霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
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第一九章 絵姿(ゑすがた)〔一七二一〕

インフォメーション
著者:出口王仁三郎 巻:霊界物語 第67巻 山河草木 午の巻 篇:第4篇 山色連天 よみ(新仮名遣い):さんしょくれんてん
章:第19章 絵姿 よみ(新仮名遣い):えすがた 通し章番号:1721
口述日:1924(大正13)年12月29日(旧12月4日) 口述場所:祥雲閣 筆録者:松村真澄 校正日: 校正場所: 初版発行日:1926(大正15)年8月19日
概要: 舞台: あらすじ[?]このあらすじはMさん作成です(一部加筆訂正してあります)。一覧表が「王仁DB」にあります。[×閉じる]:
旧主人の太子に出会うことができ、シャカンナの現政権に対する敵愾心も消えてしまった。
密かにスバール姫の夫になろうとしていたコルトンは、太子の出現で、とうてい恋の敵としてかなわないことを悟り、出奔する。
太子、アリナは再びシャカンナに政界復帰を要請するが、かたくなに断られる。
太子はシャカンナの小屋を去る前に、スバール姫の姿を絵に写す。
絵の出来具合のすばらしさにシャカンナは感嘆し、太子・アリナは絵を携えてシャカンナとスバール姫に別れを告げる。
帰途、コルトンが太子を狙うが、逆に二人に諭される。
主な登場人物[?]【セ】はセリフが有る人物、【場】はセリフは無いがその場に居る人物、【名】は名前だけ出て来る人物です。[×閉じる]: 備考: タグ: データ凡例: データ最終更新日:0000-00-00 00:00:00 文字数:6357 OBC :rm6719
愛善世界社版:249頁 八幡書店版:第12輯 122頁 修補版: 校定版:251頁 普及版:68頁 初版: ページ備考:
001 十八(じふはち)年(ねん)のお慈悲(じひ)の牢(らう)を漸(やうや)く脱出(だつしゆつ)し、002寵臣(ちようしん)のアリナと共(とも)に、003心(こころ)ゆく迄(まで)山野(さんや)の清遊(せいいう)を試(こころ)み、004其(その)嬉(うれ)しさと愉快(ゆくわい)さに帰路(きろ)を忘(わす)れ、005一切(いつさい)を忘却(ばうきやく)し、006心(こころ)の駒(こま)に打(う)ち任(まか)せて、007思(おも)はぬ深山(みやま)の奥(おく)へ迷(まよ)ひ込(こ)んだタラハン城(じやう)の太子(たいし)も、008又(また)太子(たいし)の意(い)を迎(むか)へて山野(さんや)に案内(あんない)し、009方向(はうかう)に迷(まよ)ひ、010帰路(きろ)を尋(たづ)ねて連山(れんざん)重畳(ちようでふ)たる谷川(たにがは)を瞰下(みおろ)す山腹(さんぷく)に月光(げつくわう)を浴(あ)び乍(なが)ら、011ライオンの声(こゑ)に心胆(しんたん)を奪(うば)はれ、012忽(たちま)ち恐怖心(きようふしん)にかられ、013顔色(がんしよく)青(あを)ざめ、014生(い)きたる心地(ここち)もなく、015体内(たいない)の地震(ぢしん)を勃発(ぼつぱつ)したる左守(さもり)の倅(せがれ)アリナも、016山麓(さんろく)に漸(やうや)く一炷(いつしゆう)の火光(くわくわう)を認(みと)めて死線(しせん)に立(た)つて救(すく)ひの神(かみ)に出会(でつくは)したるが如(ごと)く、017俄(にはか)に勇気(ゆうき)百倍(ひやくばい)し、018太子(たいし)を導(みちび)いて、0181小柴(こしば)を分(わ)け、019漸(やうや)く一(ひと)つの隠(かく)れ家(が)に辿(たど)りつき、020主人(あるじ)の情(なさけ)に仍(よ)つて、021形(かたち)許(ばか)りの萱葺(かやぶき)の掘込建(ほりこみだて)に一夜(いちや)の宿泊(しゆくはく)を許(ゆる)され、022いろいろと物語(ものがたり)の末(すゑ)、023十(じふ)年(ねん)以前(いぜん)カラピン王(わう)に仕(つか)へたる重臣(ぢうしん)なりし事(こと)を悟(さと)り、024或(あるひ)は喜(よろこ)び或(あるひ)は驚(おどろ)きつつも、025ヤツと心(こころ)が落着(おちつ)き、026綿(わた)の如(ごと)く労(つか)れ切(き)つたる身(み)を横(よこ)たへて、027茲(ここ)に露(つゆ)の滴(したた)る如(ごと)き美青年(びせいねん)は前後(ぜんご)も知(し)らず露(つゆ)の宿(やど)りについた。028あゝ此(この)主従(しゆじゆう)二(に)青年(せいねん)は029其(その)夜(よ)は如何(いか)なる夢路(ゆめぢ)を辿(たど)つたであらうか。030数奇(すうき)な運命(うんめい)に見舞(みま)はれて、031喜怒(きど)哀楽(あいらく)の風(かぜ)に翻弄(ほんろう)され、032天人(てんにん)忽(たちま)ち地(ち)に降(くだ)り、033土中(どちう)に潜(ひそ)む地虫(ぢむし)は羽翼(うよく)を生(しやう)じて、034喬木(けうぼく)の枝(えだ)に春(はる)を歌(うた)ふ。0341人生(じんせい)の七変化(ななへんげ)、035口述者(こうじゆつしや)も筆者(ひつしや)も読者(どくしや)も興味(きようみ)を以(もつ)て、036主従(しゆじゆう)二人(ふたり)が夢(ゆめ)の成行(なりゆき)を聞(き)かむと欲(ほつ)する所(ところ)である。
037 雲上(うんじやう)高(たか)く翼(つばさ)をうつ鳳凰(ほうわう)も、038霞(かすみ)の天海(てんかい)を浮游(ふいう)する丹頂(たんちやう)の鶴(つる)も、039土中(どちう)に潜(ひそ)む虫(むし)けらも、040恋(こひ)には何(なん)の区別(くべつ)もなく、041情(なさけ)の淵(ふち)に七度(ななたび)八度(やたび)、042浮沈(ふちん)するは世(よ)の倣(なら)ひ、043花(はな)にも月(つき)にも譬(たと)へ難(がた)きタラハン城内(じやうない)の太子(たいし)と、044背(せ)は少(すこ)しく低(ひく)く、045色(いろ)は少(すこ)しく赤(あか)みを帯(おび)たれど、046其(その)容貌(ようばう)は見(み)まがふ許(ばか)り酷似(こくじ)せる左守(さもり)の悴(せがれ)アリナが047死力(しりよく)を尽(つく)しての珍(めづら)しきローマンス。048大正(たいしやう)甲子(きのえね)の霜月(しもつき)の空(そら)に049祥雲閣(しやううんかく)に例(れい)の如(ごと)く横臥(わうぐわ)し乍(なが)ら、050能(よ)く語(かた)り、051能(よ)く写(うつ)し、052山色(さんしよく)雲(くも)に連(つら)なる黎明(あけがた)の空(そら)を眺(なが)めつつ、053言霊車(ことたまくるま)に万年筆(まんねんひつ)の機関銃(きくわんじう)を備(そな)へつけ乍(なが)ら、054出口(でぐち)、055松村(まつむら)、056北村(きたむら)、057加藤(かとう)の四魂(しこん)揃(そろ)うて058丹波(たんば)名物(めいぶつ)の霧(きり)の海原(うなばら)分(わ)けてゆく。
059 シャカンナは珍(めづら)しき客(きやく)、060只(ただ)空(そら)の月日(つきひ)を友(とも)となし、061松籟(しようらい)を世(よ)の音(おと)づれとして、062最愛(さいあい)の娘(むすめ)と共(とも)に、063一切(いつさい)の計画(けいくわく)を放擲(はうてき)し、064年来(ねんらい)の志望(しばう)を断念(だんねん)して、065娘(むすめ)を力(ちから)に深山(みやま)の奥(おく)に打(う)ちはてむものと覚悟(かくご)の折柄(をりから)、066三代(さんだい)相恩(さうおん)の主君(しゆくん)の寵子(ちようし)が、067吾(わが)身(み)に辛(つら)く当(あた)りし左守(さもり)の悴(せがれ)と共(とも)に夢(ゆめ)の庵(いほり)を訪(と)はれ、068且(か)つ喜(よろこ)び且(かつ)驚(おどろ)き、069太子(たいし)に会(あ)うた嬉(うれ)しさに、070十(じふ)年(ねん)以前(いぜん)の左守(さもり)ガンヂーが吾(わが)身(み)に対(たい)せし冷酷(れいこく)なる振舞(ふるまひ)に出(い)でしを酬(むく)ゐむとせし敵愾心(てきがいしん)も071忠義(ちうぎ)の為(ため)にスラリと忘(わす)れ、072思(おも)ひもよらぬ珍客(ちんきやく)と、073夜(よ)の目(め)も碌(ろく)に眠(ねむ)り得(え)ず、074朝(あさ)まだき篝火(かがりび)を要(えう)する刻限(こくげん)より、075スバール姫(ひめ)と共(とも)に、076まめまめしく朝餉(あさげ)の用意(ようい)に取(とり)かかり、077せめては旧恩(きうおん)の万分一(まんぶんいち)に報(むく)ゐむと、078貧弱(ひんじやく)なる材料(ざいれう)を以(もつ)て力(ちから)限(かぎ)りの馳走(ちそう)を、079僕(しもべ)のコルトンにも云(い)ひつけず、080自(みづか)ら調理(てうり)して献(たてまつ)らむものと、081心(こころ)の限(かぎ)りを尽(つく)し、082朝餉(あさげ)の調理(てうり)に全力(ぜんりよく)を尽(つく)してゐた。083コルトンは今朝(けさ)に限(かぎ)つて、084炊事(すゐじ)の業(わざ)を免(めん)ぜられ、085木(き)の枝(えだ)で作(つく)つた箒(はうき)で以(もつ)て、086茅屋(ばうをく)のまはりや庭先(にはさき)を掃(は)き清(きよ)め、087恰(あたか)も氏神(うぢがみ)の祭礼(さいれい)の前日(ぜんじつ)か、088大晦日(おほつもごり)の田舎(いなか)の庭先(にはさき)の様(やう)に、089掃目(はきめ)正(ただ)しく、090破(やぶ)れ草鞋(わらぢ)の如(ごと)くに隅(すみ)から隅(すみ)迄(まで)掃(は)きちぎつてゐる。
091コルトン『あーあ、092何(なん)といふ不思議(ふしぎ)な事(こと)が出来(でき)たのだらう。093一(いつ)ケ月(げつ)以前(いぜん)に玄真坊(げんしんばう)とか天真坊(てんしんばう)とかいふ糞蛸(くそたこ)坊主(ばうず)が、094女神(めがみ)様(さま)の様(やう)な女(をんな)と共(とも)に、095タニグク山(やま)の岩窟(がんくつ)に乗(のり)込(こ)んで来(き)て、096大酒(おほざけ)を喰(くら)ひ、097酔(ゑひ)つぶれた其(その)隙(すき)に、098俺(おれ)に優(やさ)しい言葉(ことば)をかけ、099チツと許(ばか)り秋波(しうは)を送(おく)つてくれた美人(びじん)のナイスのシャンに、100イヌだの、101サルだの、102カヘルだの、103ネンネコだのと、104仕様(しやう)もない悪戯(いたづら)をされ、105すつぱぬきを喰(く)はされた時(とき)の三(さん)人(にん)の面付(つらつき)が、106今(いま)も俺(おれ)の目(め)にや有(あ)り有(あ)りと残(のこ)つてゐる。107あの桃色(ももいろ)縮緬(ちりめん)を白(しろ)い薄絹(うすぎぬ)を通(とほ)して眺(なが)める様(やう)な美人(びじん)の顔色(かんばせ)、108白玉(しらたま)で拵(こしら)へた様(やう)な細(ほそ)い麗(うるは)しい肌理(きめ)のこまかい美人(びじん)の手(て)から、109鹿(しか)の巻筆(まきふで)ではないが、110棕梠(しゆろ)の毛(け)で造(つく)つた手製(てせい)の筆(ふで)に、111墨(すみ)をすらせ、112俺(おれ)の額(ひたひ)にサル、113カヘルと記念(きねん)の文字(もじ)を残(のこ)して帰(かへ)りよつた。114俺(おれ)はいつ迄(まで)も此(この)記念(きねん)は吾(わが)額(ひたひ)に止(とど)まれかし、115一層(いつそう)の事(こと)肉(にく)に食(く)ひ入(い)つて、116美人(びじん)が情(なさけ)の筆(ふで)の跡(あと)、117仮令(たとへ)サルといはれやうが、118カヘルと言(い)はれやうが、119そんな事(こと)に頓着(とんちやく)はない。120どうぞ何時(いつ)迄(まで)も消(き)えずにあれと祈(いの)つた甲斐(かひ)もなく、121いつの間(ま)にやら、122スツカリと足(あし)がはへて、123サル、124カヘルといふつれなき羽目(はめ)に会(あ)はされ、125有情(いうじやう)男子(だんし)の俺(おれ)も聊(いささ)か罪(つみ)を造(つく)つたが、126日(ひ)を重(かさ)ぬると共(とも)に、127煩悩(ぼんなう)の犬(いぬ)はどつかへ逃(にげ)失(う)せ、128本心(ほんしん)に立(たち)カヘル様(やう)になつた所(ところ)だ。129それに又々(またまた)同(おな)じ十五夜(じふごや)に、130天女(てんによ)にも擬(まが)ふ様(やう)なる白面郎(はくめんらう)が、131二人(ふたり)も揃(そろ)ふて此(この)門口(かどぐち)へ降(ふ)つて来(き)た時(とき)の驚(おどろ)きといつたら、132未(ま)だ生(うま)れてから経験(けいけん)をつんだ事(こと)がない。133余(あま)りの吃驚(びつくり)で、134天狗(てんぐ)の孫(まご)ではあるまいかと、135いろいろ言葉(ことば)を構(かま)へ、136帰(かへ)らしめむと、137死力(しりよく)を尽(つく)して拒(こば)んでみた。138それが何(なん)ぞや、139親分(おやぶん)御(おん)大(たい)の旧主人(きうしゆじん)だとか、140タラハン城(じやう)の太子(たいし)様(さま)だとか、141左守(さもり)の悴(せがれ)だとか、142聞(き)くに及(およ)んで二度(にど)吃驚(びつくり)、143三度(さんど)吃驚(びつくり)、144五臓(ござう)六腑(ろくぷ)はデングリ返(がへ)り、145何(なん)とはなく恐(おそ)ろしさ勿体(もつたい)なさに、146昨夜(ゆうべ)は床(ゆか)の上(うへ)に休(やす)むのも勿体(もつたい)なくなり、147土間(どま)に四這(よつばひ)となつて、148イヌ、149カヘルの境遇(きやうぐう)に甘(あま)んじ、150ヤツと一夜(ひとよ)を明(あ)かし、151御(おん)大(たい)に小言(こごと)を頂戴(ちやうだい)するかと案(あん)じてゐたが、152世(よ)の中(なか)は杏(あんず)よりも桃(もも)が安(やす)いとか云(い)つて、153幸(さいはひ)に御(おん)大(たい)の光(ひか)る目玉(めだま)の一睨(ひとにら)みも、154秋霜(しうさう)烈日(れつじつ)の如(ごと)き言霊(ことたま)も、155何(ど)うやら斯(か)うやら赦(ゆる)されたらしい。156併(しか)し乍(なが)ら内(うち)のお嬢(ぢやう)さまも、157子供(こども)とはいひ、158モウ十五(じふご)の春(はる)を迎(むか)へてゐらつしやるのだ。159そして夕(ゆふべ)の話(はなし)に依(よ)れば、160御(おん)大(たい)は十(じふ)年(ねん)以前(いぜん)迄(まで)、161カラピン王(わう)の左守(さもり)の司(かみ)だつた様(やう)だ。162流石(さすが)お嬢(ぢやう)さまも由緒(ゆいしよ)ある家(いへ)の生(うま)れとて、163見(み)れば見(み)る程(ほど)気品(きひん)の高(たか)い、164そして絶世(ぜつせい)の美人(びじん)だ。165太子(たいし)と嬢(ぢやう)さまとの中(なか)に、166何(なん)だか妙(めう)な経緯(いきさつ)が出来(でき)はせまいかな、167どうも怪(あや)しく思(おも)はれる。168法界(ほふかい)恪気(りんき)ぢやなけれ共(ども)、169何(なん)だか腹立(はらだ)たしいやうな、170可怪(をか)しい気分(きぶん)がして来(き)出(だ)した哩(わい)。171俺(おれ)も今(いま)迄(まで)、172御(おん)大(たい)の気(き)に入(い)り、173何(なん)とかして養子(やうし)にならうと、174お嬢(ぢやう)さまの成人(せいじん)を待(ま)つて居(ゐ)たのだが、175最早(もはや)今日(けふ)となつては、176どうやら怪(あや)しくなつて来(き)た。177俺(おれ)の日頃(ひごろ)の忠勤(ちうきん)振(ぶ)りも、178嬢(ぢやう)さまに対(たい)する親切(しんせつ)も、179サツパリ峰(みね)の薄雲(うすぐも)と消(き)え去(さ)り相(さう)だ。180百(ひやく)日(にち)の説法(せつぽふ)屁(へ)一(ひと)つの効果(かうくわ)も上(あが)らないのか、181エー残念(ざんねん)至極(しごく)だ。182雨(あめ)の晨(あした)風(かぜ)の夕(ゆうべ)、183お嬢(ぢやう)さまお嬢(ぢやう)さまと云(い)つて、184其(その)成人(せいじん)を待(ま)ち、185タニグク山(やま)の名花(めいくわ)を手折(たを)らむものと楽(たのし)み暮(くら)した事(こと)もサツパリ夢(ゆめ)となつたか。186あゝ残念(ざんねん)や腹立(はらだ)たしや、187何(なに)程(ほど)俺(おれ)が悧巧(りかう)でも、188一方(いつぱう)は王(わう)の太子(たいし)、189而(しか)も旧(きう)御主人(ごしゆじん)、190其(その)上(うへ)玉(たま)の如(や)うな美青年(びせいねん)と来(き)てるから、191到底(たうてい)俺(おれ)の敵(てき)ではない。192地位(ちゐ)名望(めいぼう)から云(い)つても、193最早(もはや)駄目(だめ)だ。194エー、195テレ臭(くさ)い、196こんな所(ところ)に何(なに)を苦(くるし)んで、197不便(ふべん)な生活(せいくわつ)を続(つづ)ける必要(ひつえう)があるか。198手(て)に持(も)つ箒(はうき)さへも自然(しぜん)に手(て)がだるくなつて放(はな)れ相(さう)だ。199エー、200小鳥(ことり)の声(こゑ)迄(まで)が、201俺(おれ)を馬鹿(ばか)にしてる様(やう)に、202今朝(けさ)は聞(きこ)えて来(く)る。203微風(びふう)をうけて騒(さわ)いでゐる木(こ)の葉(は)も204今朝(けさ)は俺(おれ)の失恋(しつれん)を嘲笑(あざわら)つてゐるやうにみえる。205潺湲(せんくわん)たる谷川(たにがは)の流(なが)れの音(おと)も、206昨日(きのふ)迄(まで)は天女(てんによ)の音楽(おんがく)の如(ごと)く楽(たの)しく聞(きこ)えたが、207今朝(けさ)は何(なん)だか亡国(ばうこく)の哀音(あいおん)に聞(きこ)えて来(き)た。208希望(きばう)にみちた俺(おれ)の平生(へいぜい)に比(くら)べて、209失望(しつばう)落胆(らくたん)の淵(ふち)におち込(こ)んだ今日(けふ)の俺(おれ)は、210最早(もはや)天(てん)も地(ち)も、211大親分(おほおやぶん)も、212可憐(かれん)なお嬢(ぢやう)さまも、213俺(おれ)を見(み)すてたやうな気(き)がする。214エー馬鹿(ばか)らしい。215今(いま)の間(うち)に密林(みつりん)に姿(すがた)を隠(かく)し、216どつかの空(そら)へ随徳寺(ずいとくじ)をきめ込(こ)んでやらう。217オヽさうぢや さうぢや、218エヽけつたいの悪(わる)い』
219と呟(つぶや)き乍(なが)ら、220満腔(まんこう)の不平(ふへい)を箒(はうき)に転(てん)じ、221『エーこん畜生(ちくしやう)ツ』といひ乍(なが)ら、222谷川(たにがは)めがけて力(ちから)をこめて投(な)げやり、223黒(くろ)い尻(しり)をひきまくり、224二(ふた)つ三(み)つ打(うち)叩(たた)き乍(なが)ら、225体(からだ)をくの字(じ)に曲(ま)げ、226腮(あご)を前(まへ)の方(はう)に突(つき)出(だ)し、227田螺(たにし)のやうな歯(は)を出(だ)して、228二三回(にさんくわい)イン イン インとしやくり乍(なが)ら、229早(はや)くも此(この)場(ば)より姿(すがた)を隠(かく)した。
230 太陽(たいやう)の高(たか)く頭上(づじやう)に輝(かがや)く頃(ころ)、231太子(たいし)、232アリナの主従(しゆじゆう)は漸(やうや)く目(め)を醒(さ)ました。
233太子(たいし)『あゝ爺(ぢい)、234お蔭(かげ)で昨夜(さくや)は気楽(きらく)に寝(やす)まして貰(もら)つた。235どうやら之(これ)で元気(げんき)が回復(くわいふく)し、236人間(にんげん)心地(ごこち)になつた様(やう)だ。237白湯(さゆ)を一杯(いつぱい)くれないか』
238シャ『若君(わかぎみ)様(さま)、239最早(もはや)お目醒(めざめ)で厶(ござ)いますか。240どうぞゆつくりとお寝(やす)み下(くだ)さいませ』
241太(たい)『や、242もう之(これ)で充分(じゆうぶん)だ』
243アリナ『昨夜(さくや)はお蔭(かげ)で、244太子(たいし)様(さま)のお招伴(せうばん)を致(いた)し、245気楽(きらく)に寝(やす)まして頂(いただ)きました。246此(この)御恩(ごおん)はどこ迄(まで)も忘(わす)れませぬ』
247シャ『オイ、248コルトン、249お客様(きやくさま)にお湯(ゆ)を汲(く)んで来(こ)い。250コルトンは何(なに)をしてゐる』
251 幾度(いくたび)呼(よ)んでもコルトンの返詞(へんじ)がせぬ。252干瓢頭(かんぺうあたま)も見(み)せない。253そこへスバール姫(ひめ)が稍(やや)小綺麗(こぎれい)な衣服(いふく)を着替(きか)へ、254髪(かみ)の紊(みだ)れを解(と)き上(あ)げ、255花(はな)のやうな麗(うるは)しい顔(かほ)に笑(ゑみ)を含(ふく)んで、
256スバール『若君(わかぎみ)様(さま)、257お早(はや)う厶(ござ)います。258御(ご)家来(けらい)のお方様(かたさま)、259夜前(やぜん)は寝(やす)まれましたか。260御存(ごぞん)じの通(とほ)りの茅屋(あばらや)で厶(ござ)いますから、261嘸々(さぞさぞ)お二人(ふたり)様(さま)共(とも)、262お寝(やす)み憎(にく)からうかと、263案(あん)じ参(まゐ)らせて居(を)りました。264サアどうか渋茶(しぶちや)をあがつて下(くだ)さいませ』
265と云(い)ひ乍(なが)ら、266手元(てもと)をふるはせ、267稍(やや)顔(かほ)をそむけ気味(ぎみ)に、268恭(うやうや)しく太子(たいし)に茶(ちや)を汲(く)んでささげた。269太子(たいし)は……床(ゆか)しき者(もの)よ、270麗(うるは)しいものよ……と思(おも)ひ乍(なが)ら、271静(しづか)に手(て)を伸(の)べて、272スバールが差(さし)出(だ)す茶(ちや)を受(う)け取(と)り、273二三回(にさんくわい)フーフーと吹(ふ)き乍(なが)ら、274静(しづ)かに呑(の)み干(ほ)した。
275スバ『若君(わかぎみ)様(さま)、276モ一(ひと)つ何(ど)うで厶(ござ)いますか』
277太子(たいし)『ヤ、278構(かま)うてくれな、279余(よ)が勝手(かつて)に頂(いただ)くから』
280シャ『コラコラ、281コルトン、282何処(どこ)へ行(い)つたのだ。283早(はや)く太子(たいし)様(さま)に御(ご)挨拶(あいさつ)を申(まをし)上(あ)げぬか』
284スバ『お父(とう)さま、285コルトンは一時(いつとき)ばかし前(まへ)に飛(と)び出(だ)しましたよ。286最早(もはや)帰(かへ)つて来(く)る気遣(きづかひ)は厶(ござ)いませぬ』
287シャ『ナニ、288コルトンが逃(に)げたといふのか、289なぜお前(まへ)は其(その)時(とき)とめないのだ』
290スバ『お父(とう)さま、291妾(あたし)、292可(い)い蚰蜒(げぢげぢ)が逃(にげ)たと思(おも)つて、293とめなかつたのですよ。294いつも妙(めう)な事(こと)をいつたり、295厭(いや)らしい目付(めつき)をして妾(わたし)を見(み)るのですもの。296何(なん)だか其(その)度(たび)毎(ごと)に悪魔(あくま)に襲(おそ)はれるやうな気(き)が致(いた)しまして、297何時(いつ)も胸(むね)が戦(をのの)いてゐたのです。298之(これ)でモウ親(おや)と子(こ)との水(みづ)入(い)らずで、299こんな気楽(きらく)な事(こと)は厶(ござ)いませぬ。300お父(とう)さま、301コルトンがゐなくても妾(わたし)が炊事(すゐじ)万端(ばんたん)を致(いた)しますから安心(あんしん)して下(くだ)さい』
302シャ『アハヽヽヽ、303到頭(たうとう)、304コルトンも山中(さんちう)生活(せいくわつ)に飽(あ)いて逃亡(たうばう)したかなア、305無理(むり)もない。306若(わか)い奴(やつ)が何(なに)楽(たのし)みもなく、307こんな髭武者(ひげむしや)爺(ぢい)と辛抱(しんばう)してゐたのは、308実(じつ)に感心(かんしん)な者(もの)だつた。309逃(にげ)たとあらば追跡(つゐせき)の必要(ひつえう)もない。310彼(かれ)の自由(じいう)に任(まか)しておいてやらう。311アハヽヽヽ』
312スバ『お父(とう)さま、313コルトンは何時(いつ)も、314こんな事(こと)を云(い)つてゐましたよ、315……こんな山奥(やまおく)に不自由(ふじいう)な生活(せいくわつ)をしてゐるのは、316若(わか)い男(をとこ)として本当(ほんたう)に約(つま)らないのだけれど、317私(わし)が帰(かへ)れば忽(たちま)ちお父(とう)さまが困(こま)らつしやるだらう。318併(しか)し乍(なが)ら一(いち)日(にち)も、319こんな山住居(やまずまゐ)はしたくないのだけれど、320スバールさまの其(その)美(うつく)しい顔(かほ)を、321朝夕(あさゆふ)見(み)るのが、322唯一(ゆゐいつ)の慰安(ゐあん)だ、323命(いのち)の種(たね)だ。324それだから淋(さび)しい山奥(やまおく)も、325淋(さび)しいと思(おも)はず喜(よろこ)んで親方(おやかた)さまの御用(ごよう)をしてゐるのだ……と、326何時(いつ)も申(まを)しましたよ』
327シャ『アハヽヽヽ、328女(をんな)の子(こ)といふ者(もの)は油断(ゆだん)のならぬものだな。329美(うつく)しい花(はな)には害虫(がいちう)がつき易(やす)い習(なら)ひ、330娘(むすめ)を有(も)つた親(おや)は中々(なかなか)油断(ゆだん)は出来(でき)ぬ哩(わい)』
331スバ『お父(とう)さま、332そんな御(ご)心配(しんぱい)は要(い)りませぬ。333何程(なにほど)初心(うぶ)こい娘(むすめ)だつて、334子供(こども)上(あが)りだつて、335あんな男(をとこ)の云(い)ふ事(こと)を諾(き)く者(もの)が厶(ござ)いますか。336太子(たいし)様(さま)の……』
337シャ『アハヽヽヽ、338蔭裏(かげうら)の豆(まめ)も時節(じせつ)が来(く)れば花(はな)が咲(さ)くとやら、339不思議(ふしぎ)なものだなア』
340アリ『モシ、341前(ぜん)左守(さもり)様(さま)、342斯(か)うして太子(たいし)様(さま)のお伴(とも)をして、343一夜(いちや)の雨宿(あまやど)りをさして頂(いただ)いたのも、344深(ふか)い縁(えにし)の結(むす)ばれた事(こと)で厶(ござ)いませう。345タラハン国(ごく)の窮状(きうじやう)を救(すく)ふ為(ため)、346太子(たいし)様(さま)のお伴(とも)をして、347今(いま)一度(いちど)都(みやこ)へ出(い)で、348国家(こくか)の為(ため)に一肌(ひとはだ)ぬいで下(くだ)さる訳(わけ)には参(まゐ)りますまいか。349嬢様(ぢやうさま)も都(みやこ)見物(けんぶつ)を遊(あそ)ばしたら、350又(また)お目(め)が新(あたら)しくなつて嘸(さぞ)お喜(よろこ)びで厶(ござ)いませうから』
351シャ『イヤ御(ご)親切(しんせつ)は有難(ありがた)いが、352仮令(たとへ)太子(たいし)様(さま)のお慈悲(じひ)の言葉(ことば)に甘(あま)え、353都(みやこ)へ出(で)た所(ところ)で、354最早(もはや)一切(いつさい)の権利(けんり)は其方(そなた)の父(ちち)が掌握(しやうあく)してゐる。355十(じふ)年(ねん)も山住居(やまずまゐ)をして、356世(よ)の開明(かいめい)の風(かぜ)に後(おく)れた骨董品(こつとうひん)、357到底(たうてい)国政(こくせい)の衝(しよう)に当(あた)るなどとは、358思(おも)ひもよらぬ事(こと)だ。359却(かへつ)て大王(だいわう)様(さま)のお心(こころ)を揉(も)ませる様(やう)なものだから、360御(ご)親切(しんせつ)は有難(ありがた)いが、361私(わたし)はモウ此(この)山奥(やまおく)で、362娘(むすめ)と共(とも)に朽(く)ちはてる積(つも)りだ。363断(だん)じて都入(みやこいり)は致(いた)しませぬ』
364アリ『それはさうと、365斯(か)かる名花(めいくわ)を山奥(やまおく)に老(お)いさせるのは実(じつ)に勿体(もつたい)ないぢやありませぬか。366貴方(あなた)も娘(むすめ)の出世(しゆつせ)は望(のぞ)まれるでせう。367何時(いつ)迄(まで)も此(この)山奥(やまおく)に厶(ござ)つては、368貴方(あなた)は老後(らうご)を楽(たのし)んで花鳥(くわてう)風月(ふうげつ)を友(とも)とし369此(この)山奥(やまおく)に簡易(かんい)生活(せいくわつ)を楽(たのし)み暮(くら)されるとした所(ところ)で、370莟(つぼみ)の花(はな)のスバールさまを、371此(この)儘(まま)此処(ここ)で一生(いつしやう)を終(をは)らせるのは、372何(ど)う思(おも)うても勿体(もつたい)ない。373そんな事(こと)を仰(おほ)せられずに、374太子(たいし)様(さま)を蔭(かげ)乍(なが)ら守(まも)る為(ため)に都(みやこ)へ出(で)て下(くだ)さい。375そして政治(せいぢ)がお厭(いや)なれば、376どつかの家(いへ)に身(み)を忍(しの)び、377お嬢(ぢやう)さまを守(もり)立(たて)て、378立派(りつぱ)な花(はな)になさつたら何(ど)うですか』
379シャ『何(なん)と仰(おほ)せられても、380元来(ぐわんらい)頑固(ぐわんこ)な生(うま)れ付(つき)、381一度(いちど)厭(いや)と申(まを)せば何処(どこ)迄(まで)も厭(いや)で厶(ござ)る』
382太(たい)『左守(さもり)、383余(よ)の頼(たの)みだから、384余(よ)と共(とも)にタラハン城(じやう)へ帰(かへ)つてくれる気(き)はないか』
385シャ『ハイ、386何(なん)と仰(おほ)せられましても、387之(これ)許(ばか)りは平(ひら)に御免(ごめん)を被(かうむ)りたう厶(ござ)ります』
388太(たい)『ウン、389さうか、390それ程(ほど)厭(いや)がる者(もの)を、391無理(むり)に伴(つ)れ帰(かへ)るのは、392却(かへつ)て無慈悲(むじひ)かも知(し)れない。393そんなら其方(そなた)の意志(いし)に任(まか)す。394帰(かへ)つたら此(この)アリナに珍(めづ)らしい物(もの)でも持(も)たして、395御(お)礼(れい)に参(まゐ)らすから……永(なが)らくお世話(せわ)になつた。396惜(をし)いけれども、397帰(かへ)らねばなるまい。398併(しか)しシャカンナ、399其(その)方(はう)に一(ひと)つの頼(たの)みがある。400聞(き)いては呉(く)れまいかなア』
401シャ『ハイ、402如何(いか)なる事(こと)でも、403最前(さいぜん)お断(ことわ)り申(まを)した外(ほか)の事(こと)ならば、404力(ちから)の及(およ)ぶ限(かぎ)り、405御恩(ごおん)報(ほう)じの為(ため)に承(うけたま)はりませう』
406太(たい)『ヤ、407早速(さつそく)の承引(しよういん)、408満足(まんぞく)々々(まんぞく)、409外(ほか)でもないが、410スバール嬢(ぢやう)の姿(すがた)が絵(ゑ)に写(うつ)したい』
411シャ『ナニ、412スバールの姿(すがた)を撮(と)ると仰(おほ)せられるのですか、413金枝(きんし)玉葉(ぎよくえふ)の御(おん)身(み)を以(もつ)て414卑(いや)しき私(わたし)共(ども)の娘(むすめ)の姿(すがた)をお描(ゑが)き遊(あそ)ばすとは、415余(あま)り勿体(もつたい)ないお言葉(ことば)。416之(これ)許(ばか)りは平(ひら)にお断(ことわ)り申(まを)し上(あ)げませう。417冥加(みやうが)に尽(つ)きますから』
418太(たい)『何(なに)、419さう遠慮(ゑんりよ)するには及(およ)ばぬ。420どうか余(よ)の頼(たの)みぢや、421絵姿(ゑすがた)を描(か)かしてくれ』
422スバ『お父(とう)さま、423若君(わかぎみ)様(さま)のお言葉(ことば)、424お否(いな)みなさるのは却(かへつ)て御(ご)無礼(ぶれい)で厶(ござ)いませう。425妾(わたし)は若君(わかぎみ)様(さま)の御(お)筆(ふで)に描(ゑが)かれたう厶(ござ)いますワ』
426アリ『ヤ、427お嬢(ぢやう)さま、428天晴(あつぱれ)々々(あつぱれ)、429出(で)かされました。430御(ご)本人(ほんにん)の承諾(しようだく)ある限(かぎ)りは、431モウこつちの物(もの)だ。432サア若君(わかぎみ)様(さま)、433日頃(ひごろ)の妙筆(めうひつ)をお揮(ふる)ひ遊(あそ)ばせ。434私(わたし)が墨(すみ)をすりませう』
435シャ『アハヽヽ、436到頭(たうとう)娘(むすめ)も太子(たいし)様(さま)のお眼鏡(めがね)に叶(かな)ひ、437絵姿(ゑすがた)を取(と)つて頂(いただ)くのか。438ても偖(さて)も幸福(かうふく)な奴(やつ)だなア』
439 スバールはいそいそとして、440一張羅(いつちやうら)の美服(びふく)に着替(きか)へ、441門(かど)に出(い)で、442面白(おもしろ)い形(かたち)をした岩(いは)の傍(そば)に靠(もた)れ凭(かか)つて、443太子(たいし)の描写(べうしや)に任(まか)せた。444太子(たいし)はせつせと筆(ふで)を運(はこ)ばせ、445殆(ほと)んど一時(ひととき)許(ばか)りにして、446実物(じつぶつ)と見(み)まがふ様(やう)な立派(りつぱ)な絵姿(ゑすがた)を描(か)き上(あ)げた。
447太(たい)『ヤア、448之(これ)で国許(くにもと)への土産(みやげ)が出来(でき)た。449之(これ)を床(とこ)の間(ま)にかけて、450朝夕(あさゆふ)楽(たのし)まう。451ヤ、452爺(ぢい)、453一寸(ちよつと)見(み)てくれ、454スバールに似(に)てゐるかな』
455 シャカンナは『ハイ』と答(こた)へて、456屋内(をくない)から駆(か)け出(だ)し、
457シャ『ヤ、458若君(わかぎみ)様(さま)、459最早(もはや)お描(か)き上(あ)げになりましたか。460……何(なん)とマア立派(りつぱ)な御(お)腕前(うでまへ)、461感(かん)じ入(い)りまして厶(ござ)います』
462太(たい)『ハヽヽヽ、463スバールに似(に)てゐるかな』
464シャ『どちらが実物(じつぶつ)だか、465親(おや)の私(わたし)でさへ見分(みわ)けがつかない位(くらゐ)、466よく描(か)けて居(を)ります。467太子(たいし)様(さま)は大変(たいへん)な美術家(びじゆつか)で厶(ござ)いますなア』
468太(たい)『ハヽヽヽヽ』
469アリ『学問(がくもん)と云(い)ひ、470芸術(げいじゆつ)と云(い)ひ、471文才(ぶんさい)と云(い)ひ、472博愛(はくあい)慈善(じぜん)の御心(みこころ)といひ、473勇壮(ゆうさう)活溌(くわつぱつ)な御(ご)気象(きしやう)といひ、474又(また)と一人(ひとり)天下(てんか)に肩(かた)を並(なら)ぶる者(もの)はありませぬよ。475何(なに)から何(なに)迄(まで)完全(くわんぜん)無欠(むけつ)な御(ご)人格(じんかく)を備(そな)へてゐられます』
476 シャカンナは首(くび)を傾(かたむ)けて、477絵画(くわいぐわ)とスバールとを見比(みくら)べ乍(なが)ら、478感歎(かんたん)久(ひさ)しうして舌(した)を巻(ま)いてゐる。479主従(しゆじゆう)は午後(ごご)八(や)つ時(どき)、480パンを用意(ようい)し、481惜(をし)き別(わか)れを告(つ)げて、482一先(ひとま)づ此(この)庵(いほり)を去(さ)る事(こと)となつた。483太子(たいし)は後(あと)振返(ふりかへ)り振返(ふりかへ)り、484名残(なごり)惜気(をしげ)に父娘(おやこ)の姿(すがた)を眺(なが)めてゐる。485シャカンナの父娘(おやこ)は又(また)太子(たいし)、486アリナの後姿(うしろすがた)を首(くび)を伸(の)ばして見送(みおく)つてゐた。487シャカンナは思(おも)はず知(し)らず十間(じつけん)許(ばか)り後(あと)を逐(お)うてゐた。488二人(ふたり)の姿(すがた)は山裾(やますそ)の突(つき)出(で)た小丘(せうきう)に隔(へだ)てられ、489遂(つひ)に互(たがひ)の視線(しせん)は全(まつた)く離(はな)れて了(しま)つた。
490 主従(しゆじゆう)は元気(げんき)よく坂路(さかみち)を東(ひがし)へ東(ひがし)へと谷川(たにがは)の流(なが)れに沿(そ)ひ下(くだ)つて行(ゆ)くと、491途中(とちう)に日(ひ)はズツポリと暮(く)れた。492止(や)むを得(え)ず、493路端(みちばた)の突(つき)出(で)た石(いし)に腰(こし)打(うち)かけ、494息(いき)を休(やす)めてゐると、495何者(なにもの)共(とも)知(し)れず、496突然(とつぜん)後方(こうはう)より現(あら)はれて太子(たいし)の頭上(づじやう)を目当(めあて)に、497堅(かた)い沙羅(さら)双樹(さうじゆ)の幹(みき)で作(つく)つた杖(つゑ)を以(もつ)て、498骨(ほね)も砕(くだ)けと打(う)ち下(おろ)す。499太子(たいし)は惟神(かむながら)的(てき)に体(たい)をかわした。500其(その)途端(とたん)に的(まと)が外(はづ)れて、501曲者(くせもの)は二人(ふたり)の前(まへ)に杖(つゑ)を握(にぎ)つたまま地(ち)を叩(たた)いて、502ひつくり返(かへ)り、503頭(かしら)を打(う)つて悲鳴(ひめい)をあげた。504能(よ)く能(よ)く見(み)れば豈計(あにはか)らむや、505シャカンナの僕(しもべ)コルトンであつた。506主従(しゆじゆう)はコルトンを労(いた)はり起(おこ)し、507いろいろと道(みち)を説(と)き諭(さと)し、508将来(しやうらい)を戒(いまし)めて、509又(また)夜(よる)の路(みち)をトボトボと帰途(きと)に就(つ)いた。
510(大正一三・一二・四 新一二・二九 於祥雲閣 松村真澄録)
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