霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
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第九章 空中(くうちう)滑走(くわつそう)〔五五九〕

インフォメーション
著者:出口王仁三郎 巻:霊界物語 第14巻 如意宝珠 丑の巻 篇:第2篇 幽山霊水 よみ(新仮名遣い):ゆうざんれいすい
章:第9章 空中滑走 よみ(新仮名遣い):くうちゅうかっそう 通し章番号:559
口述日:1922(大正11)年03月24日(旧02月26日) 口述場所: 筆録者:藤津久子 校正日: 校正場所: 初版発行日:1922(大正11)年11月15日
概要: 舞台: あらすじ[?]このあらすじはMさん作成です(一部加筆訂正してあります)。一覧表が「王仁DB」にあります。[×閉じる]:
与太彦、六は昼なお暗い鬱蒼とした谷間に着いて、突風に飛ばされた弥次彦と勝公を探している。
与太彦と六は、二人が死んでしまったことを心配しつつ、悲しみを抑えて捜索している。谷川を渡って一町ばかり行ったところで、六は二人が大木の上にひっかかっているのを見つけた。
弥次彦と勝彦は、二人が捜索に来たことに気がついたが、弥次彦は幽霊の真似をしてからかってやろう、と言う。勝彦がたしなめるが、弥次彦は勝彦に、芝居口上を上げるように乗せる。
勝彦は乗せられて、ここが三途の川を渡った幽界であるかのような芝居口上を述べ立てた。弥次彦はふざけているうちに踏み外して、木の下に墜落して痛がっている。勝彦は芝居の口真似をしながら、竹に飛び移って降りてきた。
一同は万歳を唱える。
主な登場人物[?]【セ】はセリフが有る人物、【場】はセリフは無いがその場に居る人物、【名】は名前だけ出て来る人物です。[×閉じる]: 備考: タグ: データ凡例: データ最終更新日:2020-12-27 17:06:41 文字数:7292 OBC :rm1409
愛善世界社版:148頁 八幡書店版:第3輯 212頁 修補版: 校定版:154頁 普及版:70頁 初版: ページ備考:
001さしも烈(はげ)しき山颪(やまおろし)
002嵐(あらし)の後(あと)の静(しづ)けさと
003天地(てんち)は茲(ここ)に治(をさ)まれど
004まだ治(をさ)まらぬ胸(むね)の中(うち)
005与太彦(よたひこ)、六公(ろくこう)の両人(りやうにん)は
006小鹿峠(こしかたうげ)の谷々(たにだに)を
007木(こ)の葉(は)を分(わ)けて探(さが)せども
008梢(こづゑ)は暗(くら)く下柴(したしば)の
009茂(しげ)り茂(しげ)りて道(みち)もなく
010遂(つひ)にその日(ひ)も暮(く)れにけり
011時(とき)しもあれや東天(とうてん)に
012雲(くも)押(お)し分(わ)けて昇(のぼ)り来(く)る
013月(つき)の光(ひかり)に照(て)らされて
014四辺(あたり)明(あか)るくなりければ
015 二人(ふたり)は声(こゑ)を限(かぎ)りに
016与太彦、六公『オーイ、017オーイ、018弥次公(やじこう)ヤーイ、019勝公(かつこう)ヤーイ』
020と叫(さけ)ぶ声(こゑ)も遂(つひ)に嗄(か)れ果(は)てて、021今(いま)は心(こころ)も皺(しわ)がれの、022声(こゑ)も無(な)ければ音(おと)もなき、
023二人(ふたり)の友(とも)が消息(せうそく)を
024右往(うわう)左往(さわう)に踏(ふ)み迷(まよ)ひ
025尋(たづ)ね行(ゆ)くこそ哀(あは)れなれ。
026 与太公(よたこう)、027六公(ろくこう)の二人(ふたり)は老樹(らうじゆ)鬱蒼(うつさう)として昼(ひる)なほ暗(くら)き谷間(たにま)に辿(たど)り着(つ)いた。
028与(よ)『オイ六公(ろくこう)、029是(これ)丈(だ)け尋(たづ)ねても見当(みあた)らないのだから、030もう断念(だんねん)するより仕方(しかた)があるまいなア』
031六(ろく)『是(これ)ほど広(ひろ)い山(やま)の中(なか)を、032人間(にんげん)の一人(ひとり)や二人(ふたり)が一(いち)日(にち)二日(ふつか)探(さが)して見(み)た処(ところ)が駄目(だめ)だなア。033然(しか)し乍(なが)らみすみす友(とも)の災難(さいなん)を見捨(みす)てて帰(かへ)る訳(わけ)にも行(ゆ)かず、034吾々(われわれ)は息(いき)の続(つづ)く限(かぎ)り、035所在(ありか)をつき留(と)めて、036せめては死骸(しがい)なりと厚(あつ)く葬(ほうむ)つてやり度(た)いものだ』
037与(よ)『これ丈(だ)け尋(たづ)ねて、038生(い)きて居(を)つて呉(く)れれば結構(けつこう)だが、039不幸(ふかう)にして、040弥次(やじ)、041勝(かつ)の両人(りやうにん)、042敢(あへ)なき最後(さいご)の幕(まく)を降(おろ)し、043死骸(しがい)となつて横(よこた)はつて居(ゐ)るとすれば、044本当(ほんたう)にそれこそ世話(せわ)のしがひが無(な)いワ』
045六(ろく)『与太(よた)サン、046ソンナ与太(よた)を云(い)つてる処(どころ)か、047本真剣(ほんしんけん)になつて下(くだ)さいな』
048与(よ)『真剣(しんけん)とも真剣(しんけん)とも本真剣(ほんしんけん)だが、049余(あま)り疲(つか)れたので足(あし)がヨタヨタ、050与太(よた)サンだよ』
051六(ろく)『あれ丈(だ)け呼(よ)んでも、052ウンともスンとも答(こたへ)が無(な)いのだから困(こま)つたものだ。053余(あま)り偉(えら)い風(かぜ)に吹(ふ)き付(つ)けられて、054弥次(やじ)、055勝(かつ)の両人(りやうにん)は、056鼓膜(こまく)を破(やぶ)られて、057吾々(われわれ)のこの友情(いうじやう)の籠(こも)つた悲哀(ひあい)的(てき)声調(せいてう)が耳(みみ)に徹(てつ)しないのだらうか』
058与(よ)『何(なに)、059あれ位(くらゐ)の風(かぜ)に、060耳(みみ)の鼓膜(こまく)が破(やぶ)れるものか、061縡(こと)の糸(いと)が切(き)れたのだよ。062綽(こと)切(き)れたに間違(まちが)ひない、063困(こま)つた事(こと)だワイ。064ことに草深(くさぶか)い山中(さんちう)の事(こと)といひ、065捜索(そうさく)するのも、066殊(こと)の外(ほか)、067骨(ほね)の折(を)れる事(こと)だ。068是(これ)ほど呼(よ)んでも叫(さけ)んでも、069コトツとも云(い)はぬのは、070どうしたものだイ。071この谷(たに)のあらむ限(かぎ)り悉(ことごと)く、072言(こと)霊(たま)の発射(はつしや)をやつて見(み)やうと思(おも)へど、073どうした事(こと)か、074声(こゑ)は嗄(か)れ、075貴重(きちよう)な言(こと)霊(たま)は忽(たちま)ち停電(ていでん)と来(き)たものだから、076仕様(しやう)事(こと)はない、077道中(だうちう)で二人(ふたり)の友達(ともだち)を紛失(ふんしつ)致(いた)しましたと云(い)つて、078日(ひ)の出別(でわけ)の神(かみ)様(さま)にどう断(ことわ)りが立(た)つものか。079アヽ困(こま)つた事(こと)だ、080コンナ事(こと)と知(し)つたなら随(つ)いて来(く)るのぢや無(な)かつたにと云(い)つて、081慰藉(ゐしや)晴(ば)らし愚痴(ぐち)の繰(くり)言(ごと)繰(く)り返(かへ)し、082呼(よ)べど叫(さけ)べど死(し)んだ人(ひと)は、083開闢(かいびやく)以来(いらい)帰(かへ)つたと云(い)ふ事(こと)はまだ一度(いちど)も聞(き)いた事(こと)がないワイ』
084六(ろく)『与太公(よたこう)、085アヽお前(まへ)はようことことと云(い)ふ男(をとこ)だナア、086生死(せいし)不明(ふめい)の両人(りやうにん)を捉(つかま)へて、087お前(まへ)は最早(もはや)死(し)んだ者(もの)と覚悟(かくご)を決(き)めて居(ゐ)るのか』
088与(よ)『耳(みみ)も聞(きこ)えず、089物(もの)も言(い)へない奴(やつ)は死(し)んだ者(もの)だ。090アヽ六日(むゆか)の菖蒲(あやめ)、091十日(とをか)の菊(きく)だ、092悔(くや)んで返(かへ)らぬ事(こと)乍(なが)ら、093恋(こひ)しい弥次(やじ)サン勝(かつ)サンは、094何処(どこ)にどうして御座(ござ)るやら、095お前(まへ)は情(つれ)ない情(なさけ)ない、096都合(つがふ)四(よ)人(にん)の道連(みちづ)れが、097半死(はんし)半生(はんしやう)の目(め)に合(あ)ふて、098どうして之(これ)が泣(な)かずに居(を)られうか。099アヽ私(わたし)も一所(いつしよ)に殺(ころ)して下(くだ)さんせ、100死(し)に度(た)いわいなと許(ばか)りにて、101命(いのち)惜(をし)まぬ武家(ぶけ)育(そだ)ち、102シヤンシヤンシヤンか』
103六(ろく)『エヽ与太公(よたこう)、104ヨタを云(い)ふにも程(ほど)がある哩(わい)、105もつと真面目(まじめ)にならないか』
106与(よ)『真面目(まじめ)になつても、107ならいでも同(おな)じ事(こと)だよ、108死(し)んだ者(もの)は、109どうしたつて帰(かへ)つて来(く)る例(ためし)は無(な)い、110俺(おれ)も余(あんま)り心(こころ)淋(さび)しく悲(かな)しくなつて来(き)たので、111気(き)まぐれに、112莫迦口(ばかぐち)を叩(たた)いて居(ゐ)るのだ。113何処(どこ)に友達(ともだち)の災難(さいなん)を見(み)て喜(よろこ)ぶ者(もの)があらうかい。114三五教(あななひけう)の教(をしへ)には、115取越(とりこし)苦労(ぐらう)と過越(すぎこし)苦労(ぐらう)はいたすなよ、116勇(いさ)んで暮(くら)せ、117刹那心(せつなしん)が大切(たいせつ)だ、118刹那(せつな)のその刹那(せつな)こそ吾々(われわれ)の意志(いし)のまま、119自由(じいう)行動(かうどう)の勢力(せいりよく)範囲(はんゐ)だ。120一(いつ)分間(ぷんかん)前(まへ)は最早(もはや)過去(くわこ)の夢(ゆめ)となつて、121どうしても逆転(ぎやくてん)させる訳(わけ)には行(い)かず、122一(いつ)分間(ぷんかん)後(あと)の事(こと)は人間(にんげん)の自由(じいう)になるものではない、123何事(なにごと)も神(かみ)様(さま)の自由(じいう)意志(いし)の儘(まま)だ。124斯(こ)う云(い)つて居(ゐ)る間(ま)も、125無情(むじやう)の風(かぜ)とやらの悪魔(あくま)は吾々(われわれ)の身辺(しんぺん)を絶(た)えず附(つ)け狙(ねら)ふて居(ゐ)るのだ。126弥次(やじ)、127勝(かつ)の二人(ふたり)の友達(ともだち)は実(じつ)に無情(むじやう)至極(しごく)の烈風(れつぷう)に誘(さそ)はれて之(これ)も生死(せいし)の程(ほど)は明(あきら)かならず、128吾々(われわれ)はこうして両人(りやうにん)に邂(めぐ)り逅(あ)ひ、129ヤア居(を)つたか居(を)つたか、130結構(けつこう)々々(けつこう)、131豆(まめ)で御(ご)無事(ぶじ)でお達者(たつしや)で、132美(うる)はしき御(ご)尊顔(そんがん)を拝(はい)し吾々(われわれ)身(み)に取(と)つて、133恐悦(きようえつ)至極(しごく)に存(ぞん)じ奉(たてまつ)ります。134やア之(これ)は之(これ)は与太公(よたこう)か六公(ろくこう)か、135余(よ)が所在(ありか)を尋(たづ)ね、136よくも難路(なんろ)を踏(ふ)み越(こ)え、137探(さが)しに来(き)て呉(く)れた、138大儀(たいぎ)々々(たいぎ)、139余(よ)は満足(まんぞく)に思(おも)ふぞよ。140褒美(ほうび)には、141これを遣(つか)はすと云(い)つて、142鼻糞(はなくそ)の万金丹(まんきんたん)でも、143ヱンリンのアンカン丹(たん)でも御(ご)下賜(かし)あるに定(きま)つて居(ゐ)ると予算(よさん)を立(た)てて行(い)つて見(み)た処(ところ)が、144算用(さんよう)合(あ)ふて銭(ぜに)足(た)らず、145予算外(よさんぐわい)の支出(ししゆつ)超過(てうくわ)で、146さつぱり二人(ふたり)の友達(ともだち)は破産(はさん)申請(しんせい)、147身代(しんだい)限(かぎ)りの処分(しよぶん)を受(う)けて、148可愛(かあい)い妻子(つまこ)をふり捨(す)て、149十万(じふまん)億土(おくど)の冥途(めいど)とやらいふ国(くに)へ移住(いぢう)でもして居(を)つたら、150その時(とき)こそ、151折角(せつかく)張(は)り詰(つ)めし心(こころ)の綱(つな)も、152頼(たの)みの糸(いと)も切(き)れ果(は)てて、153泣(な)いても悔(くや)んでも返(かへ)らぬ悲惨(ひさん)な幕(まく)に打付(ぶつつ)かるかも知(し)れやしない。154その時(とき)なにほど失望(しつばう)落胆(らくたん)したつて駄目(だめ)だよ。155アヽコンナことを思(おも)ふよりも、156日頃(ひごろ)の信仰(しんかう)の力(ちから)によつて強圧(きやうあつ)的(てき)に刹那心(せつなしん)を発揮(はつき)し、157われと吾心(わがこころ)の駒(こま)に慰藉(ゐしや)を与(あた)へて居(ゐ)るのだよ。158陽気(やうき)浮気(うはき)で無駄口(むだぐち)が云(い)へるかい。159啼(な)く蝉(せみ)よりも啼(な)かぬ螢(ほたる)が身(み)を焦(こが)す。160嗚呼(ああ)それにしても、161あの元気(げんき)な弥次彦(やじひこ)の顔(かほ)がもう一度(いちど)拝(をが)みたい。162勝公(かつこう)も勝公(かつこう)ぢや、163折角(せつかく)、164窟(いはや)の中(なか)から助(たす)けられ、165僅(わづ)か半日(はんにち)経(たた)ぬ内(うち)に、166無情(むじやう)の風(かぜ)に誘(さそ)はれて、167木(こ)の葉(は)の如(ごと)く吹(ふ)き散(ち)らされ、168煙(けむり)となつて消(き)ゆるとは、169何(なん)たる因果(いんぐわ)な生(うま)れ附(つき)だらう。170想(おも)へば想(おも)へば矢張(やつぱり)悲(かな)しいワイ。171刹那心(せつなしん)の奴(やつ)、172どうやら屁古垂(へこた)れさうになつて来(き)たワイ。173アーンアーンアーンアーンアーン、174ウーンウンウンウン』
175六(ろく)『日天(につてん)様(さま)はニコニコと御(ご)機嫌(きげん)好(よ)く、176山(やま)の端(は)をお昇(のぼ)りなさつて吾々(われわれ)の頭(かしら)を照(て)らして下(くだ)さるが、177心(こころ)の中(うち)は雲(くも)に包(つつ)まれ、178涙(なみだ)の雨(あめ)は夕立(ゆふだち)と降(ふ)りしきり、179何共(なんとも)云(い)へぬ淋(さび)しい事(こと)だ。180人間(にんげん)といふ者(もの)は、181あかぬものだな。182昨日(きのふ)まで、183鬼(おに)でも挫(ひし)ぐ様(やう)な元気(げんき)で、184機嫌(きげん)良(よ)うはしやいで居(を)つた二人(ふたり)の友達(ともだち)は、185今(いま)は生死(せいし)も分(わか)らず九分(くぶ)九厘(くりん)までは彼(あ)の世(よ)へ行(い)つたものと諦(あきら)めねばならぬ破目(はめ)になつて来(き)た、186俺(わし)も昨日(きのふ)まで、187ウラル教(けう)の宣伝使(せんでんし)であつたが、188漸(やうや)く三五教(あななひけう)に帰順(きじゆん)したと思(おも)へば、189弥次彦(やじひこ)、190勝公(かつこう)に別(わか)れて了(しま)ふし、191何(なん)だか知(し)らぬが昨日(きのふ)から交際(つきあ)ふた人(ひと)とは何(ど)うしても思(おも)はれない、192十(じふ)年(ねん)も二十(にじふ)年(ねん)も昔(むかし)から交際(つきあ)ふた様(やう)な気(き)がする。193知(し)り合(あ)ひになつてから、194三日(みつか)も経(た)たぬ俺(おれ)でさへも之丈(これだ)け悲(かな)しいのだもの、195与太公(よたこう)は、196長(なが)い間(あひだ)の馴染(なじみ)、197お前(まへ)の心(こころ)も察(さつ)するよ』
198与(よ)『アヽ仕方(しかた)がない。199此処(ここ)で屁古垂(へこた)れずに、200もう一遍(いつぺん)、201大捜索(だいさうさく)をやつて見(み)やうか、202因縁(いんねん)があれば、203神(かみ)様(さま)が両人(りやうにん)に逢(あ)はして下(くだ)さるだらう、204たとへ死骸(しがい)なり共(とも)、205もう一目(ひとめ)逢(あ)ふて、206二人(ふたり)の先途(せんど)を見届(みとど)けて置(お)かねばならない。207エヽ怪体(けたい)の悪(わる)い烏(からす)の鳴(な)き声(ごゑ)だ、208益々(ますます)気(き)に懸(かか)るワイ』
209六(ろく)『オーほんにほんに向(むか)ふの谷間(たにま)の大木(たいぼく)の枝(えだ)に沢山(たくさん)の烏(からす)が止(と)まつて鳴(な)いてゐるなア。210ハテ、211こいつは怪(あや)しいぞ、212何(なん)だか人間(にんげん)の着物(きもの)らしい物(もの)が、213梢(こづゑ)に見(み)えるぢやないか、214見(み)てみよ』
215 与太公(よたこう)は両手(りやうて)の親指(おやゆび)と人差指(ひとさしゆび)にて輪(わ)を拵(こしら)へ乍(なが)ら眼鏡(めがね)の如(ごと)くに、216左右(さいう)の目(め)にピタリと当(あて)がひ、217烏(からす)の群(むら)がり居(を)る樹木(じゆもく)の枝(えだ)に目(め)を注(そそ)いだ。
218与(よ)『ヤアあれは的切(てつきり)、219弥次公(やじこう)、220勝公(かつこう)の着物(きもの)だぞ。221天狗(てんぐ)の奴(やつ)、222股(また)から引裂(ひきさ)きよつて、223着物(きもの)を木(き)に掛(か)けて置(お)きよつたな、224エヽ忌々(いまいま)しい、225しかしながら着物(きもの)でも構(かま)はぬ、226友達(ともだち)の形見(かたみ)だと思(おも)へば宜(よ)い、227一(ひと)つ彼(あ)の木(き)の根元(ねもと)へ行(い)つて調(しら)べて見(み)やう、228あの下(した)辺(あた)りに、229死骸(しがい)となつて横(よこた)はつて居(ゐ)まいものでもないワ、230彼(あ)れが第一(だいいち)、231生(い)きて居(ゐ)るのだつたら、232烏(からす)の声(こゑ)が聞(きこ)えるだらうから、233俺(おれ)達(たち)の言霊(ことたま)も聞(きこ)える道理(だうり)だ。234一(ひと)つ力(ちから)限(かぎ)り叫(さけ)んで見(み)やうか』
235六(ろく)『叫(さけ)ばうと云(い)つたつて声(こゑ)の原料(げんれう)が根絶(こんぜつ)したのだから仕方(しかた)がない。236向(むか)ふが烏(からす)よりもこちらが声(こゑ)をからすだ、237二人(ふたり)で此様(こん)な処(ところ)で、238とり留(と)めもない、239とりどりの噂(うはさ)をして居(ゐ)るよりも、240とり敢(あへ)ず、241手取早(てつとりばや)く、242彼(あ)の木(き)の元(もと)にとり付(つ)いて調(しら)べて見(み)やうかい。243万一(まんいち)あの木(き)の元(もと)に、244死骸(しがい)が一人(ひとり)でも二人(ふたり)でもあつたならば、245俺(おれ)は彼(あ)の女房(にようばう)の代(かは)り役者(やくしや)となつて、246これこれ弥次(やじ)サン勝(かつ)サンヘ、247逢(あ)ひたかつた、248見(み)たかつた、249と顔(かほ)や手足(てあし)に取付(とりつ)いて、250前後(ぜんご)不覚(ふかく)に嘆(なげ)きつつ、251取乱(とりみだ)したるその哀(あは)れさ、252ヂヤンヂヤンヂヤンヂヤン』
253与(よ)『俺(おれ)の真似(まね)許(ばか)りするない。254ソンナ処(どころ)かい、255さア駆足(かけあし)だ』
256 樹木(じゆもく)茂(しげ)れる中(なか)を、257茨(いばら)に引掛(ひつかか)り、258蜘蛛(くも)の巣(す)にまとはれ乍(なが)ら、259漸(やうや)くにして谷川(たにがは)の縁(ふち)に着(つ)いた。
260与(よ)『ヤア、261折悪(をりあ)しく、262川(かは)向(むか)ふの松(まつ)の大木(たいぼく)だ、263この急潭(きふたん)をどうして渡(わた)らうかな、264アヽ昨日(きのふ)や今日(けふ)の飛鳥川(あすかがは)、265変(かは)る浮世(うきよ)といひ乍(なが)ら、266有為(うゐ)転変(てんぺん)も、267ここまで往(い)つたら、268徹底(てつてい)して居(ゐ)る哩(わい)、269この川(かは)の淵瀬(ふちせ)がどうして渡(わた)られやうぞ。270オイ六公(ろくこう)、271何(なん)とか好(い)い考(かんが)へは出(で)ないかいのう』
272六(ろく)『俺(おれ)の考(かんが)へは只(ただ)刹那心(せつなしん)あるのみだ。273この谷川(たにがは)へ飛(と)び込(こ)んで、274土左衛門(どざゑもん)になつたら、275その時(とき)はもう仕方(しかた)が無(な)い。276弥次公(やじこう)、277勝公(かつこう)の後(あと)を追(お)ふて一所(いつしよ)に仲宜(なかよ)く、278死出(しで)三途(さんづ)同行(どうぎやう)四(し)人(にん)だ』
279と云(い)ふより早(はや)く、280六公(ろくこう)は着物(きもの)を着(き)た儘(まま)、281ザンブと許(ばか)り谷川(たにがは)へ飛(と)び込(こ)んだ。
282与(よ)『アツ六公(ろくこう)め、283気(き)の早(はや)い奴(やつ)だ、284エヽ俺(おれ)も破(やぶ)れかぶれだ』
285と又(また)もや、286ザンブと身(み)を躍(をど)らして、287青淵(あをふち)目蒐(めが)けて飛(と)び込(こ)んだ。288折(をり)よく流(なが)れ渡(わた)りに向岸(むかふがは)に無事(ぶじ)に這(は)ひ上(あが)る事(こと)を得(え)た。
289六(ろく)『アヽお蔭(かげ)で川(かは)渡(わた)りは成功(せいこう)した。290与太公(よたこう)もやつたのか、291偉(えら)いなア』
292与(よ)『偉(えら)いの偉(えら)くないのつて、293鼻(はな)から口(くち)から、294水(みづ)を充満(いつぱい)飲(の)んだものだから、295息(いき)が止(と)まりさうにあつたよ、296然(しかし)ながら、297斯(こ)うぬれねずみでは、298着物(きもの)が足(あし)に巻(まく)り付(つ)いて歩(ある)く事(こと)も出来(でき)はしない、299一(ひと)つ大圧搾(だいあつさく)をやつて、300荒水(あらみづ)を取(と)つて着替(きか)へて行(ゆ)かうか。301ヤア六公(ろくこう)の奴(やつ)、302早(はや)何処(どこ)かへ行(ゆ)きよつたナ』
303 六公(ろくこう)は一丁(いつちやう)許(ばか)り向(むか)ふの樹(き)の茂(しげ)みから、
304六(ろく)『オーイ、305与太公(よたこう)、306此処(ここ)だ此処(ここ)だ、307オーイ、308弥次公(やじこう)、309勝公(かつこう)、310俺(おれ)は此処(ここ)だヨウ』
311与(よ)『何(なん)だ幽霊(いうれい)の名(な)まで呼(よ)んでゐよる。312冥土(めいど)へ行(い)つた弥次(やじ)、313勝(かつ)と交(ま)ぜて俺(おれ)の名(な)を呼(よ)ばれて堪(たま)るものかい。314顕幽(けんいう)混交(こんかう)だ、315縁起(えんぎ)の悪(わる)い。316併(しか)しながら、317俺(おれ)は三途(せうづ)の川(かは)へ飛(と)び込(こ)んで、318最早(もは)や娑婆(しやば)の人(ひと)ではないのかな。319何(なに)は兎(と)もあれ、320六公(ろくこう)は頻(しき)りに呼(よ)び居(を)るから、321ともかく行(い)つて見(み)やう』
322と独(ひと)り言(ご)ちつつ声(こゑ)を目当(めあ)てに上(のぼ)つて来(く)る。
323与(よ)『ヤア六公(ろくこう)、324どうだ、325目的(もくてき)の主(ぬし)は御(ご)健全(けんぜん)かな』
326六(ろく)『どうやら、327姿(すがた)だけは残(のこ)つてゐるらしいぞ。328何(なん)ぼ呼(よ)んでも、329返事(へんじ)はせないから、330生死(せいし)の程(ほど)は確(たし)かにそれとは計(はか)り兼(か)ねる。331上(あが)つて見(み)やうと思(おも)つた処(ところ)で、332コンナ大木(たいぼく)で、333どうする事(こと)も、334斯(こ)うする事(こと)も出来(でき)やしない、335末期(まつご)の水(みづ)もよう汲(く)んで貰(もら)はずに死(し)んだかと思(おも)へば今更(いまさら)の様(やう)に思(おも)はれて、336俺(おれ)はもう悲(かな)しいわいやい、337アーンアーンアーンアーン』
338与(よ)『何(なに)メソメソ吠面(ほえづら)かわくのだい、339末期(まつご)の水(みづ)はなく共(とも)、340松ケ枝(まつがえ)で死(し)んだのだもの松(まつ)の露(つゆ)位(くらゐ)は飲(の)んで死(し)んだらう、341死(し)んで了(しま)つてから何(なに)を云(い)つたつて仕方(しかた)がない。342これからは、343二人(ふたり)で弥次(やじ)、344勝(かつ)の弔(とむら)ひ合戦(がつせん)をやるのだ、345二人(ふたり)寄(よ)つて四人前(よにんまへ)の働(はたら)きをすれば、346二人(ふたり)の亡者(まうじや)も、347冥(めい)するであらう。348もう斯(こ)うなれば、349追善(つゐぜん)の為(た)めに、350各自(めいめい)が二人前(ににんまへ)の働(はたら)きをするより、351二人(ふたり)の霊(れい)を慰(なぐさ)めてやる方法(はうはふ)は無(な)いワ』
352 松(まつ)の上(うへ)より幽(かす)かな声(こゑ)で、
353弥(や)『オーイ与太公(よたこう)か、354六公(ろくこう)か、355与太六(よたろく)』
356与(よ)『ヤア、357お前(まへ)は弥次彦(やじひこ)か、358勝公(かつこう)か、359死(し)んだらもう仕方(しかた)がない、360後(あと)は俺(おれ)が引受(ひきう)けて女房(にようばう)までも都合(つがふ)宜(よ)う世話(せわ)してやるワ。361迷(まよ)ふな迷(まよ)ふな。362娑婆(しやば)の執着心(しふちやくしん)をサラリと去(さ)つて極楽(ごくらく)参(まゐ)りをしてくれ』
363弥(や)『(小声(こごゑ)で)オイ勝公(かつこう)、364お蔭(かげ)でこの松(まつ)の大木(たいぼく)に助(たす)けられて気(き)が付(つ)いたと思(おも)へば、365与太(よた)、366六(ろく)の奴(やつ)、367俺(おれ)たちを亡者(まうじや)と間違(まちが)へよつて、368アンナ事(こと)を云(い)つて居(ゐ)よる。369一(ひと)つ此処(ここ)まで、370軽業(かるわざ)の芸当(げいたう)をやつたのだから、371このまま下(お)りるのも何(なん)だか、372変哲(へんてつ)がない、373一(ひと)つ亡者(まうじや)の真似(まね)でもして、374一芝居(ひとしばい)やつて見(み)やうかな』
375勝(かつ)『お前(まへ)、376よつぽど腹(はら)の悪(わる)い奴(やつ)だナ、377可愛想(かあいさう)に二人(ふたり)の友達(ともだち)が、378泣声(なきごゑ)を出(だ)して探(さが)しに来(き)て居(ゐ)るのに罪(つみ)な事(こと)をするものぢやないワ』
379弥(や)『それでも勝公(かつこう)、380既(すんで)に既(すんで)に、381俺(おれ)たちを亡者(まうじや)扱(あつか)ひにして居(ゐ)るのだもの、382このまま済(すま)しちや、383折角(せつかく)の芝居(しばゐ)のハネ口(ぐち)が悪(わる)いぢやないか。384ハネ太鼓(だいこ)が鳴(な)るまで一寸(ちよつと)演劇(えんげき)気分(きぶん)になつたらどうだ、385オイ勝公(かつこう)、386お前(まへ)芝居(しばゐ)が下手(へた)なら口上(こうじやう)言(い)ひにならぬか、387拍子木(へうしぎ)の代(かは)りに、388両手(りやうて)を叩(たた)いて、389お客様(きやくさま)に口上(こうじやう)を申上(まをしあ)げるのだ』
390勝(かつ)『さうだ、391一寸(ちよつと)口上(こうじやう)を云(い)つて見様(みやう)かな。392東西(とうざい)々々(とうざい)、393今晩(こんばん)御覧(ごらん)に入(い)れまする狂言(きやうげん)芸題(げいだい)の儀(ぎ)は、394小鹿峠(こしかたうげ)大風(おほかぜ)の段(だん)より三途(せうづ)の川(かは)、395死出(しで)の山(やま)、396脱衣婆(だついばば)に弥次彦(やじひこ)が談判(だんぱん)を試(こころ)みる一条(いちでう)より後(あと)に残(のこ)つた、397与太(よた)、398六(ろく)といふ二人(ふたり)の腰抜(こしぬ)け野郎(やらう)が、399泣面(なきづら)かはいてその後(あと)を尋(たづ)ね、400三途(せうづ)の川(かは)の向岸(むかう)で松(まつ)の大木(たいぼく)の根元(ねもと)において嘆(なげ)き狂(くる)ふ愁歎場(しうたんば)を、401大切(おほぎり)と致(いた)しまして御(ご)高覧(かうらん)に供(きよう)しまする。402何分(なにぶん)遽(にはか)芝居(しばゐ)の事(こと)にございますれば、403神直日(かむなほひ)大直日(おほなほひ)に見直(みなほ)し聞(き)き直(なほ)し、404あれは彼(あ)れ位(くらゐ)の者(もの)、405之(これ)は之(こ)れ位(くらゐ)の者(もの)とお許(ゆる)し下(くだ)さいまして、406お爺(ぢい)サンもお媼(ばあ)サンもお子供(こども)衆(しう)も、407近所(きんじよ)隣(となり)誘(さそ)ひ合(あは)せ賑々(にぎにぎ)しく、408御(ご)来場(らいぢやう)御(ご)観覧(くわんらん)下(くだ)さらむ事(こと)を、409偏(ひとへ)に希(こひねが)ひ上(あ)げ奉(たてまつ)ります、410チヤンチヤン』
411与(よ)『オイ六公(ろくこう)、412世(よ)の中(なか)が変(かは)れば変(かは)るものだな、413芝居(しばゐ)といふものは娑婆(しやば)丈(だ)けのことかと思(おも)へば、414幽界(いうかい)に来(き)ても、415やつぱり芝居(しばゐ)があると見(み)える哩(わい)、416なにほど幽界(いうかい)は淋(さび)しいと云(い)つても、417芝居(しばゐ)さへ見(み)せて呉(く)れれば、418ちつとは気保養(きほやう)も出来(でき)るといふものだ、419変性(へんじやう)男子(なんし)の閻魔(えんま)サンが御(お)代(かは)りになつてからと云(い)ふものは、420地獄(ぢごく)の中(なか)も、421余程(よつぽど)寛大(くわんだい)になつたといふ事(こと)を、422神憑(かむがかり)の口(くち)を通(つう)じて聞(き)いて居(ゐ)たが、423如何(いか)にも変(かは)つたものだ、424民権(みんけん)発達(はつたつ)といふものは、425地獄(ぢごく)の底(そこ)まで影響(えいきやう)を及(およ)ぼし、426今度(こんど)の閻魔(えんま)サンは、427民主(みんしゆ)主義(しゆぎ)になられたと見(み)えるな』
428六(ろく)『与太公(よたこう)、429何(なに)を云(い)ふてゐるのだい、430ここは三途(せうづ)の川(かは)じやないぞ、431小鹿峠(こしかたうげ)の谷間(たにあひ)ぢやないかい、432勝(かつ)の奴(やつ)、433好(い)い気(き)になつて、434アンナ亡者(まうじや)芝居(しばゐ)の真似(まね)をさらしよるのだよ。435莫迦(ばか)莫迦(ばか)しい哩(わい)』
436与(よ)『否々(いやいや)そう早合点(はやがつてん)をするものぢやない、437俺(おれ)も一旦(いつたん)、438谷底(たにそこ)へ飛(と)び込(こ)んだ時(とき)に沢山(たくさん)な水(みづ)を飲(の)んで、439気(き)が遠(とほ)くなり、440大(おほ)きな川(かは)を泳(およ)いだ様(やう)な気(き)がする、441婆(ばば)の姿(すがた)は見(み)えなかつたが何(なん)でも深(ふか)い大(おほ)きな川(かは)だつたよ』
442六(ろく)『惚(とぼ)けない、443今(いま)この川(かは)を渡(わた)つたとこぢやないか、444俺(おれ)は決(けつ)して亡者(まうじや)ではないぞ。445貴様(きさま)も俺(おれ)と一所(いつしよ)に渡(わた)つたのだから、446矢張(やつぱ)り娑婆(しやば)の人間(にんげん)だ。447オイ、448松葉(まつば)天狗(てんぐ)の弥次公(やじこう)、449勝公(かつこう)、450早(はや)く下(お)りて来(こ)ないかい、451ソンナ処(とこ)で目(め)を剥(む)き、452鼻(はな)を剥(む)き、453芝居(しばゐ)をやつて居(ゐ)ると、454真逆(まつさか)様(さま)に顛倒(てんたふ)して、455それこそ今度(こんど)は、456真正(ほんとう)の亡者(まうじや)にならねばならぬぞ。457好(よ)い加減(かげん)に下(お)りて来(こ)ないかい。458貴様(きさま)が仕様(しやう)もない事(こと)を吐(ぬか)すものだから、459与太公(よたこう)の奴(やつ)、460亡者(まうじや)気分(きぶん)になりよつて困(こま)つて了(しま)ふワ』
461弥(や)『(作(つく)り声(ごゑ)して)ウラメシヤー、462無情(むじやう)の風(かぜ)に誘(さそ)はれて、463小鹿峠(こしかたうげ)の十八坂(じふはちさか)の上(うへ)まで来(き)た処(ところ)が、464無惨(むざん)やナー、465花(はな)は半開(はんかい)にして散(ち)り、466月(つき)は半(はん)円(ゑん)にして雲(くも)に包(つつ)まる、467有為(うゐ)転変(てんぺん)の世(よ)の中(なか)とは謂(ゐ)ひ乍(なが)ら、468思(おも)ひもよらぬ冥土(めいど)の旅(たび)、469ま一度(いちど)女房(にようばう)の顔(かほ)が見(み)たい哩(わい)のー。470それに就(つ)いても恨(うら)めしいのは、471なぜ与太公(よたこう)や六公(ろくこう)を冥土(めいど)の旅(たび)に連(つ)れて来(こ)なかつただらう。472三途川(せうづがは)の鬼婆(おにばば)奴(め)の吐(ぬか)す事(こと)には、473貴様(きさま)は友達(ともだち)甲斐(がひ)のない奴(やつ)ぢや、474なぜ与太公(よたこう)、475六公(ろくこう)を見捨(みす)てて来(き)たか、476水臭(みづくさ)い奴(やつ)ぢや、477も一度(いちど)帰(かへ)つて誘(さそ)ふて来(こ)いと吐(ぬか)しよつた。478アヽ仕方(しかた)がない………後(あと)に残(のこ)つた与太公(よたこう)や六公(ろくこう)の奴(やつ)、479弥次彦(やじひこ)勝彦(かつひこ)は情(つれ)ない奴(やつ)ぢや、480何故(なぜ)に俺(おれ)達(たち)を残(のこ)して冥途(めいど)の旅(たび)をしたのかー、481この恨(うら)みは死(し)んでも忘(わす)れは致(いた)さぬと、482小鹿山(こしかやま)の森林(しんりん)で娑婆(しやば)の亡者(まうじや)となつて迷(まよ)ふてゐるぞよ。483早(はや)く貴様(きさま)は娑婆(しやば)の入口(いりぐち)まで引返(ひきかへ)し、484松(まつ)の木(き)の枝(えだ)から、485招(まね)いて来(こ)いと云(い)ひ居(を)つた。486アンナ頑固(ぐわんこ)な腰抜(こしぬ)け野郎(やらう)と、487冥土(めいど)の旅(たび)をしたなれば、488嘸(さぞ)や嘸(さぞ)厄介(やくかい)のかかる事(こと)であらう程(ほど)に、489エヽ三途(せうづ)の川(かは)の鬼婆(おにばば)も聞(きこ)えぬわいのー、490ホーイ ホーイ』
491六(ろく)『コラ弥次公(やじこう)、492何(なに)を誣戯(ふざ)けた真似(まね)をしよるのだい、493死(し)に損(ぞこな)ひ奴(め)が、494早(はや)く下(お)りぬかい』
495与(よ)『オーイ弥次公(やじこう)、496三途(せうづ)の川(かは)の婆(ばば)が何(なん)と云(い)ふたのか知(し)らないけれど、497与太公(よたこう)は娑婆(しやば)で大病(たいびやう)に罹(かか)つて足(あし)が立(た)たぬから暫(しば)らく猶予(いうよ)をしてやつて下(くだ)さいと頼(たの)んで呉(く)れえやい。498俺(おれ)はその代(かは)りに、499貴様(きさま)の冥福(めいふく)を祈(いの)つて、500朝晩(あさばん)に鄭重(ていちよう)な弔(とむら)ひをしてやる程(ほど)に、501何卒(どうぞ)お婆(ば)アサンにその処(ところ)は宜(よろ)しう取做(とりな)しを願(ねが)ふぞやー、502ホーイ ホイホイ』
503六(ろく)『ヤア此奴(こいつ)また怪(あや)しうなつて来(き)たぞ、504与太公(よたこう)は丸(まる)で六道(ろくだう)の辻(つじ)見(み)た様(やう)なものだ、505エヽ糞(くそ)ツ、506面白(おもしろ)くもない、507娑婆(しやば)の幽霊(いうれい)の奴(やつ)が。508オイ弥次公(やじこう)、509勝公(かつこう)よい加減(かげん)に下(お)りぬかい』
510勝(かつ)『ポンポン、511東西(とうざい)々々(とうざい)ただ今(いま)御(ご)高覧(かうらん)に入(い)れましたる一条(いちでう)は、512冥土(めいど)より娑婆(しやば)の亡者(まうじや)迎(むか)への段(だん)、513首尾(しゆび)よくお目(め)に止(と)まりますれば、514次(つぎ)なる一幕(ひとまく)を御覧(ごらん)に入(い)れ奉(たてまつ)りまーす』
515六(ろく)『エヽ、516陰気(いんき)臭(くさ)い。517下(お)りな下(お)りいで宜(よ)いワ、518此処(ここ)に都合(つがふ)の好(よ)い竹竿(たけざを)がある、519之(これ)で貴様(きさま)の尻(しり)をグサと芋(いも)ざしに刺(さ)してやるから左様(さう)思(おも)へ。520オイ与太公(よたこう)、521貴様(きさま)も手伝(てつだ)はぬかい、522たとへ亡者(まうじや)にした処(ところ)で余(あま)りな事(こと)を吐(ぬか)す奴(やつ)だ、523突(つ)いてやるのだ、524恰度(ちやうど)竿(さを)も二本(にほん)ある、525誂(あつら)へ向(むき)に二本(にほん)置(お)いてあるワ、526オイあの尻(けつ)を目蒐(めが)けてグサツと突(つ)くのだぞ』
527弥(や)『アナオソロシヤナー、528アナオカシヤナー、529突(つ)かれたらアナ痛(いた)やナー、530あな畏(かしこ)あなかしこ。531ヒユードロドロドロドロドロ』
532 手(て)を腰(こし)の辺(あた)りにブラリと下(さ)げ、533調子(てうし)に乗(の)つて松(まつ)の小枝(こえだ)をスルスルと歩(ある)いた途端(とたん)に踏(ふ)み外(はづ)してズル ズル ズル ズル ズル ドターン。
534弥(や)『イヽヽイツターイ』
535六(ろく)『流石(さすが)は弥次彦(やじひこ)だ、536空中(くうちう)滑走(くわつそう)をやつて、537御(ご)無事(ぶじ)御(ご)着陸(ちやくりく)、538今度(こんど)はお次(つぎ)の番(ばん)だよ。539勝公(かつこう)も滑走(くわつそう)だ滑走(くわつそう)だ』
540勝(かつ)『東西(とうざい)々々(とうざい)、541只今(ただいま)は弥次彦(やじひこ)が幽霊(いうれい)となつて中空(ちうくう)を浮遊(ふいう)し松(まつ)の根元(ねもと)に着陸(ちやくりく)いたしました。542滑走(くわつそう)の芸当(げいたう)、543お目(め)に止(と)まりましたなれば、544皆(みな)サンお手(て)を拍(う)つて御(ご)喝采(かつさい)を願(ねが)ひまーす』
545六(ろく)『コラ勝公(かつこう)、546弥次彦(やじひこ)が腰(こし)を抜(ぬ)いて冥土(めいど)旅行(りよかう)をしかけて居(ゐ)るのに何(なに)をグズグズやつて居(ゐ)るのだ。547好(よ)い加減(かげん)に下(お)りて来(こ)ぬかい』
548勝(かつ)『東西(とうざい)々々(とうざい)、549これから第三段(だいさんだん)目(め)も御覧(ごらん)に入(い)れまーす。550飛行機(ひかうき)に乗(の)つて勝彦(かつひこ)の無事(ぶじ)着陸(ちやくりく)、551お目(め)に止(と)まりますれば今晩(こんばん)は之(こ)れにて、552千秋楽(せんしうらく)と致(いた)しまする』
553と云(い)ふより早(はや)く、554コンモリとした松(まつ)の小枝(こえだ)より傍(かたはら)の竹(たけ)の心(しん)を目蒐(めが)けて飛(と)び付(つ)いた。555竹(たけ)は満月(まんげつ)の如(ごと)く弓(ゆみ)となつてフウワリと大地(だいち)に勝公(かつこう)を下(お)ろした。
556勝(かつ)『お蔭(かげ)で命(いのち)だけは、557どうやら、558此方(こつち)の者(もの)になつたらしいと思(おも)ひます。559藪竹(やぶたけ)サン、560左様(さやう)なら』
561と掴(つか)んだ竹(たけ)を離(はな)せば、562竹(たけ)は唸(うな)りを立(た)てて立(た)ち直(なほ)る。
563弥(や)『オイ与太公(よたこう)、564貴様(きさま)こそ本真物(ほんまもの)か』
565与(よ)『何(なん)だか生死(せいし)不明(ふめい)の境涯(きやうがい)だ』
566六(ろく)『エヽ困(こま)つた奴(やつ)と道連(みちづ)れをしたものだワイ』
567弥(や)『アヽどうやら腰(こし)が抜(ぬ)けたのでは無(な)かつたさうだ、568アハヽヽヽヽヽ』
569勝(かつ)『吾々(われわれ)は不都合(ふつがふ)な芸当(げいたう)を御覧(ごらん)に入(い)れましたにも抱(かか)はらず、570神妙(しんめう)に御覧(ごらん)下(くだ)さいまして、571勧進元(くわんじんもと)は申(まを)すに及(およ)ばず役者(やくしや)一同(いちどう)有難(ありがた)く御(おん)礼(れい)申上(まをしあ)げます、572また御(お)暇(ひま)がございましたら、573来年(らいねん)の春(はる)、574また一座(いちざ)を引(ひ)きつれて皆(みな)サンにお目(め)に掛(かか)らうやも知(し)れませぬから、575永当(えいたう)々々(えいたう)、576倍旧(ばいきう)の御(ご)贔屓(ひいき)を偏(ひとへ)に二重(ふたへ)に七重(ななへ)の膝(ひざ)を八重(やへ)に折(を)り、577かしこみかしこみ願(ねが)ひ上(あ)げ奉(たてまつ)ると申(まを)す、578惟神(かむながら)霊(たま)幸倍(ちはへ)坐世(ませ)惟神(かむながら)霊(たま)幸倍(ちはへ)坐世(ませ)』
579一同(いちどう)『アハヽヽヽヽ、580お目出度(めでた)いお目出度(めでた)い、581甦(よみがへ)つた甦(よみがへ)つた、582千秋(せんしう)万歳(ばんざい) 万々歳(ばんばんざい)』
583(大正一一・三・二四 旧二・二六 藤津久子録)
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