霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
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第五章 変装(へんさう)太子(たいし)〔一七二九〕

インフォメーション
著者:出口王仁三郎 巻:霊界物語 第68巻 山河草木 未の巻 篇:第2篇 恋火狼火 よみ(新仮名遣い):れんかろうか
章:第5章 変装太子 よみ(新仮名遣い):へんそうたいし 通し章番号:1729
口述日:1925(大正14)年01月29日(旧01月6日) 口述場所:月光閣 筆録者:加藤明子 校正日: 校正場所: 初版発行日:1926(大正15)年9月30日
概要: 舞台: あらすじ[?]このあらすじはMさん作成です(一部加筆訂正してあります)。一覧表が「王仁DB」にあります。[×閉じる]:
太子は、スバール姫との逢瀬のため、アリナを自分の身代わりにする。太子は労働服を着て城を抜け出し、アリナは太子の錦衣を着て太子の部屋に座り込んだ。アリナは、太子が平民生活を希望するなら、自分が代わりに王位に上ろうか、と独語している。
ところへ、アリナの父、左守が太子に会いにやってくる。妻の命日に、息子を帰宅させようと頼みにやってきたのであった。アリナははっとするが、「アリナは先に帰った」と嘘を言って、その場を切り抜ける。
アリナが、自分の父親さえも騙せた自分の手並みに一人悦にいっているうちに、夜はふけていった。
主な登場人物[?]【セ】はセリフが有る人物、【場】はセリフは無いがその場に居る人物、【名】は名前だけ出て来る人物です。[×閉じる]: 備考: タグ: データ凡例: データ最終更新日:0000-00-00 00:00:00 文字数:5090 OBC :rm6805
愛善世界社版:71頁 八幡書店版:第12輯 176頁 修補版: 校定版:71頁 普及版:69頁 初版: ページ備考:
001 タラハン城(じやう)太子殿(たいしでん)の奥(おく)の間(ま)には、002スダルマン太子(たいし)と、003アリナがいつもの如(ごと)く睦(むつま)しげに首(くび)を鳩(あつ)めて或(ある)秘密(ひみつ)を語(かた)り合(あ)つて居(ゐ)る。
004アリナ『太子(たいし)様(さま)、005昨夜(さくや)は如何(いかが)で厶(ござ)いました。006定(さだ)めてスバール姫(ひめ)様(さま)もお喜(よろこ)び遊(あそ)ばしたでせう』
007 太子(たいし)は稍(やや)頬(ほほ)を染(そ)めながら、008アリナに顔(かほ)を隠(かく)すやうな調子(てうし)で、
009太子(たいし)『いやもう本当(ほんたう)に愉快(ゆくわい)だつた。010人生(じんせい)恋愛(れんあい)の成就(じやうじゆ)した時(とき)位(くらゐ)楽(たの)しいものはない。011余(よ)も生(うま)れかへつたやうな心持(こころもち)がしたよ。012之(これ)と云(い)ふのもお前(まへ)の尽力(じんりよく)の致(いた)す所(ところ)と感謝(かんしや)して居(ゐ)る』
013ア『勿体(もつたい)ない014何(なん)と云(い)ふ事(こと)を仰有(おつしや)いますか。015臣下(しんか)が君(きみ)の為(ため)に、016所有(あらゆる)力(ちから)を尽(つく)すのは当然(あたりまへ)で厶(ござ)います。017併(しか)し乍(なが)らタルチンの家(いへ)は見(み)る影(かげ)もない茅屋(あばらや)で018嘸(さぞ)お窮屈(きうくつ)で厶(ござ)いましたでせう。019九五(きうご)の御(おん)身(み)を以(もつ)て彼(あ)のやうな所(ところ)へお通(かよ)ひ遊(あそ)ばすやうにしたのも020皆(みな)私(わたくし)の不行届(ふゆきとど)きからで厶(ござ)います』
021太(たい)『それだと云(い)つて外(ほか)に姫(ひめ)を匿(かく)す適当(てきたう)の家(いへ)もなし、022お前(まへ)としては力(ちから)一(いつ)ぱい尽(つく)して呉(く)れたのだ。023そんな心遣(こころづかひ)は無用(むよう)だ。024さうしていつも広(ひろ)い館(やかた)で起臥(きぐわ)して居(ゐ)る吾(わが)身(み)は、025あのやうな風流(ふうりう)な茅屋(ばうをく)が大変(たいへん)気(き)に入(い)つたよ。026平民(へいみん)生活(せいくわつ)の味(あぢ)を覚(おぼ)え、027昨日(さくじつ)初(はじ)めて平民(へいみん)の気楽(きらく)な事(こと)や、028何事(なにごと)も大袈裟(おほげさ)でなく簡単(かんたん)に片(かた)づく事(こと)の味(あぢ)を覚(おぼ)え029実(じつ)に有難(ありがた)かつたよ。030初(はじ)めて人間(にんげん)になつたやうな心持(こころもち)がした。031あゝ俺(わし)はなぜこんな身分(みぶん)に生(うま)れて来(き)たのだらう、032門(もん)の出入(でいり)にも仰々(ぎやうぎやう)しい数多(あまた)の衛兵(ゑいへい)に送迎(そうげい)され、033まるきり動物園(どうぶつゑん)の虎(とら)を送(おく)るやうな塩梅(あんばい)式(しき)だ。034出来(でき)る事(こと)なら035お前(まへ)と俺(わし)と地位(ちゐ)を代(かは)つて欲(ほ)しいものだ』
036ア『左様(さやう)に思召(おぼしめ)すのも御(ご)無理(むり)は厶(ござ)いませぬ。037御(ご)窮屈(きうくつ)の御(ご)境遇(きやうぐう)察(さつ)し奉(たてまつ)ります。038併(しか)し乍(なが)ら、039殿下(でんか)はタラハン国(ごく)の君主(きみ)たるべく040使命(しめい)をもつて、0401天(てん)よりお降(くだ)り遊(あそ)ばした神(かみ)の御子(みこ)で厶(ござ)いますから、041是(これ)許(ばか)りはどうする事(こと)も出来(でき)ませぬ。042夫(それ)故(ゆゑ)私(わたくし)は能(あた)ふ限(かぎ)り殿下(でんか)の御(ご)自由(じいう)になるやうと務(つと)めて居(を)るので厶(ござ)います』
043太(たい)『実(じつ)はアリナよ、044お前(まへ)に折入(をりい)つての頼(たの)みがある。045何(なん)と聞(き)いては呉(く)れまいかなア。046余(よ)が一生(いつしやう)の願(ねが)ひだから』
047ア『父祖(ふそ)代々(だいだい)厚恩(こうおん)を受(う)けた私(わたくし)の身(み)の上(うへ)、048如何(いか)なる事(こと)でも身命(しんめい)を賭(と)して承(うけたま)はりませう』
049太(たい)『早速(さつそく)の承知(しようち)満足(まんぞく)に思(おも)ふ。050実(じつ)はアリナ051お前(まへ)が俺(わし)に変装(へんさう)して暫(しばら)く此(この)殿内(でんない)に納(をさ)まつて居(ゐ)て貰(もら)ひ度(た)いのだ』
052ア『成程(なるほど)、053妙案(めうあん)で厶(ござ)いますな。054私(わたくし)を替玉(かへだま)にしておいて殿下(でんか)は姫(ひめ)様(さま)の匿家(かくれが)へお通(かよ)ひ遊(あそ)ばすと云(い)ふ御(ご)考案(かうあん)ですか。055半日(はんにち)や一(いち)日(にち)位(ぐらゐ)は化(ば)け通(とほ)す事(こと)が出来(でき)るでせう。056併(しか)し長(なが)くなりますと化狐(ばけぎつね)の尻尾(しつぽ)が見(み)えますから』
057太(たい)『ハヽヽヽヽ。058化狐(ばけぎつね)か化狸(ばけだぬき)か知(し)らぬが、059お前(まへ)の顔(かほ)は余(よ)に生写(いきうつ)しと云(い)ふ事(こと)だから、060瓦(かはら)を金(きん)に化(くわ)したやうな事(こと)もあるまい。061どうか頼(たの)むよ』
062ア『殿下(でんか)の仰(おほ)せなれば如何(いか)なる事(こと)でも謹(つつし)んでお受(う)け致(いた)しますが、063金玉(きんぎよく)の御(おん)身(み)に化(ば)け済(す)ました所(ところ)で、064塗(ぬ)つた金箔(きんぱく)は直(すぐ)に剥(は)げて仕舞(しま)ひますから、065是(こ)れは私(わたくし)に取(と)つて随分(ずいぶん)重大(ぢうだい)な役目(やくめ)で厶(ござ)います。066私(わたくし)も今日(けふ)一(いち)日(にち)か半日(はんにち)か、067仮(かり)に殿下(でんか)となつて太子(たいし)気分(きぶん)を味(あぢ)はつて見(み)ませう。068殿下(でんか)は暫(しばら)く平民(へいみん)気分(きぶん)を味(あぢ)はつて御覧(ごらん)なさいませ』
069太(たい)『アヽ面白(おもしろ)い、070どうか頼(たの)むよ。071今日(けふ)の夕方(ゆふがた)から薄暗(うすやみ)に紛(まぎ)れて頬被(ほほかむり)をグツスリとなし、072労働服(らうどうふく)でも纏(まと)うて鼻歌(はなうた)でも謡(うた)ひ出(で)かけて見(み)よう。073どうか其(その)服(ふく)をそつと調達(てうたつ)しておいては呉(く)れまいか』
074ア『かかる御(ご)用命(ようめい)は必(かなら)ず下(くだ)るべきものと存(ぞん)じまして、075ちやんと用意(ようい)をしておきました』
076太(たい)『お前(まへ)は労働者(らうどうしや)に知己(ちき)でもあるのか』
077ア『いえ別(べつ)に知己(ちき)と云(い)つてはありませぬが、078横町(よこまち)の古物商(ふるてや)で買(か)つておきました』
079太(たい)『何(なに)から何(なに)迄(まで)抜(ぬ)け目(め)のない男(をとこ)だな、080アツハヽヽヽヽ』
081ア『私(わたくし)も亦(また)女(をんな)と云(い)ふものの肌(はだ)は存(ぞん)じませぬが、082殿下(でんか)に於(お)かせられてもお初(はつ)の様(やう)に伺(うかが)ひます。083如何(いかが)で厶(ござ)いました。084随分(ずいぶん)趣味(しゆみ)津々(しんしん)たるものでせうなア』
085太(たい)『趣味(しゆみ)津々(しんしん)どころか086天(てん)も地(ち)もタラハン城(じやう)は云(い)ふも更(さら)なり、087自分(じぶん)の命(いのち)迄(まで)どこかへ吸収(きふしう)されたやうな心持(こころもち)になつたよ。088世(よ)の中(なか)に恋(こひ)と云(い)ふもの位(くらゐ)神聖(しんせい)な尊貴(そんき)なものは有(あ)るまいと思(おも)ふ。089あゝもう耐(たま)らなくなつて来(き)た。090早(はや)く今日(けふ)の日(ひ)が暮(く)れないかなア』
091ア『殿下(でんか)、092余(あま)りぢや厶(ござ)いませぬか。093貴方(あなた)は恋(こひ)の勇者(ゆうしや)、094私(わたくし)は云(い)はば恋(こひ)の敗者(はいしや)否(いな)従僕(じゆうぼく)です。095従僕(じゆうぼく)の前(まへ)でさう惚(のろ)けられては此(この)アリナもやり切(き)れませぬわ、096アツハヽヽヽヽ』
097太(たい)『夫(それ)だと云(い)つて「どんな塩梅(あんばい)だつた」などとお前(まへ)の方(はう)から余(よ)の情緒(じやうちよ)を引(ひ)きずり出(だ)さうとするものだから098恋(こひ)には脆(もろ)き余(よ)の魂(たましひ)は知(し)らず知(し)らずに浮(う)いて出(で)たのだ。099あゝアリナ100もう余(よ)は耐(た)へ切(き)れなくなつて来(き)たよ』
101ア『大変(たいへん)お気(き)に召(め)したやうですが、102私(わたくし)は一(ひと)つ心配(しんぱい)が殖(ふ)えて来(き)たやうです。103殿下(でんか)が神聖(しんせい)な恋愛(れんあい)に魂(たましひ)を傾注(けいちう)されるのは大変(たいへん)結構(けつこう)では有(あ)りますが、104それが為(ため)に王家(わうけ)を忘(わす)れ、105或(あるひ)は平民(へいみん)にならうなどの野心(やしん)を起(おこ)されては、106お取持(とりもち)をしたこのアリナは王家(わうけ)に対(たい)し国家(こくか)に対(たい)し、107死(し)をもつて詫(わび)ても及(およ)ばないやうな罪(つみ)になりますから、108そこは余(あま)り熱(ねつ)せないやう程々(ほどほど)に恋(こひ)を味(あぢ)はつて頂(いただ)き度(た)いものです』
109太(たい)『王家(わうけ)は王家(わうけ)、110国家(こくか)は国家(こくか)だ。111王家(わうけ)や国家(こくか)と恋愛(れんあい)とを混同(こんどう)して貰(もら)つては困(こま)るよ。112余(よ)が王位(わうゐ)に上(のぼ)れば国(くに)の父(ちち)として万機(ばんき)の政治(せいぢ)を総攪(そうらん)し、113又(また)恋愛(れんあい)としては上下(じやうげ)の障壁(しやうへき)を撤廃(てつぱい)し、114天成(てんせい)の意志(いし)によつて思(おも)ふ存分(ぞんぶん)愛(あい)の情味(じやうみ)を味(あぢ)はふ積(つも)りだ』
115ア『殿下(でんか)がそこ迄(まで)お打(う)ち込(こ)み遊(あそば)した上(うへ)は116到底(たうてい)私(わたくし)の言葉(ことば)は今(いま)の所(ところ)耳(みみ)にはお留(と)め下(くだ)さいますまい。117水(みづ)の出端(でばな)、118火(ひ)の燃(も)え盛(さか)りは、119鬼神(きしん)と雖(いへど)も是(これ)を制止(せいし)する事(こと)は出来(でき)ぬとの事(こと)。120暫(しばら)く猛烈(まうれつ)な殿下(でんか)の情炎(じやうえん)が稍(やや)下火(したび)になる迄(まで)何事(なにごと)も申上(まをしあげ)ますまい』
121太(たい)『やア有難(ありがた)い、122それが余(よ)に対(たい)しての忠義(ちうぎ)だ。123余(よ)と雖(いへど)も決(けつ)して魂(たましひ)は腐(くさ)つて居(ゐ)ないから、124王家(わうけ)や国家(こくか)を捨(す)てるやうな事(こと)はしないから安心(あんしん)して呉(く)れ』
125ア『其(その)お言葉(ことば)を承(うけたま)はり、126些(すこ)しく胸(むね)が落(お)ち付(つ)きました。127どうか充分(じゆうぶん)に注意(ちうい)を払(はら)つて完全(くわんぜん)に恋(こひ)をお遂(と)げ遊(あそば)しませ』
128太(たい)『未(ま)だ日(ひ)が暮(く)れないのかな。129アヽどうして今日(けふ)は又(また)これ程(ほど)日(ひ)が長(なが)いのだらう。130一日(いちじつ)千秋(せんしう)の思(おも)ひとはよく云(い)つたものだ。131やつぱり聖人(せいじん)は嘘(うそ)を云(い)はないなア』
132ア『まだ八(や)つ時(どき)で厶(ござ)います。133夕暮(ゆふぐれ)迄(まで)には二時(ふたとき)余(あま)りも厶(ござ)いますから、134御悠(ごゆつく)りなさいませ』
135太(たい)『どうも、136じつとしては居(を)られないやうだ。137余(よ)が魂(たましひ)は向日(むかひ)の森(もり)の茶坊主(ちやばうず)の館(やかた)を既(すで)に已(すで)に訪問(はうもん)して居(ゐ)るやうだ。138エヽもう耐(たま)らない労働服(らうどうふく)を貸(か)して呉(く)れ』
139ア『夫(そ)れはお易(やす)い御用(ごよう)で厶(ござ)いますが、140さうお急(せ)きになつても昼(ひる)の内(うち)は人目(ひとめ)にかかる恐(おそ)れが有(あ)ります。141どうして此(この)門(もん)をお潜(くぐ)り遊(あそ)ばしますか』
142太(たい)『アツハヽヽヽ、143そんな心配(しんぱい)はして呉(く)れな。144今日(けふ)も早朝(さうてう)から裏(うら)の高壁(たかべい)を飛(と)び越(こ)える稽古(けいこ)をしておいた。145精神(せいしん)一到(いつたう)何事(なにごと)か成(な)らざらむやだ。146表門(おもてもん)や裏門(うらもん)は衛士(ゑいし)が立(た)つてゐるから、147余(よ)は適当(てきたう)な148人目(ひとめ)にかからない所(ところ)から逃(にげ)出(だ)す積(つも)りだ』
149ア『万々一(まんまんいち)お怪我(けが)でもあつては大変(たいへん)で厶(ござ)いますから、150もう暫(しばら)くの中(うち)お待(ま)ちを願(ねが)ひ度(た)いものです』
151太(たい)『や、152今日(けふ)だけは自由(じいう)に任(まか)して呉(く)れ。153暗雲(やみくも)飛(と)び乗(の)りの芸当(げいたう)も恋(こひ)の為(た)めには止(や)むを得(え)まい。154アヽ、155スバール姫(ひめ)はどうして居(ゐ)るだらう。156きつと白(しろ)い首(くび)を延(の)ばして余(よ)の行(ゆ)く姿(すがた)を157今(いま)か今(いま)かと窓(まど)を開(あ)けて覗(のぞ)いて居(ゐ)るだらう。158アヽ可愛(かあい)いものだ。159……オイ、160スバール161今(いま)行(ゆ)くから待(ま)つて呉(く)れ。162きつと余(よ)は其方(そなた)を見捨(みす)てるやうな事(こと)はしない。163「永久(えいきう)に永久(えいきう)にミロクの世(よ)迄(まで)お前(まへ)を愛(あい)する」と云(い)つた事(こと)は滅多(めつた)に反古(ほご)にはしないよ』
164 アリナは頭(あたま)を掻(か)き乍(なが)ら、
165ア『もし殿下(でんか)余(あま)りぢや厶(ござ)いませぬか。166何(なに)程(ほど)貴方(あなた)のお声(こゑ)でも向日(むかひ)の森(もり)迄(まで)は届(とど)きませぬよ。167そして私(わたくし)の前(まへ)でお惚(のろ)けをたつぷりお聞(き)かせ下(くだ)さるとは、168些(ちつ)と殺生(せつしやう)ぢや厶(ござ)いませぬか。169青春(せいしゆん)の血(ち)に燃(も)ゆる私(わたくし)の心(こころ)も170些(ちつ)とは察(さつ)して頂(いただ)き度(た)いもので厶(ござ)いますなア』
171太(たい)『ウン、172それや察(さつ)して居(ゐ)るよ。173そんな事(こと)に粋(すゐ)の利(き)かないやうな余(よ)ではない。174お前(まへ)も其(その)内(うち)、175どこかでスバールのやうな美人(びじん)を探(たづ)ね出(だ)し、176妻(つま)にしたらよいぢやないか。177ま一度(いちど)178どこかの山(やま)へ来月(らいげつ)あたり遊(あそ)びに行(い)つて見(み)ようか。179又(また)あんな美人(びじん)に遇(あ)ふかも知(し)れない』
180ア『殿下(でんか)もう沢山(たくさん)です。181私(わたくし)は神妙(しんめう)に御(ご)名代(みやうだい)を務(つと)めて居(を)りますから、182殿下(でんか)は変装(へんさう)遊(あそ)ばして思(おも)ひ切(き)つてお出(いで)なさいませ。183些(すこ)し夕暮(ゆふぐれ)には早(はや)う厶(ござ)いますが、184恋愛(れんあい)の神(かみ)のお守(まも)りが有(あ)れば、185人目(ひとめ)にかからず安全(あんぜん)に姫(ひめ)様(さま)のお傍(そば)に行(ゆ)かれるでせう。186サア労働服(らうどうふく)を着(き)る事(こと)を教(をし)へて上(あ)げませう。187早(はや)く錦衣(きんい)をお脱(ぬ)ぎなさいませ』
188 太子(たいし)はアリナの言葉(ことば)に得(え)たり賢(かしこ)しと無雑作(むざふさ)に錦衣(きんい)を脱(ぬ)ぎ捨(す)て、189真裸体(まつぱだか)となつて仕舞(しま)つた。190アリナは持(も)つて来(き)た自分(じぶん)の大(おほ)トランクから労働服(らうどうふく)を取(と)り出(だ)し太子(たいし)に着(き)せた。191太子(たいし)はニコニコしながら、
192太(たい)『オイ、193アリナ、194どうだ、195労働者(らうどうしや)として似合(にあ)ふかな』
196ア『如何(いか)にもよく似合(にあ)ひますよ。197金看板(きんかんばん)付(づ)きの労働者(らうどうしや)に見(み)えますよ。198殿下(でんか)はお徳(とく)が高(たか)いから、199どんな衣裳(いしやう)をお召(め)しになつても本当(ほんたう)によく似合(にあ)ひます。200労働者(らうどうしや)としても実(じつ)に立派(りつぱ)なものですわ。201それではスバール姫(ひめ)様(さま)がゾツコン恋慕(れんぼ)遊(あそ)ばすのも無理(むり)は厶(ござ)いませぬ』
202太(たい)『一層(いつそう)の事(こと)、203此(この)衣裳(いしやう)は末代(まつだい)放(はな)したくない。204労働者(らうどうしや)となつて九尺(くしやく)二間(にけん)の裏長屋(うらながや)で、205姫(ひめ)を世話(せわ)女房(にようばう)として、206一(ひと)つ簡易(かんい)生活(せいくわつ)でも送(おく)つて見(み)たいものだなア、207アツハヽヽヽ。208オイ、209アリナ、210後(あと)を頼(たの)むよ』
211と云(い)ふより早(はや)く身軽(みがる)になつたのを幸(さいは)ひ、212頬被(ほほかむり)をグツスリとしながら猿(ましら)の如(ごと)く高壁(たかかべ)を乗(の)り越(こ)へ213深(ふか)い堀(ほり)を巧(たくみ)に飛(と)び越(こ)して、214城(しろ)の馬場(ばんば)の密林(みつりん)の中(なか)へ姿(すがた)を隠(かく)して了(しま)つた。215後(あと)にアリナは茫然(ばうぜん)として溜息(ためいき)をつき、
216ア『アヽ困(こま)つた事(こと)が出来(でき)て来(き)たものだわい。217どうか無事(ぶじ)に茶坊主(ちやばうず)の屋敷(やしき)迄(まで)お着(つ)き遊(あそ)ばせばよいがなア。218アヽ是(これ)から生(うま)れてから一度(いちど)も着(き)た事(こと)もない錦衣(きんい)を身(み)に纏(まと)ひ219明日(あす)の朝(あさ)迄(まで)太子(たいし)となり済(す)ましてやらうか』
220と錦衣(きんい)を纏(まと)ひ自分(じぶん)の着物(きもの)をトランクの中(なか)に納(をさ)め、221わざと物々(ものもの)しく簾(みす)をさげ、222桐(きり)の火鉢(ひばち)を前(まへ)に置(お)き沢山(たくさん)の坐布団(ざぶとん)を敷(し)き、223バイの化物然(ばけものぜん)と澄(す)まし込(こ)んで見(み)た。
224ア『何(なん)とまア猿(さる)にも衣裳(いしやう)とか云(い)つて、225よく似合(にあ)うものだなア。226どれ一(ひと)つ227次(つぎ)の間(ま)で鏡(かがみ)でも見(み)て来(こ)う』
228と云(い)ひ乍(なが)ら、229つと立(た)つて鏡(かがみ)の間(ま)に入(い)り独語(ひとりごと)、
230『ヤア吾(われ)乍(なが)ら見紛(みまが)ふ許(ばか)り太子(たいし)に能(よ)く似(に)て居(ゐ)るわい。231これなら一生(いつしやう)化(ば)け済(す)ました所(ところ)で232滅多(めつた)に尻尾(しつぽ)を捉(つか)まる事(こと)はない。233太子(たいし)様(さま)は平民(へいみん)生活(せいくわつ)がお好(す)きなり、234自分(じぶん)も同様(どうやう)だが、235併(しか)し人間(にんげん)と生(うま)れて一度(いちど)は王位(わうゐ)に上(のぼ)つて見(み)るも男(をとこ)らしい仕事(しごと)だ。236太子(たいし)が永遠(えいゑん)に代(かは)つて欲(ほ)しいと仰有(おつしや)つたら太子(たいし)の為(ため)だ、237代(かは)つてもあげよう。238又(また)自分(じぶん)の為(ため)にも栄誉(えいよ)だ。239併(しか)し乍(なが)ら大王(だいわう)殿下(でんか)や父(ちち)の左守(さもり)や其(その)他(た)重臣(ぢうしん)共(ども)の目(め)を甘(うま)く晦(くら)ます事(こと)が出来(でき)ようかなア。240暗雲(やみくも)飛(と)び乗(の)りの芸当(げいたう)とは所謂(いはゆる)この事(こと)だ。241太子(たいし)は危険(きけん)ををかして恋愛(れんあい)の充実(じゆうじつ)を遂(と)げ、242此(こ)のアリナは又(また)大危険(だいきけん)を犯(をか)して王位(わうゐ)に上(のぼ)らむとするのだ。243徳川(とくがは)天一坊(てんいちばう)も真裸足(まつぱだし)で逃(に)げるだらう、244アツハヽヽヽ。245いや併(しか)し246何時(いつ)老臣(らうしん)共(ども)が御(ご)機嫌(きげん)伺(うかが)ひに来(く)るかも知(し)れない。247どれ、248太子(たいし)の玉座(ぎよくざ)に澄(す)まし込(こ)んで居(を)らねばなるまい』
249と又(また)もや鏡(かがみ)の間(ま)を立(た)ち出(い)でて、250太子(たいし)の居間(ゐま)に何(なに)喰(く)はぬ顔(かほ)して坐(すわ)り込(こ)んだ。251そこへ奥女中(おくぢよちう)の案内(あんない)で252父(ちち)の左守(さもり)が太子(たいし)の御(ご)機嫌(きげん)伺(うかが)ひと称(しよう)し訪(たづ)ねて来(き)た。253左守(さもり)はポンポンと二拍手(にはくしゆ)しながら低頭(ていとう)平身(へいしん)し、
254左(さ)『エヽ老臣(らうしん)左守(さもり)255謹(つつし)んで殿下(でんか)の御(ご)機嫌(きげん)を伺(うかが)ひ奉(たてまつ)ります。256父(ちち)大王(だいわう)様(さま)にも御(お)変(かは)らせなく御(ご)政務(せいむ)を臠(みそな)はせたまふこと大慶(たいけい)至極(しごく)に存(ぞん)じ奉(たてまつ)ります。257畏(おそ)れ乍(なが)ら殿下(でんか)に、258老臣(らうしん)として王家(わうけ)の為(た)めに一応(いちおう)申(まをし)上(あげ)ますが、259臣(しん)の悴(せがれ)アリナなるもの余(あま)り殿下(でんか)の御(ご)寵愛(ちようあい)に溺(おぼ)れ260親(おや)を親(おや)とも思(おも)はず、261悪言(あくげん)暴語(ばうご)を放(はな)ち、262デモクラシーだとか、263共産(きやうさん)主義(しゆぎ)だとか訳(わけ)の解(わか)らぬ事(こと)を申(まをし)て、264此(この)父(ちち)を手古擦(てこず)らせます。265それに此(この)頃(ごろ)は殿下(でんか)のお傍(そば)に御用(ごよう)なりと申(まを)し、266一度(いちど)も吾(わが)館(やかた)へ帰(かへ)つて参(まゐ)りませぬ。267どうか今晩(こんばん)は亡妻(ばうさい)の命日(めいにち)で厶(ござ)いますれば、268霊前(れいぜん)に参拝(さんぱい)させ度(た)く思(おも)ひますれば、269どうか明朝(みやうてう)迄(まで)お暇(ひま)をお遣(つか)はし下(くだ)さいませ。270折(を)り入(い)つてお願(ねが)ひに参(まゐ)りました』
271 アリナはハツと胸(むね)を轟(とどろ)かせ、272俄(にはか)に顔色(がんしよく)青(あを)ざめ唇(くちびる)さえビリビリと慄(ふる)ひ出(だ)したが273遉(さすが)の横着物(わうちやくもの)。274臍下(さいか)丹田(たんでん)にグツと息(いき)を詰(つ)め、275大胆(だいたん)至極(しごく)にも初(はじ)めて太子(たいし)の口真似(くちまね)をやり出(だ)した。
276ア『やア其(その)方(はう)は老臣(らうしん)左守(さもり)で厶(ござ)るか。277老体(らうたい)の身(み)をもつて好(よ)くも入内(にふだい)致(いた)した。278余(よ)は満足(まんぞく)に思(おも)ふぞ。279汝(なんぢ)の申(まを)す通(とほ)り父(ちち)は極(きは)めて健全(けんぜん)に政務(せいむ)を臠(みそなは)すによつて、280必(かなら)ず必(かなら)ず心痛(しんつう)致(いた)すな。281もはや夜間(やかん)の事(こと)でもあり、282余(よ)は少(すこ)し研究(けんきう)したい事(こと)もあれば、283一(いち)時(じ)も早(はや)く此(この)場(ば)を退却(たいきやく)せよ。284又(また)明日(あす)面会(めんくわい)を許(ゆる)すであらう』
285左(さ)『恐(おそ)れ乍(なが)ら殿下(でんか)の仰(おほ)せを否(いな)むでは厶(ござ)りませぬが、286如何(いか)なる御用(ごよう)が厶(ござ)いませうとも、287今晩(こんばん)だけはアリナをおかへし下(くだ)さいませ』
288ア『其(その)アリナは二時(ふたとき)以前(いぜん)父(ちち)の館(やかた)に帰(かへ)ると申(まをし)て出(で)ていつた。289察(さつ)する所(ところ)汝(なんぢ)と途中(とちう)で入(い)れ違(ちが)ひになつたのであらう』
290左(さ)『アヽ、291左様(さやう)で厶(ござ)いましたか、292これは失礼(しつれい)な事(こと)を申(まをし)上(あげ)ました。293それでは老臣(らうしん)も急(いそ)ぎ帰宅(きたく)を致(いた)しませう、294御免(ごめん)下(くだ)さいませ』
295と云(い)ひ乍(なが)ら倉皇(さうくわう)として奥女中(おくぢよちう)に手(て)を引(ひ)かれながら下(くだ)り行(ゆ)く。296後(あと)見送(みおく)つてアリナはホツと一息(ひといき)つきながら、
297ア『アヽ、298地獄(ぢごく)の上(うへ)の一足飛(いつそくとび)だつた。299併(しか)し乍(なが)ら暗雲(やみくも)飛(と)び乗(の)りの第一線(だいいつせん)を突破(とつぱ)したやうなものだ。300現在(げんざい)の悴(せがれ)を殿下(でんか)と間違(まちが)へ帰(かへ)るやうだからもう大丈夫(だいぢやうぶ)だ。301彼(あ)の抜目(ぬけめ)のない狸爺(たぬきおやぢ)が吾(わが)正体(しやうたい)を看破(かんぱ)する事(こと)が出来(でき)ない迄(まで)巧(たくみ)に化(ば)け済(す)ましたのも全(まつた)く天(てん)の御(ご)保護(ほご)だ。302だがも一(ひと)つの難関(なんくわん)は大王(だいわう)様(さま)のお見(み)えになつた時(とき)だ。303エヽ取越(とりこし)苦労(くらう)は禁物(きんもつ)だ。304まア其(その)時(とき)は又(また)其(その)時(とき)の風(かぜ)が吹(ふ)くだらう。305あゝ愉快(ゆくわい)々々(ゆくわい)。306もう何(なん)だかタラハン国(ごく)の国王(こくわう)になつたやうな気(き)がする。307イツヒヽヽヽ』
308と大胆(だいたん)不敵(ふてき)にも会心(くわいしん)の笑(ゑみ)を漏(も)らして居(ゐ)る。
309 夜(よる)の帳(とばり)は下(お)ろされて310間毎(まごと)々々(まごと)に銀燭(ぎんしよく)の火(ひ)が瞬(またた)き出(だ)した。
311(大正一四・一・六 新一・二九 於月光閣 加藤明子録)
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