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嗚呼歌人

インフォメーション
題名:嗚呼歌人 著者:出口王仁三郎
ページ:573
概要: 備考:2023/10/08校正。 タグ: データ凡例: データ最終更新日:2023-10-08 21:25:50 OBC :B121805c263
初出[?]この文献の初出または底本となったと思われる文献です。[×閉じる]『庚午日記 七の巻』昭和5年7月31日
 昔から歌人(かじん)と云へば十中の八九は(いづ)れも世捨人(よすてびと)の寝言であつたかの感じがする。故に英雄豪傑と云はるる人の歌はあまり専門的に多作は無い(やう)だ。(しか)(なが)日本(につぽん)言霊(ことたま)(さち)はふ国である以上、余り世捨人や坊主や医者にのみ任しておきたくない。それで自分は(つと)めて和歌を作り新進の空気を社会に注入し、活発なる社会を造り万民の幸福をはからぬと明光(めいくわう)誌を発行しつつあるのである。現代の歌壇を一通り見渡すに、(いづ)れも貧弱なる思想と生活にあえぐ小人(せうじん)鼠輩(そはい)の集合で、一として豪放さも真面目さも無く、(いたづら)に世を呪ひ強者を敵視し外来思想にかぶれたるものばかりである。敷島の歌なぞと実に敷島の道が聞いて涙をこぼすであらう。自分は今迄日本現代の歌壇(かだん)を買ひ被つて居た事を今更(いまさら)悔ゆる次第である。到底(たうてい)物にならないのは現代の歌壇だ。
 貧乏生活をさらけ出して得意気に歌つて見たり、悲観的な辞句を際限もなく長々と羅列したり、細心(さいしん)的な小心(せうしん)翼々(よくよく)たる文句を並べ立てて、何処(どこ)に日本男子の本領があるか。女々(めめ)しい泣き(ごと)を上手に言つたのが佳作としてゐる現代の歌人なるものは決して正気の沙汰とは思はれない。活字から目を放せば皆目(かいもく)記憶に残らず、歌を誦読(しようどく)すれば舌を噛むやうな音律の乱れたるもの而已(のみ)にして、其の心事(しんじ)狭隘(けふあい)なる、卑劣なる、実に言句(げんく)も出ない有様である。最早(もはや)現代の歌壇に(おい)ては、一人として(わが)恐るべき作歌者の無きを看破した自分は、(わが)明光(めいくわう)社員の高尚優美なる歌に対して力強く感ずる次第である。
 俗に()ふ、牛は牛連れ馬は馬連れだ。なまじひに人間が牛の中へ飛んで出ても意志と想念に天地の差があるのだから、余りかれこれ言ふのも口の(けが)れだ、筆の損失だ。とは言ふものの惟神の大道を(あまね)く天下に宣布して理想天国を地上に建設し、世界万民永遠の幸福と安心を得させむとする機関明光社(めいくわうしゃ)の歌と、人類の生活のみに即して不平を並べ立てる歌壇の人(たち)とは、根本的にそりが合はないのは(むし)ろ当然だとすれば、現代歌壇に対して余りこき(おろ)ろすのも可愛相(かあいさう)でもあり、また無理かも知れない。日本には立派な言霊(ことたま)(さち)はつて居ながら(つと)めてそれに遠ざかり(かつ)歓んで脱線せむとする現状は(まこと)(あは)れむべき状態である。明光社人よ、必ず国風(くにぶり)(すゐ)を学びて大成されむことを切望する。
 天下経綸の大神業に奉仕し、世界永遠の平和と幸福を(こいねが)吾々(われわれ)大本人(おほもとじん)に取つては、現代の歌壇の趨勢(すうせい)や歌の作意(さくい)を見て(たちま)心性(しんせい)の堕落を感じ、天国より急転直下、地獄道に墜落したる感念(かんねん)「感念(かんねん)」は底本通り。「観念」の誤字か?(おこ)つて来る様で実に不快である。自分が今回歌壇に入つたのも、その新しきを憧憬してでも無く、現代の所謂(いはゆる)歌人なるものの心理状態を探らむが為であつた。然し乍ら天下有用の(ざい)を今の歌壇に求めむとするは労して功なく、意志想念の(がい)して地獄的であり、自己本意であり、生活のみに没頭して我が国体の精神を知らざるもの多く、(いな)知りても知らぬ顔する小人(せうじん)の多きに愛想をつかして了つたのである。(これ)から考へて見ても、(わが)明光社は国家の為、斯道(しどう)擁護の為、層一層奮励(ふんれい)努力せざる()からざるを(せつ)に感ずるものである。
(昭和五・七・三一 庚午日記 七の巻)
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