霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
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総説(そうせつ)

インフォメーション
著者:出口王仁三郎 巻:霊界物語 第65巻 山河草木 辰の巻 篇:前付 よみ(新仮名遣い):
章:総説 よみ(新仮名遣い):そうせつ 通し章番号:
口述日:1923(大正12)年07月15日(旧06月2日) 口述場所:祥雲閣 筆録者:北村隆光 校正日: 校正場所: 初版発行日:1926(大正15)年4月14日
概要: 舞台: あらすじ[?]このあらすじはMさん作成です(一部加筆訂正してあります)。一覧表が「王仁DB」にあります。[×閉じる]: 主な登場人物[?]【セ】はセリフが有る人物、【場】はセリフは無いがその場に居る人物、【名】は名前だけ出て来る人物です。[×閉じる]: 備考: タグ: データ凡例: データ最終更新日:0000-00-00 00:00:00 文字数:2165 OBC :rm650002
愛善世界社版:3頁 八幡書店版:第11輯 609頁 修補版: 校定版:3頁 普及版:1頁 初版: ページ備考:
001 芸術(げいじゆつ)と宗教(しうけう)とは、002兄弟(けいてい)姉妹(しまい)の如(ごと)く、003親子(おやこ)の如(ごと)く、004夫婦(ふうふ)の如(ごと)きもので、005二(ふた)つ乍(なが)ら人心(じんしん)の至情(しじやう)に根底(こんてい)を固(かた)め、006共(とも)に霊最深(れいさいしん)の要求(えうきう)を充(みた)しつつ、007人(ひと)をして神(かみ)の温懐(をんくわい)に立(た)ち遷(うつ)らしむる、008人生(じんせい)の大導師(だいだうし)である。009地獄(ぢごく)的(てき)苦悶(くもん)の生活(せいくわつ)より、010天国(てんごく)浄土(じやうど)の生活(せいくわつ)に旅立(たびた)たしむる嚮導者(けうだうしや)である。011故(ゆゑ)に吾々(われわれ)は左手(ゆんで)を芸術(げいじゆつ)に曳(ひ)かせ、012右手(めて)を宗教(しうけう)に委(ゆだ)ねて、013人生(じんせい)の逆旅(げきりよ)を楽(たの)しく幸(さち)多(おほ)く、014辿(たど)り行(ゆ)かしめむと欲(ほつ)するのである。015矛盾(むじゆん)多(おほ)く憂患(いうくわん)繁(しげ)き人生(じんせい)の旅路(たびぢ)をして、016宛(さなが)ら鳥(とり)謳(うた)ひ花(はな)笑(わら)ふ楽園(らくゑん)の観(くわん)あらしむるものは、017実(じつ)に此(こ)の美(うる)はしき姉妹(しまい)、018即(すなは)ち芸術(げいじゆつ)と宗教(しうけう)の好伴侶(かうはんりよ)を有(いう)するが故(ゆゑ)である。019若(も)しも此(こ)の二(ふた)つのものが無(な)かつたならば、020如何(いか)に淋(さび)しく味気(あぢき)なき憂世(うきよ)なるか、021想像(さうざう)出来(でき)がたきものであらうと思(おも)ふ。022人生(じんせい)に離(はな)れ難(がた)き趣味(しゆみ)を抱(いだ)かしむるものは、023唯(ただ)此(こ)の二(ふた)つの姉妹(しまい)の存在(そんざい)するが故(ゆゑ)である。
024 抑(そもそ)も此(こ)の二(ふた)つのものは、025共(とも)に人生(じんせい)の導師(だうし)たる点(てん)に於(おい)ては、026相一致(あひいつち)して居(ゐ)る。027然(しか)し乍(なが)ら芸術(げいじゆつ)は一向(ひたすら)に美(び)の門(もん)より、028人間(にんげん)を天国(てんごく)に導(みちび)かむとするもの、029宗教(しうけう)は真(しん)と善(ぜん)との門(もん)より、030人間(にんげん)を神(かみ)の御許(みもと)に到(いた)らしめむとする点(てん)に於(おい)て、031少(すこ)しく其(その)立場(たちば)に相異(さうい)があるのである。032形(かたち)、033色(いろ)、034声(こゑ)、035香(にほひ)など云(い)ふ自然美(しぜんび)の媒介(ばいかい)を用(もち)ゐて、036吾人(ごじん)をして天国(てんごく)の得(え)ならぬ風光(ふうくわう)を偲(しの)ばしむるものは芸術(げいじゆつ)である。037宗教(しうけう)は即(すなは)ち然(しか)らず、038霊性(れいせい)内観(ないくわん)の一種(いつしゆ)神秘(しんぴ)的(てき)なる洞察力(どうさつりよく)に由(よ)りて、039直(ただ)ちに人(ひと)をして神(かみ)の生命(せいめい)に接触(せつしよく)せしむるものである。040故(ゆゑ)に必(かなら)ずしも顕象界(けんしやうかい)の事相(じさう)を媒介(ばいかい)と為(な)さず、041所謂(いはゆる)神智(しんち)、042霊覚(れいかく)、043交感(かうかん)、044孚応(ふおう)の一境(いつきやう)に在(あ)つて、045目(め)未(いま)だ見(み)ず耳(みみ)未(いま)だ聞(き)かず、046人(ひと)の心(こころ)未(いま)だ想(おも)はざる、047霊界(れいかい)の真相(しんさう)を捕捉(ほそく)せしめむとするのは、048宗教(しうけう)本来(ほんらい)の面目(めんぼく)である。049芸術(げいじゆつ)の対象(たいしやう)は美(び)そのものであり、050而(しか)も美(び)は神(かみ)の姿(すがた)にして、051其(その)心(こころ)では無(な)い。052其(その)衣(きぬ)であつて、053其(その)身体(からだ)では無(な)い。054『神(かみ)は霊(れい)なれば之(これ)を拝(はい)するものも亦(また)、055霊(れい)と真(しん)とを以(もつ)て之(これ)を拝(はい)すべし』と云(い)つたキリストの言葉(ことば)は万古(ばんこ)不易(ふえき)の断案(だんあん)である。056美(び)を対象(たいしやう)とする芸術(げいじゆつ)は、057能(よ)く人(ひと)をして神(かみ)の御姿(みすがた)を打(う)ち眺(なが)めしむる事(こと)を得(う)るも、058未(いま)だ以(もつ)て其(その)心(こころ)を知(し)り、059其(その)霊(れい)と交(まじ)はり、060神(かみ)と共(とも)にあり、061神(かみ)と共(とも)に動(うご)き、062神(かみ)と共(とも)に活(いき)る、063の妙境(めうきやう)に達(たつ)せしむることは出来(でき)得(え)ない。064譬(たとへ)ば僅(わづ)かに神(かみ)の裳裾(もすそ)に触(さは)らしめる事(こと)は出来得(できう)るも、065其(その)温(あたたか)き胸(むね)に抱(いだ)かれ、066其(その)生命(せいめい)の動悸(どうき)に触(ふ)れしむる事(こと)は、067到底(たうてい)望(のぞ)まれない。068芸術(げいじゆつ)の極致(きよくち)は、069自然美(しぜんび)の賞翫(しやうぐわん)悦楽(えつらく)により、070現実界(げんじつかい)の制縛(せいばく)を脱離(だつり)して、071恍(くわう)として吾(われ)を忘(わす)るるの一境(いつきやう)にあるのである。072それ故(ゆゑ)、073その悦楽(えつらく)はホンの一(いち)時(じ)的(てき)で、074永久(えいきう)的(てき)のものでは無(な)いのである。075其(その)悠遊(いういう)の世界(せかい)は、076想像(さうざう)の世界(せかい)に止(とど)まつて、077現実(げんじつ)の活動(くわつどう)世界(せかい)でなく、078一切(いつさい)の労力(らうりよく)と奮闘(ふんとう)とを放(はな)れたる夢幻界(むげんかい)の悦楽(えつらく)に没入(ぼつにふ)して、079陶然(たうぜん)として酔(よ)へるが如(ごと)きは、080即(すなは)ち是(こ)れ審美(しんび)的(てき)状態(じやうたい)の真相(しんさう)である。081若(も)しそれ宗教(しうけう)の極致(きよくち)に至(いた)つては、082遥(はるか)に之(こ)れとは超越(てうゑつ)せるものがある。083宗教(しうけう)的(てき)生活(せいくわつ)の渇仰(かつかう)憧憬(どうけい)して已(や)まざる所(ところ)のものは、084自然美(しぜんび)の悦楽(えつらく)では無(な)く、085精神美(せいしんび)の実現(じつげん)である。086その憧憬(どうけい)の対象(たいしやう)は形体美(けいたいび)ではなくて人格美(じんかくび)である。087神(かみ)の衷(うち)に存(そん)する真(しん)と善(ぜん)とを吾(わが)身(み)に体現(たいげん)して、088永遠(ゑいゑん)無窮(むきう)に神(かみ)と共(とも)に活(い)き、089神(かみ)と共(とも)に動(うご)かむと欲(ほつ)する、090霊的(れいてき)活動(くわつどう)の向上(かうじやう)発展(はつてん)は、091即(すなは)ち是(こ)れ宗教(しうけう)的(てき)生活(せいくわつ)の真相(しんさう)であらうと思(おも)ふ。092芸術家(げいじゆつか)が、093美(び)の賞翫(しやうぐわん)もしくは創造(さうざう)に依(よ)つて、094一(いち)時(じ)人生(じんせい)の憂苦(いうく)を忘(わす)るるが如(ごと)き、095軽薄(けいはく)なものでは無(な)い。096飽迄(あくまで)も現実(げんじつ)世界(せかい)を聖化(せいくわ)し、097自我(じが)の霊能(れいのう)を発揮(はつき)して、098清(きよ)く気高(けだか)き人格(じんかく)優美(いうび)を、099吾(われ)と吾(わが)身(み)に活現(くわつげん)せなくては止(や)まないのが即(すなは)ち宗教家(しうけうか)の日夜(にちや)不断(ふだん)の努力(どりよく)奮闘(ふんとう)であり、100向上(かうじやう)精進(しやうじん)である。101宗教家(しうけうか)の悦楽(えつらく)は、102単(たん)に神(かみ)の美(うる)はしき御姿(みすがた)を拝(はい)する而已(のみ)でなく、103其(その)聖善(せいぜん)の美(び)と合体(がつたい)し、104契合(けいがふ)し、105融化(ゆうくわ)せむと欲(ほつ)して進(すす)み行(ゆ)く途上(とじやう)の、106向上(かうじやう)的(てき)努力(どりよく)にあるのである。107死(し)せるカンバスや冷(つめ)たき大理石(だいりせき)を材料(ざいれう)とせず、108活(い)ける温(あたた)かき自己(じこ)の霊性(れいせい)を材料(ざいれう)として、109神(かみ)の御姿(みすがた)を吾(わ)が霊魂中(れいこんちう)に認(みと)めむとする、110偉大(ゐだい)なる真(しん)の芸術家(げいじゆつか)である。111故(ゆゑ)に宗教家(しうけうか)の悦楽(えつらく)は、112時々(じじ)刻々(こくこく)一歩(いつぽ)々々(いつぽ)神(かみ)の栄光(えいくわう)に近(ちか)づきつつ進(すす)み行(ゆ)く、113永久(えいきう)の活動(くわつどう)その物(もの)である。114故(ゆゑ)にその生命(いのち)のあらむ限(かぎ)りは、115その悦楽(えつらく)は常住(じやうぢう)不変(ふへん)のもので、116其(その)慰安(ゐあん)も亦(また)空想(くうさう)の世界(せかい)より来(きた)るに非(あら)ず。117最(もつと)も真実(しんじつ)なる神(かみ)の実在(じつざい)の世界(せかい)より来(きた)るものである。
118 『我(わが)与(あた)ふる平安(へいあん)は、119世(よ)の与(あた)ふる所(ところ)の如(ごと)きに非(あら)ず。120爾曹(なんぢら)心(こころ)に憂(うれ)ふる勿(なか)れ、121又(また)懼(おそ)るる勿(なか)れ』とは正(まさ)しく這般(しやはん)の消息(せうそく)を伝(つた)ふるものである。122美(び)の理想(りさう)を実現(じつげん)するには、123先(ま)づ美(び)の源泉(げんせん)を探(さぐ)らねばならぬ。124其(その)源泉(げんせん)に到着(たうちやく)し、125之(これ)と共(とも)に活(い)き、126之(これ)と共(とも)に動(うご)くのでなければ実現(じつげん)するものでは無(な)い。127而(しか)して其(その)実現(じつげん)たるや、128現代人(げんだいじん)の所謂(いはゆる)芸術(げいじゆつ)の如(ごと)く、129形体(けいたい)の上(うへ)に現(あら)はるる一(いち)時(じ)的(てき)の悦楽(えつらく)に非(あら)ず、130内面(ないめん)的(てき)にその人格(じんかく)の上(うへ)に、131その生活(せいくわつ)の上(うへ)に活現(くわつげん)せなくてはならないのである。132真(しん)の芸術(げいじゆつ)なるものは生命(せいめい)あり、133活力(くわつりよく)あり、134永遠(ゑいゑん)無窮(むきう)の悦楽(えつらく)あるものでなくてはならぬ。135瑞月(ずゐげつ)はかつて芸術(げいじゆつ)は宗教(しうけう)の母(はは)なりと謂(ゐ)つた事(こと)がある。136併(しか)し其(その)芸術(げいじゆつ)とは、137今日(こんにち)の社会(しやくわい)に行(おこな)はるる如(ごと)きものを謂(ゐ)つたのでは無(な)い。138造化(ざうくわ)の偉大(ゐだい)なる力(ちから)に依(よ)りて造(つく)られたる、139天地間(てんちかん)の森羅(しんら)万象(ばんしやう)は、140何(いづ)れも皆(みな)神(かみ)の芸術(げいじゆつ)的(てき)産物(さんぶつ)である。141此(こ)の大(だい)芸術者(げいじゆつしや)、142即(すなは)ち造物主(ざうぶつしゆ)の内面(ないめん)的(てき)真態(しんたい)に触(ふ)れ、143神(かみ)と共(とも)に悦楽(えつらく)し、144神(かみ)と共(とも)に生(い)き、145神(かみ)と共(とも)に動(うご)かむとするのが、146真(しん)の宗教(しうけう)でなければならぬ。147瑞月(ずゐげつ)が霊界(れいかい)物語(ものがたり)を口述(こうじゆつ)したのも、148真(しん)の芸術(げいじゆつ)と宗教(しうけう)とを一致(いつち)せしめ、149以(もつ)て両者(りやうしや)共(とも)に完全(くわんぜん)なる生命(せいめい)を与(あた)へて、150以(もつ)て天下(てんか)の同胞(どうはう)をして、151真(しん)の天国(てんごく)に永久(とこしへ)に楽(たの)しく遊(あそ)ばしめむとするの微意(びい)より出(いで)たものである。152そして宗教(しうけう)と芸術(げいじゆつ)とは、153双方(さうはう)一致(いつち)すべき運命(うんめい)の途(と)にある事(こと)を覚(さと)り、154本書(ほんしよ)を出版(しゆつぱん)するに至(いた)つたのである。
155   大正十二年七月十七日
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