく)を身(み)に纏(まと)つて居(ゐ)られたものだから、076水中(すゐちう)へ陥(はま)つた時(とき)には、077大変(たいへん)なお苦(くるし)みでしたな。078幸(さいは)ひ吾々(われわれ)両人(りやうにん)が真裸(まつぱだか)になつて居(を)つたものだから、079溺死(できし)もせずに助(たす)かつたと云(い)ふもの、080斯(こ)うなると親譲(おやゆづ)りの裘(かはごろも)で無一物(むいちぶつ)の方(はう)が、081千騎(せんき)一騎(いつき)の時(とき)には何(なに)ほど楽(らく)だか知(し)れぬ。082それだから神(かみ)様(さま)が持物(もちもの)を軽(かる)くせいと仰有(おつしや)るのだ。083裸(はだか)で物(もの)を遺失(おと)さぬと云(い)ふ事(こと)がある。084裸(はだか)くらゐ結構(けつこう)なものはない。085ナア与太公(よたこう)……』
086与太彦『ウンさうだなア、087泥田(どろた)へ落(お)ちて赤裸(まつぱだか)になつた時(とき)には、088裸(はだか)で道中(だうちう)がなるものか、089アー情(なさけ)ない事(こと)だ、090せめて褌(まわし)丈(だけ)なつと欲(ほ)しいものだと、091執着心(しふちやくしん)が離(はな)れなかつたが、092斯(こ)う言(い)ふ時(とき)には生(うま)れ赤児(あかご)の赤裸(まつぱだか)が一番(いちばん)都合(つがふ)が好(い)い。093これも神(かみ)様(さま)のお蔭(かげ)だ。094三(さん)人(にん)が三(さん)人(にん)共(とも)重(おも)い着物(きもの)を着(つ)けて居(を)つたなれば、095誰(たれ)も彼(かれ)も助(たす)からずに、096幽界(あのよ)とやらへ旅立(たびだち)をする所(ところ)であつたにナア』
097音公(おとこう)は、
098音彦『ソレモさうだ、099神(かみ)の道(みち)に荷物(にもつ)は不要(いら)ぬ。100併(しか)し乍(なが)ら何(なん)とかして、101木(こ)の葉(は)でも編(あ)んで着物(きもの)を拵(こしら)へなくちや、102この先(さき)旅(たび)する訳(わけ)にも行(ゆ)かぬ。103風俗(ふうぞく)壊乱(くわいらん)でポリス先生(せんせい)に科料(くわれう)でも取(と)られちや見(み)つともない。104ぢやと云(い)つて泥棒(どろばう)する訳(わけ)にもゆかず、105困(こま)つたものだ。106草(くさ)でも編(あ)みて、107一(ひと)つ着物(きもの)でも作(つく)つたらどうだらう、108のう弥次公(やじこう)』
109弥次彦『ウン折角(せつかく)裸(はだか)にして貰(もら)つたのだから、110これも惟神(かむながら)だ。111逆転(ぎやくてん)は御免(ごめん)だ。112ナーニ構(かま)うものか、113面(つら)の皮(かは)の慣(なら)はせとか云(い)つて、114何(なに)ほど寒(さむ)くつても、115面(つら)の皮(かは)には薄着(うすぎ)一(いち)枚(まい)着(き)せた事(こと)はない、116慣(な)れて了(しま)へば真裸(まつぱだか)でも、117寒(さむ)くも暑(あつ)くも何(なん)ともない、118身(み)は身(み)で通(とほ)る裸(はだか)ん坊(ばう)だ、119裸(はだか)の道中(だうちう)も面白(おもしろ)いよ、120音彦(おとひこ)君(くん)』
121音彦『それだと云(い)つて、122どうも不恰好(ぶかつかう)だ。123吾輩(わがはい)の衣類(いるゐ)を分配(ぶんぱい)して、124一人(ひとり)は羽織(はおり)、125一人(ひとり)は袴(はかま)、126一人(ひとり)は着物(きもの)と云(い)ふ風(ふう)にやつたらどうだらうかナア弥次公(やじこう)』
127弥次彦『ヤアそいちア、128尚々(なほなほ)恰好(かつかう)が悪(わる)い、129それこそ化物(ばけもの)の行列(ぎやうれつ)みたやうだ。130エー構(かま)はぬ、131行(い)きませうかい。132与太公(よたこう)ドウダイ』
133与太彦『日(ひ)が暮(く)れたと見(み)えて、134非常(ひじやう)に暗(くら)くなつたぢやないか。135暗(くら)い所(とこ)を歩(ある)くのは、136裸(はだか)でも何(なん)でも構(かま)はぬ、137見(み)つとも良(よ)いも、138見(み)つとも悪(わる)いも有(あ)つたものぢやない。139一(ひと)つ大手(おほて)を拡(ひろ)げてコンパスの続(つづ)く限(かぎ)り前進(ぜんしん)せうかい』
140と三(さん)人(にん)は暗(やみ)の路(みち)を当途(あてど)もなく足(あし)に任(まか)せて進(すす)み行(ゆ)く。141音公(おとこう)は、
142音彦『ヤア、143俄(にはか)に明(あか)くなつて来(き)たぞ。144一体(いつたい)此処(ここ)は何処(どこ)だらう、145大変(たいへん)な大河(おほかは)が南北(なんぽく)に流(なが)れて居(を)るぢやないか、146河向(かはむか)ふには得(え)も言(い)はれぬ金殿(きんでん)玉楼(ぎよくろう)が、147雲(くも)に浮(う)いた様(やう)に見(み)えて来出(きだ)した。148ナンダか気(き)がいそいそとして、149一刻(いつこく)も早(はや)く行(ゆ)きたい様(やう)な心持(こころもち)になつて来(き)たワイ』
150弥次(やじ)、151与太(よた)両人(りやうにん)は、
152弥次彦、与太彦『ホンにホンに、153立派(りつぱ)な建築物(たちもの)が見(み)えますな、154是(これ)を見(み)ると勝利(しようり)の都(みやこ)に近付(ちかづ)いた様(やう)な心持(こころもち)がして来(き)ました、155………ヤア有難(ありがた)い有難(ありがた)い、156進退(しんたい)維(これ)谷(きは)まつて、157九死(きうし)一生(いつしやう)の谷間(たにま)に飛込(とびこ)みの芸当(げいたう)をやつたと思(おも)へば、158豈(あに)図(はか)らむや、159コンナ結構(けつこう)な都(みやこ)に近付(ちかづ)いた。160是(これ)だから怖(こわ)い所(ところ)へ行(ゆ)かねば熟柿(じゆくし)は食(く)へぬと云(い)ふのだ。161有難(ありがた)い有難(ありがた)い、162それにしても、163鷹公(たかこう)、164梅公(うめこう)、165岩公(いはこう)、166駒公(こまこう)一同(いちどう)は、167どうして御座(ござ)るであらう、168猿山峠(さるやまたうげ)の急坂(きふはん)を、169痩馬(やせうま)の尻(しり)を叩(たた)いて行軍(かうぐん)の真最中(まつさいちう)だらうか。170是(これ)だから先(さき)へ行(い)つた者(もの)が手柄(てがら)をするとも、171後(おく)れた者(もの)が手柄(てがら)をするとも分(わか)らぬものだ、172何事(なにごと)も神(かみ)のまにまに任(まか)すほど安心(あんしん)な事(こと)はないなア』
173と語(かた)りつつ、174三(さん)人(にん)は漸(やうや)く河幅(かははば)広(ひろ)き水底(みなそこ)深(ふか)き青々(あをあを)とした流(なが)れ岸(ぎし)に着(つ)いた。175弥次(やじ)は驚(おどろ)いて、
176弥次彦『ヤアこの河(かは)は立派(りつぱ)な河(かは)だナア。177大抵(たいてい)の河(かは)は、178通常(ふだん)は河原(かはら)ばつかりで、179横(よこ)の方(はう)を帯(おび)の様(やう)に、180青(あを)い水(みづ)がホンの形式(けいしき)的(てき)に、181お条目(でうもく)の様(やう)に流(なが)れて居(ゐ)るものだが、182この河(かは)はまた例外(れいぐわい)だよ、183河(かは)一面(いちめん)の流(なが)れで、184しかも青味(あをみ)立(だ)つた清水(せいすゐ)が流(なが)れて居(ゐ)る。185大抵(たいてい)の河(かは)は、186河(かは)一面(いちめん)に水(みづ)の流(なが)れる時(とき)は大雨(おほあめ)の時(とき)で、187泥々(どろどろ)の真赤(まつか)な水(みづ)だが、188コラまた稀代(きたい)に立派(りつぱ)な河(かは)だワイ』
189与太彦(よたひこ)は、
190与太彦『河(かは)は立派(りつぱ)だが、191何時(いつ)まで褒(ほ)めちぎつて居(ゐ)た所(ところ)で、192橋(はし)も無(な)ければ、193舟(ふね)も無(な)いぢやないか、194どうして渡(わた)つたがよからうかな。195これや一(ひと)つ、196何(なん)とか工夫(くふう)をせねばならないぞ』
197弥次彦『ナニ、198吾々(われわれ)は幸(さいは)ひ真赤裸(まつぱだか)だ。199水泳(すゐえい)の妙(めう)を得(え)とるのだから、200対岸(むかふぎし)へ流(なが)れ渡(わた)りに渡(わた)れば良(よ)いのだ。201斯(こ)う言(い)ふ時(とき)には、202裸一貫(はだかいつくわん)の無一物(むいちぶつ)は、203大変(たいへん)に都合(つがふ)が好(よ)いワイ、204唯(ただ)困(こま)るのは音彦(おとひこ)の宣伝使(せんでんし)様(さま)だけだ……………もしもし宣伝使(せんでんし)様(さま)、205一層(いつそう)の事(こと)あなたの御(お)衣服(めしもの)を全部(ぜんぶ)この河(かは)へ投(ほ)り込(こ)んで、206三人共(さんにんとも)裸(はだか)になつたらどうですか、207牛(うし)の子(こ)でも附合(つきあひ)を致(いた)しますで…………』
208音彦『それもさうだが、209お前(まへ)はまだ普通(ふつう)の人(ひと)だ。210吾々(われわれ)は三五教(あななひけう)の宣伝使(せんでんし)といふ重荷(おもに)を持(も)つて居(ゐ)る。211この被面布(ひめんぷ)も大切(たいせつ)に致(いた)さねばならず、212法服(はふふく)を棄(す)てる訳(わけ)には行(い)かない。213アヽこうなると、214責任(せきにん)の地位(ちゐ)に立(た)つ者(もの)は辛(つら)い者(もの)だ、215窮屈(きうくつ)不便利(ふべんり)至極(しごく)だわい』
216弥次彦『あなたは、217宣伝使(せんでんし)の法服(はふふく)だとか、218被面布(ひめんぷ)だとかに執着心(しふちやくしん)があるから可(い)けないのだ。219保護色(ほごしよく)に包(つつ)まれて居(ゐ)るから、220自由(じいう)自在(じざい)の活動(くわつどう)が出来(でき)ないのだ。221裸(はだか)になれば又(また)裸(はだか)で立行(たちゆ)くものです。222カメリオンの様(やう)に、223青(あを)い草(くさ)に交(まじ)れば青(あを)くなり、224赤(あか)い葉(は)に止(とま)れば赤(あか)くなり、225白(しろ)い木(き)にとまれば白(しろ)くなると云(い)ふ、226変幻(へんげん)出没(しゆつぼつ)自由(じいう)の活動(かうどう)を執(と)るのが、227宣伝使(せんでんし)の寧(むし)ろ執(と)るべき手段(しゆだん)ではありますまいか。228大歳(おほとし)の神(かみ)は、229宣伝使(せんでんし)の服(ふく)を脱(ぬ)いで俄(にはか)百姓(ひやくしやう)となり、230農夫(のうふ)の服(ふく)を着(き)て農業(のうげふ)を手伝(てつだ)ひ、231立派(りつぱ)に宣伝使(せんでんし)の本分(ほんぶん)を尽(つく)されたと云(い)ふ事(こと)ですよ。232河(かは)を渡(わた)るのには裸(はだか)でなくちや駄目(だめ)だと弥次彦(やじひこ)は思(おも)ふがナア』
233音(おと)『さう云(い)へばさうだが、234せめてコーカス山(ざん)にお参詣(まゐり)する迄(まで)音彦(おとひこ)は、235この服(ふく)は離(はな)したくない』
236弥次彦『あなたはさうすると、237何時迄(いつまで)も此処(ここ)に、238河端柳(かはばたやなぎ)ぢやないが、239水(みづ)の流(なが)れをクヨクヨと見(み)て暮(くら)すと云(い)ふ方針(はうしん)ですかい』
240音彦『ヤア進退(しんたい)維(これ)谷(きは)まつた。241音彦(おとひこ)もどうしたら可(よ)からうかなア』
242と双手(もろて)を組(く)み思案(しあん)に暮(く)れて居(ゐ)る。243傍(かたはら)に藁(わら)を以(もつ)て屋根(やね)を葺(ふ)いた小(ちい)さい家(いへ)が目(め)に着(つ)いた。
244弥(や)『ヤア此処(ここ)に、245〆(しめ)て一戸(いつこ)、246村落(そんらく)があるワイ、247あまり小(ちい)さいので、248見落(みおと)して居(を)つた。249先(ま)づ先(ま)づあの館(やかた)へでも侵入(しんにふ)して、250ユツクリと河端(かはばた)会議(くわいぎ)でも開催(かいさい)しませうか』
251と先(さき)に立(た)つて弥次彦(やじひこ)は、252藁小屋(わらごや)の中(なか)に進(すす)み入(い)る。
253弥次彦『ヤアこの藁小屋(わらごや)の中(なか)には、254ナンダか生物(いきもの)が居(を)るぞ。255コンコンと咳払(せきばらひ)をやつて居(を)るワイ、256もしもし宣伝使(せんでんし)さま、257これは後家婆(ごけば)アの隠(かく)れ家(が)と見(み)える、258マア一服(いつぷく)さして貰(もら)ひませうかい………』
259 小屋(こや)の中(なか)より皺枯(しわが)れた婆(ばば)の声(こゑ)で、
260婆『誰(だれ)だ誰(だれ)だ、261この河辺(かはべ)に立(た)つて何(なに)を囁(ささや)いて居(を)るか。262此処(ここ)はどこぢやと思(おも)ふて居(を)る、263三途(せうづ)の河(かは)の縁(ふち)だぞ』
264と聞(き)くより弥次彦(やじひこ)は婆々(ばば)を睨(にら)み乍(なが)ら、
265弥次彦『ナニツ、266三途(せうづ)の河(かは)の縁(ふち)だと? 全然(まるで)冥途(めいど)の旅(たび)の様(やう)だ。267ソンナラ大方(おほかた)着物(きもの)を脱(ぬ)がす婆(ばば)ぢやないか。268ヤアナンダか気分(きぶん)が悪(わる)いワイ。269モシモシ宣伝使(せんでんし)さま、270何(なに)をグズグズして居(ゐ)るのだい、271早(はや)く来(き)て鎮魂(ちんこん)をして下(くだ)さいな、272怪(け)しからぬ事(こと)を云(い)ふ老婆(ばばあ)が居(を)りますで……』
273音彦『弥次彦(やじひこ)お前(まへ)は、274何(なに)を怖(こわ)さうに言(い)ふのだ。275乞食(こじき)婆(ばば)アだよ、276放(ほ)つときなさい』
277婆『乞食(こじき)婆(ばば)とは何(なん)だ、278三途河(せうづがは)の鬼婆(おにばば)だぞ。279サアサア娑婆(しやば)の執着(しふちやく)をスツクリ流(なが)す為(ため)に、280真裸(まつぱだか)にしてやらうかい』
281と藁(わら)で編(あ)みたる押戸(おしど)を開(あ)けて、282白髪頭(しらがあたま)をヌツと出(だ)し、283渋紙面(しぶがみづら)を曝(さら)して現(あら)はれて来(き)た。
284 弥次彦(やじひこ)は、
285弥次彦『ヤアナント背(せ)の高(たか)い、286小面憎(こづらにく)い面(つら)をした老婆(ばばあ)だな………オイ糞婆(くそばば)、287貴様(きさま)は良(い)い加減(かげん)に改心(かいしん)をせぬかい。288よい年(とし)しよつて、289何時(いつ)までも欲(よく)の皮(かは)をひつぱると、290死(し)んだら地獄(ぢごく)に落(お)ちるぞ』
291婆『わしはお前(まへ)達(たち)の着物(きもの)を脱(ぬ)がす役(やく)だよ。292サア綺麗(きれい)サツパリと脱(ぬ)いで行(い)かつしやれ』
293弥次彦『何(なに)を吐(ぬか)しよるのだ。294貴様(きさま)は他人(ひと)の着物(きもの)を脱(ぬ)がして、295沢山(たくさん)に箪笥(たんす)の中(なか)へ仕舞込(しまひこ)み置(お)いても、296末(すゑ)の短(みじか)い貴様(きさま)が、297死(し)んだならば冥土(めいど)とやらへ行(ゆ)かねばなるまい。298その時(とき)に三途河(せうづがは)の鬼婆(おにばば)が、299みな脱(ぬ)がして了(しま)ふと云(い)ふ事(こと)だぞ。300あまり欲(よく)をかわくない』
301婆『その三途川(せうづがは)の鬼婆(おにばば)が此方(こな)さまだ。302愚図(ぐづ)々々(ぐづ)言(い)はずに脱(ぬ)がぬかい』
303弥次彦『ヤア此奴(こいつ)ア盲婆(めくらばば)だな、304裸(はだか)の俺(おれ)に着物(きもの)を脱(ぬ)げつて吐(ぬか)しよる、305良(い)いケレマタ婆(ばば)も有(あ)れば有(あ)るものだナ。306ワツハヽヽヽ』
307婆『お前(まへ)は先祖(せんぞ)譲(ゆづ)りの洋服(やうふく)を着(き)とるぢやないか、308兎(うさぎ)の皮(かは)を剥(む)いたやうに、309頭(あたま)からクレクレと剥(む)いてやるのだ。310弥次彦(やじひこ)覚悟(かくご)は良(よ)いか』
311弥次彦『これは裘(かはごろも)だぞツ』
312婆『河(かは)の縁(ふち)で脱(ぬ)がすのだから、313裘(かはごろも)は尚(なほ)結構(けつこう)だよ』
314弥次彦『エー洒落(しやれ)ない、315婆(ばば)の癖(くせ)して………オイ与太公(よたこう)、316宣伝使(せんでんし)さま、317チツト来(き)て下(くだ)さらぬか、318思(おも)ひの外(ほか)シブトい婆(ばば)だから』
319音彦『ヤア、320弥次(やじ)さま、321どうやら此処(ここ)は三途(せうづ)の河(かは)らしいぞ。322小鹿峠(こしかたうげ)から谷川(たにがは)へ飛込(とびこ)んだ時(とき)に、323気絶(きぜつ)した途端(とたん)に、324どうやら幽界(いうかい)の旅行(りよかう)と急転(きふてん)したらしい、325どうも空気(くうき)が変(へん)だ。326ナア与太彦(よたひこ)、327お前(まへ)はどう思(おも)ふか』
328与太彦『宣伝使(せんでんし)のお考(かんが)へは違(ちが)ひますまい。329私(わたくし)も何(なん)だか、330四辺(しへん)の状況(じやうきやう)が娑婆(しやば)とは違(ちが)ふ様(やう)な気(き)が致(いた)しますワ………』
331婆『コラコラ、332お前(まへ)たち三(さん)人(にん)の奴(やつ)は、333俺(わし)を誰(たれ)だと思(おも)ふて居(ゐ)る、334俺(わし)の面(つら)を見(み)よ』
335 弥次彦(やじひこ)は顎(あご)をシヤクリ乍(なが)ら、
336弥次彦『ツラツラ考(かんが)ふるに、337何(なん)とも早(はや)、338形容(けいよう)の出来(でき)ない怪体(けつたい)な面付(つらつき)だナア。339ひよつとしたら、340宣伝使(せんでんし)のお言葉(ことば)の通(とほ)り、341三途川(せうづがは)の鬼婆(おにばば)かも知(し)れぬワイ』
342婆『合点(がつてん)が行(い)つたか、343親重代(おやぢうだい)の宝物(ほうもつ)たる黒(くろ)い土瓶(どびん)の中(なか)へ小便(しよんべん)を垂(た)れる様(やう)な、344汚(けが)れた身魂(みたま)の人足(にんそく)だから、345此処(ここ)で赤裸(はだか)にして霊(みたま)の洗濯(せんたく)を為(し)てやるのだよ』
346弥次彦『ヤア合点(がてん)の行(い)かぬ婆(ばば)アだ。347土瓶(どびん)の事(こと)まで吐(ぬか)しよる、348貴様(きさま)はお竹(たけ)の母親(ははおや)か』
349婆『お竹(たけ)の母親(ははおや)か、350父親(てておや)か、351よう考(かんが)へて見(み)ろ。352弥次彦(やじひこ)のガラクタ奴(め)』
353弥次彦『黒(くろ)い黒(くろ)い手(て)で握飯(にぎりめし)を握(にぎ)りよつて、354手鼻汁(てばな)をかみ、355洟(みづばな)を落(おと)した握飯(にぎりめし)を拵(こしら)へた汚(きたな)い老婆(ばばあ)に比(くら)べると、356モ一(ひと)つ汚穢(きたな)い奴(やつ)だ。357俺(おれ)の霊(みたま)が汚(きたな)いから洗濯(せんたく)せいと言(い)ひよるが、358マア貴様(きさま)の汚(きたな)い顔(かほ)から洗濯(せんたく)せい………霊魂(みたま)を洗濯(せんたく)せい、359美(うつく)しうなれと、360口(くち)ばつかり他人(ひと)に言(い)ひよつて、361自分(じぶん)の汚(きたな)い事(こと)は知(し)らぬ顔(かほ)の半兵衛(はんべゑ)でけつかる。362困(こま)つた者(もの)だなア、363自分(じぶん)の尻糞(しりくそ)は目(め)に着(つ)かぬと見(み)えるワイ。364全然(まるで)三五教(あななひけう)の宣伝使(せんでんし)の様(やう)な事(こと)を吐(ぬか)す奴(やつ)だ。365アハヽヽヽヽヽ』
366婆『ババはババいから婆(ばば)と云(い)ふのだ。367ヂヂはヂヂムサイから老爺(ぢぢ)と云(い)ふのだよ。368糞(くそ)は汚(きたな)い、369痰(たん)は汚(きたな)い、370花(はな)は美(うつく)しいと、371開闢(かいびやく)以来(いらい)定(きま)つとるぞ。372俺(おれ)の様(やう)な汚(きたな)い所(ところ)へ落(お)ちた者(もの)は、373汚(きた)なうして居(を)ればよいのだよ。374貴様(きさま)のやうに、375表(おもて)は立派(りつぱ)な、376三五教(あななひけう)の宣伝使(せんでんし)だとか、377信者(しんじや)とか言(い)ひよつて羊頭(やうとう)を掲(かか)げて狗肉(くにく)を売(う)る様(やう)な罪悪人(ざいあくにん)は、378何処(どこ)までも洗濯(せんたく)をせな可(い)かない。379腹(はら)の底(そこ)まで洗濯(せんたく)をしてやるのだ。380チツト苦(くる)しうても辛抱(しんばう)せい。381親譲(おやゆづ)りの着物(きもの)を是(これ)から脱(ぬ)がして、382この老婆(ばばあ)が洗濯(せんたく)をして着替(きかへ)さしてやらうかい、383コラ弥次彦(やじひこ)のガラ奴(め)』
384弥次彦『ヤア、385此処(こいつ)ア洗濯(せんたく)婆(ばば)アだな、386鬼(おに)の来(こ)ぬ間(ま)に洗濯(せんたく)バタバタ早(はや)く身魂(みたま)を洗(あら)ふて下(くだ)されよ、387改心(かいしん)が一等(いつとう)だぞよ、388今(いま)までの塵芥(ごもくた)、389流(なが)れ川(かは)ヘサツパリ流(なが)して、390水晶(すゐしやう)の身魂(みたま)になつて下(くだ)されよ……といふ筆法(ひつぱふ)だな。391ソンナ事(こと)は三五教(あななひけう)の教祖(けうそ)の教(をしへ)にチヤンと出(で)て居(ゐ)るのだ。392事(こと)新(あたら)しく三途河(せうづがは)の縁(ふち)まで来(き)て、393言(い)つて貰(もら)はいでも、394遠(とほ)の昔(むかし)に御存(ごぞん)じだ。395大学(だいがく)卒業生(そつげふせい)だぞツ。396骨董品(こつとうひん)の様(やう)な古(ふる)い頭(あたま)をしよつて、397文明(ぶんめい)人種(じんしゆ)の吾々(われわれ)に意見(いけん)をするのは、398釈迦(しやか)に経(きやう)を説(と)く様(やう)なものだよ』
399婆『お前(まへ)達(たち)は口(くち)ばつかり立派(りつぱ)な信者(しんじや)だ。400舌(した)と耳(みみ)とは極楽(ごくらく)へ遣(や)つて、401その外(ほか)はみな地獄(ぢごく)行(ゆき)だ。402舌(した)と耳(みみ)とを俺(おれ)が預(あづか)つて、403是(これ)から高天原(たかあまはら)へ小包(こづつみ)郵便(ゆうびん)で送(おく)つてやらう。404マア裘(かはごろも)を脱(ぬ)ぐより、405第一(だいいち)着手(ちやくしゆ)として舌(した)を出(だ)せ、406舌(した)と耳(みみ)とを切(き)つてやらうかい、407弥次(やじ)の奴(やつ)』
408弥次彦『エー何処(どこ)までも婆(ばば)は婆(ばば)らしい事(こと)を吐(ぬか)しよるワイ。409舌切雀(したきりすずめ)の話(はなし)の様(やう)に、410舌(した)を切(き)つてやらうの、411桃太郎(ももたらう)の話(はなし)の様(やう)に、412洗濯(せんたく)をするのと、413らしい事(こと)を言(い)ひよるワイ、414アハヽヽヽ。415オイ婆(ばあ)、416この河(かは)には随分(ずゐぶん)桃(もも)が流(なが)れて来(く)るだらう。417二(ふた)つや三(み)つは貯(たくは)へて居(を)るだらうから、418一(ひと)つ俺(おれ)に招伴(せうばん)させぬかい、419腹(はら)が空(へ)つて聊(いささ)か迷惑(めいわく)の態(てい)だ』
420婆『お前(まへ)の食(く)ふのは此処(ここ)に預(あづか)つてある、421サアサア是(これ)なと食(く)つて着物(きもの)を渡(わた)すのだよ』
422と真(ま)つ黒(くろ)けの握飯(にぎりめし)を二(ふた)つ出(だ)す。
423弥次彦『ヤア此奴(こいつ)ア、424お竹(たけ)の宅(うち)の柴屋(しばや)で見(み)た握飯(にぎりめし)だ。425コンナ垢(あか)の着(つ)いた、426鼻水(はなみづ)だらけの握飯(にぎりめし)が仮令(たとへ)餓(かつ)えて死(し)んでも食(く)はれるものかい、427渇(かつ)しても盗泉(たうせん)の水(みづ)を呑(の)まぬ俺(おれ)だぞ』
428婆『どうしても食(くら)はねば、429貴様(きさま)を此(この)鬼婆(おにばば)が代(かは)りに食(く)つて了(しま)ふがよいか………勿体(もつたい)ない、430粒々(りうりう)辛苦(しんく)になつた結構(けつこう)なお米(こめ)で拵(こしら)へた握飯(にぎりめし)を、431黒(くろ)いの汚(きたな)いのとは何(なん)の事(こと)だ。432たとへ鼻水(はなみづ)が入(はい)つて居(を)らうが、433百分(ひやくぶん)の一(いち)位(くらゐ)なものだ、434何(なに)ほど綺麗(きれい)な人間(にんげん)でも、435百分(ひやくぶん)の八九十(はちくじふ)までは汚(きたな)い分子(ぶんし)が含蓄(がんちく)して居(を)る。436貴様(きさま)の肉体(にくたい)つたら、437九分(くぶ)九厘(くりん)まで真(ま)つ黒(くろ)けの鼻水(はなみづ)握飯(にぎりめし)の様(やう)なものだぞ。438俺(わし)が辛抱(しんばう)して食(く)てやると言(い)ふのだから、439これが冥途(めいど)の食納(くひをさ)め、440喜(よろこ)んで食(く)はぬかい』
441 弥次彦(やじひこ)は首(くび)を傾(かたむ)けて
442弥次彦『オイ与太公(よたこう)、443サツパリ訳(わけ)が分(わか)らぬぢやないか、444貴様(きさま)の食(く)ひ残(のこ)しだ。445おれや元(もと)から一(ひと)つも食(く)はないのだから、446貴様(きさま)が食(く)つたらよからう』
447与太彦『私(わたくし)はあなた様(さま)の分(ぶん)まで頂戴(ちやうだい)致(いた)しまして、448スツカリ食(た)べるのは、449あまり礼(れい)を失(しつ)すると思(おも)ひ、450二(ふた)つ丈(だけ)残(のこ)して置(お)きました。451決(けつ)して汚(きたな)いから残(のこ)したのぢやありませぬ、452此(こ)れは弥次彦(やじひこ)の領分(りやうぶん)だと思(おも)つて遠慮(ゑんりよ)したのです………もしもしお婆(ば)アさま、453私(わたくし)は腹一杯(はらいつぱい)頂戴(ちやうだい)したので、454それ以上(いじやう)は食(く)へなかつたのと、455弥次彦(やじひこ)に愛想(あいそう)に残(のこ)してやつたのですから、456決(けつ)して決(けつ)して、457汚(きたな)いの何(なん)のといふ、458ソンナ冥加(みやうが)の悪(わる)い心(こころ)で残(のこ)したのでは御座(ござ)いませぬ。459これは弥次彦(やじひこ)の食(く)ふべきもので御座(ござ)います』
460弥次彦『エーエー、461与太彦(よたひこ)までが怪(け)しからぬ議案(ぎあん)を出(だ)しよつた。462河端(かはばた)会議(くわいぎ)だから握(にぎ)り潰(つぶ)しといふ訳(わけ)にも行(ゆ)くまい。463三途(せうづ)の河(かは)へ一瀉(いつしや)千里(せんり)の勢(いきほひ)で、464否決(ひけつ)流会(りうくわい)だ』
465と握飯(にぎりめし)を握(にぎ)つて河(かは)に棄(す)てむとするを、466婆(ばば)はその手(て)をグツと握(にぎ)りたり。467弥次彦(やじひこ)は、
468弥次彦『ヤア冷(つめ)たい冷(つめ)たい、469氷(こほり)のやうな手(て)をしよつて………手(て)が痺(しび)れて了(しま)ふワイ』
470婆『ヤア不思議(ふしぎ)だワイ、471お前(まへ)の霊(れい)は、472遠(とほ)の昔(むかし)に痺(しび)れて了(しま)ふて免疫性(めんえきせい)の無感覚(むかんかく)だと思(おも)つたに、473冷(つめ)たいのが分(わか)るか、474それではチート何処(どこ)かにまだ息(いき)があるワイ、475コンナ所(ところ)へ来(く)るのはチト早(はや)いのだけれど、476修業(しうげふ)の為(ため)に、477我(が)を折(を)る様(やう)に、478この河(かは)を渡(わた)れ、479裘(かはごろも)を剥(は)ぐ丈(だけ)は免除(めんぢよ)してやらう。480随分(ずゐぶん)冷(つめ)たい河(かは)だぞ、481この河(かは)が冷(つめ)たくなくして渡(わた)れる様(やう)ならモウ駄目(だめ)だ。482冷(つめ)たければチツトはまだ人間(にんげん)の息(いき)が、483霊(みたま)に通(かよ)ふて居(を)るのだよ』
484弥次彦『オイ婆(ば)アさま、485お前(まへ)も随分(ずゐぶん)屁理窟(へりくつ)を言(い)ふがそれ丈(だけ)理窟(りくつ)が分(わか)つて居(を)れば、486この弥次彦(やじひこ)は寒(さむ)うて困(こま)つとるのを、487チツトは同情(どうじやう)するだらう。488亡者(まうじや)の着物(きもの)を毎日(まいにち)追剥(おひはぎ)しよつて、489沢山(たくさん)に蓄(た)めとるだらうが、490俺(おれ)に似合(にあ)ふ様(やう)な着物(きもの)を一(いち)枚(まい)分配(ぶんぱい)して呉(く)れぬか、491どうで老若(らうにやく)男女(なんによ)色々(いろいろ)と風(ふう)も違(ちが)ふだらうから、492俺(おれ)に打(う)つて附(つ)けた様(やう)な着物(きもの)もあるだらうにのう』
493婆『エヽ附上(つけあが)りのした男(をとこ)だなア、494お前(まへ)に着(き)せる様(やう)な着物(きもの)は一(いち)枚(まい)もありやしないよ。495みな河(かは)へ脱(ぬ)がしては流(なが)し、496脱(ぬ)がしては流(なが)し、497今(いま)ここに五(ご)枚(まい)ある丈(だけ)だ。498それもみな子供(こども)の着物(きもの)だ。499一(いち)枚(まい)は俺(おれ)が着(き)にやならぬし、500五(ご)枚(まい)の着物(きもの)を貴様(きさま)に一(いち)枚(まい)やれば、501モウあとは四(し)枚(まい)だよ』
502弥次彦『ヤアこの婆(ばば)、503なかなか洒落(しやれ)てけつかる、504風流(ふうりう)婆(ばば)アだなア』
505婆『定(きま)つた事(こと)だ、506何事(なにごと)も執着心(しふちやくしん)を棄(す)てて、507風流(ふうりう)で胸(むね)の垢(あか)を洗濯(せんたく)婆(ばば)アだ。508お前(まへ)も早(はや)う身魂(みたま)の洗濯(せんたく)をせないと云(い)ふと、509腹(はら)の中(なか)に毛虫(けむし)がわいて、510弥次(やじ)身中(しんちう)の虫(むし)となつて、511お前(まへ)の肉体(にくたい)を亡(ほろ)ぼす様(やう)になるぞ』
512弥次彦『婆(ばあ)さま、513オツト待(ま)つた、514俺(おれ)は亡者(まうじや)じやないか、515一旦(いつたん)亡(ほろ)びた者(もの)が復(また)亡(ほろ)びるといふ事(こと)があるかい』
516婆『顕幽(けんいう)一致(いつち)、517生死(せいし)不二(ふじ)だよ。518今(いま)の娑婆(しやば)に居(を)る奴(やつ)は、519肉体(にくたい)は生(い)きて居(を)るが、520霊(れい)はみな死(し)にたり、521腐(くさ)つたり、522亡(ほろ)びて了(しま)つて居(を)るのだ。523併(しか)し乍(なが)ら、524貴様(きさま)は感心(かんしん)な事(こと)には、525肉体(にくたい)は亡(ほろ)びたが、526まだ霊(みたま)に生命(せいめい)があるワイ』
527弥次彦『定(きま)つた事(こと)だい、528せいめい無垢(むく)の生粋(きつすゐ)の大和(やまと)魂(だましひ)だもの。529万劫(まんがふ)末代(まつだい)朽(く)つる事(こと)なく亡(ほろ)ぶ事(こと)なき霊主(れいしゆ)体従(たいじゆう)の弥次彦(やじひこ)さまの本(ほん)守護神(しゆごじん)は、530永世(ゑいせい)不滅(ふめつ)の神(かみ)の分霊(わけみたま)、531万劫(まんがふ)末代(まつだい)生通(いきどう)しだ。532肉体(にくたい)は亡(ほろ)びても、533吾々(われわれ)の霊(れい)は至極(しごく)健全(けんぜん)だ。534これから三途(せうづ)の河(かは)を横渡(よこわた)りをして、535心(こころ)の鬼(おに)も地獄(ぢごく)の鬼(おに)も片(かた)ツ端(ぱし)から言向和(ことむけやは)し、536地獄(ぢごく)を化(くわ)して天国(てんごく)とする覚悟(かくご)だ。537オイ婆(ばば)ア、538貴様(きさま)もコンナ所(ところ)に弱(よわ)い者(もの)苛(いじ)めをして、539亡者(まうじや)に対(たい)し剥取(はぎとり)強盗(がうたう)をするよりも、540早(はや)く改心(かいしん)を致(いた)して俺(おれ)のお伴(とも)をせないかエーン』
541与太彦(よたひこ)は、
542与太彦『オイ弥次彦(やじひこ)、543しやうもない事(こと)を言(い)ふない。544地獄(ぢごく)開設(かいせつ)以来(いらい)、545三途川(せうづがは)の鬼婆(おにばば)と云(い)つて、546この河(かは)に備(そな)へ付(つけ)の常置品(じやうちひん)だよ。547ソンナ者(もの)でも閻魔(えんま)の庁(ちやう)へ連(つ)れて行(い)つたが最後(さいご)、548天則(てんそく)………ドツコイ地獄則(ぢごくそく)違反者(ゐはんしや)だ………と云(い)つて、549罪(つみ)に罪(つみ)を重(かさ)ねる様(やう)なものだよ』
550弥次彦『さうだな、551出雲姫(いづもひめ)の様(やう)な美人(びじん)を連(つ)れて、552閻魔(えんま)の庁(ちやう)へ出立(しゆつたつ)するのは気分(きぶん)が良(よ)いが、553斯(こ)う苔(こけ)の生(は)えた枯木(かれき)の様(やう)になつた骨董品(こつとうひん)を伴(つ)れて行(ゆ)くのは、554弥次彦(やじひこ)もチツト迷惑(めいわく)だ。555……オイ婆(ばば)ア、556お前(まへ)何時(いつ)までも此(この)川辺(かはべり)に、557コンナ事(こと)をやつとるのが面白(おもしろ)いのかい』
558婆『何(なに)が面白(おもしろ)からう、559これも仕方(しかた)がないワ、560木蓮(もくれん)尊者(そんじや)の母親(ははおや)ぢやないが、561罪(つみ)の塊(かたまり)で、562因果(いんぐわ)が廻(めぐ)り来(き)て、563コンナ人(ひと)の厭(いや)がる役(やく)を、564よい年(とし)してやらされて居(ゐ)るのだよ。565俺(わし)はモウ駄目(だめ)だ、566終身官(しうしんくわん)だから、567辞職(じしよく)する訳(わけ)には行(ゆ)かぬワイ』
568弥次彦『それを聞(き)けば、569何(なん)だかチツト、570哀憐(あいれん)の心(こころ)が起(おこ)つて来(き)たワイ。571一層(いつそう)の事(こと)、572一思(ひとおも)ひにこの川(かは)へ、573バサンと投(な)げ込(こ)みてやらうか。574さうすれば、575地獄(ぢごく)の苦(く)を逃(のが)れて、576お前(まへ)も幸福(かうふく)だらうに』
577婆『婆(ば)サンとやつたつて駄目(だめ)だよ。578善(ぜん)の道(みち)を破産(はさん)した俺(わし)だから、579到底(たうてい)救(すく)はれる予算(よさん)が立(た)たぬワイ』
580弥次彦『アヽ三途(せうづ)がないなア、581かはいさうな者(もの)だ。582ナント詮術(せんすべ)なきの川水(かはみづ)、583ミヅバナ垂(た)らして握飯(にぎりめし)に固(かた)めて、584ムスメのお世話(せわ)になつた御(ご)主人(しゆじん)様(さま)に、585有(あ)らう事(こと)か有(あ)るまい事(こと)か、586食(た)べさそうと致(いた)し、587おまけに小便茶(しよんべんちや)をも勧(すす)めた天罰(てんばつ)は覿面(てきめん)に廻(めぐ)り来(きた)つて、588三途川(せうづがは)の鬼婆(おにばば)とまで成(な)り果(は)てしか、589アヽ思(おも)へば思(おも)へばいぢらしや、590弥次彦(やじひこ)同情(どうじやう)の涙(なみだ)に暮(くれ)にけりだ』
591音彦『アハヽヽヽ、592面白(おもしろ)い面白(おもしろ)い、593弥次(やじ)喜多(きた)道中(だうちう)は、594冥土(めいど)へ来(き)てもヤツパリ、595五十三(ごじふさん)次(つぎ)気分(きぶん)がするワイ、596音彦(おとひこ)はまるで大井川(おほゐがは)の川縁(かはべり)に着(つ)いた様(やう)な心持(こころもち)がするワイ』
597弥次彦『大井川(おほゐがは)なら、598この婆(ばば)を大井(おほゐ)に川(かは)いがつてやるのですな、599アハヽヽヽ』
600 この時(とき)いかめしい装束(しやうぞく)をした一人(ひとり)の男(をとこ)、601金剛杖(こんがうづゑ)をつき乍(なが)ら、602トボトボと歩(あゆ)み来(き)たりぬ。603能(よ)く能(よ)く見(み)れば、604ウラル教(けう)の大目付(おほめつけ)、605源五郎(げんごらう)なりける。606弥次彦(やじひこ)は見(み)るより、
607弥次彦『ヤア貴様(きさま)はウラル教(けう)の源五郎(げんごらう)だナ、608俺(おれ)が猿山峠(さるやまたうげ)の麓(ふもと)の森林(しんりん)で、609華胥(くわしよ)の国(くに)に遊楽(いうらく)する折(をり)しも、610しやうもない夢(ゆめ)をば、611与太公(よたこう)に見(み)せよつて、612驚(おどろ)かしよつた腰抜(こしぬけ)野郎(やらう)だらう。613馬(うま)からひつくり返(かへ)つて、614四足(よつあし)に圧搾(あつさく)されて、615背中(せなか)に腹(はら)は替(か)へられぬぢやない、616馬(うま)の背中(せなか)で腹(はら)を抉(ゑぐ)られて、617蛙(かはず)をぶつけた様(やう)に、618目(め)をクルクルと剥(む)きよつて死(くた)ばつた代物(しろもの)だらう。619サア好(よ)い所(ところ)へ来(き)よつた。620こちらは三(さん)人(にん)貴様(きさま)は一人(ひとり)だ。621娑婆(しやば)に居(を)つた時(とき)は此方(こちら)は三(さん)人(にん)貴様(きさま)の味方(みかた)は五十(ごじふ)人(にん)、622五十(ごじふ)人(にん)でさへも敗北(はいぼく)した様(やう)な腰抜(こしぬけ)だから、623到底(たうてい)叶(かな)ふまい。624貴様(きさま)の着物(きもの)を一切(いつさい)脱(ぬ)ぎ取(と)るのだ、625サアサア脱(ぬ)いだり脱(ぬ)いだり』
626 音彦(おとひこ)は、
627音彦『オイオイ弥次(やじ)、628婆(ば)アサンの職権(しよくけん)まで蹂躙(じうりん)すると云(い)ふ事(こと)があるかい』
629弥次彦『モシモシ、630お婆(ば)アサン、631此(この)所(ところ)ちよつと代理権(だいりけん)を執行(しつかう)致(いた)しますから、632事後(じご)承諾(しようだく)を願(ねが)ひます』
633婆『ハーイハイ、634宜(よろ)しき様(やう)に………お前(まへ)に一任(いちにん)致(いた)すぞや』
635弥(や)『音彦(おとひこ)さま、636サアどうだ、637是(これ)からこの弥次彦(やじひこ)が、638お婆(ば)アサンの代理(だいり)だ。639脱衣婆(だついばば)アといふ職権(しよくけん)ができた。640婆(ば)アサンの片相手(かたあひて)は、641お弥次(やじ)サンに定(きま)つてるよハヽヽヽ。642オイ源五郎(げんごらう)、643婆(ば)アサンのおやぢだ。644娑婆(しやば)に居(を)つた時(とき)は弥次彦(やじひこ)だが、645今(いま)は三途川(せうづがは)の鬼(おに)おやぢだ。646キリキリチヤツト脱(ぬ)いで了(しま)ヘツ』
647源五郎(げんごらう)は、
648源五郎『ヤア、649仕方(しかた)がない、650ソンナラ脱(ぬ)ぎませう。651一(いち)枚(まい)でこらへて下(くだ)さいや』
652弥次彦『エー執着心(しふちやくしん)を持(も)つな、653真裸(まつぱだか)になれ』
654源五郎『それでもまだ此(この)先(さき)、655十万(じふまん)億土(おくど)も旅(たび)をせにやならぬのだから、656お慈悲(じひ)に一(いち)枚(まい)は残(のこ)して下(くだ)さいナ』
657弥次彦『エツ一(いち)枚(まい)脱(ぬ)ぐも三(さん)枚(まい)脱(ぬ)ぐも、658脱(ぬ)ぐのに違(ちが)ふた事(こと)があるか、659生(うま)れ赤子(あかご)になるのだよ』
660源五郎『ナント、661お前(まへ)さまはエライ権利(けんり)を持(も)つてますなア』
662弥次彦『定(きま)つた事(こと)だよ、663泥棒(どろばう)権利(けんり)の執行者(しつかうしや)だ。664キリキリチヤツト、665裸(はだか)になつたり裸(はだか)になつたり』
666源(げん)『アヽもう斯(こ)うなつては源五郎(げんごらう)もサツパリ源助(げんすけ)だ、667娑婆(しやば)に居(を)る時(とき)には、668立(た)つ鳥(とり)も落(おと)す勢(いきほひ)であつたが、669可愛(かあい)い女房(にようばう)には別(わか)れ、670生命(いのち)より大事(だいじ)と蓄(た)めた財産(ざいさん)は弊履(へいり)の如(ごと)く打棄(うちす)てて、671身軽(みがる)になつて此処(ここ)へ来(き)たと思(おも)へば、672この薄(うす)い着物(きもの)まで剥(は)がれて了(しま)ふのか、673アヽ仕方(しかた)がない。674どうしたら宜(よ)からうかナア』
675弥次彦『エー女々(めめ)しいワイ、676郷(ごう)に入(い)つては郷(ごう)に従(したが)へだ。677娑婆(しやば)の理窟(りくつ)は冥土(めいど)には通用(つうよう)せぬぞ。678泥棒(どろばう)にも三分(さんぶ)の理窟(りくつ)があるのだ。679脱衣爺(だついぢい)の命令(めいれい)は全部(ぜんぶ)服従(ふくじゆう)……否(いな)盲従(まうじゆう)するのだ。680亡者(まうじや)が亡者(まうじや)に従(したが)ふのは所謂(いはゆる)亡従(まうじゆう)だよ。681アハヽヽヽ』
682源五郎『アヽ仕方(しかた)がありませぬ、683脱(ぬ)がして戴(いただ)きます』
684弥次彦『貴様(きさま)が脱(ぬ)いだ後(あと)は、685俺(おれ)も裸(はだか)で困(こま)つて居(を)るのだから、686右(みぎ)から左(ひだり)へスツと着替(きか)へるのだ。687…………オイ与太公(よたこう)、688此奴(こいつ)ア、689大分(だいぶ)沢山(たくさん)に着(き)て居(ゐ)よるから、690貴様(きさま)と分配(ぶんぱい)して、691着々(ちやくちやく)歩(ほ)を進(すす)めるのだよ』
692源五郎『お前(まへ)さまも、693裸(はだか)の辛(つら)い事(こと)は御存(ごぞん)じでせう。694自分(じぶん)の苦(くる)しみにつまされて、695私(わたくし)を不憫(ふびん)とは思(おも)ひませぬか』
696弥次彦『エー八釜(やかま)しいワイ、697暗(くら)がりの世(よ)の中(なか)だ。698一々(いちいち)目(め)をあけて居(を)つたならば、699一(いち)日(にち)も生活(せいくわつ)が出来(でき)るものかい。700何事(なにごと)も人(ひと)の憐(あは)れは、701見(み)ざる、702聞(き)かざる、703言(い)はざるで…………自分(じぶん)の一身(いつしん)一族(いちぞく)を保護(ほご)するのが当世(たうせい)だよ。704まだまだ是(これ)では済(す)まぬぞ、705貴様(きさま)の持物(もちもの)をみな脱(ぬ)いで了(しま)へ』
706源五郎『これ丈(だけ)褌(まはし)まで脱(ぬ)いで了(しま)つたぢやありませぬか、707この上(うへ)何(なに)を脱(ぬ)ぐのですかい……』
708弥次彦『定(きま)つた事(こと)だよ、709親譲(おやゆづ)りの………貴様(きさま)はまだ洋服(やうふく)を着(き)て居(を)る。710靴(くつ)も、711手袋(てぶくろ)も、712頭巾(づきん)も、713何(なに)もかも、714みな脱(ぬ)ぐのだ。715貴様(きさま)は娑婆(しやば)に居(を)る時(とき)から、716彼奴(あいつ)は鉄面皮(てつめんぴ)だと言(い)はれて居(を)つたぢやらう。717その鉄面皮(てつめんぴ)を此処(ここ)で脱(ぬ)がしてやらう。718舌(した)も千枚舌(せんまいじた)だと言(い)ふ事(こと)だから、719一(いち)枚(まい)は助(たす)けてやるが、720九百(くひやく)九十九(くじふく)枚(まい)まで此処(ここ)で抜(ぬ)き取(と)るのだ。721コレコレ婆(ば)アサン、722釘抜(くぎぬき)を貸(か)しテンかいナ』
723婆『ハイハイ、724おやぢ彦(ひこ)の言(い)ふ事(こと)なら、725何(なん)でも聞(き)きませう。726釘抜(くぎぬき)がチツト錆(さ)びて居(を)るけれど、727此奴(こいつ)の舌(した)も錆(さ)びてゐるから、728合(あ)ふたり、729叶(かな)ふたりだ、730ワハヽヽヽ』
731弥次彦『ヤア気(き)の利(き)いた婆(ばば)アだ、732流石(さすが)俺(おれ)の女房(にようばう)丈(だけ)あるワイ、733………オイ源公(げんこう)、734千枚舌(せんまいじた)を出(だ)せ…………口(くち)を開(あ)け…………』
735源五郎『アーア仕方(しかた)がない、736冥途(めいど)の法律(はふりつ)に従(したが)はねばならぬか。737ソンナラどうぞ、738ヤンワリと抜(ぬ)いて下(くだ)さい』
739弥次彦『よしよし』
740と云(い)ひつつ、741釘抜(くぎぬき)を以(もつ)て源公(げんこう)を大地(だいち)に仰向(あふむ)けに寝(ね)させ、742右(みぎ)の足(あし)を頭(あたま)にグツと乗(の)せ、
743弥次彦『イヨー沢山(たくさん)な舌(した)だワイ………此(この)舌(した)は放蕩(はうたう)を舌(した)、744一(いち)枚(まい)……オイオイ与太公(よたこう)、745貴様(きさま)は勘定役(かんぢやうやく)だ。746音彦(おとひこ)は受取(うけと)つて下(くだ)さい。747……この舌(した)は違約(ゐやく)を舌(した)……オツト二(に)枚(まい)……こいつは間女房(まにようばう)を舌(した)……オツト三(さん)枚(まい)……こいつは讒言(ざんげん)を舌(した)、748オツト四(よ)枚(まい)だよ、749……こいつは失敗(しつぱい)を舌(した)、750オツト五(ご)枚(まい)だ………こいつはアフンと舌(した)、751オツト六(ろく)枚(まい)………こいつはインチキを舌(した)……道傍(みちばた)でウンコを舌(した)……遠慮(ゑんりよ)を舌(した)……ドツコイ遠慮(ゑんりよ)会釈(ゑしやく)もなしに乱暴(らんばう)を舌(した)……強欲(がうよく)を舌(した)……ウツカリ舌(した)……スベタに現(うつつ)を抜(ぬ)か舌(した)……姦通(かんつう)を舌(した)……人(ひと)を監禁(かんきん)舌(した)……苦面(くめん)を舌(した)……喧嘩(けんくわ)を舌(した)……善悪(ぜんあく)を混同(こんどう)舌(した)……散財(さんざい)を舌(した)……要(い)らぬ心配(しんぱい)を舌(した)……狡猾(すこ)い事(こと)を舌(した)……民衆(みんしう)運動(うんどう)を煽動(せんどう)舌(した)……探偵(たんてい)を舌(した)……損(そん)を舌(した)……畜生(ちくしやう)を殺(ころ)舌(した)……掴(つか)まへ損(そこ)なひを舌(した)……而(しか)も三五教(あななひけう)の宣伝使(せんでんし)を……手癖(てくせ)の悪(わる)いことを舌(した)……遁亡(とんばう)を舌(した)……難儀(なんぎ)を舌(した)……物(もの)に窮迫(きうはく)舌(した)……人(ひと)を見殺(みごろ)しに舌(した)……憎(にく)まれ口(ぐち)を叩(たた)いた舌(した)だ……盗(ぬす)みも舌(した)……猫婆(ねこばば)も舌(した)……無報酬(ただ)の飲食(のみくひ)を舌(した)……神(かみ)に反対(はんたい)を舌(した)……貧乏(びんばふ)を舌(した)奴(やつ)を圧迫(あつぱく)舌(した)……憤慨(ふんがい)も舌(した)……変改(へんかい)も舌(した)……人(ひと)の金(かね)で漫遊(まんいう)を舌(した)……無理(むり)も舌(した)……斤量(ちぎ)の目盗(めぬす)みも舌(した)……悶着(もんちやく)も舌(した)……魂(たましひ)の宿替(やどがへ)も舌(した)……それは良心(りやうしん)の転宅(てんたく)だ……隠険(いんけん)なことも舌(した)……嘘(うそ)つきも舌(した)……縁談(えんだん)の妨害(ばうがい)も舌(した)……欲(よく)な企(たく)みも舌(した)……乱痴気(らんちき)騒(さわ)ぎも舌(した)……悋気(りんき)も舌(した)……不在(るす)の宅(うち)を狙(ねら)つて○○を舌(した)……猟師(れふし)をして沢山(たくさん)な畜生(ちくしやう)も捕獲(ほくわく)舌(した)……論(ろん)にも杭(くひ)にもかからぬ様(やう)な議論(ぎろん)も舌(した)……忘八苦(わんぱく)も舌(した)……意地(いぢ)の悪(わる)い事(こと)も舌(した)……エー閻魔(えんま)さまの眼鏡(めがね)に叶(かな)はぬ様(やう)な事(こと)も沢山(たくさん)舌(した)……人(ひと)をおど舌(した)……霊界(れいかい)物語(ものがたり)の邪魔(じやま)も舌(した)……俺(おれ)もモウウンザリ舌(した)…是(これ)でまだ六十(ろくじふ)枚(まい)だがモウ良(よ)い加減(かげん)に止(や)めに舌(した)がよからうかアツハヽヽヽ』
752音彦『随分(ずゐぶん)沢山(たくさん)な舌(した)ですネー、753音彦(おとひこ)感心(かんしん)しま舌(した)、754ワアツハヽヽヽ』
755弥次彦『此奴(こいつ)は、756何時(いつ)も数多(あまた)の人間(にんげん)を顎(あご)で使(つか)ひよつて、757舌長(したなが)に物(もの)を吐(ぬ)かす舌(した)たか者(もの)だから、758舌(した)の根(ね)も随分(ずゐぶん)強(つよ)くつて、759この三途川(せうづがは)の鬼爺(おにおやぢ)も、760大変(たいへん)な苦労(くらう)を舌(した)、761アーア舌(した)抜(ぬ)き商売(しやうばい)も、762懲々(こりこり)舌(した)わい、763ワツハヽヽヽ』
764婆『これはこれはおやぢ彦(ひこ)、765偉(えら)い苦労(くらう)をかけま舌(した)、766これで一寸(ちよつと)源五郎(げんごらう)の制敗(せいばい)も一部(いちぶ)落着(らくちやく)いた舌(した)と云(い)ふものだ』
767源五郎『アーア辛(つら)い目(め)に逢(あ)ふたものだ。768三味線(さみせん)の糸(いと)ほど引締(ひきし)められて、769撥(ばち)を当(あ)てられ、770お前(まへ)のお好(す)きに紫檀棹(したんざを)、771源五郎(げんごらう)も是(これ)で無罪(むざい)放免(はうめん)にして貰(もら)ひませうか』
772婆『まだまだ……此処(ここ)はこれでよい、773この河(かは)を渡(わた)つて向(むか)ふへ行(い)つたら、774今度(こんど)はお前(まへ)の腕(かいな)を抜(ぬ)くのだよ』
775与太彦(よたひこ)は面白(おもしろ)さうに、
776与太彦『アヽそうかいな、777痛(いた)いかいな、778苦(くる)しいかいな』
779弥次彦『コラ与太公(よたこう)、780ソンナ陽気(やうき)な事(こと)を言(い)ふとる場合(ばあひ)ぢやないぞ、781改心(かいしん)をせぬか、782緊張(きんちやう)せぬかい、783お弥次彦(やじひこ)が舌(した)を抜(ぬ)いてやらうか』
784与太彦『オイ弥次彦(やじひこ)、785よい加減(かげん)にコンナ殺生(せつしやう)な商売(しやうばい)は辞職(じしよく)したらどうだい』
786弥次彦『八釜(やかま)し云(い)ふない、787モウ少(すこ)し勤(つと)めさして呉(く)れ、788……恩給(おんきふ)年限(ねんげん)が満(み)つるまで……』
789与(よ)『貴様(きさま)はどこまでも、790徹底(てつてい)的(てき)に欲(よく)な奴(やつ)だナ、791欲々(よくよく)の体主(たいしゆ)霊従(れいじう)の性来(しやうらい)ぢやと見(み)えるワイ。792世(よ)の中(なか)で他人(ひと)がよく云(い)はぬのも当然(たうぜん)だ』
793婆『サアサア弥次彦(やじひこ)サン永々(ながなが)お世話(せわ)だつた。794只今(ただいま)限(かぎ)り解職(かいしよく)する、795速(はや)くこの河(かは)を渡(わた)りしやれ』
796弥次彦『ヤア何(なん)だ、797何時(いつ)の間(ま)にか河(かは)が無(な)くなつて了(しま)つた。798かわい女房(にようばう)に生別(いきわか)れと云(い)ふ場面(ばめん)だナ。799オイ婆(ばば)ア、800折角(せつかく)な綺麗(きれい)な河(かは)を何処(どこ)ヘスツ込(こ)めて了(しま)つたのだい』
801婆『お前(まへ)の罪(つみ)が薄(うす)らいだから、802河(かは)はモウ流(なが)して了(しま)つたのだよ』
803弥次彦『河(かは)を流(なが)すとは妙(めう)だな、804ヤツパリ現界(げんかい)とはすべての光景(くわうけい)が河(かは)つて居(ゐ)るワイ……ヤア面白(おもしろ)い、805茫々(ばうばう)たる原野(げんや)と俄(にはか)に早替(はやがは)り、806活動(くわつどう)写真(しやしん)を見(み)とる様(やう)だ……是(こ)れは是(こ)れはお婆(ば)アサン、807永(なが)らく御(ご)厄介(やくかい)に与(あづか)りました。808頭(あたま)の一(ひと)つもおなぐり惜(をし)いが、809私(わたくし)も先(さき)が急(せ)きますから、810これで垢(あか)の別(わか)れを致(いた)しませう。811これから爺(ぢい)は三(さん)人(にん)の亡者(まうじや)を連(つ)れて、812あの世(よ)の旅(たび)をする程(ほど)に、813おばば、814後(あと)の供養(くやう)をしつかり頼(たの)むぞや。815極楽(ごくらく)と言(い)ふ立派(りつぱ)な所(ところ)へ行(い)つて半座(はんざ)を分(わ)けて待(ま)つて居(ゐ)る、816一時(いつとき)もはやく、817第二(だいに)の娑婆(しやば)を振(ふ)り棄(す)てて、818おやぢの側(そば)へやつて来(き)て呉(く)れ、819万劫(まんがふ)末代(まつだい)、820一蓮(いちれん)托生(たくしやう)、821必(かなら)ず忘(わす)れて呉(く)れるなよ』
822 与太彦(よたひこ)は吹(ふ)き出(だ)して、
823与太彦『アハヽヽヽ、824何(なに)を吐(ぬか)しよるのだ、825アンナ老婆(ばばあ)と一蓮(いちれん)托生(たくしやう)になつて堪(たま)るかい』
826弥次彦『それでも袖振合(そでふりあ)ふも他生(たしやう)の縁(えん)よ「ヤアおやぢサン、827ばばア……」と仮令(たとへ)半時(はんとき)でも縁(えん)を結(むす)んだ以上(いじやう)は、828夫婦(ふうふ)には違(ちがひ)ない、829夫婦(ふうふ)の情(じやう)は門外漢(もんぐわいかん)の窺知(きち)すべき所(ところ)でない、830色気(いろけ)の無(な)い唐変木(たうへんぼく)の容喙(ようかい)すべき限(かぎ)りにあらずだ』
831音彦(おとひこ)、832与太彦(よたひこ)、833源五郎(げんごらう)も一度(いちど)にふき出(だ)し、
834音、与、源『アハヽヽヽ、835ウフヽヽヽ、836エヘヽヽヽ』
837(大正一一・三・二三 旧二・二五 松村真澄録)
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