霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
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危機迫る

インフォメーション
題名:危機迫る 著者:出口王仁三郎
ページ:463
概要: 備考:2023/09/28校正。『昭和青年』誌の方は『大本史料集成2』p543「我等が魂・会旗奉戴式を目出度く終る」にも収録されている。 タグ: データ凡例: データ最終更新日:2023-09-28 23:35:48 OBC :B121805c225
初出[?]この文献の初出または底本となったと思われる文献です。[×閉じる]
  1. 『昭和青年』昭和7年1月号
  2. 『真如の光』昭和8年8月17日号
 本年更生祝ひをした(この)(わたくし)が青年会の会長となりましたが、六十一になつてをつて青年会長としてたつ事はをかしい(やう)でありますけれども、神界から言へば──神界にはタイムも何もない、時間も空間も超越してゐるのであります。過去、現在、未来を一貫してゐるのであります。それで神の方から()、霊的から見たならば、人間といふものには年といふものは一つもないものである。(ただ)現界に(はや)(うま)れたか(おそ)(うま)れたか(だけ)のものである。(しか)し六十一のものが九十(まで)生きるといふとまだ三十ある。本年十歳の子供が廿才で亡くなるといふと矢張り六十一才の親父の方が若い勘定になつて来る。それで今度は規則を改正しまして、十五歳以上は総て青年会へ(はい)る人は()れるといふ事になつたのであります。
 大本でも色々とこれ迄に御筆先(おふでさき)にも出て居ります通り、何となくこの世の中は変転(へんてん)大動乱に近づきましたが、これを何かいいものが来る様に思つて待つて居た信者が沢山ある。それが(うそ)やつたというて()めたものも沢山あります。然しかう云ふ事が来る事は決して喜ばしい事ではない。何処(どこ)迄も天下太平に、この(まま)神様は世の中をつぶさずに栄えさして行きたいといふのが神様の御精神でありますが、最早今日(こんにち)は世界的に不景気にもなり、(したが)つて人心(じんしん)(すさ)んで()、満蒙問題が(おこ)り、(あるひ)(うち)には色々と妙な思想が浸潤(しんじゆん)し蔓延しまして、何時(なんどき)どんな事が(おこ)るか判らぬ様になつたのであります。この(さい)に吾々神様に仕へてゐる者は、神様の青年として余程(よほど)覚悟して置かねばならないのであります。
 何十万、何百万の群衆があつても、個々別々の意見を有して争ふのであるならば、これは烏合の衆であつて、何も仕事が出来ないのでありますが、団結力を固めて神様の旗の(もと)に一つになつたならば、何十万の烏合の衆よりも、(わづ)か十人、(あるひ)は四五十人かたまつた──一つになつて動く所の団体の方が何程(なにほど)効力があるか判らないのであります。
 今日は非常の時であり、非常の時には非常の人物が(あら)はれて、非常の事をするといふ事は御筆先にも出て居りますが、私も『神霊界』にいつか書いた様に思うて居ります。愈々(いよいよ)(みづ)神歌(しんか)に私が歌つておいた事が実現する時期になつたのでありまして、老年と云はず、青年と云はず、つまり神様からの赤子(せきし)──吾々は青年であります、(あるひ)は幼年かも知れない。この赤子(せきし)が一致団結してサアといふ時に国家の為に、名実(めいじつ)共に誠の道の為に働かねばならない時期がさし迫つたのであります。
 それで今まで宇智麿(うちまる)が会長としてやつて居りましたけれども、私の方から進んで『お前()めて(ふく)になれ、わしが会長になつてやる』というたのであつて、実は推戴されたのでも何でもない、自分の方から望んでなつたのであります。それに(つい)ては、普通の自分の覚悟ぢやない、考へぢやない、余程総てのものが切迫してゐるといふ事を感じたからであります。(しか)(なが)ら青年の(かた)何処迄(どこまで)落着(おちつ)いて、沈着に、静かに、静粛に、団結力を固めて、騒がない様にして貰はねばならぬ。今かう言うても直ぐになるか、(あるひ)は二年先になるか、三年先になるか、それは判らない。さう無茶苦茶に動かれるものではないのであります。一度動いたならば屹度(きつと)これを成功させねばならぬのであります。いい加減な事で世の中の物笑ひを残す様な事ではつまらぬ。それで吾々も慎重に時の到るを考へ、そして無茶苦茶に騒がない考へで居りますから、()(かく)内実(ないじつ)(ちから)──団結の力を青年会に(おい)て養つて置き、さあと云へば何時(いつ)でも蹶起(けつき)出来る覚悟をして居つて貰ひ()い事を望んで居ります。
 話はこの(くらゐ)()めて置きます。これ以上色々な事を云ふと(かへつ)て誤解を受けたり、妨害されては困りますから……。私の精神なり、昭和青年会の働き及び目的といふものは判つたと思ひますから、この位で話は()めておきます。
(昭和六・一一・三 於昭和青年会会旗奉戴式 同七年一月号 昭和誌)底本では「昭和誌」になっているが実際には「昭和青年誌」に掲載された。
 昭和青年会、昭和坤生(こんせい)会、大日本武道宣揚会の諸氏に厚く御礼(おれい)を申し上げます。
 私も愈々(いよいよ)六十三才の誕辰(たんしん)を迎へまして、満六十二才であります。国家は今日超非常時に直面して居ります。が、私の心にいつも残つてゐるのは神界の経綸が十年延びた、十二年延びたといふ事であります。如何(いか)にも私の考へではすでに十二年も十五年も延びたのであります。然しせめてこれが五十才(くらゐ)であるなれば大活動が出来るのに、惜しい事ぢやと始終思ふのであります。しかし不思議なことに私は十才の頃には非常に弱く、食事も人と同じ様にいかず、二十才の頃になつて少し固い御飯(ごはん)が食べられる様になり、三十台になつて米の(めし)を食べてやうやく腹にさはらぬ様になり、四十才で少し壮健になり、五十才で一通り整つた。そして六十才になつて、骨は固くなつたかも知れませんが、肉体として精神として益々(ますます)若くなつた(やう)な気がします。(また)強健になつた様に感じまして、非常にこれは国家の前途についてのみならず、会員諸氏及び世間大方(おほかた)のため結構な事ぢやと思つて居ります。国家は益々(ますます)多端でありまして今日は非常時と云ふけれども、それ以上超非常時に直面してゐるのであります。
 多くの人の中にはもう停戦条約が出来て安心だといふ様な声を聞きます。しかし決してそんな浅薄なものではありません。世の中をとことん乱さうとする悪神(あくがみ)に対抗すべく、何千年間誰にも知らさず誠の神は御経綸遊ばした、その御経綸の表に(あらは)れる時機が愈々(いよいよ)迫つて来たのであります。
 これは自惚(うぬぼれ)か知りませぬが、御筆先には神様の御経綸は私が壮健(たつしゃ)な時でなければ出来ぬと云ふ事が書いてあります。私の年から考へても余り二十年も三十年もかかるものではないといふ事も(あきら)かに悟らされるのであります。無論御経綸は十二三年も遅れたのでありますから、(これ)からは一分(いつぷん)の間もあつちを向いたりこつちを向いたりする間もない(ほど)時機が切迫して来てゐるのであります。さうして何時(なんどき)太平洋の真中(まんなか)(おい)英米西(ゑべす)大国(だいこく)と日本が共同大演習を始めるかわからない状勢になつて居ります。(また)日本の上空に(おい)て、防空(あるひ)は空中戦の大演習を、英米西(ゑべす)大国(だいこく)やある巨大なる国とやらなければならないかも知れない形勢が見えてゐるのであります。
 外に(おい)て色々複雑な問題で危機を(はら)んでゐると同時に、(うち)(おい)ても種々(しゆじゆ)切迫を(きた)してゐるのであります。
 でこの際は益々(ますます)結束を固くして、まさかに備へなければなりませぬ。今日(こんにち)では如何(いか)に多くの団体があつても、それに結束がなければ結局烏合の衆で何等(なんら)(こと)()には合はないのであります。どうか皆様は一致団結して、国家のために(あるひ)は世界平和と幸福のため、御神慮(ごしんりよ)のあるところを御考へ下さいまして、(たゆ)まず屈せず、この神様の(おん)目的を奉戴して猛進されむ事を希望します。
 昭和青年会、昭和坤生(こんせい)会、武道宣揚会は今の軍隊の組織でありまするが、これは平和の神軍であり愛善の神軍であります。人から恨まれる事もなければ(おそ)れられる事もない、ほんとの愛善の神の使(つかひ)であります。これは国の内外を問はず、宗教の異同を問はず、総て何処(どこ)へ持つて行つても歓迎される神軍でありまするが、中には神の御意志がわからずして、(その)ために(はた)の団体から色々の嫌疑を受けたり(あるひ)は怖れられたりするのは、神軍そのものがわかつて居らぬ証拠であります。
 日本の国体を掩護(えんご)するには三種の神器があります。これは(かしこ)くも万世一系の皇室におかせられまして御継承されるのであります。そして万民はこの御威徳によつて平安無事にその日その日を(くら)させて頂くのであります。
 大本の(をしへ)所謂(いはゆる)()(きやう)(けん)といつて神は()であり、(をしへ)(かがみ)であり、昭和青年会、昭和坤生会、武道宣揚会は(けん)であります。愛善の神軍でありますから武道を使ふ必要はないのでありますけれども、これはなければならないものであります。抜かずして世を治めるのが()であります。
 今度()る一人の人から、武道宣揚会を馬鹿にしとるから行進の時などは先にやらして()れと言つて来ましたが、これは大体に神意に(もと)つた言ひ分であります。(れい)(もと)(けん)が守る役になつてゐるのでありますから、先へやらして呉れとか(あと)へ行くのがどうだとか争ふのは本義を(わきま)へざることで、(しん)の武道精神ではないと思ひます。武道と云ふものは肩をそびやかしたり腕まくりするのではなく、大日本宣揚会の武道は肩を下げて地蔵さんの様な肩になつてゐて、愈々(いよいよ)の時になつて退(しりぞ)くことのないやう愛善の精神を(もつ)てやつて貰ひ()いのであります。無論植芝(うゑしば)会長はこんな(をしへ)をされる(はず)はない。又内輪(うちわ)同志の事であるから先にやらせとか、どうのとかいふ事はお互ひ譲り合つて貰ひたいと思ひます。
 (すう)からいつても、これは多い方が先であるし、()(きやう)(けん)の順序からいつてもさうであります。こんな事に誤解のないやう内部に(おい)て色々な小さい考へを(おこ)さないやうに一つの家内(かない)となつて、一つの手足となつて活動をして貰ひ()いのであります。
 世界の情勢は切迫してゐるのであります。一刻と(いへど)も国民は晏如(あんじょ)として居られないのであります。恰度(ちやうど)大蛇(をろち)の背中の上に(かはず)が乗つてゐる形で、自分を食ふ蛇とも知らないでゐるといふ状態であります。()のところをよく御考へになつて昭和青年会、坤生会、武道宣揚会の方々(かたがた)は今後に処する考へをもつて頂きたいのであります。
 それから今日までは皆様と一緒になつて働いて居りましたが、今後は(あるひ)神業(しんげふ)によつて単独で活動をせんならん事があるかも知れませぬ。そんな時でも決して心配せん(やう)(あらかじ)めお(ふく)みを願ひます。
(昭和八・八・四 於鶴山山上生誕祭表賀式 同八・八・一七号 真如の光誌)
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