霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
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第五章 愛児の為めに

インフォメーション
題名:第5章 愛児の為めに 著者:出口王仁三郎
ページ:627 目次メモ:
概要: 備考:2023/10/07校正。 タグ: データ凡例: データ最終更新日:2023-10-07 18:04:57 OBC :B121802c214
初出[?]この文献の初出または底本となったと思われる文献です。[×閉じる]『昭和』昭和7年3月15日
問『胎教(たいけう)を世の中では(ようや)くやかましく口にし出しましたが、実際必要なものでせうか』
王仁『必要やとも、妊娠したら直ぐ妊婦の(しつ)は綺麗にして綺麗な絵を掛けて置くと綺麗な()が出来る。鬼とか、おかしな絵をその室にはつて置くと、そんな(やう)な児が出来る。妊娠中に妊婦が火事を見ると本当にアザが出来る。だから妊娠中には火事を見るなと云ふのや。酒を呑むと酒呑みの児が出来るし、果実(くわじつ)(ばか)り食ベると果物(くだもの)好きな子が出来るし(また)猿みた様な細長い顔の子が出来るものや。そして(こめ)をやつと食べておくと丸々とした(こえ)た子が出来る』
問『私は聖師様の書かれた観音様をいつも見てゐました』
王仁『観音さま許り見てゐると観音さまみた様な顔になる。何しろ妊娠の時(ぐらゐ)感じの強くなる時はない、胎教は一番肝心である。聖人の教(なぞ)を聞かすのはよい。悲哀な事を聞くとそんな子が出来る』
問『では妊婦は物語(出口聖師著霊界物語)(なぞ)を沢山拝読するといいですネ』
王仁『それはいいとも。
こんな話がある。(ある)大銀行家に四五人の子があつた。どの子も皆おだやかだつたが、どうした事か二人目の子は出来が悪くて他人をだましたりする癖があつて仕様がなかつたが、ある時、その人が白状(はくじよう)したのに、丁度(ちやうど)その()が宿つてゐた(とき)銀行の(かね)を都合して相場をやつた。処が銀行がつぶれかかる(ほど)()けたので、つぶれたら自分の責任(ゆゑ)……と相場をやつてやつてやり通して(やうや)く元に戻して事なきを得たが、その心持ちが妊婦に響いてそんな結果になつた──と云つてゐた(ぐらゐ)や』
問『人相学(なぞ)で云ふと、その児の人相は一生を支配すると云ひますが』
王仁『それはさうや。(うま)れた時の顔は一生を支配するものや』
問『妊娠中に(うさぎ)を殺すと三口(みつくち)の児が出来ると云ひますが?』
王仁『それは感じ易い胎児やつたら……。よく他人に似てゐると云つて問題を(おこ)す人があるが、妙な関係がなくても、一生懸命に妊婦が其の人(思つてゐる人)の事を思つてゐるとその人の顔に似るものや、だから心持ちは大切なのや』
問『妊娠中特に気を付けねばならぬ事がありますか』
王仁『それはある。乗物は一体によくない。出来る()け乗らぬ方がいい。(しか)し妊娠中に働くと云ふ事は大変にいい。腹帯をしめて十分働くが良い。今の医者は働かせぬ様にするけれども、腹帯をグツとしめて働いておくと(さん)が楽で子も丈夫なのが出来る。働ける(だけ)働かないかぬ』
問『妊婦が転ぶと流産したりすると云ひますが?』
王仁『それはある』
問『ああ云ふ時には霊魂が()うなるのですか、三ケ月以上やつたら祭るべきだとか聞いてゐましたが』
王仁『矢張り霊界へ(たましひ)は行くのや、霊界で(やしな)はれて大きくなるのや、十ケ月にならないでも身体(からだ)が出来て居つたら()いが、十分出来て居らぬ時には霊も(また)完成してゐない、身体(からだ)が完成すると一緒に霊身(れいしん)も完成するのやから』
問『(えな)仕末(しまつ)で特に心掛けねばならぬ事は?』
王仁『馬や牛(など)は食つて仕舞ふが、人間のは、やはり埋めねばいかぬね。其の辺に、ほかしたり(など)して汚い事をしてはいかぬ。土に深く埋めておくべきや。特にお日様のささぬ土地に埋めたらいい』
問『産後はヒが穢れるから神様(など)に御遠慮すべきだと聞きましたが?』
王仁『それは産婦が穢れると云ふ事を云ふなア。二三日はヒがあらいと云ふから心得なければならぬ。だから宮詣りも三十日過ぎてからにするのだが、御礼とかお給仕(など)はその日からでもいい。併し習慣では三十日間は詣らぬとしてあるが、神様から(うま)れさして貰うたのだから(きよ)めてその日から御礼してもいいのや』
問『難産したら一週間は御礼はしてはならぬと耳にしましたが?』
王仁『本人は行こうと思つたつて行かれぬやないか。()の者はいいのや』
問『犬張子(いぬはりこ)や、でんでん太鼓を小児(せうに)に贈るのは?』
王仁『昔からデンデン太鼓に(しやう)の笛と云ふ歌があるやらう。
昔、千葉辺りの大名(だいみやう)(した)(いし)権六(ごんろく)と云ふ忠義な家来があつた。或る時殿様(とのさま)の子供を毒殺しようとした悪い家来があつたので、権六は若様を背中に負ぶつて他処(よそ)へおかくし仕様(しやう)として御殿(ごてん)を出たが若様が背中で泣くものだから
  ネンネンヨーヨーお子守(こもり)ヨー
  坊やのお(もり)何処(どこ)()
  あの山越えて里へ行た
  里のおみやに何もろた
  デンデン太鼓に(しやう)の笛
と唄つて子供をあやして、(やうや)虎口(ここう)をのがれたと云ふ話や。そして助かつてお殿様の後が継げて誠に仕合(しあは)せが良かつた。そんな事からゲンがよいと云うて贈るのやろ』
問『神代(かみよ)時代から産婆役はあつたのですか』
王仁『そんな事はない。一人でやつたものや。木花咲耶姫様でも一人で生んで居られる。火の中で、火の燃えかけと、最中と最後とに一人(づつ)三人も生みなさつたのや』
問『塩釜(しほがま)さまはお(さん)の神様ですか』
王仁『お産の神様やない。斎神(さいじん)、伊邪那美尊さまは難産しられた。自分が難産された。だが(さん)と云ふものは難儀なものやから守つてやらう、自分が難儀したから救けてやらうと云ふのではなく、御願ひする方で『貴女(あなた)もお産がつらかつたやらうさかい、私にも()うぞ同情して下さい』と同情心に頼むのや。同情してくれるやらうと思つて頼むのや。神様は(さん)を守らうとも何んとも云うて居られない。こつちからお産の神様にして仕舞(しま)つたのや。天神さまでも悪事(あくじ)災難を(のが)してやらうとは仰有(おつしや)つてはゐないのに、自分が無実の災難を受けたから同情してくださるやらうと思つてお願ひする……同病(どうびやう)(あひ)(あは)れむというてな……』
問『七五三の宮詣(みやまゐり)(など)は?』
王仁『そんな事は大本ではせぬ。毎日神様を拝んでゐるからな』
問『妊娠(ぜん)の避妊はいいのですか』
王仁『制限と云ふ事は悪い事や。何、妊娠(まへ)のか、出来ぬ様にする事か、いろいろの方法で避妊すると云ふのか、それは何とも云へぬな。明言する事は出来ぬな。立派な()はなんぼでも産んでくれたら社会の為めになるから()いが──極道息子は困るなハハハハ』
問『子供の教育は放任主義がいいのですか』
王仁『全くかまはぬ方が一番いい。好きな様にやらした方が良い。植木鉢の木よりも谷間の木の方が何程(なにほど)役に立つか判らぬからのう。ひねくれて(しま)つたら何にもならぬ。そんな事は教育ではない。子供の教育は学校と家庭ですべきで、学校の教育は厳しいから、家庭は本当に自由な天国にしておいてやらねばいけない。でないと親の前では行儀が良くても人の居らぬ処で悪い事をやる。子供はひがませない様にせないかぬ。やんちやをようせぬ様な子供は、学校の成績は良くても人に使はれる様な者にしかならぬ。大金持(など)で学問のある人はない。昔から学者の取つた天下なしと云ふ事がある』
問『聖師さまの餓鬼大将()りは大変でしたでせうネ?』
王仁『いや未だ未だ偉い奴は居つたが早く成熟(ませ)過ぎて仕舞(しま)つたから……』問『(さう)教育の可否は』
王仁『智慧は遅れてゐるのが本当で、早く出るのは表面の智慧で、小さい時に智慧が発達してゐると云つて喜ぶのはいかぬ。だから(さう)教育はいけない。つめ込み主義はいけない。今は課目が多過ぎていかぬな。すべて天才教育でなければだめだ。一つか二つ好きなものをやらせる。(しよ)でも(ぐわ)でも、歴史でも、文学でも何でも其の子の好きなものを其れ丈やらせれば一人前の者になるけれども、今の教育は其れをやらぬ、間口(まぐち)だけ広くして奥行が少しもない。今の学者は何も知らない、だから何にもならぬ。何も含まれてゐるのだから、一つか二つやつたらそれでよいのや、一つ道をズツと行きさへすれば、それに関連して()の事は覚えるものや。どんな学問でも総て付随してゐるものや』
問『三月と五月の節句はすべきものですか』
王仁『それはしてやつた方がよい。三月三日は(みづ)(みづ)で天照大神様の御子(みこ)五男三女の三を取つて女の節句に、五月五日は五男にちなんで五の日にする。三は女に関係がある。女は水、男は(いづ)で火や、それにこれは習慣になつてゐるし、しなければならぬと云ふ事はないが、子供の(うち)は、華やかに育てる方がよいからやつた方がよからう』
問『鯉幟(こいのぼ)り、つまり吹流(ふきなが)(など)は?』
王仁『(こひ)(いきほひ)がよく瀧登(たきのぼ)りをするから、出世する様にと思つて立てるのや。
菖蒲(しやうぶ)をかざるものやが、あれは尚武(しやうぶ)、つまり()(たふと)ぶ事で、五月五日には神宮皇后が朝鮮征伐をしなさつた時で、菖蒲を屋根に差すのは、菖蒲と云ふものは(つるぎ)の形になつてゐる、両刃(りやうば)の形になつてゐるので、刀を差した形で日本の()を示してゐるのや』
問『柏餅(かしはもち)(など)には何か因縁(いはれ)があるのですか』
王仁『あれは別に何でもない。昔はお皿の代りに何でも(かしは)の葉を使つたものやから出来たのやろ』
問『はしかの手当は』
王仁『ハシカは(いのち)(さだ)め、ほうそうは器量定めといつて大事にせぬといかぬ。別に療法もない。水(ぐらゐ)は少しづつ呑ませてもいいが、冷したりしてはいけない。ほつとくより仕方がない、ほうそうも一度するともうせんが、ハシカも一度したら再びかかるものではない』
問『百日(ぜき)のお薬はありませぬか』
王仁『あれも仕方ないな。(きり)の花の陰干(かげぼし)(せん)じて呑ませれば一寸(ちよつと)()まるが、(また)一週間(ほど)すると出て来るがまた飲まし、また飲ましすると(しま)ひには治つて了ふ。然し一週間も続けて飲ましたら治るけれども』
問『ジフテリヤは』
王仁『あれも桐の花の陰干(かげぼし)を飲ませるといい』
問『疫痢(えきり)等は?』
王仁『あれは何も食べささずに腹を干す事だ』
問『虫が起きたといつて壁とか炭とかを食べる子供がありますが、何か霊の関係なんですか』
王仁『あれは身体(からだ)の具合だ。身体(からだ)に何か欠陥があるのやね。壁に含んでゐる処の或る分子が足らぬと、壁を食ふし、甘味(あまみ)が足らぬと甘いものを()りたがるし、塩味(しほみ)の折は(から)い物を食べたがる。何か足らぬものがあると、それを()りたがるのだ。だから食べたがる時は食はしたらいい。そんな時にはキツトそれが不足してゐるのだから、どんな物でも食ふ(だけ)食べれば治つて仕舞(しま)ふものや。小供(こども)(ばか)りやない、五六十になつても木炭(など)を食べる人もある。何でも食ふ(だけ)食つたら身体(からだ)が整ふ。整つたら直るから、たとへおくどさまの焼壁(やけかべ)を食つたからつて心配する事はない』
問『持て余す(ほど)泣く児がありますが、祖霊様でも?』
王仁『それは一寸(ちよつと)霊が感じてゐるのやね。つまり間接外流やな』
問『胎毒(たいどく)(など)は?』
王仁『胎毒は親の毒で、親が不行迹(ふぎようせき)したからで、出る(だけ)出して仕舞(しま)ふより仕方はない。親に梅毒(ばいどく)()があつたり、妊娠中に変な物を食ふといかぬ、余り油つこい物を食ふと髪の薄い児が出来たりするものや』
問『子供の引きつけの時は?』
王仁『あれは神経系統を犯されてゐるのや。余りビツクリさせたりすると、そんなになるものだ、それから妊娠中に高い処から飛び降りたりしても、(ひき)つける様な児が出来る。(また)(うま)れてから、高い処から(おと)したりしてもそんなになる。恐怖の虫といふものが出て来るのや。よく医者は潅腸(くわんちやう)すると直ると云ふが、原因は子供の時から、つまり初めからあるのや』
問『名前を付けるに特に()む字(など)ありますか』
王仁『別に()む名(など)はないが、悪とか(おに)とか(じや)とか云ふ者は付けぬ様に、それに(くま)とか(とら)とか(けだもの)の名もさけたがいい。人間やものなア。それから一郎二郎三郎(など)はあれは一男二男三男と云ふ事で名ではない。何一郎(なにいちらう)とか何三郎(なにさぶらう)としたらよいが。(はな)とか云ふ字は散るからいかぬと云ふが、それは自分の感じから来る事で、感じの良い名を選んだらいい』
問『妊婦が乗物に乗つていい時は何時(いつ)頃がいいでせう?』
王仁『五月(いつつき)立つと腹の中で人の形になるから──。汽車(など)は十ケ月間は余り乗らぬがいい。仕事は何程やつてもよいが、乗物は余り乗ると安産しても何処(どこ)か弱い子供が出来る』
問『(うま)れた時小さかつたと云つて心配する人がありますが?』
王仁『五月帯(いはたおび)をシツカリ(しめ)て仕事をしてゐた妊婦から生れた子は(みな)小さい。俺は生れた時は(てのひら)に乗る位やつたさうだ。母がさうしてゐたからや、十五になつても小さかつたものや、穴太(あなを)神社のあの小さな燈篭に乗つて遊んだ位やからな、十六七になつて(やうや)身体(からだ)が伸びて来たが、検査の時には未だ五尺〇寸〇分しかなかつた。二十五歳(ぐらゐ)の時、医者の検査や、監守の検査を受けに行つた時には五尺三寸になつてゐた』
問『人間は若く見られた方がいいのですか』
王仁『さうやとも、わしはすべて(おく)れてゐた。十年は(おく)れてゐた。今丁度(ちやうど)五十二歳(現在六十二歳)位のものや、いつも十年は若く見られて来たものや、男は年齢を取つて見られるといいと云ふが、それはウソでそれは昔の事や、元気なものは若く見られるものや。若く見られる方がいい』
問『最後に、子供に対する性教脊が非常にやかましく論議されてゐますが、どうした方法が一番よいでせうか』
王仁『俺は何でもあけはなしやつたな』
問『つまり「赤ちやんは何処(どこ)から生れたの」と子供に問はれた場合(また)は、「どうして出来るの」と云はれた場合、多くの親は全くまよつて了ふ様ですが、そんな場合は?』
王仁『よくおへそがわれて生れると親は教ヘるらしいが、(いにしへ)、こんな話があつた。或る娘が、やはりそんなに教へられてゐて嫁に行つた。すると子が出来てお(なか)が大きくなつて来たので、さてはお腹がさけると(ばか)りに非常な恐怖心が起きて、池にはまつて死んだハハハハ。今はまさかそんな人間はないがのう』
問『では、正直に教へた方がいいですなア』
王仁『然し習慣でそんな事は云はれもせず、すべて虚偽の世の中だからそんな事を書く事も云ふ事も出来はせぬがな。俺等(わしら)決してそんな事かくしたりせなかつたな、よく子供が、「お父さん阿呆(あほう)やな。かなはぬ」云うて逃げてゆく(くらゐ)やハハハハ』
(昭和七、三、一五、昭和誌 第三巻第五号)
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