霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
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(たま)(いしずゑ)(一)

インフォメーション
著者:出口王仁三郎 巻:霊界物語 第16巻 如意宝珠 卯の巻 篇:後付 よみ(新仮名遣い):
章:霊の礎(一) よみ(新仮名遣い):たまのいしずえ 通し章番号:
口述日:1922(大正11)年04月05日(旧03月09日) 口述場所: 筆録者:藤津久子 校正日: 校正場所: 初版発行日:1922(大正11)年12月25日
概要: 舞台: あらすじ[?]このあらすじは東京の望月さん作成です(一部加筆訂正してあります)。一覧表が「王仁DB」にあります。[×閉じる]
霊界には、神界、中界、幽界の三大境域がある。
神界とは、神道で言う高天原であり、仏教の極楽浄土、キリスト教の天国である。
中界は神道で言う天の八衢であり、仏教で言う六道の辻、キリスト教の精霊界である。
幽界は神道で言う根の国底の国、仏教で言う地獄、キリスト教の地獄である。
天の八衢は高天原と根底の国の中間状態である。人が死後にただちに至る中有である。中有にしばらくあって後、現界での行いに応じて天国に昇り、または根底の国へ行くのである。
高天原の情態は真善美が相和合した時である。根底の国の情態は、邪悪と虚偽が人間にあって合致した時である。
霊魂中の真善美が和合するとただちに高天原に昇り、邪悪と虚偽が合致するとただちに根底の国へ落ちる。これは八衢にあるときに行われる。
八衢に在る人霊は多数である。八衢は一切のものの会合所であり、霊魂の試験準備がなされる所でもある。八衢に居る期間はさまざまである。すぐに天国に昇る者、地獄に落ちる者、また数日数年居る者もあるが、三十年以上居る者はない。
人間の内分・外分に相応して、八衢に居る時間が決まるのである。
人間が死ぬと、神は直ちにその善悪正邪を審判する。地獄界に行くのは、その人間が世にあるときに愛していたものが地獄界に所属しているからである。善き人が高天原に赴くのは、世に在りしときにその人の真善美がすでにして天国の団体に加入していたからである。
生前の知己は、八衢にていったん邂逅することが許される。同一の信仰、愛、性情に拠る者は、天国において再び相知ることができる。しかし八衢でいったん別れてしまうと、二度と相見ることはできないのである。
八衢にて、高天原または根底の国に行くまでに、外分、内分、準備の三つの状態を経る。自己の凶悪を装うために善を標榜した偽善者や、神の存在を認めなかった者は、ただちに根底の国に至る。
生前、世を捨てて肉を離れて霊に住み、功徳を積んでも、高天原に昇れるわけではない。このような悲哀の生涯を修得しても、高天原の歓喜は得られない。
むしろ現世において世間的な業務を採りその職掌を尽くし、道徳的民文的生涯を送り、その後に初めて霊的生涯を受けなければならないのである。
これ以外に霊的生涯を為し、高天原に昇る準備をする方法はないのである。内的生涯を清く送ると同時に、外的生涯を営まないのは砂上の楼閣の如きものである。
主な登場人物[?]【セ】はセリフが有る人物、【場】はセリフは無いがその場に居る人物、【名】は名前だけ出て来る人物です。[×閉じる] 備考: タグ: データ凡例: データ最終更新日: OBC :rm169902
愛善世界社版:286頁 八幡書店版:第3輯 510頁 修補版: 校定版:292頁 普及版: 初版: ページ備考:
派生[?]この文献を底本として書かれたと思われる文献です。[×閉じる]出口王仁三郎全集 > 第二巻 宗教・教育編 > 第四篇 神霊世界 > 第三章 霊の礎
001 霊界(れいかい)には神界(しんかい)002中界(ちうかい)003幽界(いうかい)三大(さんだい)境域(きやうゐき)がある。
004 神界(しんかい)神道家(しんだうか)(とな)ふる高天原(たかあまはら)であり、005仏者(ぶつしや)()極楽(ごくらく)浄土(じやうど)であり、006(また)耶蘇(やそ)のいふ天国(てんごく)である。
007
008 中界(ちうかい)神道家(しんだうか)(とな)ふる(あめ)八衢(やちまた)であり、009仏者(ぶつしや)()六道(ろくだう)(つじ)であり、010キリストのいふ精霊界(せいれいかい)である。
011
012 幽界(いうかい)神道家(しんだうか)(とな)ふる()(くに)(そこ)(くに)であり、013仏者(ぶつしや)()八万(はちまん)地獄(ぢごく)であり、014(また)キリストのいふ地獄(ぢごく)である。
015
016 (ゆゑ)(あめ)八衢(やちまた)高天原(たかあまはら)にもあらず、017また根底(ねそこ)(くに)にもあらず、018両界(りやうかい)中間(ちうかん)介在(かいざい)する(なか)(ほど)位地(ゐち)にして(すなは)情態(じやうたい)である。019(ひと)死後(しご)(ただち)(いた)るべき境域(きやうゐき)にして所謂(いはゆる)中有(ちうう)である。020中有(ちうう)()ること(やや)(ひさ)しき(のち)現界(げんかい)にありし(とき)行為(かうゐ)正邪(せいじや)により(あるひ)高天原(たかあまはら)(のぼ)り、021(あるひ)根底(ねそこ)(くに)()()くものである。
022
023 人霊(じんれい)中有(ちうう)情態(じやうたい)(あめ)八衢(やちまた))に()(とき)天界(てんかい)にもあらず(また)地獄(ぢごく)にもあらず。024仏者(ぶつしや)所謂(いはゆる)六道(ろくだう)(つじ)または三途(せうづ)川辺(かはべ)()ちて()るものである。
025
026 人間(にんげん)()ける高天原(たかあまはら)情態(じやうたい)とは(しん)(ぜん)()(あひ)和合(わがふ)せし(とき)であり、027根底(ねそこ)(くに)情態(じやうたい)とは邪悪(じやあく)虚偽(きよぎ)とが人間(にんげん)にありて合致(がつち)せる(とき)()ふのである。
028
029 (ひと)霊魂中(れいこんちう)()(ところ)(しん)(ぜん)()和合(わがふ)する(とき)はその(ひと)(ただち)天国(てんごく)(のぼ)り、030(ひと)霊魂中(れいこんちう)()邪悪(じやあく)虚偽(きよぎ)合致(がつち)したる(とき)は、031その(ひと)(たちま)地獄(ぢごく)()つるものである。032(かく)(ごと)きは(あめ)八衢(やちまた)()(とき)(おい)(おこな)はるるものである。
033
034 (あめ)八衢(やちまた)中有界(ちううかい))に()人霊(じんれい)(すこぶ)多数(たすう)である。035八衢(やちまた)一切(いつさい)のものの(はじ)めての会合所(くわいがふしよ)であつて、036此処(ここ)にて()霊魂(れいこん)試験(しけん)され準備(じゆんび)さるるのである。037人霊(じんれい)八衢(やちまた)彷徨(はうくわう)居住(きよぢう)する期間(きかん)(かなら)ずしも一定(いつてい)しない、038(ただち)高天原(たかあまはら)(のぼ)るのもあり、039(ただち)地獄(ぢごく)()ちるのもある。040極善(ごくぜん)極真(ごくしん)(ただち)高天原(たかあまはら)(のぼ)り、041極邪(ごくじや)極悪(ごくあく)(ただち)根底(ねそこ)(くに)墜落(つゐらく)して(しま)ふのである。042(あるひ)八衢(やちまた)数日(すうじつ)(また)数週日(すうしうじつ)(すう)年間(ねんかん)()るものである。043されど此処(ここ)三十(さんじふ)(ねん)以上(いじやう)()るものは()い。044(かく)(ごと)時限(じげん)(おい)相違(さうゐ)があるのは、045人間(にんげん)内外分(ないぐわいぶん)(あひだ)相応(さうおう)あると、046あらざるとに()るからである。
047
048 人間(にんげん)()するや、049(かみ)(ただち)にその霊魂(れいこん)正邪(せいじや)審判(しんぱん)(たま)ふ、050(ゆゑ)(あし)きものの地獄界(ぢごくかい)()ける醜団体(しうだんたい)(おもむ)くはその人間(にんげん)()にある(とき)その(しゆ)とする(ところ)(あい)なるものが地獄界(ぢごくかい)所属(しよぞく)して()たからである。051(また)()(ひと)高天原(たかあまはら)()ける善美(ぜんび)団体(だんたい)(おもむ)くのもその(ひと)()()りし(とき)(その)(あい)052(その)(ぜん)053(その)(しん)(まさ)天国(てんごく)団体(だんたい)(すで)加入(かにふ)して()たからである。
054
055 天界(てんかい)地獄(ぢごく)区劃(くくわく)(かく)(ごと)判然(はんぜん)たりと(いへど)も、056肉体(にくたい)生涯(しやうがい)()りし(とき)(おい)朋友(ほういう)となり知己(ちき)となりしものや、057(とく)夫婦(ふうふ)058兄弟(きやうだい)059姉妹(きやうだい)となりしものは、060(かみ)許可(きよか)()(あめ)八衢(やちまた)(おい)会談(くわいだん)することが出来(でき)るものである。
061
062 生前(せいぜん)朋友(ほういう)063知己(ちき)064夫婦(ふうふ)065兄弟(きやうだい)066姉妹(しまい)(いへど)も、067一旦(いつたん)この八衢(やちまた)(おい)(わか)れたる(とき)は、068高天原(たかあまはら)(おい)ても根底(ねそこ)(くに)(おい)ても(ふたた)相見(あひみ)(こと)出来(でき)ない。069(また)相識(あひし)(こと)()い。070(ただし)同一(どういつ)信仰(しんかう)071同一(どういつ)(あい)072同一(どういつ)性情(せいじやう)()つたものは天国(てんごく)(おい)(ふたた)相見(あひみ)073相識(あひし)ることが出来(でき)るのである。
074
075 人間(にんげん)死後(しご)076高天原(たかあまはら)根底(ねそこ)(くに)()くに(さき)だつて何人(なにびと)経過(けいくわ)すべき状態(じやうたい)三途(さんと)ある。077そして第一(だいいち)外分(ぐわいぶん)状態(じやうたい)078第二(だいに)内分(ないぶん)状態(じやうたい)079第三(だいさん)準備(じゆんび)状態(じやうたい)である。080この状態(じやうたい)経過(けいくわ)する境域(きやうゐき)(あめ)八衢(やちまた)中有界(ちううかい))である。081(しか)るに()順序(じゆんじよ)()たず(ただち)高天原(たかあまはら)(のぼ)り、082根底(ねそこ)(くに)()つるものもあるのは(まへ)()べた(とほ)りである。083(ただち)高天原(たかあまはら)(のぼ)(また)(みちび)かるるものは、084その人間(にんげん)現界(げんかい)()(とき)(かみ)()り、085(かみ)(しん)善道(ぜんだう)()(おこな)ひ、086その霊魂(れいこん)(かみ)復活(ふくくわつ)して高天原(たかあまはら)(のぼ)準備(じゆんび)(はや)くも出来(でき)()たからである。
087 また(ぜん)(おもて)標榜(へうぼう)して内心(ないしん)(あく)包蔵(はうざう)するもの(すなは)ち、088自己(じこ)凶悪(きようあく)(よそほ)(ひと)(あざむ)くために(ぜん)利用(りよう)した偽善者(きぜんしや)や、089不信仰(ふしんかう)にして(かみ)存在(そんざい)(みと)めなかつたものは、090(ただち)地獄(ぢごく)墜落(つゐらく)無限(むげん)永苦(えいく)()くる(こと)になるのである。
091
092 死後(しご)高天原(たかあまはら)安住(あんぢう)せむとして霊的(れいてき)生涯(しやうがい)(おく)ると()ふことは、093非常(ひじやう)難事(なんじ)(しん)ずるものがある。094()()てその身肉(しんにく)(ぞく)せる所謂(いはゆる)情欲(じやうよく)なるものを一切(いつさい)脱離(だつり)せなくては()らないからだと()(ひと)がある。095(かく)(ごと)(かんが)への(ひと)(しゆ)として富貴(ふうき)より()れる世間(せけん)(てき)事物(じぶつ)(しりぞ)け、096(かみ)097(ほとけ)098(すく)ひ、099永遠(ゑいゑん)生命(せいめい)()ふことに(くわん)して、100()えず敬虔(けいけん)想念(さうねん)()らし祈願(きぐわん)(はげ)教典(けうてん)読誦(どくじゆ)して功徳(くどく)()()()(にく)(はな)れて(れい)()めるものと(おも)つて()るのである。101(しか)るに天国(てんごく)(かく)(ごと)くにして(のぼ)()るものでは()い。102()()(れい)()(にく)(はな)れようと(つと)むるものは(かへつ)一種(いつしゆ)悲哀(ひあい)生涯(しやうがい)修得(しうとく)高天原(たかあまはら)歓楽(くわんらく)摂受(せつじゆ)する(こと)到底(たうてい)出来(でき)るものではない。103()ンとなれば(ひと)各自(かくじ)生涯(しやうがい)死後(しご)にも(なほ)留存(りうぞん)するものなるが(ゆゑ)である。104高天原(たかあまはら)(のぼ)りて歓楽(くわんらく)生涯(しやうがい)永遠(ゑいゑん)(うけ)むと(おも)はば現世(げんせ)(おい)世間(せけん)(てき)業務(げふむ)()りその職掌(しよくしやう)(つく)道徳(だうとく)(てき)民文(みんぶん)(てき)生涯(しやうがい)(おく)り、105かくして(のち)(はじ)めて霊的(れいてき)生涯(しやうがい)()けねばならぬのである。106これを(ほか)にしては霊的(れいてき)生涯(しやうがい)()し、107その心霊(しんれい)をして高天原(たかあまはら)(のぼ)るの準備(じゆんび)(まつた)ふし()べき(みち)()いのである。108内的(ないてき)生涯(しやうがい)(きよ)(おく)ると同時(どうじ)外的(ぐわいてき)生涯(しやうがい)(いとな)まないものは砂上(さじやう)楼閣(ろうかく)(ごと)きものである。109(あるひ)次第(しだい)陥没(かんぼつ)(あるひ)(かべ)()(ゆか)(やぶ)崩壊(ほうくわい)顛覆(てんぷく)する(ごと)きものである。110アヽ惟神(かむながら)(たま)幸倍(ちはへ)坐世(ませ)
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