日に昼夜があり、人間には顔や胴体や四肢等があり、芝居には舞台あり、楽屋がある。活動写真も声色と鳴物が入つてこそ見られるが、破れ穴からフイルムを見たら三文の価値もないものだ。今の世の中は看板や広告は立派であつても、その内幕にはいつて査べて見ると大変な相違に驚かざるを得ない。
見切、捨売、滅茶々々の大安売と題したるもの、是所謂看枚で其実はヤクザ物の寝息品を集めて低価に提供する位のものだ。故に殆どそれは常設市場で田舎者だましに過ぎないのだ。世の中にロハほど安い物は無い。無料進呈とかいふ奴、多大な広告料を支払ひ、この辛い時節にそれが本当なら行り切れるものではない。無代進呈とはその実看枚ばかりで、その内幕に至つては頗る皮肉な手段を以て喰ひ入らむとするが為である。
僅か十円の資本で月収百円、家内工業あり、器械貸与す、製品永久取引契約す。と真実らしく木に餅の生る如なうまい広告を見た事があつた。是も看枚でその内幕に至つて見れば、製品不良の名の下に三文の価もつけず、遂に泣き寝入りに終らして了ふのだ。差引十円の見本料金が全然損失に帰するのみであつて、細民泣かせの奸手段が多々ある世の中である。
支店長、会計課長募集とかの広告を見た事がある。それに付記して曰ふ、月給百二十円を給すと云ふヤクザ銀行や会社がある。是も矢張り看板であつて其内幕は保証金を失敬せむとするのが多々ある。曰く、入社の際身元金として多額の金を納めしめ、半月乃至一ケ月の給料を支給するだけで、何とか彼とか言ひ分をつけ、ゴタゴタの間に是を失敬して何処かへ逐電して了ふ奴がある。災民救済だとか実費治療だとかの美名の下に、妙な医薬の力を用ゆるものがあると聞く。是も看板で、其内幕は美名の蔭にかくれて高利貸的手段を弄するものである。
学校敷地の一部分を寄付するとか、教育器具図書を寄付するものがある。是も看板であつて其内幕を見ると幾多の奸手段を弄して、不当の利益を占め、其利益の百万分の一乃至二を社会事業に寄せて、世をゴマカさむとする奴がある。大地主と称するものの学校新設の運動や公園新設の運動、その他地方発展策の美名を唯一の看板に此の挙に出づものである。震災に際して幾百万円かを公債か何かで投り出して大きい面をする輩も、或はこの種にあらざれば幸である。
頗る堅気で、独身女がある。彼は単に愛せらるる女として取扱はれるのが馬鹿らしいと云ふ。是も矢張り看板であつて、その内幕は多情ものに非ざれば、恋に破れたヒス的か、然らずんば頗るズボラ女である事は間違ひ無い。女は怪物だ夜叉だと云つて呪ふが如く主張し、独身生活を力説する男がある。是も亦看板で其内幕はヤクザ事務所を作成して、女事務員募集をのべつ幕なしに行ひ、以てその間美形の選り喰をせむとするの類である。
理想候補者、愚民をゴマカす武器として、時に勝手気儘に此の語の用ゐらるるのは遺憾千万である。彼等は独りぎめに理想候補者といふ。是も亦看板であつて、其内幕に至つては、内容極めて貧弱なる自称候補者の運動費の豊富に無い奴である。
筆に示しがたく言葉に尽し難し、如何に珍妙にして奇抜、而して美麗なか、一度この絵に接せむか、実に血燃ゆるの想ひあらしむといふ。是も亦看板であつて、其内幕は一枚五六厘位の女の絵葉書である。
何々信託業或は金貸業と金看板を出す。如何にもそれは堂々たるの感を与へるが、いかがはしいのもある。金看板は彼等が徒の看板であつて、其内幕は仲介は単に口実であつて、手数料を失敬するのが本意なるものがある。全部呑み込まざれば幸、金貸業の看板にも亦此の種のものがある。調査の名に藉口して、曰く調査費失敬を本領と考へ、或はそれを以て綱領とさへするものがある。
月賦販売といふのがある。毎月幾円かの払込を為し、一ケ年或は二三ケ年を以て満期とし、五回或は八回の払込を為せば定額の現物を渡すといふのがある。是も看板で、其内幕は毎月の払込金を殆ど失敬し、満期の時は行先不明と逃げ出すものがある。
百何十版と云ふ広告がある。発行当日初版売切れ忽ち再版、一日に何十版売出と称する書物がある。是も矢張り看板であつて、其内幕は初版が一千部で半数以上も残つてる品物である。如何に印刷力が迅速だと云つても、僅か一日の間に幾百頁の書物を幾版と無く印刷し製本し得るものではないのだ。
田舎代議士が帰郷の土産として、報告演説会といふことをやる。是も亦看板であつて、其内幕に至つてみんか、彼等は議場に於て居眠りを為し、下宿に帰つて新聞を読み、此記事を携帯して帰郷し、物識面をして、曰く議会報告と五角八面に堂々とふれ出すものがある。
主人の手紙にも妙なのがある。成金者輩の手紙なるものがあるが、それも看板で其内幕に至つて見れば、何れも代筆や書記の手に成れるものである。代筆番頭は其稿を他の人に作製して貰ふ。某の成金は封筒に糠を少し入れて知人に郵送したのがあつた。(少し来ぬか)といふのだと云ふ。又小石を封入したものがあつたといふ。是は代筆や書記に回し兼ねた恋人に送るので(恋し恋し)といふのだといふ。成金者の頭の低脳さ加減は、女郎の恋文と何等異なる所は無いやうである。
主義綱領、国家百年の大計、国利民福を増進、思想善導、地方発展等、あらゆる立派な尤もらしい主義や綱領を羅列し、その上に大官や公爵や政党の主領や、実業家の巨頭連の姓名を麗々しく書き立て、曰く何々会、曰く何々社、曰く何々団と、是も矢張り看板で、他人の褌で角力を取らうと云ふズルイ奴の常套手段で、今まで一として完成したものは無い。他人の名前や立派な主義綱領を初めから並べるものに真正なものはない。
今度の旅行中に中越線を通ると油田と云ふ小さい駅があつた。此処には石油試掘場の建物が寂しく野の中に立つてゐる。例の海月鮟鱇主義の生活者が集まつて、加賀、越中、越後は石油脈の中心点で、その大中心で最も豊富で有望な地点は油田だと吹聴宣伝し、大きい広告を出して地方の欲深連をたぶらかし、一儲けせむと数百万坪の試掘願を出し、多数の株を募集せむとした所、有志者が実地踏査と出かけて駅を降りようとすると、駅夫が大きな声で油出ん油出ん油出んと怒鳴つて居る。其の言霊が気に喰はぬとて、何れも二の足を踏んで後退りするものばかりで、折角の名案計画もオジヤンに成つて仕舞つたとの面白い話を聞いた。費用の入れ損でコイツはさつぱり虻蜂取らずで、反対に油を身の内から搾り出したに過ぎないのである。
筆の序に海月生活と鮟鱇生活の大略を所謂善人の為に説明しておかう。海月は海中を浮遊し乍ら、自分の傘下に微細な魚族の集まつて来るのを、知らぬ顔して保護の任に当つて居る。小魚は少し自分等より大なる魚に喰はれる難を避けむ為に、争つて海月の傘下に集まるのである。是が小魚に取つては広い海上唯一の安全地帯である。その小魚を食はむとして襲つてきた奴を、海月の奴長い手を出して絡んで仕舞ひ自分の好餌とするのである。そして海月の奴少しく大きくなつた傘下の奴を小口から他の小魚に知らさぬ如うにして、ボツボツと平らげて了ふ。万一餌に欠乏を告げた時は傘下の小魚を残らず喰つて了ふといふ代物である。
鮟鱇と云ふ奴は一名山椒魚ともいふ。鯰のやうなスタイルをして、泥と同じやうな色に体を変じ、泥の中に首から下を埋め、小さい眼をむき、大きな口から細い長い伸縮自在の肉糸を吐き出し、肉糸の尖端に小虫の形した肉塊をつけ、水中の魚族が虫だと思つて突つきに来る奴を、チクリチクリと引つぱり縮める。魚はそれを虫だと思つて飽くまでも追つかける。終には鮟鱇の口腹に葬られて了ふ。
以上羅列した種々の看板も矢張り海月の肉の傘、鮟鱇の虫状肉塊に過ぎないのである。世の中は欲さへ無くて常識さへあれば安全無事だが、之に反する時は実に危ないものだ。
(昭和三・七・二一 東北日記 一の巻)