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霊界物語
山河草木(第61~72巻、入蒙記)
第64巻(卯の巻)下
序文
総説
第1篇 復活転活
第1章 復活祭
第2章 逆襲
第3章 草居谷底
第4章 誤霊城
第5章 横恋慕
第2篇 鬼薊の花
第6章 金酒結婚
第7章 虎角
第8章 擬侠心
第9章 狂怪戦
第10章 拘淫
第3篇 開花落花
第11章 狂擬怪
第12章 開狂式
第13章 漆別
第14章 花曇
第15章 騒淫ホテル
第4篇 清風一過
第16章 誤辛折
第17章 茶粕
第18章 誠と偽
第19章 笑拙種
第20章 猫鞍干
第21章 不意の官命
第22章 帰国と鬼哭
余白歌
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霊界物語
>
山河草木(第61~72巻、入蒙記)
>
第64巻(卯の巻)下
> 第3篇 開花落花 > 第13章 漆別
<<< 開狂式
(B)
(N)
花曇 >>>
第一三章
漆別
(
うるしわけ
)
〔一八一九〕
インフォメーション
著者:
出口王仁三郎
巻:
霊界物語 第64巻下 山河草木 卯の巻下
篇:
第3篇 開花落花
よみ(新仮名遣い):
かいからっか
章:
第13章 漆別
よみ(新仮名遣い):
うるしわけ
通し章番号:
1819
口述日:
1925(大正14)年08月20日(旧07月1日)
口述場所:
丹後由良 秋田別荘
筆録者:
松村真澄
校正日:
校正場所:
初版発行日:
1925(大正14)年11月7日
概要:
舞台:
路上、青楼(有明家)
あらすじ
[?]
このあらすじは東京の望月さん作成です(一部加筆訂正してあります)。一覧表が「
王仁DB
」にあります。
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:
主な登場人物
[?]
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:
備考:
タグ:
データ凡例:
データ最終更新日:
2017-11-26 19:10:13
OBC :
rm64b13
愛善世界社版:
174頁
八幡書店版:
第11輯 560頁
修補版:
校定版:
177頁
普及版:
63頁
初版:
ページ備考:
001
昨日
(
さくじつ
)
の
暴動
(
ばうどう
)
騒
(
さわ
)
ぎで、
002
憲兵
(
けんぺい
)
や
警官
(
けいくわん
)
が
血眼
(
ちまなこ
)
になり、
003
行交
(
ゆきか
)
ふ
人
(
ひと
)
を
一々
(
いちいち
)
誰何
(
すいか
)
して、
004
主義者
(
しゆぎしや
)
の
入込
(
いりこ
)
まない
様
(
やう
)
と、
005
警戒網
(
けいかいまう
)
を
張
(
は
)
つてゐる。
006
守宮別
(
やもりわけ
)
は
新調
(
しんてう
)
の
洋服
(
やうふく
)
を
着
(
つ
)
け
乍
(
なが
)
ら、
007
駅
(
えき
)
の
棟
(
むね
)
が
仄
(
ほの
)
かに
見
(
み
)
える
地点
(
ちてん
)
までやつて
来
(
く
)
ると、
008
一人
(
ひとり
)
の
警官
(
けいくわん
)
がツカツカと
寄
(
よ
)
り
来
(
きた
)
り、
009
警官
『
一寸
(
ちよつと
)
待
(
ま
)
つて
下
(
くだ
)
さい。
010
身体
(
しんたい
)
検査
(
けんさ
)
を
致
(
いた
)
しますから』
011
守宮別
(
やもりわけ
)
は
警官
(
けいくわん
)
よりも
何
(
なに
)
よりも
恐
(
おそ
)
ろしいのは、
012
疑深
(
うたがひぶか
)
いお
花
(
はな
)
の
追跡
(
つゐせき
)
である。
013
余
(
あま
)
り
彼方
(
あちら
)
此方
(
こちら
)
をキヨロキヨロと
見廻
(
みまは
)
し
乍
(
なが
)
ら
歩
(
ある
)
いてゐたものだから、
014
警官
(
けいくわん
)
に
怪
(
あや
)
しまれて、
015
首尾
(
しゆび
)
よく
取
(
と
)
つ
捉
(
つか
)
まれたるなりき。
016
守宮別
『
私
(
わたし
)
は
守宮別
(
やもりわけ
)
です。
017
警官
(
けいくわん
)
に
調
(
しら
)
べられる
理由
(
りいう
)
はありませぬ。
018
これでも
日出島
(
ひのでじま
)
の
高等
(
かうとう
)
武官
(
ぶくわん
)
ですよ。
019
余
(
あま
)
り
乱暴
(
らんばう
)
な
事
(
こと
)
をなさると、
020
帝国
(
ていこく
)
公使館
(
こうしくわん
)
へ
訴
(
うつた
)
へて、
021
エルサレム
署
(
しよ
)
の
暴状
(
ばうじやう
)
を
曝露
(
ばくろ
)
し、
022
国際
(
こくさい
)
問題
(
もんだい
)
を
起
(
おこ
)
しますよ、
023
そこ
放
(
はな
)
して
下
(
くだ
)
さい。
024
急用
(
きふよう
)
がありますから』
025
警官
『さう
慌
(
あわ
)
てるには
及
(
およ
)
ばないぢやありませぬか。
026
どうも
其処辺
(
そこら
)
をキヨロキヨロ
見廻
(
みまは
)
し、
027
おちつきの
無
(
な
)
い
貴方
(
あなた
)
の
歩
(
ある
)
き
方
(
かた
)
、
028
挙動
(
きよどう
)
不審
(
ふしん
)
と
認
(
みと
)
めますから、
029
一応
(
いちおう
)
身体
(
しんたい
)
を
取調
(
とりしら
)
べます』
030
守宮別
『
取調
(
とりしら
)
べるなら
調
(
しら
)
べても
宜
(
よろ
)
しい。
031
後腹
(
あとばら
)
の
病
(
や
)
めないやうに
気
(
き
)
をつけなさいや、
032
ヘン、
033
人
(
ひと
)
を
馬鹿
(
ばか
)
にしてゐる』
034
といひ
乍
(
なが
)
ら、
035
自分
(
じぶん
)
からボタンを
外
(
はづ
)
し、
036
大道
(
だいだう
)
のまん
中
(
なか
)
で、
037
赤裸
(
まつぱだか
)
となり、
038
オチコもポホラのヌボも
丸出
(
まるだ
)
しにして
見
(
み
)
せる。
039
警官
『イヤ、
040
宜
(
よろ
)
しい、
041
エー
御
(
お
)
邪魔
(
じやま
)
を
致
(
いた
)
しました。
042
どうぞ
服
(
ふく
)
を
着
(
つ
)
けて
下
(
くだ
)
さい』
043
守宮別
『
服
(
ふく
)
を
着
(
き
)
いと
言
(
い
)
はなくとも、
044
俺
(
おれ
)
の
服
(
ふく
)
だ、
045
勝手
(
かつて
)
に
着
(
き
)
るワイ。
046
要
(
い
)
らぬ
おとがい
を
叩
(
たた
)
くな』
047
と
云
(
い
)
ひ
乍
(
なが
)
ら、
048
スラスラと
洋服
(
やうふく
)
を
着
(
つ
)
け、
049
十日
(
とをか
)
程
(
ほど
)
前
(
まへ
)
にチラツと
見
(
み
)
ておいた、
050
白首
(
しらくび
)
の
居
(
ゐ
)
る
青楼
(
せいろう
)
指
(
さ
)
して、
051
一目散
(
いちもくさん
)
に
走
(
はし
)
り
行
(
ゆ
)
く。
052
裸
(
はだか
)
になつた
際
(
さい
)
、
053
三千
(
さんぜん
)
円
(
ゑん
)
入
(
い
)
りの
蟇口
(
がまぐち
)
を
落
(
おと
)
し、
054
気
(
き
)
がつかぬ
様子
(
やうす
)
なので、
055
警官
(
けいくわん
)
は
何
(
なに
)
か
秘密
(
ひみつ
)
書類
(
しよるゐ
)
でもあるのではなかろか。
056
日出島
(
ひのでじま
)
の
高等
(
かうとう
)
武官
(
ぶくわん
)
だと
云
(
い
)
ひよつたから、
057
軍事
(
ぐんじ
)
探偵
(
たんてい
)
かも
知
(
し
)
れない。
058
軍備
(
ぐんび
)
に
関
(
くわん
)
する
秘密
(
ひみつ
)
書類
(
しよるゐ
)
でもあらうものなら、
059
巡査
(
じゆんさ
)
部長
(
ぶちやう
)
は
忽
(
たちま
)
ち
警部
(
けいぶ
)
になれるだらうといふ、
060
いろいろな
考
(
かんが
)
へから、
061
ソツと
拾
(
ひろ
)
ひあげ、
062
本署
(
ほんしよ
)
へ
持帰
(
もちかへ
)
り
署長
(
しよちやう
)
の
前
(
まへ
)
で
中
(
なか
)
を
検
(
あらた
)
める
事
(
こと
)
とした。
063
守宮別
(
やもりわけ
)
は
確
(
たしか
)
にポケツトの
中
(
なか
)
に
蟇口
(
がまぐち
)
と
共
(
とも
)
に
三千
(
さんぜん
)
円
(
ゑん
)
入
(
はい
)
つてゐるものと
安心
(
あんしん
)
し、
064
鷹揚
(
おうやう
)
な
態度
(
たいど
)
で、
065
青楼
(
せいろう
)
の
段階子
(
だんばしご
)
を
上
(
のぼ
)
り、
066
三階
(
さんがい
)
の
見晴
(
みはらし
)
よき
一間
(
ひとま
)
に
入
(
はい
)
つて、
067
頻
(
しき
)
りに
手
(
て
)
を
叩
(
たた
)
いてゐる。
068
階下
(
かいか
)
の
方
(
はう
)
に『ハーイ』といふ
甲走
(
かんばし
)
つた
女
(
をんな
)
の
声
(
こゑ
)
がしたと
思
(
おも
)
へば、
069
間
(
ま
)
もなく、
070
トントントンと
段階子
(
だんばしご
)
を
轟
(
とどろ
)
かせ
上
(
あが
)
つて
来
(
き
)
たのは、
071
兼
(
かね
)
て
見
(
み
)
ておいた、
072
色白
(
いろじろ
)
の
十七八
(
じふしちはち
)
の
美人
(
びじん
)
である。
073
守宮別
(
やもりわけ
)
は
俄
(
にはか
)
に
口
(
くち
)
のはたの
泡
(
あわ
)
を
拭
(
ふ
)
いたり
目
(
め
)
ヤニを
取
(
と
)
つたり、
074
鼻
(
はな
)
をかみたりし
乍
(
なが
)
ら、
075
済
(
す
)
ました
顔
(
かほ
)
で
控
(
ひか
)
へてゐると、
076
女(綾子)
『お
客
(
きやく
)
さま、
077
コンチは、
078
今日
(
コンチ
)
はありー……』
079
守宮別
『ホヽヽヽ、
080
何
(
なん
)
だ
今日
(
コンチ
)
は
有
(
あ
)
りーと
云
(
い
)
ふたつて
分
(
わか
)
らぬぢやないか。
081
俺
(
おれ
)
や
砂糖
(
さたう
)
ではないぞ、
082
佐渡
(
さど
)
の
土
(
つち
)
の
化身
(
けしん
)
だぞ。
083
モツとハツキリ
言
(
い
)
はぬかい』
084
女(綾子)
『ハイ、
085
あテイは、
086
総理
(
そうり
)
大臣
(
だいじん
)
に
呼
(
よ
)
ばれましても、
087
知事
(
ちじ
)
さまに
招
(
よ
)
ばれましても、
088
華族
(
くわぞく
)
さまによばれましても、
089
今日
(
こんち
)
はアリーで
通
(
とほ
)
るのですもの、
090
今
(
いま
)
のお
役人
(
やくにん
)
さまは、
091
官等
(
くわんとう
)
で
一級
(
いつきふ
)
違
(
ちが
)
ふと、
092
それはそれは
偉
(
えら
)
いものですがな。
093
局長
(
きよくちやう
)
さまの
所
(
ところ
)
へ
課長
(
くわちやう
)
さまがお
出
(
いで
)
になると、
094
直立
(
ちよくりつ
)
不動
(
ふどう
)
の
姿勢
(
しせい
)
で、
095
……ハ、
096
ハ、
097
ハヽヽと、
098
かう
畏
(
かしこ
)
まつてゐやはります。
099
局長
(
きよくちやう
)
さまは
局長
(
きよくちやう
)
さまで、
100
不行儀
(
ふぎやうぎ
)
な
格好
(
かくかう
)
で、
101
椅子
(
いす
)
にのさばり
返
(
かへ
)
つて、
102
……
何々
(
なになに
)
の
事務
(
じむ
)
は
何
(
ど
)
うなつたか、
103
巧
(
うま
)
くやつとけよ……と
仰有
(
おつしや
)
ひます。
104
さうすると、
105
課長
(
くわちやう
)
さまは、
106
……ハア、
107
オチ
二三
(
にさん
)
式
(
しき
)
で、
108
怖
(
こは
)
い
様
(
やう
)
にして
下
(
さが
)
つて
行
(
い
)
かはりますワ。
109
其
(
その
)
局長
(
きよくちやう
)
さまが
大臣
(
だいじん
)
の
側
(
そば
)
へ
行
(
ゆ
)
くと
前
(
まへ
)
の
課長
(
くわちやう
)
さまよりも、
110
マ
一
(
ひと
)
つエライ
謹慎振
(
きんしんぶり
)
ですよ。
111
総理
(
そうり
)
大臣
(
だいじん
)
と
来
(
き
)
ちや
剛勢
(
がうせい
)
なものですよ。
112
其
(
その
)
総理
(
そうり
)
大臣
(
だいじん
)
さまがチョコチョコ
妾
(
あたい
)
を
呼
(
よ
)
んで
呉
(
く
)
れやはりますが、
113
イヤもう
女
(
をんな
)
にかけたら、
114
ヤクタイなものですワ。
115
おつもの
毛
(
け
)
を
握
(
にぎ
)
つたり、
116
鼻
(
はな
)
をつまみ、
117
頤髯
(
あごひげ
)
を
掴
(
つか
)
んでパクパクさして
上
(
あ
)
げても、
118
顔
(
かほ
)
の
相好
(
さうがう
)
を
崩
(
くづ
)
して……コリヤ
綾子
(
あやこ
)
、
119
無茶
(
むちや
)
をするない……かう
仰有
(
おつしや
)
るのですもの、
120
絶対
(
ぜつたい
)
無限
(
むげん
)
の
権威
(
けんゐ
)
を、
121
芸者
(
げいしや
)
といふものは
具備
(
ぐび
)
してゐますよ。
122
それだから、
123
お
客
(
きやく
)
さまに、
124
アリー……といつたのは
余程
(
よほど
)
光栄
(
くわうえい
)
だと
思
(
おも
)
つて
下
(
くだ
)
さい』
125
守宮別
『
此奴
(
こいつ
)
ア
面白
(
おもしろ
)
い、
126
一寸
(
ちよつと
)
話
(
はな
)
せるワイ。
127
お
前
(
まへ
)
は
今
(
いま
)
綾子
(
あやこ
)
といつたが、
128
本名
(
ほんみやう
)
は
何
(
なん
)
といふのだ』
129
綾子
『ハイ、
130
妾
(
あたい
)
の
本名
(
ほんみやう
)
も
綾子
(
あやこ
)
、
131
源氏名
(
げんじな
)
は
有明家
(
ありあけや
)
の
綾子
(
あやこ
)
さまですよ』
132
守宮別
『ナニ?
綾子
(
あやこ
)
に
菖蒲
(
あやめ
)
、
133
怪体
(
けつたい
)
な
事
(
こと
)
もあるものだな。
134
女
(
をんな
)
に
迷
(
まよ
)
ふと
あやめ
も
分
(
わ
)
かぬ
真
(
しん
)
の
暗
(
やみ
)
になるといふ
事
(
こと
)
だが、
135
俺
(
おれ
)
の
心
(
こころ
)
もチツと
許
(
ばか
)
り
あや
しうなつて
来
(
き
)
たぞ』
136
綾子
『お
客
(
きやく
)
さま、
137
何程
(
なにほど
)
あやめ
が
分
(
わか
)
らなくなつても、
138
綾子
(
あやこ
)
しい
事
(
こと
)
さへ
無
(
な
)
けりや、
139
晴天
(
せいてん
)
白日
(
はくじつ
)
ですワ』
140
守宮別
『イヤ、
141
実
(
じつ
)
ア
観世音
(
くわんぜおん
)
菩薩
(
ぼさつ
)
綾子
(
あやこ
)
の
君
(
きみ
)
の
艶麗
(
えんれい
)
な
御
(
ご
)
容姿
(
ようし
)
を
拝観
(
はいくわん
)
して、
142
心
(
こころ
)
の
土台
(
どだい
)
が
あや
しくグラ
付
(
つ
)
き
出
(
だ
)
したのだよ。
143
オイ、
144
綾子
(
あやこ
)
、
145
素面
(
すめん
)
では
話
(
はなし
)
が
出来
(
でき
)
ない。
146
酒肴
(
さけさかな
)
を
金
(
かね
)
は
構
(
かま
)
はないから、
147
充分
(
じゆうぶん
)
拵
(
こしら
)
へて
持
(
も
)
つて
来
(
き
)
てくれ。
148
そして
此処
(
ここ
)
に
芸者
(
げいしや
)
が
何人
(
なんにん
)
居
(
を
)
るか
知
(
し
)
らぬが、
149
仮令
(
たとへ
)
百
(
ひやく
)
人
(
にん
)
居
(
を
)
つても
結構
(
けつこう
)
だ』
150
綾子
『お
客
(
きやく
)
さま、
151
ソンナ
訳
(
わけ
)
にや
行
(
ゆ
)
きませぬよ。
152
当地
(
たうち
)
の
規則
(
きそく
)
として、
153
一人
(
ひとり
)
のお
客
(
きやく
)
さまに
一人
(
ひとり
)
より
芸者
(
げいしや
)
は
出
(
だ
)
す
事
(
こと
)
が
出来
(
でき
)
ないですもの』
154
守宮別
『フーンさうか、
155
そら
仕方
(
しかた
)
がない。
156
今日
(
けふ
)
は
実
(
じつ
)
ア
三千
(
さんぜん
)
円
(
ゑん
)
の
散財
(
さんざい
)
をせうと
思
(
おも
)
つて
来
(
き
)
たのだが、
157
ナアンのこつちやい。
158
厭
(
いや
)
でも
応
(
おう
)
でも
流連
(
いつづけ
)
せねばならぬのか、
159
どれ
丈
(
だけ
)
使
(
つか
)
つたつて、
160
一人
(
ひとり
)
の
芸者
(
げいしや
)
に
三百
(
さんびやく
)
円
(
えん
)
は
使
(
つか
)
へまい。
161
さうすりや、
162
十日
(
とをか
)
も
有明楼
(
ありあけろう
)
の
牢獄
(
らうごく
)
住居
(
ずまゐ
)
かな、
163
アハヽヽヽ』
164
綾子
『
牢獄
(
らうごく
)
住居
(
ずまゐ
)
なぞと、
165
何
(
なに
)
仰有
(
おつしや
)
います。
166
激戦
(
げきせん
)
場裡
(
ぢやうり
)
に
立
(
た
)
つてゐる
紳士
(
しんし
)
紳商
(
しんしやう
)
、
167
大臣
(
だいじん
)
其
(
その
)
他
(
た
)
の
男
(
をとこ
)
さまが、
168
命
(
いのち
)
の
洗濯
(
せんたく
)
を
遊
(
あそ
)
ばす
天国
(
てんごく
)
浄土
(
じやうど
)
ですよ。
169
どうかお
金
(
かね
)
さへあれば、
170
十日
(
とをか
)
なと
百
(
ひやく
)
日
(
にち
)
なと
千
(
せん
)
日
(
にち
)
なと、
171
流連
(
いつづけ
)
して
下
(
くだ
)
さい。
172
其
(
その
)
代
(
かは
)
り
妾
(
あたい
)
が
手枕
(
てまくら
)
して
可愛
(
かあい
)
がつて
上
(
あ
)
げますワ』
173
守宮別
『ヨーシ
来
(
き
)
た。
174
此奴
(
こいつ
)
ア
洒落
(
しやれ
)
てる、
175
吾
(
わが
)
意
(
い
)
を
得
(
え
)
たりといふべしだ。
176
実
(
じつ
)
ア
綾子
(
あやこ
)
、
177
俺
(
おれ
)
はな
十日
(
とをか
)
程
(
ほど
)
以前
(
いぜん
)
、
178
此
(
この
)
門先
(
かどさき
)
を
通
(
とほ
)
つた
時
(
とき
)
、
179
お
前
(
まへ
)
の
姿
(
すがた
)
をチラツと
見初
(
みそ
)
めてから、
180
煩悩
(
ぼんなう
)
の
犬
(
いぬ
)
が
狂
(
くる
)
ひ
出
(
だ
)
し、
181
寝
(
ね
)
ても
醒
(
さめ
)
てもゐられないので、
182
国許
(
くにもと
)
へ
電報
(
でんぱう
)
を
打
(
う
)
ち、
183
金
(
かね
)
を
送
(
おく
)
つて
貰
(
もら
)
つて、
184
お
前
(
まへ
)
の
顔
(
かほ
)
を
見
(
み
)
に
来
(
き
)
たのだ。
185
俺
(
おれ
)
の
心底
(
しんてい
)
もチツトは、
186
汲取
(
くみと
)
つて
呉
(
く
)
れなくては
困
(
こま
)
るよ』
187
綾子
『あ、
188
さう
仰有
(
おつしや
)
いますと、
189
十日
(
とをか
)
程
(
ほど
)
以前
(
いぜん
)
に、
190
あの
有名
(
いうめい
)
な
気違
(
きちがひ
)
婆
(
ば
)
アさまのお
寅
(
とら
)
さまとかいふ
救世主
(
きうせいしゆ
)
のお
伴
(
とも
)
をして
歩
(
ある
)
いてゐられた、
191
ゐもり
とか、
192
とかげ
とかいふお
方
(
かた
)
ぢやありませぬか。
193
随分
(
ずゐぶん
)
親密
(
しんみつ
)
相
(
さう
)
な
態度
(
たいど
)
で
歩
(
ある
)
いてゐられましたね。
194
あんな
立派
(
りつぱ
)
な
奥
(
おく
)
さまがあるのに、
195
妾
(
あたい
)
のやうなお
多福
(
たふく
)
が
相手
(
あひて
)
になつて、
196
もしやお
寅
(
とら
)
さまに
嗅付
(
かぎつ
)
けられては、
197
妾
(
あたい
)
の
命
(
いのち
)
がありませぬワ。
198
どうか
今日
(
けふ
)
は
帰
(
かへ
)
つて
下
(
くだ
)
さいな。
199
一生
(
いつしやう
)
のお
願
(
ねがひ
)
ですもの』
200
守宮別
『
馬鹿
(
ばか
)
いふな、
201
俺
(
おれ
)
は
三
(
さん
)
ケ
月
(
げつ
)
以前
(
いぜん
)
、
202
国許
(
くにもと
)
を
出発
(
しゆつぱつ
)
し、
203
スイスのゼネバへ、
204
エスペラント
会議
(
くわいぎ
)
があつたので、
205
一寸
(
ちよつと
)
覗
(
のぞ
)
きに
行
(
い
)
つた
帰
(
かへ
)
りがけだ』
206
綾子
『
何時
(
いつ
)
ゼネバからお
帰
(
かへ
)
りになつたのですか』
207
守宮別
『ウン
昨日
(
きのふ
)
帰
(
かへ
)
つて
来
(
き
)
た
所
(
ところ
)
だ』
208
綾子
『ようマア、
209
お
客
(
きやく
)
さま、
210
ソンナ
嘘
(
うそ
)
つ
八
(
ぱち
)
が
言
(
い
)
はれたものですな、
211
現
(
げん
)
に
今
(
いま
)
妾
(
あたい
)
に、
212
十日前
(
とをかまへ
)
に
妾
(
あたい
)
の
顔
(
かほ
)
を
見
(
み
)
たと
仰有
(
おつしや
)
つたぢやありませぬか』
213
守宮別
『そら
言
(
い
)
ふた。
214
確
(
たしか
)
に
言
(
い
)
ふた。
215
其
(
その
)
十日前
(
とをかまへ
)
はゼネバへ
行
(
ゆ
)
く
道
(
みち
)
すがらだもの』
216
綾子
『
成程
(
なるほど
)
、
217
ソンナラさうにしておきませう。
218
兎
(
と
)
も
角
(
かく
)
お
金
(
かね
)
さへ
払
(
はら
)
つて
貰
(
もら
)
へば、
219
商売
(
しやうばい
)
ですから、
220
金
(
かね
)
丈
(
だけ
)
の
愛
(
あい
)
は
注
(
そそ
)
ぎますよ』
221
守宮別
『オイ
早
(
はや
)
く
酒
(
さけ
)
を
持
(
も
)
つて
来
(
こ
)
ぬかい、
222
座
(
ざ
)
が
白
(
しら
)
けて
仕方
(
しかた
)
がないぢやないか』
223
と
云
(
い
)
つてゐる
時
(
とき
)
しも、
224
トントントンと
階段
(
かいだん
)
を
上
(
のぼ
)
る
足音
(
あしおと
)
が
聞
(
きこ
)
え
来
(
き
)
たりぬ。
225
綾子
『お
客
(
きやく
)
さま、
226
お
待兼
(
まちかね
)
のお
酒
(
さけ
)
が
来
(
き
)
た
様
(
やう
)
ですワ』
227
守宮別
『ヤ、
228
其奴
(
そいつ
)
ア
豪気
(
がうき
)
だ。
229
早
(
はや
)
く
早
(
はや
)
く、
230
待兼山
(
まちかねやま
)
の
杜鵑
(
ほととぎす
)
だ』
231
茲
(
ここ
)
に
両人
(
りやうにん
)
は
喋々
(
てふてふ
)
喃々
(
なんなん
)
と
酒
(
さけ
)
汲
(
く
)
み
交
(
か
)
はし、
232
下
(
くだ
)
らぬ
話
(
はなし
)
に
時
(
とき
)
を
費
(
つひや
)
したり。
233
守宮別
(
やもりわけ
)
も
綾子
(
あやこ
)
も
無敵
(
むてき
)
の
上戸
(
じやうこ
)
連
(
れん
)
で
瞬
(
またた
)
く
間
(
うち
)
に
七八十
(
しちはちじつ
)
本
(
ぽん
)
の
燗徳利
(
かんとつくり
)
をこかして
了
(
しま
)
ひぬ。
234
綾子
(
あやこ
)
は
酒
(
さけ
)
に
酔
(
よ
)
ふたが
最後
(
さいご
)
、
235
仕
(
し
)
だらのない
女性
(
ぢよせい
)
で、
236
自分
(
じぶん
)
の
方
(
はう
)
から、
237
お
膳
(
ぜん
)
を
据
(
す
)
ゑるといふ、
238
したたか
者
(
もの
)
である。
239
守宮別
(
やもりわけ
)
は
益々
(
ますます
)
笑壺
(
ゑつぼ
)
に
入
(
い
)
り、
240
守宮別
『アヽア、
241
一万
(
いちまん
)
円
(
ゑん
)
の
金
(
かね
)
があれば、
242
一月
(
ひとつき
)
は
悠
(
ゆつ
)
くり
遊
(
あそ
)
べるのになア……』
243
と
私
(
ひそ
)
かに
歎息
(
たんそく
)
をもらし
乍
(
なが
)
ら、
244
会
(
あ
)
ふた
時
(
とき
)
に
笠
(
かさ
)
ぬげ
式
(
しき
)
で、
245
味
(
あぢ
)
の
悪
(
わる
)
い
蛤
(
はまぐり
)
を
食
(
く
)
つた
口直
(
くちなほ
)
しにと、
246
無性
(
むしやう
)
矢鱈
(
やたら
)
に
上
(
うへ
)
を
下
(
した
)
への
大活劇
(
だいくわつげき
)
をやり
出
(
だ
)
した。
247
到当
(
たうとう
)
二人
(
ふたり
)
は
髪
(
かみ
)
の
毛
(
け
)
から
爪
(
つめ
)
の
先
(
さき
)
迄
(
まで
)
解
(
と
)
け
合
(
あ
)
ふて
了
(
しま
)
ひ、
248
切
(
き
)
つても
切
(
き
)
れぬ
恋仲
(
こひなか
)
となりにけり。
249
守宮別
『オイ、
250
綾子
(
あやこ
)
、
251
お
前
(
まへ
)
は
一体
(
いつたい
)
どこから
来
(
き
)
たのだい』
252
綾子
『ハイ
妾
(
あたい
)
はエルサレム
生
(
うま
)
れですよ。
253
お
父
(
とう
)
さまが
極道
(
ごくだう
)
だものですから、
254
たうとう
妾
(
あたい
)
をコンナ
所
(
ところ
)
へ
売
(
う
)
つて
了
(
しま
)
つたのです。
255
妾
(
あたい
)
の
生
(
うま
)
れた
時
(
とき
)
は
相当
(
さうたう
)
な
財産家
(
ざいさんか
)
だつたさうですが
間
(
ま
)
もなくお
母
(
かあ
)
さまが
亡
(
な
)
くなられたので、
256
お
父
(
とう
)
さまが
後妻
(
ごさい
)
を
引入
(
ひきい
)
れ、
257
朝
(
あさ
)
から
晩
(
ばん
)
まで
酒池
(
しゆち
)
肉林
(
にくりん
)
の
大騒
(
おほさわ
)
ぎ、
258
何程
(
なにほど
)
金
(
かね
)
が
有
(
あ
)
つても
働
(
はたら
)
かずに
食
(
く
)
つて
許
(
ばか
)
り
居
(
を
)
れば、
259
山
(
やま
)
さへ
無
(
な
)
くなる
道理
(
だうり
)
、
260
たうとう
貧乏
(
びんばふ
)
のドン
底
(
ぞこ
)
に
落
(
お
)
ちて、
261
首
(
くび
)
がまはらぬので、
262
妾
(
あたい
)
を
十一
(
じふいち
)
の
年
(
とし
)
から、
263
此
(
この
)
有明楼
(
ありあけろう
)
へ
十
(
じふ
)
年
(
ねん
)
千
(
せん
)
円
(
ゑん
)
の
約束
(
やくそく
)
で
売
(
う
)
つて
了
(
しま
)
つたのです。
264
本当
(
ほんたう
)
に
困
(
こま
)
つた
親
(
おや
)
ですワ』
265
守宮別
『フーン、
266
話
(
はなし
)
を
聞
(
き
)
けば
聞
(
き
)
く
程
(
ほど
)
可哀相
(
かあいさう
)
だ。
267
ヨーシ、
268
俺
(
おれ
)
がキツと
助
(
たす
)
けてやるから
心配
(
しんぱい
)
するな。
269
お
前
(
まへ
)
のお
父
(
とう
)
さまといふのは
今
(
いま
)
何
(
なに
)
してゐるのだ』
270
綾子
『ヘー、
271
気違
(
きちがひ
)
婆
(
ば
)
アさまと
仇名
(
あだな
)
を
取
(
と
)
つた、
272
お
寅
(
とら
)
さまとかいふ
方
(
かた
)
の、
273
玄関番
(
げんくわんばん
)
に
雇
(
やと
)
はれてるといふ
事
(
こと
)
ですが、
274
どうなつたか
知
(
し
)
りませぬ。
275
此
(
この
)
間
(
あひだ
)
も
旦那
(
だんな
)
さまによう
似
(
に
)
た
男
(
をとこ
)
ハンとお
寅
(
とら
)
さまと、
276
妾
(
あたい
)
のお
父
(
とう
)
さまと、
277
ここの
門
(
かど
)
に
立
(
た
)
ち、
278
妾
(
あたい
)
を
指
(
ゆび
)
さしてゐました。
279
アンナ
人
(
ひと
)
がお
父
(
とう
)
さまかと
思
(
おも
)
へば
恥
(
はづか
)
しうて
堪
(
たま
)
りませぬワ』
280
守宮別
『ナニ、
281
あのヤク、
282
……』
283
といひかけて、
284
俄
(
にはか
)
に
口
(
くち
)
をつめ、
285
守宮別
『ソリヤ、
286
ヤク
介者
(
かいもの
)
だなア。
287
お
前
(
まへ
)
の
心痛
(
しんつう
)
も
察
(
さつ
)
する。
288
併
(
しか
)
し
人間
(
にんげん
)
は
七転
(
ななころび
)
八起
(
やおき
)
といふから
心配
(
しんぱい
)
するには
当
(
あた
)
らないよ』
289
綾子
『ハイ
御
(
ご
)
親切
(
しんせつ
)
に
有難
(
ありがた
)
う
厶
(
ござ
)
います。
290
旦那
(
だんな
)
さま、
291
何
(
ど
)
う
考
(
かんが
)
へても、
292
お
寅
(
とら
)
さまと
一緒
(
いつしよ
)
に
歩
(
ある
)
いて
居
(
を
)
られた、
293
守宮別
(
やもりわけ
)
さまのやうに
思
(
おも
)
へて
仕方
(
しかた
)
がありませぬワ』
294
守宮別
『そら
世界
(
せかい
)
にや、
295
他人
(
たにん
)
の
空似
(
そらに
)
といつて、
296
よく
似
(
に
)
た
者
(
もの
)
が
二人
(
ふたり
)
づつあるといふ
事
(
こと
)
だから。
297
それ
程
(
ほど
)
又
(
また
)
私
(
わし
)
に
能
(
よ
)
う
似
(
に
)
た
男
(
をとこ
)
があつたかいな』
298
綾子
『
色
(
いろ
)
の
浅黒
(
あさぐろ
)
い、
299
口
(
くち
)
の
尖
(
とが
)
つた
所
(
ところ
)
、
300
目
(
め
)
の
丸
(
まる
)
い
所
(
ところ
)
、
301
鼻
(
はな
)
の
格好
(
かくかう
)
、
302
毛
(
け
)
の
伸
(
の
)
び
具合
(
ぐあひ
)
、
303
どつから
何処
(
どこ
)
迄
(
まで
)
瓜二
(
うりふた
)
つですワ、
304
妙
(
めう
)
な
事
(
こと
)
があるものですな』
305
守宮別
『
綾子
(
あやこ
)
、
306
もうソンナこたア、
307
何
(
ど
)
うでも
可
(
い
)
いから、
308
一
(
ひと
)
つあつさり
唄
(
うた
)
はうぢやないか』
309
綾子
『どうか
一
(
ひと
)
つ
旦那
(
だんな
)
さまから
唄
(
うた
)
つて
下
(
くだ
)
さいな。
310
そして、
311
旦那
(
だんな
)
さまのお
名
(
な
)
を
聞
(
き
)
かして
下
(
くだ
)
さいな。
312
旦那
(
だんな
)
さま
旦那
(
だんな
)
さまでは、
313
根
(
ね
)
つから
気
(
き
)
が
行
(
ゆ
)
きませぬからな』
314
守宮別
『ウン、
315
俺
(
おれ
)
の
名
(
な
)
かい、
316
俺
(
おれ
)
の
名
(
な
)
は……ウン、
317
さうだな、
318
マア、
319
ブラバーサにしておかうかい』
320
綾子
『
旦那
(
だんな
)
さまツたら、
321
なまくらな。
322
そら
三五教
(
あななひけう
)
の
宣伝使
(
せんでんし
)
の
名
(
な
)
ぢやありませぬか。
323
意茶
(
いちや
)
つかさずに
本当
(
ほんたう
)
の
名
(
な
)
を
仰有
(
おつしや
)
つて
下
(
くだ
)
さいな』
324
守宮別
『さう
短兵急
(
たんぺいきふ
)
に
追及
(
ついきふ
)
されては、
325
早速
(
さつそく
)
に
名
(
な
)
が
出
(
で
)
て
来
(
こ
)
ぬワ。
326
マテマテ、
327
急
(
せ
)
くな、
328
慌
(
あわ
)
てな、
329
せいては
事
(
こと
)
を
仕損
(
しそん
)
ずるからなア』
330
綾子
『せかねば
事
(
こと
)
が
間
(
ま
)
に
合
(
あ
)
はず……とかいひましてね、
331
ホヽヽヽヽ』
332
守宮別
『
俺
(
おれ
)
の
名
(
な
)
を
聞
(
き
)
いて
驚
(
おどろ
)
くな。
333
吾
(
わ
)
れこそは、
334
日出
(
ひので
)
の
島
(
しま
)
にて
名
(
な
)
も
高
(
たか
)
き、
335
ウヅンバラ・チヤンダーといふ
者
(
もの
)
だよ』
336
綾子
『
嘘
(
うそ
)
許
(
ばか
)
り、
337
ウヅンバラ・チヤンダーは
救世主
(
きうせいしゆ
)
ぢやありませぬか』
338
守宮別
『
此奴
(
こいつ
)
ア
失敗
(
しま
)
つた。
339
実
(
じつ
)
は
漆別
(
うるしわけ
)
といふのだよ』
340
綾子
『
本当
(
ほんたう
)
ですか、
341
漆別
(
うるしわけ
)
か、
342
うるさい
別
(
わけ
)
か
知
(
し
)
らぬけれど、
343
何
(
なん
)
だか
判然
(
はつきり
)
せぬお
名前
(
なまへ
)
ぢや
厶
(
ござ
)
いませぬか』
344
守宮別
『まア
何
(
ど
)
うでも
可
(
い
)
い。
345
目出度
(
めでたく
)
これで
帰敬式
(
ききやうしき
)
も
済
(
す
)
むだのだから、
346
お
前
(
まへ
)
と
俺
(
おれ
)
とは
神
(
かみ
)
の
許
(
ゆる
)
した
夫婦
(
ふうふ
)
だ。
347
何
(
ど
)
うだ
嬉
(
うれ
)
しいか』
348
綾子
(
あやこ
)
はプリンと
背
(
せ
)
を
向
(
む
)
けて、
349
綾子
『
知
(
し
)
りませぬ』
350
守宮別
『ハヽア、
351
肝腎
(
かんじん
)
の
事
(
こと
)
を
忘
(
わす
)
れて
居
(
を
)
つたワイ。
352
お
愛想
(
あいそ
)
をするのを……』
353
といひ
乍
(
なが
)
ら、
354
ポケットに
手
(
て
)
を
入
(
い
)
れて
見
(
み
)
たが
蟇口
(
がまぐち
)
が
無
(
な
)
いので、
355
吃驚
(
びつくり
)
し、
356
守宮別
『ヤ、
357
此奴
(
こいつ
)
ア
大変
(
たいへん
)
だ、
358
失敗
(
しま
)
つたア……』
359
綾子
『
漆別
(
うるしわけ
)
さま、
360
何
(
なに
)
かお
忘
(
わす
)
れになつたのですかい』
361
守宮別
『
落
(
おと
)
したア……、
362
力
(
ちから
)
おとした……。
363
困
(
こま
)
つたなア……』
364
綾子
『そらお
困
(
こま
)
りですな。
365
警察
(
けいさつ
)
へお
届
(
とど
)
けになつたら
何
(
ど
)
うです。
366
正直
(
しやうぢき
)
な
拾
(
ひろ
)
ひ
主
(
ぬし
)
があつて
届
(
とど
)
けてるかも
知
(
し
)
れませぬよ』
367
守宮別
『
実
(
じつ
)
ア、
368
そこの
四辻
(
よつつじ
)
で
警官
(
けいくわん
)
に
怪
(
あや
)
しまれ、
369
身体
(
しんたい
)
検査
(
けんさ
)
をやられた
時
(
とき
)
にや、
370
今
(
いま
)
考
(
かんが
)
へてみると、
371
已
(
すで
)
に
有
(
も
)
つてゐなかつたやうだ。
372
どつかで、
373
チボにでもやられたのだろ。
374
併
(
しか
)
し
綾子
(
あやこ
)
、
375
俺
(
おれ
)
は
斯
(
か
)
う
見
(
み
)
えても、
376
国許
(
くにもと
)
では
百万
(
ひやくまん
)
長者
(
ちやうじや
)
の
息子
(
むすこ
)
だから、
377
電報
(
でんぱう
)
一
(
ひと
)
つ
打
(
う
)
てば、
378
一
(
いつ
)
週間
(
しうかん
)
経
(
た
)
たぬ
間
(
ま
)
に
電報
(
でんぽう
)
為替
(
かはせ
)
で
送
(
おく
)
つてくるから、
379
それまで
夫婦
(
ふうふ
)
になつたよしみで、
380
お
前
(
まへ
)
の
金
(
かね
)
で、
381
ここの
払
(
はら
)
ひを
済
(
す
)
ましておいて
呉
(
く
)
れないか』
382
綾子
『ハイ、
383
外
(
ほか
)
ならぬ
貴方
(
あなた
)
の
事
(
こと
)
ですから、
384
払
(
はら
)
つて
置
(
お
)
きませう。
385
お
金
(
かね
)
が
来
(
き
)
たら、
386
屹度
(
きつと
)
来
(
き
)
て
下
(
くだ
)
さいや』
387
守宮別
『ヨシヨシ、
388
お
前
(
まへ
)
を
忘
(
わす
)
れてなるものかい。
389
今日
(
けふ
)
俺
(
おれ
)
が
此
(
この
)
楼主
(
ろうしゆ
)
に
対
(
たい
)
して
赤恥
(
あかはぢ
)
をかく
所
(
ところ
)
を
助
(
たす
)
けてくれたお
前
(
まへ
)
だもの、
390
況
(
ま
)
して
切
(
き
)
つても
切
(
き
)
れぬ
仲
(
なか
)
となつたのだもの、
391
之
(
これ
)
を
忘
(
わす
)
れてたまるものかい。
392
あゝ
仕方
(
しかた
)
がない。
393
之
(
これ
)
から
一寸
(
ちよつと
)
カンラン
山
(
ざん
)
を
見物
(
けんぶつ
)
して
来
(
く
)
るから、
394
お
前
(
まへ
)
ここに
待
(
ま
)
つてゐてくれ』
395
綾子
『ソンナ
所
(
ところ
)
へお
出
(
いで
)
遊
(
あそ
)
ばすにや
及
(
およ
)
ばぬぢやないですか。
396
妾
(
あたい
)
の
側
(
そば
)
に
居
(
ゐ
)
るより、
397
橄欖山
(
かんらんざん
)
の
方
(
はう
)
が
恋
(
こひ
)
しいのですか』
398
守宮別
『ナニ、
399
ソンナ
事
(
こと
)
があるものかい。
400
お
前
(
まへ
)
の
側
(
そば
)
を
一刻
(
いつこく
)
も
離
(
はな
)
れ
度
(
た
)
くないのだけれど、
401
懐中
(
くわいちう
)
無一物
(
むいつぶつ
)
では、
402
どうも
安心
(
あんしん
)
して、
403
世話
(
せわ
)
になつてる
訳
(
わけ
)
にはゆかぬぢやないか』
404
綾子
『
妾
(
あたい
)
と
貴方
(
あなた
)
の
仲
(
なか
)
ぢやもの、
405
三日
(
みつか
)
や
五日
(
いつか
)
御
(
ご
)
逗留
(
とうりう
)
遊
(
あそ
)
ばしたつて
構
(
かま
)
ひませぬワ。
406
衣裳
(
いしやう
)
を
質
(
しち
)
に
置
(
お
)
いてでも、
407
三日
(
みつか
)
や
五日
(
いつか
)
は
養
(
やしな
)
ひますもの、
408
マア
安心
(
あんしん
)
して
下
(
くだ
)
さいな』
409
守宮別
『ヨーシ、
410
それでは
序
(
ついで
)
にモウ
二日
(
ふつか
)
厄介
(
やくかい
)
にならう。
411
実
(
じつ
)
はな、
412
僧院
(
そうゐん
)
ホテルの
第一号
(
だいいちがう
)
室
(
しつ
)
を
借切
(
かりき
)
つてあるのだから、
413
そこへ
行
(
い
)
つて
宿
(
とま
)
れば
金
(
かね
)
が
無
(
な
)
くても、
414
五日
(
いつか
)
や
十日
(
とをか
)
は
暮
(
くら
)
せるのだからな』
415
斯
(
か
)
く
両人
(
りやうにん
)
は
心
(
こころ
)
から
打
(
うち
)
とけて
恋仲
(
こひなか
)
となり、
416
守宮別
(
やもりわけ
)
は
綾子
(
あやこ
)
の
云
(
い
)
つた
如
(
ごと
)
く、
417
二晩
(
ふたばん
)
逗留
(
とうりう
)
して
三日目
(
みつかめ
)
の
昼頃
(
ひるごろ
)
ブラリブラリと、
418
何
(
なに
)
くはぬ
顔
(
かほ
)
して、
419
僧院
(
そうゐん
)
ホテルへ
帰
(
かへ
)
り
来
(
きた
)
りける。
420
(
大正一四・八・二〇
旧七・一
於由良秋田別荘
松村真澄
録)
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