霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
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第八章 異心(いしん)泥信(でいしん)〔一六六四〕

インフォメーション
著者:出口王仁三郎 巻:霊界物語 第65巻 山河草木 辰の巻 篇:第2篇 地異転変 よみ(新仮名遣い):ちいてんぺん
章:第8章 異心泥信 よみ(新仮名遣い):いしんでいしん 通し章番号:1664
口述日:1923(大正12)年07月16日(旧06月3日) 口述場所:祥雲閣 筆録者:松村真澄 校正日: 校正場所: 初版発行日:1926(大正15)年4月14日
概要: 舞台: あらすじ[?]このあらすじはMさん作成です(一部加筆訂正してあります)。一覧表が「王仁DB」にあります。[×閉じる]: 主な登場人物[?]【セ】はセリフが有る人物、【場】はセリフは無いがその場に居る人物、【名】は名前だけ出て来る人物です。[×閉じる]: 備考: タグ: データ凡例: データ最終更新日:2026-06-03 17:19:05 文字数:5071 OBC :rm6508
愛善世界社版:93頁 八幡書店版:第11輯 643頁 修補版: 校定版:97頁 普及版:44頁 初版: ページ備考:
001 治道(ちだう)居士(こじ)はベル、002バット、003カークス、004ベースの四(よ)人(にん)と共(とも)に、005うす暗(ぐら)い石(いし)の牢獄(らうごく)に投(なげ)込(こ)まれ、006セールの厳命(げんめい)に仍(よ)りて、007飲食物(いんしよくぶつ)を断(た)たれて了(しま)つた。008されど心(こころ)の中(うち)にて治道(ちだう)居士(こじ)に帰順(きじゆん)してゐる牢番(らうばん)のヤク、009エールは010いろいろと苦心(くしん)して五(ご)人(にん)の為(ため)に飲食(いんしよく)を供給(きようきふ)し、011あらむ限(かぎ)りの便宜(べんぎ)を与(あた)へた。012親分(おやぶん)のセールはヤク、013エールを深(ふか)く信任(しんにん)し、014一度(いちど)も牢獄(らうごく)を見舞(みまひ)に来(こ)なかつた。015そして自分(じぶん)の大将軍(だいしやうぐん)と仰(あふ)いでゐた治道(ちだう)居士(こじ)には何(なん)だか恥(はづか)しいやうな、016恐(おそ)ろしいやうな気(き)がして、017会(あ)ふ事(こと)を欲(ほつ)しなかつた。018先(ま)づ治道(ちだう)居士(こじ)の一隊(いつたい)は両人(りやうにん)に任(まか)しておき、019他(た)の子分(こぶん)を四方(しはう)に派遣(はけん)し、020財物(ざいぶつ)の収集(しうしふ)に全力(ぜんりよく)を注(そそ)ぐ一方(いつぱう)、021自分(じぶん)は二人(ふたり)の美人(びじん)を、022何(なん)とかして自分(じぶん)の者(もの)にせうと、023それのみに、024現(うつつ)をぬかしてゐた。
025 ヤク、026エールの両人(りやうにん)は、027治道(ちだう)居士(こじ)とブラヷーダ、028デビス姫(ひめ)の間(あひだ)の、029郵便夫(ゆうびんふ)の様(やう)な役(やく)を密(ひそ)かに勤(つと)めてゐた。030牢獄(らうごく)の中(なか)では、031治道(ちだう)居士(こじ)を真中(まんなか)に、032四(よ)人(にん)の改心組(かいしんぐみ)が、033いろいろと小声(こごゑ)で話(はな)し合(あ)つてゐる。
034ベル『オイ、035俺(おれ)達(たち)も何(なん)だかチツと許(ばか)り不安(ふあん)な気分(きぶん)になつたぢやないか。036身(み)の自由(じいう)を縛(ばく)された籠(かご)の鳥(とり)も同然(どうぜん)、037生殺(せいさつ)の権利(けんり)を親分(おやぶん)に握(にぎ)られてゐるのだから、038何程(なにほど)治道(ちだう)居士(こじ)様(さま)に法力(ほふりき)が有(あ)ると云(い)つても、039此(この)牢獄(らうごく)を経文(きやうもん)の力(ちから)に、040打(うち)破(やぶ)つて下(くだ)さらぬ以上(いじやう)は、041険呑(けんのん)な物(もの)だないか。042治道(ちだう)居士(こじ)様(さま)は平気(へいき)の平左(へいざ)で、043心身(しんしん)の休養(きうやう)だとか云(い)つて、044温泉(をんせん)にでも入(はい)つた様(やう)な気分(きぶん)で、045前後(ぜんご)不覚(ふかく)に眠(ねむ)つて厶(ござ)るが、046俺(おれ)達(たち)ヤ何(ど)うも、047そんな気(き)になれないわ。048お前(まへ)等(たち)、049何(なん)とか工夫(くふう)をこらして、050ここを飛(とび)出(だ)す考(かんが)へはないか』
051バット『何(なに)心配(しんぱい)するな。052サアといへば、053ヤク、054エールが牢番(らうばん)してるから、055何時(いつ)でも開(あ)けてくれるよ。056今(いま)彼奴(あいつ)が開(あ)けないのは深(ふか)い思案(しあん)があつての事(こと)だ。057何(なに)しろこれ丈(だけ)の人数(にんず)が集(あつ)まつて居(ゐ)るから、058下手(へた)な事(こと)をやると虻蜂(あぶはち)とらずになつて了(しま)ふ。059治道(ちだう)居士(こじ)様(さま)はそこを見込(みこ)んで、060平気(へいき)で寝(ね)てゐらつしやるのだ。061何事(なにごと)も惟神(かむながら)に任(まか)して置(お)くが一番(いちばん)安全(あんぜん)だ』
062ベル『それだと云(い)つて、063人(ひと)の心(こころ)は分(わか)らないよ。064ヤク、065エールの両人(りやうにん)が、066若(も)しも心機(しんき)一転(いつてん)して親分(おやぶん)の方(はう)へ肩(かた)を持(も)たうものなら、067それこそ俺(おれ)達(たち)は、068箒(はうき)で押(おさ)へられた蝶々(てふてふ)のやうなものだ。069モウ少(すこ)し治道(ちだう)居士(こじ)様(さま)に法力(ほふりき)があると、070俺(おれ)達(たち)も安心(あんしん)だけれどなア』
071バット『ナアニ、072構(かま)ふものかい。073マア安心(あんしん)せい。074ここへ来(き)てから、075まだ一夜(いちや)逗留(とうりう)した丈(だけ)ぢやないか。076仮令(たとへ)三日(みつか)や四日(よつか)位(くらゐ)、077ここへ入(はい)つた所(ところ)で、078一片(ひときれ)のパンを食(く)はなくつても辛抱(しんばう)は出来(でき)るよ。079先(ま)づ楽隠居(らくいんきよ)だと思(おも)つて、080体(からだ)を休養(きうやう)させ、081愈(いよいよ)となつたら岩窟(いはや)退治(たいぢ)をやるのだな。082何奴(どいつ)も此奴(こいつ)も、083軍人(ぐんじん)上(あが)りで、084皆(みな)手(て)が利(き)いてるから、085俺(おれ)達(たち)が四(よ)人(にん)や五(ご)人(にん)で暴(あば)れたつて仕方(しかた)が無(な)いからな』
086ベル『オイ、087バット、088汝(きさま)、089さう楽観(らくくわん)してゐるが、090寸善(すんぜん)尺魔(しやくま)と言(い)つて、091吾々(われわれ)は死(し)の魔(ま)の手(て)に捉(とら)へられてゐるのだから、092些(ちつ)とは尻(しり)へ手(て)をまはして置(お)かねばなるまいぞ。093ナア、094カークス、095ベース、096お前(まへ)は何(ど)う思(おも)ふか』
097カークス『何事(なにごと)も俺(おれ)たちは神(かみ)様(さま)にお任(まか)せしてゐるのだ。098それよりも御(ご)祈念(きねん)をするが一等(いつとう)だなア』
099ベース『そりやさうだ。100カークスの云(い)ふ通(とほ)り、101此(この)天地間(てんちかん)はすべて神(かみ)様(さま)の御(ご)意志(いし)の儘(まま)だから、102何程(なにほど)俺(おれ)たちが騒(さわ)いだつて駄目(だめ)だ。103斯(か)うして牢獄(らうごく)へ蟄居(ちつきよ)してゐるのもセールがしたのでない。104神(かみ)様(さま)の深遠(しんゑん)な御(ご)経綸(けいりん)に仍(よ)つて、105修養(しうやう)させられてゐるのだ。106余(あま)りクヨクヨ思(おも)ふな』
107ベル『俺(おれ)もう何(なん)だか信仰(しんかう)の土台(どだい)がグラついて来(き)たやうだ。108オイ、109一層(いつそう)の事(こと)○○を○○して、110○○の御(ご)機嫌(きげん)を取(と)り、111牢屋(らうや)の苦(く)を遁(のが)れて再(ふたたび)○○に逆転(ぎやくてん)したら何(ど)うだ。112何程(なにほど)世(よ)の為(ため)だとか、113死後(しご)の生活(せいくわつ)の為(ため)だとか云(い)つても、114忽(たちま)ち現在(げんざい)がやりきれないぢやないか。115末(すゑ)の百(ひやく)より今(いま)の五十(ごじふ)だ。116何程(なにほど)死後(しご)の世界(せかい)があると云(い)つたつて、117雲(くも)を掴(つか)むやうな話(はなし)だからのう』
118 治道(ちだう)居士(こじ)は、119ベルが自分(じぶん)を殺害(さつがい)し、120セールに裏返(うらがへ)らうといふ意味(いみ)を仄(ほのめ)かしてゐるのを、121鼾(いびき)をかいてゐる振(ふり)して聞(き)いてゐた。
122バット『オイ、123ベル、124左様(さやう)な事(こと)を吐(ぬか)すと、125俺(おれ)ヤもう了見(れうけん)はせぬぞ。126汝(きさま)を○○して、127○○へ○○するが何(ど)うだ』
128ベル『ヤ、129コリヤ一(ひと)つお前(まへ)達(たち)の心(こころ)を引(ひ)いて見(み)た丈(だけ)だ。130誰(たれ)がそんな勿体(もつたい)ない事(こと)をするものかい。131これでお前(まへ)達(たち)の意志(いし)も分(わか)つて俺(おれ)も安心(あんしん)したのだ』
132と俄(にはか)に空(そら)トボケてみせる。133カークス、134ベースは治道(ちだう)居士(こじ)を揺(ゆす)り起(おこ)した。135治道(ちだう)居士(こじ)は寝(ね)むた相(さう)な顔(かほ)をして起(おき)直(なほ)り、136拳(こぶし)を握(にぎ)つて上(うへ)の方(はう)へグツと突(つき)出(だ)し、137「あゝあ」と大欠伸(おほあくび)を無雑作(むざふさ)にし乍(なが)ら、
138治道(ちだう)『アハヽヽヽ、139あ、140夢(ゆめ)だつたか。141ベルの奴(やつ)、142此(この)治道(ちだう)居士(こじ)を○○して○○の機嫌(きげん)をとり、143元(もと)の○○へ逆転(ぎやくてん)しよつたと思(おも)へば、144ヤツパリ夢(ゆめ)だつたワイ。145アハヽヽヽヽ。146どうも人間(にんげん)の心(こころ)といふものは当(あて)にならないものだなア。147一切(いつさい)の欲望(よくばう)を捨(す)て、148命(いのち)迄(まで)すてた此(この)治道(ちだう)居士(こじ)でさへも、149矢張(やつぱり)どつかに、150命(いのち)が惜(をし)いと云(い)ふ副守(ふくしゆ)が残(のこ)つてゐると見(み)えて、151こんな怪(け)ツ体(たい)な夢(ゆめ)を見(み)たのだなア』
152カークス『モシ治道(ちだう)様(さま)、153ソリヤ夢(ゆめ)ぢや厶(ござ)いませぬ。154現(げん)にベルの奴(やつ)、155貴方(あなた)が熟睡(じゆくすゐ)遊(あそ)ばしたのを奇貨(きくわ)とし、156あなたに対(たい)し、157叛逆(はんぎやく)を企(くはだ)てようとしたのですよ。158用心(ようじん)なさいませ』
159治道(ちだう)『ハヽヽヽ猪口才(ちよこざい)千万(せんばん)な、160蚯蚓(みみづ)のやうな魂(たましひ)で蛟竜(かうりう)の身辺(しんぺん)を窺(うかが)ふとは、161実(じつ)に身(み)の程(ほど)知(し)らずだなア。162ベルも亦(また)此処(ここ)へ這入(はい)つて来(き)てから、163臆病神(おくびやうがみ)に取(と)つ付(つ)かれよつたとみえる。164ても扨(さ)ても憐(あはれ)むべき代物(しろもの)だな。165オイ、166ベル、167何(ど)うだ。168私(わし)の命(いのち)が取(と)りたいか。169とりたくば幾(いく)らでも取(と)らしてやる。170さあモウ一寝入(ひとねい)りするから、171其(その)間(ま)に私(わし)の首(くび)でもかいて、172セールの親分(おやぶん)に身(み)の潔白(けつぱく)を示(しめ)し、173再(ふたたび)泥棒(どろばう)の親分(おやぶん)に使(つか)つて貰(もら)ふがよからう。174遠慮(ゑんりよ)はいらぬ。175お前(まへ)に首(くび)をかかれて天国行(てんごくゆき)をするのも、176一(ひと)つは神(かみ)様(さま)の御(おん)思召(おぼしめし)かも知(し)れない』
177ベル『メヽ滅相(めつさう)もない。178勿体(もつたい)ない。179何(ど)うしてそんな事(こと)が出来(でき)ませうか。180どうぞ私(わたし)の赤心(まごころ)を諒解(りやうかい)して下(くだ)さいませ』
181治道(ちだう)『赤心(まごころ)のマは悪魔(あくま)のマぢやないか、182誠(まこと)のマもあれば、183間男(まをとこ)のマもあり、184閻魔(えんま)のマもあり、185悪魔(あくま)のマもあり、186マといふ者(もの)は何事(なにごと)にも附(つき)添(そ)ふものだから……、187オイ三(さん)人(にん)の者(もの)、188気(き)を付(つ)けよ。189虎(とら)狼(おほかみ)と同居(どうきよ)してゐるやうな物(もの)だからのう』
190 かかる所(ところ)へヤク、191エールは二三(にさん)人(にん)の泥棒(どろばう)と共(とも)に、192牢獄(らうごく)を検分(けんぶん)がてらやつて来(き)た。
193ヤク『コリヤコリヤ、194静(しづか)に致(いた)さぬか、195今(いま)何(なに)を囀(さへづ)つてゐたか』
196ベル『ハイ、197治道(ちだう)居士(こじ)始(はじ)め三(さん)人(にん)の奴(やつ)が、198此(この)ベルを○○せうと云(い)ふのです。199どうぞ私(わたし)を別牢(べつらう)へ入(い)れて下(くだ)さいな。200険呑(けんのん)で堪(たま)りませぬから……』
201ヤク『ハツハヽヽヽ、202お前(まへ)達(たち)の命(いのち)は旦夕(たんせき)に迫(せま)つてゐるのだ。203親分(おやぶん)に殺(ころ)されるか、204治道(ちだう)居士(こじ)に殺(ころ)されるか、205どつちみち殺(ころ)される身分(みぶん)だ。206マア安心(あんしん)して四人(よつたり)の連中(れんちう)から、207力(ちから)一杯(いつぱい)苛(いぢ)められたがよからうぞ。208オツホヽヽヽ。209汝(きさま)は此(この)中(なか)でも一番(いちばん)悪党(あくたう)だからのう』
210ベル『モシ、211ヤクさま、212私(わたし)は決(けつ)してそんな悪人(あくにん)ぢや厶(ござ)いませぬ。213実(じつ)の所(ところ)は治道(ちだう)居士(こじ)に改心(かいしん)したと見(み)せかけ、214此奴(こいつ)等(ら)四(よ)人(にん)の秘密(ひみつ)を探(さぐ)つて御(おん)大将(たいしやう)に報告(はうこく)する為(ため)、215今(いま)迄(まで)化(ば)けてゐたのですから、216どうぞ親分(おやぶん)にさう言(い)つて下(くだ)さい』
217カークス『ハツハヽヽ、218本当(ほんたう)に此奴(こいつ)ア悪(わる)い奴(やつ)だ。219猫(ねこ)の目(め)程(ほど)クレクレとかへる奴(やつ)だから、220治道(ちだう)居士(こじ)様(さま)を暗殺(あんさつ)しようとしよつた太(ふと)い奴(やつ)だ。221こんな者(もの)が同(おな)じ牢獄(らうごく)の中(なか)に居(を)ると、222ゆつくり寝(ね)る事(こと)も出来(でき)ない。223もし、224ヤクさま、225どうかベルを請求(せいきう)通(どほり)、226別室(べつしつ)に置(お)いて下(くだ)さいな』
227ヤク『ヨシヨシ、228こんな奴(やつ)を一所(いつしよ)に置(お)いておくと為(ため)になるまい。229……又(また)俺(おれ)の都合(つがふ)も悪(わる)い……』
230と小声(こごゑ)に云(い)ひ乍(なが)ら錠前(ぢやうまへ)を外(はづ)し、231ベルの手(て)を引(ひき)立(た)てて、232最(もつと)も暗(くら)い深(ふか)い岩壁(がんぺき)で囲(かこ)んだ牢獄(らうごく)へ打(ぶ)ち込(こ)んで了(しま)つた。233ヤク、234エールの両人(りやうにん)は、235ベルの為(ため)に自分(じぶん)等(ら)の計画(けいくわく)の暴露(ばくろ)せむ事(こと)を恐(おそ)れたからである。
236 ヤクは三(さん)人(にん)の盗人(ぬすびと)と共(とも)にベルを引(ひき)立(た)てて此(この)場(ば)を去(さ)つた。237跡(あと)にエールは牢番(らうばん)として一人(ひとり)残(のこ)つてゐた。
238治道(ちだう)『オイ、239エール、240岩窟(いはや)の様子(やうす)は何(ど)うだ。241セールは今(いま)何(なに)をしてゐるか』
242 エールは小声(こごゑ)になつて、
243エール『ハイ、244二人(ふたり)の女(をんな)に現(うつつ)をぬかし、245涎(よだれ)をくつて居(を)りますが、246肝心(かんじん)の女(をんな)が悪口(わるくち)計(ばか)り言(い)つて応(おう)じないものですから、247泥坊(どろばう)商売(しやうばい)はそつち退(の)けにして、248頭(あたま)を悩(なや)めて居(を)ります。249それはそれは見(み)られた態(ざま)ぢや厶(ござ)いませぬワ』
250治道(ちだう)『ハヽヽ、251あの洒(しや)ツ面(つら)では女(をんな)にはもてまい。252困(こま)つた奴(やつ)だなア。253そして其(その)女(をんな)といふのは何処(どこ)の者(もの)だ』
254エール『何(なん)でも大(おほ)きな声(こゑ)では言(い)へませぬが、255三五教(あななひけう)の宣伝使(せんでんし)だと云(い)ふ事(こと)です』
256治道(ちだう)『ハテなア、257そして其(その)名(な)は何(なん)と云(い)つたか』
258エール『ハイ、259何(なん)でもブラブラ婆(ば)アさまだとか、260エベスだとか大黒(だいこく)だとか聞(き)きました。261随分(ずいぶん)美人(びじん)ですよ』
262治道(ちだう)『ハア、263それではブラヷーダにデビス姫(ひめ)の事(こと)だらう。264ア、265其奴(そいつ)ア可哀相(かあいさう)だ。266お前(まへ)御(ご)苦労(くらう)だが、267治道(ちだう)居士(こじ)が此処(ここ)に居(ゐ)ると云(い)ふ事(こと)を、268何(なん)とかして知(し)らして呉(く)れまいか』
269エール『ハイ、270機会(きくわい)を考(かんが)へて申(まをし)上(あ)げませう』
271治道(ちだう)『屹度(きつと)頼(たの)むよ。272私(わし)が今(いま)此処(ここ)で手紙(てがみ)を書(か)くから、273之(これ)をソツと渡(わた)してくれ』
274エール『承知(しようち)致(いた)しました』
275治道(ちだう)『何(なに)か……筆(ふで)と墨(すみ)と紙(かみ)を貸(か)して貰(もら)ひ度(た)いものだな』
276エール『畏(かしこ)まりました。277暫時(しばらく)お待(ま)ち下(くだ)さいませ』
278と四辺(あたり)を窺(うかが)ひ乍(なが)ら、279何処(どこ)からか筆紙墨(ひつしぼく)を用意(ようい)して来(き)た。280治道(ちだう)居士(こじ)はバットに墨(すみ)をすらせ、281何事(なにごと)かスラスラと書(か)き認(したた)め終(をは)り、
282治道(ちだう)『サア、283エール、284此(この)二通(につう)の手紙(てがみ)を一通(いつつう)づつ両人(りやうにん)にソツと渡(わた)してくれ。285どちらでも構(かま)はぬ。286同(おな)じ事(こと)が書(か)いてあるのだから』
287エール『ハイ承知(しようち)致(いた)しました』
288と手紙(てがみ)を懐(ふところ)に捻(ねぢ)込(こ)み、289いろいろ苦心(くしん)して、290二人(ふたり)の牢獄(らうごく)の前(まへ)に窺(うかが)ひ寄(よ)つた。291見(み)れば暗(くら)がりに一人(ひとり)の男(をとこ)が立(た)つてゐる。
292男(をとこ)(セール)『誰(たれ)だ。293何(なに)しに来(き)たのだ。294ここへは来(く)る事(こと)はならぬと、295あれ程(ほど)喧(やかま)しう云(い)ふてあるのぢやないか』
296エール『ハイ、297私(わたし)はエールで厶(ござ)いますが、298治道(ちだう)居士(こじ)の牢番(らうばん)をして居(を)りました所(ところ)、299済(す)まぬ事(こと)乍(なが)ら、300フラフラと居眠(ゐねむ)りまして、301方角(はうがく)を取違(とりちが)ひ、302斯様(かやう)な所(ところ)へやつて来(き)まして、303誠(まこと)に済(す)みませぬ』
304と態(わざ)とに大(おほ)きな声(こゑ)して、305治道(ちだう)居士(こじ)の来(き)てゐる事(こと)を、306二人(ふたり)の女(をんな)に聞(き)かさうとしてゐる。
307男(をとこ)(セール)『コリヤ、308エール、309チボや乞食(こじき)を何(ど)うしたといふのだ』
310とワザとにセールは二人(ふたり)に治道(ちだう)居士(こじ)の事(こと)を聞(き)かそまいと、311詞(ことば)を濁(にご)さうとする。312エールは態(わざ)とに其(その)意(い)を解(かい)せざるものの如(ごと)く、
313エール『もし親方(おやかた)様(さま)、314チボ乞食(こじき)ぢや厶(ござ)いませぬ。315三五教(あななひけう)の比丘(びく)治道(ちだう)居士(こじ)の事(こと)で厶(ござ)いますよ』
316セール『馬鹿(ばか)ツ、317早(はや)く下(さが)れツ。318そして自分(じぶん)の職務(しよくむ)を忠実(ちうじつ)に守(まも)るのだ。319一時(いつとき)も早(はや)く行(ゆ)けツ。320汝(きさま)が居(を)ると邪魔(じやま)になる』
321 エールは『ハイ』と云(い)ひ乍(なが)ら暗(くら)がりを幸(さいは)ひ、322牢獄(らうや)の窓(まど)から手紙(てがみ)を一通(いつつう)づつ、323ソツと放(ほ)り込(こ)んで了(しま)つた。
324ブラヷーダ『あの治道(ちだう)居士(こじ)さまも、325此処(ここ)に捕(とら)はれて居(ゐ)られますか。326そりや本当(ほんたう)に心地(ここち)のよい事(こと)ですね。327彼奴(あいつ)は随分(ずいぶん)私(わたし)に無体(むたい)な事(こと)を云(い)つた奴(やつ)だから、328天罰(てんばつ)が巡(めぐ)り来(き)たのでせう、329ホヽヽヽ。330モシ隣(となり)のデビス姫(ひめ)様(さま)、331貴女(あなた)と私(わたし)をひどい目(め)に会(あ)はしよつた、332あの治道(ちだう)居士(こじ)といふ比丘(びく)が捉(とら)へられて来(き)てると云(い)ふ事(こと)ですワ。333本当(ほんたう)に気分(きぶん)が可(い)いぢやありませぬか。334ホヽヽヽ』
335デビス『本当(ほんたう)にねえ、336私(わたし)も溜飲(りういん)が下(さが)りましたワ』
337 エールは不思議(ふしぎ)な事(こと)だと、338首(くび)をひねり乍(なが)ら、339暗(くら)い隧道(すいだう)を帰(かへ)つて行(ゆ)く。
340セール『アハヽヽヽ、341オイ両人(りやうにん)、342お前(まへ)も何(なに)か治道(ちだう)居士(こじ)に迫害(はくがい)を受(う)けたのだなア。343ヨシ、344俺(おれ)がお前(まへ)の仇討(あだうち)をしてやるから、345安心(あんしん)したがよからう。346其(その)代(かは)りに俺(おれ)の云(い)ふ事(こと)も聞(き)くだらうな』
347ブラ『姉(ねえ)さま、348どうしまほうか、349本当(ほんたう)に、350一(ひと)つここで恨(うらみ)を晴(は)らさなくちや、351女(をんな)の意地(いぢ)が立(た)たぬぢやありませぬか』
352デビス『そらさうですワ、353何(なん)とかして彼奴(あいつ)を此処(ここ)へ放(ほ)り込(こ)んで頂(いただ)き、354二人(ふたり)よつて両方(りやうはう)から嬲(なぶり)殺(ごろし)にさして下(くだ)されば嬉(うれ)しいですがな。355さうすりや親分(おやぶん)さまの御(ご)註文(ちゆうもん)位(くらゐ)には喜(よろこ)んで応(おう)じますけれどなア』
356ブラ『姉(ねえ)さまが其(その)お考(かんが)へなら、357私(わたし)だつて賛成(さんせい)ですワ。358あたいの夫(をつと)を殺(ころ)した奴(やつ)ですもの。359憎(にく)うて憎(にく)うて堪(たま)らないワ、360その仇(あだ)を親方(おやかた)さまの同情心(どうじやうしん)に依(よ)つて、361討(う)たして下(くだ)さるやうな事(こと)なら、362御恩(ごおん)報(ほう)じにどんな事(こと)でも、363親方(おやかた)の云(い)ふ事(こと)を聞(き)かうと思(おも)ひますワ』
364セール『ウツフヽヽヽ。365オイ女(をんな)、366お前(まへ)の願(ねがひ)は聞(きき)届(とど)けた。367其(その)代(かは)りに私(わし)の言(い)ふ事(こと)は何(なん)でも聞(き)くだらうなア』
368 両人(りやうにん)一度(いちど)に、
369『ヘーヘー聞(き)きますとも、370貴方(あなた)の仰有(おつしや)る事(こと)何(ど)うして聞(き)かずに居(を)れませうか……。371二(ふた)つも立派(りつぱ)な耳(みみ)を持(も)つて居(を)るのだもの……』
372と小(ちひ)さい声(こゑ)で後(あと)を付(つ)けた。373セールは声(こゑ)迄(まで)変(か)へて、
374セール『ウンウンヨシヨシ、375可愛(かあい)いお前(まへ)の願(ねがひ)だから、376何(なん)でも聞(き)いてやる。377思(おも)ふ存分(ぞんぶん)さいなんだがよからうぞ』
378 両人(りやうにん)一度(いちど)に、
379『有難(ありがた)う厶(ござ)います。380一(いち)時(じ)も早(はや)くお頼(たの)み申(まを)します』
381セール『ヨシヨシ、382之(これ)から牢番(らうばん)に申(まをし)付(つ)けて治道(ちだう)をここへ引(ひ)つ立(た)てて来(く)るから、383お前(まへ)の好(す)きなやうにしたがよからう』
384と云(い)ひ棄(す)て、385自分(じぶん)の居間(ゐま)へ帰(かへ)つて行(ゆ)く。
386 セールは自分(じぶん)の居間(ゐま)に帰(かへ)り、387ニコニコし乍(なが)ら独言(ひとりごと)、
388セール『ヤア、389之(これ)で俺(おれ)も願望(ぐわんまう)成就(じやうじゆ)だ。390ウマイウマイ、391矢張(やつぱり)女(をんな)といふ者(もの)は何(なに)か一(ひと)つ刺戟(しげき)を与(あた)へないと駄目(だめ)だワイ。392まだ懐(ふところ)を調(しら)べてゐないが、393あの治道(ちだう)は○を沢山(たくさん)持(も)つて居(ゐ)るに違(ちが)ひない。394それに恨(うらみ)のある奴(やつ)が来(き)てるによつて、395俺(おれ)にも都合(つがふ)がよいといふものだ。396何(なに)しろ月(つき)と花(はな)にもまがふ美人(びじん)だからな。397エヘヽヽヽ。398両手(りやうて)に花(はな)とは俺(おれ)の事(こと)だ。399二人(ふたり)の妻(つま)に手(て)を引(ひ)かれ、400黄金(こがね)の橋(はし)を渡(わた)るといふ言(い)ひ置(おき)は、401今(いま)実現(じつげん)しさうだワイ。402ウツフヽヽヽ』
403と四辺(あたり)に人(ひと)無(な)きを幸(さいは)ひ、404独(ひと)り笑壺(ゑつぼ)に入(い)つて居(を)る。
405(大正一二・七・一六 旧六・三 於祥雲閣 松村真澄録)
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