霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
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第一四章 賓民窟(ひんみんくつ)〔一七八一〕

インフォメーション
著者:出口王仁三郎 巻:霊界物語 第70巻 山河草木 酉の巻 篇:第2篇 千種蛮態 よみ(新仮名遣い):せんしゅばんたい
章:第14章 賓民窟 よみ(新仮名遣い):ひんみんくつ 通し章番号:1781
口述日:1925(大正14)年08月24日(旧07月5日) 口述場所:丹後由良 秋田別荘 筆録者:加藤明子 校正日: 校正場所: 初版発行日:1925(大正14)年10月16日
概要: 舞台: あらすじ[?]このあらすじはMさん作成です(一部加筆訂正してあります)。一部の章はAIによって要約を作成しています。[×閉じる]:
テイラとハリスは、千草姫の変わりよう、また受けた命令のあまりのことに、太子に相談にやってくる。
太子は千草姫が発狂したと見なして、テイラ・ハリスに向上主義者レールとマークのところに隠れるように薦め、紹介文を書いて二人に渡す。
二人は貧民窟のレール・マークの隠れ家に行き、かくまわれることとなった。
主な登場人物[?]【セ】はセリフが有る人物、【場】はセリフは無いがその場に居る人物、【名】は名前だけ出て来る人物です。[×閉じる]: 備考: タグ: データ凡例: データ最終更新日:2020-05-28 02:01:57 文字数:4898 OBC :rm7014
愛善世界社版:176頁 八幡書店版:第12輯 454頁 修補版: 校定版:180頁 普及版:89頁 初版: ページ備考:
001 千草姫(ちぐさひめ)の命(めい)を受(う)け、002キユーバーの捜索(そうさく)に向(むか)はむとするテイラ姫(ひめ)は、003母(はは)モクレンの意(い)を含(ふく)み王(わう)様(さま)に面会(めんくわい)せむものと思(おも)へども、004千草姫(ちぐさひめ)の警戒(けいかい)厳(きび)しく到底(たうてい)近(ちか)よる事(こと)が出来(でき)ぬので、005チウイン太子(たいし)の館(やかた)を訪(と)ひ、
006『御免(ごめん)なさいませ。007太子(たいし)様(さま)008テイラで御座(ござ)います』
009 太子(たいし)は机(つくゑ)にもたれ、010三五(あななひ)の経典(きやうてん)を頻(しき)りに読誦(どくしよう)して居(ゐ)たが、011テイラの声(こゑ)が門口(かどぐち)に聞(きこ)えたので、012直(ただ)ちに門口(かどぐち)に迎(むか)へ出(い)で、013さも嬉(うれ)しげに、
014チウイン『ヤア女将軍(ぢよしやうぐん)テイラ殿(どの)、015まあまあ此方(こちら)へ……。016よう来(き)て下(くだ)さつた。017何(なん)だか最前(さいぜん)から其方(そなた)に会(あ)ひたいと思(おも)つて居(ゐ)た処(ところ)だ。018今日(けふ)はゆつくり話(はな)しませう』
019テイラ『ハイ、020有難(ありがた)う御座(ござ)います。021急用(きふよう)が出来(でき)ましたので一寸(ちよつと)御(ご)相談(さうだん)に参(まゐ)りました。022失礼(しつれい)さして頂(いただ)きます』
023と、024一室(いつしつ)に立(た)ち入(い)り太子(たいし)と向(むか)ひあつて、
025テイ『時(とき)に太子(たいし)様(さま)、026今日(こんにち)は妾(わらは)は母(はは)と共(とも)に王妃(わうひ)様(さま)に招(まね)かれ沢山(たくさん)の御(ご)馳走(ちそう)を頂(いただ)きました処(ところ)、027王妃(わうひ)様(さま)の様子(やうす)が俄(にはか)に変(かは)り「妾(わらは)は三千(さんぜん)世界(せかい)の救世主(きうせいしゆ)だ」とか、028「日(ひ)の出神(でのかみ)の生宮(いきみや)だ」とか、029妙(めう)な事(こと)を仰(おほ)せられ、030其(その)上(うへ)に妾(わらは)に対(たい)し「彼(あ)の妖僧(えうそう)キユーバーの所在(ありか)を探(さが)して来(こ)よ」との厳(きび)しき御(ご)命令(めいれい)、031否(いな)み奉(まつ)る事(こと)を得(え)ず、032ひそかに御(ご)相談(さうだん)に参(まゐ)りました。033どうか御(ご)意見(いけん)を承(うけたま)はり度(た)う御座(ござ)います』
034太子(たいし)『はて、035困(こま)つたなあ、036母上(ははうへ)は発狂(はつきやう)されたのであらう。037どうも様子(やうす)が此(この)間(あひだ)から変(へん)だと思(おも)つて居(ゐ)た。038母上(ははうへ)は何故(なにゆゑ)か彼(か)の悪僧(あくそう)を大変(たいへん)に可愛(かあい)がつて居(を)られるのだ。039併(しか)し乍(なが)ら、040彼(かれ)の如(ごと)きものを城中(じやうちう)に引(ひ)き入(い)れなば、041益々(ますます)母上(ははうへ)の心(こころ)を乱(みだ)し、042如何(いか)なる悪智慧(わるぢゑ)を注(つ)ぎ込(こ)むかも知(し)れない。043夫(それ)故(ゆゑ)吾(わが)計(はか)らひにて或(ある)所(ところ)にキユーバーを押込(おしこ)めておいたのだから、044捜索(そうさく)などは止(や)めたがよからう』
045テイ『ハイ、046有難(ありがた)う御座(ござ)います。047妾(わらは)も何(なん)だか変(へん)だと思(おも)つて居(を)りました。048併(しか)し乍(なが)ら、049左守家(さもりけ)に居(ゐ)る訳(わけ)にも参(まゐ)りませぬ。050何時(なんどき)王妃(わうひ)様(さま)が人(ひと)を派(は)し、051妾(わらは)の行動(かうどう)をお調(しら)べなさるか知(し)れませぬから』
052太子(たいし)『成程(なるほど)それも困(こま)る。053お前(まへ)の姿(すがた)が見(み)えさへせねば0531分(わか)らない、054母上(ははうへ)はキユーバーの捜索(そうさく)に行(い)つて居(ゐ)るのだと安心(あんしん)せられるだらう』
055テイ『妾(わらは)は何処(どこ)へ匿(かく)れたら宜敷(よろし)う御座(ござ)いませうか』
056太子(たいし)『いや心配(しんぱい)するな。057私(わたし)が今(いま)手紙(てがみ)を書(か)くから058之(これ)をもつて名宛(なあて)の人(ひと)の処(ところ)へ行(い)つて世話(せわ)になれ。059暫(しばら)くの間(あひだ)だから』
060テイ『ハイ、061仰(おほせ)に従(したが)ひ、062さうさして頂(いただ)きませう』
063 太子(たいし)は何事(なにごと)かすらすらと巻紙(まきがみ)に書(か)き認(したた)め、064三百(さんびやく)円(えん)の金(かね)を封(ふう)じ込(こ)み、
065太子(たいし)『サア、066之(これ)を持(も)つてお出(いで)なさい。067屹度(きつと)世話(せわ)をして呉(く)れるだらうから』
068 テイラは、069書面(しよめん)の表書(うわがき)を見(み)て倒(たふ)れむ許(ばか)りに驚(おどろ)いた。
070テイ『もし太子(たいし)様(さま)、071レールと云(い)ふ男(をとこ)は、072向上(かうじやう)運動(うんどう)の張本人(ちやうほんにん)では御座(ござ)いませぬか』
073太子(たいし)『如何(いか)にもさうだ。074彼(かれ)はトルマン国(ごく)の救世主(きうせいしゆ)も同様(どうやう)だ』
075テイ『太子(たいし)様(さま)は又(また)このレールと云(い)ふ男(をとこ)に御(ご)交際(かうさい)が御座(ござ)いますか』
076と不思議(ふしぎ)さうに問(と)ふ。
077太子(たいし)『別(べつ)に交際(かうさい)と云(い)ふ程(ほど)でもないが、078一度(いちど)会(あ)ふた事(こと)がある。079其(その)時(とき)彼(かれ)の心(こころ)の底(そこ)迄(まで)見抜(みぬ)いておいた。080屹度(きつと)大切(たいせつ)にして呉(く)れるよ。081此(この)書面(しよめん)の中(なか)に三百(さんびやく)円(ゑん)封(ふう)じ込(こ)んであるから、082これは其方(そなた)の賄料(まかなひれう)としてレールに与(あた)へるのだ』
083テイ『ハイ、084有難(ありがた)う御座(ござ)います。085兎(と)も角(かく)行(い)つて参(まゐ)りませう』
086と挨拶(あいさつ)する折(をり)しも門口(かどぐち)より、
087『右守(うもり)の娘(むすめ)ハリスで御座(ござ)います。088太子(たいし)様(さま)にお目(め)に掛(かか)りたう御座(ござ)います』
089と女(をんな)の優(やさ)しき声(こゑ)が聞(きこ)えて来(き)た。090太子(たいし)は直(ただ)ちに立(た)つて自(みづか)ら入口(いりぐち)の戸(と)を開(あ)け、
091太子(たいし)『ヤア、092ハリス殿(どの)か、093よう来(き)て下(くだ)さつた。094今(いま)テイラ将軍(しやうぐん)が来(き)て居(ゐ)て下(くだ)さるところだ。095サア、096ハリス将軍(しやうぐん)お入(はい)りなさい』
097と気軽(きがる)に招(まね)き入(い)れ、098ここに三(さん)人(にん)巴(ともゑ)なりに対坐(たいざ)した。
099ハリス『太子(たいし)様(さま)、100御(ご)勉強中(べんきやうちう)をお邪魔(じやま)を致(いた)しました。101ヤ、102貴方(あなた)はテイラ様(さま)、103先刻(せんこく)は失礼(しつれい)いたしましたね』
104テイ『いやどう致(いた)しまして、105貴女(あなた)も王妃(わうひ)様(さま)の御(ご)命令(めいれい)に関(くわん)して、106お越(こ)しなさつたので御座(ござ)いますか』
107ハリ『ハイ、108左様(さやう)で御座(ござ)います。109大変(たいへん)な事(こと)を仰(おほせ)つかつたので、110実(じつ)は困(こま)り入(い)つて居(ゐ)るので御座(ござ)いますよ』
111太子(たいし)『ハヽヽヽヽヽ、112ハリス将軍(しやうぐん)もキユーバー上人(しやうにん)の所在(ありか)の捜索隊(さうさくたい)でも仰(おほ)せつかつたのだらう』
113ハリ『いえいえ どうして どうして、114捜索隊(さうさくたい)はテイラさまに大命(たいめい)が下(くだ)りました。115妾(わらは)はもつともつと六ケ(むつか)しい御用(ごよう)を仰(おほ)せつけられたので御座(ござ)います』
116太子(たいし)『それや一体(いつたい)どんな用(よう)だ。117差支(さしつかへ)なくば聞(き)かして貰(もら)ひたいものだなあ』
118ハリ『ハイ、119妾(わらは)は、120太子(たいし)様(さま)を生擒(いけど)る御用(ごよう)を仰(あふ)せつかりました』
121太子(たいし)『ハヽヽヽヽヽ、122遉(さすが)はハリス女将軍(ぢよしやうぐん)だけあつて、123それ相当(さうたう)の御用(ごよう)を云(い)ひつけられたものだなあ。124其(その)美貌(びばう)をもつて攻撃(こうげき)されるものなら、125瞬(またた)く間(ま)にチウイン砲台(はうだい)も滅茶(めちや)々々(めちや)に壊(こわ)されて仕舞(しま)ふかも知(し)れないよ』
126ハリ『王妃(わうひ)様(さま)のお言葉(ことば)には「紅(べに)、127白粉(おしろい)、128油(あぶら)を惜(をし)まず、129盛装(せいさう)をこらし抜(ぬ)け目(め)なく太子(たいし)を恋(こひ)の淵(ふち)に陥(おとし)いれ、130首尾(しゆび)よく成功(せいこう)致(いた)したならば、131汝(なんぢ)を太子妃(たいしひ)にしてやらう」との有難(ありがた)い御(ご)恩命(おんめい)、132いやはや畏(おそ)れ入(い)つて居(を)りまする』
133テイ『何(なん)とまあ、134粋(すゐ)なお母(かあ)さまぢや御座(ござ)いませぬか。135ハリス様(さま)、136羨(うらや)ましう御座(ござ)います』
137ハリ『どうか貴女(あなた)、138妾(わらは)が捜索(そうさく)に参(まゐ)りますから、139貴女(あなた)代(かは)つて下(くだ)さいませぬか。140到底(たうてい)この使命(しめい)は妾(わらは)が如(ごと)き者(もの)の挺子(てこ)には合(あ)ひませぬ。141又(また)太子(たいし)を生擒(いけど)るなどの大野心(だいやしん)は、142王家(わうけ)を思(おも)ひ、143右守家(うもりけ)を思(おも)へばどうして出来(でき)ませう。144実(じつ)に困(こま)り入(い)つて御座(ござ)います』
145太(たい)『これや一通(ひととほり)ぢやない。146母上(ははうへ)には何(なに)か悪神(あくがみ)が憑依(ひようい)して、147トルマン城(じやう)を攪乱(かくらん)せむと企(たく)らんで居(ゐ)るに違(ちが)ひない。148いやハリス殿(どの)、149余(よ)が手紙(てがみ)を書(か)きますから、150宛名人(あてなにん)の処(ところ)へ暫(しばら)く身(み)をお忍(しの)びなさい。151後(あと)は都合(つがふ)よく母(はは)の手前(てまへ)を取(とり)なしておきます。152どうやら両将軍(りやうしやうぐん)の身(み)の上(うへ)に危険(きけん)が迫(せま)つて来(き)たやうに余(よ)は考(かんが)へる』
153と云(い)ひ乍(なが)ら、154すらすらと巻紙(まきがみ)に何事(なにごと)か認(したた)め、155これ又(また)三百(さんびやく)円(えん)の紙幣(しへい)を封(ふう)じ込(こ)み、
156『サア、157ハリス殿(どの)、158暫(しばら)く此(この)宛名人(あてなにん)の処(ところ)へ行(い)つて身(み)を忍(しの)んで居(ゐ)て下(くだ)さい』
159と差出(さしだ)す書状(しよじやう)、160ハリスはハツと首(くび)をさげ押(お)し頂(いただ)き、161名宛(なあて)を見(み)ればマーク殿(どの)と認(したた)めてある。162ハリスは仰天(ぎやうてん)せむ許(ばか)り吃驚(びつくり)して太子(たいし)の顔(かほ)をつくづく見守(みまも)り乍(なが)ら、
163ハリ『太子(たいし)様(さま)、164御(ご)冗談(ぢようだん)では御座(ござ)いませぬか。165マークと云(い)ふ人間(にんげん)は首陀(しゆだ)向上(かうじやう)運動(うんどう)の首謀者(しゆぼうしや)、166ラマ本山(ほんざん)の注意(ちうい)人物(じんぶつ)、167彼様(かやう)な人間(にんげん)の所(ところ)へ、168どうして忍(しの)んで居(ゐ)る事(こと)が出来(でき)ませうか』
169太子(たいし)『いや心配(しんぱい)は要(い)らぬ。170彼(かれ)は決(けつ)して悪人(あくにん)でない。171吾(わが)トルマン国(ごく)の将来(しやうらい)重鎮(ぢうちん)となる人物(じんぶつ)だ。172この書状(しよじやう)をもつて行(ゆ)けば屹度(きつと)世話(せわ)して呉(く)れるだらう』
173ハリ『テイラさま、174妾(わたし)、175どうしませう。176太子(たいし)様(さま)も、177あまりぢや御座(ござ)いませぬか。178彼(あ)の様(やう)な所(ところ)へ島流(しまなが)しとは余(あま)り甚(ひど)う御座(ござ)いますわ』
179テイ『妾(わらは)だつて有名(いうめい)な向上会(かうじやうくわい)のレールさまの家(いへ)へ預(あづ)けられるのですもの。180何(なに)かこれには太子(たいし)様(さま)に於(おい)て深(ふか)いお考(かんが)へがお有(あ)りなさるのでせう。181兎(と)に角(かく)いつて見(み)ようぢやありませぬか』
182と、183二人(ふたり)は早(はや)くも太子(たいし)に暇(いとま)を告(つ)げ、
184『太子(たいし)様(さま)185暫(しばら)く行(い)つて参(まゐ)ります』
186と黄昏(たそがれ)を幸(さいは)ひ裏町通(うらまちどほ)りを伝(つた)うて187レール、188マークの住家(すみか)をさして出(い)でて行(ゆ)く。
189 レール、190マークの両人(りやうにん)は其(そ)の日(ひ)の生活(せいくわつ)に追(お)はれ、191九尺(くしやく)二間(にけん)の裏店(うらだな)に、192二人(ふたり)一組(ひとくみ)の世帯(しよたい)をやつて居(ゐ)る。193二人(ふたり)は荒井(あらゐ)ケ嶽(だけ)の麓(ふもと)なる岩窟(がんくつ)の番人(ばんにん)を了(を)へ、194固(かた)く錠(ぢやう)をかけおき、195帰(かへ)つて来(き)た所(ところ)であつた。196両人(りやうにん)はやれやれと腰(こし)を卸(おろ)し、197夕飯(ゆふはん)の箸(はし)を執(と)らむとする時(とき)、198門口(かどぐち)に優(やさ)しき女(をんな)の声(こゑ)、
199『御免(ごめん)なさいませ。200レール、201マークさまのお宅(たく)は此処(ここ)で御座(ござ)いますか』
202 薄暗(うすくら)がりにレール、203マーク二人(ふたり)は此(この)声(こゑ)を聞(き)くより、
204レール『オイ、205マーク、206艶(なま)めかしい、207しかも高尚(かうしやう)な女性(ぢよせい)の声(こゑ)が門口(かどぐち)に聞(きこ)えて居(ゐ)るぢやないか。208さうして「レール、209マークさまのお宅(たく)は」と、210ほざいて居(ゐ)るやうだ。211一体(いつたい)何(なん)だらうか』
212マーク『ヘン、213馬鹿(ばか)云(い)ふな。214こんな所(ところ)へ誰(たれ)が尋(たづ)ねて来(く)るものか、215しかも日(ひ)の暮(く)れ間際(まぎは)に、216大方(おほかた)狐(きつね)か狸(たぬき)のお化(ばけ)だらうよ』
217レ『いやいや、218確(たしか)に女(をんな)の声(こゑ)だ』
219と云(い)つて居(ゐ)る時(とき)しも、220再(ふたた)び優(やさ)しき女(をんな)の声(こゑ)、
221『レールさま、222マークさまのお宅(たく)は此所(ここ)で御座(ござ)いますか』
223マ『如何(いか)にも女性(ぢよせい)の声(こゑ)だ』
224と云(い)ひ乍(なが)ら、225つつと立(た)つて菱(ひし)になつた破(やぶ)れ戸(ど)をがらりと引(ひ)き開(あ)け、226見(み)れば盛装(せいさう)を凝(こ)らした二人(ふたり)の美人(びじん)、227ニコニコとして、
228女(をんな)『妾(わらは)は、229一寸(ちよつと)様子(やうす)あつて貴方(あなた)のお家(いへ)へお世話(せわ)になりに参(まゐ)りました。230どうか宜敷(よろし)う願(ねが)ひます。231見(み)れば奥(おく)さまもお子(こ)達(たち)もおはさぬ様子(やうす)、232どうかお世話(せわ)にして下(くだ)さいませ』
233マ『どこの貴婦人(きふじん)か知(し)りませぬが、234冗談(ぢようだん)云(い)つてはいけませぬよ。235私(わたし)はお粥腹(かゆばら)を抱(かか)へて飢(うゑ)に泣(な)き寒(かん)に慄(ふる)へて居(ゐ)る貧民窟(ひんみんくつ)の主人公(しゆじんこう)、236どうして人様(ひとさま)のお世話(せわ)する余裕(よゆう)が御座(ござ)いませう。237大方(おほかた)人違(ひとちが)ひで御座(ござ)いませう。238お帰(かへ)り下(くだ)さいませ。239オイ、240レール大変(たいへん)な事(こと)になつて来(き)たぢやないか。241貴婦人(きふじん)が、242しかも二人(ふたり)、243盛装(せいさう)を凝(こ)らしお前(まへ)と俺(おれ)とを尋(たづ)ねて来(こ)られたのだが、244どうも承知(しようち)出来(でき)ぬぢやないか。245大方(おほかた)それ、246キユーバーに関係(くわんけい)のある、247お安(やす)くない連中(れんぢう)ぢやなからうか』
248と、249小声(こごゑ)に囁(ささや)く。
250レ『成程(なるほど)さうかも知(し)れぬよ。251此奴(こいつ)はうつかり相手(あひて)になつては駄目(だめ)だ。252スコブツエン宗(しう)のキユーバーと云(い)ふ奴(やつ)、253沢山(たくさん)の貴婦人(きふじん)を胡麻化(ごまくわ)しよつたと云(い)ふことだ。254その貴婦人(きふじん)が俺(おれ)等(ら)二人(ふたり)が牢番(らうばん)をして居(ゐ)る事(こと)を嗅(かぎ)つけ、255尋(たづ)ねて来(き)よつたのだらう。256そんな事(こと)をしては太子(たいし)様(さま)に対(たい)して申(まをし)訳(わけ)が無(な)いからなア。257断(ことわ)つて逐(お)ひ帰(かへ)せ』
258マ『折角(せつかく)乍(なが)ら、259二人(ふたり)の女中(ぢよちう)さま、260レール、261マークは当家(たうけ)に居(を)りませぬ。262トツトとお帰(かへ)り下(くだ)さいませ。263こんな破(やぶ)れ家(や)を尋(たづ)ねると云(い)ふ女性(ぢよせい)は人間(にんげん)ぢやありますまい。264狐(きつね)か狸(たぬき)かの化(ば)けた奴(やつ)と認(みと)めるからトツトといんで下(くだ)さい』
265と云(い)ふより早(はや)く破(やぶ)れ戸(ど)をピシヤリと閉(し)め、266戸(と)に突張(つつぱ)りをかうて了(しま)つた。
267マ『ハヽヽヽヽヽ、268此(この)破戸(やぶれど)一(いち)枚(まい)が鉄(くろがね)の門(もん)より高(たか)う269と云(い)ふ処(ところ)だ、270ハヽヽヽヽヽ』
271と大声(おほごゑ)に笑(わら)ふ。
272テイ『もし御(ご)両人(りやうにん)様(さま)、273どうか此(この)手紙(てがみ)を読(よ)んで下(くだ)さいませ。274さうすれば貴方(あなた)等(がた)のお疑(うたが)ひが晴(は)れるでせう』
275と、276戸(と)の隙間(すきま)より二通(につう)共(とも)投(な)げ込(こ)んだ。277二人(ふたり)は二通(につう)共(とも)拾(ひろ)ひ上(あ)げ、278薄暗(うすぐら)いランプにすかして見(み)れば、279一通(いつつう)にはレール殿(どの)、280チウイン太子(たいし)より、281一通(いつつう)にはマーク殿(どの)、282チウイン太子(たいし)より、283と記(しる)されてある。284急(いそ)ぎ封(ふう)押(お)しきつて見(み)れば、285正(まさ)しくチウイン太子(たいし)の手紙(てがみ)に間違(まちが)ひない。286さうして枯(か)れきつた貧乏(びんばふ)世帯(せたい)へ、287大枚(たいまい)三百(さんびやく)円(ゑん)宛(づつ)、288女(をんな)の賄料(まかなひれう)として封(ふう)じ込(こ)んである。289二人(ふたり)は慌(あわ)てて戸(と)を押(お)し開(あ)け、
290レ『ヤこれはこれは失礼(しつれい)いたしました。291むさくろしい処(ところ)で御座(ござ)いますが、292どうかお這入(はい)り下(くだ)さいませ。293オイ、294マーク手箒(てばうき)でそこらを掃(は)かないか、295珍客(ちんきやく)だぞ。296これは左守家(さもりけ)のお嬢(ぢやう)さまと、297右守家(うもりけ)のお嬢(ぢやう)さまだ』
298と云(い)ひ乍(なが)ら、299二人(ふたり)は一生(いつしやう)懸命(けんめい)、300黒(くろ)ずんだ畳(たたみ)の表(おもて)や庭(には)を掃(はき)出(だ)した。
301テイ『どうぞお構(かま)ひ下(くだ)さいますな。302今日(けふ)から私(わたし)がお掃除(さうぢ)も致(いた)します。303御飯(ごはん)も炊(た)きます。304男(をとこ)さまがなさいますと見(み)つともなう御座(ござ)います』
305レ『いや勿体(もつたい)ない、306貴方(あなた)等(がた)に飯炊(めしたき)をさせたり、307掃除(さうぢ)をさしたりして耐(たま)りますか。308しかし折角(せつかく)来(き)て貰(もら)ひましたが寝具(しんぐ)もなし、309食器(しよくき)も無(な)し、310まあ暫(しばら)くお待(ま)ち下(くだ)さい。311マークに買(かひ)にやりますからな。312オイ、313マークこの頂(いただ)いたお金(かね)で絹夜具(きぬやぐ)を二組(ふたくみ)買(か)ふて来(こ)い。314そして上等(じやうとう)の食器(しよくき)を二組(ふたくみ)揃(そろ)へて来(く)るのだぞ』
315マ『よし来(き)た』
316と飛(と)び出(だ)さうとするをテイラは細(ほそ)い柔(やはら)かい手(て)で、317マークの袖(そで)を控(とら)へ乍(なが)ら、
318テイ『もしマーク様(さま)、319失礼(しつれい)乍(なが)ら、320彼様(かやう)なお住(すまゐ)へ絹夜具(きぬやぐ)を入(い)れたり、321立派(りつぱ)な食器(しよくき)をお入(い)れになつては、322直様(すぐさま)其(その)筋(すぢ)の疑(うたが)ひをうけ迷惑(めいわく)をなさいませう。323妾(わらは)等(ら)二人(ふたり)は貴方(あなた)等(がた)と同(おな)じ生活(せいくわつ)が致(いた)したう御座(ござ)います。324どうか食器(しよくき)の最(もつと)も悪(わる)い欠(か)げたやうなものを購(もと)めて下(くだ)さい。325さうして寝具(しんぐ)も最(もつと)も悪(わる)い、326これより悪(わる)いものはないと云(い)ふやうなものを買(か)つて来(き)て下(くだ)さい。327さうせねば向上会(かうじやうくわい)の貴方(あなた)等(がた)が、328其(その)筋(すぢ)の疑(うたがひ)を受(う)けられては妾(わらは)等(たち)、329長(なが)いお世話(せわ)になる事(こと)は出来(でき)ませぬからなあ』
330マ『オイ、331レールどうせうかな、332なんぼなんでもこんな貴婦人(きふじん)にまさか破(やぶ)れ布団(ぶとん)も着(き)せる訳(わけ)にゆかぬぢやないか』
333レ『何(なに)、334構(かま)やしないよ。335今(いま)迄(まで)浄行(じやうぎやう)階級(かいきふ)の生活(せいくわつ)をなされて居(ゐ)たお姫(ひめ)様(さま)、336些(ちつ)とは吾々(われわれ)貧民窟(ひんみんくつ)の生活(せいくわつ)を味(あぢは)はしてやつてもいいぢやないか。337そんな遠慮(ゑんりよ)をして居(を)つて、338どうして目的(もくてき)の貫徹(くわんてつ)が出来(でき)ようか』
339テイ『ホヽヽ、340レールさまのお言葉(ことば)、341私(わたし)ぞつこん気(き)に入(い)りましたよ。342ねえハリスさま』
343ハ『さうですねえ、344本当(ほんたう)に貧民窟(ひんみんくつ)の生活(せいくわつ)は愉快(ゆくわい)なものでせうよ』
345マ『これお姫(ひめ)さま、346貧民窟(ひんみんくつ)の生活(せいくわつ)が愉快(ゆくわい)だなんて、347何(なに)を云(い)うて居(ゐ)るのだ。348まあ二三(にさん)日(にち)やつて見(み)なさい、349吠面(ほえづら)かわいて逃(に)げて帰(かへ)らにやならぬやうになりますよ』
350ハリ『何(なに)程(ほど)つらくても構(かま)ひませぬよ。351国家(こくか)の柱石(ちうせき)ともなるべき立派(りつぱ)なお二人(ふたり)さまと共同(きようどう)生活(せいくわつ)をすると思(おも)へば、352どんな辛(つら)い事(こと)でも辛抱(しんばう)致(いた)しますわ』
353レ『やアお出(いで)たな、354これやまあ、355何(なん)のこつた。356今日(こんにち)只(ただ)今(いま)より貧乏神(びんばふがみ)の御(ご)退却(たいきやく)、357福(ふく)の神(かみ)の御(ご)入来(じゆらい)、358まるで夢(ゆめ)のやうだわい』
359 四(よ)人(にん)一度(いちど)に『ハヽヽヽヽヽ、360ホヽヽヽヽヽ』361三日(みつか)の月(つき)は西山(せいざん)に隠(かく)れ、362暗(やみ)の帳(とばり)は四辺(あたり)を包(つつ)み、363近所(きんじよ)合壁(がつぺき)の婆嬶(ばばかか)の囀(さへづ)る声(こゑ)も次第(しだい)々々(しだい)に消(き)えて行(ゆ)く。
364(大正一四・八・二四 旧七・五 於由良海岸秋田別荘 加藤明子録)
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