霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
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総説(そうせつ)

インフォメーション
著者:出口王仁三郎 巻:霊界物語 第37巻 舎身活躍 子の巻 篇:前付 よみ(新仮名遣い):
章:総説 よみ(新仮名遣い):そうせつ 通し章番号:
口述日:1922(大正11)年10月08日(旧08月18日) 口述場所: 筆録者:北村隆光 校正日: 校正場所: 初版発行日:1924(大正13)年3月3日
概要: 舞台: あらすじ[?]このあらすじはMさん作成です(一部加筆訂正してあります)。一覧表が「王仁DB」にあります。[×閉じる]:
予言者郷里に容れられずという古来のことわざのとおり、瑞月王仁が突然神界より神務に使役されるようになってから親族知己朋友その他の人々からあらゆる悪罵嘲笑や妨害等をうけながら、神命を遵守して今日まで隠忍してきた種々雑多の経緯は到底一万や二万の原稿で書きつくせるものではない。
ゆえに『舎身活躍』の口述のはじめにあたり、最初の霊的修行の一端を述べてから本問題の神代の物語に移ろうと思う。
幸い今日となっては自分の郷里の人々は、無宗教者といえども一人も反対を唱えたり悪罵嘲笑をするものはなくなってきた。むしろ瑞月の精神を了解し、かえって賛辞を送るようになったのは、まったく時の力である。
しかるにいつの世にも反対者というものは絶えないものである。大正の初頭から勃興し始めた大本の教えに対して、学者・宗教家・新聞記者などがずいぶん攻撃の矢を放って吾人の主張を破砕しようとしていた。
吾人は今後においてもますます、大本に対して大々的な迫害の手が加わることと確信している。
天の瓊矛のように、大本はイラエばイラウほど太く膨れて固くなり、かつ気分のよくなるものである。善悪吉凶禍福は同根である。筆先にも『悪く言はれて良くなる仕組じゃぞよ』とあるのも至言である。
このごろ丹波新聞という地方新聞が霊界物語を評していわく、『一丁ほど先から見えるような原稿を書いている』と。この物語は人間の頭脳の産物でない以上、神の霊光が原稿の上に輝いて遠方から拝めたのであろう。
著者の人物が大きいから原稿の字が大きく見えたのであろう。いやいや、そう慢心してはならない。神様の偉大なる神格が現れて筆記者の写した細い文字が丹波新聞の記者の眼にみえたのであろうと、神直日大直日に見直し聞き直し宣り直し、善意に解釈しておく。
実に天下一品の賛辞を与えてくれた大名文章だと感謝しておく次第である。呵呵。
主な登場人物[?]【セ】はセリフが有る人物、【場】はセリフは無いがその場に居る人物、【名】は名前だけ出て来る人物です。[×閉じる]: 備考: タグ: データ凡例: データ最終更新日:0000-00-00 00:00:00 文字数:1028 OBC :rm370002
愛善世界社版:3頁 八幡書店版:第7輯 31頁 修補版: 校定版:3頁 普及版:1頁 初版: ページ備考:
001 予言者(よげんしや)郷里(きやうり)に容(い)れられずとは古来(こらい)の諺(ことわざ)である。002瑞月(ずゐげつ)王仁(おに)が突然(とつぜん)神界(しんかい)より神務(しんむ)に使役(しえき)さるるやうに成(な)つてから、003親族(しんぞく)知己(ちき)朋友(ほういう)その他(た)の人々(ひとびと)より、004あらゆる悪罵(あくば)嘲笑(てうせう)や妨害(ばうがい)等(とう)を受(う)け乍(なが)ら、005神命(しんめい)を遵守(じゆんしゆ)して今日(こんにち)まで隠忍(いんにん)して来(き)た種々(しゆじゆ)雑多(ざつた)の経緯(けいゐ)を述(の)ぶれば、006到底(たうてい)一万(いちまん)や二万(にまん)の原稿(げんかう)で書(か)きつくせるものではない。007故(ゆゑ)に瑞月(ずゐげつ)は霊界(れいかい)物語(ものがたり)『舎身(しやしん)活躍(くわつやく)』の口述(こうじゆつ)の初(はじめ)に当(あた)り、008最初(さいしよ)の霊的(れいてき)修行(しうぎやう)の一端(いつたん)を述(の)べて本問題(ほんもんだい)の神代(かみよ)の物語(ものがたり)に移(うつ)らうと思(おも)ふ。009幸(さいは)ひ時機(じき)の到来(たうらい)せしものか、010今日(こんにち)となつては自分(じぶん)の郷里(きやうり)の人々(ひとびと)は神道家(しんたうか)、011仏教家(ぶつけうか)を始(はじ)め、012無宗教(むしうけう)者(しや)と雖(いへど)も一人(ひとり)も反対(はんたい)を唱(とな)へたり悪罵(あくば)嘲笑(てうせう)する者(もの)が無(な)くなつて来(き)た。013否(いな)何人(なんびと)も郷里(きやうり)の人(ひと)は瑞月(ずゐげつ)の精神(せいしん)を了解(れうかい)し、014却(かへつ)て讃辞(さんじ)を送(おく)るやうになつたのは全(まつた)く時(とき)の力(ちから)である。015然(しか)るに釈迦(しやか)にも提婆(だいば)とか謂(い)つて、016何時(いつ)の世(よ)にも反対者(はんたいしや)の絶(た)えぬものである。017大正(たいしやう)の初頭(しよとう)より勃興(ぼつこう)し初(はじ)めた吾(わ)が大本(おほもと)の教(をしへ)に対(たい)し、018学者(がくしや)、019宗教家(しうけうか)、020新聞(しんぶん)記者(きしや)なぞが、021数年前(すうねんぜん)より随分(ずゐぶん)攻撃(こうげき)の矢(や)を放(はな)つて吾人(ごじん)の主張(しゆちやう)を根底(こんてい)より破砕(はさい)せむとせしは、022新宗教(しんしうけう)の初期(しよき)に於(おい)ては免(まぬが)るべからざる順路(じゆんろ)である。023諺(ことわざ)に曰(い)ふ『巨大(きよだい)なる器(うつは)には巨大(きよだい)なる影(かげ)がさす』と。024また曰(いは)く『敵(てき)無(な)きものは味方(みかた)も無(な)し』と。025今日(こんにち)の社会(しやくわい)よりの攻撃(こうげき)は実(じつ)に止(や)むを得(え)ざるものである。026否(いな)これが宗教(しうけう)発展(はつてん)上(じやう)の径路(けいろ)かも知(し)れない。027吾人(ごじん)は今後(こんご)に於(おい)ても、028益々(ますます)大本(おほもと)に対(たい)して大々(だいだい)的(てき)迫害(はくがい)の手(て)が加(くは)はることと確信(かくしん)して居(ゐ)る。029天(あま)の瓊矛(ぬほこ)の様(やう)に、030大本(おほもと)はイラエばイラウほど太(ふと)くふくれて固(かた)くなり、031且(か)つ気分(きぶん)の好(よ)くなるものである。032善悪(ぜんあく)吉凶(きつきよう)禍福(くわふく)は同根(どうこん)である。033筆先(ふでさき)にも『悪(わる)く言(い)はれて良(よ)くなる仕組(しぐみ)じやぞよ』と、034実(じつ)に至言(しげん)である。035この頃(ごろ)綾部(あやべ)に丹波(たんば)新聞(しんぶん)といふ小(ちひ)さい新聞(しんぶん)が出来(でき)て、036霊界(れいかい)物語(ものがたり)を評(へう)して曰(いは)く『一丁(いつちやう)程(ほど)先(さき)から見(み)えるやうな原稿(げんかう)を書(か)いて居(ゐ)る』と。037実(じつ)に良(よ)く霊界(れいかい)物語(ものがたり)の真相(しんさう)を究(きは)めたものである。038抑(そもそ)もこの物語(ものがたり)は人間(にんげん)の頭脳(づなう)の産物(さんぶつ)でない以上(いじやう)は、039何処(どこ)かに変(かは)つた所(ところ)が無(な)くてはならぬ筈(はず)だ。040一丁(いつちやう)程(ほど)先(さき)から見(み)えるやうな大(おほ)きい字(じ)の原稿(げんかう)を二万(にまん)数千(すうせん)枚(まい)書(か)いたと言(い)つて居(ゐ)るのは、041神(かみ)の霊光(れいくわう)が原稿(げんかう)の上(うへ)に輝(かがや)いて遠方(ゑんぱう)から拝(をが)めたのであらう。042又(また)大(おほ)きい文字(もじ)に見(み)えたのは所謂(いはゆる)著者(ちよしや)の人物(じんぶつ)が大(おほ)きいから大(おほ)きく見(み)えたのだらう。043否々(いやいや)ソウ慢心(まんしん)しては成(な)らぬ。044神(かみ)様(さま)の偉大(ゐだい)なる神格(しんかく)が現(あら)はれて、045筆記者(ひつきしや)の写(うつ)した細(ほそ)い文字(もじ)が丹波(たんば)新聞(しんぶん)記者(きしや)の眼(め)にソウ大(おほ)きく見(み)えたのであらうと、046神直日(かむなほひ)大直日(おほなほひ)に見直(みなほ)し聞直(ききなほ)し宣(の)り直(なほ)し、047善意(ぜんい)に解釈(かいしやく)して置(お)く方(はう)が結局(けつきよく)大本(おほもと)の教理(けうり)に叶(かな)ふであらう。048実(じつ)に天下(てんか)一品(いつぴん)の讃辞(さんじ)を与(あた)へて呉(く)れた大名文章(だいめいぶんしやう)だと感謝(かんしや)しておく次第(しだい)である。049呵々(かか)。
050  大正十一年十月十二日
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