主の大神は、七十五声の言霊を絶え間なく鳴り出でて泥海の世界を固めるにあたって、筑紫ケ岳、高地秀(たかちほ)の峰、高照山の三大高山を生み、そして万里(まで)の海に無数の島々を鳴り出でて、すべての生き物を生ませ養うべく経綸を行った。
万里の海の中心には、万里(まで)の島を生り出でた。この島は面積約八千方里、西に白馬ケ岳、東に牛頭ケ峰を抱き、その中心流れる清川を万里(まで)の河、といった。
大神はこの島に、ツの言霊によって鼠を、クの言霊で蛙を生み出でた。鼠、蛙とも古代では、牛や人間ほども大きかった。鼠と蛙は万里の島に多数増えて繁栄した。鼠は田を鋤き、蛙も鋤鍬をもって田畑を開き、穀物を作って生活していた。
この島の司として、主の大神は頭に太陽の形を印した丹頂鶴をひとつがい下した。鶴は万里河の傍らの小高い丘にうっそうと立っている一本の常盤の松に巣を作り、子を生み育てた。
しかしながら、やがてこの島に雲霧が発生し日月を塞ぎ始めた。雲と霧のために陽気は寒く、万物の発育も十分でないほどとなってしまった。陰鬱の気は次第次第に凝結し、さまざまの曲津見を発生させた。
白馬ケ岳の谷間には悪竜が多数住むようになり、大蛇はあちこちで毒煙を吐いた。また邪気が凝って鷲と山猫が発生し、鷲は蛙を、山猫は鼠を餌食として猛り狂った。鼠と蛙の一族の中でも、特に朝夕を主の神に祈り、真心を尽くして仕えた種族のみが、神の恵みによってわずかに生き残り、戦々恐々としながらも耕作に従事していた。
大神は竜・蛇・鷲・山猫ら獰猛な動物を制御するために、牛、馬、鷹、虎、狼、獅子などを島に生ましめた。そして竜・蛇を滅ぼすことに成功した。ただ鷲だけは空中にあって、制裁することができなかった。
そのうちに、肉食動物である虎、狼、獅子、熊、鷲らは、他の動物を餌食として昼夜絶え間なく争闘の惨劇を続け、収集がつかなくなってしまった。大神はここに、猪と犬の群れを下して、猛獣たちを制させた。おかげで、牛と馬はやや安全になり、牛は牛頭ケ峰に、馬は白馬ケ岳に難を避けて数を増やした。
主の大神は、この美しい万里の島を永遠の楽園に定めようと、八十柱の御樋代神の中でももっとも神力の強い田族比女(たからひめ)の神を下した。そして、十柱の従者神を比女の共として島に下した。
神々の降臨によって、肉食獣たちは逃げ散り、鼠と蛙は、犬と猪に守られて安全に耕作に従事することができるようになった。ここに、丹頂鶴は猿を使って万里ケ島の平安を守っていた。しかしながら丹頂鶴は、田族比女と十柱の神々の恩を知らず、神々を国土への侵略者ではないかと疑い、嫉視の眼を向けていた。
鶴の保護を得た猿は次第に勢力を増し、ついに鶴のように木の上に住み、鶴の地位までも汚そうと勤めるにいたった。そして、蛙に対して暴虐の限りを尽くすようになったため、万里の島は、再び混乱の巷に陥った。
犬と猪は蛙を守ろうと猿に立ち向かい、結果、猿のほとんどはかみ殺されてしまった。しかし、この惨状を窺い知った鷲、獅子、熊などの猛獣は、これを機にいっせいに迫り来て、島の動物をほとんど滅亡させてしまった。
ただ鶴、牛、馬の一族は、田族比女とその従者神の守りを得て、猛獣の魔手を免れたのであった。