霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
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第九章 ダリヤの香(か)〔一七一一〕

インフォメーション
著者:出口王仁三郎 巻:霊界物語 第67巻 山河草木 午の巻 篇:第2篇 春湖波紋 よみ(新仮名遣い):しゅんこはもん
章:第9章 ダリヤの香 よみ(新仮名遣い):だりやのか 通し章番号:1711
口述日:1924(大正13)年12月27日(旧12月2日) 口述場所:祥雲閣 筆録者:松村真澄 校正日: 校正場所: 初版発行日:1926(大正15)年8月19日
概要: 舞台:波切丸 あらすじ[?]このあらすじはMさん作成です(一部加筆訂正してあります)。一覧表が「王仁DB」にあります。[×閉じる]:
ダリヤがアリーの部下、コークスに操を破られそうになる。
そこへ通りかかったアリーはコークスを殺し、ダリヤを助ける。
この件を機に、親の仇とダリヤを殺そうとしていたアリーは改心する。
そこへ、妹のダリヤを探していた兄のイルクが宣伝歌を歌いながら通りかかる。
イルクは、船上にて梅公の教えを聞き、三五教に改心していた。
その歌により、ダリヤは自分を心配して危険を冒して捜索に来た兄の心を知る。
腹違いの兄弟たちが和解して大団円。
主な登場人物[?]【セ】はセリフが有る人物、【場】はセリフは無いがその場に居る人物、【名】は名前だけ出て来る人物です。[×閉じる]: 備考: タグ: データ凡例: データ最終更新日:2026-08-13 00:29:01 文字数:5009 OBC :rm6709
愛善世界社版:119頁 八幡書店版:第12輯 73頁 修補版: 校定版:121頁 普及版:68頁 初版: ページ備考:
001 ダリヤは船底(せんてい)の密室(みつしつ)に監禁(かんきん)され、002此(この)船(ふね)がスガの港(みなと)へ着(つ)く迄(まで)には、003アリーが暴虐(ばうぎやく)の手(て)にかかつて死(し)ぬるものと決心(けつしん)してゐた。004そして健気(けなげ)にも辞世(じせい)の歌(うた)等(など)を詠(よ)んで、005死期(しき)の至(いた)るを待(ま)つてゐた。006そこへコツコツと忍(しの)び足(あし)に錠前(ぢやうまへ)をねぢあけて這入(はい)つて来(き)たのは007自分(じぶん)が小舟(こぶね)に乗(の)つて離(はな)れ島(じま)へ遊(あそ)びに行(い)つた帰(かへ)りがけ、008かつさらはれたコークスであつた。009コークスは小声(こごゑ)になつて、
010コークス『コレ、011ダリヤさま、012お前(まへ)さまは此(この)船(ふね)が遅(おそ)く共(とも)、013明日(あす)の日(ひ)の暮(くれ)にはスガの港(みなと)へ着(つ)くのだから、014今夜中(こんやぢう)に殺(ころ)されますよ。015どうです、016私(わたし)が小舟(こぶね)を卸(おろ)して、0161お前(まへ)さまを乗(の)せ017離(はな)れ島(じま)へ漕(こ)ぎつけて助(たす)けて上(あ)げようと思(おも)つてゐるのだから、018物(もの)も相談(さうだん)だが、019私(わし)の女房(にようばう)になつて下(くだ)さるでせうなア』
020と糞蛙(くそがへる)が泣(な)きそこねたやうな面(つら)から、021臭(くさ)い臭(くさ)いドブ酒(ざけ)の息(いき)を吹(ふき)かけ乍(なが)ら口説(くど)きかけた。022ダリヤは柳眉(りうび)を逆立(さかだ)て、023蜂(はち)を払(はら)ふ様(やう)な素振(そぶり)をして、
024ダリヤ『エー、025汚(けが)らはしい。026今(いま)更(さら)親切(しんせつ)ごかしに妾(わたし)を助(たす)け出(だ)し、027それを恩(おん)に着(き)せて、028女房(にようばう)になつてくれなどと、029ようマアそんな厚(あつ)かましい事(こと)が云(い)へましたなア。030妾(わたし)がこんな破目(はめ)に陥(おちい)つたのも、031皆(みな)お前(まへ)さまのなす業(わざ)ぢやないか。032いはばお前(まへ)さまは妾(わたし)の敵(かたき)だ。033妾(わたし)の命(いのち)をおとすのも、034お前(まへ)さまの為(ため)ぢやないか。035何程(なにほど)命(いのち)が惜(を)しいと云(い)つても、036そんな悪党(あくたう)な卑劣(ひれつ)な泥棒(どろばう)根性(こんじやう)のお前(まへ)さま等(ら)に靡(なび)くものがありますか。037エ、038汚(けが)らはしい、039とつとと、040サア彼方(あつち)へ行(い)つて下(くだ)さい。041胸(むね)がムカムカして来(き)ましたよ。042一体(いつたい)お前(まへ)さまの名(な)は何(なん)と云(い)ふのだい。043冥途(めいど)の土産(みやげ)に聞(き)いておきたいからなア』
044コークス『俺(おれ)はな、045アリー親分(おやぶん)の片腕(かたうで)と聞(きこ)えたるコークスといふ哥兄(にい)さまだ。046何(なん)と云(い)つても命(いのち)が資本(もとで)だから、047そんな悪(わる)い了見(れうけん)を出(だ)さずに、048俺(わし)の云(い)ふ事(こと)を聞(き)いた方(はう)が可(よ)からうぜ。049何程(なにほど)名花(めいくわ)だつて、050梢(こずゑ)から散(ち)りおつれば三文(さんもん)の価値(かち)もない。051お前(まへ)さまの容貌(ようぼう)は天下(てんか)に稀(まれ)なる美貌(びぼう)だ。052丹花(たんくわ)の唇(くちびる)053柳(やなぎ)の眉(まゆ)054日月(じつげつ)の眼(まなこ)、055縦(たて)からみても横(よこ)から見(み)ても惚々(ほれぼれ)するスタイルぢやないか。056此(この)名花(めいくわ)をムザムザと散(ち)らすのは国家(こくか)の為(ため)に大(だい)なる損害(そんがい)だ。057否(いな)天下(てんか)の美人(びじん)を可惜(あたら)地上(ちじやう)に失(うしな)ふといふものだ。058俺(おれ)は天下(てんか)の為(ため)に、059お前(まへ)の今晩(こんばん)散(ち)る事(こと)を惜(をし)むのだ。060どうだ、061物(もの)も相談(さうだん)だが、062私(わし)と一緒(いつしよ)に逃(にげ)出(だ)す気(き)はないか。063そして私(わし)と夫婦(ふうふ)になつて睦(むつま)じう暮(くら)したら何(ど)うだい。064何(なに)程(ほど)此(この)顔(かほ)はヒヨツトコでも、065メツカチでも、066云(い)ふにいはれぬ味(あぢ)が、067どつかには含(ふく)んでゐますよ。068あの鯣(するめ)をみなさい。069干(ひ)つからびた皺苦茶(しわくちや)だらけ、070みつともない姿(すがた)をしてゐるが、071しがんでみると随分(ずいぶん)甘(うま)い味(あぢ)がしますよ。072何(なん)とも云(い)へぬ風味(ふうみ)が含(ふく)まれてゐる。073それを一寸(ちよつと)遠火(とほび)に焼(や)くと、074尚(なほ)更(さら)味(あぢ)がよくなる。075どうだい、076此(この)コークスの意(い)に従(したが)ふ気(き)はないかな。077お前(まへ)さまも命(いのち)の瀬戸際(せとぎは)に立(た)つてゐるのだから、078些(ちつ)と許(ばか)り男(をとこ)が悪(わる)うても辛抱(しんばう)するのだな。079何(なん)と云(い)つても辛抱(しんばう)は金(かね)だから、080悪(わる)い事(こと)は云(い)はない。081お前(まへ)の為(ため)だ。082一(ひと)つは俺(おれ)の為(ため)だ。083いいか、084些(ちつ)とは道理(だうり)が分(わか)つたかい』
085ダリヤ『ホヽヽヽヽ、086いかにもコークスといふ丈(だけ)で、087黒(くろ)い顔(かほ)だこと。088お前(まへ)さまは舟(ふね)の燃料(ねんれう)になるのが天職(てんしよく)だよ。089天成(てんせい)の美人(びじん)ダリヤ姫(ひめ)に向(むか)つて、090恋(こひ)の鮒(ふな)のと、091しなだれかかるのは身分(みぶん)不相応(ふさうおう)といふもの。092可(い)いかげんに断念(だんねん)したが可(よ)からうぞや。093あたイケ好(す)かない、094ケチな野郎(やらう)だな』
095コー『オイオイ、096ダリヤ姫(ひめ)。097さう芋虫(いもむし)のやうにピンピンはねるものぢやない。098人(ひと)は愛情(あいじやう)がなくては、099木石(ぼくせき)も同様(どうやう)だ。100折角(せつかく)人間(にんげん)に生(うま)れて、101木石(ぼくせき)に等(ひと)しい冷血漢(れいけつかん)になつちや、102最早(もはや)人間(にんげん)の資格(しかく)はありませぬよ。103お前(まへ)さまも人間(にんげん)らしい、104女(をんな)らしい返答(へんたふ)をしたら何(ど)うだい』
105ダリ『ホヽヽヽ、106人間(にんげん)に対(たい)しては人間(にんげん)らしい事(こと)をいひ、107獣(けだもの)に対(たい)しては獣(けだもの)らしいことをいふのが天地(てんち)の道理(だうり)でせう。108それが相応(さうおう)の理(り)による惟神(かむながら)のお道(みち)ですよ。109お前(まへ)さま、110それでも普通(ふつう)の人間(にんげん)だと思(おも)つてゐるのかい』
111コー『オイ、112あまツちよ。113失敬(しつけい)な事(こと)をいふな。114今(いま)首(くび)のとぶ分際(ぶんざい)でゐ乍(なが)ら、115何(なん)と云(い)ふ業託(ごふたく)を吐(ほざ)くのだ。116人間(にんげん)を超越(てうゑつ)して、117三間(さんげん)四間(しけん)権現(ごんげん)さまの生(うま)れ代(かは)りだ。118余(あま)り見違(みちがひ)をすると、119お為(ため)にならないぞ。120此(この)鉄棒(てつぼう)が一(ひと)つ、121お前(まへ)の横(よこ)ツ面(つら)へお見舞(みまひ)申(まを)すが最後(さいご)、122キヤツと一声(ひとこゑ)此(この)世(よ)の別(わか)れだ。123好(す)きでもない冥土(めいど)へ死出(しで)の旅(たび)と出(で)かけにやならぬぞ。124オイそんな馬鹿(ばか)な考(かんが)へをすてて、125俺(おれ)の言(い)ふ通(とほ)り、126そツと此処(ここ)を脱(ぬ)け出(だ)さうぢやないか。127そして、128俺(おれ)の女房(にようばう)になる成(な)らんは後(あと)の事(こと)だ。129ぐづぐづしとるとお前(まへ)の命(いのち)が失(な)くなつちや、130さつきも云(い)ふ通(とほ)り地上(ちじやう)の損害(そんがい)だからな』
131ダリ『ホヽヽヽヽ、132大(おほ)きにお世話(せわ)さま。133妾(わたし)はアリーさまのお手(て)にかかつて殺(ころ)されるのを無上(むじやう)の光栄(くわうえい)としてゐますよ。134同(おな)じ殺(ころ)されるにしても、135お前(まへ)さまのやうな、136人間(にんげん)だか狸(たぬき)だか鼬鼠(いたち)だか正体(しやうたい)の分(わか)らぬ妖怪(えうくわい)野郎(やらう)に、137仮令(たとへ)殺(ころ)されなくつても、138ゴテゴテ云(い)はれるのが苦(くる)しい。139況(いは)んや夫婦(ふうふ)にならうの、140助(たす)けてやらうのと、141何(なん)といふ高慢(かうまん)をつくのだい。142サアサア早(はや)くお帰(かへ)りお帰(かへ)り。143こんな所(とこ)を船長(せんちやう)に見付(みつ)けられたが最後(さいご)、144お前(まへ)さまの笠(かさ)の台(だい)が宙空(ちうくう)に飛(と)びますよ』
145コー『実(じつ)の所(ところ)はお前(まへ)さまと一緒(いつしよ)に殺(ころ)されたら得心(とくしん)だ。146やがて船長(せんちやう)が、147お前(まへ)さまを殺(ころ)しに来(く)るだらうから、148どうか、149お前(まへ)さま一緒(いつしよ)に死(し)んで下(くだ)さらないか。150せめても、151それを心(こころ)の慰安(ゐあん)として、152どこ迄(まで)も冥土(めいど)のお伴(とも)をする積(つもり)だから』
153ダリ『エ、154頭(あたま)が痛(いた)い、155厭(いや)な事(こと)をいふ野郎(やらう)だな。156サアサア早(はや)く出(で)て下(くだ)さい。157シーツ シーツ シーツ。158一昨日(をととひ)来(こ)ひ一昨日(をととひ)来(こ)ひ。159ぐづぐづしてゐなさると線香(せんかう)を立(た)てますよ』
160コー『丸(まる)切(き)り、161人(ひと)を青大将(あをだいしやう)か蜘蛛(くも)のやうに思(おも)つてゐるのだな。162箒(はうき)を逆(さか)さまに立(た)てて頬冠(ほほかぶ)りをさしたつて、163いつかないつかな164此(この)コークスは動(うご)かないのだ。165お前(まへ)さまも可(い)いかげん我(が)を折(を)つて、166ウンと一口(ひとくち)言(い)はツしヤい。167ウンといふ一声(ひとこゑ)がお前(まへ)さまの運(うん)の定(さだ)め時(どき)だ』
168ダリ『誰(たれ)がお前(まへ)さま等(ら)に向(むか)つて、169ウンだのスンだのいふ馬鹿(ばか)がありますか。170チツトお前(まへ)さまの顔(かほ)と相談(さうだん)しなさい。171否(いな)知恵(ちゑ)と相談(さうだん)なさつたが可(よ)からう。172何程(なんぼ)お前(まへ)さまが手折(たを)らうと思(おも)つたつて、173高嶺(たかね)に咲(さ)いた松(まつ)の花(はな)だ程(ほど)に、174スツパリと諦(あきら)めて、175釜(かま)たきなつとやりなさい。176お前(まへ)さまの顔(かほ)は猿(さる)によく似(に)てゐる。177猿猴(ゑんこう)が水(みづ)にうつつた月(つき)を掴(つか)まうとするやうな非望(ひばう)を止(や)めて、178船長殿(せんちやうどの)に忠実(ちうじつ)にお仕(つか)へなさい。179そしたら又(また)正(しやう)月(ぐわつ)になつたら、180おくびなりの餅(もち)の一切(ひとき)れや二切(ふたき)れは食(く)はして貰(もら)はうとママですよ、181ホヽヽヽ』
182 コークスは到底(たうてい)言論(げんろん)ではダメだ、183直接(ちよくせつ)行動(かうどう)に限(かぎ)ると決心(けつしん)したものか、184猛虎(まうこ)の勢(いきほひ)を出(だ)して、185矢庭(やには)にダリヤを其(その)場(ば)に捻(ね)ぢ伏(ふ)せ、186「オチコ、187ウツトコ、188ハテナ」を決行(けつかう)せむとした。189ダリヤは一生(いつしやう)懸命(けんめい)の声(こゑ)を絞(しぼ)つて「アレー助(たす)けてくれ 助(たす)けてくれ」と身(み)をもだえ乍(なが)ら、190生命(いのち)限(かぎ)りに叫(さけ)んだ。191船長(せんちやう)のアリーは、192折節(をりふし)監禁室(かんきんしつ)の前(まへ)を通(とほ)り、193怪(あや)しき声(こゑ)がすると思(おも)つてドアに手(て)をかくれば、194何者(なにもの)かが已(すで)に入(はい)つてるとみえ、195かぎもかけずにパツと開(あ)いた。196みれば右(みぎ)の有様(ありさま)である。197アリーは懐剣(くわいけん)を閃(ひらめ)かして、1971後(うしろ)からコークスの背部(はいぶ)を骨(ほね)も通(とほ)れとつきさした。198コークスはアツと悲鳴(ひめい)をあげ、199空(くう)を掴(つか)んで其(その)場(ば)に黒血(くろち)を吐(は)いて倒(たふ)れて了(しま)つた。
200アリ『ダリヤさま、201危(あやふ)い事(こと)で厶(ござ)いましたな』
202ダリ『ハイ、203誰(たれ)かと思(おも)へば船長(せんちやう)さまで厶(ござ)いましたか。204よう来(き)て下(くだ)さいました。205あなたの折角(せつかく)のお楽(たの)しみを、206此奴(こやつ)が横領(わうりやう)せむとし、207乱暴(らんばう)に及(およ)んだ所(ところ)、208折(をり)よく来(き)て下(くだ)さいまして、209先(ま)づあなたの為(ため)には好都合(かうつがふ)で厶(ござ)いましたね。210私(わたし)は貴方(あなた)のお手(て)にかかつて死(し)なねばならぬ身(み)の上(うへ)でございますから、211あなたが、212私(わたし)を嬲(なぶり)殺(ごろし)にして、213お楽(たの)しみなさるのを、214私(わたし)も楽(たの)しみにしてまつてゐたのでございますよ』
215アリ『ダリヤさま、216私(わたし)も心機(しんき)一転(いつてん)しました。217どうぞ卑怯者(ひけふもの)と笑(わら)つて下(くだ)さいますな。218デッキの上(うへ)でも上(あが)つて、219星影(ほしかげ)でも見(み)て楽(たのし)みませう』
220ダリ『これは又(また)御(ご)卑怯(ひけふ)な、221なぜ一旦(いつたん)決心(けつしん)した事(こと)を掌(てのひら)を返(かへ)す如(ごと)くにお変(か)へなさつたのですか。222妾(わたし)は不賛成(ふさんせい)です。223サア、224どうぞ、225始(はじ)めの御(ご)意見(いけん)の通(とほ)り、226スツパリと殺(ころ)して下(くだ)さいませ。227妾(わたし)も一旦(いつたん)死(し)を決(けつ)した以上(いじやう)は、228初心(しよしん)を曲(ま)げるのは心(うら)恥(はづか)しう存(ぞん)じます。229貴方(あなた)が妾(わたし)を殺(ころ)さないのならば、230妾(わたし)の方(はう)から自刃(じじん)して果(は)てます』
231と云(い)ふより早(はや)く、232アリーの懐剣(くわいけん)をもぎ取(と)り、233吾(わが)喉(のど)につきあてむとする一刹那(いつせつな)、234アリーは驚(おどろ)いて、235其(そ)の手(て)に飛付(とびつ)き、236短刀(たんたう)をもぎとつた。237其(その)はづみに、238アリーは自分(じぶん)の親指(おやゆび)を一本(いつぽん)おとして了(しま)つた。239ダリヤは驚(おどろ)いて其(その)指(ゆび)を拾(ひろ)ひあげ、240アリーの手(て)にひつつけ、241自分(じぶん)の下帯(したおび)を解(と)いて、242クルクルと繃帯(ほうたい)した。243鮮血(せんけつ)淋漓(りんり)として銅(あかがね)張(ば)りの船底(せんてい)を染(そめ)た。
244 ドアの開(あ)いた口(くち)から、245さも流暢(りうちやう)な歌(うた)の声(こゑ)が聞(きこ)えて来(き)た。246アリー、247ダリヤの二人(ふたり)は耳(みみ)をすまして、248ゆかしげに其(その)歌(うた)を聞(き)いてゐる。
249イルク『ハルの湖水(こすい)の小波(さざなみ)よする
250スガの港(みなと)の片(かた)ほとり
251薬(くすり)を四方(よも)にひさぎつつ[※「ひさぎつつ」…「ひさぐ(鬻ぐ、販ぐ)」は、売るという意味。]
252彼方(あなた)此方(こなた)とかけめぐり
253妹(いもうと)の所在(ありか)を尋(たづ)ねむと
254神(かみ)に願(ねがひ)をかけまくも
255畏(かしこ)き恵(めぐみ)の御(おん)露(つゆ)に
256浴(よく)せむものとハルの湖(うみ)
257彼方(あなた)此方(こなた)とかけめぐり
258何(いづ)れの船(ふね)を調(しら)べても
259恋(こひ)しきいとしき吾(わが)妹(いもうと)の
260影(かげ)だに見(み)えぬ悲(かな)しさに
261天(てん)に哭(こく)し地(ち)に歎(なげ)き
262波切丸(なみきりまる)の甲板(かんばん)に
263涙(なみだ)を絞(しぼ)る折(をり)もあれ
264三五教(あななひけう)の神司(かむつかさ)
265梅公別(うめこうわけ)の神徳(しんとく)に
266今(いま)は包(つつ)まれ吾(わが)母(はは)や
267行方(ゆくへ)も知(し)れぬ妹(いもうと)の
268只(ただ)冥福(めいふく)を祈(いの)りつつ
269家(いへ)に帰(かへ)れば改(あらた)めて
270三五教(あななひけう)の大神(おほかみ)を
271斎(いつき)まつりて遠近(をちこち)の
272世人(よびと)救(すく)はむ吾(わが)覚悟(かくご)
273うべなひ給(たま)へ惟神(かむながら)
274皇(すめ)大神(おほかみ)の御(おん)前(まへ)に
275畏(かしこ)み敬(うやま)ひねぎまつる
276大日(おほひ)は照(て)る共(とも)曇(くも)る共(とも)
277月(つき)はみつとも虧(か)くる共(とも)
278救(すく)ひの神(かみ)に身(み)を任(まか)せ
279救(すく)ひの船(ふね)に乗(の)せられて
280浮世(うきよ)を渡(わた)る身(み)にしあれば
281如何(いか)なる悩(なや)みの来(きた)る共(とも)
282恐(おそ)るる事(こと)のあるべきや
283あゝさり乍(なが)ら妹(いもうと)は
284ウラルの神(かみ)の御教(みをしへ)を
285朝(あさ)な夕(ゆふ)なに諾(うべ)なひて
286身(み)の幸(さち)はひを祈(いの)りしが
287いかなる魔神(まがみ)の計(はか)らひか
288島(しま)の遊(あそ)びの帰(かへ)り路(ぢ)に
289心(こころ)も荒(あら)き海賊(かいぞく)の
290群(むれ)におそはれ其(その)行方(ゆくへ)
291命(いのち)のほども計(はか)られず
292悲(かな)しき破目(はめ)と成(なり)果(は)てぬ
293日頃(ひごろ)信(しん)ずるウラル教(けう)の
294神(かみ)を祈(いの)りて妹(いもうと)の
295なやみを救(すく)ひ助(たす)けむと
296家(いへ)のなりはひ打(うち)すてて
297彼方(あなた)此方(こなた)とさまよへる
298吾(わが)心根(こころね)を知(し)らせたい
299何処(いづこ)の人(ひと)の憐(あはれ)みを
300うけて命(いのち)を保(たも)つやら
301但(ただ)しはあの世(よ)に落(おち)ゆきしか
302心(こころ)許(もと)なき吾(わが)思(おも)ひ
303恵(めぐ)ませ給(たま)へ大御神(おほみかみ)
304救(すく)はせ給(たま)へ三五(あななひ)の
305神(かむ)素盞嗚(すさのを)の大神(おほかみ)の
306御前(みまへ)にすがり奉(たてまつ)る』
307と歌(うた)ひ乍(なが)ら、308チクリチクリと此方(こなた)に向(むか)つて近(ちか)より来(きた)る。309ダリヤ姫(ひめ)はどこやらに聞覚(ききおぼえ)のある声(こゑ)だなア……とアリーの負傷(ふしやう)を介抱(かいはう)し乍(なが)ら、310耳(みみ)を傾(かたむ)けてゐたが、311いよいよ兄(あに)のイルクと確信(かくしん)し、312監禁室(かんきんしつ)の中(なか)から、313細(ほそ)い声(こゑ)を出(だ)して、
314ダリ『モシ315貴方(あなた)はお兄(あに)イさまぢや厶(ござ)いませぬか。316妾(わたし)はダリヤで厶(ござ)いますが』
317 此(この)声(こゑ)にイルクは狂喜(きやうき)し乍(なが)ら、318ドアのすきから室内(しつない)を覗(のぞ)き込(こ)み、319アツと云(い)つたきり少時(しばし)は声(こゑ)さへ発(はつ)し得(え)なかつた。
320ダリ『お兄(あに)いさま、321最前(さいぜん)のお歌(うた)を聞(き)きますれば、322不束(ふつつか)な妹(いもうと)をすて給(たま)はず、323家業(かげふ)を他所(よそ)にして、324妾(わたし)の所在(ありか)を捜(さが)してゐて下(くだ)さつたさうですが、325そんな親切(しんせつ)なお心(こころ)とは知(し)らず、326今(いま)迄(まで)腹違(はらちがひ)の兄(あに)さまの様(やう)に思(おも)ひ、327おろそかに致(いた)してゐました妾(わたし)の罪(つみ)を許(ゆる)して下(くだ)さい。328そんな清(きよ)い美(うる)はしいお心(こころ)を知(し)らず、329僻(ひがみ)根性(こんじやう)を出(だ)して、330お恨(うら)み申(まを)し、331いつも憂(うさ)はらしに島(しま)へ遊覧(いうらん)に行(い)つた、3311その帰(かへ)りに、332冥罰(めいばつ)が当(あた)つて、3321海賊(かいぞく)に捉(とら)へられ、333かやうな所(ところ)に押込(おしこ)められ、334ここに殺(ころ)されてるコークスといふ悪性(あくしやう)男(をとこ)に操(みさを)を破(やぶ)られむとしてる所(ところ)を、335此(この)船長(せんちやう)さまに救(すく)はれた所(ところ)で厶(ござ)います。336どうぞ兄(にい)さまから船長(せんちやう)様(さま)へ、337宜(よろ)しく御(お)礼(れい)を云(い)つて下(くだ)さいませ』
338イルク『あゝさうであつたか、339怖(こは)い所(ところ)だつたな。340イヤ船長(せんちやう)さま、341どうも妹(いもうと)が大(いか)い御(お)世話(せわ)になりました。342何(なに)からお礼(れい)を申(まを)してよいやら、343余(あま)り有難(ありがた)くつて、344お礼(れい)の言葉(ことば)も存(ぞん)じませぬ』
345アリ『イヤ決(けつ)して、346私(わたし)はダリヤを助(たす)けるやうな良(い)い心(こころ)は有(も)つてゐなかつたのですが、347何(なん)だか不思議(ふしぎ)なもので、348つい助(たす)ける気(き)になつたのですよ。349貴方(あなた)のお父(とう)さまは、350私(わたし)の仇敵(あだかたき)、351何(なん)とかして仇(かたき)を打(う)ちたいと思(おも)ひ、352たうとう海賊(かいぞく)になつて敵討(かたきうち)の時機(じき)を狙(ねら)つてゐたのです。353然(しか)る処(ところ)手下(てした)のコークスが貴方(あなた)の妹(いもうと)を甘(うま)く生捕(いけど)つて来(き)てくれたので、354せめては此(この)娘(むすめ)を殺(ころ)し、355亡父(ぼうふ)の霊魂(れいこん)を聊(いささ)か慰(なぐさ)めたいと思(おも)ひ、356ダリヤさまを殺(ころ)す計画(けいくわく)をきめたのですが、357余(あま)り立派(りつぱ)なお志(こころざし)と其(その)落(おち)ついた挙動(きよどう)に感服(かんぷく)し、358今(いま)は全(まつた)く恨(うらみ)も何(なに)もサラリと晴(は)れて、359却(かへ)つてダリヤさまのお味方(みかた)をするやうになつたのです。360それのみならず、361此(この)通(とほ)り、362拇指(おやゆび)を切(きり)落(おと)し、363困(こま)つてゐた所(ところ)、364ダリヤさまの介抱(かいはう)で漸(やうや)くウヅキも止(と)まり、365却(かへつ)て御(お)礼(れい)は私(わたし)の方(はう)から申(まをし)上(あ)げねばならないのです』
366と自分(じぶん)の母(はは)のアンナが、367イルクの父(ちち)に無理(むり)往生(わうじやう)に操(みさを)を破(やぶ)らせられ、368泣(な)きの涙(なみだ)で女房(にようばう)になつたことや、369又(また)自分(じぶん)の父(ちち)が之(これ)を恨(うら)んでハルの湖(うみ)に身(み)を投(な)げて死(し)んだことなどを、370涙(なみだ)と共(とも)に物語(ものがた)つた。371イルクは始終(しじう)の話(はなし)を聞(き)いて、372深(ふか)い吐息(といき)をつき乍(なが)ら黙然(もくぜん)として二人(ふたり)の顔(かほ)を見(み)つめてゐた。373之(これ)よりアリーは梅公(うめこう)の懇篤(こんとく)なる神(かみ)の教(をしへ)を受(う)け、374悪心(あくしん)を翻(ひるがへ)し、375海賊(かいぞく)をサラリと止(や)め、376此(この)湖水(こすい)を渡航(とかう)する船客(せんきやく)の守(まも)り神(がみ)となつて、377其(その)美名(びめい)を永(なが)く世(よ)に謳(うた)はれた。
378 翌日(よくじつ)の夕暮(ゆふぐれ)頃(ごろ)、379波切丸(なみきりまる)は無事(ぶじ)にスガの港(みなと)へ横着(よこづ)けとなりにけり。
380(大正一三・一二・二 新一二・二七 於祥雲閣 松村真澄録)
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