霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
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第二章 宗教の害毒

インフォメーション
題名:第2章 宗教の害毒 著者:出口王仁三郎
ページ:7 目次メモ:
概要: 備考:2023/10/02校正。 タグ: データ凡例: データ最終更新日:2023-10-02 03:20:13 OBC :B121802c103
初出[?]この文献の初出または底本となったと思われる文献です。[×閉じる]神霊界 > 大正7年7月15日号(第66号) > 宗教の害毒
 宗教の目的とは何ぞ。人をして生活の(しん)意義、(しん)生命(せいめい)を得せしむるに()り。(あへ)て問ふ。(これ)を得せしむるは何の為ぞやと。宗教家は必ず()はむ、娑婆(しやば)(そく)寂光(じやくくわう)浄土(じやうど)の為なりと。又()はむ、()の世に天国を出現せしめんむが為なりと。(しか)り、宗教の目的は、之を()いて()に無かるべし。()()の目的の為に孜々(しし)として布教に従事する所以(ゆゑん)なるべし。
 既に目的あらば、之に到達すベき手段を講ぜざるベからず。即ち彼岸に渡らむには、()舟楫(しうしふ)()するを要す。特に自己のみならず、同胞、()いては国家を(わた)さむと欲するには、相当の方法を講じ、充分なる設備を為さざるべからざるなり。然るに一般宗教家は、(はた)して此の方法を講じ設備を考へ、(しか)して(のち)に、其の目的に(むか)つて、衆生同胞を済度すべく努力しつつありや。吾人の観る所を以てすれば、元来宗教なるものは、其の教祖が其の国土に応じ、其の時代に適する教義を立てたるものなり。されば甲国(かふこく)に適する宗教、必ずしも乙国(おつこく)に適するにあらず。又上古(じやうこ)人心(じんしん)を救ひたる宗教、必ずしも、現代を(すく)ふとは言ふベからず。事物(じぶつ)(みな)国によりて相違し、時によりて変遷す。故に数千年(ぜん)(おこ)れる異国の宗教を持ち(きた)りて、之を以て我が現代の人心に真意義(しんいぎ)真生命(しんせいめい)を与へ、以て天国浄土を出現せしめむとするも(はなは)(かた)し。是れ吾人が現代宗教家の其の職に努力すればする程、怪訝(くわいが)に堪ヘずとする所以なり。
 (およ)そ風俗世情(せじやう)(こと)にする国土に(おい)て、平等なる目的に達するには、手段に差別あるべきこと自然の(すう)なり。宗教家(および)多くの学者は云ふ。(いは)万教(ばんけう)帰一(きいつ)なり、諸悪(しよあく)莫作(ばくさ)衆善(しうぜん)奉行(ぶぎやう)なり、至善(しぜん)(とど)まるに在り、己の欲せざる所は人に施すこと勿れ、己の好む所は之を人に施すべし、東西人情(あひ)同じく古今(ここん)一軌(いつき)、何ぞ必ずしも宗教の別を論ぜむやと、(しか)れども()れ一を知つて未だ其の一を知らざるの論なり。共通する所あればとて、直ちに同一なりとは断ずべからず。相違する所を求むれば(あく)までも相違すべし、目的同一なればとて、(その)手段の(いづ)れにても()なりとは言ふべからず。人情国風に適する手段に依るにあらざれば、到底宗教の目的に到達し之を実現し()べくもあらず。是れ(あだか)も、生命(せいめい)を繋ぐの(かて)なればとて、人をして猫の(しよく)を喰はしめ、猫をして草木(さうもく)の肥料を食はしむべからざるが如くならむのみ。陸行者(りくかうしや)には(くるま)に依り、海航者(かいかうしや)は舟に依らざるべからず。斯くて目的平等なりと(いへど)も、其の手段に至つては、(とき)(ところ)とに応じて差別を生ずることとなるなり。故にいはく、平等なる目的を達するには、手段(おのづか)ら差別を生ずるに至る、と。
 一国に最も適する宗教は其国の宗教なり。宗教は(いづ)れも其の国其の時代の思想上の産物なり。されば最適なる宗教は発生時代に於ける其の国の宗教なり。故に如何なる宗教にても、他国に()るに及びては、必ず意義又は形式に於いて、(すくな)からず変遷するを(つね)とす。是れ(あだか)虫類(ちうるゐ)の保護色の如きものなり。之を仏教に就いて見るに、其の支那に()るや支那色に変じ、又我が国に(きた)るに及びては日本色に変化したり。基督教は伝来()(なほ)浅しと(いへど)も、将来に於ては、(また)必ずや(かく)の如くなるに至らむ。是に於て宗教家は言ふなるべし。仏教は既に印度、支那の()れにあらずして日本的仏教となりたるなり。故に日本に適当なる宗教は、仏教を()いて()にあること無し。又基督教も今や日本的基督教たらむとする過渡時代に在り、故に後世日本の思想を統一するに適当なるは、世界的宗教たる基督教に()くは無しと。(あに)()(しか)らむや。元来宗教なるものは、仏教にもあれ、基督教にもあれ、人と神((ぶつ)と人、大我(たいが)小我(せうが))との融合一致に重きを置くものなり。即ち四諦観(していくわん)といひ、三位一体説といふも、其の意義に於て(ことな)ることあるなし。所謂(いはゆる)天人(てんじん)合一(がふいつ)(しゆ)とするに在るのみ。従つて現在の国家、国民、君臣(くんしん)父子(ふし)の関係を、(やや)もすれば軽々(けいけい)看過せむとす。如何に宗教家諸君が気張りて、仏典、聖書の中より五倫五常に関する語を()き集めたりとて、そは決して諸君が奉ずる宗教の(しゆ)とする所のものにはあらじ。是れ元来仏教、基督教の発生国が五倫五常の国にあらざるが故に、其の然るべきは(むし)ろ当然の結果なりと謂ふべきなり。
 我国(わがくに)は之に反して、五倫五常が主にして、神人(しんじん)契合(けいがふ)の如きは、(むし)(じう)たるものなり。外教(ぐわいけう)にては五倫五常を捨てても、神人契合を()るかは知らざれども、我が国にては決して之を得べからず。されば神人の契合を得むと欲せば、先づ五倫五常を全くするは(これ)我が神の道にして、外教(ぐわいけう)の其れとは全く表裏(あひ)反するものなり。(しか)も其の道たるや、後世(こうせい)聖人君子なる者が、必要に応じて立てたる道に非ずして、天地開闢(かいびやく)以来(つた)はれる(かむ)ながらの大道(たいだう)たるなり。(かみ)は此の道の本源を人の本性に分賦(ぶんぷ)し給へり。之を名づけて至誠といふ。此の至誠、君臣の間に発して義となり、父子の間に発して(しん)となり、夫婦の間に発して()となり、兄弟(けいてい)の間に発して(いう)となり、朋友の間に発して(しん)となり、(がう)も紛乱する所あること無きなり。故に教へずして家(おのづか)(やは)らぎ、(れい)せずして国(おのづか)ら治まる。是を以て其の国体や()なり、其の国土や浄土なり、其の国家や天国たるなり。之を(また)我が国不文(ふぶん)(をしへ)とは()ふなり。然るに(いま)宗教家は、此の浄土の国を出現せしめむがために、最良の手段たる我が固有の大道を捨てて、(えん)遠き他国の宗教布教に没頭す。是れ(なほ)湿(しつ)(にく)みて低きに居り、火を消さむと欲して油を注ぐが如き(たぐひ)のみ、(あに)()ならずや。()し宗教家にして(しん)に国家を愛し、衆生同胞を憐み、天国浄土を出現せしめむと欲せば、(すべか)らく先づ従来奉ずる所の宗教的偏見を捨てて、(かみ) 皇室の行はせらるる本義に(のつと)(たてまつ)るべきなり。(これ)其の目的たる天国浄土を出現すべき最良、最捷径(さいせうけい)の方法にして、(また)釈迦基督の本旨に(かな)ふ所以ともなりぬベし。
 元来宇宙の間には迷悟あること無し。然るに宗教家は曰ふなるベし、日本(につぽん)の道は所謂(いはゆる)不言(ふげん)(をしへ)なるが故に、迷へるものをして悟らしめ、悲しむものに慰安を与ふるの方法なし。是れ其の欠点なり。我が宗教は此の欠陥を填補(てんぽ)するものなりと。(しか)らば問はむ、宗教発生以来、果して能く迷へる者を慰め得たりしかと、宗教ありて迷者(めいしや)悲者(ひしや)其の(あと)を絶つと謂はば、宗教発生以前は皆迷者(めいしや)悲者(ひしや)のみなりしか、思ふに宗教ありとて迷ふ者は迷ひ、宗教無しとて悟る者は悟るべし。喜怒哀楽は人の天性なり。山は是れ山、水は是れ水、(あに)微々(びび)たる宗教によりて之を左右し得む()
 (しか)るに世の宗教家は巧辞(かうじ)(ろう)し、甘言(かんげん)(ふる)つて説法すらく、迷ヘる者よ(きた)れ、(さとり)を与へむ、悲しむ者よ(きた)れ、(なぐさめ)を得せしめむと、これ所謂(いはゆる)晴天に風雨(ふうう)を呼び、平水(へいすゐ)波浪(はらう)(おこ)すものにして、人心は(かへ)つてこれがために迷乱を生ずるを(まぬが)れざるものなり。(ひるがへ)つて宗教家の平常を観れば、其の多くは、伝道の(かたはら)(あるひ)愚民(ぐみん)(あざむ)きて其の膏血(かうけつ)(しぼ)り、(あるひ)は外国の走狗(そうく)となりて、共に国民性を(そこな)ひつつあるにあらずや。()れ盗賊は世の重罪なり、(しか)も之を謀反(むほん)に比すれば其の(つみ)軽し。謀反は天下の大罪なり。(しか)も之を宗教家の罪に比すれば小にして軽し。何となれば、盗賊謀反は(みづか)(その)罪を標榜して之を行ひ、人(また)(みな)之を知るが故に(あるひ)は恐れ(あるひ)(いまし)む。天誅(てんちう)至るに及びて罪悪(おのづか)(あきら)かとなるに反し、()欺民(ぎみん)走狗(そうく)()に至りては、人(これ)を知らざるのみならず、天下(こぞ)つて之を()む。(ただ)に之を()むるのみならずして之を信奉す。其の害一時(いちじ)に現出すること無しと(いへど)も、其の(ひと)たび現はるるに及びては、国家の命脈(また)(あや)ふからむとす。之を獅子(しし)身中(しんちう)の虫に比するも(あへ)失当(しつたう)にあらざるを(おぼ)ゆるものなり。
 吾人は又(ここ)に問ふベきことあり。宗教家は今日の思想界を如何(いか)()つつありやと。釈迦の(いで)し時よりも、基督の(おこ)りし時よりも、孔子の遊説(いうぜい)せし時よりも、現代は(なほ)一層(はなはだ)しき迷乱時代なるを知らずや。此の迷乱の時代を救ひて、国民思想を統一せむには、唯一の皇道あるのみ。宗教家にして()し之を知りながら、殊更(ことさら)に其の宗教を布教すとならば国家の(ぞく)なり。()し知らずして布教するとせば天下の()なり。(けだし)今日多くの宗教家は、(しん)民生(みんせい)(おも)ひ国家を(うれ)ふるの至誠より迸出(はうしゆつ)せる熱涙の布教にあらずして、布教のための布教を(こと)とする()のみ。此の世智(せち)(がら)き世に傲然(がうぜん)として舌頭(ぜつとう)のみにて多大の金品を集め、都合の悪しき時のみ世事(せじ)(われ)不関(くわんせず)(えん)仰臥(ぎやうぐわ)し得るは、(ただ)所謂(いはゆる)宗教家あるのみ。基督(いは)く、貧しき者は幸福(さいはひ)なりと、又(いは)く、神は無くてはならぬ物を与へ給ふと、(しん)に此の意を悟らば、布教の為に布教する宗教家は愧死(きし)すべき(はず)なり。
 我が国は明治の初めに於て、物質的進新(しんしん)を断行したり。今や(この)重大時期に於て国の大祓(おほはらひ)を為し、(おほい)に思想界の紛乱を正すべきの(とき)(あた)れり。世の賢明なる宗教家よ。日本の国土に於て、陛下の臣民として、祖神(そしん)の子孫として(せい)()けたる上は、此の(とき)に当りて、(よろ)しく国家の将来を(かんが)み、()を捨て()を取り、(わたくし)を去り(おほやけ)に就き以て神州(しんしう)清潔の(たみ)となり、天壌無窮の皇運を扶翼し(たてまつ)るベきにあらずや。
 聖書に『()(われ)(きた)るは、人を其の父に(そむ)かせ、子を其の母に背かせ、娘を其の(しうと)に背かせむがためなり。(われ)よりも父母を(いつくし)むものは、(われ)(かな)はざるものなり、(われ)よりも子女(しぢよ)(いつくし)むものは、(われ)(かな)はざるものなり』とあるが、真面目(まじめ)に此の(をしへ)に従ふものとすれば、父母を見れば尊し、妻子(めこ)見ればめぐしうつしとする(わが)国民の本性を破壊するものなり。其の本性を()げ、倫常(りんじやう)()みし、()ひて(ただち)天父(てんぷ)に従はむとするもの、其の国民性、(はた)して真面目(しんめんもく)なりと謂ふを()べきか。
 我が国儒仏(じゆぶつ)伝来以降、(はなは)人性(じんせい)真面目(しんめんもく)を欠きたり。(すず)()(をう)が『きもむかふ(こころ)さくじりなかなかにからの(をしへ)(ひと)(あし)くする』『からさまのさかしら(ごころ)うつりてぞ世人(よびと)(こころ)(あし)くなりぬる』と(もの)せられたる、まことに所以(ゆゑん)なきにあらず。人(あるひ)は言はむ、儒仏(じゆぶつ)は我が国に文化を導き、今日の大和(やまと)(にしき)を織りなしたるものなりと、他人の(ちから)()りて(つの)()めたるは可なりといへども、牛を殺せば(つひ)何等(なんら)(えき)かある。儒仏によりて制度文物(ぶんぶつ)の美を()したるは可なり。(しか)れども、国の命脈を維持する国民性を麻痺せしめたるの害は、挙げて(かぞ)ふベからずとす。元来我が国民性は天真爛漫なるが故に、濶達(くわつたつ)なり、雄壮なり。素盞嗚尊、五十猛(いそたけるの)(みこと)の韓国経営といひ、少名彦(すくなひこの)(みこと)の海外経営といひ、神功皇后の三韓征討といひ、其の他(そと)(いくさ)に従ひ大胆不敵なる調(つきの)伊企儺(いきな)の如きあり、(また)婦女としての大葉子(おほばこ)の如きあり、(がう)外教(ぐわいけう)浸潤(しんじゆん)()に於ける島国的(たうこくてき)にして意気地無き根性にはあらざりしなり。請ふ、天照大御神に(まを)(たてまつ)る祈年祭の祝詞(のりと)荘誦(さうしよう)せよ。

皇神(すめかみ)見霽(みはるか)します四方(よも)の国は、(あめ)壁立(かべた)(きは)み、国の退()ぎ立つ限り、青雲(あをくも)(たな)()(きは)み、白雲(しらくも)墜居(をりゐ)向伏(むかふ)す限り、青海原(あをうなばら)棹舵(さをかぢ)()さず、舟の()の至り(とどま)る極み、大海原(おほわだのはら)に舟()ちつづけて、(くが)より往く道は荷緒(にのを)()(かた)めて、磐根(いはね)木根(きね)()みさくみて、(こま)(つめ)の至り(とどま)る限り、長道(ながぢ)(ひま)無く立ちつづけて、()き国は広く、(さか)しき国は(たひら)けく、(とほ)けき国は八十綱(やそつな)打ち掛けて引き寄する事の如く、(すめ)大御神の依さし(まつ)らば、

と、何ぞ其の語の勇壮にして、意気の濶達(くわつたつ)なる。是れ実に我が上古(じやうこ)臣民の理想を代表するものにあらずや。(しか)るに儒教()りて禅譲(ぜんじやう)(ふう)を伝へ、老荘(らうさう)の学(きた)りて許由(きよゆう)巣父(さうふ)()(しやう)じ、仏教渡りて悲観厭世(えんせい)(ぞく)(おこ)り、真面目(しんめんもく)の本性を晦蒙(くわいもう)すると共に、雄壮濶達(くわつたつ)気象(きしやう)(おとろ)ふるに至りたり。()の、臣下として王位を左右したるは伊尹(いいん)の徒にあらずや。畏俗(ゐぞく)先生(せんせい)と称して山間(さんかん)(のが)れたるは許由(きよゆう)の徒にあらずや。(しか)して円頂(ゑんちやう)黒衣(こくい)以て世を遁れたるものに至りては枚挙に(いとま)あらず。(かみ)清和(せいわ)天皇の水尾山(みづのをやま)()り給ひたる、花山院(くわざんゐん)妻子(さいし)珍宝(ちんぱう)(および)王位(わうゐは)臨命終之時(いのちをはるときに)不随者(したがはざるもの)と、果敢(はか)なみて、世を捨て給へるを(はじめ)として、臣下に至りては其の(すう)計るべくもあらず。就中(なかんづく)、最も知られたるは西行(さいぎやう)法師なり。法師本名を佐藤(さとう)義清(よしはる)といふ。一夕(いつせき)知友の死に会ひ、無常を感じて出家す。出家したる(のち)(かれ)(はた)して何をか得たる。其の鈴鹿山(すずかやま)()えむとするや、歌うて曰く『鈴鹿山(すずかやま)浮世(うきよ)余所(よそ)にふり捨てて如何(いか)になり行く我が身なるらむ』と、彼もと生死の道を脱せむとして出家す、しかも身の成り(ゆき)に迷ヘるにあらずや。(また)歌ふらく、『(ねが)はくは花の(した)にて(はる)死なむ』と、出家は元来()行雲(かううん)流水(りうすゐ)に托す、死所(ししよ)何ぞ必ずしも陽春(やうしゆん)花下(くわか)()たむ。(かれ)(すで)(こころ)無しといふ、(しか)鴫立沢(しぎたつさは)秋色(しうしよく)に対しては(あはれ)を感ぜざる(あた)はざるは何ぞや。兼盛(かねもり)言ふ『忍ぶれど(いろ)()にけり』と、(こころ)(うち)()れば必ず外に表はる。人(いづく)んぞかくさむや。
 又(かもの)長明(ちやうめい)加茂(かもの)(やしろ)社人(しやじん)なり。社司(しやし)を望みて得ず、(いか)りて出家し、前に出家せしものに贈りて曰く『何処(いづこ)より人は()りけむ真葛原(まくずはら)秋風(あきかぜ)吹きし道よりぞ()し』と、何ぞ其の根性の不真面目にして横着なる。(いやし)くも神祇に仕ふる身にありながら、不都合にも些細(ささい)なる不平のために(ぶつ)()したるなり。又入道(にふだう)右大弁(うだいべん)真観(しんくわん)なる者、屡々(しばしば)仙洞(せんとう)より()さる、参らずして歌を(たてまつ)りて曰く、『(ちよく)なればそむくにあらず捨て果てし身を()()てに思ふばかりぞ』仙洞(せんとう)より()返事あり。曰く『此の頃の(ならひ)ぞつらき(いにしへ)(ちよく)にぞ人は身をも捨ててき』と、真観(しんくわん)恐れて参りたりと云ヘり。是等(これら)(みな)似而非(ゑせ)遁世者(とんせいしや)にして世を(あざむ)くものなり。()し夫れ(しん)に世を捨つるとならば、何ぞ(すみや)かに死せざる。此の世に生息する以上は、決して世を捨てたりとはいふべからず。普天(ふてん)(もと)率土(そつど)(ひん)王土(わうど)にあらざるは無く、之に生息する者王臣(わうしん)にあらざるは無ければ、許由(きよゆう)頴川(えいせむ)に飲むも、()堯沢(げうたく)(かうむ)り、伯夷(はくい)首陽(しゆやう)(わらび)を採るも、()(しう)の物を()むなり。(いは)んや(せい)ある以上は山の奥にも鹿の声は(きこ)え、波の音を(いと)ヘばとて、松風の音を()くる事(あた)はざるに於てをや。
 仏者(ぶつしや)に言はしむれば、仏教には小乗あり大乗あり、中古(ちうこ)時代の仏教は多く独善的の小乗なりしが故に(へい)ありしかど、大乗的教義に至りては(しか)らずと。(しか)れども仏教の入門は、到底(たうてい)悲観的厭世(えんせい)主義なるを(まぬ)がるる(あた)はず。出家にあらざれば道を()る能はずとするを主義とす。教祖釈迦を初め、()らゆる祖師(そし)(たち)(いづ)れか家を()でずして得道(とくだう)したる。さればこそ兼好(けんかう)法師も『此世をはかなみ、かならず生死を()でむとおもはむに、何の(きよう)ありてか、朝夕(てうせき)(きみ)につかへ、家をかへりみるいとなみのいさましからむ』(また)大事(だいじ)を思ひたらむ人は、さりがたく心にかからむ事のほいをとげずして、さながらすつベきなり』など言ひけれ。(また)法華経にも『三界の安きこと無し、(なほ)火宅(くわたく)の如く衆苦(しうく)充満せり、(はなはだ)畏怖(ゐふ)すベし』といひ、仁王経(にわうきやう)にも『三界は皆()なり、国土も何の(たのみ)かあらむ』といへり。之を詮ずるに、仏教は四諦(したい)、即ち、苦集滅道(くしふめつだう)を以て綱目(かうもく)とし、其の苦観(くくわん)を以て関門とするは争ふべからざる所なり。是れ実に中古以来、我が国民性を麻痺せしめたる毒薬にして、其の(しよう)今日(こんにち)の印度を見れば、(おのづか)(おもひ)(なかば)に過ぎむ。
 天命(てんめい)(せい)にして、(せい)(したが)ふを道といひ、道を修むるを(けう)といふ以上、我が国の道は我が国民性に(したが)ひ、我が国の(をしへ)は我が国の道を修めざるベからず。(しか)して今日(こんにち)の基督教は勿論(もちろん)儒仏老荘(じゆぶつらうさう)(をしへ)は、既に我が国民性に(かな)はずとすれば、我国に於ては、惟神(かむながら)大道(だいだう)これあるのみとなるべき(はず)なり。

孝徳(かうとく)天皇大化(たいくわ)三年の(みことのり)(のたまは)く、
惟神も(あが)()(しら)さむと故寄(ことよ)させき。(こと)(もち)天地(あめつち)(はじめ)より、君臨国(きみとしらすくに)也。始治国(はつくにしら)皇祖(すめみおや)の時より天下(あめのした)大同(ととのほ)りて(すべ)彼此(かれこれ)云ふことなし云々(しかじか)

と、近藤(こんどう)芳樹(はうじゆ)(をう)之を解きて曰く、

掛巻(かけまく)もかしこけれど、我が豊葦原の中国(おほみくに)は、天照皇大神(てんせうくわうだいじん)御任(みよさし)のまにまに、万世(ばんせい)遠長(とほなが)統御(しろしめす)べき美邦(うましくに)にしあれば、天下(あめのした)臣庶(おほみたから)(みな)(せい)天神(あまつかみ)産霊(むすび)に成して、(こころ)(なほ)く、身を真井(まなゐ)清水(しみづ)(すす)ぎて(その)(たい)(きよ)ければ、穢悪(きたな)枉曲(まが)れる者をさをさ無くて、(おみ)(むらじ)伴造(とものみやつこ)国造(くにのみやつこ)諸々(もろもろ)(みかど)(たす)け、世を治むべき(わざ)を家に伝へ、(おみ)(むらじ)(その)(かばね)のまにまに(つかへ)(まつ)り、()でては(きみ)(たふと)び、(とも)(むつ)び、()りては父兄(おや)につかへ夫婦(めを)(あひ)いつくしむ。神代(かみよ)ながらの無為(むゐ)(をしへ)にたがひめあらでなむ。是を惟神の道といふ。

 是れ実に(わが)国民性に(したが)ふ所の道にして、五倫五常一致の本義なり。されば五倫を尊ばざるは我が国の(をしへ)にあらず。五常を重んぜざるは我が国の道にあらず。我が国の(をしへ)にあらずして之を奉じ、我が国の道にあらずして之に(したが)ふ。これ本性を()君親(きみおや)()みするものにして、畢竟(ひつきやう)乱臣(らんしん)賊子(ぞくし)たるを(まぬが)れず。人(あるひ)は言はむ。時勢の推移に連れて文物(また)変遷す。今日(こんにち)此の聖代に於て、上古(じやうこ)の道を論ずるは()なりと、(みち)()に時の古今(ここん)に依つて変ずるものならむや。(およ)そ世の単位は人なり。人の思想の変遷につれて、時勢も(また)変遷するは(まぬが)るベからざるも、吾人の所謂(いはゆる)道には非ざるなり。古語に曰く、一人(いちにん)(じん)(おこ)ると、故に一人(いちにん)にても過去の(あやまち)を悔い、今日の(おこなひ)(をさ)むる者あらば、漸次(ぜんじ)一家一村一国に及ぼし、遂には世の趨勢をも一変すべし。而して其の(こと)たるや、之を遠くに求むるに非ずして、(ちか)く之を自己の本性真情(しんじやう)に求め、之を(かた)きに施さずして、易き君臣(くんしん)父子(ふし)の間に行ふに在るなり。人(すで)(ひと)たび真情を発す。鼎钁(ていくわく)(あめ)の如く、水火(すゐくわ)蒲団(ふとん)の如くならむ。何を苦しみて生死を離れ、何の(いとま)ありて天国を(こひねが)はむ。思ふに我が国の現状思想界の混乱()(きよく)に達せむとす。曰く耶蘇(やそ)、曰く(ぶつ)、曰く(じゆ)、曰く俗神道(ぞくしんだう)、曰く東洋哲学、曰く西洋哲学と、(しか)して其の(うち)(また)各宗各派各主義に(わか)れ、甲論(かふろん)乙駁(おつぱく)喧擾(けんぜう)紛争してやむ(とき)無きなり。祝詞に所謂(いはゆる)磐根(いはね)樹根(きね)立草(たちくさ)片葉(かきは)をも言間(ことと)ふの世なり。(むべ)なるかな人心の帰趨(きすう)統一せられざるや。
 之を要するに、今日の宗教家、哲学者(たち)は、人心統一の必要は之を感じながら、一面には其の生存のために世を(あざむ)き、名を(てら)ひ、一面には深く天地(てんち)大道(だいだう)(きは)めざるがために、其の帰結点を得ざるものなりとす。一般世人(せじん)に至りては、(ただ)彼等(かれら)(げん)にこれ聴くのみ。()(しか)らずとならば、爾曹(なんぢ)が従来の(をしへ)に固着するの(ろう)と、主義に束縛せらるるの(へい)とを離れ、日本国民の本性に復帰すべきなり。日本国民の本性に復帰して之を発揚し、以て天壌無窮の皇運を扶翼し(まつ)る、之を惟神の大道とはいふなり。惟神の大道を離れて、(しか)して日本国民たらむとするも()べからざるなり。()()ひて仏耶(ぶつや)其他(そのた)(をしへ)を奉ぜむとならば、乞ふ各々(おのおの)其国(そのくに)(たみ)となれ。
(大正七、七、一五号 神霊界)
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