霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
目 次設 定
設定
印刷用画面を開く [?]プリント専用のシンプルな画面が開きます。文章の途中から印刷したい場合は、文頭にしたい位置のアンカーをクリックしてから開いて下さい。[×閉じる]
話者名の追加表示 [?]セリフの前に話者名が記していない場合、誰がしゃべっているセリフなのか分からなくなってしまう場合があります。底本にはありませんが、話者名を追加して表示します。[×閉じる]
表示できる章
テキストのタイプ [?]ルビを表示させたまま文字列を選択してコピー&ペーストすると、ブラウザによってはルビも一緒にコピーされてしまい、ブログ等に引用するのに手間がかかります。そんな時には「コピー用のテキスト」に変更して下さい。ルビも脚注もない、ベタなテキストが表示され、きれいにコピーできます。[×閉じる]

文字サイズ
フォント

ルビの表示



アンカーの表示 [?]本文中に挿入している3~4桁の数字がアンカーです。原則として句読点ごとに付けており、標準設定では本文の左端に表示させています。クリックするとその位置から表示されます(URLの#の後ろに付ける場合は数字の頭に「a」を付けて下さい)。長いテキストをスクロールさせながら読んでいると、どこまで読んだのか分からなくなってしまう時がありますが、読んでいる位置を知るための目安にして下さい。目障りな場合は「表示しない」設定にして下さい。[×閉じる]


宣伝歌 [?]宣伝歌など七五調の歌は、底本ではたいてい二段組でレイアウトされています。しかしブラウザで読む場合には、二段組だと読みづらいので、標準設定では一段組に変更して(ただし二段目は分かるように一文字下げて)表示しています。お好みよって二段組に変更して下さい。[×閉じる]
脚注 [?][※]や[#]で括られている文字は当サイトで独自に付けた脚注です。まだ少ししか付いていませんが、目障りな場合は「表示しない」設定に変えて下さい。ただし[#]は重要な注記なので表示を消すことは出来ません。[×閉じる]


文字の色
背景の色
ルビの色
傍点の色 [?]底本で傍点(圏点)が付いている文字は、『霊界物語ネット』では太字で表示されますが、その色を変えます。[×閉じる]
外字1の色 [?]この設定は現在使われておりません。[×閉じる]
外字2の色 [?]文字がフォントに存在せず、画像を使っている場合がありますが、その画像の周囲の色を変えます。[×閉じる]

  

表示がおかしくなったらリロードしたり、クッキーを削除してみて下さい。


【新着情報】サブスクのお知らせ
マーキングパネル
設定パネルで「全てのアンカーを表示」させてアンカーをクリックして下さい。

【引数の設定例】 &mky=a010-a021a034  アンカー010から021と、034を、イエローでマーキング。

          

第二章 宗教の害毒

インフォメーション
題名:第2章 宗教の害毒 著者:出口王仁三郎
ページ:7 目次メモ:
概要: 備考:2023/10/02校正。 タグ: データ凡例: データ最終更新日:2023-10-02 03:20:13 OBC :B121802c103
初出[?]この文献の初出または底本となったと思われる文献です。[×閉じる]神霊界 > 大正7年7月15日号(第66号) > 宗教の害毒
 宗教の目的とは何ぞ。人をして生活の(しん)意義、(しん)生命(せいめい)を得せしむるに()り。(あへ)て問ふ。(これ)を得せしむるは何の為ぞやと。宗教家は必ず()はむ、娑婆(しやば)(そく)寂光(じやくくわう)浄土(じやうど)の為なりと。又()はむ、()の世に天国を出現せしめんむが為なりと。(しか)り、宗教の目的は、之を()いて()に無かるべし。()()の目的の為に孜々(しし)として布教に従事する所以(ゆゑん)なるべし。
 既に目的あらば、之に到達すベき手段を講ぜざるベからず。即ち彼岸に渡らむには、()舟楫(しうしふ)()するを要す。特に自己のみならず、同胞、()いては国家を(わた)さむと欲するには、相当の方法を講じ、充分なる設備を為さざるべからざるなり。然るに一般宗教家は、(はた)して此の方法を講じ設備を考へ、(しか)して(のち)に、其の目的に(むか)つて、衆生同胞を済度すべく努力しつつありや。吾人の観る所を以てすれば、元来宗教なるものは、其の教祖が其の国土に応じ、其の時代に適する教義を立てたるものなり。されば甲国(かふこく)に適する宗教、必ずしも乙国(おつこく)に適するにあらず。又上古(じやうこ)人心(じんしん)を救ひたる宗教、必ずしも、現代を(すく)ふとは言ふベからず。事物(じぶつ)(みな)国によりて相違し、時によりて変遷す。故に数千年(ぜん)(おこ)れる異国の宗教を持ち(きた)りて、之を以て我が現代の人心に真意義(しんいぎ)真生命(しんせいめい)を与へ、以て天国浄土を出現せしめむとするも(はなは)(かた)し。是れ吾人が現代宗教家の其の職に努力すればする程、怪訝(くわいが)に堪ヘずとする所以なり。
 (およ)そ風俗世情(せじやう)(こと)にする国土に(おい)て、平等なる目的に達するには、手段に差別あるべきこと自然の(すう)なり。宗教家(および)多くの学者は云ふ。(いは)万教(ばんけう)帰一(きいつ)なり、諸悪(しよあく)莫作(ばくさ)衆善(しうぜん)奉行(ぶぎやう)なり、至善(しぜん)(とど)まるに在り、己の欲せざる所は人に施すこと勿れ、己の好む所は之を人に施すべし、東西人情(あひ)同じく古今(ここん)一軌(いつき)、何ぞ必ずしも宗教の別を論ぜむやと、(しか)れども()れ一を知つて未だ其の一を知らざるの論なり。共通する所あればとて、直ちに同一なりとは断ずべからず。相違する所を求むれば(あく)までも相違すべし、目的同一なればとて、(その)手段の(いづ)れにても()なりとは言ふべからず。人情国風に適する手段に依るにあらざれば、到底宗教の目的に到達し之を実現し()べくもあらず。是れ(あだか)も、生命(せいめい)を繋ぐの(かて)なればとて、人をして猫の(しよく)を喰はしめ、猫をして草木(さうもく)の肥料を食はしむべからざるが如くならむのみ。陸行者(りくかうしや)には(くるま)に依り、海航者(かいかうしや)は舟に依らざるべからず。斯くて目的平等なりと(いへど)も、其の手段に至つては、(とき)(ところ)とに応じて差別を生ずることとなるなり。故にいはく、平等なる目的を達するには、手段(おのづか)ら差別を生ずるに至る、と。
 一国に最も適する宗教は其国の宗教なり。宗教は(いづ)れも其の国其の時代の思想上の産物なり。されば最適なる宗教は発生時代に於ける其の国の宗教なり。故に如何なる宗教にても、他国に()るに及びては、必ず意義又は形式に於いて、(すくな)からず変遷するを(つね)とす。是れ(あだか)虫類(ちうるゐ)の保護色の如きものなり。之を仏教に就いて見るに、其の支那に()るや支那色に変じ、又我が国に(きた)るに及びては日本色に変化したり。基督教は伝来()(なほ)浅しと(いへど)も、将来に於ては、(また)必ずや(かく)の如くなるに至らむ。是に於て宗教家は言ふなるべし。仏教は既に印度、支那の()れにあらずして日本的仏教となりたるなり。故に日本に適当なる宗教は、仏教を()いて()にあること無し。又基督教も今や日本的基督教たらむとする過渡時代に在り、故に後世日本の思想を統一するに適当なるは、世界的宗教たる基督教に()くは無しと。(あに)()(しか)らむや。元来宗教なるものは、仏教にもあれ、基督教にもあれ、人と神((ぶつ)と人、大我(たいが)小我(せうが))との融合一致に重きを置くものなり。即ち四諦観(していくわん)といひ、三位一体説といふも、其の意義に於て(ことな)ることあるなし。所謂(いはゆる)天人(てんじん)合一(がふいつ)(しゆ)とするに在るのみ。従つて現在の国家、国民、君臣(くんしん)父子(ふし)の関係を、(やや)もすれば軽々(けいけい)看過せむとす。如何に宗教家諸君が気張りて、仏典、聖書の中より五倫五常に関する語を()き集めたりとて、そは決して諸君が奉ずる宗教の(しゆ)とする所のものにはあらじ。是れ元来仏教、基督教の発生国が五倫五常の国にあらざるが故に、其の然るべきは(むし)ろ当然の結果なりと謂ふべきなり。
 我国(わがくに)は之に反して、五倫五常が主にして、神人(しんじん)契合(けいがふ)の如きは、(むし)(じう)たるものなり。外教(ぐわいけう)にては五倫五常を捨てても、神人契合を()るかは知らざれども、我が国にては決して之を得べからず。されば神人の契合を得むと欲せば、先づ五倫五常を全くするは(これ)我が神の道にして、外教(ぐわいけう)の其れとは全く表裏(あひ)反するものなり。(しか)も其の道たるや、後世(こうせい)聖人君子なる者が、必要に応じて立てたる道に非ずして、天地開闢(かいびやく)以来(つた)はれる(かむ)ながらの大道(たいだう)たるなり。(かみ)は此の道の本源を人の本性に分賦(ぶんぷ)し給へり。之を名づけて至誠といふ。此の至誠、君臣の間に発して義となり、父子の間に発して(しん)となり、夫婦の間に発して()となり、兄弟(けいてい)の間に発して(いう)となり、朋友の間に発して(しん)となり、(がう)も紛乱する所あること無きなり。故に教へずして家(おのづか)(やは)らぎ、(れい)せずして国(おのづか)ら治まる。是を以て其の国体や()なり、其の国土や浄土なり、其の国家や天国たるなり。之を(また)我が国不文(ふぶん)(をしへ)とは()ふなり。然るに(いま)宗教家は、此の浄土の国を出現せしめむがために、最良の手段たる我が固有の大道を捨てて、(えん)遠き他国の宗教布教に没頭す。是れ(なほ)湿(しつ)(にく)みて低きに居り、火を消さむと欲して油を注ぐが如き(たぐひ)のみ、(あに)()ならずや。()し宗教家にして(しん)に国家を愛し、衆生同胞を憐み、天国浄土を出現せしめむと欲せば、(すべか)らく先づ従来奉ずる所の宗教的偏見を捨てて、(かみ) 皇室の行はせらるる本義に(のつと)(たてまつ)るべきなり。(これ)其の目的たる天国浄土を出現すべき最良、最捷径(さいせうけい)の方法にして、(また)釈迦基督の本旨に(かな)ふ所以ともなりぬベし。
 元来宇宙の間には迷悟あること無し。然るに宗教家は曰ふなるベし、日本(につぽん)の道は所謂(いはゆる)不言(ふげん)(をしへ)なるが故に、迷へるものをして悟らしめ、悲しむものに慰安を与ふるの方法なし。是れ其の欠点なり。我が宗教は此の欠陥を填補(てんぽ)するものなりと。(しか)らば問はむ、宗教発生以来、果して能く迷へる者を慰め得たりしかと、宗教ありて迷者(めいしや)悲者(ひしや)其の(あと)を絶つと謂はば、宗教発生以前は皆迷者(めいしや)悲者(ひしや)のみなりしか、思ふに宗教ありとて迷ふ者は迷ひ、宗教無しとて悟る者は悟るべし。喜怒哀楽は人の天性なり。山は是れ山、水は是れ水、(あに)微々(びび)たる宗教によりて之を左右し得む()
 (しか)るに世の宗教家は巧辞(かうじ)(ろう)し、甘言(かんげん)(ふる)つて説法すらく、迷ヘる者よ(きた)れ、(さとり)を与へむ、悲しむ者よ(きた)れ、(なぐさめ)を得せしめむと、これ所謂(いはゆる)晴天に風雨(ふうう)を呼び、平水(へいすゐ)波浪(はらう)(おこ)すものにして、人心は(かへ)つてこれがために迷乱を生ずるを(まぬが)れざるものなり。(ひるがへ)つて宗教家の平常を観れば、其の多くは、伝道の(かたはら)(あるひ)愚民(ぐみん)(あざむ)きて其の膏血(かうけつ)(しぼ)り、(あるひ)は外国の走狗(そうく)となりて、共に国民性を(そこな)ひつつあるにあらずや。()れ盗賊は世の重罪なり、(しか)も之を謀反(むほん)に比すれば其の(つみ)軽し。謀反は天下の大罪なり。(しか)も之を宗教家の罪に比すれば小にして軽し。何となれば、盗賊謀反は(みづか)(その)罪を標榜して之を行ひ、人(また)(みな)之を知るが故に(あるひ)は恐れ(あるひ)(いまし)む。天誅(てんちう)至るに及びて罪悪(おのづか)(あきら)かとなるに反し、()欺民(ぎみん)走狗(そうく)()に至りては、人(これ)を知らざるのみならず、天下(こぞ)つて之を()む。(ただ)に之を()むるのみならずして之を信奉す。其の害一時(いちじ)に現出すること無しと(いへど)も、其の(ひと)たび現はるるに及びては、国家の命脈(また)(あや)ふからむとす。之を獅子(しし)身中(しんちう)の虫に比するも(あへ)失当(しつたう)にあらざるを(おぼ)ゆるものなり。
 吾人は又(ここ)に問ふベきことあり。宗教家は今日の思想界を如何(いか)()つつありやと。釈迦の(いで)し時よりも、基督の(おこ)りし時よりも、孔子の遊説(いうぜい)せし時よりも、現代は(なほ)一層(はなはだ)しき迷乱時代なるを知らずや。此の迷乱の時代を救ひて、国民思想を統一せむには、唯一の皇道あるのみ。宗教家にして()し之を知りながら、殊更(ことさら)に其の宗教を布教すとならば国家の(ぞく)なり。()し知らずして布教するとせば天下の()なり。(けだし)今日多くの宗教家は、(しん)民生(みんせい)(おも)ひ国家を(うれ)ふるの至誠より迸出(はうしゆつ)せる熱涙の布教にあらずして、布教のための布教を(こと)とする()のみ。此の世智(せち)(がら)き世に傲然(がうぜん)として舌頭(ぜつとう)のみにて多大の金品を集め、都合の悪しき時のみ世事(せじ)(われ)不関(くわんせず)(えん)仰臥(ぎやうぐわ)し得るは、(ただ)所謂(いはゆる)宗教家あるのみ。基督(いは)く、貧しき者は幸福(さいはひ)なりと、又(いは)く、神は無くてはならぬ物を与へ給ふと、(しん)に此の意を悟らば、布教の為に布教する宗教家は愧死(きし)すべき(はず)なり。
 我が国は明治の初めに於て、物質的進新(しんしん)を断行したり。今や(この)重大時期に於て国の大祓(おほはらひ)を為し、(おほい)に思想界の紛乱を正すべきの(とき)(あた)れり。世の賢明なる宗教家よ。日本の国土に於て、陛下の臣民として、祖神(そしん)の子孫として(せい)()けたる上は、此の(とき)に当りて、(よろ)しく国家の将来を(かんが)み、()を捨て()を取り、(わたくし)を去り(おほやけ)に就き以て神州(しんしう)清潔の(たみ)となり、天壌無窮の皇運を扶翼し(たてまつ)るベきにあらずや。
 聖書に『()(われ)(きた)るは、人を其の父に(そむ)かせ、子を其の母に背かせ、娘を其の(しうと)に背かせむがためなり。(われ)よりも父母を(いつくし)むものは、(われ)(かな)はざるものなり、(われ)よりも子女(しぢよ)(いつくし)むものは、(われ)(かな)はざるものなり』とあるが、真面目(まじめ)に此の(をしへ)に従ふものとすれば、父母を見れば尊し、妻子(めこ)見ればめぐしうつしとする(わが)国民の本性を破壊するものなり。其の本性を()げ、倫常(りんじやう)()みし、()ひて(ただち)天父(てんぷ)に従はむとするもの、其の国民性、(はた)して真面目(しんめんもく)なりと謂ふを()べきか。
 我が国儒仏(じゆぶつ)伝来以降、(はなは)人性(じんせい)真面目(しんめんもく)を欠きたり。(すず)()(をう)が『きもむかふ(こころ)さくじりなかなかにからの(をしへ)(ひと)(あし)くする』『からさまのさかしら(ごころ)うつりてぞ世人(よびと)(こころ)(あし)くなりぬる』と(もの)せられたる、まことに所以(ゆゑん)なきにあらず。人(あるひ)は言はむ、儒仏(じゆぶつ)は我が国に文化を導き、今日の大和(やまと)(にしき)を織りなしたるものなりと、他人の(ちから)()りて(つの)()めたるは可なりといへども、牛を殺せば(つひ)何等(なんら)(えき)かある。儒仏によりて制度文物(ぶんぶつ)の美を()したるは可なり。(しか)れども、国の命脈を維持する国民性を麻痺せしめたるの害は、挙げて(かぞ)ふベからずとす。元来我が国民性は天真爛漫なるが故に、濶達(くわつたつ)なり、雄壮なり。素盞嗚尊、五十猛(いそたけるの)(みこと)の韓国経営といひ、少名彦(すくなひこの)(みこと)の海外経営といひ、神功皇后の三韓征討といひ、其の他(そと)(いくさ)に従ひ大胆不敵なる調(つきの)伊企儺(いきな)の如きあり、(また)婦女としての大葉子(おほばこ)の如きあり、(がう)外教(ぐわいけう)浸潤(しんじゆん)()に於ける島国的(たうこくてき)にして意気地無き根性にはあらざりしなり。請ふ、天照大御神に(まを)(たてまつ)る祈年祭の祝詞(のりと)荘誦(さうしよう)せよ。

皇神(すめかみ)見霽(みはるか)します四方(よも)の国は、(あめ)壁立(かべた)(きは)み、国の退()ぎ立つ限り、青雲(あをくも)(たな)()(きは)み、白雲(しらくも)墜居(をりゐ)向伏(むかふ)す限り、青海原(あをうなばら)棹舵(さをかぢ)()さず、舟の()の至り(とどま)る極み、大海原(おほわだのはら)に舟()ちつづけて、(くが)より往く道は荷緒(にのを)()(かた)めて、磐根(いはね)木根(きね)()みさくみて、(こま)(つめ)の至り(とどま)る限り、長道(ながぢ)(ひま)無く立ちつづけて、()き国は広く、(さか)しき国は(たひら)けく、(とほ)けき国は八十綱(やそつな)打ち掛けて引き寄する事の如く、(すめ)大御神の依さし(まつ)らば、

と、何ぞ其の語の勇壮にして、意気の濶達(くわつたつ)なる。是れ実に我が上古(じやうこ)臣民の理想を代表するものにあらずや。(しか)るに儒教()りて禅譲(ぜんじやう)(ふう)を伝へ、老荘(らうさう)の学(きた)りて許由(きよゆう)巣父(さうふ)()(しやう)じ、仏教渡りて悲観厭世(えんせい)(ぞく)(おこ)り、真面目(しんめんもく)の本性を晦蒙(くわいもう)すると共に、雄壮濶達(くわつたつ)気象(きしやう)(おとろ)ふるに至りたり。()の、臣下として王位を左右したるは伊尹(いいん)の徒にあらずや。畏俗(ゐぞく)先生(せんせい)と称して山間(さんかん)(のが)れたるは許由(きよゆう)の徒にあらずや。(しか)して円頂(ゑんちやう)黒衣(こくい)以て世を遁れたるものに至りては枚挙に(いとま)あらず。(かみ)清和(せいわ)天皇の水尾山(みづのをやま)()り給ひたる、花山院(くわざんゐん)妻子(さいし)珍宝(ちんぱう)(および)王位(わうゐは)臨命終之時(いのちをはるときに)不随者(したがはざるもの)と、果敢(はか)なみて、世を捨て給へるを(はじめ)として、臣下に至りては其の(すう)計るべくもあらず。就中(なかんづく)、最も知られたるは西行(さいぎやう)法師なり。法師本名を佐藤(さとう)義清(よしはる)といふ。一夕(いつせき)知友の死に会ひ、無常を感じて出家す。出家したる(のち)(かれ)(はた)して何をか得たる。其の鈴鹿山(すずかやま)()えむとするや、歌うて曰く『鈴鹿山(すずかやま)浮世(うきよ)余所(よそ)にふり捨てて如何(いか)になり行く我が身なるらむ』と、彼もと生死の道を脱せむとして出家す、しかも身の成り(ゆき)に迷ヘるにあらずや。(また)歌ふらく、『(ねが)はくは花の(した)にて(はる)死なむ』と、出家は元来()行雲(かううん)流水(りうすゐ)に托す、死所(ししよ)何ぞ必ずしも陽春(やうしゆん)花下(くわか)()たむ。(かれ)(すで)(こころ)無しといふ、(しか)鴫立沢(しぎたつさは)秋色(しうしよく)に対しては(あはれ)を感ぜざる(あた)はざるは何ぞや。兼盛(かねもり)言ふ『忍ぶれど(いろ)()にけり』と、(こころ)(うち)()れば必ず外に表はる。人(いづく)んぞかくさむや。
 又(かもの)長明(ちやうめい)加茂(かもの)(やしろ)社人(しやじん)なり。社司(しやし)を望みて得ず、(いか)りて出家し、前に出家せしものに贈りて曰く『何処(いづこ)より人は()りけむ真葛原(まくずはら)秋風(あきかぜ)吹きし道よりぞ()し』と、何ぞ其の根性の不真面目にして横着なる。(いやし)くも神祇に仕ふる身にありながら、不都合にも些細(ささい)なる不平のために(ぶつ)()したるなり。又入道(にふだう)右大弁(うだいべん)真観(しんくわん)なる者、屡々(しばしば)仙洞(せんとう)より()さる、参らずして歌を(たてまつ)りて曰く、『(ちよく)なればそむくにあらず捨て果てし身を()()てに思ふばかりぞ』仙洞(せんとう)より()返事あり。曰く『此の頃の(ならひ)ぞつらき(いにしへ)(ちよく)にぞ人は身をも捨ててき』と、真観(しんくわん)恐れて参りたりと云ヘり。是等(これら)(みな)似而非(ゑせ)遁世者(とんせいしや)にして世を(あざむ)くものなり。()し夫れ(しん)に世を捨つるとならば、何ぞ(すみや)かに死せざる。此の世に生息する以上は、決して世を捨てたりとはいふべからず。普天(ふてん)(もと)率土(そつど)(ひん)王土(わうど)にあらざるは無く、之に生息する者王臣(わうしん)にあらざるは無ければ、許由(きよゆう)頴川(えいせむ)に飲むも、()堯沢(げうたく)(かうむ)り、伯夷(はくい)首陽(しゆやう)(わらび)を採るも、()(しう)の物を()むなり。(いは)んや(せい)ある以上は山の奥にも鹿の声は(きこ)え、波の音を(いと)ヘばとて、松風の音を()くる事(あた)はざるに於てをや。
 仏者(ぶつしや)に言はしむれば、仏教には小乗あり大乗あり、中古(ちうこ)時代の仏教は多く独善的の小乗なりしが故に(へい)ありしかど、大乗的教義に至りては(しか)らずと。(しか)れども仏教の入門は、到底(たうてい)悲観的厭世(えんせい)主義なるを(まぬ)がるる(あた)はず。出家にあらざれば道を()る能はずとするを主義とす。教祖釈迦を初め、()らゆる祖師(そし)(たち)(いづ)れか家を()でずして得道(とくだう)したる。さればこそ兼好(けんかう)法師も『此世をはかなみ、かならず生死を()でむとおもはむに、何の(きよう)ありてか、朝夕(てうせき)(きみ)につかへ、家をかへりみるいとなみのいさましからむ』(また)大事(だいじ)を思ひたらむ人は、さりがたく心にかからむ事のほいをとげずして、さながらすつベきなり』など言ひけれ。(また)法華経にも『三界の安きこと無し、(なほ)火宅(くわたく)の如く衆苦(しうく)充満せり、(はなはだ)畏怖(ゐふ)すベし』といひ、仁王経(にわうきやう)にも『三界は皆()なり、国土も何の(たのみ)かあらむ』といへり。之を詮ずるに、仏教は四諦(したい)、即ち、苦集滅道(くしふめつだう)を以て綱目(かうもく)とし、其の苦観(くくわん)を以て関門とするは争ふべからざる所なり。是れ実に中古以来、我が国民性を麻痺せしめたる毒薬にして、其の(しよう)今日(こんにち)の印度を見れば、(おのづか)(おもひ)(なかば)に過ぎむ。
 天命(てんめい)(せい)にして、(せい)(したが)ふを道といひ、道を修むるを(けう)といふ以上、我が国の道は我が国民性に(したが)ひ、我が国の(をしへ)は我が国の道を修めざるベからず。(しか)して今日(こんにち)の基督教は勿論(もちろん)儒仏老荘(じゆぶつらうさう)(をしへ)は、既に我が国民性に(かな)はずとすれば、我国に於ては、惟神(かむながら)大道(だいだう)これあるのみとなるべき(はず)なり。

孝徳(かうとく)天皇大化(たいくわ)三年の(みことのり)(のたまは)く、
惟神も(あが)()(しら)さむと故寄(ことよ)させき。(こと)(もち)天地(あめつち)(はじめ)より、君臨国(きみとしらすくに)也。始治国(はつくにしら)皇祖(すめみおや)の時より天下(あめのした)大同(ととのほ)りて(すべ)彼此(かれこれ)云ふことなし云々(しかじか)

と、近藤(こんどう)芳樹(はうじゆ)(をう)之を解きて曰く、

掛巻(かけまく)もかしこけれど、我が豊葦原の中国(おほみくに)は、天照皇大神(てんせうくわうだいじん)御任(みよさし)のまにまに、万世(ばんせい)遠長(とほなが)統御(しろしめす)べき美邦(うましくに)にしあれば、天下(あめのした)臣庶(おほみたから)(みな)(せい)天神(あまつかみ)産霊(むすび)に成して、(こころ)(なほ)く、身を真井(まなゐ)清水(しみづ)(すす)ぎて(その)(たい)(きよ)ければ、穢悪(きたな)枉曲(まが)れる者をさをさ無くて、(おみ)(むらじ)伴造(とものみやつこ)国造(くにのみやつこ)諸々(もろもろ)(みかど)(たす)け、世を治むべき(わざ)を家に伝へ、(おみ)(むらじ)(その)(かばね)のまにまに(つかへ)(まつ)り、()でては(きみ)(たふと)び、(とも)(むつ)び、()りては父兄(おや)につかへ夫婦(めを)(あひ)いつくしむ。神代(かみよ)ながらの無為(むゐ)(をしへ)にたがひめあらでなむ。是を惟神の道といふ。

 是れ実に(わが)国民性に(したが)ふ所の道にして、五倫五常一致の本義なり。されば五倫を尊ばざるは我が国の(をしへ)にあらず。五常を重んぜざるは我が国の道にあらず。我が国の(をしへ)にあらずして之を奉じ、我が国の道にあらずして之に(したが)ふ。これ本性を()君親(きみおや)()みするものにして、畢竟(ひつきやう)乱臣(らんしん)賊子(ぞくし)たるを(まぬが)れず。人(あるひ)は言はむ。時勢の推移に連れて文物(また)変遷す。今日(こんにち)此の聖代に於て、上古(じやうこ)の道を論ずるは()なりと、(みち)()に時の古今(ここん)に依つて変ずるものならむや。(およ)そ世の単位は人なり。人の思想の変遷につれて、時勢も(また)変遷するは(まぬが)るベからざるも、吾人の所謂(いはゆる)道には非ざるなり。古語に曰く、一人(いちにん)(じん)(おこ)ると、故に一人(いちにん)にても過去の(あやまち)を悔い、今日の(おこなひ)(をさ)むる者あらば、漸次(ぜんじ)一家一村一国に及ぼし、遂には世の趨勢をも一変すべし。而して其の(こと)たるや、之を遠くに求むるに非ずして、(ちか)く之を自己の本性真情(しんじやう)に求め、之を(かた)きに施さずして、易き君臣(くんしん)父子(ふし)の間に行ふに在るなり。人(すで)(ひと)たび真情を発す。鼎钁(ていくわく)(あめ)の如く、水火(すゐくわ)蒲団(ふとん)の如くならむ。何を苦しみて生死を離れ、何の(いとま)ありて天国を(こひねが)はむ。思ふに我が国の現状思想界の混乱()(きよく)に達せむとす。曰く耶蘇(やそ)、曰く(ぶつ)、曰く(じゆ)、曰く俗神道(ぞくしんだう)、曰く東洋哲学、曰く西洋哲学と、(しか)して其の(うち)(また)各宗各派各主義に(わか)れ、甲論(かふろん)乙駁(おつぱく)喧擾(けんぜう)紛争してやむ(とき)無きなり。祝詞に所謂(いはゆる)磐根(いはね)樹根(きね)立草(たちくさ)片葉(かきは)をも言間(ことと)ふの世なり。(むべ)なるかな人心の帰趨(きすう)統一せられざるや。
 之を要するに、今日の宗教家、哲学者(たち)は、人心統一の必要は之を感じながら、一面には其の生存のために世を(あざむ)き、名を(てら)ひ、一面には深く天地(てんち)大道(だいだう)(きは)めざるがために、其の帰結点を得ざるものなりとす。一般世人(せじん)に至りては、(ただ)彼等(かれら)(げん)にこれ聴くのみ。()(しか)らずとならば、爾曹(なんぢ)が従来の(をしへ)に固着するの(ろう)と、主義に束縛せらるるの(へい)とを離れ、日本国民の本性に復帰すべきなり。日本国民の本性に復帰して之を発揚し、以て天壌無窮の皇運を扶翼し(まつ)る、之を惟神の大道とはいふなり。惟神の大道を離れて、(しか)して日本国民たらむとするも()べからざるなり。()()ひて仏耶(ぶつや)其他(そのた)(をしへ)を奉ぜむとならば、乞ふ各々(おのおの)其国(そのくに)(たみ)となれ。
(大正七、七、一五号 神霊界)
目で読むのに疲れたら耳で聴こう!霊界物語の朗読ユーチューブ
オニド関連サイト最新更新情報
10/22【霊界物語ネット】王仁文庫 第六篇 たまの礎(裏の神諭)』をテキスト化しました。
5/8【霊界物語ネット】霊界物語ネットに出口王仁三郎の第六歌集『霧の海』を掲載しました。
このページに誤字・脱字や表示乱れなどを見つけたら教えて下さい。
返信が必要な場合はメールでお送り下さい。【メールアドレス
合言葉「みろく」を入力して下さい→  
霊界物語ネットは飯塚弘明が運営しています。【メールアドレス】 / 動作に不具合や誤字脱字等を発見されましたら是非お知らせ下さるようお願い申し上げます。 / 本サイトに掲載されている霊界物語等の著作物の電子データは飯塚弘明ほか、多数の方々の協力によって作られました。(スペシャルサンクス) / 本サイトの著作権(デザイン、プログラム、凡例等)は飯塚弘明にあります。出口王仁三郎の著作物(霊界物語等)の著作権は保護期間が過ぎていますのでご自由にお使いいただいて構いません。ただし一部分を引用するのではなく、本サイト掲載の大部分を利用して電子書籍等に転用する場合には、必ず出典と連絡先を記して下さい。→「本サイト掲載文献の利用について」 / 出口王仁三郎の著作物は明治~昭和初期に書かれたものです。現代においては差別的と見なされる言葉や表現もありますが、当時の時代背景を鑑みてそのままにしてあります。 / プライバシーポリシー
(C) 2007-2024 Iizuka Hiroaki