霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
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第七章 茶火酌(ちやびしやく)〔一七三一〕

インフォメーション
著者:出口王仁三郎 巻:霊界物語 第68巻 山河草木 未の巻 篇:第2篇 恋火狼火 よみ(新仮名遣い):れんかろうか
章:第7章 茶火酌 よみ(新仮名遣い):ちゃびしゃく 通し章番号:1731
口述日:1925(大正14)年01月29日(旧01月6日) 口述場所: 筆録者:北村隆光 校正日: 校正場所: 初版発行日:1926(大正15)年9月30日
概要: 舞台: あらすじ[?]このあらすじはMさん作成です(一部加筆訂正してあります)。一覧表が「王仁DB」にあります。[×閉じる]:
茶湯の宗匠タルチンは、太子とスバールの逢引の場を提供することで、アリナからたくさんの心づけをもらっていた。
タルチンは幸運を喜び、女房の「袋」に自慢するが、袋は秘密の逢引のことが城のお偉方にばれたときの危険を心配して逆にタルチンをなじる。また、タルチンの酒癖の悪さを非難する。タルチンも女房に対して不満を並べ立てるが、袋は逆上してタルチンから一千両の金を奪い取り、家を飛び出してしまう。
そこへ城下に大火事が発生し、警鐘の音が響いてくる。タルチンは得意先の火事見舞いに回るため、太子とスバールに留守を頼み、城下に出て行く。
最初は火事の壮観さに見とれていた太子だが、火が城にまで回り始めたのを見て、自分に化けているアリナのところへ人がやってきて変装がばれるのがにわかに心配になってくる。スバールは太子の弱気をなじり、太子も気を強く持っている振りをするが、警鐘乱打の声、人々の叫びはますます強くなって来る。
主な登場人物[?]【セ】はセリフが有る人物、【場】はセリフは無いがその場に居る人物、【名】は名前だけ出て来る人物です。[×閉じる]: 備考: タグ: データ凡例: データ最終更新日:2026-09-02 18:33:28 文字数:4795 OBC :rm6807
愛善世界社版:98頁 八幡書店版:第12輯 186頁 修補版: 校定版:98頁 普及版:69頁 初版: ページ備考:
001 向日(むかひ)の森(もり)の片辺(かたほとり)に住(す)む茶湯(ちやのゆ)の宗匠(そうしやう)タルチンは、002思(おも)はぬ福(ふく)の神(かみ)の御(ご)来臨(らいりん)と笑壺(ゑつぼ)に入(い)り、003茶室(ちやしつ)は太子(たいし)とスバールの自由歓楽場(じいうくわんらくぢやう)となし、004スバール姫(ひめ)に茶(ちや)の湯(ゆ)を教(をし)へると云(い)ふのはホンの表向(おもてむき)、005実(じつ)は両人(りやうにん)の恋(こひ)を完成(くわんせい)せむ為(ため)アリナに頼(たの)まれて沢山(たくさん)の心付(こころづけ)を貰(もら)ひ、006ホクホクもので天下(てんか)太平(たいへい)を謳(うた)つてゐる。007彼(かれ)は中庭(なかには)を隔(へだ)てた古(ふる)ぼけた母屋(おもや)の一室(いつしつ)に胡坐(あぐら)をかき乍(なが)ら、008大布袋(おほほてい)然(ぜん)たる女房(にようばう)の「ふくろ」と共(とも)に酒(さけ)汲(く)み交(かは)し舌鼓(したつづみ)を打(う)ち乍(なが)ら、
009タルチン『オイ、010袋(ふくろ)、011人間(にんげん)の運(うん)と云(い)ふものは不思議(ふしぎ)なものぢやないか。012俺(おれ)等(たち)も親(おや)の代(だい)から茶湯(ちやのゆ)の宗匠(そうしやう)として彼方(かなた)此方(こなた)の大家(たいけ)に御(ご)贔屓(ひいき)になり、013僅(わづか)に家名(かめい)を継(つ)いで来(き)たが、014世(よ)の不景気(ふけいき)につれ大家(たいけ)の盆(ぼん)正(しやう)月(ぐわつ)の下(くだ)されものも段々(だんだん)と少(すくな)くなり、015頭(あたま)は禿山(はげやま)となり髭(ひげ)には霜(しも)がおき、016懐(ふところ)は寒(さむ)く財布(さいふ)は凩(こがらし)が吹(ふ)き荒(すさ)び、017爐(ろ)の炭(すみ)さへも碌(ろく)に買(か)へないやうになつてゐたのに、018あの弁才天(べんざいてん)が山奥(やまおく)から御(ご)出現(しゆつげん)遊(あそ)ばしてより御(ご)霊験(れいけん)あらたかになり、019畏(おそ)れ多(おほ)くもスダルマン太子(たいし)様(さま)までお忍(しの)びでお越(こ)しになるやうになつたのは何(なん)たる幸運(かううん)の事(こと)だらう。020まだ運命(うんめい)の神(かみ)は吾々(われわれ)をお見捨(みすて)遊(あそ)ばさぬと見(み)えるわい。021のう袋(ふくろ)、022お前(まへ)はいつも奴甲斐性(どがひしやう)なし奴甲斐性(どがひしやう)なしと俺(わし)を罵詈(ばり)嘲笑(てうせう)なし、023お暇(ひま)を下(くだ)さいとチヨコチヨコ駄々(だだ)を捏(こ)ねよつたが、024どうだお暇(ひま)をやらうかの』
025袋(ふくろ)『ヘーヘー、026何(なん)ですか、027たまたまお金(かね)が這入(はい)つたとて、028さうメートルを上(あ)げるものぢやありませぬよ。029お前(まへ)さまは仔細(しさい)らしく茶(ちや)の湯(ゆ)の宗匠(そうしやう)などと云(い)つてすまし込(こ)んで厶(ござ)るが、030女房(にようばう)の私(わたし)から見(み)れば余(あま)り立派(りつぱ)な人間(にんげん)様(さま)ぢやありませぬよ。031浮世(うきよ)を三分(さんぶ)四厘(よりん)、032四分(しぶ)五裂(ごれつ)、033五分(ごぶ)々々(ごぶ)034五厘(ごりん)々々(ごりん)に茶化(ちやくわ)して通(とほ)る鈍物(なまくら)坊主(ばうず)の夜這星(よばひぼし)だから、035あまり気(き)の利(き)いたらしい事(こと)を云(い)はないがよろしい。036太子(たいし)様(さま)だつてお忍(しの)びの身(み)、037何時(いつ)化(ばけ)が現(あら)はれて城内(じやうない)から呼(よ)び戻(もど)されなさるか知(し)れませぬよ。038さうしてお歴々(れきれき)の御(ご)家来衆(けらいしう)が太子(たいし)の外出(ぐわいしゆつ)を防(ふせ)がうものなら、039再(ふたた)び甘(あま)い汁(しる)を吸(す)ふ事(こと)は出来(でき)ぬぢやありませぬか』
040タル『何(なに)心配(しんぱい)するな、041太子(たいし)様(さま)が、042よしんば家来(けらい)共(ども)に妨(さまた)げられ、043お出(で)ましになる事(こと)が出来(でき)ないにした所(ところ)で、044左守(さもり)の息子(むすこ)さまのアリナさまが控(ひか)へて厶(ござ)る。045アリナさまは自由(じいう)の利(き)く身(み)だから、046どんな便宜(べんぎ)でも取計(とりはか)つて下(くだ)さるよ』
047袋(ふくろ)『さう楽観(らくくわん)は出来(でき)はすまい。048アリナさまだつて外出(ぐわいしゆつ)差止(さしと)めとなられたら、049それこそ取(とり)つく島(しま)がないぢやありませぬか。050その上(うへ)山奥(やまおく)の美人(びじん)を囲(かくま)つて太子(たいし)様(さま)に合引(あひびき)させ、051堕落(だらく)させたと云(い)つて重(おも)い罪(つみ)にでも問(と)はれたら、052それこそ笠(かさ)の台(だい)が飛(と)ぶぢやありませぬか。053お前(まへ)さまは大体(だいたい)利口(りこう)に出来(でき)てゐないから、054女房(にようばう)の心配(しんぱい)は一通(ひととほ)りぢやない。055チツト気(き)をつけて下(くだ)さいや、056お金(かね)がよつた時(とき)、057さうムチヤに費(つか)つては、058マサカの時(とき)にどうしますか。059お前(まへ)さまはヒネ南瓜(かぼちや)だから何時(いつ)国替(くにがへ)してもよろしいが、060此(この)年(とし)の若(わか)い女房(にようばう)をどうして下(くだ)さるつもりですか。061今日(けふ)はお銚子(てうし)は二本(にほん)でおいて下(くだ)さい。062お前(まへ)さまが酒(さけ)に酔(よ)うと梯子酒(はしござけ)ぢやからヒヨロヒヨロと宅(うち)を飛(と)び出(だ)し、063裏町(うらまち)辺(あたり)の待合(まちあひ)にでも惚気(のろけ)込(こ)んで、064ありもせぬ金(かね)を費(つか)はれちや、065宅(うち)の会計(くわいけい)がやりきれませぬからな』
066タル『エー、067酒(さけ)が理(り)におちて甘(うま)くないわ。068今日(けふ)は機嫌(きげん)よく飲(の)ましてくれ。069しやうもない世帯(しよたい)の話(はなし)を聞(き)かしてくれては流石(さすが)茶人(ちやじん)の俺(わし)も、070いささか閉口(へいこう)だ。071さう石(いし)に根(ね)つぎするやうに心配(しんぱい)するものぢやない。072俺(おれ)の宅(うち)は御(ご)先祖(せんぞ)さまの余慶(よけい)で、073之(これ)から一陽(いちやう)来復(らいふく)の気分(きぶん)に向(むか)ふのだ。074よう考(かんが)へて見(み)よ。075山奥(やまおく)から生捕(いけど)つて厶(ござ)つた、076あのスバール姫(ひめ)さまは弁才天(べんざいてん)様(さま)。077さうして太子(たいし)様(さま)は毘沙門天(びしやもんてん)様(さま)だ。078お前(まへ)は云(い)ふに及(およ)ばず布袋(ほてい)和尚(おしやう)なり、079俺(おれ)は頭(あたま)が長(なが)いから福禄寿(げほう)だ。080そこへ恵比須(ゑびす)や大黒(だいこく)のついた金札(きんさつ)が此(この)通(とほ)り懐(ふところ)に納(をさ)まつて厶(ござ)るなり、081チヤンと六福神(ろくふくじん)は揃(そろ)つてゐるのだ。082も一(ひと)つの事(こと)で七福神(しちふくじん)となるのだから心配(しんぱい)するな。083言霊(ことたま)の幸(さち)はふ国(くに)だから、084こんな時(とき)は目出度(めでた)い事(こと)云(い)つて祝(いは)ふに限(かぎ)るよ。085チヤンと六福神(ろくふくじん)が揃(そろ)つてる所(ところ)へ、086お前(まへ)の名(な)が袋(ふくろ)だから丁度(ちやうど)揃(そろ)つて七福神(しちふくじん)だ。087芽出度(めでた)い芽出度(めでた)い酒(さけ)喰(く)はずんばあるべからずだ。088飯(めし)飲(の)まずんばあるべからずだ、089エツヘヽヽヽ』
090袋(ふくろ)『何(なん)とまア気楽(きらく)な事(こと)をいい年(とし)して居(を)つて云(い)へたものですな。091お前(まへ)さまの宅(うち)に後妻(ごさい)に入(い)つてから已(すで)に三(さん)年(ねん)にもなるぢやありませぬか。092着換(きがへ)の一(いち)枚(まい)も買(か)つてくれた事(こと)もなし、093足袋(たび)一足(いつそく)買(か)つてくれた事(こと)もないのに、094いつも亭主面(ていしゆづら)さげて、095偉(えら)相(さう)に何(なん)ですか。096その金(かね)こつちにお渡(わた)しなさい、097私(わたし)が預(あづか)つておきます。098お前(まへ)さまにお金(かね)を持(も)たしておくと剣呑(けんのん)だ。099チツト許(ばか)り渋皮(しぶかは)のむけた女(をんな)を見(み)ると直(すぐ)グニヤグニヤになつて100家(いへ)も女房(にようばう)も忘(わす)れて了(しま)うと云(い)ふ奴倒(どたふ)しものだからな。101ほんとにいけすかない薬鑵爺(やくわんおやぢ)だよ』
102タル『こらこら何(なに)を云(い)ふか。103貧乏(びんばふ)はして居(を)つても104俺(おれ)はタラハン城(じやう)に歴仕(れきし)する茶(ちや)の湯(ゆ)の宗匠(そうしやう)さまだよ。105俺(おれ)の女房(にようばう)にならうと思(おも)へば、106余程(よほど)茶(ちや)の湯(ゆ)、107生花(いけばな)、108歌(うた)、109俳諧(はいかい)等(とう)の諸芸(しよげい)は一渡(ひとわた)り嗜(たしな)んでおかねばならず、110言葉使(ことばつかひ)も高尚(かうしやう)につかはねばならぬぢやないか。111お前(まへ)のやうに大(おほ)きな図体(づうたい)をして蛙(かへる)のやうな声(こゑ)を出(だ)し、112ひびきの入(い)つた釣鐘(つりがね)のやうにガアガア云(い)つて貰(もら)ふと、113名門(めいもん)の恥辱(ちじよく)だ、114エーン。115此(この)夫(をつと)にして此(この)妻(つま)ありと云(い)ふ事(こと)があるから、116俺(わし)の女房(にようばう)ならチツト女房(にようばう)らしう、117品行(ひんかう)を謹(つつし)んで貰(もら)はねば困(こま)るぢやないか。118何時(いつ)だつて女(をんな)の癖(くせ)に囲爐裏(ゐろり)の側(そば)に胡坐(あぐら)かき、119煙草(たばこ)ばかりをパクつかせ、120飯(めし)を焚(た)かすれば焦(こ)げつかす、121タマタマ焦(こげ)なかつたと思(おも)へば半焚(はんだ)きの心(しん)のある飯(めし)を喰(く)はせやがるし、122何時(いつ)だつて飯(めし)らしい飯(めし)を喰(く)わした事(こと)があるか。123アーア、124俺(おれ)も、125せう事(こと)なしにこんな女房(にようばう)を持(も)つたのだが、126かう懐(ふところ)が暖(あたた)かになつて来(く)ると、127もつとした…………』
128 袋(ふくろ)は胸倉(むなぐら)をグツととり、
129袋『こりや薬鑵爺(やくわんおやぢ)、130もつとの後(あと)を聞(き)かせ、131俺(わし)を追(おひ)出(だ)すつもりか。132お前(まへ)の方(はう)から追(お)ひ出(だ)されるよりも私(わし)の方(はう)から追(お)ひ出(で)てやるのだ。133今(いま)迄(まで)も幾度(いくたび)か見込(みこ)みが立(た)たないから、134飛(と)び出(だ)さう飛(と)び出(だ)さうと思(おも)つたが先立(さきだ)つものは金(かね)だ。135此(この)薬鑵(やくわん)奴(め)、136之(これ)でもいつか懐(ふところ)をふくらしやがる事(こと)があるだらう。137その時(とき)こそは懐(ふところ)の金(かね)をスツカリ奪(うば)ひとつてドロンと消(き)えてやるつもりだつた。138こんな険呑(けんのん)な暗雲(やみくも)飛(と)び乗(の)りの芸当(げいたう)をやるものについて居(を)つては139袋(ふくろ)の生命(いのち)が険呑(けんのん)だ』
140と云(い)ひ乍(なが)ら懐(ふところ)の札束(さつたば)をむしりとり、141強力(がうりき)に任(まか)して老爺(おやぢ)の尻(しり)を二(ふた)つ三(み)つ蹴(け)り乍(なが)ら、142腮(あご)をしやくり、
143袋(ふくろ)『お蔭(かげ)さまで一千(いつせん)両(りやう)のお金(かね)にありつきました。144永(なが)らくお世話(せわ)になりました。145タルチンさま、146三(さん)年(ねん)に一千(いつせん)円(ゑん)は安(やす)いものでせう。147精(せい)出(だ)しておまうけなさいませ。148貯(たま)つた時(とき)は、149又(また)頂(いただ)きに出(で)ますよ。150アバよ』
151と牛(うし)のやうな尻(しり)をクレツと引捲(ひきまく)り、
152袋『薬鑵爺(やくわんおやぢ)尻(けつ)でも喰(く)らへ』
153と云(い)ひ乍(なが)ら一目散(いちもくさん)に逃(にげ)出(だ)したり。
154 タルチンは無念(むねん)の歯(は)がみをなし、155後(あと)追(お)つかけむとすれども、156大女(おほをんな)の力強(ちからづよ)に力(ちから)一杯(いつぱい)尻(しり)こぶたを蹴(け)られた為(ため)、157大腿骨(だいたいこつ)に痛(いた)みを感(かん)じ、158顔(かほ)をしかめて逃(に)げ行(ゆ)く女房(にようばう)の後(あと)を怨(うら)めしげに見送(みおく)つてゐる。
159タルチン『アー、160袋(ふくろ)の奴(やつ)、161馬鹿(ばか)にしやがる。162折角(せつかく)マンマとせしめた千(せん)両(りやう)の金(かね)を自分(じぶん)一人(ひとり)で占領(せんりやう)して、163おまけに手厳(てきび)しく毒(どく)つき乍(なが)ら帰(かへ)つて行(ゆ)きやがつた。164アヽ、165又(また)俺(おれ)は元(もと)の木阿弥(もくあみ)だ。166文(もん)なしの素寒貧(すかんぴん)だ。167よくよく金(かね)に縁(えん)のない男(をとこ)と見(み)えるわい。168然(しか)し俺(おれ)も一(ひと)つ考(かんが)へねばなるまい。169万々一(まんまんいち)、170太子(たいし)様(さま)をかくまつて逢引(あひびき)さしてゐる事(こと)がお歴々(れきれき)の耳(みみ)にでも這入(はい)らうものなら、171お出入(でいり)差止(さしと)めは申(まを)すに及(およ)ばず、172お袋(ふくろ)の云(い)つたやうに俺(おれ)の笠(かさ)の台(だい)が飛(と)ぶかも知(し)れない。173又(また)幸(さいはひ)に命(いのち)だけは助(たす)かつたとした所(ところ)で、174太子(たいし)様(さま)のお出入(でいり)もなくなり、175アリナさま迄(まで)も来(こ)られないやうな破目(はめ)になつたら、176此(この)茶坊主(ちやばうず)はどうしたらよいかな。177どうも心配(しんぱい)になつて来(き)た。178家宝(かほう)伝来(でんらい)の名物(めいぶつ)道具(だうぐ)よりも大切(たいせつ)にしてゐる此(この)頃(ごろ)の珍客(ちんきやく)、179金剛(こんがう)不壊(ふえ)の如意(によい)宝珠(ほつしゆ)を、180もしも老臣(らうしん)共(ども)に見(み)つけ出(だ)され、181吾(わが)館(やかた)から連(つ)れ帰(かへ)られるやうな事(こと)があつたとしたら、182それこそ俺(おれ)も身(み)の破滅(はめつ)だ。183地獄(ぢごく)と極楽(ごくらく)へ往復(わうふく)する茶柄杓(ちやびしやく)の中折(なかを)れ。184今日(けふ)迄(まで)の湯加減(ゆかげん)も、185俄(にはか)に足茶釜(あしちやがま)の底(そこ)ぬけ騒(さわ)ぎをやらねばなるまい。186アーア、187何(なん)とかいい工夫(くふう)はあるまいかな。188干(ひ)からびた頭脳(づなう)から何(なに)程(ほど)絞(しぼ)り出(だ)しても、189よい智慧(ちゑ)は出(で)て来(こ)ず、190どうしてマサカの時(とき)の準備(じゆんび)をしようかな』
191と腕(うで)を組(く)み、192胡坐(あぐら)をかいて、193燗徳利(かんどくり)を前(まへ)に転(ころ)がしたまま思案(しあん)にくれてゐる。
194 暫(しば)らくしてタルチンはニツコと笑(わら)ひ、
195タルチン『イヤ、196流石(さすが)は茶湯(ちやのゆ)の宗匠(そうしやう)だ。197いい智慧(ちゑ)が浮(う)かんで来(き)たぞ。198万々一(まんまんいち)不幸(ふかう)にして太子(たいし)さまがお出入(でいり)遊(あそ)ばさぬやうになつても構(かま)はぬ。199よもやノメノメとあのスバール姫(ひめ)を殿中(でんちう)へ、200連(つ)れて帰(かへ)られる筈(はず)はない。201さうすればキツト此(この)タルチンが、202どつかへお隠(かく)し申(まを)さねばなるまい。203太子(たいし)もキツト、204さうして呉(く)れと仰有(おつしや)るに定(き)まつてる。205何(なに)程(ほど)考(かんが)へても、206それより外(ほか)に方法(はうはふ)手段(しゆだん)はないもの。207太子(たいし)さまだつて、208アリナさまだつて、209実(じつ)の所(ところ)は内所(ないしよ)でやつて厶(ござ)る事(こと)だから弱味(よわみ)がある。210そこを甘(うま)くつけ入(い)つて、211あの名玉(めいぎよく)を処分(しよぶん)するのは処世(しよせい)上(じやう)の奥(おく)の手(て)だ。212捨売(すてうり)にしても二万(にまん)や三万(さんまん)の価値(かち)はある玉(たま)だ。213僅(わづか)に千(せん)円(ゑん)や二千(にせん)円(ゑん)のつまみ金(がね)を貰(もら)つてヒヤヒヤとして暮(くら)してゐるよりも、214さうなりや二三万(にさんまん)円(ゑん)にでも売(う)り飛(と)ばし215トルマン国(ごく)にでも逃(に)げ出(だ)し、2151立派(りつぱ)な女房(にようばう)でも貰(もら)つて216此(この)世(よ)を栄耀(えいえう)栄華(えいぐわ)に気楽(きらく)に暮(くら)すが一等(いつとう)だ。217俺(おれ)には何(なん)とした幸運(かううん)が見舞(みま)うて来(き)たのだらう、218エツヘヽヽヽ』
219と一人(ひとり)笑壺(ゑつぼ)に入(い)つて居(ゐ)る。220折(をり)から聞(きこ)ゆる、221警鐘(けいしよう)乱打(らんだ)の声(こゑ)、222タルチンは足(あし)をひきずり乍(なが)ら窓(まど)の戸(と)をあけて外(そと)を眺(なが)むれば、223タラハン城下(じやうか)に当(あた)つて、2231火災(くわさい)を起(おこ)し224炎(ほのほ)の舌(した)は高(たか)く大空(おほぞら)を舐(なめ)て居(ゐ)る。
225タル『ヤア、226此奴(こいつ)ア大変(たいへん)だ。227御(お)得意先(とくいさき)が火事(くわじ)にでも会(あ)ふやうな事(こと)があれば、228俺(おれ)等(たち)の懐(ふところ)に大影響(だいえいきやう)を来(きた)す所(ところ)だ。229そして日頃(ひごろ)お出入(でいり)の情誼(じやうぎ)として火事(くわじ)見舞(みまひ)に行(ゆ)かねばなるまい。230どうやらあの勢(いきほひ)では容易(ようい)に火事(くわじ)もおさまりさうにはないわい。231太子(たいし)様(さま)には済(す)まないが232一(ひと)つ留守(るす)を頼(たの)んで火事(くわじ)見舞(みまひ)に出(で)かけようかな』
233と太(ふと)い杖(つゑ)をつき234大女(おほをんな)の袋(ふくろ)に蹴(け)られて痛(いた)んだ足(あし)をチガチガさせ乍(なが)ら、235離室(はなれ)の茶室(ちやしつ)に入(い)り来(きた)り、
236タルチン『もしもしお二人(ふたり)様(さま)、237タラハン城下(じやうか)は大変(たいへん)な火災(くわさい)が起(おこ)つて居(を)ります。238ここは町(まち)を余程(よほど)離(はな)れてゐますから、239メツタに飛火(とびひ)もしませぬから、240安心(あんしん)で厶(ござ)いますが、241私(わたくし)は一寸(ちよつと)お出入先(でいりさき)へ見舞(みまひ)に行(い)つて参(まゐ)りますから、242どうぞ火事(くわじ)を見物(けんぶつ)し乍(なが)ら留守(るす)をしてゐて下(くだ)さいませ』
243太子(たいし)『成程(なるほど)、244大変(たいへん)な大火事(おほくわじ)と見(み)えるな。245此(この)調子(てうし)では、246どうやら城内(じやうない)も危険(きけん)が迫(せま)る恐(おそ)れがある。247然(しか)し乍(なが)ら余(よ)はここに神妙(しんめう)にスバールと留守(るす)をして居(ゐ)るから、248余(よ)に構(かま)はず行(い)つて来(く)るがいいわ』
249タル『ハイ、250宜(よろ)しうお願(ねが)ひ申(まを)します。251そんなら之(これ)から急(いそ)ぎ見舞(みまひ)に行(い)つて参(まゐ)ります』
252と云(い)ひ乍(なが)ら漿酸(ほうづき)提灯(ちやうちん)をぶらつかせ、253片手(かたて)に杖(つゑ)をつき、254チガチガと泥濘(でいねい)に満(み)ちた悪道(わるみち)を尻(しり)きれになつた下駄(げた)を穿(うが)ち出(いで)て行(ゆ)く。
255太子(たいし)『これ、256スバール、257随分(ずいぶん)壮観(さうくわん)ぢやないか。258余(よ)はまだあんな大(おほ)きな火事(くわじ)を生(うま)れてから見(み)た事(こと)はない。259火事(くわじ)と云(い)ふものは本当(ほんたう)に勇(いさ)ましいものだな』
260ス『仰(おほ)せの如(ごと)く実(じつ)に火事(くわじ)は人気(にんき)のいいものです。261此(この)通(とほ)り地上(ちじやう)に蟻(あり)の這(は)うてゐるのさへもハツキリ見(み)えます。262然(しか)し乍(なが)ら火災(くわさい)にあうた人(ひと)は可愛(かあい)さうぢやありませぬか。263どうか人命(じんめい)に関(くわん)するやうな事(こと)がなければよう厶(ござ)いますがな』
264太子(たいし)『ウン、265さうだな。266どうか無事(ぶじ)にをさまればいいが。267あれあれだんだん火(ひ)が燃(も)え拡(ひろ)がつて来(き)た。268あのスツと高(たか)く白(しろ)く光(ひか)つてゐる壁(かべ)は城内(じやうない)の隅櫓(すみやぐら)だ。269火(ひ)は隅櫓(すみやぐら)を舐(なめ)出(だ)したぢやないか、270こいつア大変(たいへん)だ。271さうして大変(たいへん)な鬨(とき)の声(こゑ)が聞(きこ)えて来(く)る。272余(よ)が城内(じやうない)に帰(かへ)つて居(を)つたならば、2721又(また)何(なん)とか工夫(くふう)したらうに273城内(じやうない)へ飛火(とびひ)がしたりするやうな事(こと)あれば、274忽(たちま)ち俺(おれ)の所在(ありか)を老臣(らうしん)共(ども)が尋(たづ)ねまはるに違(ちが)ひない。275アリナが甘(うま)くやつてくれればいいが、276アヽそれ許(ばか)りが気(き)にかかる』
277と、278うなだれる。
279ス『太子(たいし)様(さま)貴方(あなた)はお心(こころ)が弱(よわ)いぢやありませぬか。280夜前(やぜん)何(なん)と仰有(おつしや)いました、281「お前(まへ)の側(そば)に居(ゐ)るならば、282仮令(たとへ)天(てん)は落(お)ち、2821地(ち)はくだけ283タラハン城(じやう)は焼(や)けおちても敢(あへ)て意(い)に介(かい)せない。284お前(まへ)と俺(おれ)との恋愛(れんあい)さへ、285完全(くわんぜん)に維持(ゐぢ)されたら何(なに)よりの幸(さいはひ)だ。286余(よ)は王位(わうゐ)も富(とみ)も城(しろ)も捨(す)てた」と仰有(おつしや)つたぢやありませぬか。287チツとお落(お)ち付(つ)きなさい。288見(み)つともないぢやありませぬか』
289と大胆(だいたん)不敵(ふてき)の事(こと)を云(い)ふ。290太子(たいし)はスバールの言葉(ことば)に肝(きも)を冷(ひや)し乍(なが)ら、291さあらぬ体(てい)にて、
292太子『アツハヽヽヽ如何(いか)にも尤(もつと)も千万(せんばん)、293火災(くわさい)なんか意(い)に介(かい)するに足(た)らないよ。294サア夜分(やぶん)を幸(さいは)ひ、295お前(まへ)と二人(ふたり)手(て)をひいて郊外(かうぐわい)の散歩(さんぽ)に出(で)かけ296火事(くわじ)の見物(けんぶつ)をしようではないか』
297 警鐘(けいしよう)乱打(らんだ)の声(こゑ)は四方(しはう)八方(はつぱう)より聞(きこ)え、298民衆(みんしう)の叫(さけ)ぶ鬨(とき)の声(こゑ)は鯨波(げいは)の如(ごと)く聞(きこ)え来(きた)りぬ。
299(大正一四・一・六 新一・二九 北村隆光録)
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