霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
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第一章 復活祭(ふくくわつさい)〔一八〇七〕

インフォメーション
著者:出口王仁三郎 巻:霊界物語 第64巻下 山河草木 卯の巻下 篇:第1篇 復活転活 よみ(新仮名遣い):ふっかつてんかつ
章:第1章 復活祭 よみ(新仮名遣い):ふっかつさい 通し章番号:1807
口述日:1925(大正14)年08月19日(旧06月30日) 口述場所:丹後由良 秋田別荘 筆録者:松村真澄 校正日: 校正場所: 初版発行日:1925(大正14)年11月7日
概要: 舞台:僧院ホテル あらすじ[?]このあらすじはMさん作成です(一部加筆訂正してあります)。一覧表が「王仁DB」にあります。[×閉じる]: 主な登場人物[?]【セ】はセリフが有る人物、【場】はセリフは無いがその場に居る人物、【名】は名前だけ出て来る人物です。[×閉じる]: 備考: タグ:ウヅンバラ・チャンダー(ウズンバラ・チヤンダー) データ凡例: データ最終更新日:2026-04-28 02:07:53 文字数:7420 OBC :rm64b01
愛善世界社版:7頁 八幡書店版:第11輯 497頁 修補版: 校定版:7頁 普及版: 初版: ページ備考:
001 十二(じふに)日(にち)は聖師(せいし)ウズンバラ・チヤンダーの降誕日(かうたんび)に相当(さうたう)するので、002ブラバーサは草庵(さうあん)を立(た)つて其(その)吉辰(きつしん)を祝(しゆく)すべく、003橄欖山(かんらんざん)の聖地(せいち)に参詣(さんけい)して、004熱烈(ねつれつ)なる祈祷(きたう)を捧(ささ)げ了(をは)り、005今日(けふ)は常(つね)よりも緊張(きんちやう)した気分(きぶん)で、006且(か)つ敬虔(けいけん)な態度(たいど)で山(やま)を下(くだ)り、007アメリカンコロニーにも立寄(たちよ)り、008聖師(せいし)に会(あ)つて神徳談(しんとくばなし)を交換(かうくわん)し、009日没前(にちぼつぜん)袂(たもと)を別(わか)ち、010帰途(きと)カトリックの僧院(そうゐん)ホテルに立寄(たちよ)つた。011恰(あたか)も当日(たうじつ)は聖(せい)キリストの復活祭(ふくくわつさい)で全(ぜん)基督(キリスト)教会(けうくわい)は之(これ)を大聖日(だいせいじつ)として一斉(いつせい)になる祈祷(きたう)が捧(ささ)げらるるのである。012旧教(きうけう)も新教(しんけう)も何(いづ)れの教派(けうは)を問(と)はず、013最(もつと)も栄(さか)えある福音(ふくいん)として此(こ)の聖日(せいじつ)を迎(むか)へるのである。014そして旧教(きうけう)の方面(はうめん)から見(み)ると当年(たうねん)は聖年(せいねん)に当(あた)つて居(ゐ)るが、015その聖年中(せいねんちう)の復活祭(ふくくわつさい)として乙丑(きのとうし)の四(し)月(ぐわつ)十二(じふに)日(にち)を最(もつと)も祝福(しゆくふく)する事(こと)に成(な)つてゐる。016大体(だいたい)カトリック教会(けうくわい)では三(さん)月(ぐわつ)第三回(だいさんくわい)目(め)の水曜日(すいえうび)から聖年(せいねん)は四旬節(しじゆんせつ)に入(い)つてゐるのである。017祈(いの)りと、018断食(だんじき)と、019苦行(くぎやう)との節(せつ)が初(はじ)まるのである。020即(すなは)ち祈(いの)り、021苦行(くぎやう)、022断食(だんじき)等(とう)の犠牲(ぎせい)がこの四旬節(しじゆんせつ)に行(おこな)はれる。023そして四(し)月(ぐわつ)に入(い)ると五日(いつか)から十二(じふに)日(にち)の復活祭(ふくくわつさい)まで是(これ)を大週(たいしう)又(また)は聖週(せいしう)として五日(いつか)を聖(きよ)き枝(えだ)の主日(しゆのひ)、024又(また)は棕櫚(しゆろ)の主日(しゆのひ)と云(い)ふのである。
025『弟子(でし)たち往(ゆ)きてイエスの命(めい)じ給(たま)ひし如(ごと)くに為(な)し、026牝驢馬(めろば)とその子(こ)とを引(ひ)き来(き)たり、027己(おの)が衣服(いふく)を其(その)上(うへ)に敷(し)き、028イエスをこれにのせたるに、029群集(ぐんしふ)夥(おびただ)しく己(おの)が衣服(いふく)を道(みち)に敷(し)き、030ある人々(ひとびと)は樹(き)の枝(えだ)を切(き)りて道(みち)に敷(し)きたり。031先(さき)に立(た)ち従(したが)へる群集(ぐんしふ)呼(よ)ばはりて、032ダヴイドの裔(すゑ)にホザンナ、033主(しゆ)の名(な)によりて来(き)たるものは祝(しゆく)せられ給(たま)へ。034いと高(たか)きところまでホザンナを言(い)ひ居(を)れり』
035 即(すなは)ちイエスがエルサレムに入(はい)つた時(とき)、036人々(ひとびと)は道(みち)に着物(きもの)や木(き)の枝(えだ)を敷(し)いて歓迎(くわんげい)した其(その)日(ひ)なのであるが、037四五(しご)日(にち)を経(へ)てそれ等(ら)の人(ひと)達(たち)は其(そ)のイエスを十字架(じふじか)にかけたのである。
038 九日(ここのか)は聖(せい)の木曜(もくえう)でイエスが死没(しぼつ)の前夜(ぜんや)、039弟子(でし)を集(あつ)めて最後(さいご)の晩餐(ばんさん)を催(もよほ)し聖体(せいたい)の秘蹟(ひせき)を定(さだ)めた日(ひ)である。040この日(ひ)司教座(しけうざ)の在(あ)る聖堂(せいだう)では聖香油(せいかうゆ)を造(つく)ることに成(な)つてゐる。
041 十日(とをか)は聖(せい)の金曜(きんえう)であつて、042イエスが十字架(じふじか)に上(のぼ)り死刑(しけい)に処(しよ)せられた日(ひ)である。043米国(べいこく)あたりでは午後(ごご)一(いち)時(じ)から三(さん)時(じ)まで、044即(すなは)ち其(その)刑(けい)の執行(しつかう)時間(じかん)を、045皆(みな)店(みせ)を閉(と)ぢ商売(しやうばい)を休(やす)む習慣(しふくわん)の所(ところ)もあると云(い)ふことである。
046 十一(じふいち)日(にち)は聖(せい)の土曜(どえう)で復活(ふくくわつ)の光明(くわうみやう)が仄(ほの)かに刺(さ)した日(ひ)である。047さうして、048十二(じふに)日(にち)の復活(ふくくわつ)大祝日(だいしゆくじつ)となるのである。
049『おそるること勿(なか)れ。050汝(なんぢ)等(ら)は十字架(じふじか)につけられ給(たま)ひしナザレのイエスをたづぬれどもかれは復活(ふくくわつ)し給(たま)ひて、051ここにはましまさず』
052 そして此(こ)の聖週(せいしう)が終(をは)つても、053十三(じふさん)日(にち)を復活(ふくくわつ)第二(だいに)の主日(しゆのひ)となし、
054『汝(なんぢ)指(ゆび)をここに入(い)れて、055我(わが)手(て)を見(み)よ。056手(て)を延(の)べて我(わ)が脇(わきばら)に入(い)れよ。057不信者(ふしんじや)とならずして信者(しんじや)となれよ。058トマス答(こた)へて、059「主(しゆ)よ、060わが神(かみ)よ」と言(い)ひしかば、061イエスこれに言(い)ひけるは、062トマス汝(なんぢ)はわれを見(み)しによりて信(しん)じたるか。063見(み)ずして信(しん)ぜし人々(ひとびと)こそ福(さいはひ)なれ』
064 そして十四日(じふよつか)をその第三(だいさん)の主日(しゆのひ)とするのである。
065『我(われ)は又(また)この檻(をり)に属(ぞく)せざる他(た)の羊(ひつじ)をもてり。066かれ等(ら)をも引(ひ)き来(きた)らざるべからず。067さて彼(かれ)等(ら)我(わが)声(こゑ)をきき、068かくて一(ひと)つの檻(をり)、069一(ひと)つの牧者(ぼくしや)とならむ』
070 これらの教(をしへ)を各教会(かくけうくわい)に於(おい)て一斉(いつせい)に説(と)かれて居(ゐ)るのである。
071 ブラバーサが立寄(たちよ)つた僧院(そうゐん)ホテルの別室(べつしつ)には数多(あまた)のカトリック教徒(けうと)が集(あつ)まつて、072此(こ)の聖日(せいじつ)を祝(しゆく)すべく、073復活祭(ふくくわつさい)第一(だいいち)の主日(しゆのひ)の祭典(さいてん)や祈祷(きたう)を行(おこな)つてゐた。
074 ブラバーサはルートバハーの聖師(せいし)の生誕日(せいたんび)に当(あた)つて、075此(こ)の僧院(そうゐん)に厳粛(げんしゆく)なる儀式(ぎしき)が行(おこな)はれてゐる事(こと)を何(なん)となく嬉(うれ)しく、076且(か)つ神縁(しんえん)の絡(から)まれたる不思議(ふしぎ)さに感歎(かんたん)しながら、077式(しき)の終(をは)るを待(ま)ち、078末座(まつざ)に敬虔(けいけん)な態度(たいど)で祈祷(きたう)を拝(ささ)げ、079感慨(かんがい)無量(むりやう)の面持(おももち)であつた。
080 ホスビース・ノートルダム・フランスのこの加特力(カトリック)僧院(そうゐん)ホテルを経営(けいえい)してゐる司教(しけう)テルブソンは、081先途(せんと)に立(た)つて神(かみ)の御前(みまへ)に三拝(さんぱい)し、082一同(いちどう)の信者(しんじや)と異口(いく)同音(どうおん)に左(さ)の讃美歌(さんびか)を唄(うた)ふた。[※この讃美歌は、三美歌にある。第60巻の第8。ただし3番の「美都の大神」は三美歌では「五六七の大神」になっている。]
 
083一
084 御祖(みおや)はあれまし 道(みち)を説(と)けり
085  なやみに住(す)む人(ひと) 求(ま)ぎて来(き)たれ
086 智慧(さとり)のみはしら 世(よ)に降(くだ)れり
087  よはき人々(ひとびと)よ 来(き)たりまなべ。
 
088二
089 伊都(いづ)の大神(おほかみ)は 世(よ)に降(くだ)れり
090  よろづの人々(ひとびと) 来(き)たりたのめ
091 身魂(みたま)をきよむる 神(かみ)の清水(しみづ)
092  汚(けが)されし人(ひと)は 来(き)たりすすげ。
 
093三
094 美都(みづ)の大神(おほかみ) 世(よ)に出(い)でます
095  なやめる人々(ひとびと) 来(き)たりたのめ
096 生命(いのち)の御親(みおや)は 世(よ)に降(くだ)れり
097  つみにしみし人(ひと) 求(ま)ぎて生(い)きよ。
 
098四
099 美都(みづ)の御柱(みはしら)は 世(よ)に生(うま)れぬ
100  うへした諸共(もろとも) 来(き)たり斎(いつ)け
101 天地(あめつち)のはしら 御世(みよ)に降(くだ)る
102  すべてのものみな 勇(いさ)みうたへ。
 
103 一同(いちどう)美声(びせい)を揃(そろ)へて四辺(しへん)の空気(くうき)を清(きよ)めたる讃美歌(さんびか)の奉唱(ほうしやう)も無事(ぶじ)終了(しうれう)し、104司教(しけう)のテルブソンはさも荘重(さうちよう)な声(こゑ)にて一場(いちぢやう)の演説(えんぜつ)を試(こころ)みた。
105テルブソン『御(ご)一同(いちどう)様(さま)、106今日(こんにち)は吾々(われわれ)信者(しんじや)に採(と)つて最(もつと)も慶(けい)すべき吉辰(きつしん)で厶(ござ)います。107メシヤの復活(ふくくわつ)あそばされて、108天国(てんごく)の福音(ふくいん)を世界(せかい)の同胞(どうはう)に垂(た)れさせ給(たま)ひました主(しゆ)の日(ひ)で厶(ござ)います。109就(つい)ては主(しゆ)の御(お)約束(やくそく)遊(あそ)ばした聖地(せいち)エルサレムへ御(ご)再臨(さいりん)の時期(じき)も追々(おひおひ)と近(ちか)づいた様(やう)に拝(はい)せられ、110吾々(われわれ)は実(じつ)に神(かみ)様(さま)より選(えら)まれたるピュリタンとして、111此(この)上(うへ)の光栄(くわうえい)は在(あ)るまいと思(おも)ひます。112皆様(みなさま)、113主(しゆ)は「我(わ)が来(きた)るは平和(へいわ)を出(いだ)さむ為(ため)では無(な)い。114刃(やいば)を出(いだ)さむ為(ため)に来(きた)れり」と仰(おほ)せられてゐるでは在(あ)りませぬか。115吾々(われわれ)は主(しゆ)再臨(さいりん)の好時期(かうじき)に生(うま)れたものですから、116余程(よほど)の覚悟(かくご)を致(いた)さなくては成(な)りますまい。117現代人(げんだいじん)の多数(たすう)は宗教(しうけう)の力(ちから)に依(よ)つて、118或(あるひ)は絶対(ぜつたい)的(てき)信仰(しんかう)の力(ちから)に依(よ)つて、119真善美(しんぜんび)の行為(かうゐ)を現(あら)はし、120家庭(かてい)の円満(ゑんまん)を企画(きくわく)し、121自己(じこ)の人格(じんかく)を向上(かうじやう)し、122社会(しやくわい)国家(こくか)を益(えき)せむものと焦慮(せうりよ)してゐる様(やう)で厶(ござ)いますが然(しか)し私(わたくし)は思(おも)ふ、123ソンナ怪智(けち)くさい考(かんが)へを以(もつ)て信仰(しんかう)が得(え)られませうか。124刃(やいば)を出(いだ)す覚悟(かくご)が無(な)くては再臨(さいりん)のキリストに救(すく)はる事(こと)は出来(でき)ますまい。125信仰(しんかう)の為(ため)ならば、126地位(ちゐ)も、127財産(ざいさん)も、128親(おや)兄弟(きやうだい)も、129知己(ちき)も、130朋友(ほういう)も一切(いつさい)捨(す)てる覚悟(かくご)が無(な)くては駄目(だめ)です。131信仰(しんかう)を味(あぢ)はつて家庭(かてい)を円満(ゑんまん)にしようとか、132人格(じんかく)を向上(かうじやう)させやうとか云(い)ふやうな功利心(こうりしん)や自己愛(じこあい)の精神(せいしん)では堂(どう)して宇宙大(うちうだい)に開放(かいはう)された、133真(まこと)の生(い)ける信仰(しんかう)を得(え)る事(こと)が出来(でき)ませうか。134自分(じぶん)は世(よ)の終(をは)りまで悪魔(あくま)だ、135地獄(ぢごく)行(ゆ)きだ、136一生涯(いつしやうがい)世間(せけん)の人間(にんげん)に歓(よろこ)ばれない。137かうした悲痛(ひつう)な絶望(ぜつばう)的(てき)な決心(けつしん)が無(な)くては、138此(こ)の洪大(こうだい)無辺(むへん)にして、139有難(ありがた)い尊(たふと)い大宇宙(だいうちう)の真理(しんり)、140真(まこと)の神(かみ)様(さま)に触(ふ)れる事(こと)が出来(でき)ませうか。141某(ぼう)聖者(せいじや)が地獄(ぢごく)一定(いちぢやう)と曰(い)はれたのは此処(ここ)にある。142某(ぼう)聖者(せいじや)は世(よ)を終(をは)るまで悪人(あくにん)たる事(こと)を覚悟(かくご)されてゐた。143主(しゆ)イエス・キリストも神(かみ)様(さま)の御(ご)命令(めいれい)とあれば何事(なにごと)も敢(あへ)て辞(じ)さないと曰(い)ふ覚悟(かくご)を持(も)つて居(を)られたのであります。144一切(いつさい)の囚(とら)はれより、145一切(いつさい)の欲望(よくばう)より、146一切(いつさい)の執着(しふちやく)より、147真(しん)に離(はな)れ去(さ)つた時(とき)、148それは真(しん)に胸中(きようちう)無一物(むいちぶつ)、149空(くう)の空(くう)であり無(む)の無(む)である。150その時(とき)の心境(しんきやう)こそは鏡(かがみ)の如(ごと)く晴(は)れ渡(わた)り、151澄(す)み切(き)り、152総(すべ)ての事象(じしやう)は如実(によじつ)にその心境(しんきやう)に移(うつ)り来(きた)る。153その時(とき)こそは真(しん)に絶対(ぜつたい)の自由(じいう)と平安(へいあん)と、154幸福(かうふく)は立(たち)どころに与(あた)へられ、155さうして過去(くわこ)の一切(いつさい)の経験(けいけん)は一(ひと)つの偉大(ゐだい)なる力(ちから)となつて、156現在(げんざい)の一点(いつてん)に躍動(やくどう)するものであります。157即(すなは)ちこの瞬間(しゆんかん)の一点(いつてん)を踏(ふ)みしめ踏(ふ)みしめ凝乎(じつ)と足許(あしもと)を見極(みきは)めて精進(せうじん)するやうになれば、158そこに所愛(しよあい)の創造(さうざう)があり、159進化(しんくわ)があるのです。160私(わたし)は平素(へいそ)この精神(せいしん)を以(もつ)て信仰(しんかう)生活(せいくわつ)を終始(しうし)して居(ゐ)るのです。161私(わたし)はこの僧院(そうゐん)の司教(しけう)として斯(かか)る信仰(しんかう)を持(ぢ)し、162聖(せい)キリストの再臨(さいりん)を待(ま)つて居(ゐ)るのですが、163世間(せけん)の一般(いつぱん)からは外道(げだう)悪魔(あくま)の様(やう)に批評(ひへう)されてゐます。164併(しか)し乍(なが)ら斯(かか)る暗黒(あんこく)の世(よ)の中(なか)にも私(わたし)只(ただ)一人(ひとり)三五教(あななひけう)の宣伝使(せんでんし)ブラバーサ様(さま)の知己(ちき)あることを光栄(くわうえい)と存(ぞん)じて居(を)ります。165兎(と)に角(かく)キリスト再臨(さいりん)の間近(まぢか)く迫(せま)つた今日(こんにち)、166総(すべ)ての因習(いんしふ)を捨(す)て神(かみ)様(さま)の愛(あい)に向(むか)つて猛進(まうしん)せなくては成(な)りませぬ。167善(ぜん)だとか悪(あく)だとか天国(てんごく)地獄(ぢごく)などに囚(とら)はれて居(ゐ)ない私(わたし)は皆(みな)さまに向(むか)つて何(なに)も申上(まをしあ)げる原料(げんれう)も持説(ぢせつ)も厶(ござ)いませぬ。168故(ゆゑ)に今日(こんにち)は主(しゆ)の復活(ふくくわつ)聖日(せいじつ)を祝福(しゆくふく)し皆(みな)さまと共(とも)に神(かみ)を讃美(さんび)し奉(まつ)ることに止(とど)めておきます。169アーメン』
170と合唱(がつしやう)し降壇(かうだん)した。171拍手(はくしゆ)の声(こゑ)は急霰(きふさん)の如(ごと)く僧院(そうゐん)ホテルの内外(ないぐわい)に響(ひび)き渡(わた)つた。
172 次(つぎ)にスバツフオード聖師(せいし)は立(た)つて一場(いちぢやう)の演説(えんぜつ)を試(こころ)みた。
173スバッフォード『皆様(みなさま)今日(けふ)は実(じつ)に有難(ありがた)い主(しゆ)イエス・キリストの復活(ふくくわつ)あそばされた聖年(せいねん)聖日(せいじつ)で厶(ござ)いまして、174吾々(われわれ)は斯(こ)の立派(りつぱ)な僧院(そうゐん)におきまして、175兄弟(きやうだい)姉妹(しまい)と共(とも)に主(しゆ)の日(ひ)を讃美(さんび)し祝福(しゆくふく)することの光栄(くわうえい)を感謝(かんしや)せずには居(ゐ)られないので厶(ござ)います。176吾々(われわれ)兄弟(きやうだい)姉妹(しまい)は、177この目出度(めでた)き聖日(せいじつ)をして意義(いぎ)あるものたらしめねば成(な)りませぬ。178そして伝統(でんとう)的(てき)ブルジョア的(てき)宗教(しうけう)や、179伝説(でんせつ)や口碑(こうひ)に因(よ)つて飾(かざ)られたる既成(きせい)宗教(しうけう)の殻(から)を脱(ぬ)いで、180時代(じだい)を指導(しだう)するに足(た)る宗教(しうけう)の運動(うんどう)に生(い)きなくては成(な)りませぬ。181吾々(われわれ)の団体(だんたい)は創設(さうせつ)以来(いらい)数十(すうじふ)年(ねん)の日子(につし)を経過(けいくわ)いたしました。182そして聖(せい)キリストの再臨(さいりん)を待望(たいばう)して参(まゐ)りました。183やがて待(ま)ち焦(こが)れたるメシヤの御(ご)再臨(さいりん)も近(ちか)い事(こと)と考(かんが)へさして頂(いただ)いて居(を)ります。184今度(こんど)顕(あら)はれたまふ主(しゆ)エス・キリストは時代(じだい)相応(さうおう)の理(り)に依(よ)つて屹度(きつと)英雄(えいゆう)的(てき)色彩(しきさい)を濃厚(のうこう)に持(も)つて御(お)降(くだ)りになる事(こと)と信(しん)じます。
185 熟々(つらつら)現代(げんだい)の世相(せさう)を視(み)れば一方(いつぱう)には文学(ぶんがく)を恥(は)ぢて武勇(ぶゆう)を好(この)むもの、186一方(いつぱう)には文学(ぶんがく)に耽溺(たんでき)して武備(ぶび)撤回(てつくわい)を主唱(しゆしやう)するもの、187仁義(じんぎ)の士(し)を賤(いや)しみ且(か)つ愚者(ぐしや)扱(あつか)ひを為(な)し、188権謀(けんぼう)術数(じゆつすう)に長(ちやう)じたるものを紳士(しんし)と崇(あが)め、189治獄(ぢごく)の吏(り)を貴(たつと)み、190悪法(あくはふ)を施行(しかう)し、191正言(せいげん)真語(しんご)を唱(とな)ふるものを以(もつ)て誹謗者(ひばうしや)と看做(みな)して獄(ごく)に投(とう)じ、192奸邪(かんじや)を重用(ぢうよう)して政事(まつりごと)の枢機(すうき)に列(れつ)せしめ、193過(あやま)ちを防遏(ばうあつ)せむとするものは之(これ)を妖言者(えうげんしや)と貶(けな)し、194流言(りうげん)浮説者(ふせつしや)として圧迫(あつぱく)を加(くは)へ、195先聖(せんせい)の法服(はふふく)世(よ)に用(もち)ひられず、196忠良(ちうりやう)功言(こうげん)皆(みな)胸中(きようちう)に欝(うつ)し、197誉諛(よゆ)の声(こゑ)は日夜(にちや)耳(みみ)に満(み)ち、198虚栄(きよえい)と美食心(びしよくこころ)を薫(くん)じ、199実行(じつかう)なく、200口説(こうぜつ)のみ盛(さか)んにして、201社会(しやくわい)の滅亡(めつぼう)眼前(がんぜん)に迫(せま)るの心地(ここち)が致(いた)します。202斯(か)かる時代(じだい)に際(さい)して一大(いちだい)英雄(えいゆう)即(すなは)ち救世主(きうせいしゆ)の降臨(かうりん)が無(な)かつたならば、203最早(もはや)世(よ)は暗黒(あんこく)より道(みち)はないでせう。204神的(しんてき)英雄(えいゆう)なるものは国家(こくか)又(また)は社会(しやくわい)の実体(じつたい)とも曰(い)ふべきものであつて、205国家(こくか)も社会(しやくわい)も要(えう)するに英雄(えいゆう)理想(りさう)の具現(ぐげん)の形式(けいしき)であります。206凡(すべ)て英雄(えいゆう)の無(な)き国家(こくか)社会(しやくわい)は精霊(せいれい)の脱出(だつしゆつ)した人間(にんげん)の屍体(したい)も同様(どうやう)であります。207精神(せいしん)の脱出(だつしゆつ)した人間(にんげん)の肉体(にくたい)が恣意(しい)なる五欲(ごよく)の乱起(らんき)によつて自(みづか)らの破滅(はめつ)に終(をは)るが如(ごと)く之(これ)を大統(だいとう)する神雄(しんゆう)聖者(せいじや)の欠如(けつじよ)は、208常(つね)に国運(こくうん)の衰弱(すゐじやく)、209否(いな)死滅(しめつ)も同様(どうやう)であらうと思(おも)ひます。210今日(こんにち)の世(よ)の中(なか)は文化(ぶんくわ)の低下(ていか)せしにもあらず、211生産(せいさん)の減少(げんせう)にもあらず、212僧侶(そうりよ)宣伝使(せんでんし)の尠(すくな)きにもあらず、213兵備(へいび)の整(ととの)はざるにもあらず、214然(しか)るに昨日(さくじつ)の隆盛(りうせい)も今日(こんにち)の沈衰(ちんすゐ)、215径庭(けいてい)かくの如(ごと)く甚(はなは)だしきものは何(ど)の理由(りいう)ぞ。216要(えう)するに国家(こくか)社会(しやくわい)本来(ほんらい)の意義(いぎ)を体得(たいとく)した大統(だいとう)的(てき)偉材(ゐざい)の欠乏(けつぼう)せるが為(ため)で厶(ござ)いませう。217故(ゆゑ)に私(わたし)は民衆(みんしう)的(てき)力(ちから)をば信(しん)ずることは出来(でき)ませぬ。218独(ひと)り神雄(しんゆう)的(てき)聖(せい)救世主(きうせいしゆ)の出現(しゆつげん)を待(ま)つのみで厶(ござ)います。
219 主(しゆ)エス・キリストが山上(さんじやう)に訓(くん)を垂(た)れさせ玉(たま)ふや、220群集(ぐんしふ)は其(そ)の教(をしへ)に驚(おどろ)き、221孔子(こうし)の春秋(しゆんじう)を作(つく)つて発表(はつぺう)するや、222乱臣(らんしん)賊子(ぞくし)をして悚懼(しようく)せしめたでは厶(ござ)いませぬか。223そは主(しゆ)キリストや孔子(こうし)は所謂(いはゆる)学者(がくしや)等(ら)の如(ごと)くならずして、224権威(けんゐ)あるものの如(ごと)くであつたからでありませう。225今(いま)や世界(せかい)の民(たみ)は自(みづか)ら驚(おどろ)かむことを求(もと)めつつあります。226今日(こんにち)の人民(じんみん)は既(すで)に自分(じぶん)等(ら)が不平(ふへい)の代弁者(だいべんしや)の饒舌(ぜうぜつ)に倦(う)み果(は)てて居(を)ります。227今日(こんにち)の人民(じんみん)が鶴首(くわくしゆ)して待(ま)つて居(ゐ)るものは、228金切声(かなきりごゑ)を搾(しぼ)つて彼(かれ)等(ら)自身(じしん)の窮状(きうじやう)を説明(せつめい)するものでは無(な)くて、229神(かみ)の如(ごと)き威厳(ゐげん)を以(もつ)て其(そ)の進路(しんろ)を指(さ)すものの出現(しゆつげん)であります。230神(かみ)に於(おい)てはその言(い)ふ所(ところ)は即(すなは)ち行(おこな)ふ所(ところ)となるのであります。231徒(いたづら)に民(たみ)と共(とも)に叫(さけ)び、232民(たみ)と共(とも)に躍(をど)る如(ごと)きは是(こ)れ雪上(せつじやう)更(さら)に霜(しも)を加(くは)ふるの類(るゐ)であつて、233吾々(われわれ)真(しん)に天下(てんか)の重(おも)きを以(もつ)て任(にん)ずる信者(しんじや)諸士(しよし)の深(ふか)く恥(はづ)る所(ところ)なのであります。234何卒(なにとぞ)吾(わ)が敬愛(けいあい)なる神(かみ)の御子(みこ)たちよ、235民衆(みんしう)の煽動(せんどう)に乗(じやう)ずること無(な)く隠忍(いんにん)自重(じちよう)して以(もつ)て神雄(しんゆう)偉人(ゐじん)としての聖(せい)キリストの再臨(さいりん)を待(ま)たうぢや厶(ござ)いませぬか。236アーメン』
237と結(むす)んで演壇(えんだん)を降(くだ)る。238急霰(きふさん)の如(ごと)き拍手(はくしゆ)の声(こゑ)に満堂(まんだう)揺(ゆる)がむ許(ばか)りの光景(くわうけい)であつた。
239 ブラバーサは壇上(だんじやう)に悠々(いういう)と立上(たちあが)り、240暗祈(あんき)黙祷(もくたう)の後(のち)、241聴衆(ちやうしう)一般(いつぱん)に向(むか)つて敬意(けいい)を表(へう)し、242コツプの水(みづ)を一杯(いつぱい)グイと呑干(のみほ)し乍(なが)ら、243咳一咳(がいいちがい)して曰(いは)く、
244ブラバーサ『皆様(みなさま)、245今日(けふ)は実(じつ)に目出度(めでた)き主(しゆ)の復活日(ふくくわつび)で厶(ござ)いまして、246地球(ちきう)上(じやう)の人民(じんみん)は、247老若(らうにやく)男女(なんによ)の嫌(きら)ひなく、248此(この)聖日(せいじつ)を欣仰(きんかう)せない者(もの)は厶(ござ)いますまい。249殊(こと)に吾々(われわれ)御(お)互(たがひ)は神(かみ)様(さま)の寵児(ちようじ)として、250親(した)しく神(かみ)様(さま)にお任(つか)へさして頂(いただ)いて居(を)りまする点(てん)からしても、251特(とく)に讃仰(さんかう)せねばならないと存(ぞん)じます。252思想界(しさうかい)の悪潮流(あくてうりう)は世界(せかい)に氾濫(はんらん)し、253今(いま)や地上(ちじやう)の神(かみ)の国(くに)は破滅(はめつ)せむとするの勢(いきほ)ひで厶(ござ)います。254一(いち)時(じ)も早(はや)く此(この)暗黒(あんこく)の帳(とばり)を開(ひら)いて、255明晃々(めいくわうくわう)たる日出(ひので)の御代(みよ)を来(きた)すべく、256吾々(われわれ)は努力(どりよく)せなくてはなりませぬ』
257 斯(か)く論(ろん)じ来(きた)る折(をり)、258聴衆(ちやうしう)の中(なか)よりやをら身(み)を起(おこ)し、259満面(まんめん)朱(しゆ)を濺(そそ)ぎ乍(なが)ら、260ツカツカと壇上(だんじやう)に上(のぼ)つて来(き)た婆(ばば)アは、261日出島(ひのでじま)からやつて来(き)たお寅(とら)であつた。262お寅(とら)はブラバーサに向(むか)ひ、
263お寅『コレ、264お前(まへ)はブラバーサぢやないか。265今(いま)聞(き)いてをれば、266一(いち)時(じ)も早(はや)く日出(ひので)の御代(みよ)になる様(やう)、267吾々(われわれ)は努力(どりよく)せねばならぬと云(い)つたぢやないか。268日出(ひので)の御代(みよ)にするのは、269日出国(ひのでのくに)の天職(てんしよく)ぢやぞえ。270そして日出(ひので)の島(しま)から現(あら)はれた此(この)日出(ひので)の神(かみ)が本当(ほんたう)の世界(せかい)の救世主(きうせいしゆ)だ。271日出(ひので)の神(かみ)の因縁(いんねん)が聞(き)きたければ、272此(この)御(ご)本尊(ほんぞん)に聞(き)いたが一番(いちばん)近道(ちかみち)だ。273ひつこみてゐなさい。274ヘン、275偉相(えらさう)に、276宣伝使(せんでんし)面(づら)をさげて、277何(なん)のこつちやいなア。278コレ皆(みな)さま、279こんなバチ者(もの)に耳(みみ)をかす必要(ひつえう)はありませぬ。280誠(まこと)の救世主(きうせいしゆ)日出(ひので)の神(かみ)は此(この)お寅(とら)で厶(ござ)いますぞや。281第一(だいいち)此(この)ブラバーサなぞは、282面(つら)からしてなつてゐないぢやありませぬか。283梟鳥(ふくろどり)のやうな目玉(めだま)をして、284土左衛門(どざゑもん)のやうに青(あを)ぶくれた面(つら)して、285此(この)ザマつて、286厶(ござ)いますまい』
287 聴衆(ちやうしう)の中(なか)より、
288『お寅(とら)婆(ばば)ア、289退却(たいきやく)だ退却(たいきやく)だ、290引(ひき)ずりおろせ』
291と叫(さけ)ぶ者(もの)がある。292又(また)一方(いつぱう)よりは、
293『ブラバーサ聖師(せいし)、294確(しつか)り頼(たの)みます』
295と叫(さけ)ぶ者(もの)もあつた。296お寅(とら)はクワツと怒(いか)り、297聴衆(ちやうしう)を睨(ね)めつけ乍(なが)ら、
298お寅『ヘン盲(めくら)聾(つんぼ)と云(い)つても余(あんま)りぢやないか。299これでは神(かみ)様(さま)も御(ご)苦労(くらう)ぢやわい。300警鐘(けいしよう)乱打(らんだ)の声(こゑ)も雷霆(らいてい)叱咤(しつた)の響(ひび)きも、301耳(みみ)に這入(はい)らぬといふ御(ご)連中(れんちう)の多(おほ)い世(よ)の中(なか)だから、302三千(さんぜん)世界(せかい)の立替(たてかへ)立直(たてなほ)しを双肩(そうけん)に担(にな)うた此(この)日(ひ)の出(で)の神(かみ)も、303本当(ほんたう)に迷惑(めいわく)を致(いた)しますわい。304此(この)ブラバーサといふ立派(りつぱ)な宣伝使(せんでんし)は、305お前(まへ)さま方(がた)遠国(ゑんごく)の事(こと)で何(なに)も知(し)らぬだらうが、306今(いま)此(この)お寅(とら)の救世主(きうせいしゆ)が素性(すじやう)をあかし、307皆(みな)さまのお目(め)をさましてあげませう。308ウズンバラチヤンダーなどと申(まを)す偽(にせ)変性(へんじやう)女子(によし)の頤使(いし)に甘(あま)んじ、309キリスト再臨(さいりん)の先駆(せんく)だなどと自惚(うぬぼれ)して、310ぬつけりこと此(この)聖地(せいち)に参(まゐ)り、311あらう事(こと)か、312あるまい事(こと)か、313神聖(しんせい)にして冒(おか)す可(べか)らざる、314オリブ山(ざん)の聖場(せいぢやう)に於(おい)て、315夫(そ)れは夫(そ)れはいふに云(い)はれぬ、316とくに説(と)かれぬ、317話(はなし)にも杭(くひ)にもかからぬ、318面白(おもしろ)い怪体(けたい)な乱痴気(らんちき)騒(さわ)ぎを遊(あそ)ばすといふ大紳士(だいしんし)で厶(ござ)いますから、319ホヽヽヽヽ。320余(あま)り可笑(をか)しうて臍(へそ)が茶(ちや)を沸(わか)しますぞや。321ここ迄(まで)いふたら、322大抵(たいてい)のお歴々(れきれき)方(がた)は略(ほぼ)肯(うなづ)かれませう、323アメリカンコロニーの牛耳(ぎうじ)をとつてゐるといふマリヤさまと、324それはそれは、325ヘン……もう後(あと)はいひますまい。326同席(どうせき)するも汚(けが)らはしい。327ブラバーサさま、328良心(りやうしん)があるならとつとと退却(たいきやく)なされませ。329ようマアぬつけりことこんな所(ところ)へ、330横柄(わうへい)な面(つら)をして上(あが)られたものだな。331早(はや)くシオン山(ざん)の隠処(かくれが)へでもひつ込(こ)んでゐなさい。332日出(ひので)の国人(くにびと)の可(よ)い面(つら)よごしだよ』
333 ブラバーサはやをら身(み)を起(おこ)し群衆(ぐんしう)に対(むか)ひ、
334ブラバーサ『皆(みな)さま、335私(わたし)は折角(せつかく)の此(この)聖日(せいじつ)に当(あた)りまして、336皆様(みなさま)と共(とも)に主(しゆ)の日(ひ)を祝(しゆく)し奉(まつ)り、337尚(なほ)将来(しやうらい)の御(ご)相談(さうだん)を致(いた)したいと存(ぞん)じましたが、338斯(かく)の如(ごと)く邪魔(じやま)が這入(はい)りましては、339お話(はなし)する訳(わけ)にもゆかず、340又(また)皆様(みなさま)も喧嘩(けんくわ)をお聞(き)きにお出(い)でなさつたのぢや厶(ござ)いませぬから、341私(わたし)は一寸(ちよつと)控(ひか)えますから、342どうかお寅(とら)さまの演説(えんぜつ)を聞(き)いて上(あ)げて下(くだ)さいませ。343匹夫(ひつぷ)の言(げん)にも得(う)る所(ところ)ありといふ事(こと)もありますし、344まして三千(さんぜん)世界(せかい)を統一(とういつ)し、345且(かつ)改良(かいりやう)するといふ大責任(だいせきにん)を自覚(じかく)して厶(ござ)る御(お)方(かた)ださうで厶(ござ)いますから……』
346お寅『そら、347何(な)アんーと仰有(おつしや)る、348匹夫(ひつぷ)の言(げん)とは誰(たれ)の事(こと)だ。349大方(おほかた)蛙(かへる)は口(くち)から自分(じぶん)の事(こと)を云(い)つてるのだらうな。350匹夫(ひつぷ)といへば男(をとこ)のこと。351此(この)お寅(とら)は、352淑女(しゆくぢよ)否(いな)神女(しんぢよ)だ。353神女(しんぢよ)と匹夫(ひつぷ)と混同(こんどう)するやうな事(こと)で、354どうして宣伝使(せんでんし)が勤(つと)まりますか』
355 ブラバーサは耳(みみ)にもかけず、356サツサと降壇(かうだん)し、357聴衆(ちやうしう)の中(なか)に交(まじ)つて、358ハンケチで汗(あせ)をふいてゐる。359お寅(とら)は勝誇(かちほこ)つた面持(おももち)にて、360稍(やや)反(そ)り身(み)になり乍(なが)ら、361コツプの水(みづ)を二三杯(にさんばい)つづけさまにグウグウとひつかけ、362余(あま)りあわてて、363水(みづ)が気管支(きくわんし)の中(なか)へ浸入(しんにふ)し、364コホンコホンと咳払(せきばらひ)止(や)まず、365目(め)から一杯(いつぱい)涙(なみだ)をこぼし、366卓(テーブル)にもたれて、367しやがんで了(しま)つた。368そこへ守宮別(やもりわけ)はお寅(とら)の演説(えんぜつ)を補(おぎな)はむと、369ヅブ六(ろく)に酔(よ)ひ乍(なが)ら、370ヒヨロリヒヨロリと登壇(とうだん)し、
371守宮別『皆(みな)さま、372お寅(とら)さまは、373中途(ちゆうと)に負傷(ふしやう)を致(いた)しましたので、374拙者(せつしや)が代(かは)つて代理(だいり)を勤(つと)めます。375どうぞ不悪(あしからず)思召(おぼしめ)し下(くだ)さいませ。376私(わたし)は自転倒(おのころ)島(じま)から案内役(あんないやく)として、377お寅(とら)さまに頼(たの)まれ参(まゐ)つて来(き)た者(もの)で厶(ござ)いますが、378別(べつ)にお寅(とら)さまの説(せつ)を信(しん)じたのでもなければ、379神格(しんかく)に感動(かんどう)したのでもありませぬ。380付(つ)いてはブラバーサ君(くん)に対(たい)しても同様(どうやう)の考(かんが)へを持(も)つてをります。381とに角(かく)世(よ)の中(なか)は偽(にせ)救世主(きうせいしゆ)、382偽(にせ)キリスト、383偽(にせ)予言者(よげんしや)の横行(わうかう)濶歩(くわつぽ)する最中(さいちう)ですから、384どれがホン物(もの)か偽者(にせもの)か、385一寸(ちよつと)判断(はんだん)に苦(くるし)まざるを得(え)ませぬ。386キリストといふ事(こと)は日(ひ)の出(で)の国(くに)の言葉(ことば)でいへば、387……油(あぶら)をそそぐ者(もの)……とかいひますが、388油(あぶら)を注(そそ)ぐ事(こと)に付(つ)いて最(もつと)も堪能(たんのう)なのは此(この)お寅(とら)さまですよ。389喧嘩(けんくわ)の火(ひ)が燃(も)え盛(さか)つてる所(ところ)へ、390薪(たきぎ)を放(ほ)り込(こ)み油(あぶら)を注(そそ)ぐやうな事(こと)を得意(とくい)で為(なさ)います。391それで火(ひ)の勢(いきほひ)が益々(ますます)強(つよ)くなるので、392それで火(ひ)の出神(でのかみ)と自称(じしよう)して厶(ござ)るのであります。393ヤソといふ事(こと)はイエスともいひ、394イエスは癒(い)やすといふ事(こと)にもなり、395要(えう)するに薬(くすり)といふ事(こと)です。396くすりはヤクとなる、397ヤクは薬師(やくし)如来(によらい)です。398ヤツコスです。399それで薬(くすり)の最(もつとも)秀(すぐ)れた物(もの)は酒(さけ)です。400これ位(ぐらゐ)効験(かうけん)のある神(かみ)は世界(せかい)に厶(ござ)いますまい。401一口(ひとくち)のみてもすぐに頬(ほほ)にホンノリと赤味(あかみ)が出(で)て来(く)る。402二口(ふたくち)三口(みくち)と呑(の)めばのむ程(ほど)心(こころ)が浮(う)いて、403世(よ)の中(なか)が面白(おもしろ)くなつて参(まゐ)ります。404つまり天国(てんごく)が忽(たちま)ち出現(しゆつげん)するのです。405それに何(なん)ぞや、406禁酒(きんしゆ)禁煙(きんえん)だとかキリストの信者(しんじや)はいつてゐますが、407これ位(くらゐ)矛盾(むじゆん)した事(こと)は世(よ)の中(なか)に厶(ござ)いますまい』
408などとヘベレケに酔(よ)ふて酒宣伝(さけせんでん)をやつてゐる。409其(その)間(ま)にお寅(とら)は喉(のど)の調子(てうし)が直(なほ)つたとみえ頭(かしら)を擡(もた)げ、410守宮別(やもりわけ)の側(そば)にゐるのを見(み)て、411百万(ひやくまん)の味方(みかた)を得(え)た如(ごと)き気分(きぶん)になり、
412お寅『皆(みな)さま此(この)方(かた)は守宮別(やもりわけ)といひまして、413日(ひ)の出(で)の島(しま)切(き)つての聖人(せいじん)で厶(ござ)います。414併(しか)し乍(なが)ら少(すこ)し許(ばか)り今日(けふ)は聖日(せいじつ)を祝(しゆく)する為(ため)に、415お神酒(みき)をあがつてゐられますから、416チツト許(ばか)り脱線(だつせん)の気味(きみ)があるかも知(し)れませぬが、417脱線(だつせん)する様(やう)な人間(にんげん)でないと正当(せいたう)な事(こと)は分(わか)りませぬ。418御覧(ごらん)なさい、419汽車(きしや)でさへ余(あま)り勢(いきほひ)よく走(はし)ると、420勢(いきほひ)が余(あま)つて脱線(だつせん)するでせう。421さうだから其(その)積(つも)りで聞(き)いて貰(もら)はんと、422取違(とりちがひ)されると困(こま)りますから、423一寸(ちよつと)御(ご)注意(ちうい)を与(あた)へておきます』
424 聴衆(ちやうしう)は四方(しはう)八方(はつぱう)よりワイワイと騒(さわ)ぎ立(た)ち、425「引(ひ)きずりおとせ……放(ほ)り出(だ)せ」と呶鳴(どな)り出(だ)したり。426演説(えんぜつ)を聞(きき)に来(き)てゐた、427回々教(フイフイけう)の信者(しんじや)トンク、428テク、429ツーロの三(さん)人(にん)は矢庭(やには)に壇上(だんじやう)に駆上(かけあが)り、430トンクはお寅(とら)をかたげ、431テク、432ツーロは守宮別(やもりわけ)をかたげて、433ヨイシヨヨイシヨと囃(はや)し立(た)て乍(なが)ら、434僧院(そうゐん)ホテルの裏口(うらぐち)より何処(いづこ)ともなく駆出(かけだ)して了(しま)ふた。435之(これ)よりブラバーサは再(ふたたび)壇上(だんじやう)に立(た)ち、436救世主(きうせいしゆ)の再臨(さいりん)に関(くわん)する演説(えんぜつ)や、437世界(せかい)共通語(きやうつうご)の必要(ひつえう)なる所以(ゆゑん)を説(と)き、438次(つい)でマリヤの簡単(かんたん)なる演説(えんぜつ)あり、439神前(しんぜん)に拝礼(はいれい)を了(をは)り、440茶菓(さくわ)の饗応(きやうおう)あつて目出度(めでた)く此(この)聖日祭(せいじつさい)を閉(と)づる事(こと)になつた。
441(大正一四・八・一九 旧六・三〇 於丹後由良秋田別荘 松村真澄録)
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