霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
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第一七章 奉還状(ほうくわんじやう)〔一三八〇〕

インフォメーション
著者:出口王仁三郎 巻:霊界物語 第53巻 真善美愛 辰の巻 篇:第3篇 兵権執着 よみ(新仮名遣い):へいけんしゅうちゃく
章:第17章 奉還状 よみ(新仮名遣い):ほうかんじょう 通し章番号:1380
口述日:1923(大正12)年02月14日(旧12月29日) 口述場所:竜宮館 筆録者:松村真澄 校正日: 校正場所: 初版発行日:1925(大正14)年3月8日
概要: 舞台: あらすじ[?]このあらすじはMさん作成です(一部加筆訂正してあります)。一部の章はAIによって要約を作成しています。[×閉じる]:
刹帝利をはじめとするビク国の一同は、バラモン軍の将官たちが前後も知らずに寝込んだのを見すまして、善後策についての相談会をひそびそと始めた。
刹帝利、タルマン、左守は二女の勇気と知恵をほめそやした。刹帝利はタルマンの勧めでヒルナ姫の離縁を撤回し、ハルナも妻の働きに感じ入った。左守は、この事件における右守の失態を責め、改めて兵権奉還を右守に迫った。
右守は、自分の妹のカルナ姫が活躍したことを盾に取って抵抗した。右守は、一度は兵権を奉還すると言いながら、奉還状を書くことを拒否するなど卑怯な態度で場をはぐらかしていた。
タルマンはついに怒って、弓に矢をつがえて右守に向けて引き絞り、態度の決定を迫った。これにはさすがの右守を顔色を変えて奉還状を書くことを承諾した。
右守はなおも奉還状の文言をはぐらかしたり、拇印をごまかそうとしたりしたが、左守とタルマンに見破られ、ついに兵権奉還状を刹帝利に提出した。右守は残る面々をしり目にかけながら不満をあらわしつつ出て行った。
主な登場人物[?]【セ】はセリフが有る人物、【場】はセリフは無いがその場に居る人物、【名】は名前だけ出て来る人物です。[×閉じる]: 備考: タグ: データ凡例: データ最終更新日:2024-03-14 20:29:27 文字数:4317 OBC :rm5317
愛善世界社版:209頁 八幡書店版:第9輯 580頁 修補版: 校定版:216頁 普及版:104頁 初版: ページ備考:
001 刹帝利(せつていり)、002左守(さもり)、003右守(うもり)其(その)外(ほか)一同(いちどう)は、004鬼春別(おにはるわけ)、005久米彦(くめひこ)両将軍(りやうしやうぐん)及(および)四(よ)人(にん)の副官(ふくくわん)や属僚(ぞくれう)が酒(さけ)に酔(よ)ひつぶれ、006前後(ぜんご)も知(し)らず寝込(ねこ)んだのを見(み)すまし、007漸(やうや)く口(くち)を開(ひら)き善後策(ぜんごさく)につき相談会(さうだんくわい)をヒソビソと始(はじ)め出(だ)した。
008タルマン『刹帝利(せつていり)様(さま)を始(はじ)め皆々(みなみな)様(さま)、009実(じつ)に意外(いぐわい)の好結果(かうけつくわ)を得(え)たもので厶(ござ)いますなア。010是(こ)れ全(まつた)く盤古(ばんこ)神王(しんのう)様(さま)の御(ご)守護(しゆご)の致(いた)す所(ところ)は申(まを)すに及(およ)ばず、011貞婦(ていふ)烈婦(れつぷ)のヒルナ姫(ひめ)様(さま)、012カルナ姫(ひめ)様(さま)の必死(ひつし)の御(ご)活動(くわつどう)が此処(ここ)に到(いた)らしめたものと考(かんが)へます。013誠(まこと)にこんな有難(ありがた)い事(こと)は厶(ござ)いませぬなア』
014刹帝利(せつていり)『感(かん)じ入(い)つたる両女(りやうぢよ)の働(はたら)き、015其方(そのはう)等(ら)も王家(わうけ)の為(ため)、016国家(こくか)の為(ため)に随分(ずいぶん)骨(ほね)を折(を)つてくれたなア。017実(じつ)に感謝(かんしや)の至(いた)りだ』
018タルマン『刹帝利(せつていり)様(さま)に一寸(ちよつと)伺(うかが)つておきたいので厶(ござ)いますが、019貴方(あなた)はヒルナ姫(ひめ)に暇(ひま)をお出(だ)し遊(あそ)ばしたが、020併(しか)し乍(なが)ら斯(か)くの如(ごと)く勲功(くんこう)が顕(あら)はれた上(うへ)は、021元(もと)のお妃(きさき)にお直(なほ)し遊(あそ)ばすで厶(ござ)いませうなア』
022刹帝利(せつていり)『彼(か)れの如(ごと)き貞婦(ていふ)烈婦(れつぷ)は、023又(また)と世界(せかい)にあらうまい。024此(この)方(はう)も彼(かれ)の為(ため)に国家(こくか)の危急(ききふ)を救(すく)はれたのだから、025少々(せうせう)の過(あやまち)がありとて、026国(くに)を思(おも)ふ為(ため)にやつた仕事(しごと)だから、027別(べつ)に咎(とがめ)る訳(わけ)には行(ゆ)くまい。028此(この)件(けん)に付(つ)いては其方(そなた)に一任(いちにん)致(いた)す』
029タルマン『早速(さつそく)の御(ご)承知(しようち)、030有難(ありがた)う存(ぞん)じまする。031ヒルナ姫(ひめ)様(さま)もさぞ御(ご)満足(まんぞく)遊(あそ)ばすことで厶(ござ)いませう』
032左守(さもり)『ヒルナ姫(ひめ)様(さま)と云(い)ひ、033カルナ姫(ひめ)と云(い)ひ、034実(じつ)に天晴(あつぱれ)な者(もの)だ。035右守司(うもりのかみ)の率(ひき)ゆる軍隊(ぐんたい)も相当(さうたう)にあつたけれど、036弱将(じやくしやう)の下(もと)に弱卒(じやくそつ)ありとでも言(い)ふものか、037一人(ひとり)も間(ま)に合(あ)はなかつた。038カルナ姫(ひめ)は右守殿(うもりどの)の妹(いもうと)と云(い)ひ乍(なが)ら実(じつ)に天晴(あつぱれ)の女丈夫(ぢよぢやうぶ)だ。039ハルナ、040其方(そなた)も手疵(てきず)を負(お)うて苦(くる)しからうが、041あれ位(くらゐ)な女房(にようばう)を持(も)つ上(うへ)は聊(いささ)か慰(なぐさ)むる所(ところ)があるだらうのう』
042ハルナ『ハイ』
043と云(い)つたきり面(かほ)赤(あか)らめて俯(うつむ)いてゐる。
044左守(さもり)『斯(か)く和合(わがふ)の出来(でき)た上(うへ)は、045鬼春別(おにはるわけ)将軍(しやうぐん)はヨモヤ、046ビク城(じやう)の軍隊(ぐんたい)まで指揮(しき)せうとは致(いた)すまい。047バラモン軍(ぐん)はバラモン軍(ぐん)として、048又(また)別(べつ)に陣営(ぢんえい)を造(つく)るであらう。049さすれば此(この)際(さい)右守殿(うもりどの)の兵馬(へいば)の権(けん)を、050スツパリと刹帝利(せつていり)様(さま)に奉還(ほうくわん)なさるが可(よ)からうと存(ぞん)ずるが、051右守殿(うもりどの)如何(いかが)で厶(ござ)らうな。052其(その)方(はう)は内憂(ないいう)外患(ぐわいくわん)を防(ふせ)ぐ為(ため)の軍隊(ぐんたい)だと主張(しゆちやう)し乍(なが)ら、053国家(こくか)危急(ききふ)の場合(ばあひ)になつてから弱腰(よわごし)をぬかし、054此(この)城内(じやうない)をして零敗(ぜろはい)の憂目(うきめ)に陥(おちい)らしめたのは全(まつた)く其方(そなた)の責任(せきにん)で厶(ござ)るぞ。055其方(そなた)も一片(いつぺん)の赤心(せきしん)あらば、056此(この)際(さい)罪(つみ)を陳謝(ちんしや)し、057スツパリと兵馬(へいば)の権(けん)を、058王(わう)様(さま)にお還(かへ)しめされ』
059 右守(うもり)はさも不愉快(ふゆくわい)な面(かほ)をし乍(なが)ら、
060右守(うもり)『これは心得(こころえ)ぬ左守殿(さもりどの)のお言葉(ことば)、061拙者(せつしや)の家(いへ)は兵馬(へいば)の権(けん)を握(にぎ)る家筋(いへすぢ)なれば、062其(その)家系(かけい)より生(うま)れたるカルナ姫(ひめ)は、063拙者(せつしや)に代(かは)つて軍功(ぐんこう)を立(た)てたでは厶(ござ)らぬか。064カルナ姫(ひめ)は左守(さもり)の家(いへ)に遣(つか)はしたりとは云(い)へ、065ヤハリ右守家(うもりけ)に生(うま)れた者(もの)、066右守家(うもりけ)に生(うま)れたカルナ姫(ひめ)が斯(かく)の如(ごと)き勲功(くんこう)を立(た)てた上(うへ)は、067決(けつ)して右守家(うもりけ)に兵馬(へいば)の実力(じつりよく)がないとは言(い)はれますまい。068千軍(せんぐん)万馬(ばんば)を動(うご)かして勝利(しようり)を得(う)るも、069又(また)一人(ひとり)の女(をんな)に仍(よ)つて、070目的(もくてき)を完全(くわんぜん)に達(たつ)するも同(おな)じ事(こと)では厶(ござ)らぬか。071又(また)ヒルナ姫(ひめ)は拙者(せつしや)が親族(しんぞく)の娘(むすめ)、072ヤハリ右守家(うもりけ)の系統(けいとう)を曳(ひ)いた者(もの)、073之(これ)を思(おも)へば、074どこどこ迄(まで)も、075右守(うもり)が兵馬(へいば)の権(けん)を握(にぎ)つて居(を)らなくては、076ビクの国家(こくか)は保(たも)たれますまい。077左守殿(さもりどの)は老齢(らうれい)の事(こと)とてチツと計(ばか)り耄碌(まうろく)遊(あそ)ばしたなア』
078左守(さもり)『邪智(じやち)侫弁(ねいべん)を揮(ふる)つて、079飽(あ)く迄(まで)野望(やばう)を達(たつ)せむとする憎(につ)くき其方(そなた)の心根(こころね)、080いいかげんに改心(かいしん)なさらぬと、081神罰(しんばつ)立所(たちどころ)に至(いた)りますぞ。082畏(おそ)れ多(おほ)くも王妃(わうひ)を取込(とりこ)み、083且(かつ)道(みち)ならぬ道(みち)を行(おこな)はしめ、084遂(つひ)には不羈(ふき)の謀計(ぼうけい)を達(たつ)せむと致(いた)した極(ごく)重悪人(ぢうあくにん)、085世(よ)が世(よ)ならば、086逆磔(さかはり)にしても許(ゆる)し難(がた)き其方(そなた)なれども、087何(なに)を云(い)つても其方(そなた)は兵馬(へいば)の権(けん)を握(にぎ)つてゐた実権者(じつけんしや)だから、088刹帝利(せつていり)様(さま)も涙(なみだ)を呑(の)んで今日(けふ)迄(まで)お忍(しの)び遊(あそ)ばしたのだ。089此(この)左守(さもり)だとて其(その)通(とほ)り、090又(また)ヒルナ姫(ひめ)様(さま)も国家(こくか)を思(おも)ふ一念(いちねん)より、091いろいろと御(ご)苦心(くしん)遊(あそ)ばした跡(あと)は、092歴然(れきぜん)として居(を)りますぞ。093其方(そなた)も右守(うもり)の家(いへ)に生(うま)れたものならば、094なぜ男(をとこ)らしく割腹(かつぷく)して王(わう)の前(まへ)に罪(つみ)を謝(しや)するか又(また)、095兵馬(へいば)の権(けん)を奉還(ほうくわん)して、096民家(みんか)に下(くだ)り其(その)罪(つみ)を陳謝(ちんしや)なさらぬか』
097 右守(うもり)は少時(しばし)考(かんが)へて居(ゐ)たが、098何(なに)か心(こころ)に頷(うなづ)き厭(いや)らしい目付(めつき)をし乍(なが)ら、099俄(にはか)に下座(げざ)に直(なほ)り両手(りやうて)を仕(つか)へ、
100右守(うもり)『ハハア、101刹帝利(せつていり)様(さま)、102其(その)外(ほか)のお歴々(れきれき)様(さま)、103右守(うもり)は今日(こんにち)只今(ただいま)より、104仰(おほせ)に従(したが)ひ前非(ぜんぴ)を悔(く)い、105兵馬(へいば)の権(けん)を奉還(ほうくわん)仕(つかまつ)りますれば、106何卒(なにとぞ)御(お)受取(うけと)り下(くだ)さいませ。107そして吾々(われわれ)の罪(つみ)、108お赦(ゆる)し下(くだ)さらば右守(うもり)は民間(みんかん)に下(くだ)り、109首陀(しゆだ)となつて田園(でんえん)生活(せいくわつ)に余生(よせい)を送(おく)る考(かんが)へで厶(ござ)います』
110 刹帝利(せつていり)は左右(さいう)を顧(かへり)み、
111刹帝利(せつていり)『タルマン、112左守殿(さもりどの)、113今(いま)右守(うもり)の申(まを)した事(こと)、114汝(なんぢ)等(ら)に異存(いぞん)は無(な)いか』
115 タルマン、116左守(さもり)はハツと頭(かしら)を下(さ)げ、
117左守(さもり)『吾々(われわれ)は此(この)事(こと)あらしめむと、118日夜(にちや)心(こころ)を悩(なや)ませ居(を)りました者(もの)、119いかでか異存(いぞん)の厶(ござ)いませうや』
120刹帝利(せつていり)『ウン、121然(しか)らば右守(うもり)の願(ねがひ)を許(ゆる)すであらう、122右守(うもり)、123有難(ありがた)く思(おも)へ』
124右守(うもり)『ハイ、125君(きみ)の御(ご)仁慈(じんじ)、126肝(きも)に銘(めい)じ、127有難(ありがた)く存(ぞん)じ奉(たてまつ)ります』
128左守(さもり)『ヤア右守殿(うもりどの)、129天晴(あつぱれ)々々(あつぱれ)、130武士(ぶし)はさうなくては叶(かな)はぬ。131然(しか)らばここで奉還状(ほうくわんじやう)をお認(したた)めなさい。132そして拇印(ぼいん)を押(お)して貰(もら)ひませう』
133 右守(うもり)は此(この)言葉(ことば)にハツと当惑(たうわく)し、134……奉還状(ほうくわんじやう)を書(か)いたが最後(さいご)、135自分(じぶん)の地位(ちゐ)は台(だい)なしになつて了(しま)ふ。136コリヤ困(こま)つた破目(はめ)に陥(おちい)つたものだ……と思(おも)ひ乍(なが)ら、137さすが老獪(らうくわい)な右守(うもり)、138素知(そし)らぬ面(かほ)にて、
139右守(うもり)『刹帝利(せつていり)様(さま)に恐(おそ)れ謹(つつし)み申(まを)し上(あ)げます。140拙者(せつしや)も右守家(うもりけ)を相続(さうぞく)致(いた)す武士(ぶし)の片割(かたわ)れ、141一旦(いつたん)奉還(ほうくわん)すると申上(まをしあ)げた以上(いじやう)は、142決(けつ)して変(へん)がへは致(いた)しませぬ。143武士(ぶし)の言葉(ことば)に二言(にごん)は厶(ござ)いませぬ。144何卒(なにとぞ)私(わたくし)の人格(じんかく)を買(か)つて下(くだ)さいませ。145言葉(ことば)の上(うへ)にて奉還(ほうくわん)さして頂(いただ)きたう厶(ござ)います』
146 左守(さもり)は厳然(げんぜん)として言葉(ことば)鋭(するど)く、
147左守(さもり)『右守殿(うもりどの)、148人格(じんかく)を認(みと)めよと言(い)はれたが、149其方(そなた)に人格(じんかく)があると思(おも)はるるか、150よく胸(むね)に手(て)を当(あ)ててお考(かんが)へなされ。151能(よ)くもマア左様(さやう)な図々(づうづう)しい事(こと)がいへるものだなア』
152右守(うもり)『御(ご)不承知(ふしようち)とあれば已(や)むを得(え)ませぬ。153然(しか)らば武士(ぶし)の言葉(ことば)であれど、154奉還(ほうくわん)すると申出(まをしい)でた事(こと)は、155刹帝利(せつていり)様(さま)始(はじ)めお歴々(れきれき)のお気(き)に召(め)さぬと見(み)えまする。156此(この)上(うへ)は止(や)むを得(え)ませぬ、157依然(いぜん)として祖先(そせん)の家(いへ)を継(つ)ぎ、158右守(うもり)となつて兵馬(へいば)の権(けん)を掌握(しやうあく)するで厶(ござ)いませう』
159タルマン『右守殿(うもりどの)、160苟(いやし)くも王(わう)様(さま)の前(まへ)に申上(まをしあ)げた言葉(ことば)、161決(けつ)して後(あと)へは引(ひ)かれますまい。162左様(さやう)な没義道(もぎだう)な事(こと)を仰(おほせ)らるるならば、163やむを得(え)ませぬ。164拙者(せつしや)にも考(かんが)へが厶(ござ)る』
165と片方(かたはう)にあつた弓(ゆみ)に鏑矢(かぶらや)をつがへ、166満月(まんげつ)の如(ごと)く引(ひき)しぼつて、167矢(や)の穂先(ほさき)を右守(うもり)の面体(めんてい)に向(む)けた。168流石(さすが)の右守(うもり)も之(これ)には辟易(へきえき)し、169サツと面色(かほいろ)を変(か)へ、170唇(くちびる)を慄(ふる)はせ乍(なが)ら、
171右守(うもり)『イヤ、172たつて、173自説(じせつ)を主張(しゆちやう)しようとは申(まを)しませぬ。174あ、175然(しか)らば奉還(ほうくわん)致(いた)しませう』
176 タルマンは尚(なほ)も弓(ゆみ)を満月(まんげつ)に張(は)り、177アウンの息(いき)を凝(こ)らしてゐる。178タルマンの弦(つる)にかかつた拇指(おやゆび)が一寸(ちよつと)でも動(うご)いたが最後(さいご)、179右守(うもり)の命(いのち)は忽(たちま)ち風前(ふうぜん)の灯火(ともしび)である、180否(いな)寂滅(じやくめつ)に陥(おちい)るのである。
181左守(さもり)『然(しか)らば右守殿(うもりどの)、182サ、183早(はや)く、184此処(ここ)に料紙(れうし)も硯(すずり)も厶(ござ)れば、185奉還状(ほうくわんじやう)を御(お)認(したた)めなされ』
186 右守(うもり)は歯(は)ぎしりし乍(なが)ら、
187右守『ああ是非(ぜひ)に及(およ)ばぬ』
188と小声(こごゑ)に呟(つぶや)きつつ、189机(つくゑ)に向(むか)ひ筆(ふで)を染(そ)め料紙(れうし)に対(たい)して、190手(て)をビリビリ慄(ふる)はせ乍(なが)ら、191奉還状(ほうくわんじやう)を認(したた)め、192左守(さもり)の手(て)に渡(わた)した。193左守(さもり)は一度(いちど)文面(ぶんめん)を検(あらた)めむと、194よくよく見(み)れば、
 
195一、196拙者(せつしや)事(こと)、197右守家(うもりけ)の相続人(さうぞくにん)として、198兵馬(へいば)の権(けん)を握(にぎ)り、199国家(こくか)の保護(ほご)に任(にん)じ、200今日(こんにち)迄(まで)何(なん)の不都合(ふつがふ)もなく、201ビクの国(くに)及(およ)び王家(わうけ)をして泰山(たいざん)の安(やす)きにおきたる事(こと)、202右守家(うもりけ)の相続者(さうぞくしや)として茲(ここ)に刹帝利(せつていり)様(さま)に軍職(ぐんしよく)奉還(ほうくわん)の義(ぎ)を申出(まをしい)づる事(こと)を光栄(くわうえい)とす。
203一、204此(この)度(たび)のバラモン軍(ぐん)の襲撃(しふげき)に際(さい)し、205右守家(うもりけ)に生(うま)れたるカルナ姫(ひめ)の軍功(ぐんこう)は、206右守家(うもりけ)が兵馬(へいば)の権(けん)を握(にぎ)れる家系(かけい)にして勇壮(ゆうさう)活溌(くわつぱつ)な血液(けつえき)の伝(つた)はり居(を)る事(こと)を検証(けんしよう)したるを以(もつ)て光栄(くわうえい)とす。
207一、208刹帝利(せつていり)の妃(きさき)ヒルナ姫(ひめ)は、209ヤハリ右守家(うもりけ)の血統(けつとう)より生(うま)れ、210今日(こんにち)の軍功(ぐんこう)を立(た)て、211祖先(そせん)の血統(けつとう)を明(あきら)かにせしことを光栄(くわうえい)とす。
212一、213右(みぎ)の如(ごと)く軍功(ぐんこう)顕著(けんちよ)なる家柄(いへがら)なるを以(もつ)て、214ここ三(さん)年(ねん)の間(あひだ)は此(この)儘(まま)兵馬(へいば)の権(けん)を握(にぎ)り刹帝利(せつていり)殿(どの)を始(はじ)め、215左守(さもり)に軍学(ぐんがく)の素養(そやう)備(そな)はりし時(とき)を以(もつ)て、216兵馬(へいば)の権(けん)を奉還(ほうくわん)する事(こと)を約(やく)す。
217 右(みぎ)の条々(でうでう)相違(さうゐ)之(こ)れなく候也(さふらふなり)。
218   年月日(ねんぐわつぴ)   右守(うもり)、219ベルツ
 
220と記(しる)してある。221左守(さもり)は口(くち)をへの字(じ)にまげ、222改(あらた)めて王(わう)の前(まへ)に朗読(らうどく)した。223王(わう)は無言(むごん)のまま一言(いちごん)も発(はつ)せず、224口(くち)を結(むす)んで控(ひか)えてゐる。225タルマンは弓(ゆみ)に矢(や)を番(つが)へ乍(なが)ら、
226タルマン『右守殿(うもりどの)、227此(この)条文(でうぶん)に仍(よ)れば、228其方(そなた)が兵馬(へいば)の権(けん)に恋々(れんれん)たる執着心(しふちやくしん)は十二分(じふにぶん)に現(あら)はれてゐることを認(みと)めざる得(え)ない。229傲慢(がうまん)不遜(ふそん)の言詞(げんじ)を改(あらた)め、230キツパリと男(をとこ)らしく、231直様(すぐさま)奉還(ほうくわん)致(いた)す様(やう)お書替(かきか)へなさい。232左様(さやう)な奉還状(ほうくわんじやう)は反古(ほご)同様(どうやう)で厶(ござ)る』
233左守(さもり)『右守殿(うもりどの)、234タルマンの言(い)はるる通(とほ)り、235サ、236素直(すなほ)に、237男(をとこ)らしく、238キツパリと奉還状(ほうくわんじやう)をお認(したた)めなされ』
239右守(うもり)『サア、240それは、241暫(しばら)くの御(ご)猶予(いうよ)を願(ねが)ひ、242沈思(ちんし)黙考(もくかう)の上(うへ)認(したた)めて呈出(ていしゆつ)致(いた)すで厶(ござ)らう』
243タルマン『右守殿(うもりどの)、244侫弁(ねいべん)を揮(ふる)ひ、245一(いち)時(じ)を糊塗(こと)し、246此(この)場(ば)を遁(のが)れて、247又(また)もや野心(やしん)を企(たく)む所存(しよぞん)であらうがな。248汝(なんぢ)が面体(めんてい)に歴然(れきぜん)と現(あら)はれて居(を)りますぞ』
249と心(こころ)の底(そこ)まで矢(や)を射(い)ぬかれて、250遁(のが)るる途(みち)なく執着心(しふちやくしん)の鬼(おに)を押(おさ)へ乍(なが)ら、251引(ひ)くに引(ひ)かれず進(すす)むに進(すす)まれぬ此(この)場(ば)の仕儀(しぎ)と決心(けつしん)の臍(ほぞ)を固(かた)めて、252再(ふたた)び状(じやう)を認(したた)め始(はじ)めた。
 
253   兵権(へいけん)奉還状(ほうくわんじやう)の事(こと)
254一、255今日(こんにち)迄(まで)右守家(うもりけ)の祖先(そせん)がビクトリヤ家(け)より委託(ゐたく)されたる兵馬(へいば)の権(けん)を悉皆(しつかい)、256現(げん)刹帝利(せつていり)ビクトリヤ王(わう)の御許(みもと)に奉還(ほうくわん)仕(つかまつ)り度(たく)候(さふらふ)間(あひだ)、257何卒(なにとぞ)特別(とくべつ)の御(ご)詮議(せんぎ)を以(もつ)て御(ご)採納(さいなふ)下(くだ)され度(たく)、258偏(ひとへ)に懇願(こんぐわん)奉(たてまつ)り候(さふらふ)也(なり)。
259   年月日(ねんぐわつぴ)   右守(うもり)、260ベルツ
 
261と記(しる)し、262左守(さもり)の手(て)に渡(わた)した。263左守(さもり)は又(また)之(これ)を王(わう)の前(まへ)に朗読(らうどく)した。
264刹帝利(せつていり)『ウン、265ヨシ、266直様(すぐさま)聞届(ききとどけ)る。267一(いち)時(じ)も早(はや)く左守司(さもりのかみ)に引(ひき)つぎを致(いた)せよ。268併(しか)し乍(なが)ら之(これ)に念(ねん)の為(ため)に、269拇印(ぼいん)を押(お)しておくがよい』
270右守(うもり)『拇印(ぼいん)を押(お)すべき処(ところ)なれど、271昨日(さくじつ)の騒動(さうだう)にカルナの奴(やつ)に腕(うで)を傷(きず)つけられ、272指(ゆび)の先(さき)迄(まで)痛(いた)みを感(かん)じ到底(たうてい)拇印(ぼいん)は出来(でき)ませぬ。273全快(ぜんくわい)する迄(まで)御(ご)猶予(いうよ)を願(ねが)ひまする』
274左守(さもり)『右守(うもり)の創(きず)は右(みぎ)の手(て)では厶(ござ)らぬか、275拇印(ぼいん)は左(ひだり)の手(て)に限(かぎ)りますぞ。276サ、277早(はや)く押(お)して貰(もら)ひたい』
278と前(まへ)へ突(つ)き出(だ)す。279タルマンは弓(ゆみ)に矢(や)を番(つが)へたまま、280右守(うもり)の面体(めんてい)を睨(にら)みつけてゐる。281右守(うもり)は後日(ごじつ)の言(い)ひ掛(がか)りを拵(こしら)へん為(ため)、282ソツと右(みぎ)の鬢(びん)の毛(け)をむしり、283指(ゆび)に当(あ)て、284墨(すみ)をつけて拇印(ぼいん)を押(お)した。285これは指紋(しもん)を誤魔(ごま)かさむが為(ため)である。286左守(さもり)は目敏(めざと)く之(これ)を見(み)て、
287左守(さもり)『右守殿(うもりどの)、288此(この)拇印(ぼいん)は間違(まちが)つて厶(ござ)る。289マ一度(いちど)押(お)し直(なほ)して貰(もら)ひたい』
290右守(うもり)『これは心得(こころえ)ぬ左守殿(さもりどの)の言葉(ことば)、291拙者(せつしや)の左(ひだり)の拇指(おやゆび)は一本(いつぽん)より厶(ござ)らぬ。292之(これ)がお気(き)に入(い)らなくば、293左守殿(さもりどの)、294拙者(せつしや)の代理(だいり)に其方(そなた)が立派(りつぱ)に押(お)しておいて下(くだ)され』
295左守(さもり)『益々(ますます)以(もつ)て不埒(ふらち)千万(せんばん)な右守(うもり)の言葉(ことば)、296髪(かみ)の毛(け)を以(もつ)て指紋(しもん)を変(へん)じ、297後日(ごじつ)の言(い)ひがかりを拵(こしら)へむとの、298伏線(ふくせん)で厶(ござ)らうがな。299左様(さやう)な事(こと)の、300老眼(らうがん)と雖(いへど)も、301分(わか)らぬ拙者(せつしや)では厶(ござ)らぬ。302サ、303早(はや)く男(をとこ)らしく捺印(なついん)なされ』
304 右守(うもり)は無念(むねん)の涙(なみだ)を零(こぼ)し乍(なが)ら、305進退(しんたい)惟(こ)れ谷(きは)まつて、306厭々(いやいや)乍(なが)らも、307今度(こんど)は本当(ほんたう)に拇印(ぼいん)を捺(お)した。
308左守(さもり)『ヤ、309天晴(あつぱれ)々々(あつぱれ)、310刹帝利(せつていり)様(さま)、311之(これ)にて手続(てつづ)きは済(す)みまして厶(ござ)います。312お目出度(めでた)う御座(ござ)います。313ヤ、314右守殿(うもりどの)、315其方(そなた)も目出度(めでた)いなア』
316右守(うもり)『ハイ、317根(ね)つから……お目出度(めでた)う厶(ござ)います』
318と歯切(はぎ)れせぬ答弁(たふべん)をやつてゐる。319右守(うもり)は刹帝利(せつていり)に向(むか)ひ、
320右守(うもり)『目出度(めでた)く奉還(ほうくわん)を御(ご)許可(きよか)下(くだ)さいました上(うへ)は、321拙者(せつしや)は館(やかた)に帰(かへ)り、322暫(しばら)く謹慎(きんしん)を致(いた)し、323君(きみ)の御(ご)命令(めいれい)を御(お)待(ま)ち致(いた)します。324何分(なにぶん)宜(よろ)しく御(お)願(ねが)ひ致(いた)します』
325と言(い)ひ乍(なが)ら、326タルマン、327左守(さもり)其(その)他(た)の面々(めんめん)を尻目(しりめ)にかけ乍(なが)ら、328ドシドシと廊下(らうか)をワザと鳴(な)らして出(い)でて行(ゆ)く。
329(大正一二・二・一四 旧一一・一二・二九 於竜宮館 松村真澄録)
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