昔、左守の職を追われたシャカンナは、政敵の一掃と国政への復帰を胸に、山奥に部下を集めて山賊の棟梁となり時宜を狙っていたが、天命を知り塞に火を放ち、部下を解散し、今は一人娘のスバールを老後の力となして暮らしていた。
今年十五を数えるスバール姫は、スダルマン太子の来訪より、密かに太子に恋心を抱いていた。
シャカンナはある日、スバールに尋ねる。太子がここに踏み迷って来られた際、スバールに思し召しがあったように見受けられたが、もし太子から迎えが来たら、その気があるだろうか、と。
スバールは、実は太子が「きっと迎えに来る」と約束したこと、また自分も太子のことを思っていることを明かす。
シャカンナは、娘の恋愛によって自分が再び政界に復帰することができると喜ぶ。
スバールは、父に対する孝養と、夫に対する恋愛では道が違う、と釘をさす。
曰く、今回の恋愛が成就することによって、結果的に、父に対する孝養もできるかもしれないが、恋愛は流動的なものであり、恋愛を主とする限り、父への孝養を保障することはできない。
恋愛は理知・道徳と相容れないものであるから、「父への孝養のために太子と結婚する」というような、倫理に恋愛を従属させるようなことでは、恋愛が成り立たない。
倫理や道徳にとらわれて、女の一生を霊的に抹殺されることは耐えられない。「神聖な霊魂を男子に翻弄される事は、女一人として堪えられない悲哀」
人格と人格との結合によって、初めて完全な恋愛が行われる。
恋愛は恋愛として、どこまでも自由でなければならない。
だから、もし他にもっと好きな相手ができたら、そちらに恋愛を移すのが自然の成り行きであり、結婚を理由に貞操を守れ、というのは不合理である。
倫理の観点から結婚を見るなら、女子に貞操を強要するのであれば、当然夫に対しても貞操を強要しなければならない。
しかし、恋愛の観点から結婚を見るなら、夫は女房が他の男に恋するのを押さえつけてはいけないし、妻は妻で、夫の他の女に対する恋愛を遂げさせてあげるのが、真に夫を愛するということになる。
また、一夫一婦制に対しての反論
男女が平均に生まれないため、一夫一婦制ではない国も、世界にはたくさんある。
むしろ君子的人格者はたくさんの妻を持ち、その子供を四方に配ることが、国家にとって利益になる。
道徳と恋愛を別のものとして考えることで、家庭は家庭としてうまくいき、恋愛は恋愛として自由に行われる。