霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
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第五章 秋鹿(あきしか)の叫(さけび)〔八七一〕

インフォメーション
著者:出口王仁三郎 巻:霊界物語 第31巻 海洋万里 午の巻 篇:第1篇 千状万態 よみ(新仮名遣い):せんじょうばんたい
章:第5章 秋鹿の叫 よみ(新仮名遣い):あきしかのさけび 通し章番号:871
口述日:1922(大正11)年08月18日(旧06月26日) 口述場所: 筆録者:松村真澄 校正日: 校正場所: 初版発行日:1923(大正12)年9月15日
概要: 舞台: あらすじ[?]このあらすじはMさん作成です(一部加筆訂正してあります)。一覧表が「王仁DB」にあります。[×閉じる]: 主な登場人物[?]【セ】はセリフが有る人物、【場】はセリフは無いがその場に居る人物、【名】は名前だけ出て来る人物です。[×閉じる]: 備考: タグ: データ凡例: データ最終更新日:2022-03-11 21:19:00 文字数:4251 OBC :rm3105
愛善世界社版:49頁 八幡書店版:第6輯 59頁 修補版: 校定版:51頁 普及版:22頁 初版: ページ備考:
001 紅井姫(くれなゐひめ)は命(いのち)にも代(か)へて恋(こ)ひ慕(した)つて居(ゐ)た初恋(はつこひ)の国依別(くによりわけ)に介抱(かいほう)され、002其(その)嬉(うれ)しさに病気(びやうき)は段々(だんだん)と軽(かる)くなり、003殆(ほとん)ど全快(ぜんくわい)に近付(ちかづ)いた。004紅井姫(くれなゐひめ)はまだ十九(じふく)才(さい)の花盛(はなざか)り、005国依別(くによりわけ)は早(はや)くも四十(しじふ)の坂(さか)を三(みつ)つ四(よ)つ越(こ)してゐた。006されど球(きう)の玉(たま)の神徳(しんとく)にてらされて、007元気(げんき)益々(ますます)加(くは)はり、008血色(けつしよく)よく、009一見(いつけん)して三十(さんじふ)前後(ぜんご)の若者(わかもの)とより見(み)えなかつた。010紅井姫(くれなゐひめ)は侍女(じぢよ)を遠(とほ)ざけ只一人(ただひとり)、011心(こころ)淋(さび)しげに一絃琴(いちげんきん)を弾(だん)じ、012心(こころ)の丈(たけ)を歌(うた)ひ居(ゐ)る。
013紅井姫『天(あめ)と地(つち)との水火(いき)をもて
014生(うま)れ出(い)でたる人(ひと)の身(み)は
015如何(いか)でか神(かみ)の御(おん)恵(めぐ)み
016蒙(かうむ)らずしてあるべきや
017秋野(あきの)にすだく虫(むし)の音(ね)も
018木々(きぎ)に囀(さへづ)る百鳥(ももとり)の
019長閑(のどか)な声(こゑ)もをし並(な)べて
020恋(こひ)を語(かた)らぬものぞなき
021恋路(こひぢ)に迷(まよ)はぬ者(もの)あらむ
022心(こころ)の底(そこ)の奥山(おくやま)に
023清(きよ)く照(て)りはふ紅井(くれなゐ)の
024紅葉(もみぢ)の色(いろ)に憧(あこ)がれて
025妻(つま)恋(こ)ふ鹿(しか)もある世(よ)の中(なか)に
026国依別(くによりわけ)の神(かみ)さまは
027どうして斯(か)くも情(つれ)ないぞ
028此方(こちら)が思(おも)へば先方(さき)の方(ほ)で
029思(おも)ひ返(かへ)さぬ恋(こひ)の暗(やみ)
030迷(まよ)ふ吾(われ)らの苦(くる)しみを
031折(を)りある毎(ごと)に打明(うちあ)けて
032語(かた)らむものと思(おも)へ共(ども)
033女心(をんなごころ)の恥(はづ)かしく
034汝(なれ)が御(おん)身(み)を思(おも)ふとは
035思(おも)ふ人(ひと)には思(おも)はれじと
036思(おも)ふは誰(たれ)を思(おも)ふなるらむ
037あゝ惟神(かむながら)々々(かむながら)
038結(むす)ぶの神(かみ)の幸(さち)はひに
039紅井姫(くれなゐひめ)が真心(まごころ)を
040国依別(くによりわけ)の御(おん)前(まへ)に
041夢(ゆめ)になり共(とも)知(し)らせたい
042目(め)ひき袖(そで)ひきいろいろと
043遠(とほ)くまはして知(し)らせ共(ども)
044野山(のやま)の諸木(もろき)か川(かは)の石(いし)か
045巌(いはほ)の如(ごと)く頑(ぐわん)として
046歯節(はぶし)も立(た)たぬ国依別(くによりわけ)の
047犯(をか)しがたなき其(その)心(こころ)
048益々(ますます)募(つの)るは恋(こひ)の意地(いぢ)
049汝(な)が身(み)の為(ため)には吾(わが)命(いのち)
050仮令(たとへ)野(の)の末(すゑ)山(やま)の奥(おく)
051屍(かばね)を曝(さら)す世(よ)あり共(とも)
052などか厭(いと)はむ一(ひと)ことの
053汝(なれ)が命(みこと)の御口(みくち)より
054優(やさ)しき言葉(ことば)の花(はな)の色(いろ)
055うつさせ玉(たま)へ紅井姫(くれなゐひめ)が
056このいじらしき真心(まごころ)を
057知(し)らぬ顔(かほ)なる恨(うら)めしさ
058それに引替(ひきか)へ朝夕(あさゆふ)に
059執念深(しふねんぶか)くも附(つ)け狙(ねら)ふ
060厭(いや)な男(をとこ)の秋山別(あきやまわけ)や
061内事司(ないじつかさ)のモリスまで
062言葉(ことば)巧(たくみ)に言(い)ひ寄(よ)りて
063秋波(しうは)を送(おく)る厭(いや)らしさ
064恋(こひ)しき人(ひと)は知(し)らぬ顔(かほ)
065生命(いのち)かけての紅井(くれなゐ)の
066吾(わが)言霊(ことたま)も木耳(きくらげ)の
067少(すこ)しも響(ひび)かぬつれなさよ
068金勝要(きんかつかねの)大神(おほかみ)の
069御霊(みたま)幸(さち)はひましまして
070添(そ)ひたく思(おも)ふ国依別(くによりわけ)の
071縁(えにし)を結(むす)ばせ玉(たま)へかし
072うるさき二人(ふたり)の恋心(こひごころ)
073一日(ひとひ)も早(はや)く皇神(すめかみ)の
074尊(たふと)き御稜威(みいづ)を現(あら)はして
075思(おも)ひ切(き)らせて玉(たま)へかし
076あゝ惟神(かむながら)々々(かむながら)
077男(をとこ)と生(うま)れ女子(をみなご)と
078生(うま)れ来(きた)るも神(かみ)の世(よ)の
079深(ふか)きえにしのあるものぞ
080今(いま)に妻(つま)なき国依別(くによりわけ)の
081神(かみ)の司(つかさ)よ紅井姫(くれなゐひめ)が
082清(きよ)き心(こころ)の初恋(はつごひ)を
083叶(かな)へて汝(なれ)と吾(あ)と二人(ふたり)
084国魂神(くにたまがみ)の御(おん)前(まへ)に
085手(て)に手(て)を取(と)つて潔(いさぎよ)く
086鴛鴦(をし)の契(ちぎり)の礼(れい)参(まゐ)り
087一日(ひとひ)も早(はや)く片時(かたとき)も
088思(おも)ひを叶(かな)へ玉(たま)へかし
089あゝ惟神(かむながら)々々(かむながら)
090御霊(みたま)幸(さち)はひましませよ』
091と歌(うた)ひ終(をは)り、092一絃琴(いちげんきん)を横(よこ)に置(お)き、093木茄子(きなすび)の皮(かは)を剥(む)き、094一口(ひとくち)喉(のど)をうるほし乍(なが)ら、095又(また)もや恋(こひ)に悩(なや)みつつ、096双手(もろで)を組(く)みて溜息(ためいき)をつき居(ゐ)たり。097斯(かか)る所(ところ)へ、098国依別(くによりわけ)は数多(あまた)の人々(ひとびと)に鎮魂(ちんこん)を施(ほどこ)し、099稍(やや)手(て)すきになつたのを幸(さいは)ひ、100紅井姫(くれなゐひめ)の居間(ゐま)に休息(きうそく)がてら入(い)り来(きた)り、
101国依別『紅井姫(くれなゐひめ)様(さま)、102確(たしか)に一絃琴(いちげんきん)の音(おと)が聞(きこ)えて居(を)りましたが、103随分(ずいぶん)お上手(じやうづ)で御座(ござ)いますなア。104どうぞ私(わたくし)にも聞(き)かして下(くだ)さいませぬか?』
105 此(この)言葉(ことば)に紅井姫(くれなゐひめ)は、106最前(さいぜん)の歌(うた)を聞(き)かれたのではあるまいかと胸(むね)を轟(とどろ)かせ、107忽(たちま)ち面部(かほ)をパツと紅(くれなゐ)の色(いろ)に染乍(そめなが)ら、
108紅井姫『ハイ妾(わらは)の手慰(てすさ)びを残(のこ)らずお聞(き)きになりましたか?』
109と恥(はづ)かしげに俯(うつ)むく。110国依別(くによりわけ)は何(なに)げなう、111無雑作(むざふさ)に、
112国依別『イヽエ承(うけたま)はりませぬ。113少(すこ)しく手(て)すきになりましたので、114御(ご)機嫌(きげん)を伺(うかが)はふと思(おも)つて、115長廊下(ながらうか)を参(まゐ)りますと、116あなたの御(お)居間(ゐま)に琴(こと)の音(ね)が聞(きこ)えて居(ゐ)ますので、117どうぞ一(ひと)つ聞(き)かして頂(いただ)きたいと思(おも)ひ、118そこ迄(まで)参(まゐ)りますと、119早(はや)くもお琴(こと)の音(ね)は止(と)まりました。120残念(ざんねん)な事(こと)を致(いた)しましたよ。121モ一息(ひといき)早(はや)く伺(うかが)へば、122妙音(めうおん)菩薩(ぼさつ)の音楽(おんがく)が聞(き)かれる所(ところ)で御座(ござ)いましたに』
123 紅井姫(くれなゐひめ)は、
124紅井姫『ホヽヽヽヽ』
125と袖(そで)に顔(かほ)を当(あ)て、126恥(はづ)かしげに笑(わら)ふ。
127国依別『姫(ひめ)さま、128永(なが)らく御(ご)厄介(やくかい)に預(あづか)りましたが、129明日(みやうにち)は、130お暇(ひま)を頂戴(ちやうだい)して帰(かへ)らうと存(ぞん)じます。131就(つい)ては明朝(みやうてう)早(はや)くなりますから、132あなたの御(お)休眠中(やすみちう)にお目(め)をさましてもなりませぬから、133是(これ)きりで暫(しばら)くお目(め)にかからないとも分(わか)りませぬ。134ここで明日(あす)の御(お)別(わか)れの御(ご)挨拶(あいさつ)を致(いた)しておかうと存(ぞん)じます』
135 紅井姫(くれなゐひめ)は俄(にはか)に顔色(かほいろ)を変(か)へ、
136紅井姫『エヽ何(なん)と仰(あふ)せられます。137明日(あす)御(お)帰(かへ)りとは、138そりや又(また)余(あま)りぢや御座(ござ)りませぬか。139妾(わらは)がこれ丈(だけ)……』
140国依別『永(なが)らく御(ご)親切(しんせつ)に預(あづか)りましたが、141是(これ)から、142ハルの国(くに)を渡(わた)りウヅの国(くに)へ参(まゐ)り、143言依別(ことよりわけの)命(みこと)様(さま)に会(あ)はなくてはなりませぬ。144それ迄(まで)に二三(にさん)人(にん)の男(をとこ)を助(たす)けねばならぬ事(こと)が御座(ござ)いますので、145非常(ひじやう)に心(こころ)が急(いそ)ぎますから、146是非(ぜひ)々々(ぜひ)明日(みやうにち)は出立(しゆつたつ)を致(いた)さねばなりませぬ。147永(なが)らく懇意(こんい)に預(あづか)りましたが、148生者(せいじや)必滅(ひつめつ)会者(ゑしや)定離(ぢやうり)、149会(あ)ふは別(わか)れの始(はじ)めとやら、150どうぞ是迄(これまで)の御縁(ごえん)と思召(おぼしめ)して下(くだ)さいませ、151貴女(あなた)の御(ご)健全(けんぜん)な様(やう)に日(ひ)に日(ひ)に御(お)祈(いの)りを致(いた)しますから、152御(ご)病気(びやうき)の事(こと)なぞ、153必(かなら)ず御(ご)心配(しんぱい)なさらない様(やう)に頼(たの)みます』
154 紅井姫(くれなゐひめ)は『エヽ』と云(い)つた限(き)り、155其(その)場(ば)に驚(おどろ)いて倒(たふ)れむとし、156忽(たちま)ち目(め)は眩(くら)み、157耳(みみ)は早鐘(はやがね)をつき心臓(しんざう)の鼓動(こどう)烈(はげ)しく、158不安(ふあん)の状態(じやうたい)現(あら)はれ来(き)たる。159国依別(くによりわけ)は……ハテ困(こま)つた事(こと)が出来(でき)たわい……と稍(やや)心配(しんぱい)して居(ゐ)る。160紅井姫(くれなゐひめ)は怺(こら)へ切(き)れなくなつたと見(み)え『ウン……』と一声(ひとこゑ)其(その)場(ば)に悶絶(もんぜつ)して了(しま)つた。161国依別(くによりわけ)は驚(おどろ)いて、162直(ただち)に、163姫(ひめ)の手(て)を取(と)り、164指先(ゆびさき)より息(いき)を吹(ふ)きこみ、165いろいろと介抱(かいほう)の結果(けつくわ)、166漸(やうや)く姫(ひめ)は正気(しやうき)づきぬ。
167国依別『お姫(ひめ)様(さま)、168お気(き)が付(つ)きましたか。169マア結構(けつこう)で御座(ござ)いました。170私(わたくし)も大変(たいへん)に心配(しんぱい)致(いた)しましたよ。171何事(なにごと)の御(ご)心配(しんぱい)がお有(あ)りなさるか知(し)りませぬが、172世(よ)の中(なか)は如何(どう)しても、173人間(にんげん)の思(おも)ふ様(やう)には行(ゆ)くものではありませぬ。174何事(なにごと)も神(かみ)様(さま)の御心(みこころ)の儘(まま)によりならないものです。175例(たと)へば夫婦(ふうふ)の道(みち)だつて、176添(そ)ひたひ添(そ)ひたひと思(おも)うてゐる女(をんな)があつても、177神(かみ)の御(お)許(ゆる)しがなければ添(そ)う事(こと)は出来(でき)ず、178嫌(きら)いでならない女房(にようばう)を持(も)つて、179一生(いつしやう)を不愉快(ふゆくわい)に暮(くら)す者(もの)もあり、180又(また)好(す)きな者(もの)同志(どうし)が夫婦(ふうふ)になり、181一(いち)時(じ)は非常(ひじやう)に楽(たの)しく暮(くら)して居(ゐ)た者(もの)が中途(ちうと)に邪魔(じやま)が這入(はい)り、182障害(しやうがい)が出来(でき)などして、183破鏡(はきやう)の歎(なげ)きを味(あぢ)はふ者(もの)も御座(ござ)います。184それだから人間(にんげん)は到底(たうてい)自分(じぶん)の思(おも)ふ様(やう)にならないものだと思(おも)つて居(を)れば、185何事(なにごと)も諦(あきら)めが付(つ)くもので御座(ござ)います』
186 紅井姫(くれなゐひめ)は恨(うら)めしげに国依別(くによりわけ)の顔(かほ)を見(み)つめ、187何(なに)か云(い)はむとして口籠(くちごも)るものの如(ごと)く、188上下(うへした)の唇(くちびる)をビリビリと震(ふる)はせゐる。
189 国依別(くによりわけ)は紅井姫(くれなゐひめ)の背(せ)を撫(な)でさすり、190いろいろと慰(なぐさ)めゐる折(をり)しも、191俄(にはか)に足音(あしおと)高(たか)く、192隔(へだ)ての襖(ふすま)を静(しづか)に荒(あら)く引(ひき)あけて、193ヌツと首(くび)を出(だ)した秋山別(あきやまわけ)は、
194秋山別『ヤアお楽(たのし)みの所(ところ)へ、195行儀(ぎやうぎ)も知(し)らぬ不作法(ぶさはふ)者(もの)がやつて参(まゐ)りまして、196何(なん)とも早(はや)面目(めんぼく)次第(しだい)も御座(ござ)いませぬ。197併(しか)し乍(なが)ら国依別(くによりわけ)さま、198お前(まへ)さまは誰(たれ)に断(ことわ)つて姫(ひめ)様(さま)の御(お)居間(ゐま)へお越(こ)しになつたのですか。199御(ご)病気(べうき)なれば兎(と)も角(かく)も、200此(この)頃(ごろ)は最早(もはや)全快(ぜんくわい)遊(あそ)ばし、201お前(まへ)さまの御(ご)祈念(きねん)を御(お)願(ねがひ)する必要(ひつえう)もなくなつた今日(こんにち)、202何(なん)の為(ため)、203姫(ひめ)様(さま)一人(ひとり)の居間(ゐま)へ御(お)出(い)でになり、204其(その)上(うへ)お手(て)を握(にぎ)り、205背(せな)を撫(な)で、206何(なん)と云(い)ふ不作法(ぶさはふ)な事(こと)をなさいますか。207不義(ふぎ)は御(お)家(いへ)の御(ご)禁制(はつと)、208サアサア、209此(この)秋山別(あきやまわけ)が現場(げんぢやう)を見着(みつ)けた上(うへ)は、210如何(いか)に御(ご)弁解(べんかい)をなさらうとも、211承知(しようち)仕(つかまつ)らぬ。212今日(こんにち)限(かぎ)り此(この)館(やかた)をトツトと退去(たいきよ)なされ。213ヒルの館(やかた)の総取締(そうとりしまり)秋山別(あきやまわけ)が、214職名(しよくめい)に依(よ)つて申付(まをしつ)けまするぞ』
215国依別『これは心得(こころえ)ぬあなたの御(お)言葉(ことば)。216国依別(くによりわけ)があなたの目(め)からは不義者(ふぎもの)と見(み)えますかナ』
217秋山別『見(み)えるも見(み)えぬもない、218現(げん)に今(いま)姫(ひめ)様(さま)の御(お)体(からだ)に手(て)をさへたぢやないか』
219紅井姫『コレ秋山別(あきやまわけ)、220人様(ひとさま)に向(むか)つて、221さうズケズケと御(ご)無礼(ぶれい)な事(こと)を申(まを)す者(もの)でない。222妾(わらは)が今(いま)急病(きふべう)を発(はつ)し、223苦(くるし)みて居(ゐ)た所(ところ)を通(とほ)りかかつて苦悶(くもん)の声(こゑ)を聞(き)き、224助(たす)けに来(き)て下(くだ)さつたのだよ。225どうぞお前(まへ)も疑(うたがひ)を晴(は)らして御(お)礼(れい)を云(い)うて下(くだ)さい』
226秋山別『何(なん)とお姫(ひめ)様(さま)、227あなたも此(この)頃(ごろ)は随分(ずいぶん)旅(たび)の方(かた)[※「旅の方」「足袋の型」いずれも意味不明。]になられましたねえ。228国依別(くによりわけ)さまのお仕込(しこみ)で、229イヤもう秋山別(あきやまわけ)もあなたの言霊(ことたま)には、230ヘヽ閉口(へいこう)致(いた)しますワイ』
231紅井姫『コレ秋山別(あきやまわけ)、232お前(まへ)は妾(わらは)を足袋(たび)の型(かた)と今(いま)言(い)つたが、233そりや又(また)如何(どう)いふ訳(わけ)だい。234知(し)らしてお呉(く)れ』
235秋山別『中々(なかなか)此(この)頃(ごろ)はお姫(ひめ)様(さま)もお口(くち)が上手(じやうづ)にお成(な)り遊(あそ)ばし、236御(ご)弁解(べんかい)が甘(うま)くて足袋(たび)の型(かた)で中々(なかなか)手(て)に合(あ)はぬと言(い)つたのですよ。237アハヽヽヽ』
238国依別『秋山別(あきやまわけ)さま、239必(かなら)ず御(ご)心配(しんぱい)下(くだ)さいますな。240国依別(くによりわけ)もいよいよ明日(あす)より出立(しゆつたつ)致(いた)しますから、241何分(なにぶん)姫(ひめ)様(さま)もお弱(よわ)い体(からだ)、242どうぞ気(き)を付(つ)けて上(あ)げて下(くだ)さいませ』
243秋山別『仰(あふ)せ迄(まで)もなく、244昼夜(ちうや)の区別(くべつ)なく、245姫(ひめ)様(さま)の御(お)体(からだ)を大切(たいせつ)に保護(ほご)を致(いた)す此(この)秋山別(あきやまわけ)、246御(ご)注意(ちうい)は御(ご)無用(むよう)で御座(ござ)います』
247と憎々(にくにく)しげに言(い)ふ。
248紅井姫『いよいよ明日(あす)は国依別(くによりわけ)様(さま)、249お立(た)ちで御座(ござ)いますか。250余(あんま)り意地(いぢ)くねの悪(わる)い秋山別(あきやまわけ)が、251いつもあなたの御心(みこころ)を損(そこ)ねまして、252実(じつ)にお気(き)の毒(どく)で申訳(まをしわけ)が御座(ござ)いませぬ。253是(これ)もヤツパリ妾(わらは)の罪(つみ)で御座(ござ)いますから、254どうぞ秋山別(あきやまわけ)が悪(わる)いとは思召(おぼしめ)さず、255妾(わらは)をお叱(しか)り下(くだ)さいませ』
256秋山別『これはしたり、257お姫(ひめ)さま、258これ程(ほど)親切(しんせつ)に、259身命(しんめい)を賭(と)して貴女(あなた)様(さま)の事(こと)計(ばか)り思(おも)つて居(ゐ)る秋山別(あきやまわけ)を、260意地苦根(いぢくね)悪(わる)い男(をとこ)とは、261チと聞(きこ)えぬぢやありませぬか。262大方(おほかた)国依別(くによりわけ)さまに入(い)れ智慧(ぢゑ)をして貰(もら)ひなさつたのでせう』
263紅井姫『其様(そん)な御(ご)無礼(ぶれい)な事(こと)を云(い)つてはなりませぬ。264何(なん)と云(い)つても、265妾(わらは)は国依別(くによりわけ)さまが命(いのち)がけの好(す)きなお方(かた)、266お前(まへ)はゲヂよりも嫌(きら)ひだよ。267総取締(そうとりしまり)の役(やく)であり乍(なが)ら、268お道(みち)の方(はう)はそつち除(の)けにして、269妾(わらは)の側(そば)計(ばか)り、270間(ま)がな隙(すき)がな、271厭(いや)らしい目附(めつき)をしてお出(い)でだから、272妾(わらは)も穴(あな)でもあれば、273お前(まへ)が来(く)る度(たび)に、274這入(はい)りたい様(やう)な心持(こころもち)がして、275病気(びやうき)が段々(だんだん)重(おも)くなる計(ばか)りだよ。276それで兄(にい)さまに一伍(いちぶ)一什(しじふ)を申上(まをしあ)げたら、277今(いま)に秋山別(あきやまわけ)を放(はう)り出(だ)して、278外(ほか)の者(もの)と入(い)れ替(か)へするから、279暫(しばら)く辛抱(しんばう)せよと仰有(おつしや)つたよ。280モウ斯(こ)うなつては仕方(しかた)がないから、281包(つつ)まず隠(かく)さず、282露骨(ろこつ)に言(い)つて上(あ)げるからお前(まへ)も良(よ)い加減(かげん)に諦(あきら)めたが良(よ)からう。283女(をんな)の部屋(へや)へ男(をとこ)の来(く)るものではない。284サア早(はや)く彼方(あちら)へお行(ゆ)き、285御用(ごよう)が支(つかへ)て居(ゐ)るぢやないか』
286秋山別『チヨツ、287エヽ仕方(しかた)がない、288何程(なにほど)親切(しんせつ)を尽(つく)しても、289私(わたくし)の心(こころ)は汲(く)み取(と)つて紅井姫(くれなゐひめ)かなア。290ナニ此処(ここ)を追出(おひだ)されるのなら、291モウ破(やぶ)れかぶれだ、292恋(こひ)の叶(かな)はぬ意趣(いしゆ)返(がへ)しに、293一(ひと)つ国依別(くによりわけ)のドタマをかちわつて、294恨(うらみ)を晴(は)らしてやらう』
295と云(い)ひ乍(なが)ら、296傍(かたはら)の火鉢(ひばち)を取(と)るより早(はや)く、297国依別(くによりわけ)目(め)がけて打(うち)つける。298国依別(くによりわけ)はヒラリと体(たい)をかはし、
299国依別『アハヽヽヽ、300危(あぶ)ない危(あぶ)ない、301秋山別(あきやまわけ)さま、302姫(ひめ)さまのお言葉(ことば)を真(ま)に受(う)けては可(い)けないよ。303口(くち)で悪(わる)言(い)うて心(こころ)でほめて、304蔭(かげ)の惚気(のろけ)がきかしたい……と云(い)ふ筆法(ひつばふ)だから、305安心(あんしん)なされませ。306何(なん)と云(い)つても国依別(くによりわけ)は明早朝(みやうさうてう)ここをお暇(いとま)せなくてはならないのだからなア』
307 秋山別(あきやまわけ)は嬉(うれ)しさうに、
308秋山別『国依別(くによりわけ)様(さま)、309失礼(しつれい)を致(いた)しました。310是(これ)も一(いち)時(じ)の狂言(きやうげん)で御座(ござ)いますから、311必(かなら)ず悪(わる)く取(と)つて下(くだ)さいますな。312どうぞウーンとやられちや大変(たいへん)ですから、313お腹(はら)が立(た)ちませうが、314どうぞそこは神直日(かむなほひ)大直日(おほなほひ)に見直(みなほ)し聞直(ききなほ)し、315宣(の)り直(なほ)して下(くだ)さいませ』
316国依別『左様(さやう)な事(こと)で腹(はら)の立(た)つ様(やう)な国依別(くによりわけ)では御座(ござ)いませぬ』
317紅井姫『どうしても、318あなたは可憐(かれん)な私(わたし)を捨(す)て、319明日(あす)お立(た)ちで御座(ござ)いますか?』
320国依別『ハイ、321折角(せつかく)お馴染(なじみ)になつて、322実(じつ)に残(のこ)り多(おほ)う御座(ござ)いますが、323神界(しんかい)の御用(ごよう)が急(いそ)ぎますから、324今晩(こんばん)は楓別(かへでわけの)命(みこと)様(さま)にトツクリと事情(じじやう)を申上(まをしあ)げ、325お暇(ひま)を頂戴(ちやうだい)致(いた)す考(かんが)へで御座(ござ)います』
326 紅井姫(くれなゐひめ)は『アツ』と叫(さけ)んで又(また)もや其(その)場(ば)に打倒(うちたふ)れ、327前後(ぜんご)不覚(ふかく)に陥(おちい)りにける。
328(大正一一・八・一八 旧六・二六 松村真澄録)
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