霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
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三 因果応報ばなし

インフォメーション
題名:3 因果応報ばなし 著者:出口澄子
ページ: 目次メモ:
概要: 備考: タグ: データ凡例: データ最終更新日: OBC :B124900c05
001 明治はじめのころの、002冬の暮しの楽しさば炉ばたで火を焚くことでありました。
003 檜葉(ひのきば)などをくべると、004ばちばちと音をたてて、005眼のあたりを淡紫(うすむらさき)に染めて部屋にこもり、006少し渋味のある、007ほろ甘い空気の好ましい味わいは、008檜葉(ひのきば)をたいた時が一番でしょう。
009 私はこの冬、010要荘(かなめそう)にいましても炭火はほんの手あぶりと煙草火(たばこび)ていどにして、011訪ねてくれる人があると、012暖をとるには、013檜葉(ひのきば)などを火鉢でたいてあたります。014口をとがらせて、015フウフウと吹きながら檜葉(ひのきば)のけぶる中から、016火の色をみるのが懐かしくて好ましいのです。
017 私は(かみしも)を着せられたような、018きゅうくつなことは(しょう)に合いませんので、019ふだん着のような気安さでこれをかいています。
020 昔は出口家の隣に刀の研師(とぎし)があって、021研屋(とぎや)という名で呼ばれておりました。
022 出口のお祖母(ばあ)さんの時代はことさら仲良くゆききしており、023祖母(ばあ)さんが志賀へゆかれる時には、024いろいろ大切なものを預けられました。
025 その時には自分は死ぬるつもりでなかったので、026相当にいろいろなものを預けてゆかれましたが、027祖母(ばあ)さんが教祖さまのところへ出口の後継ぎをたのみにこられたとき、028「このさき私にもしものことがありたら、029研屋(とぎや)にあずけておいた品を、030おまえさんが受取りておきなされ」といわれ、031志賀で亡くなられたのであります。
032 この遺言がありましたので、033教祖さまは綾部にうつられますと研屋(とぎや)を訪ねられましたが、034研屋(とぎや)では「そんなものはいっこうに知りませんが」という返事で、035祖母(ばあ)さんの亡くなったのをよいことにしていました。036ところが、037研屋(とぎや)には姉をお松といい、038弟を喜市(きいち)という息子一人娘一人の子持ちで、039親子四人が何不足なしに暮しておりましたが、040息子の喜市は大きくなるとばくちにこりだし、041放蕩(ほうとう)に身をもちくずしてゆきました。
042 ここに不思議な因縁の(つる)のからみあいと言いますか、043先に祖母をだまして志賀にゆかせた喜平の一人息女(むすめ)研屋(とぎや)の喜市と恋仲(こいなか)になりました。
044 相手は極道息子のことであり、045喜平が自分の愛娘(まなむすめ)との関係を「どんなことがありてもやれぬ」というたのは無理もありません。
046 しかし二人はどうしてもはなれぬといい、047その間に関係ができ娘が妊娠をしましたので、048喜平は腹を立てて娘を勘当してしまいました。
049 喜平の娘は男の子を産むと、050(さん)肥立(ひだ)ちがわるくて、051産児(さんじ)をのこして死んでゆきました。
052 それからというものは、053研屋(とぎや)の喜市はよけいやけくそになって、054ばくちの打ちつづけで、055とうとう研屋(とぎや)の家をつぶしてしまいました。
056 喜市は、057生まれたばかりの()に砂糖湯をこしらえて(そば)においただけで、058炬燵(こたつ)の火も消えている(とこ)に、059おしめもぬれたままで寝かせて、060家には戸をしめたまま何日も帰らないことがありました。
061 ある時、062喜市は打つばくちも打つばくちも()けつづけて、063とうとう質におくものもなくなるまで()けきって、064さりとて死ぬるというわけにもゆかず、065しょんぼりと家にかえって、066赤ん坊はもう死んだであろうとのぞいてみると、067命冥加(いのちみょうが)というものは不思議なもので、068パッチリと眼をあけて息をしていました。069それから喜平がどうなったかは聞いておりませんが、070この子供のことを聞いたのが、071川糸(かわいと)小平(こへい)であります。
072 小平(こへい)には子供がなかったので、073そのかわいそうな子供を抱いてかえり、074こしらえ(ちち)で育てましたところ、075不思議にもその子供は大きくなることができました。
076 私もよく覚えておりますが、077私が子供のころ小平(こへい)の家に遊びにゆきますと、078火鉢のそばに、079ちょうど灰猫(はいねこ)のような顔をして、080がりぼしの痩せたすねをだして坐っていたのを思いだします。
081 そのころその人は十二、082三の年でしたが、083後ろからみると五ツ六ツの子供のようで、084前にまわると大文字屋(だいもんじや)のように頭ばかりが大きくて、085ギロリと眼をむいた、086子供だか、087年寄りだかわからないような感じで、088それを見るたびに私はおかしゅうて吹きだしてしまいました。
089 研屋(とぎや)の末路もこのようなことになりました。
090 出口のお祖母(ばあ)さんをいきどおらした喜平の家はその()火事のため屋敷は黒土(くろつち)になりました。091その時の喜平の家の火事は、092大火事にひろがり、093その火元をだした喜平は人々のうらみの(まと)となり、094そのころから喜平夫婦は永い病にかかり苦しみはじめました。095その病は今でいう胃癌という病でしょう。096(なか)は減るし食べると腹一面が痛くてたまらず、097口には食べたし、098食べると苦しむというふうに、099四、100五年の間に体は衰えて骨と皮とになり、101腹ばかり大きくふくれて餓鬼草紙(がきぞうし)の餓鬼のように苦しみぬいて、102そのあげくに息をひきとりました。
103 この喜平にたった一人息子がのこっていまして、104この息子が家内をもらって子供が七人できましたが、105その子供たちはどうしたことか、106大きくなると次々に死んでゆきました。
107 そのはてに家内にも死なれて、108晩年は誰一人身のまわりの世話をしてくれるものもなく、109孤涯(こがい)をかこちつつ七十六のころさみしい死に方をしました。
110 この人は私の二十五、111六のころまで生きておったので、112私もよく知っております。113杖をついてよぼよぼとして町にちょいちょい買物にきました。114私も困難の時代ではありましたが、115わずかでも都合して米をはこんであげ、116味噌、117醤油を持っていってあげました。118人としては別に悪い人ではなかったのですが、119親の罪をうけたのであります。
120 喜平は後継ぎもなくなり、121小平(こへい)は後継ぎができず、122喜平の娘と研屋(とぎや)の息子の因果のより合いから生まれた孤児(みなしご)が以前には福知山に住んでいたということであります。
123 こういうことは、124悪いことはできないという天からの教えであります。
125 ここにもう一つ、126研屋(とぎや)息女(むすめ)の姉のお松のことをつけ加えておきます。
127 お松は喜市の極道で、128わが()もなくなり、129あちらこちらで奉公をして暮しておりました。
130 あるところで主人の息子に思いをかけられ、131自分も好きになりましたが、132昔のこととて、133主人も親戚も、134召使(めしつかい)ごとき者を入れるとは、135とばかり承知してもらえず、136二人は恋いこがれるあまり、137(よる)のまに手に手をとって京都にのがれました。
138 京都では男は時計屋に奉公をし、139お松は別のところで女中をするなど苦労をしながらも、140()()を楽しんでいましたが、141この男がまたばくちにきょう()をおぼえ、142それがこうじて七、143八年も懲役にゆくことになりました。
144 その男の名はたしか熊さんといったと思いますが、145熊さんの刑がすんでお松さんが迎えにいった時、146二人は行先きのことを考えると真ッ暗で、147困りはて都会ではどうにもならぬので、148二人はもとの綾部に帰ろうということになりましたが、149旅費もなし、150そこで二人が珍妙な道中をして歩いてかえることになりました。
151 腹がへってくると、152はじめに熊さんが気狂いの真似をして食べもの屋にとび込み、153店に売ってあるものをつまみ食いをし、154そのあとからお松が走ってゆき「この人は気が狂うているから許して下され」という断わりをいってすまし、155熊さんの腹がふくれると、156こんどはお松が気狂いになりトットッと行き当たりの饅頭屋(まんじゅうや)などにとび込んで、157饅頭のつまみ喰いをし、158そんなことをしてとうとう綾部までかえってきたそうです。
159 綾部にかえって、160裏町(うらまち)一間(ひとま)をかりていましたが、161また熊さんが懲役にゆくということになりました。162せっかく恥ずかしい思いをして綾部まで帰ってきたものの、163熊さんがひっぱられていった後のお松は途方にくれていましたが、164お松は無尽(むじん)をしてもらい、165本町(ほんまち)のダイショウカンの家を借り宿屋をはじめました。166それが大へん繁昌しまして、167熊さんの刑がおわって迎えにゆく時は女中の二、168三人も使っている花月(かげつ)という宿屋になっていましたが、169そのうち熊さんは女中にきていたお竹という女と深い関係になり、170それがため、171お松は狂人(きちがい)となり死んでゆきました。
172 わたくしは十五のころでありましたが、173不思議にもこの花月(かげつ)という宿屋に奉公にゆかせられ、174お梅という名で呼ばれていましたので、175そのいきさつをよく知っています。
176 そのころ私は、177お松さんはあれほど苦労してつくった財産と、178貞節をつくしてきた夫の熊さんを自分の使うていた女中にとられ、179気が狂うて死んでゆくとは、180このよしあしを何故(なにゆえ)に神様はわけなさらないのか、181この世というところは訳のわからぬところだと思っておりましたが、182いまになって考えてみると、183先祖の罪がめぐりめぐりてきたのであると、184これはなかなか恐いものであると思っております。
185 大きな火事も初めは小さいところの火の粉の()()から始まるのであるから、186悪いことはどんな小さなことも、187つつしまねばなりません。
188 今の世は悪いことがズリコする程にいっぱいになっていますが、189末法の世もいよいよ済み、190みろくの世となるのでありますから、191これからはちょっとも悪いことはできませぬ。

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