霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
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八 幼なき姉妹

インフォメーション
題名:8 幼なき姉妹 著者:出口澄子
ページ: 目次メモ:
概要: 備考: タグ: データ凡例: データ最終更新日: OBC :B124900c10
001 夏がすっかり過ぎて、002秋風がこく身にしみるころ、003色こまやかな綾部の里に、004私はふたたび帰ってきました。
005 そのころ綾部には、006まだ郡是(ぐんぜ)製糸(せいし)もなく、007他に女の仕事がなかったので、008母は遠くまでも仕事に出かけられました。
009 母が仕事にでてゆかれますと、010家にはおりょう姉さんと私と二人きりになりました。011おりょう姉さんはおとなしい、012いい姉さんでした。013二人で柿を食べていても、014私はグワッグワッと自分の持っている柿を急いで食べてしまうのに、015おりょう姉さんは静かにチビチビ食べているといった調子でした。016私は自分の分を食べてしまうと「おりょうさんお前の柿くれい」とねだりました。017姉は「いやでよう」と言っていましたが、018私は「くれなければゲンコかましたる」と手をふりあげるのでおりょう姉さんは「そんじゃ一つだけ上げる」と言うて私にくれました。019私とおりょうさんは、020年も二つ違いの姉妹(きょうだい)でしたから、021おりょう姉さんの思い出はかくべつ懐かしいものです。
022 私の家のすぐ下に与助(よすけ)さんという家があり、023そのころ与助さんは亡くなっておられ、024オキさんという後家さんとお梅さんというろうあの娘が残っていました。025このオキさんは大変よい人で、026教祖さまとも仲良く、027商売にも一緒にでかけられました。028またお梅さんもよく私のところにきて、029おりょうさんと私と三人で一しょに遊びました。
030 おりょう姉さんと私と梅さんと三人連れで、031天王平(てんのうだいら)の奥山や若宮さんの山、032また質山(しちやま)の奥山へ柴刈りにでかけました。033ほうばひろいというて大きな木の葉をよくひろいにゆきました。034これは軽くて焚き付けによいものでした。035柴作りも(たび)かさねて行っているうちに、036子供ながらにだんだん利巧(りこう)になるもので、037竹の棒の先に鎌をしばり付けて山の木の大きな枯枝をポキンポキンと折って廻り、038またたく()に柴を集めるようになりました。039それは数え年の八ツごろのことですが、040近所の人は「おすみさんは十五、041六の年の仕事するなあ」と言うていました。042またそのころ、043(おけ)に相当の水を汲んで、044それを天秤(てんびん)でかついで運ぶ仕事もしました。045働くこともよく働きましたが、046私の子供のころは底ぬけの遊びに(ほう)けて、047母を困らせたものです。
048 綾部に布袋屋(ほていや)という古道具店(ふるどうぐてん)があって、049そこの主人がよく(いち)を開いているのを見てきては、050その真似をしました。051家の鍋釜(なべかま)や、052(ぜん)053ざるというものを持ち出して、054以前に西門(にしもん)のあったところから金助さんのところまで並べ「サアイランカ、055(いち)ジャ(いち)ジャ、056()ウテクレンカ、057安クマケテオクゾ」とせり(いち)の言葉を使うて、058何んでも人にやってしまいました。059貧乏な家のことですから、060これというものは何もなかったのでありますが、061それでも暮しの道具はまだあったものを、062しまいには味噌、063醤油まで人にやってしまって教祖さまも困られたそうです。064持ちだすものがなくなると、065母が大切にしまっておられた縮緬(ちりめん)でできていた旗と法螺貝がみつかったのを、066それまで人にやってしまい、067母は商いから帰られ、068これを聞くなり「これは、069どうもならんな」と言われながら、070返してもらいに探されたことを憶えています。
071 昼のうちはヤンチャして遊び(ほう)けていましても、072日も暗くなり、073よその家の<行燈(あんどん)>に()がともるころになると、074そろそろさびしくなり、075家々の戸が閉まり、076辺りが暗くなると、077どうにもこらえきれなくなり、078そんなとき、079下の家からお梅さんが訪ねてくれるのが何よりのなぐさめでした。080私は教祖さまが(せな)に荷を負われている姿を、081まだ帰って来られないことを手真似でして、082お梅さんを家の中に入れ、083昼間に三人が山から拾ってきて分けた柴を()いてあたりました。084また梅さんのところに三人で行き、085梅さんとこの炬燵(こたつ)に入れてもらい教祖さまの帰りを今か今かと待ちながら、086そのうちに炬燵(こたつ)の中で(ねむ)ってしまったこともあります。087梅さんは私の淋しい日のなつかしい仲よしでありました。
088 母の帰りは、089夜な夜なおそくなりました。090私は一人で(かど)に立って、091遠く向こうをじっと見つめながら母さんを待ちました。092そうしてじっと外を見ているうちに、093一足二足(ひとあしふたあし)歩きだしていました。094権現さんのところまでゆきますと、095草鞋履(わらじば)きの母さんの足音がしてきました。096私は「母さん」というて走ってゆきました。097教祖さまは優しい声で「はい」と言われて、098私の手を握って引いてくださいました。099私は何もかも忘れて手をひかれて歩いていました。100母は私の手を引きながら、101(はよ)う帰ってやろうと思うても、102思うように足が運ばぬのでな」と言われました。
103 家に帰ると母は、104「さあ母さんがもどったでよ」とおりょう姉さんに言われ、105さっそく柴をとられ、106(かまど)に火を焚かれました。107「御飯たべえや」というて、108お茶碗によそって下さいました。109御飯というても、110いまごろ皆さんが頂いているようなものではなかったのです。
111 母はその日の商いのもうけの中から一合なり二合なりの米を帰りの道で買われ、112それでお粥を炊いて下さるので、113教祖さまが帰られるまでは、114どんなにおそくなっても私たちはお(なか)がすいたままで、115母を待たねばなりませんでした。
116 母は百姓が落としている麦の落ち穂があれば、117一つでも拾ってきて、118それが二三合もたまると、119碾臼(ひきうす)で粉にしてハッタイ()を作って下さいました。120また(かし)の実を拾って帰られると、121臼の中に入れてぐという(つち)で打たれ、122それをさらしてさらして団子にして下さいました。123ある時は(きび)を買ってきて臼で粉に()かれて黍団子(きびだんご)を作ってもらって食べたこともあります。
124 ひところ母は山家(やまが)に向けてよく仕事にゆかれていることがありました。125そうして、126「帰りには山家(やまが)饅頭(まんじゅう)()うてきちゃるでな」と言ってでかけられました。127そのころ山家(やまが)に麦でつくった(あん)のおいしい饅頭がありました。128一つが二文で、129おりょう姉さんと私に二銭がとこも買ってこられたこともありました。130そのころはお父さんが亡くなられて家が七円五十銭で銀行の質においてあったころですから、131母としては大ふんぱつであったのです。132私はこの山家(やまが)饅頭が好きで、133よく母に、134山家(やまが)饅頭()うてきてや」とねだりました。135夜になって私たちがくたぶれて寝てしまっても、136帰ってこられると、137荷物をおくと草鞋(わらじ)ぬぐ()が待てず(ひざ)で畳の上を這うて、138私とおりょう姉さんが睡っているところへきて、139「おりょうや、140おすみや、141山家(やまが)饅頭()うて来たで」と言うてゆりおこして下さいました。142私は寝とぼけて、143「饅頭()うてきてくれたか」と言いながら、144起き上がってその山家(やまが)饅頭を頂いたそうです。145母は私達が可愛(かわ)ゆうて朝まで待てなかったのです。146私は食べおわるとすぐ睡りこけてしもうて、147あくる朝、148母さんから「ゆうべの山家(やまが)饅頭うまかったか」と聞かされても、149私は「知らぬ」というたので、150「あんなつまらんことなかった」と教祖さまは後になっても話されました。
151 やはり私の数え年八つの初夏のころでありました。152(ばん)げになると、153私はいつものように母さんを迎いに外にでました。154(ほたる)の出る頃で
155  蛍来い ぶんぶくしょう
156  柳のすあいでぶんぶくしょう
157とうたいながら川糸(かわいと)の細道まで出ると、158道の下の川面(かわおも)をすいすいと蛍が飛んでいました。159私は川の中まではいって夢中になって蛍とりをしていました。160川の中をバチャバチャ歩いていても母さんの足音が聞こえてくるのに気づき、161母さんだとわかりました。162私は蛍のことも忘れ川の中からとびだし、163母さんのお姿を求めて走ってゆきました。
164 初夏の夕暮れ、165蛍のとび()う光景は、166私のこころに美しく染まっていて、167いまでも美しく描き出せます。168未決監房にいれられても、169そのことを(うた)に作りました。
170  故里(ふるさと)なつかし幼な(どき)
171  母はその日の生計(なりわい)
172  朝まは早く()はおそく
173  姉と二人が家の番
174  昼はたわむれ遊べども
175  晩げになればさむしなる
176  母を迎いに二人づれ
177  川糸(かわいと)の細道した川の
178  蛍こい、179ぶんぶくしょう
180  岸根にとまる蛍虫(ほたるむし)
181  お尻まくって蛍とる
182  しとしと聞ゆる足の音
183  母と見るより跳び上がる
184  母はにっこと笑みたまい
185  わが手を引いて帰らるる
186  うちに帰ればくらがりの
187  カチカチカチと火打石
188  とぼす行燈(あんどん)もほそぼそと
189  神にささぐる油なし
190  メイタに火を()けて献げられた
191 未決にいるころは、192ひまなので思い出すままに口ずさんでいました。193教祖さまは火のついたメイタ(つけ())を手に高くかかげられて神さまにささげていられました。194貧者(ひんしゃ)一燈(いっとう)という言葉がありますが、195教祖さまのはまことにそれ以上のものでした。196その時、197神様は「そなたの真心(まごころ)がうれしい」と申されて喜ばれたということです。198教祖さまは他人(ひと)にも言われず、199自分でも気づかれていなかったかも知れませんが、200そのころから神様のみ(こえ)を聞いておられたようです。
201 教祖さまが帰ってこられると、202その日のもうけの一文銭を一文一文こよりに通して、203シュッシュッと音をたてながら算用される音を聞くのが、204子供ごころに楽しみでした。205私は五厘ずつ(ひと)くくりにするのを手伝ったこともありました。
206 貧しい者には(よそ)にない楽しさもあります。207蛍のころになると近所の子供とおなじように蛍かごが欲しくてほしくてかなわんのですが、208とてもそんなものは()うてもらえませんので、209私は(はたけ)(ねぎ)をとってきて葱の中に蛍を入れて(いと)しみました。210そしておうちの蚊帳(かや)の中に入れて、211蛍をとばしました。212うす青い蚊帳(かや)の中を飛び交う蛍をながめながら寝ていると、213その楽しさに深くひたれるのでした。214しかしある時流しの棚で()のとれた(しゃく)を見つけ、215柄の穴から蛍を入れることを思いつき、216蚊帳(かや)の古い(きれ)をはり有頂天になってそれをさげ、217近所の子供たちに交って、218蛍がりにゆきました。219蛍を呼びながらも、220うれしさが身うちをかけめぐりました。
221 私とおりょう姉さんは馬場に芝居がかかると木戸番(きどばん)の人に頼んで、222無料(ただ)で入れてもらいました。223そして帰りにおよね姉さんのところによりました。224そのころ姉さんは小料理屋を出して、225繁昌していました。226夜おそくまで店の表をあけていて、227私が「姉さん」というと、228「はいりや」といって姉さんは饅頭などをだして「食べな」といって優しくしてくれました。
229 およね姉さんは私には良い姉さんでした。230慾がなくて、231自分のものも人のものも分からない人で、232それで人にも良く好かれましたが、233教祖さまにはきつく当たりました。234これは霊系を立直される神界からの関係によるもので不思議なもので、235こわいものであります。

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