霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
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第二〇章 思(おも)はぬ歓(よろこび)〔六一〇〕

インフォメーション
著者:出口王仁三郎 巻:霊界物語 第16巻 如意宝珠 卯の巻 篇:第3篇 真奈為ケ原 よみ(新仮名遣い):まないがはら
章:第20章 思はぬ歓 よみ(新仮名遣い):おもわぬよろこび 通し章番号:610
口述日:1922(大正11)年04月16日(旧03月20日) 口述場所: 筆録者:加藤明子 校正日: 校正場所: 初版発行日:1922(大正11)年12月25日
概要: 舞台: あらすじ[?]このあらすじはMさん作成です(一部加筆訂正してあります)。一覧表が「王仁DB」にあります。[×閉じる]:
落下した火団は大小無数の宝玉となると、悦子姫の体に吸収された。悦子姫は得も言われぬ神格と威厳を身につけた。そして、自分は日の出神の神霊を身に浴び、これより一人真名井ケ嶽に向かって進むと宣言して姿が見えなくなってしまった。
悦子姫に行かれてしまった一同は茫然とするが、鬼虎は仲間とおかしな掛け合いをしている。そのうちに夜が明けて、とにかく先へ進もうと一同は岩滝めがけて走り出した。
岩公は地理を知っているため、川から舟で先に回った。岩公の案内で、一行は日暮れ前に比治山の手前についた。
一行は近くの家に一夜の宿を乞いに行く。そこは去年、鬼虎たちが悪を働き、娘をさらっていった平助とお楢の家であった。平助爺は警戒して一行を泊めようとしない。
岩公は、鬼虎、鬼彦らの悪行のせいで断られるのだ、と非難する。そこへ、悦子姫が一人の娘を連れてやってきた。それはこの家のさらわれた娘・お節であった。平助とお楢は孫娘が帰ってきたのを見て喜んだ。
主な登場人物[?]【セ】はセリフが有る人物、【場】はセリフは無いがその場に居る人物、【名】は名前だけ出て来る人物です。[×閉じる]: 備考: タグ: データ凡例: データ最終更新日:2021-02-10 17:31:48 文字数:6434 OBC :rm1620
愛善世界社版:253頁 八幡書店版:第3輯 495頁 修補版: 校定版:258頁 普及版:115頁 初版: ページ備考:
001 竜燈松(りうとうまつ)の麓(ふもと)に落下(らくか)し爆発(ばくはつ)したる大火光(だいくわくわう)団(だん)は大小(だいせう)無数(むすう)の玉(たま)となり、002見(み)る見(み)る容積(ようせき)を減(げん)じ遂(つひ)には小(ちひ)さき、003金(きん)、004銀(ぎん)、005水晶(すゐしやう)、006瑠璃(るり)、007瑪瑙(めなう)、008硨磲(しやこ)、009翡翠(ひすい)の如(ごと)き光玉(くわうぎよく)となり、010珠数繋(じゆずつな)ぎとなつて悦子姫(よしこひめ)の全身(ぜんしん)を囲繞(ゐぜう)し忽(たちま)ち体内(たいない)に吸収(きふしう)されし如(ごと)く残(のこ)らず浸潤(しんじゆん)し了(をは)りける。011其(その)刹那(せつな)悦子姫(よしこひめ)は得(え)も云(い)はれぬ神格(しんかく)加(くは)はり優(やさ)しき中(うち)に冒(をか)すべからざる威厳(ゐげん)を備(そな)へ、012言葉(ことば)さへ頓(とみ)に荘重(さうちよう)の度(ど)を加(くは)へて、013一見(いつけん)別人(べつじん)の如(ごと)く思(おも)はれ、014無限(むげん)の霊光(れいくわう)を全身(ぜんしん)より発射(はつしや)するに至(いた)りぬ。015一同(いちどう)は驚異(きやうい)の眼(まなこ)を見張(みは)り頭(あたま)を傾(かたむ)け口(くち)を極(きは)めて讃嘆(さんたん)する。016悦子姫(よしこひめ)は儼然(げんぜん)として立上(たちあが)り、
017悦子姫『ハア一同(いちどう)の方々(かたがた)、018妾(わらは)は日(ひ)の出神(でのかみ)の神霊(しんれい)を身(み)に浴(あ)びました。019之(これ)より真名井(まなゐ)ケ嶽(だけ)に向(むか)つて進(すす)みませう。020前途(ぜんと)には大江山(おほえやま)の魔神(まがみ)の残党(ざんたう)、021処々(ところどころ)に散在(さんざい)し居(を)れば、022何(いづ)れも十二分(じふにぶん)の御(ご)注意(ちうい)あれ、023妾(わらは)は之(これ)より一足先(ひとあしさき)に参(まゐ)ります、024左様(さやう)なら』
025と云(い)ふより早(はや)く、026矢(や)を射(い)る如(ごと)く見(み)る見(み)る姿(すがた)を隠(かく)したりける。
027 後(あと)見送(みおく)つて一同(いちどう)は、028アーアーアーと歎息(たんそく)の息(いき)を漏(もら)すのみなりき。
029音彦(おとひこ)『折角(せつかく)此処迄(ここまで)同道(どうどう)申(まを)して来(き)たのに、030悦子姫(よしこひめ)さまは無限(むげん)の神徳(しんとく)を身(み)に浴(あ)び、031吾々(われわれ)を後(あと)に残(のこ)して御(ご)出発(しゆつぱつ)になつた。032随分(ずゐぶん)拍子抜(へうしぬ)けのしたものだ。033万緑(ばんりよく)叢中(そうちう)紅一点(こういつてん)のナイス、034花(はな)を欺(あざむ)く悦子姫(よしこひめ)さまに放(ほ)つとけぼりを喰(く)はされて好(よ)い面(つら)の皮(かは)だ、035七(しち)尺(しやく)の男子(だんし)殆(ほとん)ど顔色(がんしよく)なしで御座(ござ)る哩(わい)』
036岩公(いはこう)『本当(ほんたう)にさうだなア、037せめて岩公(いはこう)だけなりともお伴(とも)につれて行(い)つて下(くだ)さりさうなものだのに、038余(あま)り水臭(みづくさ)いなア』
039音彦(おとひこ)『お前(まへ)のやうな純朴(じゆんぼく)な人間(にんげん)は間(ま)に合(あ)はないから、040連(つ)れて行(い)つて下(くだ)さらないワ、041音彦(おとひこ)でさへも、042置去(おきざ)りに遇(あ)うたのだもの』
043岩公(いはこう)『生(うま)れ赤子(あかご)のやうな、044貴方(あなた)の仰(おほせ)の通(とほ)り純朴(じゆんぼく)な吾々(われわれ)を何故(なぜ)連(つ)れて行(い)つて下(くだ)さらないのだらうなア』
045鬼虎(おにとら)『岩公(いはこう)、046貴様(きさま)は余程(よほど)お目出度(めでた)い奴(やつ)だ、047音彦(おとひこ)さまが純朴(じゆんぼく)と仰有(おつしや)つたのは、048間(ま)の抜(ぬ)けた人(ひと)と云(い)ふ事(こと)を婉曲(ゑんきよく)に善言(ぜんげん)美詞(びし)に宣(の)り直(なほ)されたのだよ。049約(つま)り純朴(じゆんぼく)と云(い)ふのは社会(しやくわい)の訓練(くんれん)を経(へ)ない、050元始(げんし)的(てき)の犬猫(いぬねこ)同様(どうやう)の人間(にんげん)と云(い)ふ事(こと)だよ』
051岩公(いはこう)『馬鹿(ばか)云(い)ふな、052音彦(おとひこ)さまは蹴爪(けづめ)の生(は)えた宣伝使(せんでんし)だ、053三五教(あななひけう)の骨董品(こつとうひん)的(てき)苔(こけ)の生(は)えた、054洗錬(せんれん)に洗錬(せんれん)を加(くは)えた、055押(おし)も押(おさ)れもせぬ宣伝使(せんでんし)様(さま)ぢや。056滅多(めつた)の事(こと)を仰有(おつしや)るものか、057オイ鬼虎(おにとら)、058それはお前(まへ)の僻(ひが)み根性(こんじやう)と云(い)ふものだよ。059この岩公(いはこう)は斯(か)う見(み)えても、060何事(なにごと)も善意(ぜんい)に解釈(かいしやく)するのだ、061物事(ものごと)を悪意(あくい)に取(と)れば何(なに)も皆(みな)悪(あく)になつて仕舞(しま)ふワ、062貴様(きさま)は改心(かいしん)の坂(さか)が越(こ)えられぬと見(み)えるワイ』
063鬼虎(おにとら)『それでも岩公(いはこう)、064よく考(かんが)へてみよ、065不思議(ふしぎ)千万(せんばん)の事(こと)許(ばか)りぢやないか、066火(ひ)の玉(たま)が幾(いく)つとも数(かず)限(かぎ)りなく分離(ぶんり)して、067終(しまひ)の果(はて)には容貌(みめかたち)の麗(うるは)しき悦子姫(よしこひめ)さまに、068皆(みな)染着(せんちやく)して仕舞(しま)つたぢやないか、069神(かみ)様(さま)の御霊(みたま)でも矢張(やはり)吾々(われわれ)のやうな形(かたち)の汚(きたな)い、070魂(たま)の美(うつく)しい奴(やつ)よりも、071姿(すがた)の綺麗(きれい)なナイスがお好(すき)だと見(み)える、072あゝコンナ事(こと)ならなぜ女(をんな)に生(うま)れて来(こ)なかつたらう、073エヽ天地(てんち)の神(かみ)様(さま)も聞(きこ)えませぬ哩(わい)、074父(とと)さま、075母(かか)さま、076何故(なぜ)私(わたくし)を絶世(ぜつせい)のナイスに生(う)みて下(くだ)さらなかつたのです、077お恨(うら)めしう御座(ござ)います、078オンオンオン』
079鬼彦(おにひこ)『アハヽヽヽ、080何(なに)を吐(ぬか)すのだい鬼虎(おにとら)の奴(やつ)、081お岩(いは)の幽霊(いうれい)の様(やう)な面(つら)をして、082神(かみ)様(さま)は申(まを)すに及(およ)ばず、083大江山(おほえやま)のお化(ばけ)だつて貴様(きさま)の御(ご)面相(めんさう)を見(み)たら、084二(に)の足(あし)も三(さん)の足(あし)もふむに極(きま)つて居(ゐ)るワイ、085ソンナ謀反気(むほんぎ)を出(だ)さずに、086神妙(しんめう)に、087醜面児(ひよつとこ)は醜面児(ひよつとこ)らしくして居(を)るのだよ』
088鬼虎(おにとら)『エヽ一(ひと)つ云(い)うては一(ひと)つかち込(こ)まれ、089俺(おれ)の身(み)になつて見(み)て呉(く)れてもよいぢやないか。090隣(となり)のお多福(かめ)には肱鉄砲(ひぢでつぱう)を喰(くら)ひ、091お八(やつ)には尻(しり)をふられ、092嬶(かかあ)にや逃(に)げられ、093何(なん)とした因果(いんぐわ)な生(うま)れ付(つき)だらう、094俺(おれ)が三五教(あななひけう)の信者(しんじや)になつたのもどうぞして美(うつく)しい男(をとこ)になり、095天下(てんか)のナイスをして、096此(この)鬼虎(おにとら)に視線(しせん)を集注(しふちう)させようと思(おも)ふばかりに入信(にふしん)したのだ。097アーアー、098神(かみ)さまも顔(かほ)や姿(すがた)ばかりは何(ど)うする事(こと)も出来(でき)ぬのかなア、099情(なさけ)ない、100コンナ事(こと)なら死(し)ンだが増(まし)だワイ』
101一同(いちどう)『アハヽヽヽ』
102鬼虎(おにとら)『ヤイヤイ、103お前(まへ)達(たち)は何(なに)を笑(わら)ふのだ、104俺(おれ)はこれでも真剣(しんけん)だぞ、105一生(いつしやう)懸命(けんめい)になつてるのだ、106余(あんま)り馬鹿(ばか)にして貰(もら)ふまいかい』
107鬼彦(おにひこ)『憂愁(いうしう)煩悶(はんもん)の権利(けんり)は貴様(きさま)の自由(じいう)だ、108俺(おれ)達(たち)は別(べつ)に圧迫(あつぱく)もせなければ干渉(かんせう)もせないよ、109力(ちから)一(いつ)ぱい愁歎場(しうたんば)の幕(まく)を開(ひら)いて吾々(われわれ)一同(いちどう)に、110永当(えいたう)々々(えいたう)御(ご)観覧(くわんらん)に供(きよう)するのがよからうよ、111観覧(くわんらん)するのもせぬのも吾々(われわれ)の、112これ又(また)自由(じいう)権利(けんり)だ、113アハヽヽヽ』
114音彦(おとひこ)『ヤア、115からりと夜(よ)が明(あ)けた、116サア日輪(にちりん)様(さま)を背(せ)に負(お)うて、117又(また)テクの継続(けいぞく)事業(じげふ)をやらうかなア』
118加米彦(かめひこ)『サア、119竜燈松(りうとうまつ)を基点(きてん)として岩滝(いはたき)迄(まで)、120マラソン競争(きやうそう)だ。121腹帯(はらおび)を確(しつか)り締(し)めて、122草鞋(わらぢ)を確(しつか)り結(むす)び、123中途(ちうと)に落伍(らくご)しないやうに、124駆歩(かけあし)だ。125オイチ二(に)三(さん)』
126 一同(いちどう)は岩滝(いはたき)目蒐(めが)けて膝栗毛(ひざくりげ)に鞭打(むちう)ち、127一目散(いちもくさん)に走(はし)り行(ゆ)く。128岩公(いはこう)、129後方(うしろ)より、
130岩公『オイオイ待(ま)つて呉(く)れ、131俺(おれ)一人(ひとり)遺(おと)して行(ゆ)くのか、132折角(せつかく)神(かみ)様(さま)がお造(つく)り遊(あそ)ばした大切(たいせつ)な人間(にんげん)様(さま)を、133粗末(そまつ)にして道(みち)の端(はた)に零(こぼ)して置(お)くと云(い)ふ事(こと)があるものかい、134オイオイ人間(にんげん)一匹(いつぴき)袂(たもと)にでも入(い)れて一緒(いつしよ)に走(はし)つて呉(く)れい、135俺(おれ)は何(ど)うしたものか交通(かうつう)機関(きくわん)の何処(どこ)かに損傷(そんしやう)を来(きた)したと見(み)えて、136テクれない哩(わい)』
137一同(?)『エイ喧(やかま)しい云(い)ふな、138愚図(ぐづ)々々(ぐづ)して居(ゐ)ると決勝点(けつしようてん)を人(ひと)にしてやられる哩(わい)』
139と一生(いつしやう)懸命(けんめい)に後(あと)をも見(み)ず雲(くも)を霞(かすみ)と駆(か)け出(だ)したり。
140岩公(いはこう)『アヽ、141馬鹿(ばか)ぢやなア、142為(せ)いでも好(よ)い辛労(しんらう)をしよつて、143此処(ここ)から船(ふね)に乗(の)つて天(あま)の橋立(はしだて)を越(こ)え岩滝(いはたき)へお先(さき)にご安着(あんちやく)だ。144一(ひと)つ皆(みな)の奴(やつ)を威嚇(おどか)して度肝(どぎも)を抜(ぬ)いてやらうかな』
145と云(い)ひつつ岩公(いはこう)は松(まつ)の下(した)に繋(つな)ぎある船(ふね)の綱(つな)を解(ほど)き、146鱸(ろ)を操(あやつ)りながら岩滝(いはたき)指(さ)して悠々(いういう)と辷(すべ)り行(ゆ)く。147船(ふね)は漸(やうや)く岩滝(いはたき)に着(つ)きぬ。
148岩公(いはこう)『アヽ智慧(ちゑ)の足(た)らぬ奴(やつ)は可憐(かはい)さうなものだワイ、149この岩公(いはこう)は昔(むかし)船頭(せんどう)をして居(を)つたお蔭(かげ)で地理(ちり)に精(くは)しい。150弓(ゆみ)と弦(つる)程(ほど)違(ちが)ふ道程(みちのり)、151何程(なにほど)走(はし)つたつて追(お)ひ着(つ)きつこがあるものか、152マア悠(ゆつ)くりと成相山(なりあひざん)にでも登(のぼ)つて股覗(またのぞ)きでもしてやらうかい』
153 斯(か)かる所(ところ)へ音彦(おとひこ)一行(いつかう)は息(いき)せき切(き)つて走(はし)り来(きた)り、
154音彦(おとひこ)『サアサア皆(みな)さま、155一寸(ちよつと)一服(いつぷく)致(いた)しませう、156随分(ずゐぶん)走(はし)りましたなア』
157鬼彦(おにひこ)『随分(ずゐぶん)汗(あせ)が出(で)ましたよ、158それにつけても岩公(いはこう)の奴(やつ)、159今頃(いまごろ)は途中(とちう)で屁古垂(へこた)れてオイオイ俺(おれ)を零(こぼ)して行(ゆ)くのかなぞと怨言(うらみごと)を並(なら)べて居(ゐ)るぢやらう。160足弱(あしよわ)を連(つ)れて居(ゐ)ると却(かへ)つて迷惑(めいわく)だ、161彼奴(あいつ)は性来(うまれつき)跛者(びつこ)だから、162マラソン競争(きやうそう)は不適任(ふてきにん)だ』
163鬼彦(おにひこ)『岩公(いはこう)の奴(やつ)、164片方(かたつぽ)の足(あし)が短(みじか)いものだから、165彼奴(あいつ)を走(はし)らすと恰(まる)で蛸(たこ)が芋畑(いもばたけ)から逃(に)げ出(だ)すやうなスタイルだ、166随分(ずゐぶん)奇妙(きめう)奇天烈(きてれつ)なものだナア、167アハヽヽヽ』
168 岩公(いはこう)、169木(き)の茂(しげ)みの中(なか)より頭(あたま)ばかり突(つ)き出(だ)して、
170岩公(いはこう)『岩公(いはこう)の足(あし)は片方(かたつぽ)が短(みじか)いのじやない、171片方(かたつぽ)が長(なが)いのじやぞ』
172鬼彦(おにひこ)『ヤ、173怪体(けたい)な、174岩公(いはこう)の声(こゑ)じやないか、175何時(いつ)の間(ま)に来(き)よつたのだ、176化物(ばけもの)見(み)たやうな奴(やつ)じやなア』
177岩公(いはこう)『ヘン、178馬鹿(ばか)にするない、179片方(かたはう)の足(あし)が長(なが)いのだけ、180それだけ貴様(きさま)等(ら)とは行進(かうしん)が早(はや)いのだ。181おまけに悦子姫(よしこひめ)さまがソツと俺(おれ)の懐中(ふところ)へ玉(たま)を入(い)れて下(くだ)さつたものだから、182宙(ちう)をたつやうに此処迄(ここまで)無事(ぶじ)御(ご)安着(あんちやく)だよ。183アハヽヽヽ』
184鬼彦(おにひこ)『ヤア岩公(いはこう)、185嘘(うそ)を云(い)ふな、186貴様(きさま)はマラソン競争(きやうそう)の規則(きそく)を破(やぶ)つて窃(そつ)と船(ふね)に乗(の)つて来(き)よつたのだらう、187竜燈松(りうとうまつ)の下(した)に繋(つな)いであつた船(ふね)が此処(ここ)に着(つ)いて居(ゐ)るぢやないか、188条約(でうやく)違反(ゐはん)だ、189貴様(きさま)はこれから三五教(あななひけう)を除名(ぢよめい)するからさう心得(こころえ)ろ、190ナアもし音彦(おとひこ)さま、191加米彦(かめひこ)の宣伝使(せんでんし)さま、192吾々(われわれ)の提案(ていあん)は条理(でうり)整然(せいぜん)たるものでせう』
193音彦、加米彦『アハヽヽヽ、194オイ岩公司(いはこうつかさ)、195アヽ結構(けつこう)々々(けつこう)、196吾々(われわれ)は智慧(ちゑ)の文珠堂(もんじゆだう)に休(やす)みながら、197其(その)智慧(ちゑ)を使(つか)ひ忘(わす)れた、198お前(まへ)は偉(えら)いものだ、199アヽこれから、200文珠(もんじゆ)の岩公司(いはこんす)と名(な)を呼(よ)ぶ事(こと)にして遣(や)らう』
201 岩公(いはこう)肩(かた)を聳(そび)やかしながら、
202岩公『ハイハイ有難(ありがた)う御座(ござ)います、203オイ鬼彦(おにひこ)、204鬼虎(おにとら)其(その)他(た)の端武者(はむしや)共(ども)、205あの言葉(ことば)を聞(き)いたか、206文珠(もんじゆ)の智慧(ちゑ)の文珠(もんじゆ)の岩公司(いはこんす)だ、207之(これ)から何(なん)でも岩公司(いはこんす)に智慧(ちゑ)を借(か)るのだぞ、208オホン』
209鬼彦(おにひこ)『これだから馬鹿者(ばかもの)には困(こま)ると云(い)ふのだ、210一寸(ちよつと)褒(ほ)めて貰(もら)へば直(すぐ)に興奮(こうふん)して、211華氏(くわし)の百二十(ひやくにじふ)度(ど)以上(いじやう)に逆上(のぼせ)よる、212一(ひと)つ逆上(のぼせ)の下(さが)るやうに海水(かいすゐ)でも呑(の)ましてやらうか、213ア、214ドンブリコとやつて遣(や)らうか』
215岩公(いはこう)『大(おほ)きに憚(はばか)りさま、216又(また)今度(こんど)お世話(せわ)に預(あづか)ります、217サアサア音彦(おとひこ)の宣伝使(せんでんし)様(さま)、218之(これ)から先(さき)は勝手(かつて)知(し)つたる道程(みちのり)だ、219私(わたくし)が猿田彦(さだひこ)の御用(ごよう)を勤(つと)めませう』
220音彦(おとひこ)『ヤアそれは調法(てうはふ)だ。221先頭(せんとう)は岩公司(いはこんす)にお願(ねが)ひ致(いた)さう』
222岩公(いはこう)『これはこれは不束(ふつつか)な岩公司(いはこんす)に対(たい)し格外(かくぐわい)の抜擢(ばつてき)をして下(くだ)さいました。223此(この)上(うへ)は恩命(おんめい)に報(むく)ゆるため粉骨(ふんこつ)砕身(さいしん)と迄(まで)は行(ゆ)きますまいが、224可成(かなり)道案内(みちあんない)に対(たい)して可及(かきふ)的(てき)のベストを尽(つく)します。225何(ど)うぞ御(ご)安心(あんしん)下(くだ)さいませ』
226鬼虎(おにとら)『岩公司(いはこんす)の御(ご)先頭(せんとう)か、227ねつから葉(は)から安心(あんしん)なものだ。228アハヽヽヽ』
229 岩公(いはこう)の案内(あんない)につれ音彦(おとひこ)一行(いつかう)は黄昏前(たそがれまへ)、230比治山(ひぢやま)の手前(てまへ)に辿(たど)り着(つ)きける。
231音彦(おとひこ)『何(ど)うやら今日(けふ)も之(これ)でお終(しま)ひらしい、232何処(どこ)かの家(うち)へ入(はい)つて一夜(いちや)の宿(やど)を願(ねが)ひ、233明日(みやうにち)早朝(そうてう)真名井(まなゐ)ケ原(はら)の豊国姫(とよくにひめ)様(さま)の御(ご)降臨地(かうりんち)を探(さが)しませう、234悦子姫(よしこひめ)さまも定(さだ)めしお待(ま)ちかねでせうからねえ』
235岩公(いはこう)『少(すこ)し手前(てまへ)に幽(かす)かな火(ひ)が見(み)えませう、236彼処(あすこ)に行(ゆ)けば大(おほ)きな藁葺(わらぶ)きの家(いへ)が御座(ござ)います。237戸(と)を叩(たた)いて一夜(いちや)の宿(やど)を貸(か)して貰(もら)ふ事(こと)にしませう、238サアもう一息(ひといき)です』
239と先(さき)に立(た)ち潔(いさぎよ)く駆(か)け出(だ)し、240一同(いちどう)漸(やうや)くとある一(ひと)つ家(や)の前(まへ)に着(つ)きたり。241岩公(いはこう)は門口(かどぐち)に立(た)ち、
242岩公『もしもしお爺(ぢい)さま、243お婆(ば)アさま、244私(わたくし)は比沼(ひぬ)の真名井(まなゐ)や比治山(ひぢやま)の神(かみ)様(さま)に参詣(さんけい)する者(もの)で御座(ござ)います、245竜燈松(りうとうまつ)から此処迄(ここまで)テクつて来(き)ましたが、246日(ひ)はすつぽりと暮(く)れ、247膝坊主(ひざばうず)は吾々(われわれ)の命令(めいれい)を肯(がへん)ぜなくなりました。248何(ど)うぞ庭(には)の隅(すみ)でも宜敷(よろし)いから一夜(いちや)の雨露(うろ)を凌(しの)がせて下(くだ)さいませ』
249爺(ぢい)『これお楢(なら)、250何(なん)だか門口(かどぐち)に人声(ひとごゑ)がするやうだ、251門(もん)を開(あ)けて調(しら)べてお出(い)で』
252お楢(なら)『平(へい)サン、253お前(まへ)あれだけ酒(さけ)を呑(の)みてもまだ買(か)うて来(こ)いと云(い)ふのかい、254かう闇(くら)くなつてから私(わたし)だつて堪(たま)らないぢやないか、255去年(きよねん)のやうに大江山(おほえやま)の鬼雲彦(おにくもひこ)の家来(けらい)の鬼虎(おにとら)にでも出遇(であ)つたら、256ドンナ目(め)に遇(あ)ふか分(わか)つたものぢやない、257家(うち)の娘(むすめ)もとうとう鬼虎(おにとら)に攫(さら)はれて仕舞(しま)つたぢやないか、258オンオンオン』
259平助(へいすけ)『アヽ、260年(とし)が寄(よ)つて耳(みみ)の聞(きこ)えぬ奴(やつ)も困(こま)つたものだ。261アヽ仕方(しかた)がない、262私(わし)が行(い)つて開(あ)けてやらうかな、263ドツコイシヨ、264アイタヽヽ、265腰(こし)の骨(ほね)が強(こは)ばつていやもう庭(には)を歩(ある)くのも大抵(たいてい)の事(こと)ぢやないワイ』
266と傍(かたはら)の杖(つゑ)を取(と)りエチエチと表(おもて)に出(で)て戸(と)をガラリと開(あ)け、
267平助『この闇(くら)いのにお前(まへ)さま達(たち)は何用(なによう)あつて御座(ござ)つた』
268音彦(おとひこ)『ハイ、269吾々(われわれ)は比治山(ひぢやま)の神(かみ)様(さま)に参詣(さんけい)を致(いた)すもので御座(ござ)います、270御覧(ごらん)の通(とほ)り日(ひ)も暮(く)れました、271何(ど)うぞ庭(には)の隅(すみ)つこでも宜敷(よろし)いから一夜(いちや)だけおとめ下(くだ)さい、272お弁当(べんたう)も持参(ぢさん)致(いた)して居(を)ります、273唯(ただ)とめてさへ貰(もら)へばそれで宜敷(よろし)い』
274平助(へいすけ)『見(み)れば随分(ずゐぶん)沢山(たくさん)の同勢(どうぜい)だが野中(のなか)の一(ひと)つ家(や)だと思(おも)つて当(あ)て込(こ)みて来(き)たのだな、275とめる事(こと)は金輪際(こんりんざい)出来(でき)ませぬ哩(わい)、276サアサアとつとと帰(かへ)つて下(くだ)さい、277爺(おやぢ)と婆(ばば)と二人(ふたり)暮(ぐら)しの家(いへ)ぢや、278不都合(ふつがふ)だらけ平(ひら)にお断(ことわ)り申(まをし)ます』
279音彦(おとひこ)『左様(さやう)で御座(ござ)いませうが、280折入(をりい)つてお頼(たの)み申(まを)す、281吾々(われわれ)は決(けつ)して怪(あや)しいものでは御座(ござ)いませぬ』
282平助(へいすけ)『去年(きよねん)の此(この)頃(ごろ)だつた、283お前(まへ)のやうな日(ひ)が暮(く)れてから家(うち)の門口(かどぐち)に立(た)ち、284庭(には)の隅(すみ)でもよいからとめてくれと云(い)うて二人(ふたり)の旅人(たびびと)が出(で)てきよつた、285其奴(そいつ)が又(また)どえらい悪魔(あくま)で大江山(おほえやま)の鬼雲彦(おにくもひこ)の家来(けらい)とやらで何(なん)でも鬼彦(おにひこ)、286鬼虎(おにとら)と云(い)ふそれはそれは悪(わる)い奴(やつ)ぢや、287其奴(そいつ)めが爺(ぢい)と婆(ばば)とが爪(つめ)に火(ひ)を点(とも)して蓄(た)めた沢山(たくさん)のお金(かね)を掠奪(ふんだく)り、288天(てん)にも地(ち)にも掛(か)け替(が)へのない一人(ひとり)の娘(むすめ)を掻攫(かつさら)うて、289今(いま)に行方(ゆくへ)が分(わか)らぬのだ、290お前(まへ)さまも大方(おほかた)ソンナ連中(れんちう)だらう、291皺(しわ)の寄(よ)つた爺(おやぢ)と婆(ばば)とが細(ほそ)い煙(けぶり)を立(た)て暮(くら)して居(ゐ)るのだが、292婆(ばば)は爺(ぢい)が頼(たよ)り爺(ぢい)は婆(ばば)が頼(たよ)りだ、293婆(ばば)とは云(い)ひながら矢張(やつぱり)女(をんな)だ、294昔(むかし)の別嬪(べつぴん)だ。295もし婆(ばば)でも夜(よさ)の間(ま)に掻攫(かつさら)へられて仕舞(しま)ふものなら、296この爺(おやぢ)は蟹(かに)の手足(てあし)をもがれたやうなものだ、297エヽ気分(きぶん)の悪(わる)い、298帰(かへ)りて下(くだ)され』
299とピシヤツと戸(と)を締(し)める。
300音彦(おとひこ)『アヽ困(こま)つたなア、301何(ど)うしたら宜(よ)からうか、302今晩(こんばん)は野宿(のじゆく)でもして一夜(いちや)を明(あ)かさねば仕方(しかた)があるまい』
303岩公(いはこう)『もしもし音彦(おとひこ)さま、304千本桜(せんぼんざくら)の鮓屋(すしや)の段(だん)ぢやないが、305愛想(あいさう)のないが愛想(あいさう)となると云(い)ふ事(こと)がありますが、306此処(ここ)の爺(おやぢ)さまは一旦(いつたん)此(この)鬼彦(おにひこ)、307鬼虎(おにとら)に偉(えら)い目(め)に遇(あ)つたものだから、308人(ひと)さへ見(み)れば怖(こわ)い怖(こわ)いと思(おも)うて居(ゐ)るのですよ、309日(ひ)の暮(くれ)に宿(やど)を頼(たの)む奴(やつ)は人奪(ひとと)りだと云(い)ふ先入(せんにふ)思想(しさう)に左右(さいう)されて居(ゐ)るものぢやから、310アンナ事(こと)を云(い)ふのでせう、311誠(まこと)の力(ちから)は世(よ)を救(すく)ふと云(い)ふから、312も一(ひと)つ頼(たの)みて見(み)ませう』
313と又(また)もや戸(と)を叩(たた)き、
314岩公(いはこう)『もしもし、315お爺(ぢい)さま、316吾々(われわれ)は三五教(あななひけう)の宣伝使(せんでんし)のお伴(とも)して来(き)た誠(まこと)一(ひと)つの人間(にんげん)で御座(ござ)います。317何卒(どうぞ)一晩(ひとばん)だけとめて下(くだ)さいな』
318平助(へいすけ)『ナニツ、319三五教(あななひけう)だと、320ソンナ教(をしへ)は未(ま)だ聞(き)いた事(こと)もないワ、321穴(あな)が無(な)うて彼岸過(ひがんすぎ)の蛇(へび)のやうに探(さが)して歩(ある)いとるのか、322ソンナ人(ひと)には尚更(なほさら)宿(やど)つて貰(もら)ふ事(こと)はお断(ことわ)りぢや、323一人(ひとり)よりないお楢(なら)を掻攫(かつさら)つて去(い)なれては耐(たま)らぬからなア、324ゴテゴテ云(い)はずにお帰(かへ)りなさい』
325岩公(いはこう)『アヽ、326仕方(しかた)がない、327これ程(ほど)事(こと)をわけてお頼(たの)みするのに聞(き)いて下(くだ)さらぬ、328世界(せかい)に鬼(おに)はある。329鬼(おに)と悪魔(あくま)の世(よ)の中(なか)だ、330慈悲(じひ)も情(なさけ)も知(し)らぬ奴(やつ)許(ばか)りだ。331オイ鬼彦(おにひこ)、332鬼虎(おにとら)の両人(りやうにん)、333偉(えら)う沈黙(ちんもく)して居(ゐ)よるな、334貴様(きさま)の古疵(ふるきず)が物(もの)を云(い)うて今晩(こんばん)の難儀(なんぎ)だ、335貴様(きさま)一(ひと)つ謝罪(あやま)らぬかい』
336鬼彦(おにひこ)『もしもし音彦(おとひこ)様(さま)、337一晩(ひとばん)位(くらゐ)寝(ね)なかつたつて好(い)いぢやありませぬか、338これも修業(しうげふ)だと思(おも)つて野宿(のじゆく)を致(いた)しませうかい』
339鬼虎(おにとら)『アヽさうだ、340一晩(ひとばん)や二晩(ふたばん)野宿(のじゆく)して斃(くた)ばるやうな事(こと)では三五教(あななひけう)の信仰(しんかう)は出来(でき)ない、341ねえ宣伝使(せんでんし)様(さま)、342如何(どう)で御座(ござ)いませう』
343音彦(おとひこ)『ソンナラマアさうするかなア』
344岩公(いはこう)『ヘン旨(うま)い事(こと)を云(い)つて居(ゐ)やがらア、345爺婆(ぢいばば)に会(あ)はす顔(かほ)があるまい、346旧悪(きうあく)露見(ろけん)の恐(おそ)れがあるから、347貴様(きさま)としては無理(むり)もないが、348綺麗(きれい)薩張(さつぱり)と爺様(ぢいさん)婆様(ばさん)にお断(ことわ)りを申(まをし)たら何(ど)うだ、349何時迄(いつまで)も悪(あく)を包(つつ)みて居(ゐ)ると罪(つみ)は取(と)れぬぞ、350罪(つみ)と云(い)ふ事(こと)は包(つつ)みと云(い)ふ事(こと)だ、351何卒(どうぞ)改心(かいしん)の証拠(しようこ)に爺(ぢい)さまに一(ひと)つお詫(わび)をして思(おも)ふざま十能(じふのう)で頭(あたま)を打(たた)いて貰(もら)つたら、352ちつとは罪(つみ)が亡(ほろ)びるだらうよ』
353 鬼彦(おにひこ)、354鬼虎(おにとら)、355両手(りやうて)を組(く)み首(くび)を傾(かたむ)け、356大(おほ)きな息(いき)を漏(も)らし居(ゐ)る。357此(この)時(とき)前方(ぜんぱう)より二人(ふたり)の女(をんな)走(はし)り来(く)るあり。358一同(いちどう)は目(め)を円(まる)くし、359よくよく見(み)れば、360悦子姫(よしこひめ)と一人(ひとり)の娘(むすめ)なりけり。
361娘(むすめ)『これはこれはお姫(ひめ)様(さま)、362いかいお世話(せわ)になりました、363これが妾(わたし)のお祖父(ぢい)さま、364お祖母(ばあ)さまの家(うち)で御座(ござ)います、365サア何卒(どうぞ)お入(はい)り下(くだ)さいませ、366嘸(さぞ)や祖父(そふ)や祖母(そぼ)が喜(よろこ)ぶ事(こと)で御座(ござ)いませう』
367悦子姫(よしこひめ)『ヤア妾(わたし)は此処迄(ここまで)送(おく)り届(とど)けたならばこれで安心(あんしん)してお暇(いとま)致(いた)しませう』
368娘(むすめ)『何卒(どうぞ)さう仰有(おつしや)らぬと見苦(みぐる)しい破家(あばらや)なれど、369渋茶(しぶちや)なりと上(あ)げたう御座(ござ)います、370一寸(ちよつと)でも宜敷(よろし)いからお入(はい)り下(くだ)さいませいナ』
371 闇(やみ)の中(なか)より、
372男(音彦)『ヤア貴女(あなた)は悦子姫(よしこひめ)様(さま)では御座(ござ)いませぬか』
373悦子姫(よしこひめ)『さう云(い)ふお声(こゑ)は音彦(おとひこ)さま。374この闇(くら)がりに何(なに)をして居(ゐ)らつしやるの』
375音彦(おとひこ)『余(あま)り暗(くら)くなりましたので一夜(いちや)の宿(やど)をお強請(ねだ)りして居(を)るのですが、376お爺(ぢい)さま仲々(なかなか)許(ゆる)して呉(く)れないのですよ』
377悦子姫(よしこひめ)『ヤア、378委細(ゐさい)の様子(やうす)は此(この)娘(むすめ)さまから聞(き)きました、379済(す)みた事(こと)を云(い)ふぢやないが、380随分(ずゐぶん)鬼彦(おにひこ)さまも鬼虎(おにとら)さまも罪(つみ)な事(こと)をなさつたものぢやナア、381お爺(ぢい)さまが泊(と)めて呉(く)れないのも無理(むり)はありませぬ、382妾(わたし)がこれからお爺(ぢい)さまに此(この)娘(むすめ)を渡(わた)し、383願(ねが)つて見(み)ませう』
384娘(むすめ)『お祖父(ぢい)さま、385お祖母(ばあ)さま、386節(せつ)で御座(ござ)います、387神(かみ)様(さま)に助(たす)けられ無事(ぶじ)に帰(かへ)つて来(き)ました。388何卒(どうぞ)開(あ)けて下(くだ)さいませ』
389 平助(へいすけ)此(この)声(こゑ)に驚(おどろ)き、
390平助『ヤア何(なに)、391節(せつ)が帰(かへ)つた。392オイオイお楢(なら)、393節(せつ)が帰(かへ)つたといなア』
394お楢(なら)『爺(おやぢ)さま耳(みみ)が確(しつか)り聞(きこ)えぬが、395節(せつ)が帰(かへ)つたと云(い)うたのか、396ハテ合点(がてん)の行(ゆ)かぬ事(こと)だ、397大方(おほかた)大江山(おほえやま)の悪神(あくがみ)の眷族(けんぞく)奴(め)が節(せつ)の作(つく)り声(ごゑ)をして此(この)家(や)に入(い)り込(こ)み、398一(ひと)つ家(や)を幸(さいは)ひに吾(われ)等(ら)夫婦(ふうふ)の者(もの)を引(ひ)つ張(ぱ)つて去(い)ぬ計略(けいりやく)かも知(し)れぬ、399迂闊(うつか)り開(あ)けなさるなや』
400 門口(かどぐち)より、401お節(せつ)は優(や)さしひ声(こゑ)で、
402お節『お祖父(ぢい)さま、403お祖母(ばあ)さま、404何卒(どうぞ)開(あ)けて下(くだ)さい、405節(せつ)で御座(ござ)います』
406平助(へいすけ)『何(なに)吐(ぬか)しよるのだ、407其(その)手(て)は食(く)はぬぞ、408作(つく)り声(ごゑ)をしよつて、409お祖父(ぢい)さま、410お祖母(ばあ)さま、411節(せつ)で御座(ござ)います……ナアーンテ大江山(おほえやま)に捕(とら)へられて鬼(おに)の餌食(ゑじき)になつた娘(むすめ)が戻(もど)つて来(き)て耐(たま)るかい、412これやこれや門口(かどぐち)の奴(やつ)共(ども)、413ソンナ計略(けいりやく)に乗(の)る平助(へいすけ)ぢやないぞ、414入(はい)れるなら入(はい)つて見(み)よ、415陥穽(おとしあな)が拵(こしら)へて釘(くぎ)が一面(いちめん)に植(う)ゑてあるから、416命(いのち)が惜(をし)く無(な)ければ無理(むり)に入(はい)つて来(こ)い』
417 娘(むすめ)は無理(むり)に戸(と)を押(お)し破(やぶ)り飛(と)び込(こ)みたるを、418爺(ぢい)は、419これを見(み)て、
420平助『ヤア紛(まが)ふ方(かた)なき娘(むすめ)のお節(せつ)、421好(よ)うまア帰(かへ)つて呉(く)れた。422オイ、423ぢつとしてぢつとして、424動(うご)くと危(あぶ)ないぞ、425一(ひと)つ踏(ふ)み外(はづ)せば陥穽(おとしあな)に陥(はま)る、426大江山(おほえやま)の鬼(おに)の来(き)た時(とき)の用意(ようい)に陥穽(おとしあな)が拵(こしら)へてあるのぢや、427今(いま)お祖父(ぢい)が指揮(さしづ)をしてやるから、428其(その)外(ほか)は歩(ある)く事(こと)はならぬぞや』
429と云(い)ひながら杖(つゑ)をもつて庭(には)に線(すぢ)を引張(ひつぱ)つた。430お節(せつ)は線(すぢ)の上(うへ)を歩(ある)いて、431爺(ぢい)の居間(ゐま)に進(すす)み入(い)る。
432お楢(なら)『ヤア、433お前(まへ)はお節(せつ)、434好(よ)う帰(かへ)つて下(くだ)さつたナア』
435と嬉(うれ)し泣(な)きに泣(な)き伏(ふ)しぬ。436平助(へいすけ)もお節(せつ)の体(からだ)に獅噛(しが)みつき、
437平助『ヤア戻(もど)つたか、438どうして居(を)つた』
439お節(せつ)『お祖父(ぢい)さま、440お祖母(ばあ)さま、441会(あ)ひたかつた哩(わい)な』
442と三(さん)人(にん)一度(いちど)に声(こゑ)を放(はな)つて泣(な)き崩(くづ)れける。
443(大正一一・四・一六 旧三・二〇 加藤明子録)
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