霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
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第一〇章 スガの長者(ちようじや)〔一七一二〕

インフォメーション
著者: 巻: 篇: よみ(新仮名遣い):
章: よみ(新仮名遣い): 通し章番号:
口述日: 口述場所: 筆録者: 校正日: 校正場所: 初版発行日:
概要: 舞台: あらすじ[?]このあらすじはMさん作成です(一部加筆訂正してあります)。一部の章はAIによって要約を作成しています。[×閉じる]: 主な登場人物[?]【セ】はセリフが有る人物、【場】はセリフは無いがその場に居る人物、【名】は名前だけ出て来る人物です。[×閉じる]: 備考: タグ: データ凡例: データ最終更新日: 文字数: OBC :rm6710
愛善世界社版: 八幡書店版: 修補版: 校定版: 普及版: 初版: ページ備考:
001 港(みなと)の家々(いへいへ)の点燈(ともしび)は湖水(こすい)に映(うつ)り、002恰(あたか)も不夜城(ふやじやう)の如(ごと)くにみえた。003天空(てんくう)冴(さ)え渡(わた)り、004星光(せいくわう)きらめき亘(わた)つて、005えも云(い)はれぬ清新(せいしん)の空気(くうき)が漂(ただよ)うた。006数百(すうひやく)人(にん)の乗客(じやうきやく)は先(さき)を争(あらそ)うて棧橋(さんばし)を渡(わた)り、007各(おのおの)家路(いへぢ)に帰(かへ)る者(もの)、008宿(やど)を求(もと)めて行(ゆ)く者(もの)、009一(いち)時(じ)は非常(ひじやう)な雑鬧(ざつたう)を極(きは)めた。010梅公(うめこう)一行(いつかう)は今(いま)や船(ふね)をおりむとする時(とき)、011船長(せんちやう)のアリーはあわただしく梅公司(うめこうつかさ)の前(まへ)に跪(ひざまづ)き、012熱(あつ)い涙(なみだ)を流(なが)し乍(なが)ら、
013アリー『宣伝使(せんでんし)様(さま)、014思(おも)はぬ御縁(ごえん)によりまして、015天国(てんごく)の福音(ふくいん)を聞(き)かして頂(いただ)き、016又(また)日頃(ひごろ)の妄執(まうしふ)もサラリと晴(は)れました。017之(これ)よりは父(ちち)の仇(あだ)を報(ほう)ずる代(かは)りに、018往来(ゆきき)の人(ひと)を吾(わが)子(こ)の如(ごと)くに愛護(あいご)し、019善(ぜん)一筋(ひとすぢ)に立(たち)返(かへ)ります。020どうか私(わたし)たちの身(み)の上(うへ)に021平和(へいわ)と喜(よろこ)びの幸(さち)あらむ事(こと)をお守(まも)り下(くだ)さいませ。022此(この)船(ふね)が無(な)ければ、023私(わたし)は何処(どこ)迄(まで)もお伴(とも)が願(ねが)いたいので厶(ござ)いますが、024今日(こんにち)の事情(じじやう)許(ゆる)しませぬから、025残念(ざんねん)乍(なが)らお別(わか)れ申(まを)します。026どうぞ途中(とちう)無事(ぶじ)に神業(しんげふ)成就(じやうじゆ)して、027斎苑(いそ)の館(やかた)へ凱旋(がいせん)遊(あそ)ばすやう、028私(わたし)も朝夕(あさゆふ)お祈(いの)り致(いた)して居(を)ります。029次(つぎ)にダリヤさま、030イルクさま、031私(わたし)は今(いま)迄(まで)あなたの家庭(かてい)を仇敵(きうてき)として附(つ)け狙(ねら)つてをりましたが、032最早(もはや)今日(こんにち)となつては三五(あななひ)の神風(かみかぜ)に吹(ふ)き払(はら)はれ、033心中(しんちう)一点(いつてん)の塵(ちり)も止(と)めない清浄(せいじやう)無垢(むく)の霊身(れいしん)に立(たち)返(かへ)つたやうな精神(せいしん)が致(いた)します。034恨(うら)み、035妬(ねた)みも憤怒(ふんど)の念(ねん)も厶(ござ)いませぬから、036どうぞ御(ご)安心(あんしん)下(くだ)さいませ。037そしてダリヤさまは私(わたし)と同(おな)じ母(はは)の胎内(たいない)より生(うま)れた、038いはば私(わたし)の妹(いもうと)も同様(どうやう)ですから、039どうか今後(こんご)は親(した)しく御(ご)交際(かうさい)を願(ねが)ひたう厶(ござ)います。040お父(とう)さまにも宜(よろ)しく仰有(おつしや)つて下(くだ)さいませ』
041イルク『何事(なにごと)も因縁事(いんねんごと)で厶(ござ)いませう。042私(わたし)も今(いま)の貴方(あなた)のお言葉(ことば)を聞(き)いて安心(あんしん)致(いた)しました。043実(じつ)の所(ところ)は、044今(いま)迄(まで)貴方(あなた)が私(わたし)の父(ちち)を附狙(つけねら)つてゐられるといふ事(こと)を、045方々(はうばう)の人々(ひとびと)から内聞(ないぶん)致(いた)しまして、046内々(ないない)心配(しんぱい)してゐた所(ところ)で厶(ござ)いますが、047最早(もはや)其(その)お言葉(ことば)を聞(き)く上(うへ)は、048私(わたし)も此(この)世(よ)の中(なか)が広(ひろ)くなつたやうな心持(こころもち)が致(いた)します。049ダリヤに対(たい)して貴方(あなた)は兄上(あにうへ)さま、050又(また)私(わたし)もダリヤに対(たい)しては兄(あに)で厶(ござ)いますから、051どうか三(さん)人(にん)兄妹(きやうだい)となつて、052仲(なか)能(よ)う神(かみ)様(さま)の恵(めぐみ)に抱(いだ)かれて、053世(よ)の中(なか)を渡(わた)らうぢや厶(ござ)いませぬか』
054アリ『ハイ有難(ありがた)う厶(ござ)います。055こんな嬉(うれ)しい事(こと)は、056生(うま)れてから一度(いちど)も味(あぢ)はつた事(こと)は厶(ござ)いませぬ。057どうか親子(おやこ)兄妹(きやうだい)仲(なか)よう暮(く)らして下(くだ)さいませ。058時(とき)にダリヤさま、059私(わたし)は月(つき)に一回(いつくわい)づつ此(この)港(みなと)へ参(まゐ)りますから、060又(また)どうぞ遊(あそ)びに来(き)て下(くだ)さい』
061ダリ『ハイ、062有難(ありがた)う厶(ござ)います。063貴方(あなた)も此(この)港(みなと)へお着(つ)きになつたならば、064キツト私(わたし)の宅(たく)をお訪(たづ)ね下(くだ)さいませ。065私(わたし)は本当(ほんたう)の兄(にい)さまのやうに存(ぞん)じて居(を)りますから』
066アリー『有難(ありがた)し皇(すめ)大神(おほかみ)の御恵(みめぐみ)に
067日頃(ひごろ)の胸(むね)の雲霧(くもきり)はれぬる』
068ダリヤ『一度(ひとたび)は恐(こ)はしと思(おも)ひ一度(ひとたび)は
069恋(こひ)しと思(おも)ひし人(ひと)に別(わか)るる。
070恋雲(こひぐも)も吾(わが)兄上(あにうへ)と聞(き)きしより
071拭(ぬぐ)ふが如(ごと)く晴(は)れにける哉(かな)』
072アリー『胤違(たねちが)ひ吾(わが)妹(いもうと)と知(し)り乍(なが)ら
073恋(こひ)のきづなに縛(しば)られにける。
074あゝされど神(かみ)の教(をしへ)の畏(かしこ)ければ
075道(みち)ならぬ道(みち)行(ゆ)くすべもなし』
076梅公(うめこう)『大空(おほぞら)の星(ほし)冴(さ)えわたり両人(りやうにん)が
077きよき心(こころ)を照(て)りあかしぬる』
078ヨリコ姫(ひめ)『いざさらばアリーの君(きみ)に別(わか)れなむ
079安(やす)くましませ湖(うみ)の浪路(なみぢ)を』
080アリー『ヨリコ姫(ひめ)珍(うづ)の言霊(ことたま)おだやかに
081吾(わが)魂(たましひ)を打(うち)ぬきにける』
082花香姫(はなかひめ)『惟神(かむながら)厳(いづ)の道芝(みちしば)ふみしより
083いとさまざまの色(いろ)をみる哉(かな)』
084 かく互(たがひ)に別(わか)れの歌(うた)を歌(うた)ひ乍(なが)ら、085軒燈(けんとう)輝(かがや)くスガの港(みなと)の市中(しちう)をイルクが館(やかた)を指(さ)して、086宣伝歌(せんでんか)を歌(うた)ひ乍(なが)ら進(すす)み行(ゆ)く。
087 スガの港(みなと)の百万(ひやくまん)長者(ちやうじや)と聞(きこ)えたるアリスの館(やかた)は広大(くわうだい)なる土塀(どべい)をめぐらし、088数十棟(すうじつとう)の麗(うるは)しき邸宅(ていたく)や倉庫(さうこ)が建(たち)並(なら)び、089天(てん)を封(ふう)じて鬱蒼(うつさう)たる庭木(にはき)が彼方(あなた)此方(こなた)に立(たち)並(なら)び、090自然(しぜん)の森(もり)をなしてゐた。091表門(おもてもん)には二人(ふたり)の門番(もんばん)が092若主人(わかしゆじん)や姫君(ひめぎみ)の帰宅(きたく)なきに心(こころ)を痛(いた)め、093酒(さけ)を呑(の)み乍(なが)ら小声(こごゑ)に囁(ささや)いてゐる。
094甲(かふ)(カル)『オイ、095アル、096嬢様(ぢやうさま)は今日(けふ)で半月(はんつき)許(ばか)りになるのに、097未(ま)だお帰(かへ)りにならないが、098一体(いつたい)何(ど)うなさつたのだらう。099離(はな)れ島(じま)へ御(ご)遊覧(いうらん)の帰(かへ)り路(みち)に海賊(かいぞく)にさらはれ遊(あそ)ばしたきり、100何(なん)の音沙汰(おとさた)もないのだから、101親旦那(おほだんな)も此(この)頃(ごろ)の御(ご)心配(しんぱい)相(さう)な顔(かほ)と云(い)つたら、102見(み)るもお気(き)の毒(どく)のやうだ。103それに若旦那(わかだんな)は又(また)十日前(とをかまへ)から、104お嬢(ぢやう)さまの行方(ゆくへ)を探(さが)して来(く)ると云(い)つて行(ゆ)かれたきり、105之(これ)も何(なん)の音沙汰(おとさた)もないぢやないか。106丸(まる)で木乃伊(みいら)取(と)りが木乃伊(みいら)になつたやうなものだなア』
107アル『何(なん)と云(い)つても、108目付役(めつけやく)が無能(むのう)だからね。109まして海賊(かいぞく)に捉(とら)はれたなんて云(い)はうものなら、110真青(まつさを)な顔(かほ)をして慄(ふる)うてゐるのだから、111たまつたものだないワ。112鼠(ねずみ)取(と)らぬ猫(ねこ)は飼(か)うとく必要(ひつえう)はないのだけれどなア』
113カル『本当(ほんたう)に汝(きさま)のいふ通(とほ)りだよ。114去年(きよねん)の春(はる)だつたが、115此(この)珍館(うづやかた)へ泥棒(どろばう)が忍(しの)び込(こ)んだ時(とき)、116俺(おれ)が一目散(いちもくさん)に目付役(めつけやく)へ飛込(とびこ)んで、117目付役(めつけやく)に、118今(いま)泥棒(どろばう)が這入(はい)つてゐますから、119今(いま)すぐに来(き)てしばつて下(くだ)さいと云(い)つたら、120目付役(めつけやく)の奴(やつ)、121真青(まつさを)の面(つら)しやがつて、122地震(ぢしん)の孫(まご)のやうにビリビリとふるうて斗(ばか)りゐやがつて、123早速(さつそく)に出(で)て来(こ)ようとしやがらぬ。124そこに七八(しちはち)人(にん)の部下(ぶか)の目付(めつけ)がコクリコクリと夜舟(よぶね)をこいでいたが、125俺(おれ)が泥棒(どろばう)が入(はい)つたといふ声(こゑ)を聞(き)いて、126ビツクリ目(め)をさまし、127梟(ふくろ)のよな目(め)をさらし、128泥棒(どろばう)の人相(にんさう)はどうだ、129何人(なんにん)連(づ)れか、130年(とし)はいくつ位(くらゐ)だ、131どこから入(はい)つたか、132着物(きもの)の縞柄(しまがら)はどうだ、133男(をとこ)か女(をんな)か、134老人(らうじん)か子供(こども)か、135跛(びつこ)か眼(め)つかちかなど聞(き)かいでもよいことを聞(き)きやがつて、136グヅグヅ時間(じかん)をのばし、137可(い)いかげん泥棒(どろばう)が帰(かへ)つた頃(ころ)、138ブリキをちやらつかせてやつて来(こ)ようと云(い)ふ算段(さんだん)だ。139案(あん)の定(ぢやう)、140帰(かへ)つて来(く)ると、141泥棒(どろばう)がグツスリ仕事(しごと)をして帰(かへ)つて了(しま)つた跡(あと)だつた。142本当(ほんたう)に盲(めくら)目付(めつけ)の状態(じやうたい)だ。143到底(たうてい)吾々(われわれ)はこんな泥棒(どろばう)の蔓延(まんえん)する世(よ)の中(なか)に、144安心(あんしん)して暮(くら)すこた出来(でき)ないワ、145目付(めつけ)といふ者(もの)は間(ま)に合(あ)はぬ者(もの)だね』
146アル『それもさうだらうかい。147僅(わづか)な月給(げつきふ)を貰(もら)つて、148夜(よる)も昼(ひる)もこき使(つか)はれ、149命(いのち)がけの仕事(しごと)をせいと言(い)はれちや、150誰(たれ)だつて尻込(しりご)みするよ。151目付(めつけ)になる奴(やつ)ア、152何奴(どいつ)も此奴(こいつ)も社会(しやくわい)の落伍者(らくごしや)斗(ばか)りだからな。153チツト斗(ばか)り気骨(きこつ)のある者(もの)なら、154誰(たれ)がそんなつまらぬ役(やく)を勤(つと)めるものかい、155小学校(せうがくかう)の教員(けういん)には学(がく)が足(た)らずしてなれず、156商売(しやうばい)せうにも資本(しほん)はなし、157働(はたら)くのは厭(いや)なり、158つまり堕落(だらく)書生(しよせい)上(あが)りが食(く)はむが悲(かな)しさに奉職(ほうしよく)してゐるのだから、159チツタ、160大目(おほめ)に見(み)てやらねばなろまいよ』
161カル『併(しか)し、162目付(めつけ)は月給(げつきふ)が安(やす)いから、163先(ま)づ大目(おほめ)にみるとした所(ところ)で、164目付頭(めつけがしら)の奴(やつ)、165エラ相(さう)に大将面(たいしやうづら)をさげて居(を)り乍(なが)ら、166泥棒(どろぼう)と聞(き)いて、167腰(こし)を抜(ぬ)かさん計(ばか)りに驚(おどろ)くのだから恐(おそれ)入(い)るぢやないか。168今時(いまどき)の役者(やくしや)にロクな奴(やつ)が有(あり)相(さう)なこたないけれど、169人民(じんみん)保護(ほご)の任(にん)にある目付役(めつけやく)がこんなザマでは、170天下(てんか)は益々(ますます)紛乱(ふんらん)する斗(ばか)りだ。171呑舟(どんしう)の魚(うを)は法網(はふまう)を破(やぶ)つて逃(のが)れ、172小魚(こうを)やモロコは皆(みな)ふん縛(じば)られて獄中(ごくちう)に呻吟(しんぎん)してゐる世(よ)の中(なか)だから、173到底(たうてい)お規定(きて)を便(たよ)りに、174吾々(われわれ)は安閑(あんかん)と暮(くら)す訳(わけ)には行(ゆ)かぬ。175自守団(じしゆだん)でも組織(そしき)して自(みづか)ら守(まも)るより途(みち)はないだないか』
176などと目付役(めつけやく)の悪口(あくこう)をついてゐる。177そこへイルク、178ダリヤの兄妹(きやうだい)は宣伝使(せんでんし)に送(おく)られて悠々(いういう)と帰(かへ)つて来(き)た。179アル、180カルの両人(りやうにん)は夢(ゆめ)かと許(ばか)り狂喜(きやうき)し乍(なが)ら、
181アル『これはこれは、182若旦那(わかだんな)様(さま)、183お嬢(ぢやう)さま、184待(まち)かねまして厶(ござ)います』
185カル『マアマアマア186無事(ぶじ)で能(よ)う帰(かへ)つて下(くだ)さいました。187これで私(わたし)達(たち)も睾丸(きんたま)のしわが伸(の)びました。188親旦那(おほだんな)様(さま)のお顔(かほ)のしわも今日(けふ)からのんびりとする事(こと)で厶(ござ)いませう。189ヤ、190沢山(たくさん)なお連(つれ)さまで厶(ござ)いますな』
191イルク『さぞお父(とう)さまが待(ま)つてゐられただらうな。192サア早(はや)く案内(あんない)してくれ。193イヤ、194お父(とう)さまに二人(ふたり)が無事(ぶじ)に帰(かへ)つたと申(まをし)上(あ)げてくれ。195其(その)間(あひだ)に足(あし)でも洗(あら)つてゐるから』
196 『ハイ畏(かしこ)まりました』とカルを門(もん)に残(のこ)しおき、197アルはアリスの居間(ゐま)に急(いそ)ぎかけ込(こ)んだ。198主人(あるじ)のアリスは奥(おく)の一間(ひとま)にウラル彦(ひこ)の神(かみ)を念(ねん)じ終(をは)り、199煙草(たばこ)をくゆらし乍(なが)ら、200首(くび)を傾(かたむ)け、201独(ひと)り言(ごと)をいつてゐる。
202アリス『あゝ私(わし)程(ほど)型(かた)の悪(わる)い者(もの)が世(よ)にあらうか。203親(おや)代々(だいだい)から沢山(たくさん)な財産(ざいさん)は譲(ゆづ)られて、204生活(せいくわつ)上(じやう)の困難(こんなん)は少(すこ)しも感(かん)じないが、205肝腎(かんじん)の女房(にようばう)はイルクを生(う)んだまま、206産後(さんご)の肥立(ひだち)悪(わる)く、207冥土(めいど)黄泉(くわうせん)の客(きやく)となり、208三(さん)年(ねん)が間(あひだ)空閨(くうけい)を守(まも)つて妻(つま)の菩提(ぼだい)を弔(とむら)うてゐた。209思(おも)ひまはせば吾(わが)家(や)へ古(ふる)くより出入(でいり)する売薬(ばいやく)行商人(ぎやうしやうにん)の女房(にようばう)が自分(じぶん)の亡(な)くなつた妻(つま)に其(その)容貌(ようばう)そつくりなので、210忽(たちま)ち煩悩(ぼんなう)の犬(いぬ)に逐(お)はれ、211道(みち)ならぬこととは知(し)り乍(なが)ら、212女房(にようばう)の側(そば)へ主人(しゆじん)の不在(ふざい)を考(かんが)へて、213幾度(いくど)となく言(い)いよつてみたが、214どうしても頑(ぐわん)として応(おう)じてくれぬ。215恋(こひ)の炎(ほのほ)は吾(わが)身(み)をこがさん計(ばか)りに燃(も)え立(た)つて、216到底(たうてい)こばり切(き)れないので、217無理(むり)と知(し)りつつ彼(か)の女房(にようばう)アンナを手(て)だてを以(もつ)て、218吾(わが)館(やかた)へ引張(ひつぱ)り込(こ)み、219倉(くら)の中(なか)へ閉(と)ぢこめておいて、220無理(むり)往生(わうじやう)に女房(にようばう)となし、221遂(つひ)に妹(いもうと)のダリヤを生(う)んだが、222又(また)もやアンナは先妻(せんさい)と同様(どうやう)産後(さんご)の肥立(ひだち)が悪(わる)く、223先妻(せんさい)の命日(めいにち)に亡(な)くなつて了(しま)つた。224そして彼(かれ)の夫(をつと)は女房(にようばう)を捕(と)られたのが残念(ざんねん)さに、225ハルの湖水(こすい)に身(み)を投(な)げて死(し)んで了(しま)つた、226思(おも)へば思(おも)へば自分(じぶん)の運(うん)の悪(わる)いのも天(てん)の為(な)す業(わざ)であらう。227杖(つゑ)とも力(ちから)とも柱(はしら)とも頼(たの)む二人(ふたり)の愛児(あいじ)は、228又(また)もや行方(ゆくへ)不明(ふめい)となり、229只(ただ)一人(ひとり)巨万(きよまん)の富(とみ)を抱(かか)へて、230此(この)世(よ)に残(のこ)つてゐても、231何一(なにひと)つの楽(たのし)みもなく、232それだと云(い)つて、233死(し)ぬにも死(し)なれず、234現世(げんせ)に於(おい)て犯(をか)した罪(つみ)の報(むく)ひによつて、235死後(しご)は必(かなら)ず地獄(ぢごく)のドン底(ぞこ)に落(おと)されるだらう。236それを思(おも)へば淋(さび)し乍(なが)らも、237一(いち)日(にち)でも此(この)世(よ)に永(なが)らへて居(を)りたいやうな気(き)もする。238あゝ何(ど)うしたら、239此(この)苦患(くげん)から逃(のが)れる事(こと)が出来(でき)るだらう。240ウラル彦(ひこ)の神(かみ)様(さま)を念(ねん)じ乍(なが)ら、241心(こころ)の底(そこ)を神(かみ)様(さま)に見透(みす)かされるやうな気(き)がして242何(なん)だか恐(おそ)ろしいやうだ。243神(かみ)様(さま)の前(まへ)へ出(で)るのでさへもオヅオヅして来(く)る。244あゝ淋(さび)しい事(こと)だ。245最早(もはや)二人(ふたり)の吾(わが)子(こ)は、246無事(ぶじ)に帰(かへ)つて来(く)る気遣(きづか)ひはあるまい。247あゝ何(ど)うしたら可(よ)からうかなア』
248と首(くび)をうな垂(だ)れて、249悔(くや)み涙(なみだ)にくれてゐた。250そこへ門番(もんばん)のアルが慌(あわ)ただしく、251ニコニコとして現(あら)はれ来(きた)り、
252アル『大旦那(おほだんな)様(さま)、253お喜(よろこ)びなさいませ。254お二人(ふたり)様(さま)が無事(ぶじ)お帰(かへ)りになりました』
255アリス『ナニ、256二人(ふたり)が帰(かへ)つたか。257そしてどちらも機嫌(きげん)ようしてゐるか』
258アル『ハイ、259シヤンシヤンしてゐられますよ。260何(なん)だか四(よ)人(にん)許(ばか)りお伴(つ)れがあるやうで厶(ござ)います。261詳(くは)しいことは存(ぞん)じませぬが、262若旦那(わかだんな)様(さま)もお嬢様(ぢやうさま)も、263あの方々(かたがた)に助(たす)けられてお帰(かへ)りになつたのぢやなからうかと思(おも)ひます。264今(いま)お足(あし)を洗(あら)つてゐられますから、265軈(やが)てここへお出(い)でになりませう』
266アリス『それは何(なに)より嬉(うれ)しい事(こと)だ。267私(わし)は之(これ)からウラルの神(かみ)様(さま)へ御(お)礼(れい)を申(まをし)上(あ)げるから、268お前(まへ)たちは番頭(ばんとう)や下女(げぢよ)にさう云(い)つて呉(く)れ。269早(はや)く夕飯(ゆふげ)の用意(ようい)をせよ』
270アル『ハイ、271畏(かしこ)まりました。272左様(さやう)ならば旦那(だんな)様(さま)』
273と云(い)ひ乍(なが)ら、274勝手元(かつてもと)をさして急(いそ)ぎ行(ゆ)く。275アリスは神殿(しんでん)に向(むか)ひ感謝(かんしや)の祝詞(のりと)を奏上(そうじやう)してゐる。
276アリス『天地(てんち)万有(ばんいう)の大(だい)司宰神(しさいじん)たるウラル彦(ひこ)の大神(おほかみ)の御(おん)前(まへ)に、277スガの里(さと)の薬屋(くすりや)の主人(あるじ)、278アリス謹(つつし)み敬(うやま)ひ、279感謝(かんしや)の辞(ことば)を捧(ささ)げます。280日(ひ)に夜(よ)に罪悪(ざいあく)を重(かさ)ね来(きた)りし、281悪魔(あくま)に等(ひと)しき吾々(われわれ)が身魂(みたま)をも見(み)すて給(たま)はず、282最愛(さいあい)なる吾(わが)倅(せがれ)、283吾(わが)娘(むすめ)を安全(あんぜん)無事(ぶじ)に、284吾(わが)家(や)に帰(かへ)させ給(たま)ひし、285其(その)広(ひろ)き厚(あつ)き御(ご)恩徳(おんとく)を、286有難(ありがた)く感謝(かんしや)致(いた)します。287今日(こんにち)迄(まで)、288吾(わが)身(み)は貪(どん)瞋(じん)痴(ち)の三毒(さんどく)にあてられ、289五逆(ごぎやく)十悪(じふあく)の巷(ちまた)に迷(まよ)ひ、290人(ひと)の貧苦(ひんく)困窮(こんきう)を意(い)に介(かい)せず、291利己(りこ)一片(いつぺん)の利(り)に走(はし)り、292大神(おほかみ)の御子(みこ)たる数多(あまた)の人民(じんみん)を苦(くるし)めまつり、293加(くは)ふるに人(ひと)の妻女(さいぢよ)を奪(うば)ひ、294悪逆(あくぎやく)無道(ぶだう)の限(かぎり)を尽(つく)して参(まゐ)りました。295極(ごく)重悪人(ぢうあくにん)の私(わたくし)をも見(み)すて給(たま)はず、296御(おん)恵(めぐ)み下(くだ)さいました其(その)広大(くわうだい)無辺(むへん)の御(ご)仁慈(じんじ)に対(たい)し、297感謝(かんしや)にたへませぬ。298あゝ神(かみ)様(さま)、299私(わたくし)は今日(こんにち)より前非(ぜんぴ)を悔(くひ)改(あらた)め、300祖先(そせん)より伝(つた)はりし一切(いつさい)の財産(ざいさん)をあなたに奉(たてまつ)り、301スガ山(やま)の山元(やまもと)に清浄(しやうじやう)の地(ち)を選(えら)み、302荘厳(さうごん)なる社殿(しやでん)を営(いとな)み、303吾(わが)罪悪(ざいあく)の万分一(まんぶんいち)をつぐない、304来世(らいせ)の冥福(めいふく)を与(あた)へられむ事(こと)を祈(いの)り奉(たてまつ)ります。305どうか吾(わが)願(ねがひ)を平(たひら)けく安(やす)らけく、306相(あひ)うべなひ下(くだ)さいまして、307子孫(しそん)永久(えいきう)に立(たち)栄(さか)え、308大神(おほかみ)の御(ご)恩徳(おんとく)に永久(えいきう)に浴(よく)し得(う)る様(やう)、309御(ご)守護(しゆご)あらむ事(こと)を、310ひとへに願(ねが)ひ奉(たてまつ)ります。311惟神(かむながら)霊(たま)幸倍(ちはへ)ませ』
312と悔悟(くわいご)の涙(なみだ)をこぼし乍(なが)ら、313感謝(かんしや)と哀願(あいぐわん)の祈願(きぐわん)をこめてゐる。314そこへ兄(あに)のイルクを先頭(せんとう)にダリヤ姫(ひめ)、315梅公(うめこう)、316ヨリコ姫(ひめ)、317花香姫(はなかひめ)、318シーゴーの六(ろく)人(にん)連(づ)れ、319悠々(いういう)として這入(はい)つて来(き)た。
320アリス『ヤ、321其方(そなた)は倅(せがれ)か、322……娘(むすめ)か、323能(よ)うマア無事(ぶじ)で帰(かへ)つて来(き)た。324父(ちち)はここ半月(はんつき)の間(あひだ)、325夜(よ)の目(め)もロクに寝(ね)ず、326神(かみ)様(さま)におすがり申(まを)してゐた。327其(その)おかげで、328今日(けふ)はお前(まへ)達(たち)の無事(ぶじ)な顔(かほ)を見(み)ることを得(え)たのだ。329モウ私(わし)はこれつきり、330此(この)世(よ)を去(さ)つても心残(こころのこ)りはない。331……何(いづ)れの方(かた)かは知(し)りませぬが332よくマア吾(わが)子(こ)を送(おく)つて来(き)て下(くだ)さいました。333謹(つつし)んでお礼(れい)を申(まをし)上(あ)げます』
334梅公(うめこう)『始(はじ)めてお目(め)にかかります、335私(わたし)は三五教(あななひけう)の宣伝使(せんでんし)のお伴(とも)に仕(つか)へる梅公(うめこう)と申(まを)す者(もの)で厶(ござ)いますが、336波切丸(なみきりまる)の船中(せんちう)に於(おい)て、337イルクさまと眤懇(じつこん)になり、338一夜(いちや)の宿(やど)を御(ご)無心(むしん)にあがりました。339どうか宜(よろ)しうお願(ねがひ)致(いた)します』
340アリス『それは能(よ)うこそお出(いで)下(くだ)さいました。341御存(ごぞん)じの通(とほ)り、342茅屋(あばらや)で厶(ござ)いますが、343家(いへ)は広(ひろ)う厶(ござ)いますから、344幾人(いくにん)さまたり共(とも)お泊(とま)り下(くだ)さいませ』
345ダリヤ『お父(とう)様(さま)、346此(この)神司(かむつかさ)様(さま)に妾(わたし)は助(たす)けて頂(いただ)いたのですよ。347此(この)方(かた)の御(ご)神徳(しんとく)に仍(よ)つて、348妾(わたし)は危(あやふ)い所(ところ)を助(たす)けられたやうなものですから、349どうぞお礼(れい)を申(まを)して下(くだ)さい。350それから、351此(この)奇麗(きれい)なお方(かた)は、352宣伝使(せんでんし)様(さま)のお伴(とも)で、353ヨリコ姫(ひめ)さま花香姫(はなかひめ)さまといふお方(かた)で厶(ござ)います。354又(また)白髪(はくはつ)のお方(かた)はシーゴー様(さま)といふ俄(にはか)道心(だうしん)様(さま)で厶(ござ)いますが、355本当(ほんたう)に心意気(こころいき)のよい方(かた)ですから、356無事(ぶじ)に吾(わが)家(や)へ帰(かへ)られた喜(よろこ)びを兼(か)ね、357家(いへ)の祈祷(きたう)をして頂(いただ)かうと思(おも)つて、358お伴(とも)したので厶(ござ)います』
359アリス『それはそれは、360何(いづ)れも方様(がたさま)、361ようこそお越(こ)し下(くだ)さいました。362サアどうぞ、363くつろいで下(くだ)さいませ。364御(ご)遠慮(ゑんりよ)は少(すこ)しもいりませぬから』
365梅公(うめこう)『ハイ有難(ありがた)う厶(ござ)います。366お言葉(ことば)に従(したが)ひ、367性来(しやうらい)の気儘者(きままもの)、368自由(じいう)にさして頂(いただ)きます。369サア皆(みな)さま、370御(ご)主人(しゆじん)のお許(ゆる)しが出(で)たのだから、371体(からだ)の疲(つか)れを癒(い)する為(ため)横(よこ)におなりなさい』
372ダリヤ『お父(とう)さま、373此(この)方々(かたがた)は本当(ほんたう)の活神(いきがみ)様(さま)ですから、374粗忽(そこつ)があつては可(い)けませぬ。375どうぞ私(わたし)にお世話(せわ)を任(まか)して下(くだ)さいませぬか』
376アリス『よしよし、377私(わし)もお前(まへ)達(たち)の帰(かへ)つたのを見(み)て、378俄(にはか)に体(からだ)がガツカリと草労(くたびれ)て来(き)たやうだ。379皆(みな)さまに失礼(しつれい)だけれど、380離室(はなれ)へ行(い)つてゆつくり休(やす)まして頂(いただ)くから、381手落(ておち)のないやう、382御(ご)無礼(ぶれい)のないやう、383おもてなしをしておくれや』
384と云(い)ひ乍(なが)ら、385エビの様(やう)に曲(まが)つた腰(こし)を右(みぎ)の掌(てのひら)で二(ふた)つ三(み)つ打(う)ち乍(なが)ら、
386アリス『皆様(みなさま)、387左様(さやう)なら、388失礼(しつれい)致(いた)します』
389と一言(いちごん)を残(のこ)し、390離室(はなれ)の座敷(ざしき)に身(み)をかくした。391此(この)時(とき)南方(なんぱう)の空(そら)に向(むか)つて鬧(とき)の声(こゑ)が聞(きこ)えて来(き)た。392梅公(うめこう)はヨリコ姫(ひめ)と共(とも)に庭先(にはさき)に立(たち)出(い)で、393音(おと)する方(かた)を眺(なが)むれば、394大空(おほぞら)は大変(たいへん)な雲焼(くもやけ)がしてゐる。395之(こ)れはバルガン城(じやう)へ大足別(おほだるわけ)将軍(しやうぐん)の軍隊(ぐんたい)が攻(せ)め入(い)つて、396市街(しがい)を焼(やき)払(はら)うた大火焔(だいくわえん)が、397空(そら)の色(いろ)を染(そめ)てゐたのである。
398(大正一三・一二・二 新一二・二七 於祥雲閣 松村真澄録)
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