霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
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第一三章 山中(さんちう)の火光(くわくわう)〔一七一五〕

インフォメーション
著者:出口王仁三郎 巻:霊界物語 第67巻 山河草木 午の巻 篇:第3篇 多羅煩獄 よみ(新仮名遣い):たらはんごく
章:第13章 山中の火光 よみ(新仮名遣い):さんちゅうのかこう 通し章番号:1715
口述日:1924(大正13)年12月28日(旧12月3日) 口述場所:祥雲閣 筆録者:加藤明子 校正日: 校正場所: 初版発行日:1926(大正15)年8月19日
概要: 舞台: あらすじ[?]このあらすじはMさん作成です(一部加筆訂正してあります)。一覧表が「王仁DB」にあります。[×閉じる]:
すばらしい光景を眺めつつ山に分け入ったが、日は暮れてつきが辺りを照らし出した。一行はトリデ山の山頂へとたどり着いた。
太子はすばらしい景色をたたえる歌を詠み、宮中へ帰りたくない意思を表す。
夜半にもかかわらず、太子はさらにあてどもなく歩を進め、アリナはそれを追っていく。やがて二人は疲れて寝てしまう。
次の日、目が覚めるともう午後であった。太子もようやく帰途を思うが、もはや道を見つけることができない。
太子はたとえこのまま山の中に迷おうとも、人間らしい生活をしたい、と言い出し、アリナと無銭旅行を願う。
アリナはあくまで帰城を促す。
結局、アリナが杖を倒し、倒れた方向へ進んでいくこととなる。
また日が暮れ始め、猛獣の声が響く。アリナはおびえるが、太子は平気である。
ところへ、太子は火の光がまたたいているのを見つける。人家があるものと、二人はそちらを指して進んでゆく。
主な登場人物[?]【セ】はセリフが有る人物、【場】はセリフは無いがその場に居る人物、【名】は名前だけ出て来る人物です。[×閉じる]: 備考: タグ: データ凡例: データ最終更新日:2026-08-16 17:13:55 文字数:4143 OBC :rm6713
愛善世界社版:164頁 八幡書店版:第12輯 90頁 修補版: 校定版:166頁 普及版:68頁 初版: ページ備考:
001 太子(たいし)は物(もの)珍(めづ)らしげに四方(よも)の広原(くわうげん)を瞰下(みおろ)し乍(なが)ら、002尾上(をのへ)の風(かぜ)に吹(ふ)かれつつ、003心(こころ)の向(むか)ふ儘(まま)ドンドンと進(すす)み行(ゆ)く。004日(ひ)は西山(せいざん)にズツポリと沈(しづ)んで、005ソロソロ暗(やみ)の帳(とばり)が下(お)りて来(き)た。006百鳥(ももどり)は老木(おいき)の梢(こずゑ)に宿(やど)を求(もと)めてチユンチユンと鈴(すず)のやうな声(こゑ)で囀(さへづ)つて居(ゐ)る。007折(をり)から昇(のぼ)る月光(げつくわう)は殊更(ことさら)美(うるは)しく、008一点(いつてん)の雲翳(うんえい)もなき大空(たいくう)を、009隈(くま)なく照(て)らして居(ゐ)る。010此処(ここ)はタラハン国(ごく)にて有名(いうめい)なるトリデ山(やま)と云(い)ふ。011太子(たいし)はトリデ山(やま)の頂上(ちやうじやう)に突立(つつた)つた大岩石(だいがんせき)の上(うへ)に安坐(あんざ)しながら、012空(そら)の景色(けしき)を眺(なが)めて、013其(その)雄大(ゆうだい)なる自然(しぜん)の姿(すがた)に憧憬(どうけい)して居(ゐ)る。
014太子(たいし)『如意(によい)宝珠(ほつしゆ)玉(たま)をかざして大空(おほぞら)を
015昇(のぼ)る月(つき)こそ憧(あこが)れの国(くに)。
016宝石(はうせき)を撒(ま)きちらしたる大空(おほぞら)は
017神(かみ)の力(ちから)の現(あら)はれなるらむ。
018尾上(をのへ)をば渡(わた)る松風(まつかぜ)音(ね)も清(きよ)く
019なにか神秘(しんぴ)を語(かた)るべらなり。
020瞰下(みおろ)せば四方(よも)の原野(げんや)は月光(つきかげ)の
021露(つゆ)を浴(あ)びつつ妙(たへ)に光(ひか)れる。
022今(いま)吾(われ)はトリデの山(やま)の山(やま)の上(へ)に
023千代(ちよ)の命(いのち)の清水(しみづ)汲(く)むなり。
024月(つき)の露(つゆ)吾(わが)身魂(みたま)をば霑(うるほ)して
025甦(よみがへ)りたる心地(ここち)せしかな』
026アリナ『若君(わかぎみ)の御後(みあと)に従(したが)ひ来(き)て見(み)れば
027トリデの山(やま)は殊(こと)に麗(うるは)し。
028若君(わかぎみ)のたたせたまへる此(この)巌(いはほ)
029千代(ちよ)に動(うご)かぬ名(な)をば残(のこ)さむ。
030吾(わが)父(ちち)はさぞ今(いま)頃(ごろ)は若君(わかぎみ)の
031所在(ありか)たづねて騒(さわ)ぎをるらむ。
032大君(おほぎみ)のいづの御心(みこころ)思(おも)ひやり
033父(ちち)を思(おも)ひて涙(なみだ)にしたる』
034太子(たいし)『天地(あめつち)の生(いけ)る姿(すがた)を眺(なが)めては
035死(し)せる館(やかた)へ帰(かへ)りたくなし。
036吾(わが)宿(やど)に立(た)ち帰(かへ)りなば父君(ちちぎみ)の
037隔(へだ)ての垣(かき)は高(たか)くなるべし。
038花(はな)香(にほ)ひ木(こ)の実(み)は豊(ゆた)に実(みの)るなる
039此(この)神山(かみやま)に住(す)みたくぞ思(おも)ふ』
040 太子(たいし)は夜半(やはん)にも係(かか)はらず又(また)もや立(た)つて月(つき)の光(ひかり)を頼(たよ)りに谷(たに)に下(くだ)り041或(あるひ)は峰(みね)を越(こ)え042何処(どこ)を当(あて)ともなく進(すす)み行(ゆ)く。043アリナは是非(ぜひ)なく小声(こごゑ)で呟(つぶや)き乍(なが)ら、044太子(たいし)の姿(すがた)を見失(みうしな)はじと五六歩(ごろくぽ)の間隔(かんかく)を保(たも)つて従(したが)ひ行(ゆ)く。045十五夜(じふごや)の月(つき)は早(はや)くも高山(たかやま)にかくれて大(おほ)きな山影(やまかげ)が襲(おそ)うて来(き)た。046二人(ふたり)は数(すう)里(り)の山野(さんや)をパンも持(も)たずに果物(くだもの)に喉(のど)を霑(うるほ)はしながら、047当所(あてど)もなくやつて来(き)たので身体(しんたい)縄(なは)の如(ごと)く疲(つか)れ、048密樹(みつじゆ)の下(した)に横(よこ)たはつたまま熟睡(じゆくすゐ)して仕舞(しま)つた。049二人(ふたり)の自然(しぜん)に目(め)の醒(さ)めた頃(ころ)は翌日(よくじつ)の午後(ごご)の八(や)つ時(どき)[※午後2時から午後4時頃]であつた。050太子(たいし)は目(め)を摩(こす)りながら、
051太(たい)『オイ、052アリナ、053一体(いつたい)此処(ここ)は何(なん)と云(い)ふ所(ところ)だ。054余(あま)り疲(つか)れたと見(み)えて前後(ぜんご)も知(し)らず寝忘(ねわす)れ、055最早(もはや)翌日(よくじつ)の八(や)つ時(どき)らしいぢやないか。056お父上(ちちうへ)や左守(さもり)、057右守(うもり)は嘸(さぞ)余(よ)の姿(すがた)の見(み)えないのに驚(おどろ)いて騒(さわ)ぎ立(た)てて居(ゐ)ることだらう。058一先(ひとま)づ帰(かへ)つてやらうぢやないか』
059ア『ハイ、060畏(かしこ)まりました。061一(いち)時(じ)も早(はや)く帰(かへ)らねばなりますまい。062さうして殿中(でんちう)へ帰(かへ)れば、063きつと大君(おほぎみ)様(さま)や吾(わが)父(ちち)なぞの怒(いか)りに触(ふ)れる事(こと)で厶(ござ)いませうが、064責任(せきにん)は私(わたし)が一切(いつさい)負(お)ひますから、065どうぞお帰(かへ)り下(くだ)さいませ』
066太(たい)『何(なに)、067責任(せきにん)をお前(まへ)に負(お)はしては余(よ)が済(す)まない。068何(なん)と云(い)つても余(よ)は一国(いつこく)の太子(たいし)だ。069父上(ちちうへ)には余(よ)から好(よ)きやうにお詫(わび)をして置(お)く。070そしてお前(まへ)の身(み)の上(うへ)にお咎(とが)めの来(こ)ないやう命(いのち)にかけても弁解(べんかい)してやるから安心(あんしん)せよ』
071ア『殿下(でんか)に御(ご)心配(しんぱい)をかけては済(す)みませぬ。072皆(みな)私(わたし)が悪(わる)いので厶(ござ)いますから、073サア参(まゐ)りませう』
074と今度(こんど)はアリナが案内役(あんないやく)となつて帰路(きろ)についた。075何(ど)う道(みち)を踏(ふ)み迷(まよ)ふたものか、076往(ゆ)けども往(ゆ)けども帰(かへ)り道(みち)が分(わか)らない。077山(やま)は幾千百(いくせんひやく)ともなく彼方(あなた)此方(こなた)に聳(そび)へ078谷底(たにぞこ)を見(み)れば蒼味(あをみ)だつた水(みづ)が緩(ゆる)やかに流(なが)れて居(ゐ)る。
079ア『殿下(でんか)080大変(たいへん)な所(ところ)へ参(まゐ)りました。081私(わたし)も此(この)辺(へん)の山路(やまみち)は初(はじ)めてで厶(ござ)いますので、082何方(どちら)へ歩(あゆ)んだら帰(かへ)れるやら、083見当(けんたう)が取(と)れませぬ。084誠(まこと)に済(す)まない事(こと)を致(いた)しました』
085太(たい)『何(なに)、086心配(しんぱい)するな。087道(みち)が分(わか)らねば山(やま)住居(ずまゐ)をすりやそれで好(よ)いぢやないか。088余程(よほど)空腹(くうふく)にはなつたが、089余(よ)とお前(まへ)と二人(ふたり)の食料(しよくれう)位(ぐらゐ)は木(こ)の実(み)を取(と)つて食(く)つて居(ゐ)ても続(つづ)くだらう、090何事(なにごと)も惟神(かむながら)に任(まか)すがよからうぞ』
091ア『ハイ、092併(しか)し斯様(かやう)な山奥(やまおく)のしかも深(ふか)い谷間(たにあひ)に迷(まよ)ひ込(こ)みましては方角(はうがく)も碌(ろく)に分(わか)りませぬ。093兎(と)も角(かく)094この杖(つゑ)を立(た)てて見(み)て095杖(つゑ)のこけた方(はう)に進(すす)む事(こと)に致(いた)しませうか』
096太(たい)『ウン、097それも一策(いつさく)だらう。098何(なに)心配(しんぱい)することが要(い)るものか。099山(やま)は青(あを)く谷水(たにみづ)は清(きよ)く100鳥(とり)は歌(うた)ひ、1001新緑(しんりよく)は茂(しげ)り、101珍(めづ)らしき花(はな)は彼方(あなた)此方(こなた)に艶(えん)を競(きそ)い芳香(はうかう)を薫(くん)じ、102陽気(やうき)は温(あたた)かく、103こんな愉快(ゆくわい)の事(こと)はないぢやないか。104余(よ)は一層(いつそう)105十日(とをか)も二十日(はつか)も山(やま)の中(なか)に迷(まよ)ふて見(み)たいわ、106アハヽヽヽ』
107ア『何(なん)と殿下(でんか)はお気楽(きらく)で厶(ござ)いますな。108私(わたし)のやうな小心者(せうしんもの)はもはや耐(た)へ切(き)れなくなつて参(まゐ)りました』
109太(たい)『ハヽヽヽヽ。110随分(ずいぶん)弱音(よわね)を吹(ふ)く男(をとこ)だな。111彼(あ)の草木(さうもく)を見(み)よ。112こんな嶮(けは)しい山(やま)に荒(あら)い風(かぜ)に揉(も)まれ乍(なが)ら、113泰然(たいぜん)自若(じじやく)として非時(ときじく)花(はな)を開(ひら)き実(み)を結(むす)び、114天然(てんねん)を楽(たの)しんで居(ゐ)るぢやないか。115鳥(とり)は気楽(きらく)に春(はる)を歌(うた)ひ116山猿(やまざる)はあのとほり梢(こずゑ)に集(あつ)まつて嬉(うれ)し気(げ)に遊(あそ)び戯(たはむ)れて居(ゐ)る。117仮令(たとへ)小(せう)なりと雖(いへど)も吾々(われわれ)は人間(にんげん)ぢやないか。118どこに居(を)つても生活(せいくわつ)の出来(でき)ない道理(だうり)はない。119神(かみ)の恩恵(おんけい)の懐中(ふところ)に抱(いだ)かれ、120自然(しぜん)と親(した)しく交(まじ)はり、121天地(てんち)を父母(ふぼ)として、122誰人(たれ)に遠慮(ゑんりよ)もなく気兼(きがね)もなく、123かうして居(ゐ)る吾々(われわれ)は実(じつ)に幸福(かうふく)な境遇(きやうぐう)に置(お)かれて居(ゐ)るぢやないか。124何(なに)を悔(くや)むのだ。125その心配(しんぱい)さうな顔(かほ)は何事(なにごと)ぞ。126ちつと気(き)を取(と)り直(なほ)し元気(げんき)をつけて勇(いさ)んだらどうだ。127万物(ばんぶつ)の霊長(れいちやう)天地(てんち)の花(はな)と誇(ほこ)つて居(ゐ)る人間(にんげん)の身(み)として128山河(さんか)草木(さうもく)禽獣(きんじう)に対(たい)し恥(はづ)かしくは思(おも)はないか』
129ア『殿下(でんか)の大胆(だいたん)不敵(ふてき)なるお言葉(ことば)には130小心者(せうしんもの)のアリナも驚倒(きやうたう)するより外(ほか)は厶(ござ)いませぬ。131何(なん)とした殿下(でんか)は大(だい)人格者(じんかくしや)で厶(ござ)いませう。132今(いま)迄(まで)殿中(でんちう)雲(くも)深(ふか)き所(ところ)にお育(そだ)ち遊(あそ)ばし133隙間(すきま)の風(かぜ)にも当(あ)てられぬ高貴(かうき)の御(ご)生活(せいくわつ)、134蒲柳(ほりう)の御(ご)体質(たいしつ)、135荒風(あらかぜ)に一度(いちど)お当(あた)り遊(あそ)ばしても忽(たちま)ち病気(びやうき)にお悩(なや)み遊(あそ)ばすかと、136内々(ないない)心配(しんぱい)致(いた)して居(を)りましたに、137只今(ただいま)の殿下(でんか)のお元気(げんき)138勇壮(ゆうさう)活溌(くわつぱつ)なる御(ご)精神(せいしん)には、139アリナも舌(した)を巻(ま)きました。140「王侯(わうこう)に種(たね)なし」と云(い)ふ諺(ことわざ)は殿下(でんか)によつて全然(ぜんぜん)裏切(うらぎ)られて了(しま)ひました。141三五教(あななひけう)の御教(みをしへ)にも「誠(まこと)の種(たね)を吟味(ぎんみ)致(いた)すは今度(こんど)の事(こと)ぞよ。142種(たね)さへよければ、143どんな立派(りつぱ)な御用(ごよう)でも出来(でき)るぞよ。144今度(こんど)は元(もと)の種(たね)を世(よ)に現(あら)はして神政(しんせい)成就(じやうじゆ)の御用(ごよう)に使(つか)ふぞよ」と出(で)て居(ゐ)ますが、145如何(いか)にも其(その)通(とほ)りだと思(おも)ひます。146殿下(でんか)は決(けつ)してただ人(びと)ではありませぬ。147末(すゑ)には屹度(きつと)印度(いんど)七千(しちせん)余国(よこく)の王者(わうじや)となられるでせう。148嗚呼(ああ)私(わたし)は何(なん)の幸福(かうふく)で斯様(かやう)な立派(りつぱ)な殿下(でんか)のお側付(そばづき)に選(えら)ばれたのでせうか』
149太(たい)『アハヽヽヽヽ、150オイ、151アリナ、152仕様(しやう)もない事(こと)を云(い)ふて呉(く)れるな。153余(よ)は印度(いんど)の王者(わうじや)などは眼中(がんちう)にないのだ。154それよりも宇宙(うちう)の断片(だんぺん)一介(いつかい)の人間(にんげん)となつて普(あまね)く天下(てんか)を遍歴(へんれき)し、155自由(じいう)自在(じざい)に天地(てんち)の恩恵(おんけい)に親(した)しみ、156人間(にんげん)らしい生活(せいくわつ)が送(おく)つて見度(みた)いのだ。157天(てん)から生(いき)た精霊(せいれい)を与(あた)へられたる人間(にんげん)として158人形(にんぎやう)のやうに簾(みす)を垂(た)れ有象(うざう)無象(むざう)に祭(まつ)り込(こ)まれ、159尊敬(そんけい)され、160礼拝(らいはい)されて、161それが何(なに)嬉(うれ)しい。162何(なん)の名誉(めいよ)になるか。163虚偽(きよぎ)虚飾(きよしよく)をもつて充(みた)されたる現代(げんだい)の人間(にんげん)のやり方(かた)には余(よ)は飽(あ)き果(は)てて居(ゐ)る。164決(けつ)して再(ふたた)び殿中(でんちう)に帰(かへ)るやうな馬鹿(ばか)な真似(まね)はすまい。165草(くさ)を組(く)んで蓑(みの)となし、166木(こ)の葉(は)を編(あ)んで笠(かさ)となし、167是(これ)からお前(まへ)と無銭(むせん)旅行(りよかう)と出(で)かけたらどうだ。168そこ迄(まで)お前(まへ)の誠意(せいい)があるか、169それを聞(き)かして貰(もら)いたいものだ。170お前(まへ)もそれだけの苦労(くらう)は能(よ)うせないと云(い)ふであらう』
171ア『どんな苦労(くらう)でも殿下(でんか)とならば致(いた)しますが、172雲上(うんじやう)の御(おん)身(み)の上(うへ)をもつて、173物好(ものずき)にも乞食(こじき)の真似(まね)をして無銭(むせん)旅行(りよかう)などとは御(ご)酔興(すゐきよう)にも程(ほど)があります。174決(けつ)して悪(わる)い事(こと)は申(まをし)上(あげ)ませぬ。175どうか冷静(れいせい)にお考(かんが)へ下(くだ)さいませ。176タラハン国(ごく)の人情(にんじやう)や177大王(だいわう)様(さま)の御(ご)心中(しんちう)や臣下(しんか)の胸中(きようちう)も些(すこ)しは顧慮(こりよ)下(くだ)さいまして、178一(ひと)先(ま)づ御(ご)帰城(きじやう)を願(ねが)ひます』
179太(たい)『余(よ)は決(けつ)して帰城(きじやう)しないとは云(い)はないよ。180併(しか)し乍(なが)ら帰(かへ)らうと思(おも)へば思(おも)ふ程(ほど)、181山(やま)深(ふか)く迷(まよ)ひ込(こ)み帰(かへ)り途(みち)が分(わか)らぬぢやないか。182それだから余(よ)は、183これも全(まつた)く天(てん)の命(めい)と信(しん)じ184無銭(むせん)旅行(りよかう)の覚悟(かくご)を定(き)めたのだ。185アハヽヽヽヽヽ、186どこ迄(まで)も気(き)の弱(よわ)い男(をとこ)だなア』
187ア『いや私(わたし)も殿下(でんか)の雄々(をを)しき御(お)志(こころざし)に励(はげ)まされ188一切(いつさい)万事(ばんじ)を天地(てんち)神明(しんめい)に任(まか)せました。189無事(ぶじ)に殿中(でんちう)に帰(かへ)り得(う)るのも、190又(また)山(やま)深(ふか)く迷(まよ)ひ込(こ)み、191虎(とら)狼(おほかみ)の餌食(ゑじき)となるのも天命(てんめい)と心得(こころえ)ます。192サア杖(つゑ)のこけた方(はう)に進(すす)んで見(み)ませう』
193と云(い)ひ乍(なが)ら194携(たづさ)へ来(きた)りし杖(つゑ)を真直(まつすぐ)に立(た)てパツと手(て)を放(はな)した。195杖(つゑ)はアリナが立(た)つて居(ゐ)る左(ひだり)の方(はう)へパタリとこけた。
196ア『殿下(でんか)197此(こ)の通(とほ)りで厶(ござ)います。198左(ひだり)の方(はう)へ参(まゐ)りませう。199これも神(かみ)様(さま)のお知(し)らせで厶(ござ)いませうから』
200太(たい)『よし、201杖(つゑ)の倒(こ)けた方(はう)を杖(つゑ)とも力(ちから)とも頼(たの)んでモウ一息(ひといき)跋渉(ばつせう)して見(み)よう。202ヤア面白(おもしろ)い面白(おもしろ)い』
203と云(い)ひ乍(なが)ら、204太子(たいし)は先(さき)に立(た)つて山(やま)の中腹(ちうふく)を左(ひだり)へ左(ひだり)へと忙(いそが)はしげに走(はし)り往(ゆ)く。205往(ゆ)けども往(ゆ)けども山(やま)又(また)山(やま)の方角(はうがく)も分(わか)らばこそ、206其(その)日(ひ)もズツポリと暮(く)れて仕舞(しま)つた。207主従(しゆじゆう)二人(ふたり)は木(こ)の葉(は)を折(を)つて敷物(しきもの)となし、208空腹(くうふく)をかかへ乍(なが)ら夜(よ)の明(あ)けるを待(ま)つて居(ゐ)た。209前方(ぜんぱう)の谷間(たにま)よりライオンの声(こゑ)210峰(みね)の木霊(こだま)を響(ひび)かして物凄(ものすご)く聞(きこ)えて来(く)る。211アリナはこの物凄(ものすご)き獅子(しし)の声(こゑ)に戦慄(せんりつ)し212唇(くちびる)を紫色(むらさきいろ)に染(そ)め、213蒼白色(さうはくしよく)の顔(かほ)を月光(げつくわう)に曝(さら)し慄(ふる)ひ戦(をのの)いて居(ゐ)る。
214ア『モヽ若(も)し、215デヽ殿下(でんか)、216タヽ大変(たいへん)な事(こと)になつて参(まゐ)りました。217コヽ今夜(こんや)ドヽどうやら喰(く)はれて了(しま)ふかもシヽ知(し)れませぬ。218是(これ)と云(い)ふのも全(まつた)く私(わたし)が悪(わる)いので厶(ござ)います。219デヽ殿下(でんか)の御(おん)身(み)の上(うへ)に難儀(なんぎ)のかかるやうな事(こと)があつては220大王(だいわう)様(さま)や、221数多(あまた)の御(ご)家来衆(けらいしう)や、222又(また)国民(こくみん)に対(たい)してもモヽ申(まをし)訳(わけ)が厶(ござ)いませぬ。223ドヽどうか私(わたし)の大罪(だいざい)をお許(ゆる)し下(くだ)さいませ』
224と早(はや)くも泣(な)いて居(ゐ)る。225スダルマン太子(たいし)は平然(へいぜん)として些(すこ)しも騒(さわ)がず、
226太(たい)『アハヽヽヽ、227オイ、228アリナ、229其(その)態(ざま)はなんだ。230獅子(しし)がそれ程(ほど)怖(こは)いのか。231あいつは獣類(けだもの)ぢやないか。232神(かみ)の生宮(いきみや)とも云(い)ふべき人間(にんげん)が、233獅子(しし)や虎(とら)や狼(おほかみ)位(ぐらい)に怖(おそ)れ戦(をのの)くとは何(なん)の事(こと)だ。234獅子(しし)の奴(やつ)、235余(よ)の姿(すがた)を見(み)て反対(はんたい)に戦(をのの)き怖(おそ)れ悲鳴(ひめい)を挙(あ)げて居(ゐ)るのだよ。
236天地(あめつち)の神(かみ)の生宮(いきみや)出(い)でましを
237眺(なが)めて獅子(しし)の吼(ほ)ゆるなるらむ。
238獅子(しし)熊(くま)も虎(とら)狼(おほかみ)もなにかあらむ
239神(かみ)の御子(みこ)たる人(ひと)の身(み)なれば。
240天地(あめつち)の深(ふか)き恵(めぐみ)を稟(う)けながら
241何(なに)を恐(おそ)るか獣(けもの)の声(こゑ)に』
242アリナ『若君(わかぎみ)と共(とも)にありなば獅子(しし)熊(くま)の
243健(たけ)びも怖(こは)しと思(おも)はざりけり。
244さりながら獅子(しし)の咆哮(はうかう)聞(き)く毎(ごと)に
245身(み)は自(おのづか)ら打(う)ち慄(ふる)ふなり』
246 猛獣(まうじう)の声(こゑ)は四方(しはう)八方(はつぱう)より百雷(ひやくらい)の如(ごと)く聞(きこ)え来(きた)る。247左手(ゆんで)の谷底(たにぞこ)を見(み)れば珍(めづ)らしや、248一炷(いつしゆ)の火光(くわくわう)が木(こ)の間(ま)を透(す)かして瞬(またた)いて居(ゐ)た。249太子(たいし)は目敏(めざと)くもこれを見(み)て、250アリナの背(せな)を二(ふた)つ三(み)つ平手(ひらて)で叩(たた)き乍(なが)ら、
251太(たい)『オイ、252弱虫(よわむし)の隊長(たいちやう)、253アリナの先生(せんせい)、254安心(あんしん)せよ。255あの火光(くわくわう)を見(み)よ。256決(けつ)して妖怪(えうくわい)の火(ひ)でもあるまい。257あれは確(たしか)に陽光(やうくわう)だ。258どうやら人間(にんげん)が住(すま)ひをして居(ゐ)るらしい。259あの火光(くわくわう)を目当(めあて)に人家(じんか)を尋(たづ)ね飲食(おんじき)にありつかうぢやないか』
260 アリナは太子(たいし)の言葉(ことば)に頭(かしら)を上(あ)げ指(ゆび)さす方(はう)を瞰下(みおろ)せば261如何(いか)にも力強(ちからづよ)い火(ひ)の光(ひかり)が瞬(またた)いて居(ゐ)る。262俄(にはか)に元気(げんき)恢復(くわいふく)し、263声(こゑ)も勇(いさ)ましく、
264ア『ヤ、265如何(いか)にも殿下(でんか)の仰(おほせ)の通(とほ)り火光(くわくわう)が見(み)えます。266全(まつた)く天(てん)の御恵(みめぐみ)で厶(ござ)いませう。267一(いち)時(じ)も早(はや)くあの火(ひ)を目当(めあて)に下(くだ)りませう。268サア私(わたし)が蜘蛛(くも)の巣(す)開(びら)きを致(いた)しますから、269どうか後(あと)について来(き)て下(くだ)さいませ』
270太(たい)『ウンよし、271お前(まへ)も俄(にはか)に強(つよ)くなつたやうだ。272俺(おれ)もそれで心強(こころづよ)くなつた』
273と云(い)ひ乍(なが)ら274灌木(くわんぼく)茂(しげ)る木(こ)の間(ま)を分(わ)けて下(くだ)り往(ゆ)く。
275(大正一三・一二・三 新一二・二八 於祥雲閣 加藤明子録)
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