霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
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第一三章 愛流川(あいるがは)〔八三五〕

インフォメーション
著者:出口王仁三郎 巻:霊界物語 第29巻 海洋万里 辰の巻 篇:第3篇 神鬼一転 よみ(新仮名遣い):しんきいってん
章:第13章 愛流川 よみ(新仮名遣い):あいるがわ 通し章番号:835
口述日:1922(大正11)年08月12日(旧06月20日) 口述場所: 筆録者:松村真澄 校正日: 校正場所: 初版発行日:1923(大正12)年9月3日
概要: 舞台: あらすじ[?]このあらすじはMさん作成です(一部加筆訂正してあります)。一覧表が「王仁DB」にあります。[×閉じる]:
一行は広い大原野を横切り、ようやく樹木がやや茂る地点までやってきた。ここには相当に広い清い川が流れていた。そこに草蓑をつけた七十ばかりの婆さんがやってきた。このような人跡まれな場所で三人が不審に思っていると、婆さんは三人を手招きして小さな草葺の小屋に姿を隠した。
三人が庵を訪ねると、婆さんは、連れ合いの爺が天刑病で村に居ることができずにこんな外れの地で看病をして暮らしているのだ、と答えた。そして四五日以前からの夢で、三五教の宣伝使がやってくるからその方を頼れと女神の御告げがあるのだという。
婆は御告げでは宣伝使に病人の体の膿をすっかり吸い取ってもらえば病は全快するのだという。高姫はその話を聞いて快諾し、病人の前に案内されると天津祝詞を奏上して、爺の膿を吸出し始めた。
すると爺は跳ね起きて妙齢の美しい女神の姿を現した。女神は天教山の木花姫命の化身だと名乗り、高姫の心を見届けたと告げ、今後もくれぐれも慢心するなと気をつけた。三人が気付くとあばら屋も何もなく、アイル河の川辺で居眠りをしていた。
三人はまったく同じ夢を見ていた。一行は神様のお気付けに感謝し、高姫は感謝の合掌をした。春彦と常彦は、御魂の系統や日の出神の生き宮と高姫を持ち上げるが、高姫はすっかり謙譲の心になり、働きによって示すのだと神徳を示した。
一行はアイル河が幅広く橋も無いのでどうやって渡ろうかと思案に暮れていた。高姫が一生懸命に祈願を凝らすと、どこともなく大小の鰐がやってきて橋をかけた。三人は無事にアイル河を渡ることができた。
宣伝歌を歌いながら原野を進んで行くと、今度は大湖水に行き当たった。高姫は、また神様に祈って鰐の橋をかけてもらうとご眷属様にご苦労をかけると、左回りに湖を迂回して進むことになった。一里ばかり進んだ椰子樹の森で、三人は休息を取って一夜を明かすことにした。
主な登場人物[?]【セ】はセリフが有る人物、【場】はセリフは無いがその場に居る人物、【名】は名前だけ出て来る人物です。[×閉じる]: 備考: タグ: データ凡例: データ最終更新日:2021-12-30 18:11:11 文字数:6726 OBC :rm2913
愛善世界社版:185頁 八幡書店版:第5輯 533頁 修補版: 校定版:190頁 普及版:86頁 初版: ページ備考:
001 高姫(たかひめ)は常彦(つねひこ)、002春彦(はるひこ)と共(とも)にアルゼンチンの大原野(だいげんや)、003櫟(くぬぎ)ケ原(はら)を東(ひがし)へ東(ひがし)へと進(すす)み行(ゆ)く。004アルの港(みなと)迄(まで)は殆(ほとん)ど三百(さんびやく)七八十(しちはちじふ)里(り)もある。005何程(なにほど)あせつても一(いつ)ケ月(げつ)の日数(につすう)を費(つひ)やさねば、006アルの港(みなと)へは行(ゆ)かれない。007沢山(たくさん)の蜥蜴(とかげ)のノロノロと這(は)つてゐる草野原(くさのはら)を、008萱(かや)の株(かぶ)を右(みぎ)に左(ひだり)に潜(くぐ)りつつ、009天恵(てんけい)的(てき)に野辺(のべ)一面(いちめん)に赤(あか)くなつて稔(みの)つて居(ゐ)る味(あぢ)の良(よ)き苺(いちご)を食(く)ひ乍(なが)ら、010草(くさ)の枕(まくら)も五(いつ)つ六(むつ)つ重(かさ)ねて、011稍(やや)樹木(じゆもく)の茂(しげ)れる地点(ちてん)迄(まで)出(で)て来(き)た。
012 此処(ここ)には相当(さうたう)に広(ひろ)い河(かは)が清(きよ)く流(なが)れて居(ゐ)た。013河(かは)の岸(きし)には行儀(ぎやうぎ)よく大王松(だいわうまつ)や、014樫(かし)などが生(は)えて居(ゐ)る。015河辺(かはべ)には桔梗(ききやう)の花(はな)女郎花(をみなへし)の花(はな)などが時(とき)ならず咲(さ)き乱(みだ)れてゐた。016丁度(ちやうど)内地(ないち)の秋(あき)の草野(くさの)の如(や)うであつた。017三(さん)人(にん)は河(かは)の辺(ほとり)に下(お)り立(た)ち、018清泉(せいせん)に喉(のど)をうるほし、019あたりの風景(ふうけい)を眺(なが)めて、020過来(すぎこ)し方(かた)の蜥蜴(とかげ)や虻(あぶ)、021蜂(はち)、022金蠅(きんばへ)のうるさかつたこと、023苺(いちご)の味(あぢ)の美味(びみ)なりしと、024黄(き)紅(くれなゐ)青(あを)白(しろ)紫(むらさき)其(その)他(た)いろいろの美(うる)はしき草花(くさばな)の処(ところ)狭(せ)きまで咲(さ)き満(み)ちて、025旅情(りよじやう)を慰(なぐさ)めてくれたことなどを追懐(つゐくわい)し、026神(かみ)の恩恵(おんけい)の深(ふか)きを感謝(かんしや)しつつあつた。
027 其処(そこ)へのそりのそりと草蓑(くさみの)を着(つ)け、028編笠(あみがさ)を被(かぶ)り、029竹(たけ)の杖(つゑ)をついた七十(しちじふ)許(ばか)りの婆(ばば)アがやつて来(き)た。030三(さん)人(にん)は……ハテ斯様(かやう)な所(ところ)に人(ひと)が住(す)んで居(ゐ)るのかなア……と不審相(ふしんさう)に、031婆(ばば)アの顔(かほ)を眺(なが)め入(い)つた。032婆(ばば)アは三(さん)人(にん)を手招(てまね)きし乍(なが)ら、033一二丁(いちにちやう)上手(かみて)の小(ちい)さき草葺(くさぶき)の家(いへ)に身(み)を隠(かく)した。
034常彦(つねひこ)『モシ高姫(たかひめ)さま、035あの婆(ばば)アは何(なん)でせうなア。036あの松(まつ)の木(き)の根元(ねもと)の小(ちい)さな家(いへ)へ這入(はい)つて了(しま)ひましたが、037吾々(われわれ)三(さん)人(にん)を嬉(うれ)し相(さう)な顔(かほ)して手招(てまね)きして居(ゐ)たぢやありませぬか。038何(なん)でもあの婆(ばば)アの配偶者(つれあひ)が病気(びやうき)にでも罹(かか)つて居(を)るので、039吾々(われわれ)を頼(たの)みに来(き)たのかも知(し)れませぬよ。040何(なに)は兎(と)もあれ一寸(ちよつと)立寄(たちよ)つて見(み)やうではありませぬか』
041高姫(たかひめ)『あゝあ、042玉公(たまこう)、043竜公(たつこう)に別(わか)れてから、044今日(けふ)が日(ひ)迄(まで)六日(むゆか)の間(あひだ)、045人(ひと)の姿(すがた)を見(み)たことはなかつたが、046今日(けふ)は珍(めづら)しい、047人間(にんげん)に会(あ)ふことが出来(でき)ました。048兎(と)も角(かく)あの婆(ばば)アの庵(いほり)迄(まで)往(い)つて見(み)ませう。049併(しか)し乍(なが)ら神(かみ)様(さま)が如何(どう)して御(お)試(ため)しなさるか分(わか)りませぬから、050決(けつ)して腹(はら)を立(たて)てはなりませぬよ』
051常彦(つねひこ)『ハイ承知(しようち)致(いた)しました。052絶対(ぜつたい)に腹(はら)などは立(た)てませぬワ。053安心(あんしん)して下(くだ)さい。054……なア春彦(はるひこ)、055お前(まへ)もさうだろな』
056春彦(はるひこ)『ウン、057私(わたし)もその通(とほ)りだ。058高姫(たかひめ)さま、059サア参(まゐ)りませう』
060 三(さん)人(にん)は漸(やうや)くにして婆(ばば)アの庵(いほり)に着(つ)いた。061婆(ばば)アは嬉(うれ)しさうに三(さん)人(にん)を出迎(でむか)へ、
062婆『これはこれは三五教(あななひけう)の宣伝使(せんでんし)様(さま)、063能(よ)うこそ斯様(かやう)な醜(みにく)い茅屋(あばらや)を御(お)訪(たづ)ね下(くだ)さいました。064就(つ)いては折入(をりい)つて御(お)頼(たの)み申(まを)したい事(こと)が御座(ござ)いますのぢや。065何(なん)と人(ひと)を一人(ひとり)助(たす)けると思(おも)うて、066お聞(き)き下(くだ)さる訳(わけ)には参(まゐ)りますまいかなア』
067高姫(たかひめ)『ハイ妾(わたし)達(たち)の力(ちから)に叶(かな)ふことならば、068如何様(いかやう)なことなり共(とも)仰有(おつしや)つて下(くだ)さいませ』
069婆(ばば)『それは早速(さつそく)の御(ご)承知(しようち)、070有難(ありがた)う御座(ござ)います。071実(じつ)の所(ところ)は宅(うち)の爺(おやぢ)さまは最早(もはや)八十(はちじふ)の坂(さか)を七(なな)つも越(こ)え、072来年(らいねん)は桝掛(ますかけ)の祝(いは)ひをせうと思(おも)うて、073孫(まご)や子供(こども)が楽(たのし)んで居(を)りましたが、074とうとう今年(ことし)の春(はる)頃(ごろ)から、075人(ひと)の嫌(いや)がる病気(びやうき)に取付(とりつ)き、076あの爺(ぢい)は天刑病(てんけいびやう)だから、077村(むら)には置(お)くことは出来(でき)ぬと云(い)つて、078此(この)様(やう)な一軒家(いつけんや)の淋(さび)しい川(かは)の畔(ほとり)に形(かたち)ばかりの家(いへ)を造(つく)り、079雨露(うろ)を凌(しの)ぎ乍(なが)ら、080年(とし)の老(と)つた婆(ばば)アが介抱(かいほう)を致(いた)して居(を)りまする。081いろいろと百草(ひやくさう)を集(あつ)め、082薬(くすり)を拵(こしら)へて呑(の)ましたり、083附(つ)けたり致(いた)しましたが、084病(やまひ)は日(ひ)に日(ひ)に重(おも)る計(ばか)り、085体(からだ)はずるけ、086何(なん)とも言(い)へぬ臭(くさ)い匂(にほ)ひが致(いた)し、087沢山(たくさん)蠅(はへ)が止(と)まつて、088女房(にようばう)の妾(わたし)が見(み)てさへもゾゾ髪(かみ)が立(た)ちまする。089併(しか)し乍(なが)ら、090四五(しご)日(にち)以前(いぜん)から妙(めう)な夢(ゆめ)を続(つづ)けて見(み)ますのぢや。091其(その)夢(ゆめ)と申(まを)すのは、092あのアイル河(がは)の畔(ほとり)に三五教(あななひけう)の宣伝使(せんでんし)が現(あら)はれて来(く)るから、093其(その)お方(かた)を頼(たの)んで癒(なほ)して頂(いただ)けとの女神(めがみ)さまの夢(ゆめ)のお告(つ)げ、094それが又(また)毎晩(まいばん)々々(まいばん)同(おな)じ夢(ゆめ)を、095昨夜(ゆうべ)で五(い)つ夜(よ)さも見(み)まするので、096此(この)茅屋(あばらや)から翡翆(かはせみ)の様(やう)に川(かは)計(ばか)り眺(なが)めて待(ま)つて居(を)りました。097所(ところ)が神(かみ)様(さま)の仰有(おつしや)つた通(とほ)り、098三人(さんにん)連(づ)れで立派(りつぱ)な宣伝使(せんでんし)様(さま)が御(お)越(こ)しになり、099川(かは)でお休(やす)みになつてる其(その)姿(すがた)を拝(をが)んだ時(とき)の嬉(うれ)しさ、100思(おも)はず熱(あつ)い涙(なみだ)がこぼれました。101就(つ)いては神(かみ)様(さま)の仰(あふ)せには、102此(この)ずるけた病気(びやうき)でも、103三五教(あななひけう)の宣伝使(せんでんし)がやつて来(き)て、104体(からだ)の汁(しる)や膿(うみ)を、105スツカリ舐(な)めて呉(く)れたならば、106其(その)場(ば)で全快(ぜんくわい)すると仰有(おつしや)いました。107誠(まこと)にかやうな事(こと)を御(お)願(ねがひ)申(まを)すは畏(おそれおほ)いことで御座(ござ)いますが、108神(かみ)様(さま)の夢(ゆめ)のお告(つ)げで御座(ござ)いますから、109お気(き)に障(さわ)るか存(ぞん)じませぬが、110一寸(ちよつと)申上(まをしあ)げました』
111 高姫(たかひめ)暫(しばら)く差(さ)し俯(うつ)むいて腕(うで)を組(く)み、112考(かんが)へて居(ゐ)たが、
113高姫(たかひめ)『あゝ宜(よろ)しい宜(よろ)しい、114どんな膿(うみ)でも汁(しる)でも、115御(ご)註文(ちうもん)通(どほ)り吸(す)ひ取(と)つて上(あ)げませう。116竜宮(りうぐう)の一(ひと)つ島(じま)で、117初稚姫(はつわかひめ)や玉能姫(たまのひめ)の一行(いつかう)が、118癩病(らいびやう)患者(くわんじや)の膿血(うみち)を吸(す)うて助(たす)けた例(ため)しもある。119サアお爺(ぢい)さまのお座敷(ざしき)へ案内(あんない)して下(くだ)さいませ』
120婆(ばば)『ハイ有難(ありがた)う、121案内(あんない)しませう』
122と立(たち)あがり、123奥(おく)の間(ま)へ進(すす)んで行(ゆ)く。124奥(おく)の間(ま)と云(い)つても只(ただ)萱草(かやくさ)の壁(かべ)を仕切(しき)つた丈(だけ)で、125二間(ふたま)作(づく)りの小(ちい)さき家(いへ)であつた。126常彦(つねひこ)、127春彦(はるひこ)も高姫(たかひめ)と共(とも)に奥(おく)の間(ま)に従(つ)いて行(ゆ)く。128見(み)れば金色(きんいろ)の蠅(はへ)が真黒(まつくろ)にたかつて居(ゐ)る。129爺(ぢい)は仰向(あふむ)けに骨(ほね)と皮(かは)とになつて、130体(からだ)一面(いちめん)膿(うみ)汁(しる)を流(なが)し、131蠅(はへ)に吸(す)はれた儘(まま)、132半死(はんし)半生(はんしやう)の態(てい)で苦(くる)しんで居(ゐ)る。133高姫(たかひめ)は直(ただち)に天津(あまつ)祝詞(のりと)を奏上(そうじやう)するや、134数多(あまた)の金蠅(きんばい)は一匹(いつぴき)も残(のこ)らず、135ブンブンと唸(うな)りを立(た)てて、136窓(まど)の外(そと)へ逃出(にげだ)して了(しま)つた。137高姫(たかひめ)は爺(ぢい)の体(からだ)に口(くち)を当(あ)て、138胸(むね)の辺(あた)りから膿血(うみち)を吸(す)ひ始(はじ)めた。139常彦(つねひこ)は足(あし)から、140春彦(はるひこ)は頭(あたま)から、141汚(きた)な相(さう)にもせず、142此(この)爺(ぢい)さまを助(たす)けたい一杯(いつぱい)に、143吾(わ)れを忘(わす)れて、144臭気(しうき)紛々(ふんぷん)たる膿(うみ)汁(しる)を平気(へいき)で吸(す)うて居(ゐ)る。
145 爺(ぢ)イは『ウン』と云(い)つて撥(は)ね起(お)来(き)た。146見(み)れば不思議(ふしぎ)や、147紫摩(しま)黄金(わうごん)の肌(はだ)を現(あら)はしたる妙齢(めうれい)の美人(びじん)となり、
148美人(びじん)『ヤア高姫(たかひめ)、149汝(なんぢ)の心底(しんてい)見届(みとど)けたり。150我(わ)れこそは天教山(てんけうざん)に鎮(しづ)まる木(こ)の花姫(はなひめの)命(みこと)の化身(けしん)なるぞ。151いよいよ汝(なんぢ)は是(こ)れより天晴(あつぱ)れ神柱(かむばしら)として神業(しんげふ)に仕(つか)ふることを得(う)るであらう。152まだまだ幾回(いくくわい)となく神(かみ)の試(ため)しに会(あ)ふことあらむ。153そこを切抜(きりぬ)けなば、154真(まこと)の汝(なんぢ)の肉体(にくたい)は日(ひ)の出神(でのかみ)の生宮(いきみや)となりて仕(つか)ふるも難(かた)き事(こと)にあらざるべし。155必(かなら)ず慢心(まんしん)してはなりませぬぞ。156又(また)常彦(つねひこ)、157春彦(はるひこ)も三五教(あななひけう)の教(をしへ)を間違(まちが)はない様(やう)に、158不言(ふげん)実行(じつかう)を第一(だいいち)とするが宜(よろ)しいぞ。159木(こ)の花姫(はなひめ)が三(さん)人(にん)の為(ため)に斯(かく)の如(ごと)く仕組(しぐ)んだのであるから、160必(かなら)ず今後(こんご)とても油断(ゆだん)を致(いた)してはなりませぬぞや』
161 高姫(たかひめ)外(ほか)二人(ふたり)は『ハイ』と答(こた)へて平伏(へいふく)した。
162 何処(いづこ)よりともなく、163香(かん)ばしき匂(にほ)ひ薫(くん)じ来(きた)り音楽(おんがく)の響(ひび)き嚠喨(りうりやう)として冴(さ)え渡(わた)り、164涼(すず)しき風(かぜ)は窓(まど)を通(とほ)して、165三(さん)人(にん)の面(おもて)を払(はら)ふ。
166 不図(ふと)頭(かうべ)をあぐれば、167こは如何(いか)に、168茅屋(あばらや)もなければ、169爺婆(ぢいばば)の姿(すがた)も女神(めがみ)の姿(すがた)もなく、170依然(いぜん)として、171河(かは)の辺(ほとり)にウツラウツラと昼船(ひるふね)を漕(こ)いで居(ゐ)た。
172 高姫(たかひめ)は吐息(といき)をつき乍(なが)ら、
173高姫(たかひめ)『あゝ今(いま)のは夢(ゆめ)であつたか、174大変(たいへん)な結構(けつこう)な御(お)神徳(かげ)を夢(ゆめ)の中(なか)で頂(いただ)きました。175夢(ゆめ)なればこそ、176あんな事(こと)が出来(でき)たのだらう。177イヤイヤ実際(じつさい)にあの心(こころ)にならなくてはなりますまい。178あゝ有難(ありがた)い有難(ありがた)い』
179と切(しき)りに独言(ひとりごと)を云(い)つて居(ゐ)る。
180常彦(つねひこ)『高姫(たかひめ)さま、181私(わたし)も夢(ゆめ)を見(み)ましたよ。182随分(ずゐぶん)虫(むし)のよい夢(ゆめ)でした。183春彦(はるひこ)と三(さん)人(にん)、184それはそれは汚(きたな)い病人(びやうにん)の介抱(かいほう)をさせられ、185膿血(うみち)を吸(す)はされましたが、186何(なん)ともかとも知(し)れぬ甘露(かんろ)の様(やう)な味(あぢ)がして、187夢中(むちう)になつて吸(す)ひ付(つ)いて居(ゐ)ると、188汚(きたな)い爺(ぢい)だと思(おも)つたら、189天教山(てんけうざん)の木(こ)の花(はな)咲耶姫(さくやひめ)様(さま)、190醜(しう)の極端(きよくたん)から美(び)の極端(きよくたん)迄(まで)見(み)せて頂(いただ)きました。191……高姫(たかひめ)さま、192貴女(あなた)もさういふ夢(ゆめ)でしたか、193……春彦(はるひこ)、194お前(まへ)の夢(ゆめ)は如何(どう)だつたい』
195春彦(はるひこ)『イヤもうチツトも違(ちが)ひはない。196三(さん)人(にん)が三(さん)人(にん)乍(なが)ら同様(どうやう)の夢(ゆめ)を見(み)たと見(み)える。197不思議(ふしぎ)なこともあるものだなア。198あの汚(きたな)い病人(びやうにん)はキツと俺(おれ)達(たち)の心(こころ)の映像(えいざう)かも知(し)れないよ。199あの如(や)うな汚(きたな)いむさくるしい吾々(われわれ)の身魂(みたま)を、200木(こ)の花(はな)咲耶姫(さくやひめの)大神(おほかみ)様(さま)が、201俺(おれ)達(たち)が病人(びやうにん)の膿血(うみち)を吸(す)うた様(やう)に、202身魂(みたま)の汚(けが)れを吸(す)ひ取(と)つて下(くだ)さるに違(ちが)ひないワ。203あゝ実(じつ)に畏(おそれおほ)いことだ。204コリヤキツと人(ひと)のこつちやない、205吾々(われわれ)の魂(みたま)を見(み)せて戴(いただ)いたのだらうよ。206なア高姫(たかひめ)さま、207さうぢや御座(ござ)いますまいか』
208高姫(たかひめ)『それはさうに間違(まちがひ)御座(ござ)いませぬワ。209神(かみ)様(さま)から御覧(ごらん)になつたら、210妾(わたし)の身魂(みたま)は汚(けが)れ腐(くさ)り、211ズルケかけて居(ゐ)るでせう。212あゝ惟神(かむながら)霊(たま)幸倍(ちはへ)坐世(ませ)。213諸々(もろもろ)の罪穢(つみけが)れを払(はら)ひ玉(たま)ひ清(きよ)め玉(たま)へ』
214と一生(いつしやう)懸命(けんめい)に俄(にはか)に合掌(がつしやう)する。
215常彦(つねひこ)『高姫(たかひめ)さま、216貴女(あなた)は何(なん)と云(い)つても、217変性(へんじやう)男子(なんし)の系統(ひつぽう)だから、218汚(けが)れたと云(い)つても、219ホンの一寸(ちよつと)したものですよ。220あの汚(けが)れやうは吾々(われわれ)の身魂(みたま)の映写(えいしや)に違(ちがひ)ありませぬ』
221高姫(たかひめ)『モウ変性(へんじやう)男子(なんし)の系統(ひつぽう)などと言(い)つて下(くだ)さるな。222妾(わたし)のやうな者(もの)を系統(ひつぽう)だなぞと申(まを)さうものなら、223それこそ変性(へんじやう)男子(なんし)様(さま)の御(ご)神徳(しんとく)を傷(きず)つけます。224此(この)後(ご)は決(けつ)して変性(へんじやう)男子(なんし)の系統(ひつぽう)なぞとは申(まを)しませぬから、225あなたもどうぞ、226其(その)積(つも)りで居(を)つて下(くだ)さい』
227春彦(はるひこ)『それでも事実(じじつ)はヤツパリ事実(じじつ)だから仕方(しかた)がありませぬワ』
228高姫(たかひめ)『系統(ひつぽう)なら系統(ひつぽう)丈(だけ)の行(おこな)ひが出来(でき)なくては恥(はづ)かしう御座(ござ)います。229妾(わたし)が天晴(あつぱ)れと改心(かいしん)が出来(でき)、230誠(まこと)が天(てん)に通(つう)じ、231大神(おほかみ)さまから、232系統(ひつぽう)丈(だけ)の事(こと)あつて、233何(なに)から何(なに)まで行(おこな)ひが違(ちが)ふ、234誠(まこと)の鑑(かがみ)ぢや……と仰有(おつしや)つて下(くだ)さるまでは、235妾(わたし)は系統(ひつぽう)所(どころ)ぢやありませぬ。236変性(へんじやう)男子(なんし)様(さま)の御(お)徳(とく)を傷(きず)つける様(やう)な者(もの)ですから、237どうぞ暫(しばら)く系統(ひつぽう)呼(よば)はりは止(や)めて下(くだ)さいませ』
238春彦(はるひこ)『変(かは)れば変(かは)るものですな。239毎日(まいにち)日日(ひにち)系統(ひつぽう)々々(ひつぽう)の連発(れんぱつ)を御(お)やり遊(あそ)ばしたが、240改心(かいしん)と云(い)ふものは恐(おそ)ろしいものだなア。241そんなら私(わたし)も是(これ)から貴女(あなた)に対(たい)し、242態度(たいど)を変(か)へませう』
243高姫(たかひめ)『ハイ妾(わたし)からも変(か)へますから、244どうぞ上下(うへした)なしに、245教(をしへ)の道(みち)の姉弟(けうだい)として交際(つきあ)つて下(くだ)さい。246今迄(いままで)のやうに弟子(でし)扱(あつかひ)をしたり、247家来(けらい)扱(あつかひ)は決(けつ)して致(いた)しませぬ』
248常彦(つねひこ)『私(わたし)も其(その)積(つも)りで交際(かうさい)さして頂(いただ)きます。249併(しか)し日(ひ)の出神(でのかみ)の生宮(いきみや)の件(けん)は如何(どう)なさいましたか』
250高姫(たかひめ)『モウどうぞそんな事(こと)は云(い)うて下(くだ)さいますな。251日(ひ)の出神(でのかみ)さま所(どころ)か、252金毛(きんまう)九尾(きうび)が、253妾(わたし)の肉体(にくたい)に憑(つ)いてをつて、254あんな事(こと)を言(い)はしたり、255慢心(まんしん)をさしたのですよ。256櫟(くぬぎ)ケ原(はら)の白楊樹(はくようじゆ)の下(した)で、257スツカリ妾(わたし)の肉体(にくたい)から正体(しやうたい)を現(あら)はして脱(ぬ)けて出(で)ました。258それ故(ゆゑ)、259今日(こんにち)の妾(わたし)は誠(まこと)の神(かみ)様(さま)の生宮(いきみや)でもなければ、260悪神(あくがみ)の巣窟(さうくつ)でも御座(ござ)いませぬ。261これから、262本(ほん)守護神(しゆごじん)にしつかりして頂(いただ)いて、263天晴(あつぱ)れ神(かみ)様(さま)の御用(ごよう)に立(た)たねばなりませぬ』
264常彦(つねひこ)『あゝそれは結構(けつこう)ですな。265私(わたし)がアリナ山(ざん)の頂(いただ)きから東(ひがし)の方(はう)を眺(なが)めて居(を)りましたら、266櫟(くぬぎ)ケ原(はら)から、267金毛(きんまう)九尾(きうび)の悪狐(あくこ)が、268黒雲(くろくも)に乗(の)り、269常世(とこよ)の国(くに)の方(はう)を目蒐(めが)けて、270エライ勢(いきほひ)で逃(に)げて行(ゆ)きました。271大方(おほかた)あの時(とき)に貴女(あなた)の肉体(にくたい)から退散(たいさん)したのでせう』
272高姫(たかひめ)『あゝさうでしたか。273恐(おそ)ろしいものですなア。274妾(わたし)の肉体(にくたい)を離(はな)れる時(とき)にチラツと姿(すがた)を見(み)せましたが、275それはそれは立派(りつぱ)な八畳(はちじやう)の間(ま)一杯(いつぱい)になる様(やう)な長(なが)い裲襠(うちかけ)を着(き)て真白(まつしろ)な顔(かほ)を致(いた)し、276ヌツと妾(わたし)の前(まへ)に立(た)ちましたから、277……おのれ金毛(きんまう)九尾(きうび)の悪狐(あくこ)奴(め)と睨(にら)みますと、278忽(たちま)ち金毛(きんまう)九尾(きうび)となり、279尾(を)の先(さき)に孔雀(くじやく)の尾(を)の玉(たま)のやうな光(ひか)つた物(もの)を沢山(たくさん)につけて天(てん)へ舞上(まひのぼ)り、280北(きた)の空(そら)目蒐(めが)けて逃(に)げて行(ゆ)きました。281大方(おほかた)其(その)時(とき)の事(こと)を御覧(ごらん)になつたのでせう。282あゝ恐(おそ)ろしい、283ゾツとして来(き)ました。284惟神(かむながら)霊(たま)幸倍(ちはへ)坐世(ませ)惟神(かむながら)霊(たま)幸倍(ちはへ)坐世(ませ)』
285常彦(つねひこ)『時(とき)に高姫(たかひめ)さま、286此(この)大河(おほかは)を如何(どう)して渡(わた)りませうか。287橋(はし)もなし仕方(しかた)がないぢやありませぬか。288翼(つばさ)があれば飛(と)んで行(ゆ)けますが、289此(この)広(ひろ)い深(ふか)い流川(ながれがは)、290而(しか)も急流(きふりう)と来(き)て居(を)るのだから、291泳(およ)ぐ訳(わけ)にも行(ゆ)かず、292困(こま)つたものですワ。293如何(どう)しませう』
294高姫(たかひめ)『神(かみ)様(さま)に御(お)願(ねがひ)するより途(みち)はありませぬ。295これも一(ひと)つは神(かみ)様(さま)のお試(ため)しに会(あ)うとるのですよ。296兎(と)も角(かく)神(かみ)を力(ちから)に誠(まこと)を杖(つゑ)に、297渡(わた)つて見(み)ませう。298惟神(かむながら)霊(たま)幸倍(ちはへ)坐世(ませ)惟神(かむながら)霊(たま)幸倍(ちはへ)坐世(ませ)』
299と高姫(たかひめ)は一生(いつしやう)懸命(けんめい)に川(かは)の面(おも)に向(むか)つて祈願(きぐわん)をこらした。300不思議(ふしぎ)や幾丈(いくぢやう)とも分(わか)らぬ大(だい)の鰐(わに)数多(あまた)重(かさ)なり来(きた)り、301見(み)る見(み)る間(うち)に鰐橋(わにばし)を架(か)けた。302三(さん)人(にん)は天(てん)の与(あた)へと雀躍(こをどり)し『惟神(かむながら)霊(たま)幸倍(ちはへ)坐世(ませ)』を一心(いつしん)に唱(とな)へ乍(なが)ら、303鰐(わに)の背(せ)を踏(ふ)み越(こ)え踏(ふ)み越(こ)え、304漸(やうや)くにして向(むか)うの岸(きし)に達(たつ)した。
305常彦(つねひこ)『あゝ有難(ありがた)い、306おかげで楽(らく)に渡(わた)して貰(もら)うた。307斯(か)うなつて見(み)ると、308余(あま)り鰐(わに)さまの悪(わる)い事(こと)も言(い)へませぬな』
309高姫(たかひめ)『ホヽヽヽヽ』
310春彦(はるひこ)『祝部(はふりべ)の神(かみ)さまが、311どこやらの海(うみ)を渡(わた)る時(とき)に仰有(おつしや)つたぢやないか。312鰐(わに)が無(な)[※御校正本・愛世版では「無(む)」だが、校定版・八幡版では「悪(わる)」に直している。]けりや、313甘鯛鱒(あまだいます)から蟹(かに)して下(くだ)さい、314ギニシイラねばドブ貝(がひ)なとしなさい……とか何(なん)とか云(い)つて、315魚尽(うをづく)しを唄(うた)はれたといふ事(こと)が、316霊界(れいかい)物語(ものがたり)に書(か)いてあつただらう[※第5巻第38章参照]』
317常彦(つねひこ)『ソリヤお前(まへ)違(ちが)ふぢやないか、318鰐(わに)が悪(わる)けりや……だない、319鰐(わに)に悪(わる)けりや、320甘鯛鱒(あまだいます)からと云(い)ふのだ。321甘鯛鱒(あまだいます)とは魚(さかな)の名(な)だが、322実際(じつさい)は謝罪(あやま)りますと云(い)ふことを、323魚(さかな)にもぢつたのだよ。324アハヽヽヽ』
325高姫(たかひめ)『サア皆(みな)さま、326行(ゆ)きませう』
327と先(さき)に立(た)つて、328青草(あをくさ)の茂(しげ)れる野(の)を東(ひがし)へ東(ひがし)へと進(すす)んで行(ゆ)く。329今迄(いままで)執着心(しふちやくしん)に捉(とら)はれて居(ゐ)た高姫(たかひめ)の眼(め)には、330森羅(しんら)万象(ばんしやう)一切(いつさい)悪(あく)に映(えい)じてゐたが、331悔悟(くわいご)の花(はな)が心(こころ)に開(ひら)いてから見(み)る天地間(てんちかん)は、332何(なに)もかも一切(いつさい)万事(ばんじ)花(はな)ならざるはなく、333恵(めぐみ)ならざるはなく、334風(かぜ)の音(おと)も音楽(おんがく)に聞(きこ)え、335虫(むし)の音(ね)も神(かみ)の慈言(じげん)の如(ごと)く響(ひび)き、336野辺(のべ)に咲(さ)き乱(みだ)れた花(はな)の色(いろ)は一層(いつそう)麗(うるは)しく、337楽(たの)しく且(か)つ有難(ありがた)く、338一切(いつさい)万事(ばんじ)残(のこ)らず自分(じぶん)の為(ため)に現(あら)はれて呉(く)れたかの如(ごと)くに、339嬉(うれ)しく楽(たの)しく感(かん)じられた。
340 三(さん)人(にん)は宣伝歌(せんでんか)を歌(うた)ひ乍(なが)ら、341焼(や)きつくような空(そら)を、342草(くさ)を分(わ)けつつ苺(いちご)の実(み)をむしり喰(く)ひ、343神(かみ)に感謝(かんしや)し、344殆(ほとん)ど七八(しちはち)里(り)計(ばか)り、345知(し)らぬ間(ま)に面白(おもしろ)く楽(たの)しく進(すす)んで来(き)た。346ハタと行詰(ゆきつま)つた原野(げんや)の中(なか)の大湖水(だいこすゐ)、347人(ひと)も居(を)らねば舟(ふね)もない。348又(また)もや三(さん)人(にん)は茲(ここ)で一(ひと)つ思案(しあん)をせなくてはならなくなつた。349紺碧(こんぺき)の水(みづ)を湛(たた)へた此(この)湖(みづうみ)は幾丈(いくぢやう)とも計(はか)り知(し)られぬ底無(そこな)し湖(うみ)の如(ごと)くに感(かん)ぜられた。
350常彦(つねひこ)『一(ひと)つ逃(のが)れて又(また)一(ひと)つとは此(この)事(こと)だ。351此(この)前(まへ)は何(なん)と云(い)つても、352向(むか)う岸(ぎし)の見(み)えた河(かは)なり、353そこへ沢山(たくさん)の鰐(わに)さまが現(あら)はれて橋(はし)を架(か)けて下(くだ)さつたので、354無事(ぶじ)に此処(ここ)まで面白(おもしろ)く楽(たの)しく旅行(りよかう)を続(つづ)けて来(き)たが、355此奴(こいつ)ア又(また)際限(さいげん)のない大湖水(だいこすゐ)、356湖水(こすゐ)の周囲(しうゐ)を廻(まは)つて行(ゆ)くより仕方(しかた)がありますまい。357高姫(たかひめ)さま、358如何(どう)致(いた)しませう。359此(この)湖(みづうみ)を真直(まつすぐ)に渡(わた)れば余程(よほど)近(ちか)いのですが、360さうだと云(い)つて、361湖上(こじやう)を渡(わた)ることは出来(でき)ますまい。362急(いそ)がば廻(まは)れと云(い)ふ諺(ことわざ)もありますから、363廻(まは)ることに致(いた)しませうか』
364高姫(たかひめ)『さう致(いた)しませう。365無理(むり)に神(かみ)様(さま)にお願(ねがひ)をして最前(さいぜん)の様(やう)に橋(はし)を架(か)けて貰(もら)ひ、366御(お)眷属(けんぞく)さまに御(ご)苦労(くらう)をかけてはなりませぬ。367自分(じぶん)の事(こと)は自分(じぶん)で埒(らち)を能(よ)うつけぬような事(こと)で、368到底(たうてい)世(よ)を救(すく)うと云(い)ふ神聖(しんせい)な御用(ごよう)は勤(つと)まりませぬからなア』
369春彦(はるひこ)『そんなら、370右(みぎ)へ行(ゆ)きませうか、371左(ひだり)へ行(ゆ)きませうか』
372高姫(たかひめ)『進左(しんさ)退右(たいう)と云(い)ふ事(こと)がありますから、373左(ひだり)へ廻(まは)つて行(ゆ)くことに致(いた)しませう。374警察(けいさつ)の交通(かうつう)宣伝(せんでん)だつて、375左側(さそく)通行(つうかう)を喧(やかま)しく云(い)つて奨励(しやうれい)しとるぢやありませぬか。376サア斯(か)うおいでなさいませ』
377と高姫(たかひめ)は先(さき)に立(た)ち、378草野(くさの)を分(わ)けて進(すす)んで行(ゆ)く。379それより殆(ほとん)ど一(いち)里(り)計(ばか)り前進(ぜんしん)すると、380天(てん)を封(ふう)じた椰子樹(やしじゆ)の森(もり)があつた。381日(ひ)は漸(やうや)く暮(くれ)近(ちか)くなつた。382此処(ここ)で三(さん)人(にん)は足(あし)を伸(の)ばし、383蓑(みの)を敷(し)き、384ゴロリと横(よこ)たはつて一夜(いちや)を明(あ)かす事(こと)としたりける。
385執着心(しふちやくしん)の権化(ごんげ)とも
386人(ひと)に言(い)はれた高姫(たかひめ)が
387転迷(てんめい)開悟(かいご)の花(はな)開(ひら)き
388天教山(てんけうざん)の木(こ)の花姫(はなひめ)の
389神(かみ)の命(みこと)の隠(かく)し御名(みな)
390日(ひ)の出姫(でのひめ)の訓戒(くんかい)に
391心(こころ)の駒(こま)を立直(たてなほ)し
392誠(まこと)の道(みち)に乗替(のりか)へて
393草野(くさの)ケ原(はら)を進(すす)み行(ゆ)く。
394森羅(しんら)万象(ばんしやう)悉(ことごと)く
395濁(にご)り汚(けが)れて吾(わ)れ一人(ひとり)
396天地(てんち)の中(なか)に澄(す)めりとて
397鼻高々(はなたかだか)と誇(ほこ)りたる
398高姫司(たかひめつかさ)も鼻(はな)折(を)れて
399見直(みなほ)す世界(せかい)は天国(てんごく)か
400浄土(じやうど)の春(はる)と早替(はやがわ)り
401草木(くさき)の色(いろ)も美(うる)はしく
402風(かぜ)の声(こゑ)さへ天人(てんにん)の
403音楽(おんがく)かとも感(かん)ぜられ
404草野(くさの)にすだく虫(むし)の音(ね)も
405神(かみ)の慈音(じおん)となりにけり
406高姫(たかひめ)常彦(つねひこ)春彦(はるひこ)は
407草鞋(わらぢ)脚絆(きやはん)に身(み)をかため
408心(こころ)も急(いそ)ぐ膝栗毛(ひざくりげ)
409アイルの河(かは)の岸(きし)の辺(べ)に
410暫(しば)し息(いき)をば休(やす)めつつ
411清(きよ)き流(なが)れを打眺(うちなが)め
412天地(てんち)の神(かみ)の御恵(みめぐみ)を
413讃美(さんび)しゐたる折柄(をりから)に
414見(み)るも汚(きた)なき蓑笠(みのかさ)に
415身(み)を包(つつ)みたる婆(ば)アさまが
416忽(たちま)ち茲(ここ)に現(あら)はれて
417三人(みたり)の前(まへ)に手(て)を伸(の)ばし
418差招(さしまね)きつつ川上(かはかみ)の
419松(まつ)の根元(ねもと)に建(た)てられし
420醜(しこ)けき小屋(こや)に入(い)りにける。
421茲(ここ)に高姫(たかひめ)一行(いつかう)は
422老婆(らうば)の後(あと)に従(したが)ひて
423賤(しづ)が伏屋(ふせや)に来(き)て見(み)れば
424老婆(らうば)は喜(よろこ)び手(て)を合(あは)せ
425妾(わし)が夫(をつと)は八十(はちじふ)の
426坂道(さかみち)七(なな)つ越(こ)えました
427人(ひと)の厭(いや)がる天刑(てんけい)の
428病(やまひ)に罹(かか)り村外(むらはづ)れ
429淋(さび)しき河辺(かはべ)に追(お)ひ出(だ)され
430老(おい)の夫婦(ふうふ)の憂(うき)苦労(くらう)
431天教山(てんけうざん)に現(あ)れませる
432木(こ)の花姫(はなひめ)の夢枕(ゆめまくら)
433夜毎(よごと)々々(よごと)に立(た)ち玉(たま)ひ
434三五教(あななひけう)の宣伝使(せんでんし)
435日(ひ)ならず此処(ここ)に来(きた)るらむ
436汝(なんぢ)は彼(かれ)を呼(よ)び寄(よ)せて
437夫(をつと)の悩(なや)む膿汁(うみしる)を
438吸(す)うて貰(もら)へば忽(たちま)ちに
439本復(ほんぷく)するとの神(かみ)の告(つ)げ
440誠(まこと)に済(す)まぬこと乍(なが)ら
441老(おい)の願(ねがひ)を聞(き)いてよと
442誠(まこと)しやかに頼(たの)み入(い)る
443高姫(たかひめ)、常彦(つねひこ)、春彦(はるひこ)は
444何(なん)のためらふ事(こと)もなく
445膿(うみ)に汚(けが)れし老人(らうじん)の
446身体(しんたい)全部(ぜんぶ)に口(くち)をつけ
447天津(あまつ)神(かみ)たち国津(くにつ)神(かみ)
448憐(あは)れ至極(しごく)な此(この)人(ひと)を
449何卒(なにとぞ)救(すく)ひ玉(たま)へよと
450心(こころ)に祈願(きぐわん)をこめ乍(なが)ら
451力限(ちからかぎ)りに吸(す)ひ取(と)れば
452豈(あに)計(はか)らむや悪臭(あくしう)の
453鼻(はな)さへ落(おち)むと思(おも)はれし
454其(その)膿汁(うみしる)は甘露(かんろ)の
455露(つゆ)の如(ごと)くに香(かう)ばしく
456麝香(じやかう)の匂(にほ)ひ馥郁(ふくいく)と
457実(げ)に心地(ここち)よくなりにける。
458不思議(ふしぎ)と頭(あたま)を擡(もた)ぐれば
459天刑病(てんけいびやう)と思(おも)ひたる
460爺(じじい)は何時(いつ)しか霊光(れいくわう)の
461輝(かがや)き亘(わた)る神人(しんじん)と
462姿(すがた)を変(へん)じこまごまと
463三五教(あななひけう)の真髄(しんずゐ)を
464説(と)き諭(さと)しつつ忽然(こつぜん)と
465煙(けぶり)の如(ごと)く消(き)え玉(たま)ふ
466高姫(たかひめ)、常彦(つねひこ)、春彦(はるひこ)は
467ハツと驚(おどろ)き目(め)をさまし
468見(み)れば以前(いぜん)の川(かは)の辺(べ)に
469眠(ねむ)り居(ゐ)たるぞ不思議(ふしぎ)なれ。
470夢(ゆめ)の中(なか)なる教訓(けうくん)を
471吾身(わがみ)に省(かへり)み宣(の)り直(なほ)し
472アイルの河(かは)を如何(いか)にして
473向(むか)うの岸(きし)に渡(わた)らむと
474神(かみ)に祈(いの)れる折柄(をりから)に
475祈(いの)りは天(てん)に通(つう)じけむ
476八尋(やひろ)の鰐(わに)は幾百(いくつ)とも
477限(かぎ)りなき迄(まで)川(かは)の瀬(せ)に
478体(からだ)を並(なら)べて橋(はし)作(つく)り
479三人(みたり)をここに安々(やすやす)と
480彼方(かなた)の岸(きし)に渡(わた)しける。
481天地(てんち)の恵(めぐみ)に咲出(さきい)でし
482百花(ひやくくわ)千花(せんくわ)の香(か)に酔(よ)ひつ
483足(あし)も軽(かる)げに七八(しちはち)里(り)
484進(すす)みて来(きた)る前方(ぜんぱう)に
485紺青(こんぜう)の波(なみ)を湛(たた)へたる
486思(おも)ひ掛(がけ)なき大湖水(だいこすゐ)
487茲(ここ)に三人(みたり)は立止(たちと)まり
488協議(けふぎ)の結果(けつくわ)高姫(たかひめ)の
489差図(さしづ)に従(したが)ひ湖畔(こはん)をば
490左(ひだり)に取(と)りて一里半(いちりはん)
491椰子樹(やしじゆ)の蔭(かげ)に身(み)を休(やす)め
492神(かみ)の恵(めぐみ)の有難(ありがた)き
493話(はなし)に一夜(いちや)を明(あか)しける
494あゝ惟神(かむながら)々々(かむながら)
495御霊(みたま)幸(さち)はひましませよ。
496(大正一一・八・一二 旧六・二〇 松村真澄録)
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