霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
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第四章 無題録

インフォメーション
題名:第4章 無題録 著者:出口王仁三郎
ページ:598 目次メモ:
概要: 備考:2023/10/07校正。 タグ: データ凡例: データ最終更新日:2023-10-07 13:30:01 OBC :B121802c213
教育
 今日(こんにち)の教育家は、(しん)の大道を(きは)めて居らぬ。(しん)の学理を知らぬ。人の師範たる教育家で()(なが)ら、肝腎の、教育(けういく)大勅語(だいちよくご)の大精神を了得せず、日々(ひび)有害無益の(をしへ)を説き、愚人(ぐじん)(あら)はした愚説(ぐせつ)のみを教場(けうぢやう)に立つて受売(うけうり)する、蓄音機の()うなものである。天地(てんち)大道(だいだう)たる敬神(けいしん)尊皇(そんわう)愛国(あいこく)の本義を体得し()(これ)を実行し得ざる教育家に()いて学ぶは、実に危険である。国民性を傷害し、日本(やまと)(だましひ)を滅却せしむるもの、実に多大である。
 第一に天祖、国祖を祭り、次に祖先(せんぞ)に仕へ、(もつ)て忠孝の大義を実践(じつせん)窮行(きゆうかう)し、報本(ほうほん)反始(はんし)(じつ)を挙ぐるを(もつ)て、教育の大本(たいほん)とすべきものである。教育家にして(しん)(わが)国体を理解し、四海同胞、神人一系の神機(しんき)(さと)らば、大高中小学、幼稚園内に至聖場(しせいぢやう)を設けて、天祖国祖を奉斎し、忠孝一本の本義を、教師(みづか)ら実行し(もつ)て、被教育者に模範を示して貰ひたい。
 日本は神国であると云ふ。神国なれば神国らしい行ひを守り、世界に(はん)を示さねばならぬ。神国天来の使命が諒解(りようかい)さへ出来たら、国民一般が神心(かみごころ)に成り、至治(しぢ)泰平(たいへい)五六七(みろく)神世(かみよ)が出現するから、現在の人心不安も混乱も、経済界の沈衰(ちんすい)も、奇怪なる思想も、朝日の前の(つゆ)の如く、(たちま)ち消滅して了ふのである。今日(こんにち)為政者(ゐせいしや)も教育家も君国(くんこく)(うれ)ふる一片の至誠あらば、一刻も早く改心、改造に奮進せねばなるまい。
政治
 日出(ひいづ)る国の国民の代表者(だいへうしや)為政者(ゐせいしや)は、光華(かうか)明彩(めいさい)六合(りくがふ)照徹(せうてつ)する、神智(しんち)と神徳を保有し、(もつ)て全世界の暗黒無道の惨状を救ふ()き天職が在る事を忘れては成らぬ。(しか)(なが)今日(こんにち)鼻高(はなだか)()んな注文をするのは、(いささ)か無理かも知れぬ。日本だけの修理固成さへ持て余して、窮々(きうきう)()つて眼を()はして()()うな次第柄(しだいがら)だから。
 天地の公道に(もと)づき、政治の根本を確立せば、天下は至治泰平の神国を招来するを()るのである。世界の大勢(たいせい)に順応するは良いが、公論と衆論とを誤解して、衆愚(しうぐ)多数(たすう)政治(せいぢ)と云ふ()うな事に成つたら、()れこそ天下国家の滅亡を(きた)すやも知れぬ。公平無私なる皇祖(こうそ)皇宗(こうそう)の御遺訓に()つて、政治の本領を真解(しんかい)さし()い。
 国務大臣は第一に国祖を鄭重(ていちやう)に祭祀し、朝夕(あさゆふ)(おこた)らず至誠を(もつ)て敬礼し、天祖(てんそ)所示(しよじ)の施政方針を遵守(じゆんしゆ)大神(おほかみ)御心(みこころ)を心と、仁慈の徳を備へて、国民に(のぞ)むべきものである。国務大臣にして()の信念と至誠なき時は、国民の議論(ぎろん)百出(ひやくしゆつ)し、(つひ)には(いま)はしき危険思想を醸成(じやうせい)し、(もつ)祖宗(そそう)建国(けんこく)の大精神を破潰(はかい)せしむるの(おそれ)なきやを(うれ)ふ。敬神の(ねん)(うす)き大臣は、日本神国の為政者(ゐせいしや)たるの資格は絶対に無いものである。(かしこ)くも光格(くわうかく)天皇(てんわう)御製(ぎよせい)
 『神様の国に生れて神様の道がいやなら外国(とつくに)()け』
(あふ)せられて()る。外国(ぐわいこく)へ行つた所で、矢張り外国も神の一視(いつし)同仁(どうじん)に守り玉ふ国であるから、猶更(なほさら)ダメであらう。
 君国の為に奉仕する官吏(くわんり)は、比較的巨額な棒級(ほうきふ)を戴いて居つて、位階は(たま)はる、勲等は戴ける、軍人は()た一つの勲功(くんこう)があると直ちに金鵄(きんし)勲章(くんしやう)を貰ふ。実に国家の待遇は手厚きものである。皇道(くわうだう)大本(おほもと)は、真個(しんこ)国家(こくか)の為に無棒給(むほうきふ)(もつ)君国(くんこく)の為に、身命を捧げて居る、聖なる団体であり、個人としても実に立派な敬神(けいしん)尊皇(そんわう)愛国(あいこく)の実行者である。(しか)るに大本(おほもと)に世間から贈つて来るものは、新聞や雑誌の異記窘章である。神諭(しんゆ)章句(しやうく)何処(どこ)か不都合の点が在るとかにて、今度は爾々(いよいよ)大本(おほもと)に対し神諭(しんゆ)()(まき)禁止窘章(てん)の一方から(くだ)されたが、吾々(われわれ)(これ)を神の大御心と思うて、日夜神前に感謝して居る次第である。(これ)神諭(しんゆ)前以(まへもつ)(しる)されて()るからである。
 神諭(しんゆ)の文章は一切神界の消息のみを漏らされたもので、要するに内的の問題である。吾々(われわれ)は世界に顕幽(けんいう)両界(りやうかい)の在る事を確信する以上は、幽界の消息が偶々(たまたま)現界(げんかい)何処(どこ)かに似た所が在るからと()つて、現界の法規(ほふき)(もつ)て罰すると云ふ事は、顕幽を混同したる不明の処置である。仏教の経典も基督(キリスト)(けう)の聖書も彼が果して顕界に対する記事で在るとすれば、(これ)も第一に禁止(きんし)窘章(くんしやう)を与へねばなるまい。アア神の事は神のみぞ知る。神霊現象と幽界の真相に()とき現代人の頭では如何(いかん)ともする事は出来ない。
 日本国の官吏(くわんり)や教育家たるものは、最も深く国体の淵源(えんげん)(きは)め、三種の神器の御本能を真解し、(もつ)て国民に(のぞ)まねばならぬ。三種の神器の本能は、八咫(やたの)(かがみ)、即ち言霊(ことたま)の威力である。曲玉(まがたま)は統治の本体(ほんたい)である。(つるぎ)は日本国の土地全部の表徴である。(しか)し三種の神器の御本能は、拙著(せつちよ)皇道(くわうだう)大意(たいい)詳説(しやうせつ)して置いたから、(ここ)には省略する。
 中世以降皇国の思想界は(ほと)んど仏教の独占的天下であつた。其次(そのつぎ)儒教(じゆけう)基督教(キリストけう)(やや)勢力(せいりよく)()つて()つた(くらゐ)である。日本は神国であり(なが)ら、世界の人類の(まなこ)よりは仏教国と云はれて来た。固有の神道は在つても、頑迷(がんめい)固陋(こらう)なる神道家のみにして、(がう)(ふる)はず、(いたづ)らに神道の名のみを保存して来た位である。明治大正の御代と成つてからは、欧米の学説思想が漸次(ぜんじ)襲来(しうらい)すると共に、在来の(ほとけ)(じゆ)()の宗教の光は、日光に氷の消ゆる如く、(ほと)んど絶滅に等しき状態で、只々(ただただ)殿堂(でんだう)伽藍(がらん)形骸(けいがい)微々(びび)として存するのみである。神道も()た十三派を樹立すると(いへ)ども、(いづ)れも無力無智、到底天下を指導するの器にあらず。(これ)に反して外来思想の悪潮流(あくてうりう)浸々(しんしん)として油の浸潤(しんじゆん)するが如く、我国(わがくに)上下(じやうげ)の民心を動揺させつつあるのである。()(かん)(しよ)して独り皇道(くわうだう)大本(おほもと)のみが、丹波(たんば)の山奥から(すべ)ての艱難を()め、教敵を()ごめ、四面(しめん)楚歌(そか)に包まれながら、旭日(きよくじつ)沖天(ちうてん)(いきほひ)(もつ)て、躍進(やくしん)台頭(たいとう)しつつ在るは、現代宗教家又は思想家の為に、万丈の気焔(きえん)を吐けるものであるとも()へる。(しか)しそれだけに又世間一般の嫉視(しつし)と反感と圧迫と猜疑(さいぎ)と誤解を受け易く、社会主義だの共産主義だの、過激主義だの反国家主義だのと云ふ難癖を付けようとするものが、沢山に現はれて来るのである。喬木(けいぼく)()く風に(もま)るの(たとへ)の如く、()んと無く皇道(くわうだう)大本(おほもと)に対して反感攻撃の声が高く広く海外までも響くやうに成つて来た。明治時代の思想界と大正現代の思想界は、非常に(ことな)つて来た。()の時に(おい)大本(おほもと)が社会に対し、皇道を宣伝せむとする立場は、益々(ますます)困難(こんなん)の度を加へて来た。(しか)(なが)(これ)大本(おほもと)の非常なる大発展に(ともな)ふ当然の成り(ゆき)であつて、出る(くひ)は打たれると等しく、()むを得ぬ次第であるが、今日(こんにち)の如く総ての艱難と障害の殺到する間に処して、(たゆ)まず屈せず、()(まで)進撃(しんげき)猛戦(まうせん)して()く所に、無限の愉快が(ともな)ふ。『天将降大任於是人也、必先苦其心志。労其筋骨餓其体膚空乏其身。行払乱其所為。所以動心忍性、曾益其所不能』と孟子(まうし)()つたのは、決して個人に対して而己(のみ)の語では無い。国家の上にも、皇道(くわうだう)大本(おほもと)の上にも適用すべきものである。吾々(われわれ)()の覚悟を(もつ)て、今後は(そう)一層(いつそう)(ちから)の在らむ限り進撃する(かんがへ)である。艱難これ(なんぢ)(たま)にすと云ふ事がある。雨降らば降れ、風吹かば吹け、至誠一貫、(もつ)て君国に尽す以上は、何事も惟神(かんながら)に任すのみである。江山(こうざん)の好風景は必ずしも、晴天(せいてん)白日(はくじつ)の時にのみ限らない。風雨の(とき)(かへ)つて風致(ふうち)雅趣(がしゆ)()ふるものである。
 故に吾々(われわれ)金輪際(こんりんざい)まで五六七(みろく)神政(しんせい)出現(しゆつげん)の為に、宏大(くわうだい)無極(むきよく)の皇道を(もとゐ)として、終始せねばならぬ。(いやし)くも純正(じゆんせい)純真(じゆんしん)神教(けんけう)(けい)とし、人道を()とする()が皇道の(をしへ)率由(しゆつゆ)して、我国(わがくに)上下(しやうか)一致億兆一心(いつしん)盛んに大経綸を行ひ、皇祖皇宗の御遺訓を顕彰(けんしやう)するに当つて、(あに)()(これ)(さへ)ぎる夜母津比良(よもつひら)(さか)が在るであらう()大本(おほもと)は中傷に讒誣(ざんぶ)に嫉妬に誤解の毒矢を(かぶ)さるる如きは、(あへ)介意(かいい)する所では無い。
 顕界に(うま)れて顕界の事を悟り得ざる人間の分際として、肉眼を(もつ)て見る(あた)はざる、幽界の消息の解るべき筈がない。(いは)んや神を無視し物質界のみに心酔(しんすゐ)累惑(るいわく)せる浅学者輩(せんがくしやはい)(おい)ておやだ。幽界の神示(しんじ)たる大本(おほもと)神諭(しんゆ)が、俗人輩(ぞくじんはい)に分つて(たま)るものでない。御神諭(ごしんゆ)に『神のことは、人間の智慧学問の力では到底分るもので無いと云ふ事が判つたなれば、それが本当に判つたのであるぞよ』と示されてある。故に肝腎の大本の幹部でさへも、真相を握るに非常な苦心をする。()して圏外者(けんがいしや)の解る()き筈は無い事を一同(いちどう)(さと)つて貰ひたい。
 松の()五六七(みろく)の世の政治は、先づ第一に、政治家も教育家も陸海軍人も、実業家も宗教家も、天祖国祖の神霊を敬祭し、()つ誠心誠意を(もつ)て忠実に奉仕するもの(ばか)りで無くてはならぬのである。
 陸海軍の長官は(みづか)ら衆に先んじて、天祖国祖の神霊を祀り、部下の軍人をして神の大御心を諒解(りやうかい)せしめ、陛下の聖旨(せいし)寸毫(すんがう)(たが)はざる(やう)に教導せなくては、神軍の威力を発揮する事は出来ぬ。又士官学校へ入学せむとするものは、天祖国祖、天皇の大御心を、諒解(りやうかい)せるや否やを充分に調査して、採否を決すべく、学問の有無勝劣の如きは(むし)ろ第二位の採用条件とすべきものである。
 敬神(けいしん)尊皇(そんわう)の大義を、国民一般に知悉(ちしつ)せしむる為に、大中小の学校は言ふに及ばず、天下の新聞雑誌を(もつ)て国民教養の為、皇室の尊厳と神明(しんめい)稜威(りようい)を、心の底より感得せしめなければ、松の()五六七(みろく)の世には成らぬ。
 国体の尊厳と神明(しんめい)稜威(みいづ)と、天皇神聖不可犯(ふかはん)の理由とを諒解(りやうかい)()らざる人物を(もつ)て、文武官(ぶんぶくわん)(また)は教員宗教者とせざるの神律を(さだ)めねばならぬ。民を治むるものは、先づ(もつ)て身を修め家を(ととの)ふるを(もつ)て先とす。国土を治むるは人間の天職であり、神を治むるは正しき神の責任である。神は天地(てんち)惟神(かんながら)の大道に()つて活動さるものである。故に神界の立替立直しは神の御役であり、顕界の立替立直しは人間の役目である。今は神界と人間界とは余程隔絶して居るが、五六七(みろく)の世は幽顕(いうけん)一致(いつち)神人(しんじん)合体(がつたい)の黄金世界を現出する事である。
 外務の長官は、衆に先んじ、先づ官庁に至聖所(しせいじよ)を設け、天祖国祖を奉祀し各国民族の祖先の(みたま)を祭り、朝夕供物(くもつ)を献じ、長官自ら敬礼を終りて(のち)に国務に奉仕するのが神国の行ひである。御国(みくに)の為、世界各国人の為に幸福ならむ事を赤誠(せきせい)()めて祈願し、他民族(たみんぞく)の幸福を侵害せず、物質の供給は彼我(ひが)相通(あひつう)じ、(たがひ)に幸福を進め、兵力を(もつ)て外交の手段とせぬ事である。又外交に奉仕する官吏(くわんり)は、日本民族の正しき血液の流れたものを採用され、決して混血児や外人を妻に持つて居る()うな人物は、外交官のみならず、総ての官吏(くわんり)抜擢(ばつてき)採用(さいよう)されない事になる。(また)通訳官(つうやくくわん)()の国に(おい)て正しき血統を有し、一家を平和に構成せる立派な紳士(しんし)淑女(しゆくじよ)(もつ)て、()(にん)(あた)らしめられる。各国へ派遣されたる外交官は、先づ第一に天祖国祖及び我家(わがいへ)の祖先を敬祭し、()()(くに)()の土地の国魂(くにたま)を敬祭し、土地の霊魂に対して至誠至情を捧ぐるのみならず、()の地の人種を尊敬し、人種無差別の態度を()する真人(しんじん)たる事を条件として、採用されるのである。(これ)が神世の外交策である。
 五六七(みろく)家政(かせい)()(かた)(つい)ては、大本(おほもと)神諭(しんゆ)屡々(しばしば)教示(けうじ)されてあるから、今更(いまさら)喋々(てふてふ)するの必要も在るまいと思ふが、第一に(わが)国民(こくみん)の結婚に(えう)する冗費(じやうひ)(ぐらゐ)馬鹿(ばか)らしいものは無い。(ことわざ)にも娘五人持てば家が倒れると云ふぐらゐで、全世界に()ける第二の贅沢な()(かた)は日本である。先づ()の時に要する結婚費は、全国平均して年収入の二十(わり)乃至(ないし)二十五(わり)冗費(じやうひ)して居るのである。一千九百十五年英国のハウスキトビング()()せられたる、世界各国の結婚費の比較表を、調べて見ると明瞭である。(しか)し今日の日本は、()の時の表よりもモツトモツト結婚費が(かさ)まつて()つて、年収入の五十割も費やして居る、一世一代の嫁入(よめいり)だから片肌(かたはだ)()がねば成らぬなどと、益々(ますます)体主霊従(たいしゆれいじゆう)()りを発揮して居るのは、(まこと)慨歎(がいたん)に堪へない次第であります。左表は即ち一千九百十五年の調査であるから、其の積りで見て下さい。
 国別   年収一万円の家庭   年収二千円の家庭
 英国(えいこく)   八分   一割
 仏国(ぶつこく)   一割   一割
 独国(どくこく)   一割   一割
 米国(べいこく)   二割   二割
 伊国(いこく)   四割   四割
 西国(すこく)   五割   七割
 露国(ろこく)   八割   八割
 日本(につぽん)   二十割   廿五割
 支那(しな)   三十割   三十割
(これ)()つて(これ)を見れば、(わが)日本(につぽん)支那(しな)の次になつて居るが、現今では日本が世界で第一位になつて居るのである。何故(なにゆゑ)に結婚費が(かく)の如く膨張したかと云へば、畢竟(ひつきやう)必要(ひつえう)以上(いじやう)の余計な衣類を(こしら)へたり、身分不相応に、盛大なる披露会を催したりするから、年収の四五十割と云ふ、世界各国に図抜けた率を示して居るのである。外観(ぐわいくわん)外聞(ぐわいぶん)に要する費用を節約さへすれば、各国の結婚式は各階級とも年収の一二割でも良い事になる。(いは)んや五六七(みろく)の家庭の()(かた)(おい)ては、(なほ)一層(いつそう)の簡単で、費用などは五分(ごぶ)(ぐらゐ)より()らぬ事になるのである。又結婚費の中には、嫁入又は婿取(むことり)のために、特に必要を生じた新夫(しんぷ)新婦の礼服(れいふく)寝具(しんぐ)諸道具(しよだうぐ)装身具(さうしんぐ)(とう)の新調や、儀式や披露(ひろう)其他(そのた)の事に要する経費の全体の事で、在来持ち合せの衣類、其他の日用の調整に要する費用や、父母の財産の一部を分与する持参金(ぢさんきん)(とう)は、勿論含まれて居らぬのである。その結婚費は中流以下の家庭では、一時に(これ)を支出する事が、(はなは)だ困難であるから、どうしても()の半額位は、本人の幼少の頃から、結婚費として積立てて居る人もあるさうである。日本の中流以上の家庭では、結婚の際には(みだり)に沢山の衣類や荷物を(こしら)へて、持参させる悪い習慣がある。(これ)は一種の虚栄心から来たもので、実際余りに必要の無い沢山の衣類を新調し、(むな)しく箪笥(たんす)の底に寝かして置くと云ふ事は、(はなは)だ無意味で、経済上からも、(これ)(くらゐ)(つま)らない事は無い。上中下流と云はず結婚の際は差当(さしあた)り必要な衣類一通(ひととほ)()け持たせて()り、()の余りの金は、新夫(しんぷ)新婦(しんぷ)の社会に立つて活動する時の資本金とすれば、実に一挙両得と云ふべきものである。
 (わが)大日本帝国は天祖の国を開き、皇祖(くわうそ)天照(あまてらす)大御神(おほみかみ)万世(ばんせい)一系(いつけい)の基礎を樹立し給ひ、皇統(くわうとう)(しん)に連綿として東海の表に芙蓉(ふよう)神嶺(しんれい)と共に、永遠無窮に厳立(げんりつ)し、治国安民の実績(じつせき)炳乎(へいこ)として日星(につせい)の如く、()皇徳(くわうとく)宇内(うない)普遍(ふへん)照徹(せうてつ)し、天津(あまつ)日嗣(ひつぎ)の隆盛なる(こと)天壌(てんぢやう)と共に弥栄(いやさか)えに栄えまし、万国(ばんこく)(みな)仰望(けふばう)せざる無き聖明(せいめい)の国体である。()れぞ全く我国には、天地(てんち)未剖(みばう)陰陽(いんやう)未分(みぶん)の際より、国祖の陰に陽に広き厚き、御守護の(しか)らしむる処である。大本(おほもと)神諭(しんゆ)には極めて明瞭に此の事実が現はれてある。()(すなは)ち日本皇道の威徳である。(わが)皇道は実に湛然(たんぜん)冲虚(ちうきよ)にして、万教(ばんけう)()く浄化し、万法(ばんぱう)を包容帰一し、万事を指導するの大道(だいだう)である。国家の綱紀(かうき)(これ)()つて伸張(しんちやう)し、国民の化育(くわいく)(また)(これ)()つて隆盛を(きた)すのである。(あふ)げば(これ)列聖(れつせい)の威徳と成り、凝つては忠勇(ちうゆう)義烈(ぎれつ)日本(やまと)(だましひ)となり、(あつま)つては武道の威烈(ゐれつ)となり、(ひそ)んでは人倫(じんりん)根幹(ねもと)となり、発しては克忠(こくちう)克孝(こくかう)の大精神となる。国家(こくかう)(これ)(よつ)(さか)え、世道(よのみち)(これ)()つて静安(せいあん)に、民風(みんぷう)(これ)()つて優秀善良となる。アア皇道の大本(おほもと)()れ実に治国(ぢこく)(へい)天下(てんか)大道(だいだう)にして、国運(こくうん)興隆(こうりゆう)の基礎ならずと称するものが有るであらうか。世俗の皇道(くわうだう)大本(おほもと)に対する罵声(ばせい)雑評(ざつぴよう)は、所謂(いはゆる)盲者(もうじや)(ぞう)を評するの(たぐゐ)のみ。(わが)皇道(くわうだう)大本(おほもと)は実に()の大精神を奉体して奮起せるものである。
斎法の要旨
(さい)幽顕(いうけん)の二大法があつて幽斎(いうさい)顕斎(けんさい)()ふ。幽斎は神殿(しんでん)宮社(きうしや)奠幣(てんぺい)なくして、真神(しんしん)を祈るの道である。顕斎は神殿あり、奠幣(てんぺい)あり、(もつ)象神(しやうしん)を祭祀するの道である。(しか)して幽斎は臨時随所に(おい)て、天下公共の為にのみ真神(しんしん)を祈り、顕斎は、一定の至聖所(しせいじよ)に神を祭り、天祖(てんそ)列聖(れつせい)(ならび)に祖先に対し、報本(ほうほん)反始(はんし)の至誠を(もつ)て、(つつし)(かし)こみ仕へ奉るの道である。私は(いま)(ここ)に、顕幽の区別を立てずして、斎法の要旨(えうし)大本(おほもと)信徒(しんと)の為に記しておくのである。
 (さい)には()(しよく)(ぎやう)(すゐ)(そく)との、五つの方法がある。そして(くわ)()()(けつ)(じう)とに(おなじ)うせず。(しよく)()(ちく)(りん)(しう)とを用ひず。(ぎやう)(いん)(さん)(さつ)(そう)とに触れず。(すゐ)(おごそ)かに連斎(れんさい)流沐(りうもく)とを行ひ、(そく)祓除(はつぢよ)と祝詞とを修むるものである。本来(ほんらい)()が神国は霊宗(れいしう)祭元(さいげん)国風(こくふう)である。霊宗(れいしゆう)とは心性(しんせい)(あきらか)にすること、斎元(さいげん)は、皇祚(くわうそ)を守る事である。神は聖真(せいしん)善美(ぜんび)(もつ)(たい)()し、霊徳発揮を(もつ)て、神の用と為し給ふ。故に(いつ)くに重礼(ぢゆうれい)(もつ)てし、祭るに至誠を(もつ)てし、祈るに清浄(せいじよう)正直(せいちよく)(もつ)てする時は、(ここ)神人(しんじん)合一(がふいつ)して無限の神力(しんりよく)顕彰(けいしやう)し給ふのである。以上は斎法の要旨(えうし)にして(すなは)ち潔斎の義である。潔斎は(すべ)身内(しんない)身外(しんぐわい)共に清浄なるを要旨(えうし)とする。()(いつき)物忌(ものいみ)(いはふ)(とう)の義を()せるあり、其の儀式の多き数ふるに暇なき程である。大宝令(たいほうれい)には、散斎(さんさい)三月(みつき)致斎(ちさい)三日(みつか)(とう)(さだめ)()れども、其の方制は社会の階級に依り、繁簡(はんかん)の差別あるも畢竟(ひつきやう)の意に(ほか)ならぬのである。
 今茲(いまここ)儒者(じゆしや)心斎説(しんさいせつ)引証(いんしやう)する。
『顔回(いは)く、()(もつ)て進む事なし(あへ)()(はう)を問ふ。仲尼(いは)く、(さい)せよと(中略)顔回(いは)く、回が(いへ)(ひん)にして(ただ)(さけ)を飲まず、(なまぐさ)(くら)はざること数月(すうげつ)なり。()の如きは(すなは)ち斎と()()けむやと。仲尼(いは)く、(これ)祭祀(さいし)の斎にして心斎(しんさい)(あら)らざるなり。回(いは)(あへ)心斎(しんさい)を問ふ、仲尼(いは)く、(なん)(こころ)(いつ)にせよ、(これ)を聴くに耳を(もつ)てすること無くして、(これ)を聴くに心を(もつ)てし、(これ)を聴くに心を(もつ)てする事なくして、(これ)を聴くに気を(もつ)てせよ。聴くは耳に(とど)まり心は()に止まる。気になるものは(きよ)にして、物を待つものなり。()だ道は虚に集まる、虚は心斎(しんさい)なり』
 荘子(さうし)人間世(にんげんせい)第四に(いは)
()れ人の気の(きよ)なるや、()と天の虚霊(きよれい)たるが故に、()く物を()ち物を()る。心斎(しんさい)(えう)虚気(きよき)にあり。心斎(しんさい)は神を待ち、神に接する所以(ゆゑん)なり、虚気は道の集まり、道の成る所以なり。冲虚(ちうきよ)霊明(れいめい)は天の本体たり。()()(これ)(たい)する時は、神通(じんつう)無碍(むげ)妙用(めふやう)()べし』
祭祀の典則(てんそく)
 (さい)慎敬(しんけい)(つく)すにあり、礼式は厳粛(げんしゆく)静和(せいわ)(むね)とし、騒慢(さうまん)し又は軽疎(けいそつ)なる()からず。供儀(きようぎ)清素(せいそ)新鮮(しんせん)(えう)として耀飾(えうしよく)し又は悋惜(りんせき)()からず。奏楽(そうがく)正調(せいてう)高雅(かうが)(たうと)び、濁雑(だくざつ)(およ)卑野(ひや)(つつし)むべし。祭具(さいぐ)白木(しらき)土器(かはらけ)(たぐひ)()にして(しん)なるを用ひ、火は燧石(ひうちいし)にて打ち、手は清水(しみづ)にて(きよ)むべし。献燈(けんとう)(およ)御手洗(みたらし)(せい)(かんが)()し、(およ)神事(しんじ)を行ふには、愉悦(ゆえつ)と親和とを(もつ)てし、進退は(よろ)しく其の(せつ)(あた)り、動静(どうせい)(うやうや)しかる()し。(さて)正殿(しやうでん)に向ふ時は儀容(ぎよう)を整へ一(しう)(ぱい)(おのおの)法則(はふそく)(かな)(しやく)を用ひ、玉串(たまくし)を捧げ、左足(さそく)陽天(やうてん)()み、右足(うそく)陰地(いんち)()み進むに(おごそ)かに、()するに(しゆく)なるべし。(かく)神明(しんめい)玉串(たまくし)(けん)じ、祝詞(のりと)(しよう)するに(のぞ)みては、神明(しんめい)(まさ)(ここ)()ますの(おもひ)あるを(えう)す。(こと)(をは)れば(すなは)揖拝(しうはい)の礼を行ひ(うやうや)しく退()()し。
 宮中(きうちう)には宮中の祭式をり。大本(おほもと)には大本の祭式あり。神社には神社の祭式あり。一家には一家の祭式あり。個人には個人の祈祷(きとう)あり。(おごそ)かに定日(ていじつ)を守り、(うやうや)しく神事(しんじ)を行ふ()し。仮初(かりそめ)にも(これ)(はい)(これ)を怠る()からず。(これ)祖神(そしん)遺訓(ゐくん)にして、大本(おほもと)開祖(かいそ)神示(しんじ)なり。(すなは)祖先(そせん)遺風(ゐふう)顕彰(けんしやう)するの道なり。
 御製(ぎよせい)
  わが国は神の末なりかみまつるむかしのてぶり(おこた)るな夢
 神人(しんじん)交感(かうかん)聖諦(せいてい)祈祷(きとう)に在り、(よつ)(もつ)て慰安を受け、確信を()るのである。人性(じんせい)(たれ)か神恩に()るる者が在るであらうか。(けだ)し神の恩徳(おんとく)を感ずるは、神を認め(はい)するの初めであつて、神恩を感謝するは神の子たる人の真情(しんじやう)である。人生誰か希望なきものあらむ、その希望を神に訴ふるは、即ち祈祷である。吾人(ごじん)祭祀(さいき)()つて神に報本(ほうほん)謝徳(しやとく)の意を表し、祈祷に依つて真心を神に訴へ(まつ)るのである。(これ)が人生自然の道である。自然は真理である。(けだ)し真理に()つて吾人(ごじん)真情(しんじやう)を訴ふるに(おい)て、大慈大悲に()します神明(しんめい)如何(いか)でか(これ)感納(かんなう)し給はぬ事があらうか。吾人は至誠(しせい)至直(しちよく)君国(くんこく)の為に身命(しんめい)を捧げて神明の大道に奉仕し、神恩(しんおん)皇徳(くわうとく)を天下に宣伝しつつあるものである。(いづく)んぞ(これ)をしも、迷信妄信と()ふ事が出来るであらうか。吾人(ごじん)は全身全魂(ぜんこん)を捧げて君国の為に神に訴へ神に(いの)つつあるのである。
 御製
  目に見えぬ神の心に通ふこそ人のこころの誠なりけれ
 神は非理(ひり)(よろこ)び給はず、非礼(ひれい)()け給はずと云ふ事がある。()と云つても(しん)に徹せざるの理があり、礼と云つても(しん)を尽さざるの礼がある。(しん)の理は(けん)(あら)ずんば(てつ)せず。(しん)の礼は聖に(あら)ずんば尽さず故に徹せざるの理は疑惑を生じ、尽さざるの礼は不敬と成るのである。神に仕ふるの道は、信を先にし誠に(とど)まる()し。理も礼も(また)(みづか)(これ)(ともな)ふ。故に神に仕へ神に祈るの道は、誠と信との一路(いちろ)に在りとするのである。人の至誠たる内に潜みては神人(しんじん)黙契(もくけい)となり、外に発しては決意の告白となる。(あるひ)祭文(さいぶん)となり(あるひ)祷辞(とうじ)となる。其の公式に用ひらるるのを祝詞と云ひ誥文(こくぶん)と云ひ誓文(せいぶん)と云ふ。仏説に(もとづ)ける護摩(ごま)加持(かじ)呪文(じゆもん)(およ)密印(みついん)(とう)の類も、要するに祈祷の一種であつて、一心を凝結せしめ、精神を集中せしむるの標象であるに過ぎぬ。アア実に(しん)(しん)と和するの所以(ゆゑん)にして、誠は神に通ずるの所以である。神に()せされば人格は向上し難く、神に通ぜざれば聖域に達し難し。故に信仰なき礼は以て敬とするに足りない。誠実なき祈祷は道とするに足らぬのである。信仰は神と人とを幽契(いうけい)し合一し、(また)人と人とを結合せしむるの大連鎖である。誠は精神を統一せしめ気力を結晶せしむるの大動力である。信仰は至誠と相俟(あひま)つて熱を起し、至誠は信仰と相俟(あひま)つて光を放つ。嗚呼(ああ)一信(いつしん)()泰山(たいざん)を鳴動せしめ、一誠(いつせい)()万古(ばんこ)を貫徹す。(それ)(しん)なる(かな)(それ)(まこと)なる(かな)(まこと)に信と誠は敬神の第一要義である。
 御製
  鬼神(おにがみ)もなかするものは世の中の人の心のまことなりけり
()御製(ぎよせい)(つつし)(うかが)(まつ)るに、人の至誠の力の最も強ければ、仮令(たとへ)鬼神(きじん)(いへど)感泣(かんきう)すべきものなりとの、聖意を世人(せじん)に示させ給ひしものであります。
 天地(てんち)草創(さうさう)の事は(みな)神伝(しんでん)思工(しこう)()づるもので在つて、(もと)より尋常一般の理を(もつ)窺知(きち)すべきものではない。宇宙一切の物事は(すべ)て神の創造に依る事を確信して疑はない所以(ゆゑん)は、吾人(ごじん)は神と人との(べつ)()るを知る故である。神は(もつ)て人に伝へ人を(もつ)て人に伝ふ。人心の淳朴(じゆんぼく)にして風俗の敦厚(とんかう)なる、(をしへ)無くして(をしへ)あり。道無くして道有り。(しか)して道の大本(たいほん)は天地の神明に()づ。天地(てんち)神明(しんめい)慶福(けいふく)無窮(むきゆう)に伝ふる所以(ゆゑん)のものは、必ず皇道の大本(おほもと)()らざるは無いのである。体主霊従人士(じんし)(いは)く、万世(ばんせい)一系(いつけい)天壌(てんぢやう)無窮(むきう)の国体や良し。天地(てんち)未剖(みばう)陰陽(いんやう)未分(みぶん)(さい)より()ちし国にして古きは古し、(しか)れど、我国の上世(かみよ)文明(ぶんめい)(ひら)けたるは、(ことごと)(これ)支那(しな)()るは何ぞやと、アア(かく)の如き(げん)()すもの、天下(てんか)滔々(とうとう)として(あは)の如しである。(また)(いは)今日(こんにち)の文明は泰西(たいせい)()る。我国は(これ)(もつ)国利(こくり)民福(みんぷく)()く、単に国の古きのみを(もつ)て世界に誇るを得むやと、実に外尊(ぐわいそん)内卑(ないひ)世迷言(よまいごと)()ふべき而己(のみ)。人生に必需なる物は、宮殿(きうでん)家屋(かをく)より大なるは()く、衣服より急なるは()く、穀物より()きは()く、刀剣より要なるは()く、火工(くわこう)より便(べん)なるは()し。(しか)して我国は神代の遠きに(おい)て既に(ことごと)く具備されて有つたのである。(しか)るに太古の日本人は土穴(どけつ)に棲み原野に遊牧せし如く、解する連中が在るのは()しからぬ。伊邪那岐(いざなぎの)(みこと)御世(みよ)にも八尊殿(やひろどの)魏々乎(ぎぎこ)として天空(てんくう)(そび)ゆる有りしを知れ。(いにしへ)の日本人は(けもの)(くら)ひ血を飲みしならむと()ふ馬鹿学者がある。見よ、天照(あまてらす)大神(おほみかみ)御世(みよ)狭田(さた)長田(ながた)千五百秋(ちいほあき)の豊穣の事蹟(じせき)がある事を。太古の日本の民、(これ)を裸体なりしと()ふ馬鹿ものが在るが、神代(かみよ)(すで)栲幡(たくはた)千々姫(ちちひめの)(みこと)綾羅(りやうら)錦繍(きんしう)を織り玉ひし事の実跡(じつせき)あるを知らずして、之を蒙昧(もうまい)なりと言ふ()刀剣(たうけん)戌矛(じゆじゆん)を鍛へて、以て護国の()に供したる(わが)古代(こだい)(これ)を称して無智と()()天之岩戸(あまのいはと)の大変事に際して、天香具山(あめのかぐやま)の鋼鉄を採掘して鏡を製造するなど、総て火工(くわこう)の発明は今日の文明に何等(なんら)(かは)る事は無いのである。太古より祭祀の礼を行ひ、(もつ)報本(ほうほん)反始(はんし)の道(あきら)かに行はれ、改過(かいくわ)遷善(せんぜん)の行事として大祓(おほはらひ)の儀式有り。()つ衣食(おほ)いに足り、兵器完備し、天地人の大道(だいだう)(あきら)かなり。(ここ)(おい)()皇化(くわうくわ)を海外に()き玉ひ、素戔嗚(すさのをの)(みこと)は朝鮮に、少名彦(すくなひこの)(みこと)常夜国(とこよのくに)(南米)底本では「南米」だが「北米」の誤りか?()き給ひて教化の跡を垂れ、(うち)には万世一系の天嗣(てんし)を立て、天下経綸の大業(たいげふ)を制し、国造(くにつくり)県主(あがたぬし)稲置(いなぎ)(あたへ)(わけ)(とう)職掌(しよくしやう)あり。棊命(きふ)星羅(せいら)して、(もつ)て其の根基(ねもと)を固め、(しか)して宝祚(ほうそ)動揺(どうえう)するの(うれい)()からしめ玉うた。()祖宗(そそう)(うち)を治め(そと)(ぎよ)(もつ)て国を建て玉ひしの大体である。我国は(かく)の如くにして万事整頓し、数万歳の太古に(おい)て、(すで)(すで)に一大文明の隆盛を極めて居るのである。()んぞ外国の文明を借りて、(もつ)て国家に()するの(えう)あらむやである。支那(しな)には皇天(くわうてん)上帝(じやうてい)()り、印度(いんど)には梵天(ぼんてん)帝釈天(たいしやくてん)()り、西洋にはエホバの説有りと(いへど)も、(いづ)れも(みな)(わが)古典に其の大本(たいほん)を発せざるは無いのである。
 支那(しな)の国を聞くや素戔嗚(すさのをの)(みこと)少名彦(すくなひこの)(みこと)(さい)に在るが、()の故に天を(おそ)(めい)を知るを(もつ)(をしへ)()つ。其の説や(すこぶ)る古典に近いものがある。(しか)し現代の支那(しな)は天を(おそ)(めい)を知るもの、上下(じやうげ)押並(をしなら)べて絶無なる状態である。印度(いんど)(ひら)けたる。(これ)()ぐに欧米の諸国の開けたるは、実に輓近(ばんきん)の事である。()愈々(いよいよ)(ちか)くして、(をしへ)(いよいよ)雑多(ざつた)に、(もつ)て人心を惑乱せしむるに立至(たちいた)つたのである。彼等(かれら)所謂(いはゆる)皇天(くわうてん)上帝(じやうてい)梵天(ぼんてん)帝釈(たいしやく)も、エホバも(みな)日本神州固有の祖神(そしん)たるを知らずして、天下の愚者(ぐしや)囂々(がうがう)として、(かへ)りて彼等の教法を借り、(もつ)て愛国愛人の道を説かむと欲す、其の(あやま)れるや実に(はなは)だしと()ふべきである。支那(しな)印度(いんど)欧米(おうべい)の教法なるものは、()(きみ)を忘れ、父母を忘れ、国を忘れ、身を忘れ、祖宗(そそう)の遺訓を忘れて居るのである。(かく)の如き教法を(もつ)て果して愛国愛人の道を(つく)()るであらう()豊太閤(ほうたいかう)(かん)を征するに当り()つて(いは)く「()れ日本は神国なり、神は(すなは)ち天帝にして、天帝は則ち神なり、秀吉(ひでよし)(つとに)夜世(よよ)(うれ)聖明(せいめい)神代(かみよ)(かへ)し、威名(ゐめい)を万世に伝へむと欲する(なり)」と。(しか)して()明虜(みんりよ)撻伐(たつばつ)するに(あた)りては、(こころざし)四百()(しう)をして(ことごと)神州(しんしう)良俗(りやうぞく)美風(びふう)に化せしめ、(もつ)て神政を億万年に輝かさむとするにあつたのである。太閤(たいかう)(つと)帝系(ていけい)(もつ)上帝(じやうてい)()づると()し、(しか)して帝系(ていけい)上帝(じやうてい)より()づるは、神典の遺訓則ち皇道の大本(たいほん)()るとなし、太閤(たいかう)の古典を信ずる事(かく)の如く(あつ)く、帝系(ていけい)の盛大を鳴らして(もつ)て国威を殊方(しゆほう)絶域(ぜつゐき)に張らむと()たのである。今日の学者(はい)私智(しち)(みづか)ら喜び、異邦の教法邪説を(もつ)て国家を(やす)んぜむと欲し、(かへ)つて神州国体の精華を忘れ、国家の大計を(あやま)つて居るのである。其の見る所の高下(かうげ)大小は太閤(たいかう)に比して実に霄壤(せうぢやう)の差があるではないか。
 アア神のみ神を知り、聖のみ聖を知る。神智(しんち)神勇(しんゆう)権化(ごんげ)豊太閤(ほうたいかう)の如き英傑の士に(あら)ざれば、神聖の大道(たいだう)窺知(きち)する事が出来ぬのである()吾々(われわれ)は天下の愚人が皇道(くわうだう)大本(おほもと)に対する態度に省み、一層この感を深うする次第である。
(大正九、一一、一八稿、同二月号 神霊界)
 天祖(てんそ)天照大神は、(かみ)(たい)を天津日に同じくし、(しも)、霊を八咫(やた)宝鏡(ほうきやう)(とど)め玉ふ。天空(てんくう)赫々(くわくくわく)たる太陽、巍々乎(ぎぎこ)たる伊勢太廟(たいべう)は、実に天祖の精霊の鎮座し玉ふ所にして、歴代の天皇(これ)を尊敬し、之を奉祭し給ひ、(しか)して天を(けい)し祖に(つか)ふるの大義兼備せり。異邦の(ぬし)皇天(くわうてん)、上帝、ヱホバを蒼々(さうさう)漢々(くわんくわん)(うち)に求めて、敬事(けいじ)するの比に非ず。嗚呼(ああ)聖子神孫(しんそん)()く其の明徳を紹述(せうじゆつ)し、臣民其の鴻恩(こうおん)奉体(ほうたい)する神州の臣民は、歴聖の大御心(おほみこころ)神習(かみなら)(まつ)りて、()(けい)()(ちう)()(かう)にして、祖先の遺風を顕彰し、以て世界の全体をして、無窮(むきう)徳化(とくくわ)(よく)せしめ、神皇(しんくわう)徳輝(とくき)欣慕(きんぼ)し、其の余光を仰がしめ、以て至治太平の神政を招来せむとするは、吾人(ごじん)大本人(おほもとじん)の年来の確固(かくこ)不抜(ふばつ)の信条である。
 皇典古事記は『斯乃(これすなはち)邦家(ほうか)()経緯(けいゐ)王化(わうくわの)鴻基(こうき)』と、天武天皇に()り給ふ所にして、(だい)は以て天津日嗣(ひつぎ)天皇の、(あま)(した)を安国と平けく(しろ)しめすべき大道であり、(せう)は以て臣民の修身斎家(さいか)の御遺訓であり、()千古(せんこ)不磨(ふま)(いき)経典である。(しか)して此の神典は先聖(せんせい)口授(こうじゆ)()帝室(ていしつ)之を伝へ玉ひ、諸家(しよか)の之を記し(たてまつ)る所である。天武天皇の御宇(ぎよう)に到つて、丹波国桑田郡(くわたぐん)稗田(ひえだ)阿礼(あれ)を召して、之を口誦(くせう)せしめ給ふた。元明(げんめい)天皇()の御意志を継ぎ、太朝臣(おほのあそん)安万侶(やすまろ)(ちよく)して之を撰録(せんろく)せしめ以て永世無窮に伝へ給ふた。是れ全く天武(てんむ)元明(げんめい)二帝の深く、先聖の懿旨(いし)を、体現し給ふ神業(しんげふ)にして、其の天下後世を恵ませ給ふこと、之より偉大なるは無いのである。現代の学者(はら)は、古事記の書名さへ知らざるもの多く、古事記とは(しよく)を街路に乞ふ非人(ひにん)の事かと、思惟(しゐ)せるものさへあるのである。偶々(たまたま)古事記を論ずるものあれば之を王侯(わうこう)大臣に責めずして、(しか)して之を巫祝(ふしゆく)()()む。其の無智無識なること論ずるに足らず。
 而して所謂(いはゆる)学者の神典を読むもの、(いたづら)巫祝(ふしゆく)の学にのみ従事するは、適々(たまたま)以て神典を汚濁(をぢよく)するに足るのみである。(たと)へば(ここ)に人あり利刀(りたう)の用法を武人(ぶじん)に求めずして、而して婢僕(ひぼく)(さづ)くるに正宗(まさむね)村正(むらまさ)を以てせば、実に(かへつ)て危険を加ふるのみである。現代古事記を曲解し汚濁(をぢよく)するものは、(あたか)婢僕(ひぼく)利刀(りたう)を与ふる如きもので在る。古往(こわう)今来(こんらい)古学(こがく)の名を失ふこと久しきに到る。凡て()(ただ)しからざれば、国勢(ふる)はず、(しかし)て習俗の人を移すこと、有識の()(いへど)(まぬが)るべからざる者あり。何を以て()()(ただ)しからざる()(いは)先皇(せんくわう)の道を学ぶ者をば、之を神道と()ひ、和学(わがく)()ひ、漢学に至つては即ち単に(がく)と称し、(だう)と呼ぶは、(これ)(しゆ)を以て客と為し、(すゑ)を以て(ほん)と為し、自ら其転倒せるを覚らざるものである。
 中古の世、大学に(しゆ)として孔子(こうし)を祀り、周易(しうえき)周書(しうしよ)周礼(しうらい)儀礼(ぎらい)礼記(らいき)毛詩(もうし)春秋(しゆんじゆう)在氏(さし)(でん)孝経(かうけい)、論語(とう)(しよ)を以て、教科書に列し以て唐虞(たうぐ)三代(さんだい)の人を鎔化(ようくわ)せむと欲す。(のち)君子(くんし)(ふう)を投げ、(ながれ)を汲む者唐虞(たうぐ)三代(さんだい)の人を以て(みづか)ら居り、現時(げんじ)()た西洋学に心酔(しんすゐ)累惑(るいわく)せし学者は、マルクスを講じ、タゴールを引き、プラトン、ソクラテス、ニーチエ、アリストートル、カント、デカント、レーニン、クロポトキン、トロツキー、等の主義学説を振り回し、社会主義、共産主義、自然主義、平等論など、(くさ)片葉(かきは)言問(ことと)常暗(じやうあん)無明(むみやう)の学者政治家が横行するに立至(たちいた)つたのである。天地(てんち)神明(しんめい)は、仁慈の大御心(おほみこころ)を以て、(こと)さやぐ現代を救ひ、治国(ちこく)(へい)天下(てんか)の神政を()き、万民を安息せしめむとして、()高天原(たかあまはら)に国祖の神霊神懸(かむがか)して(あまね)世人(せじん)に伝へ玉はむとして、出口開祖を出し皇道の大本(たいほん)を説かせ玉ふの()むを得ざる時機と成つたのである。故に吾々大本人(おほもとじん)は、大神の大御心を奉体(ほうたい)して、以て神典を説き、神諭を天下に宣伝せむとするや、物質文明のみに心酔(しんすゐ)累惑(るいわく)せる智者学者の群衆して、之を嘲笑熱罵(ねつば)し、彼等(かれら)は時代遅れの神典を学ぶと云ひ、時代に不適当なる和学(わがく)妄修(もうしゆう)すと(けな)す。皇道は実に天地神明の大道にして、万学(ばんがく)根基(こんき)学中(がくちう)学王(がくわう)なる事を(わきま)へず、(かへつ)(もく)する異端邪説を以てし、口を極めて排斥する鴃舌者(けきぜつしや)(りう)のみである。彼等の心は既に夷狄(いてき)にして、祖宗(そそう)父母の国に背き、(もと)を忘れ(すゑ)に走り主客の位置を(あやま)れる者である。皇道は神聖規模の偉大にして、無限なる、到底人智の測度すべきにあらず。故に後世(こうせい)欣慕(きんぼ)讃仰(さんがう)の余り、之を惟神の大道と(まを)すのである。
 天神(あまつかみがみ)(ちよく)して諾冊(なぎなみ)二神(にしん)(あまの)沼矛(ぬほこ)を賜ひたるは、(ただよ)へる国を修理固成せしめむが為であつた。伊邪那岐大神、(めい)を天に()け給ふは、(まさ)(もつ)て天命を(おそ)るるの(みなもと)を見むとする為であつた。素盞嗚尊の航海を(はじ)め玉ひしは、将に以て九夷(きうい)八蛮(やばん)を統一せむが為であつた。天照大御神の皇孫を地上に(くだ)し給ふは、将に以て宇内(うない)の主権者を定めむが為であつた。武雷男(たけみかづちをの)経津主(ふつぬしの)神の残賊(ざんぞく)撻伐(たつばつ)するは、将に以て神国(しんこく)尚武(しやうぶ)(てん)を伝へむが為であつた。大国主神の国土(こくど)部下を挙げて、皇孫に譲られしは、将に以て臣民が(かみ)に奉ずる忠良の(てん)を表明せむが為であつた。中臣(なかとみ)忌部(いむべ)二神(にしん)()たる天児屋(あめのこやねの)太玉(ふとたまの)命の祭祀を(つかさ)どり、以て政事(まつりごと)()るは、将に以て()(けう)とを合一(がふいつ)せむが為であつた。大名持(おほなもちの)命が、外国を経営し、()つ医薬禁厭(きんえん)の道を始むるは将に以て億兆の夭折(えうせつ)を救ふが為であつた。(また)以て蠢爾(しゆんじ)の民を教化せむが為である。保食(うけもちの)神の蚕穀(さんこく)(たね)化生(くわせい)せしは、将に以て万民衣食の(みなもと)(ひら)かむが為であつた。五十猛(いそたけるの)神の八十(やそ)木種(こだね)()きしは将に以て生を養ひ、死を()するの(ざい)を賜はむが為であつた。大宮能売(おほみやのめの)神の君臣(くんしん)の間を調和し給ふは、将に以て道徳を万世に伝へ導かむが為であつた。大己貴(おほなむちの)神の幽府(かくりよ)を治むるは将に以て人魂(じんこん)をして、憑帰(へうき)する所あらしめむが為である。其の他大歳(おほとしの)神の年穀(ねんこく)を利し、天目一(あめのまひとつの)神の鉄工(てつこう)(はじ)め、手置帆負(たをきほおひの)神、彦狭知(ひこさしりの)神の工匠(こうしやう)を始むる、(ゐの)神の井戸を掘る、(かまどの)神の(かま)を造りたる(とう)(みな)天下蒼生(さうせい)の為にするに非ざるは無かつたのである。是でも夷狄(いてき)の心酔者は、日本皇道の(をしへ)を以て無用の長物視するとは、実に言語同断である。
 生成(せいじやう)化々(くわくわ)()まざる惟神の大道は、天御中主の神に始まり、八百万(やほよろづの)神に(をは)り、無声(むせい)無臭(むしう)に至りて(しか)(これ)()む。蕩々乎(たうたうこ)として、誰か能く之を名づけ(たてまつ)るを得んや。上位に立つの君子(くんし)の将に取つて法となすべき所たり。アア神典古事記の妙諦(めうてい)たる(かく)の如きのみか。然らず、古言(こげん)の道義を包含し、言霊(ことたま)の宇宙を支配する其の霊力や到底漢字の深き意味を包蔵するの()にあらず。故に軽々しく看過すべきものでは無い。古来皇位を以て天津日嗣(ひつぎ)()ひ、天皇と(とな)統尊(すべらみこと)(とな)へまつるは、()れ天津日の神の胤裔(いんえい)()()して、然して(のち)宇内(うない)統御の至尊に()すべきの(いひ)である。()国造(くにつこ)を称して国の御奴(みやつこ)()ふ。(やつこ)とは、家の子の意義である。(けだ)し天津日嗣(ひつぎ)天皇は、四海(しかい)を以て家と為し給ふが故に、其の諸侯(しよこう)を封建するは、(なほ)家に奴僕(ぬぼく)あるが如く、其の君臣(くんしん)の大義名分(あきら)かにして、貴賤(あひ)()る事霄壌(せうじよう)(ぶん)ある、実に天意の然らしむる所である。古言(こげん)に父母より以上始祖に至るまで、(みな)之を一言(いちごん)に『おや』と()ひ、子より以下裔孫(えいそん)を通じて、(みな)之を『こ』と謂ふ、然らば即ち『おや』と謂ひ『こ』と謂ふは、(ただ)単に父子(ふし)(かん)のみの(しよう)にあらずして其の血族の親の永遠(かは)らざるを知るのである。アア君臣(くんしん)の大義や父子(ふし)の親しみや、古道(こどう)(すで)(すで)()くの如くにして、不易(ふえき)である。()(るゐ)()して、以て道を求むる時は、即ち千言万語、之を左右に取りて、而して其の(もと)に逢ふ。又何を苦んで()漢書(かんしよ)洋典(やうてん)()りて、以て尊内(そんない)卑外(ひぐわい)(てん)と為し、修身斎家の()に供せむ。神典古事記の本能たる、(だい)は以て天下を泰平に治め、(せう)は以て一身一家を治平(ぢへい)ならしむ()し。現代の西洋心酔者の(げん)(いは)く、皇道大本の説く所は、(あるひ)は道理に合致せる点も在らむ。神典の尊くして、神聖不可犯なるべきも或は(まこと)ならむ。()れど日進月歩文運(ぶんうん)発達の今日(こんにち)の時勢に遠離(えんり)せるを如何(いかに)せむ。()れ皇道大本の所説の、現代の社会の宣伝に容れられず、遂に(みづか)ら破滅に陥らむ事を(おし)むなりと。吾人は既に已に一大覚悟を以て、皇道大本の宣伝に従事す。俗悪社会に容れられざるは、(もと)よりの決心である。国家を(うれ)ふるの志士は、溝壑(こうがく)溝壑は谷間の意に在るを忘れず、勇士は其の(かうべ)(うしな)ふを(うれ)へず、義に志す者は利を忘れ、利に志す者は義を忘るるは、自然の(いきおひ)である。(いやしく)(わが)皇道大本をして、一団体又は一身上の利を(はか)らしめば、即ち散髪(さんぱつ)窄袖(さくしゆう)以て礫神(れきしん)(しつ)出入(しゆつにふ)するも()とす。()んぞ必ずしも、(せい)(もん)(しつ)()るの()を学ばむやである。然るに皇道大本の宣伝をして、天下に行はざらしめむか、(わが)九千万の同胞は(さら)なり、世界二十億の子孫の滅亡を如何(いかに)せむや。アア神典古事記と皇道大本の宣伝は、実に世界人類の羅針盤ならずとせむや。(みち)光明(くわうみやう)ならずして天地(てんち)晦冥(くわいめい)するは、(ただち)(すべか)らく為に世界二十億の人類を(てう)すべきなり。(あたか)も天の日月(じつげつ)を以て無用の長物と為すに等しいでは無いか。日月(じつげつ)は皇道大本、又は吾人の家の日月(じつげつ)に非ず、吾人は()()光明(くわうみやう)を指示せむとするのみである。()の神典を蔑視し、皇道大本の宣伝を嘲笑するの(やから)(よろ)しく渡辺(わたなべ)重石丸(いかりまる)(をう)固本策(こほんさく)渡辺重石丸…1837~1915年。国学者。『固本策』明治22年刊。でも読んで見るが(よろし)い。
 至誠神明に奉仕し、奉仕の神社祭神の御本能、御威徳を発揚し、国民道徳に貢献すべき大切なる自己の職責を忘却して、俗臭(ぞくしう)紛々(ふんぷん)たる政界の中間に飛込(とびこ)まむとする神職さんがあるかと思へば、一方には頑迷(ぐわんめい)固陋(こらう)にして時代に適せない神職もある。教導職と云ふ()神道家(しんだうか)(また)選挙運動に没頭するを以て賢明なる時代達観者の様に誤解して、普選運動なぞに、狂奔(きやうほん)して居るものがあるとか聞く。神職教導職(はい)の普選運動も、時代の要求とすれば是非がなからうが、彼等(かれら)は自己の職責を知らざるのみならず、その事務に対して無知無能である。先づ自己の職責の如何(いか)に重大なるかを自覚せば、下らぬ普選問題や、選挙権被選挙権の獲得運動なぞの(あやま)れる事が心から判つて来るであらう。俗世間の俗物と()して狂奔する事の如何(いか)に不合理にして不快なるかを知るであろう。それに(また)驚くのは、仏教五十八派七万の僧侶が、被選挙権付与を結束請願せむとする仏教連合会の決議である。
 京都仏教連合会にては十二月八日京都六角(ろつかく)会館にて第六回各派代表者協議会を開き、建仁寺(けんにんじ)執事長瑞嶽(ずゐがく)惟淘(すゐたう)()座長席に着き、仏教五十八派の代表者六十名参列し、宗教法案に付き協議を遂ぐる所あり、同時に当面の問題たる現境内(けいだい)還付の請願、僧侶に被選挙権付与の請願を決議せるが、第一の請願は(かつ)て第廿七議会以来衆議院を通過せるも貴族院にて握り潰しとなり居るもの、又第二の請願は仏教五十八派七万の僧侶結束して目的の貫徹に(つと)むる為、(らい)議会に請願せむとするものにして、各派管長より五十八通の請願書を(はら)首相に提出し、僧侶より二万通の請願書を貴衆両院議長に提出の筈にて、実行委員は東京に本陣を構へ以て大々的に俗悪運動に着手するとの事である。
 近時(やや)もすれば人心が動揺を(きた)し、就中(なかんづく)青年(かん)には危険思想が瀰漫(びまん)せる傾向があるのに(かんが)みて、鉄道省と内務省の高級吏員(りゐん)中には此の思想の統一を図る為に、伊勢神宮、伏見桃山両御陵、湊川(みなとがは)神社、琴平(ことひら)神社(とう)を初め全国の主なる、官幣社、国幣社、別格官幣社(とう)へ参拝を奨励し精神上の諸問題を講究して此の危険な思想問題の瀰漫(びまん)を解決せうとの(くはだ)てが出来た。そしてその具体的方法としては
一、諸学校の年中行事の一たる修学旅行には伊勢大神宮、伏見桃山両御陵、湊川(みなとがは)神社、讃岐琴平(ことひら)神社、等の参詣を奨励すること。
二、伏見、桃山両御陵、琴平神社等の参拝を一般国民に周知せしむること。
三、伊勢、宇治、山田、京都、神戸、琴平等の旅館、自動車、人力車(とう)の営業者に対し、厳重なる取締(とりしまり)(まう)くる事。
等が(おも)なる方法であるが、(この)計画は、理屈上(すこぶ)る結構ではあるが、一面には現今の青年はそんな参拝(など)より受くる感化以上に巧妙なる思想の悪化誘惑に(かか)(やす)いと、此の(きよ)を一笑に付して居る者もあるが、()(かく)(かか)(もよほ)しは結構なことと推賞せねばならぬ。
(大正一〇、一号 神霊界)
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