ここに語られている物語は、おとぎ話でなく、伝説や伝奇物語でもなく、言霊学上から見た史詩(シャンソン)である。
『霊界物語』は、人に伝わったものではなく、天地に充満した水火(いき)の妙用原理にもとづき、宇宙創造の状態より、諸般の事象について説き示したものである。
この物語を著すにあたっては、日夜神界の枢機に参じ、宇宙万有発生の歴史的事実に至るまで開示したものなので、現代の学者たちが怪しく思うのも当然のことである。
未だ誰も見たことも聞いたこともなく、伝わっていない宇宙の物語であり、有史以前の事象であるので、誰も善悪の批判を加えることはできないのだ。
惟神(かむながら)の道徳上の義務に服し、天界に奉仕し、自己を制して自己以外のひとたちに寛大な神人(ひと)は、実際上、精神の上で自由なのであり、一切万事、公共のために活動して、成功しないことは一つもないのである。
天之峯火夫の神が皇神(すめかみ)として君臨したまう紫微天界は、未だに霊と言霊の世界であり、形のあるものはただ、気体が凝ったものだけである。だから、意思想念の世界ともいうべきものである。
善良な意思想念は、善良な神人の姿と現れる。そして、醜悪な意思想念が醜悪な形となって現れるのも、自然の理なのである。
大蛇、鬼、半鬼、巨人、山、河、岩石等、さまざまな形の神々が多数あるのも、意思想念があわられた姿なのであれば、驚くにあたらないのである。
顕津男の神は、七日七夜、旅を続けて、濁流がとうとうと流れる日南(ひなた)河の南岸に着いた。このとき、日は三十度の位置に昇り、こうこうと輝いて、日南河の波を金銀色に彩らせた。
顕津男の神は、激流を眺め、スウヤトゴル山を前に旅の述懐の歌を歌った。
そして、河の中に波をせき止めてそびえる岩を曲神の化身と見破り、言霊歌を歌うと、巨巖はたちまち蛇体となって逃げていった。すると、河の水は減っていき、向こう岸まで渡れるほどになった。
顕津男の神は駒にまたがり、最後まで見送りに従ってきた四柱の神々に、別れの歌を歌った。
宇礼志穂の神、魂機張の神、結比合の神、美味素の神は、顕津男の神の無事を祈る歌をそれぞれ歌った。
顕津男の神が悠々と向こうの岸へ渡り上ったのを見届けると、見送りの四柱の神々は真鶴国の聖地へと戻っていった。