霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
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第一七章 向日(むかふ)峠(たうげ)〔九五八〕

インフォメーション
著者:出口王仁三郎 巻:霊界物語 第34巻 海洋万里 酉の巻 篇:第3篇 峠の達引 よみ(新仮名遣い):とうげのたてひき
章:第17章 向日峠 よみ(新仮名遣い):むこうとうげ 通し章番号:958
口述日:1922(大正11)年09月14日(旧07月23日) 口述場所: 筆録者:松村真澄 校正日: 校正場所: 初版発行日:1923(大正12)年12月10日
概要: 舞台: あらすじ[?]このあらすじはMさん作成です(一部加筆訂正してあります)。一覧表が「王仁DB」にあります。[×閉じる]:
向日峠の山麓の深い森の中で、数十人の荒男たちが二人の縛られた女を声高にののしっている。建日の村の侠客・虎公の女房のお愛と、その妹のお梅が捕えられていたのであった。
お愛は火の国の侠客・大蛇の三公に懸想され、さらわれて無理談判をされているところであった。
お愛は侠客の妻だけあって、三公の脅しにもまったく気おくれせず、縛られながらも三公をののしり、あくまで虎公への操を貫いて死ぬ覚悟である。
その様子に三公の子分・兼公は感心し、自分はお愛の子分になろうと言いだす。三公は怒って、お愛とお梅と共に、兼公も殺してしまうべく縛り上げてしまった。
闇にまぎれてお梅は自分の縄を解いてしまったが、誰も気が付いていなかった。三公は縛られた三人を打ちのめすように命令した。子分たちは三人に打ってかかる。そのとき、森の中に宣伝歌が聞こえてきた。
主な登場人物[?]【セ】はセリフが有る人物、【場】はセリフは無いがその場に居る人物、【名】は名前だけ出て来る人物です。[×閉じる]: 備考: タグ: データ凡例: データ最終更新日:2022-09-18 10:35:29 文字数:4635 OBC :rm3417
愛善世界社版:217頁 八幡書店版:第6輯 440頁 修補版: 校定版:227頁 普及版:93頁 初版: ページ備考:
001 向日峠(むかふたうげ)の山麓(さんろく)、002樟樹(しやうじゆ)鬱蒼(うつさう)として空(そら)を封(ふう)じた森(もり)の下(した)に数十(すうじふ)人(にん)の荒男(あらをとこ)、003二人(ふたり)の女(をんな)を荒縄(あらなは)にて縛(しば)り上(あ)げ、004何事(なにごと)か声高(こはだか)に罵(ののし)つてゐる。005其(その)中(なか)の大将(たいしやう)と覚(おぼ)しき男(をとこ)は大蛇(をろち)の三公(さんこう)と云(い)つて、006此(この)界隈(かいわい)での無頼漢(ならずもの)である。007さうして兼公(かねこう)、008与三公(よさこう)の二人(ふたり)は三公(さんこう)の股肱(ここう)と頼(たの)む手下(てした)の悪者(わるもの)である。009三公(さんこう)は森(もり)の下(した)の巨大(きよだい)なる岩(いは)の上(うへ)に跨(またが)つて冷(ひや)やかに二人(ふたり)の女(をんな)を見(み)おろしてゐる。
010兼公(かねこう)『オイ女(をんな)、011モウ斯(こ)うなつては、012何程(なにほど)藻掻(もが)いても叶(かな)ふまい。013サア茲(ここ)でウンと首(くび)を縦(たて)に振(ふ)るか。014すつた揉(も)んだと何時(いつ)迄(まで)も屁理屈(へりくつ)を吐(ぬか)しや、015モウ了見(れうけん)はならぬ。016此(この)兼公(かねこう)が親分(おやぶん)に成(な)り代(かは)り、017叩(たた)き殺(ころ)して了(しま)ふが、018それでも良(い)いか』
019女(をんな)『えゝ汚(けが)らはしい、020仮令(たとへ)三公(さんこう)に叩(たた)き殺(ころ)されても、021女(をんな)の操(みさを)は何処迄(どこまで)も外(はづ)しませぬ。022一層(いつそう)のこと、023早(はや)く一思(ひとおも)ひに殺(ころ)しなさいよ』
024与三(よさ)『コレコレお愛(あい)さま、025よく考(かんが)へて見(み)なさい。026命(いのち)あつての物種(ものだね)だ。027そんな事(こと)言(い)はずに、028ウンと色好(いろよ)い返事(へんじ)をしなさつた方(はう)が、029お前(まへ)の将来(しやうらい)の為(ため)だ。030火(ひ)の国(くに)に驍名(げうめい)隠(かく)れなき大蛇(をろち)の三公(さんこう)さまと云(い)つたら、031名(な)を聞(き)いても獅子(しし)狼(おほかみ)虎(とら)までが、032尾(を)を巻(ま)いて細(ほそ)くなつて逃(に)げると云(い)ふ威勢(ゐせい)の高(たか)い、033白浪(しらなみ)男(をとこ)だ。034何程(なにほど)お前(まへ)さまが、035虎公(とらこう)さまに操立(みさをだ)てをした所(ところ)で、036あんな気(き)の弱(よわ)い三五教(あななひけう)にトチ呆(はう)けて居(ゐ)る様(やう)な腰抜(こしぬけ)男(をとこ)が何(なに)になるものか。037チツと胸(むね)に手(て)を当(あて)て、038利害(りがい)得失(とくしつ)を考(かんが)へて見(み)なさい。039三公(さんこう)の奥(おく)さまになれば、040それこそ立派(りつぱ)な者(もの)だ。041俺(おれ)達(たち)も姉貴(あねき)々々(あねき)と敬(うやま)つて、042どんなことでも御用(ごよう)を聞(き)きます。043ここが思案(しあん)の決(き)め所(どころ)だ。044お前(まへ)は今(いま)逆上(ぎやくじやう)して居(を)るから、045是非(ぜひ)善悪(ぜんあく)の判断(はんだん)が付(つ)こまいが、046能(よ)く胸(むね)に手(て)を当(あ)てて考(かんが)へなさい』
047お愛(あい)『イエイエ何(なん)と言(い)つて下(くだ)さつても、048一旦(いつたん)虎公(とらこう)さまと約束(やくそく)を結(むす)んだ以上(いじやう)は、049そんな事(こと)が如何(どう)して出来(でき)ませうか。050仮令(たとへ)殺(ころ)されても操(みさを)を破(やぶ)つたと云(い)はれては、051先祖(せんぞ)の名折(なを)れ、052子孫(しそん)代々(だいだい)に至(いた)るまで、053恥(はぢ)を晒(さら)さねばなりませぬ。054世間(せけん)の人(ひと)には不貞(ふてい)くされ女(をんな)だと罵(ののし)られ、055恥(はぢ)をかかねばなりませぬ。056最早(もはや)今日(こんにち)となつては、057私(わたくし)の決心(けつしん)は如何(いか)なる権威(けんゐ)も金力(きんりよく)も動(うご)かすことは出来(でき)ませぬ。058どうぞそんな事(こと)を云(い)はずに、059私(わたし)を殺(ころ)して下(くだ)さい』
060与三(よさ)『ハテさて悪(わる)い御(ご)了見(れうけん)だ。061お前(まへ)の大切(たいせつ)に思(おも)ふ虎公(とらこう)は、062建日(たけひ)の村(むら)の玉公(たまこう)とやらに連(つ)れられて、063無花果(いちじゆく)を取(と)りに行(ゆ)くとか、064水晶玉(すいしやうだま)が曇(くも)つて黒姫(くろひめ)が如何(どう)だとか、065訳(わけ)の分(わか)らぬことを吐(ほ)ざきやがつて、066高山峠(たかやまたうげ)の絶頂(ぜつちやう)へ行(ゆ)きよつた。067それを嗅(か)ぎつけ、068三公(さんこう)親分(おやぶん)の手下(てした)が五六十(ごろくじふ)人(にん)、069後(あと)追(お)つかけて、070虎公(とらこう)の生命(いのち)を取(と)ると云(い)つて往(い)つたのだから、071モウ今頃(いまごろ)は気(き)の毒(どく)乍(なが)ら、072冥途(めいど)の旅(たび)をしてゐる時分(じぶん)だ。073何程(なにほど)お愛(あい)さま、074〇〇が肝腎(かんじん)だと云(い)つても、075生命(いのち)のない男(をとこ)を夫(をつと)に持(も)つた所(ところ)が、076仕方(しかた)がねえぢやないか。077人(ひと)は諦(あきら)めが大切(たいせつ)だ。078男(をとこ)は決(けつ)して虎公(とらこう)計(ばか)りぢやない。079お前(まへ)の身(み)の出世(しゆつせ)になることだから、080私(わたし)が斯(こ)うして忠告(ちうこく)をするのだ』
081お愛(あい)『エヽ何(なん)と、082三公(さんこう)の乾児(こぶん)共(ども)があの虎公(とらこう)さまを殺(ころ)しに行(い)つたとは、083ソラ本当(ほんたう)で御座(ござ)いますか。084エヽ残念(ざんねん)や、085口惜(くちをし)い、086仮令(たとへ)女(をんな)の細腕(ほそうで)なりとて、087仇(かたき)をうたいでおくものか、088コレ三公(さんこう)、089女(をんな)の一念(いちねん)思(おも)ひ知(し)つたがよからう』
090と身(み)を藻(も)がけ共(ども)、091がんじがらみに縛(しば)られた其(その)体(からだ)、092何(ど)うすることも出来(でき)ないのに、093無念(むねん)の歯(は)を喰(く)ひしばり、094恨(うら)み涙(なみだ)をタラタラと落(おと)し乍(なが)ら、095三公(さんこう)の顔(かほ)を睨(ね)めつけてゐる。
096 三公(さんこう)は冷(ひや)やかに笑(わら)ひ乍(なが)ら、
097三公(さんこう)『アハヽヽヽ、098テもいぢらしいものだなア、099オイお愛(あい)、100よつく聞(き)け。101貴様(きさま)は何時(いつ)ぞやの夕(ゆふ)べ、102俺(おれ)が貴様(きさま)に出会(であ)つて、103此(この)方(はう)の女房(にようばう)になる気(き)はないかと云(い)つた時(とき)、104何(なん)と云(い)ひよつた……不束(ふつつ)かな此(この)私(わたし)、105それ程(ほど)までに思(おも)うて下(くだ)さいますか、106女冥加(をんなみやうが)につきまする。107乍併(しかしながら)、108私(わたし)には両親(りやうしん)が御座(ござ)いますから、109トツクリと相談(さうだん)を致(いた)しまして御(ご)返辞(へんじ)をする迄(まで)待(ま)つて下(くだ)さい……と吐(ぬか)したぢやないか。110其(その)とき厭応(いやおう)言(い)はさず手(て)ごめにするのは、111いと易(やす)い事(こと)だつたが、112お前(まへ)の人格(じんかく)を重(おも)んじて、113俺(おれ)も一旦(いつたん)言(い)ひ出(だ)した男(をとこ)の顔(かほ)を下(さ)げるとは知(し)り乍(なが)ら、114辛抱(しんばう)して待(ま)つてゐたのだ。115さうした所(ところ)が、116一(いち)年(ねん)経(た)つても二(に)年(ねん)経(た)つても何(なん)とか彼(か)とか云(い)つて、117此(この)方(はう)をチヨロまかし、118到頭(たうとう)虎公(とらこう)の野郎(やらう)が所(とこ)へ嫁入(よめいり)をしやがつた。119憎(につく)き代物(しろもの)だ。120モウ斯(こ)うならば俺(おれ)も男(をとこ)だ。121貴様(きさま)が虎公(とらこう)の奴(やつ)へ行(い)つてから、122最早(もはや)三(さん)年(ねん)にもなるだらう。123俺(おれ)が貴様(きさま)に懸想(けさう)してから、124今年(ことし)で早(はや)五(ご)年(ねん)、125未(ま)だ独身(どくしん)生活(せいくわつ)をしてをるのも、126何(なん)の為(ため)だと思(おも)ふ。127チツとは俺(おれ)の心(こころ)も推量(すゐりやう)したら如何(どう)だ、128片意地(かたいぢ)張(は)る計(ばか)りが女(をんな)の能(のう)ではあるまいぞ』
129お愛(あい)『エー、130アタ厭(いや)らしい。131大蛇(をろち)の如(や)うな無頼漢(ならずもの)の三公(さんこう)に、132誰(たれ)が、133女(をんな)が相手(あひて)になる者(もの)がありますか。134至(いた)る所(ところ)でゲヂゲヂのやうに嫌(きら)はれ、135女房(にようばう)になる者(もの)がないので、136止(や)むを得(え)ず独身(どくしん)生活(せいくわつ)をしてゐる癖(くせ)に、137ようマアそんな事(こと)が、138白々(しらじら)しい、139言(い)はれたものだ。140仮令(たとへ)此(この)身(み)は殺(ころ)されて、141此(この)肉体(にくたい)を烏(からす)にコツかしても、142三公(さんこう)の様(やう)な嫌(きら)ひな男(をとこ)に、143指一本(ゆびいつぽん)触(さ)へさしてなるものか。144いい加減(かげん)に諦(あきら)めて、145舌(した)でも咬(か)んで死(し)んだが宜(よ)からう。146エヽお前(まへ)の方(はう)から出(で)て来(く)る風(かぜ)迄(まで)、147気分(きぶん)の悪(わる)い香(にほひ)がする』
148と捨鉢(すてばち)気味(ぎみ)の生命(いのち)知(し)らずに、149思(おも)ひ切(き)つて喋(しやべ)り立(た)てる。150三公(さんこう)は怒髪天(どはつてん)をつき、151岩(いは)を下(お)り来(きた)り、152お愛(あい)の前(まへ)に立(た)ちはだかり、153蠑螺(さざえ)の様(やう)な拳骨(げんこつ)をグツと固(かた)めて目(め)の前(まへ)に突出(つきだ)し、154三(み)つ四(よ)つクルリクルリと上下(うへした)に廻転(くわいてん)させ乍(なが)ら、
155三公(さんこう)『オイお愛(あい)、156是(これ)は何(なん)だと思(おも)つてゐるか、157中(なか)まで骨(ほね)だぞ。158鉄(てつ)よりも固(かた)い此(この)鬼(おに)の蕨(わらび)が貴様(きさま)の脳天(なうてん)へ、159一(ひと)つ御(お)見舞(みまひ)申(まを)すが最後(さいご)、160脆(もろ)くも寂滅(じやくめつ)為楽(ゐらく)、161死出(しで)の旅(たび)だ。162いい加減(かげん)に覚悟(かくご)を定(き)めて、163好(よ)い返辞(へんじ)をしたら如何(どう)だ。164俺(おれ)だとて万更(まんざら)木石(ぼくせき)でもない、165暖(あたたか)い血(ち)もあれば涙(なみだ)もある。166そちらの出(で)やうに依(よ)つちや、167何(なん)とも知(し)れない親切(しんせつ)な男(をとこ)だ。168そんな我(が)を出(だ)さずに、169暫(しばら)く試(こころ)みに俺(おれ)の言(い)ひ状(じやう)について見(み)よ。170忽(たちま)ち貴様(きさま)は相好(さうがう)を崩(くづ)し、171……世(よ)の諺(ことわざ)にも曰(い)ふ通(とほ)り、172人(ひと)は見(み)かけによらぬものだ、173あれ程(ほど)恐(おそ)ろしい嫌(きら)いな男(をとこ)と思(おも)ひ込(こ)んでゐた此(こ)の三公(さんこう)は何(なん)とした親切(しんせつ)な男(をとこ)だらう、174虎公(とらこう)に比(くら)ぶれば、175どこともなしに男振(をとこぶり)も好(よ)いなり、176親切(しんせつ)も深(ふか)い、177気甲斐性(きがひしやう)もある。178こんな立派(りつぱ)な男(をとこ)を何故(なにゆゑ)あの様(やう)に、179痩馬(やせうま)が荷(に)を覆(かへ)す様(やう)に、180嫌(きら)うたのだらう三公(さんこう)さま誠(まこと)に済(す)みませなんだ、181どうぞ末永(すえなが)う、182幾久(いくひさ)しく可愛(かあい)がつて下(くだ)さい……と云(い)つて、183嬉(うれ)し涙(なみだ)にかきくれ、184俺(おれ)が一足(ひとあし)外(そと)へ出(で)るのも、185気(き)に病(や)んで放(はな)さない様(やう)になつて来(く)るのは、186火(ひ)を睹(み)る様(やう)な明(あきら)かな事実(じじつ)だ。187なアお愛(あい)、188ここは一(ひと)つ胸(むね)に手(て)を当(あ)てて考(かんが)へて見(み)たら如何(どう)だ』
189とソロソロ怖(こは)い顔(かほ)を、190何時(いつ)の間(ま)にやら柔(やはら)げて了(しま)つてゐる。
191お愛(あい)『ホツホヽヽ何(なん)とマア腰抜(こしぬけ)男(をとこ)だらう。192団栗眼(どんぐりめ)を柳(やなぎ)の葉(は)のやうに細(ほそ)くして、193涎(よだれ)まで垂(た)らして、194見(み)つともない、195そんな屁古垂(へこたれ)男(をとこ)に猫(ねこ)だつて、196鼬(いたち)だつて、197心中立(しんぢうだて)をする者(もの)があつて堪(たま)りませうか。198サア早(はや)う殺(ころ)して下(くだ)さい。199冥途(めいど)に御座(ござ)る虎公(とらこう)と、200手(て)に手(て)を取(と)つて死出(しで)の山路(やまみち)三途(さんづ)の川(かは)、201お前(まへ)のデレ加減(かげん)を嘲(あざけ)り乍(なが)ら、202極楽(ごくらく)参(まゐ)りをする程(ほど)に、203サア早(はや)く殺(ころ)しやいのう』
204三公(さんこう)『ハテさて能(よ)くも惚(のろ)けたものだなア。205虎公(とらこう)の様(やう)なしみつたれ男(をとこ)の、206どこが気(き)に容(い)つたのか、207合点(がつてん)のゆかぬ事(こと)もあればあるものだなア』
208お愛(あい)『ホツホヽヽ何(なん)とマア偉(えら)い惚(のろ)け方(かた)だこと、209何程(なんぼ)お前(まへ)が惚(のろ)けしやんしても、210合縁(あひえん)奇縁(きえん)、211私(わたし)は如何(どう)しても虫(むし)が好(す)きませぬわいな。212乍併(しかしながら)此(この)広(ひろ)い世(よ)の中(なか)、213蓼喰(たでく)ふ虫(むし)も好(す)き好(ず)きとやら、214苦(にが)い煙草(たばこ)にも喜(よろこ)んで喰(く)ひつく虫(むし)があるのだから、215お前(まへ)も嫌(きら)はれた女(をんな)に、216何時(いつ)迄(まで)も未練(みれん)たらしい、217秋波(しうは)を送(おく)るよりも、218沢山(たくさん)の乾児(こぶん)を持(も)つて御座(ござ)るのだから、219目(め)つかちなつと、220跛(ちんば)なつと、221鼻曲(はなまが)りなつと探(さが)し出(だ)して、222女房(にようばう)に持(も)たしやんせ、223オホヽヽヽ、224お気(き)の毒(どく)様(さま)……』
225三公(さんこう)『コリヤお愛(あい)、226黙(だま)つて聞(き)いて居(を)れば、227余(あま)りの過言(くわごん)でないか。228貴様(きさま)は善言(ぜんげん)美詞(びし)の言霊(ことたま)を使(つか)へと教(をし)ふる、229無抵抗(むていかう)主義(しゆぎ)の三五教(あななひけう)の信者(しんじや)ぢやないか。230そんな暴言(ばうげん)を吐(は)いても、231天則(てんそく)違反(ゐはん)にはならないのか』
232お愛(あい)『ヘン天則(てんそく)違反(ゐはん)が聞(き)いて呆(あき)れますワイ。233大蛇(をろち)の三公(さんこう)と云(い)ふ蛆虫(うじむし)こそ、234天則(てんそく)違反(ゐはん)の張本人(ちやうほんにん)だ。235あゝあ、236気味(きみ)が悪(わる)い、237どうぞ、238そつちへよつて下(くだ)さい。239吐(あ)げさうになつて来(き)ました』
240兼公(かねこう)『コリヤ女(あま)ツちよ、241柔(やはら)かく出(で)ればつけ上(あ)がり、242何(なん)と云(い)ふ劫託(がふたく)を吐(ほ)ざくのだ。243それ程(ほど)殺(ころ)して欲(ほ)しければ、244殺(ころ)してやらぬことはない。245乍併(しかしながら)、246かやうなナイスを無残(むざ)々々(むざ)殺(ころ)すのも勿体(もつたい)ねえ。247ここは一(ひと)つ思案(しあん)を仕直(しなほ)して、248犠牲(ぎせい)になる積(つも)りでウンと云(い)つたら如何(どう)だ。249冥途(めいど)へ行(い)つて虎公(とらこう)に会(あ)ふなんて、250そんな雲(くも)を掴(つか)む様(やう)な望(のぞ)みを起(おこ)すな』
251お愛(あい)『コレ兼(かね)、252お前(まへ)の出(で)る幕(まく)ぢやない、253スツ込(こ)んで居(ゐ)なさい。254すつ込(こ)んでゐるのが気(き)に入(い)らねば、255目(め)なと噛(か)んで死(し)んだが宜(よ)からう。256お前(まへ)達(たち)が此(この)世(よ)に居(を)るものだから、257米(こめ)が高(たか)うなる計(ばか)りだ』
258兼公(かねこう)『あゝあ、259サツパリ駄目(だめ)だ。260乍併(しかしながら)、261こんなシヤンに、262仮令(たとへ)悪口(あつこう)でも詞(ことば)をかけて貰(もら)うたと思(おも)へば、263俺(おれ)も光栄(くわうえい)だ、264アハヽヽヽ』
265お愛(あい)『オホヽヽヽお前(まへ)はヤツパリ私(わたし)の生命(いのち)を取(と)るのが惜(を)しいと見(み)える。266甲斐性(かひしやう)のない男(をとこ)だなア。267何程(なにほど)おどしても慊(すか)しても、268痩(やせ)てもこけても、269侠客(けふかく)の妻(つま)、270こんな事(こと)で屁古(へこ)たれて、271如何(どう)して夫(をつと)の顔(かほ)が立(た)つものか。272これでも内(うち)へ帰(かへ)れば、273沢山(たくさん)の乾児(こぶん)に、274かしづかれ、275姉貴(あねき)々々(あねき)と敬(うやま)はれる姐御(ねえ)さまだ。276お前(まへ)の様(やう)な痩犬(やせいぬ)に吠(ほ)えつかれて、277ビクつくやうな事(こと)で、278侠客(けふかく)の女房(にようばう)にはなれませぬぞや、279オホヽヽヽ。280あの兼公(かねこう)の青(あを)い顔(かほ)わいのう』
281兼公(かねこう)『何(なん)と剛情(がうじやう)な姐貴(あねき)だなア。282これ丈(だけ)身動(みうご)きもならぬ様(やう)に縛(いまし)められ、283活殺(くわつさつ)自在(じざい)の権(けん)を握(にぎ)られた敵(てき)の前(まへ)で、284これ丈(だけ)の劫託(がふたく)を並(なら)べるとは、285太(ふて)え度胸(どきよう)だ。286姐貴(あねき)、287俺(おれ)も感心(かんしん)した。288虎公(とらこう)が惚(ほ)れたのも無理(むり)ではあるまい。289俺(おれ)も今日(けふ)から姐貴(あねき)の乾児(こぶん)になるワ』
290与三(よさ)『オイ兼公(かねこう)、291ソリヤ貴様(きさま)、292何(なに)を云(い)ふのだ。293親分(おやぶん)の前(まへ)ぢやないか。294そんなこと吐(ぬか)すと、295貴様(きさま)も一緒(いつしよ)に殺(たた)んでやらうか』
296兼公(かねこう)『ヘン、297何(なに)を吐(ぬか)すのだい、298早(はや)く殺(たた)んで欲(ほ)しいワイ。299こんな美(うつく)しいシヤンと一緒(いつしよ)に心中(しんぢう)するのなら、300大光栄(だいくわうえい)だ。301早(はや)う俺(おれ)達(たち)を叩(たた)き殺(ころ)して了(しま)へ、302其(その)代(かは)りに一(ひと)つ頼(たの)んでおくことがある。303同(おな)じ穴(あな)に向(むか)ひ合(あは)せにして埋(い)けてくれ。304それ丈(だけ)が俺(おれ)の頼(たの)みだ』
305お愛(あい)『ホツホヽヽ、306好(す)かんたらしい。307誰(たれ)がお前(まへ)等(ら)と一緒(いつしよ)に埋(い)けられて堪(たま)りますかい。308冥途(めいど)へ往(い)つて迄(まで)、309つきまとはれては、310夫(をつと)の虎公(とらこう)にどんなに怒(おこ)られるか知(し)れませぬわいな。311お前(まへ)は勝手(かつて)に殺(ころ)されなされ。312私(わたし)にチツとも関係(くわんけい)はありませぬから……』
313兼公(かねこう)『エヽ口(くち)の悪(わる)い女(をんな)だなア。314人(ひと)には添(そ)うて見(み)い、315馬(うま)には乗(の)つて見(み)いだ。316今(いま)お前(まへ)が此(この)兼公(かねこう)をゲヂゲヂの様(やう)に嫌(きら)つてゐるが、317冥途(めいど)へ行(い)つて死出(しで)の道伴(みちづ)れをするやうになつてから思(おも)ひ当(あた)るだらう。318人(ひと)は見(み)かけによらぬものだ、319こんな男(をとこ)と冥途(めいど)の旅(たび)をするのなら、320仮令(たとへ)地獄(ぢごく)の釜(かま)のドン底(ぞこ)まで……と云(い)つて、321くつついて離(はな)れない様(やう)になりますぞや』
322お愛(あい)『オツホヽヽ、323三公(さんこう)の受売(うけうり)をしても、324流行(はや)りませぬぞや。325エヽ汚(けが)らはしい、326其方(そつち)へ行(い)つて下(くだ)さい。327気持(きもち)の悪(わる)い匂(にほひ)のする男(をとこ)だなア』
328三公(さんこう)『オイ与三(よさ)、329モウ斯(こ)うなつちや仕方(しかた)がない。330お愛(あい)も一人(ひとり)で冥途(めいど)の旅(たび)は淋(さび)しからうから、331妹(いもうと)のお梅(うめ)も一緒(いつしよ)にバラしてやれ。332序(ついで)に兼公(かねこう)の裏返(うらがへ)り者(もの)も、333以後(いご)の見(み)せしめに血祭(ちまつ)りにして了(しま)へ。334そうなくちや三公(さんこう)の顔(かほ)が立(た)たねえ。335可哀相(かはいさう)なものだが、336こうなつちや、337引(ひ)くに引(ひ)かれぬ場合(ばあひ)だ、338アヽ惜(をし)い者(もの)だなア』
339 与三公(よさこう)は矢庭(やには)に懐(ふところ)から細紐(ほそひも)を取出(とりだ)し、340兼公(かねこう)の背後(はいご)より首(くび)に引(ひ)つかけ、341二三間(にさんげん)引摺(ひきず)つた。342兼公(かねこう)は顋(あご)をかけられたまま、343手足(てあし)をもがきつつ苦(くるし)んでゐる。344寄(よ)つてかかつて大勢(おほぜい)の乾児(こぶん)は、345兼公(かねこう)の体(からだ)をがんじ搦(がら)みに巻(ま)いて了(しま)つた。
346 今年(ことし)十五(じふご)才(さい)になつた、347お愛(あい)の義妹(いもうと)のお梅(うめ)は最前(さいぜん)から目(め)を塞(ふさ)ぎ、348素知(そし)らぬ顔(かほ)をして、349大勢(おほぜい)の目(め)を盗(ぬす)み乍(なが)ら、350自分(じぶん)の綱(つな)をスツカリほどき、351依然(いぜん)として縛(しば)られた様(やう)な風(ふう)を装(よそほ)うてゐた。352三公(さんこう)始(はじ)め一同(いちどう)の奴(やつ)は、353お愛(あい)の方(はう)に気(き)を取(と)られて、354お梅(うめ)が何時(いつ)とはなしに斯(こ)んなことをしてゐるのに気(き)がつかなかつたのである。
355 日(ひ)は漸(やうや)く暮(く)れかけた。356三公(さんこう)は以前(いぜん)の岩(いは)の上(うへ)に腰(こし)打(うち)かけ、357三(さん)人(にん)を冷(ひや)やかに見下(みくだ)し乍(なが)ら、
358三公(さんこう)『ソラ討(う)て、359やつつけろ!』
360と下知(げち)してゐる。361与三公(よさこう)始(はじ)め大勢(おほぜい)の乾児(こぶん)は三(さん)人(にん)を目(め)がけてバタバタと駆(かけ)より、362打(う)つ、363蹴(け)る、364擲(なぐ)る、365忽(たちま)ち修羅場(しゆらぢやう)が現出(げんしゆつ)した。366斯(か)かる処(ところ)へ森(もり)の谺(こだま)を響(ひび)かして、367宣伝歌(せんでんか)が聞(きこ)えて来(き)た。
368(大正一一・九・一四 旧七・二三 松村真澄録)
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