霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
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第一四章 会者(ゑしや)浄離(じやうり)〔一七三八〕

インフォメーション
著者:出口王仁三郎 巻:霊界物語 第68巻 山河草木 未の巻 篇:第4篇 月光徹雲 よみ(新仮名遣い):げっこうてつうん
章:第14章 会者浄離 よみ(新仮名遣い):えしゃじょうり 通し章番号:1738
口述日:1925(大正14)年01月30日(旧01月7日) 口述場所:月光閣 筆録者:加藤明子 校正日: 校正場所: 初版発行日:1926(大正15)年9月30日
概要: 舞台: あらすじ[?]このあらすじはMさん作成です(一部加筆訂正してあります)。一部の章はAIによって要約を作成しています。[×閉じる]:
太子とスバール姫は、山奥の古寺に隠れ住み、国家を打ち捨て、恋愛至上主義の生活をしていた。
そこへ、みすぼらしい比丘姿のアリナが通りかかり、三人は再会する。
太子はアリナに、城に戻り、自分に代わって将来のタラハン国を担うよう勧めるが、アリナは政治欲・情欲から離れ、一生を雲水として過ごす覚悟を決めたと、太子に決心を伝える。
アリナはタラハン国の罪穢れの清めを歌い願いつつ、太子とスバール姫のもとを去っていく。
主な登場人物[?]【セ】はセリフが有る人物、【場】はセリフは無いがその場に居る人物、【名】は名前だけ出て来る人物です。[×閉じる]: 備考: タグ: データ凡例: データ最終更新日:2026-09-12 19:34:28 文字数:4327 OBC :rm6814
愛善世界社版:189頁 八幡書店版:第12輯 221頁 修補版: 校定版:191頁 普及版:69頁 初版: ページ備考:
001 青春(せいしゆん)の血(ち)に燃(も)ゆる若(わか)き男女(だんぢよ)に取(と)つては002恋愛(れんあい)なるものは実(じつ)に生命(せいめい)の源泉(げんせん)である。003恋愛熱(れんあいねつ)の高潮(かうてう)した時(とき)は、004倫理(りんり)道徳(だうとく)の覊絆(きはん)を脱(だつ)し理智(りち)を捨(す)て、005富貴(ふうき)何物(なにもの)ぞ、006名誉(めいよ)何物(なにもの)ぞ、007尚(なほ)も進(すす)んでは親(おや)兄弟(きやうだい)を忘(わす)れ、008朋友(ほういう)知己(ちき)を忘(わす)るるに至(いた)る。009然(しか)し乍(なが)ら恋愛(れんあい)其(その)ものより見(み)る時(とき)は、010理智(りち)や道徳(だうとく)の範囲内(はんゐない)に入(い)る事(こと)は出来(でき)ぬ。011どこ迄(まで)も拡大性(くわくだいせい)を帯(お)び、012且(か)つ流通性(りうつうせい)を備(そな)へて居(ゐ)る。013もし理智(りち)を加味(かみ)した恋愛(れんあい)ならば、014恋愛(れんあい)其(その)者(もの)の生命(せいめい)は既(すで)に已(すで)に滅亡(めつぼう)して居(ゐ)るのである。015実(げ)にやタラハン国(ごく)のスダルマン太子(たいし)は、016尊貴(そんき)の家(いへ)に生(うま)れ九五(きうご)の位(くらゐ)に上(のぼ)るべき身(み)でありながら、017今年(ことし)十五(じふご)の春(はる)を迎(むか)へた山奥(やまおく)育(そだ)ちの乙女(をとめ)に満身(まんしん)の心血(しんけつ)を注(そそ)ぎ、018十二分(じふにぶん)に恋(こひ)を味(あぢ)ははむとして国家(こくか)の危急(ききふ)を忘(わす)れ、019父(ちち)が瀕死(ひんし)の状態(じやうたい)に陥(おちい)りつつ有(あ)る事(こと)も見捨(みす)てて、020大原山(おほはらやま)の谷間(たにあひ)に古(ふる)くより立(た)てる破(やぶ)れ寺(でら)に落(お)ち延(の)び、021密(ひそ)かに恋(こひ)を味(あぢ)はつて居(ゐ)る。022左守(さもり)の悴(せがれ)アリナは太子(たいし)の品行(ひんかう)を乱(みだ)したる大罪人(だいざいにん)として、023逮捕(たいほ)命令(めいれい)を出(だ)されたる蔭裡(かげうら)の身(み)、024遉(さすが)に繁華(はんくわ)な都大路(みやこおほぢ)にも住(す)み兼(か)ね比丘(びく)の姿(すがた)に身(み)を窶(やつ)し、025昼(ひる)は山林(さんりん)に伏(ふ)し、026夜(よ)はトボトボと野路(のぢ)を伝(つた)うて、027広(ひろ)い世界(せかい)に吾(わが)身(み)一(ひと)つの置(お)き所(どころ)もなく彷徨(さまよ)ひ廻(まは)りしが、028辛(から)うじて大原山(おほはらやま)の谷間(たにあひ)の古(ふる)ぼけた破(やぶ)れ寺(でら)に一夜(いちや)の宿(やど)を過(すご)さむと立(た)ち寄(よ)り見(み)れば、029本堂(ほんだう)の須弥壇(しゆみだん)の後(うしろ)に若(わか)き男女(だんぢよ)の囁(ささや)き声(ごゑ)、030傷(きず)もつ足(あし)のアリナは暫(しば)し佇(たたず)み息(いき)を凝(こ)らして内(うち)の様子(やうす)を考(かんが)へてゐた。031因(ちなみ)に云(い)ふ、032彼(かれ)アリナは殿中(でんちう)を逃(にげ)出(だ)す時(とき)、033最愛(さいあい)のシノブに囁(ささや)いて云(い)ふ、
034アリナ『余(よ)は是(これ)より少時(しばし)の間(あひだ)大宮山(おほみややま)の盤古(ばんこ)神王(しんのう)の社(やしろ)の中(なか)に潜伏(せんぷく)し、035世(よ)の中(なか)の稍(やや)治(をさ)まるをまつて帰(かへ)り来(きた)るべければ、036汝(なんぢ)はどこ迄(まで)もこの殿中(でんちう)を離(はな)れな』
037と告(つ)げておいた。038シノブはそれ故(ゆゑ)アリナは依然(いぜん)として、039大宮山(おほみややま)の社殿(しやでん)の中(なか)に居(ゐ)るものとのみ信(しん)じて居(ゐ)たのである。040彼(かれ)が右守(うもり)の耳(みみ)に囁(ささや)いたのも矢張(やはり)これである。
041○
042スバール『太子(たいし)様(さま)、043貴方(あなた)どこ迄(まで)も妾(わらは)を見捨(みす)てず愛(あい)して下(くだ)さるでせうなア』
044太子(たいし)『ハヽヽヽ。045そんな心配(しんぱい)はして呉(く)れな。046お前(まへ)との恋愛(れんあい)を遂(と)げむが為(た)めに、047太子(たいし)の位(くらゐ)迄(まで)捨(す)ててこんな所(ところ)へ匿(かく)れてゐるのぢやないか。048お父(とう)様(さま)は御(ご)大病(たいびやう)、049何時(いつ)御(ご)昇天(しようてん)遊(あそ)ばすかも知(し)れない、050此(この)場合(ばあひ)にも恋(こひ)にはかへられず、051世(よ)の中(なか)の粋(すゐ)を知(し)らぬ人間(にんげん)は定(さだ)めて余(よ)を「不孝(ふかう)ものだ、052馬鹿者(ばかもの)だ、053腰抜(こしぬ)け男(をとこ)だ」と笑(わら)つて居(ゐ)るだらう。054何(なに)程(ほど)笑(わら)はれてもお前(まへ)の愛(あい)には換(か)へられないのだ』
055ス『殿下(でんか)が其(その)お心(こころ)なら妾(わらは)はどこ迄(まで)も貴方(あなた)に貞操(ていさう)を捧(ささ)げます。056仮令(たとへ)野(の)の末(すゑ)深山(みやま)の奥(おく)、057猛獣(まうじう)毒蛇(どくじや)の棲処(すみか)でも殿下(でんか)と共(とも)に苦労(くらう)をするのなら些(すこ)しも厭(いと)ひませぬ。058山奥(やまおく)の生活(せいくわつ)に慣(な)れた妾(わらは)で厶(ござ)いますれば、059木(き)の実(み)を漁(あさ)り芋(いも)を掘(ほ)つてでもきつと殿下(でんか)を養(やしな)ひまする。060どうぞ御(ご)安心(あんしん)して下(くだ)さいませ』
061 太子(たいし)はスバールの優(やさ)しき言葉(ことば)に絆(ほだ)されて思(おも)はず知(し)らず落涙(らくるゐ)した。
062ス『いや殿下(でんか)は泣(な)いていらつしやいますの。063妾(わらは)が云(い)つた言葉(ことば)がお気(き)に障(さは)りましたか。064もし障(さは)りましたら065どうか御(ご)容赦(ようしや)下(くだ)さいませ』
066太(たい)『いやいや、067気(き)に障(さは)る所(どころ)か068お前(まへ)の心(こころ)が嬉(うれ)しうて思(おも)はず知(し)らず感謝(かんしや)の涙(なみだ)が迸(ほとばし)つたのだよ』
069ス『エヽ勿体(もつたい)ない事(こと)を仰(おほせ)られますな。070殿下(でんか)の為(た)めならば命(いのち)を捧(ささ)げても満足(まんぞく)で厶(ござ)います。071それにつけても浅倉山(あさくらやま)の谷間(たにあひ)に残(のこ)しておいた父上(ちちうへ)はどうしていらつしやるでせうか。072定(さだ)めて都(みやこ)の大変(たいへん)を聞(き)き、073吾(わが)子(こ)はどうして居(ゐ)るかと、074御(ご)心配(しんぱい)を遊(あそ)ばして厶(ござ)るでせう。075どうか一度(いちど)父(ちち)に廻(めぐ)り会(あ)うて076二人(ふたり)が無事(ぶじ)な所(ところ)を見(み)せたいもので厶(ござ)いますわ』
077太(たい)『お前(まへ)がさう思(おも)ふのも無理(むり)もない。078余(よ)だつて其(その)通(とほ)りだ。079殊(こと)に病気(びやうき)の父(ちち)を、080あの混乱(こんらん)状態(じやうたい)の危(あやふ)い中(なか)に残(のこ)して、081お前(まへ)と此処(ここ)に忍(しの)んで居(ゐ)る心(こころ)はどれだけ苦(くる)しいか。082スバール、083私(わし)の心(こころ)も推量(すゐりやう)して呉(く)れ』
084ス『親(おや)も大切(たいせつ)なり085又(また)恋愛(れんあい)も猶(なほ)大切(たいせつ)なり、086此(この)世(よ)の中(なか)は思(おも)ふやうには行(ゆ)かないもので厶(ござ)いますなア』
087太(たい)『山(やま)はさけ海(うみ)はあせなむ世(よ)ありとも
088汝(な)が身(み)を恋(こ)ふる心(こころ)は散(ち)らじ』
089ス『有難(ありがた)し太子(よつぎ)の君(きみ)のみことのり
090わが胸板(むないた)を射抜(いぬ)くやうなる』
091太(たい)『父君(ちちぎみ)の身(み)は思(おも)はぬに有(あ)らねども
092恋(こひ)の覊絆(きづな)に引(ひ)かれてぞ住(す)む』
093ス『恋衣(こひごろも)よしや破(やぶ)るる世(よ)ありとも
094君(きみ)が赤心(まごころ)如何(いか)で忘(わす)れむ』
095太(たい)『よしやよし吾(わが)身(み)は野辺(のべ)に朽(く)つるとも
096照(て)らして行(ゆ)かむ恋(こひ)の暗路(やみぢ)は』
097ス『吾(わが)君(きみ)の情(なさけ)の露(つゆ)に霑(うるほ)ひて
098開(ひら)き初(そ)めけり梅(うめ)の初花(はつはな)』
099太(たい)『野(の)に咲(さ)ける白梅(しらうめ)の花(はな)手折(たを)りつつ
100今日(けふ)山奥(やまおく)に生(い)けて見(み)るかな』
101ス『手折(たを)られて生(い)けたる花(はな)はいつの世(よ)か
102萎(しほ)れむためしあるぞ悲(かな)しき』
103太(たい)『山奥(やまおく)の匂(にほ)へる梅(うめ)を根(ね)こぎして
104都大路(みやこおほぢ)に植(うゑ)つけて見(み)む』
105ス『土埃(つちぼこ)り立(た)つ都路(みやこぢ)は梅(うめ)の花(はな)も
106匂(にほ)ひのあするためしあるべし。
107いつまでも此(この)山奥(やまおく)に植(うゑ)られて
108実(み)を結(むす)ぶなる春(はる)に遇(あ)ひたし』
109太(たい)『恋(こひ)と云(い)ふものの辛(つら)きを今(いま)ぞ知(し)る
110嬉(うれ)し悲(かな)しの中(なか)を隔(へだ)てて』
111ス『嘆(なげ)きつつ又(また)楽(たの)しみつ喜(よろこ)びつ
112恋(こひ)の淵瀬(ふちせ)に浮(う)きつ沈(しづ)みつ』
113太(たい)『恋(こひ)と云(い)ふものに涙(なみだ)のなかりせば
114枯木(かれき)の如(ごと)く淋(さび)しかるらむ』
115ス『遇(あ)ひ見(み)ての後(のち)の心(こころ)は猶更(なほさら)に
116昔(むかし)にまさる恋衣(こひごろも)かな』
117太(たい)『世(よ)の中(なか)の人(ひと)は何(なん)とも云(い)はば云(い)へ
118不思議(ふしぎ)極(きは)まる恋(こひ)の路芝(みちしば)』
119ス『恋(こひ)の暗(やみ)わけ行(ゆ)く二人(ふたり)の身(み)の果(はて)は
120天津(あまつ)御国(みくに)の住(すま)ゐなるらむ』
121太(たい)『目(ま)の当(あた)り天津(あまつ)御国(みくに)に遊(あそ)ぶなる
122恋(こひ)の広道(ひろみち)進(すす)む吾(われ)なり』
123 アリナは外(そと)より、
124アリナ『吾(わ)が慕(した)ふ太子(よつぎ)の君(きみ)はこの寺(てら)に
125たしかありなと尋(たづ)ね来(き)しかな。
126都路(みやこぢ)の百(もも)の騒(さわ)ぎを余所(よそ)にして
127深山(みやま)の奥(おく)に居(ゐ)ます君(きみ)かな。
128スバールの姫(ひめ)と諸共(もろとも)ましますか
129優(やさ)しき声(こゑ)の吾(わが)耳(みみ)に入(い)る』
130太(たい)『夢現(ゆめうつつ)あこがれ居(ゐ)たりし汝(なれ)の声(こゑ)
131耳(みみ)に入(い)るこそ嬉(うれ)しかりけり。
132村肝(むらきも)の心(こころ)嬉(うれ)しく吾(わが)胸(むね)の
133高鳴(たかな)り如何(いか)に止(と)むるよしなし』
134 太子(たいし)はスバールと共(とも)に須弥壇(しゆみだん)の裏(うら)より表(おもて)に出(い)で、135すつくと立(た)てる比丘(びく)姿(すがた)のアリナを見(み)るより、136吾(われ)を忘(わす)れて駆(か)けより、137堅(かた)く其(その)手(て)を握(にぎ)り涙(なみだ)を腮辺(しへん)に垂(た)らし乍(なが)ら、
138太子(たいし)『ヤア、139アリナ、140よく尋(たづ)ねて来(き)て呉(く)れた。141遇(あ)ひたかつた、142見(み)たかつたぞや』
143アリナ『ヤ殿下(でんか)、144好(よ)くまア無事(ぶじ)で居(ゐ)て下(くだ)さいました。145今(いま)の殿下(でんか)の安全(あんぜん)なる御(ご)様子(やうす)を見(み)て、146私(わたし)は最早(もはや)此(こ)の世(よ)に思(おも)ひの残(のこ)る事(こと)は厶(ござ)いませぬ。147御覧(ごらん)の如(ごと)く私(わたくし)は修験者(しゆげんじや)となり、148世(よ)の中(なか)の一切(いつさい)と断(た)ち、149山(やま)に伏(ふ)し野(の)に寝(い)ね、150一生(いつしやう)を念仏(ねんぶつ)三昧(ざんまい)に送(おく)る考(かんが)へで厶(ござ)います。151一笠(いつりふ)一蓑(いつさ)一杖(いちぢやう)の雲水(うんすい)の身(み)の上(うへ)、152何処(どこ)の並木(なみき)の肥(こえ)にならうやら、153再(ふたた)び殿下(でんか)の御(ご)壮健(さうけん)のお顔(かほ)を見(み)る事(こと)が出来(でき)ますやら、154味気(あぢき)なき浮世(うきよ)で厶(ござ)いますれば、155何事(なにごと)も因縁(いんねん)づくだと諦(あきら)め156どうか私(わたし)にお暇(ひま)を下(くだ)さいませ。157そして殿下(でんか)はスバール姫(ひめ)様(さま)と末永(すゑなが)く恋(こひ)を味(あぢ)はつて頂(いただ)きたう厶(ござ)います』
158 太子(たいし)はほつと一息(ひといき)吐(つ)き乍(なが)ら、159青(あを)醒(ざ)めたる顔(かほ)にて力(ちから)なげにアリナの手(て)を揺(ゆ)すり乍(なが)ら、
160太(たい)『オイ、161アリナ、162も一度(いちど)思(おも)ひ直(なほ)して都(みやこ)に帰(かへ)つて呉(く)れる事(こと)は出来(でき)ないか。163余(よ)は最早(もはや)王位(わうゐ)を捨(す)てて妻(つま)と共(とも)に乞食(こじき)生活(せいくわつ)を送(おく)る決心(けつしん)ではあるが、164其方(そなた)は時勢(じせい)を解(かい)した前途(ぜんと)有望(いうばう)の青年(せいねん)、165今(いま)から修験者(しゆげんじや)となつて朽(く)ち果(は)つるは国家(こくか)の為(た)め惜(を)しい事(こと)だ。166どうか父(ちち)を助(たす)けて再(ふたた)びタラハン城(じやう)の柱石(ちうせき)となり、167余(よ)が意志(いし)を継(つ)いでは呉(く)れまいか』
168 アリナは声(こゑ)を湿(うる)ませ乍(なが)ら、169涙(なみだ)を両眼(りやうがん)にしたたらして、
170アリナ『殿下(でんか)の思召(おぼしめし)は実(じつ)に有難(ありがた)う存(ぞん)じます。171併(しか)し乍(なが)ら最早(もはや)今日(こんにち)の私(わたくし)は刑状(けいじやう)持(もち)で厶(ござ)います。172仮令(たとへ)大赦(たいしや)を蒙(かうむ)つて再(ふたた)び都(みやこ)の地(ち)へ無事(ぶじ)に帰(かへ)りませうとも、173民心(みんしん)を失(うしな)つた父(ちち)左守(さもり)の悴(せがれ)で厶(ござ)いますれば、174どうして国民(こくみん)が私(わたくし)の赤心(まごころ)を認(みと)めて呉(く)れませう。175最早(もはや)私(わたくし)は政治欲(せいぢよく)に放(はな)れました。176そして情欲(じようよく)も断(た)ちました。177雲水(うんすい)を友(とも)として天下(てんか)の民情(みんじやう)を視察(しさつ)し一生(いつしやう)を送(おく)る考(かんが)へで厶(ござ)いますから、178どうか此(この)事(こと)許(ばか)りは仰(おほ)せられないやうにお願(ねが)ひ致(いた)します』
179 太子(たいし)は太(ふと)き吐息(といき)をつき乍(なが)ら、
180太子『あゝ是非(ぜひ)もない。181タラハンの国家(こくか)は最早(もはや)滅亡(めつぼう)したのかなア』
182 スバールはアリナの前(まへ)に進(すす)み出(い)で、183悲嘆(ひたん)の涙(なみだ)にくれながら、
184スバール『アリナ様(さま)、185貴方(あなた)はまア何(なん)と見(み)すぼらしいお姿(すがた)におなり遊(あそ)ばしたのですか、186おいとしう厶(ござ)います』
187アリナ『いや、188是(これ)は是(これ)は姫(ひめ)様(さま)189必(かなら)ず必(かなら)ず御(ご)心配(しんぱい)下(くだ)さいますな。190私(わたくし)の心(こころ)から斯様(かやう)に零落(おちぶれ)たので厶(ござ)います。191今(いま)の境遇(きやうぐう)は私(わたくし)の身(み)にとつて結局(けつきよく)幸福(かうふく)で厶(ござ)います。192一箪(いつたん)の食(しい)一瓢(いつぺう)の飲(いん)、193山水(さんすい)を友(とも)として天下(てんか)を遍歴(へんれき)するのも亦(また)一興(いつきよう)で厶(ござ)います。194どうぞ私(わたくし)の身(み)については御(ご)懸念(けねん)下(くだ)さいますな』
195ス『待(ま)ち詫(わび)し親(した)しき友(とも)と廻(めぐ)り会(あ)ひ
196またも嘆(なげ)きの種(たね)をまくかな。
197如何(いか)にせむ逸(はや)り男(をのこ)の敏心(とごころ)を
198止(とど)めむ力(ちから)の欠(か)けし吾(わが)身(み)は』
199ア『何事(なにごと)も神(かみ)の守(まも)らす世(よ)の中(なか)に
200人(ひと)の思(おも)ひの通(とほ)るべしやは。
201行(ゆ)く雲(くも)の空(そら)を眺(なが)めて折々(をりをり)に
202吾(わが)身(み)の末(すゑ)を偲(しの)び来(き)にけり』
203太(たい)『右(みぎ)左(ひだり)互(たがひ)に袂(たもと)を別(わか)つとも
204魂(たま)は互(たがひ)に添(そ)ひてありけむ』
205ア『有難(ありがた)し忝(かたじけ)なしと拝(をが)むより
206外(ほか)に術(すべ)なき今日(けふ)の吾(われ)かな。
207吾(わが)君(きみ)の貴(うづ)の御心(みこころ)いつもながら
208身(み)に染(し)み渡(わた)り涙(なみだ)こぼるる』
209太(たい)『世(よ)の中(なか)に汝(なれ)とスバール姫(ひめ)おきて
210外(ほか)に力(ちから)と頼(たの)むものなし。
211片腕(かたうで)をもがれし如(ごと)き心地(ここち)して
212今(いま)別(わか)れ行(ゆ)く胸(むね)の苦(くる)しさ』
213ス『如何(いか)にしてアリナの君(きみ)の御心(みこころ)を
214翻(ひるがへ)さむか果敢(はか)なきの世(よ)や』
215ア『姫君(ひめぎみ)よ心(こころ)やすけく思召(おぼしめ)せ
216汝(なれ)には神(かみ)の守(まも)りありせば。
217吾(わが)君(きみ)も汝(なれ)も吾(わが)身(み)も神(かみ)の御子(みこ)
218神(かみ)の捨(す)てさせたまふべしやは。
219いざさらば太子(よつぎ)の御子(みこ)と姫君(ひめぎみ)に
220惜(を)しき袂(たもと)を別(わか)ち行(ゆ)かなむ。
221いつ迄(まで)も安(やす)く健在(まさきく)おはしませ
222神(かみ)の恵(めぐみ)の露(つゆ)に濡(ぬ)れつつ』
223 斯(か)く別(わか)れの歌(うた)を残(のこ)してアリナは又(また)もや法螺貝(ほらがひ)を吹(ふ)き、224山野(さんや)の邪気(じやき)を清(きよ)め乍(なが)ら、225何処(どこ)を当(あて)ともなく山奥(やまおく)さして進(すす)み入(い)る。226後(あと)見送(みおく)つて太子(たいし)、227スバールは大地(だいち)に転(ころ)び伏(ふ)し、
228太子、スバール『オーイオーイ、229アリナよアリナよ、230も一度(いちど)顔(かほ)を見(み)せてたべ』
231と呼(よ)べど叫(さけ)べど法螺(ほら)の音(ね)の響(ひびき)に遮(さへぎ)られて、232二人(ふたり)の声(こゑ)は彼(かれ)の耳(みみ)に入(い)らぬものの如(ごと)く、233後(あと)をも振(ふ)り返(かへ)らず、234足早(あしばや)に密樹(みつじゆ)の蔭(かげ)に姿(すがた)を没(ぼつ)した。235アリナは道々(みちみち)歌(うた)ふ、
236アリナ『雲霧(くもきり)四方(よも)にふさがりて
237黒白(あやめ)も分(わ)かぬ常暗(とこやみ)の
238獣(けもの)の世(よ)とはなりにけり
239朝日(あさひ)は空(そら)に昇(のぼ)れども
240下界(げかい)を照(て)らすよしもなく
241月(つき)は地中(ちちう)に潜(ひそ)めども
242世(よ)をあかすべき術(すべ)もなし
243雲井(くもゐ)の空(そら)は日(ひ)に月(つき)に
244怪(あや)しき星(ほし)の出没(しゆつぼつ)し
245妖邪(えうじや)の空気(くうき)を地(ち)の上(うへ)に
246散布(さんぷ)しながら火(ひ)の雨(あめ)や
247剣(つるぎ)の雨(あめ)を吹(ふ)きおろす
248風(かぜ)の響(ひび)きも何(なん)となく
249滅(ほろ)びの声(こゑ)と聞(きこ)ゆなり
250虎(とら)狼(おほかみ)や獅子(しし)熊(くま)の
251吠(ほえ)猛(たけ)る野(の)を進(すす)み往(ゆ)く
252吾(わが)身(み)は神(かみ)に守(まも)られて
253いや永久(とこしへ)の臥床(ふしど)をば
254求(もと)めて進(すす)む修験者(しうげんじや)
255神(かみ)が此(この)世(よ)にましまさば
256曇(くも)り果(は)てたる世(よ)の中(なか)を
257一度(いちど)は照(て)らさせたまふべし
258如何(いか)に権威(けんゐ)があればとて
259神(かみ)ならぬ身(み)の人草(ひとぐさ)の
260如何(いか)でか此(この)世(よ)が治(をさ)まらむ
261抑(そも)人間(にんげん)は神(かみ)の子(こ)と
262誇(ほこ)りまつれど実際(じつさい)は
263夏(なつ)の草葉(くさば)に宿(やど)りたる
264旭(あさひ)の前(まへ)の露(つゆ)の身(み)ぞ
265永遠(えいゑん)無窮(むきう)の神業(しんげふ)に
266如何(いか)でか仕(つか)へまつるべき
267あゝ惟神(かむながら)々々(かむながら)
268霊(みたま)幸倍(さちはへ)ましませよ
269吾(わが)行(ゆ)く後(あと)のタラハンの
270神(かみ)の造(つく)りし御(おん)国(くに)を
271いとも平(たひら)に安(やす)らかに
272守(まも)らせたまひて大王(だいわう)の
273万機(ばんき)の政(まつり)を助(たす)けませ
274心(こころ)汚(きたな)き吾(わが)父(ちち)の
275深(ふか)き罪(つみ)をば赦(ゆる)しませ
276右守(うもり)の司(かみ)の逆心(ぎやくしん)を
277戒(いまし)めたまひて御代(みよ)の為(た)め
278天(あめ)が下(した)なる人草(ひとぐさ)を
279労(いたは)り助(たす)けタラハンの
280国(くに)の司(つかさ)と歌(うた)はれて
281名(な)を万世(ばんせい)に残(のこ)すべく
282鞭(むちう)ちたまへ大御神(おほみかみ)
283偏(ひとへ)に祈(いの)り奉(たてまつ)る
284先(ま)づ第一(だいいち)にタラハンの
285君(きみ)の太子(よつぎ)とましませる
286若君(わかぎみ)様(さま)の御(お)身(み)の上(うへ)
287守(まも)らせたまひて永久(とこしへ)に
288国(くに)の柱(はしら)と立(た)ちたまひ
289吾(わが)国民(くにたみ)の幸福(かうふく)を
290来(きた)させたまふ名君(めいくん)と
291ならしめたまへ大御神(おほみかみ)
292深(ふか)く包(つつ)みし恋雲(こひぐも)を
293科戸(しなど)の風(かぜ)に吹(ふ)き払(はら)ひ
294天(あめ)と地(つち)とは清(きよ)らけく
295明(あ)け渡(わた)りたる御心(みこころ)に
296かへし玉(たま)へよ惟神(かむながら)
297偏(ひとへ)に祈(いの)り奉(たてまつ)る
298偏(ひとへ)に願(ねが)ひ奉(たてまつ)る』
299(大正一四・一・七 新一・三〇 於月光閣 加藤明子録)
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