霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
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第一九章 逆襲(ぎやくしふ)〔一〇三一〕

インフォメーション
著者:出口王仁三郎 巻:霊界物語 第37巻 舎身活躍 子の巻 篇:第3篇 阪丹珍聞 よみ(新仮名遣い):はんたんちんぶん
章:第19章 逆襲 よみ(新仮名遣い):ぎゃくしゅう 通し章番号:1031
口述日:1922(大正11)年10月10日(旧08月20日) 口述場所: 筆録者:北村隆光 校正日: 校正場所: 初版発行日:1924(大正13)年3月3日
概要: 舞台: あらすじ[?]このあらすじはMさん作成です(一部加筆訂正してあります)。一覧表が「王仁DB」にあります。[×閉じる]:
ふと新聞の広告を見ると、壮士俳優募集と出ていた。自分はそれを見つめていると、多田琴が神がかりになって、霊術を応用して役者になれば名優にしてやろうと強制的に問いかけた。
自分は役者になってみたいものだと思っていたから、一も二もなく喜んで承諾した。しかし入会料として十円を取られた後、臀部に大きな腫物ができてうずいてたまらず、芝居どころではない。
腹の中から松岡神が出てきて、役者になりたそうにしていたから改心のために戒めたのだ、と笑う。丹波に帰ろうとすると腫物は嘘のように治ってしまい、それ以来俳優になってみたいという心はすっかり消え失せ、一心不乱に神界の御用に尽くすことになった。
穴太の斎藤某という口やかましい家の息子を直してやったらい、村の者も気が付いて信仰するだろうと思い、訪ねてみた。しかし追い返されてとぼとぼ帰ってきたところ、今度は次郎松が一人娘の阿栗(おぐ)が狐つきになってしまったと泣きついてきた。
行ってみると、次郎松も次郎松の老母も、彼らが喜楽に敵対して悪口を触れ回るものだから、腹いせのために娘に狐をつけたのだと思い込んでいる。喜楽は口を極めて二人に霊学の説明をしたが、まったく聞いてくれない。
仕方なく娘についていた狐を祓うと、またしても次郎松は、よくも大事な娘に狐をつけてくれたとあべこべに罵詈雑言をなす始末であった。
主な登場人物[?]【セ】はセリフが有る人物、【場】はセリフは無いがその場に居る人物、【名】は名前だけ出て来る人物です。[×閉じる]: 備考: タグ: データ凡例: データ最終更新日:2026-02-11 05:16:39 文字数:3976 OBC :rm3719
愛善世界社版:226頁 八幡書店版:第7輯 116頁 修補版: 校定版:236頁 普及版:112頁 初版: ページ備考:
001 不図(ふと)配達(はいたつ)して来(き)た日出(ひので)新聞(しんぶん)の広告欄(くわうこくらん)を見(み)ると、002壮士(さうし)俳優(はいいう)募集(ぼしふ)と云(い)ふ立派(りつぱ)な広告(くわうこく)が出(で)て居(ゐ)た。003自分(じぶん)は一生(いつしやう)懸命(けんめい)に其(その)広告(くわうこく)を見詰(みつ)めて居(を)ると、004多田(ただ)琴(こと)がポンと飛(と)び上(あが)り神憑(かむがか)り[*初版・愛世版では「神憑り」、校定版では「神懸り」。]になつて、
005多田(ただ)『俺(わし)は男山(をとこやま)の眷族(けんぞく)小松林(こまつばやしの)命(みこと)であるぞ。006今(いま)其(その)広告(くわうこく)にある通(とほ)り、007神界(しんかい)の仕組(しぐみ)で正義団(せいぎだん)と云(い)ふ壮士(さうし)芝居(しばゐ)の団体(だんたい)が募集(ぼしふ)されて居(ゐ)るのだ。008お前(まへ)はこれから、009今迄(いままで)苦労(くらう)して覚(おぼ)えた霊術(れいじゆつ)を応用(おうよう)して芝居(しばゐ)の役者(やくしや)になれ。010神(かみ)が守護(しゆご)して如何(どん)な不思議(ふしぎ)な事(こと)でもさしてやるから、011川上(かはかみ)音次郎(おとじらう)以上(いじやう)の名優(めいいう)にしてやらう。012如何(どう)ぢや、013神(かみ)の申(まを)す事(こと)を承諾(しようだく)するか、014但(ただし)は否(いや)と申(まを)すか、015直(すぐ)に返答(へんたふ)をして呉(く)れ』
016とニコニコ笑(わら)ひ乍(なが)ら強制(きやうせい)的(てき)に問(と)ひかける。017喜楽(きらく)は此(この)広告(くわうこく)を見(み)て、
018『俺(おれ)も一度(いちど)壮士(さうし)役者(やくしや)になつて見(み)たいものだ』
019と思(おも)ひつめて居(ゐ)た際(さい)であるから、020一(いち)も二(に)もなく喜(よろこ)んで、
021喜楽(きらく)『ハイ、022神(かみ)様(さま)さへお許(ゆる)し下(くだ)されば壮士(さうし)役者(やくしや)になります』
023と速座(そくざ)に答(こた)へた。024さうすると小松林(こまつばやし)と名乗(なの)る憑霊(ひようれい)は、025嬉(うれ)しさうな顔(かほ)して言葉(ことば)まで柔(やさ)しく、
026小松林『流石(さすが)はよく先(さき)の見(み)える、027先(さき)の分(わか)つた審神者(さには)だ。028サア愚図(ぐづ)々々(ぐづ)してると応募者(おうぼしや)がつまれば駄目(だめ)だから、029今夜(こんや)直様(すぐさま)立(た)つて行(ゆ)け。030さうして金(かね)を十五六(じふごろく)円(ゑん)ばかり積(つも)りをして行(ゆ)け』
031と云(い)ひ渡(わた)す。
032 ありもせぬ金(かね)を寄(よ)せ集(あつ)めてヤツと十五(じふご)円(ゑん)拵(こしら)へ、033保津(ほづ)の浜(はま)から、034舟(ふね)に乗(の)つて谷間(たにあひ)を下(くだ)り嵯峨(さが)に着(つ)き、035それから竹屋町(たけやちやう)富小路(とみこうぢ)の宿屋(やどや)に尋(たづ)ねて行(い)つた。036正義団(せいぎだん)長(ちやう)と称(しよう)する男(をとこ)、037名(な)は忘(わす)れたが直様(すぐさま)二階(にかい)へ案内(あんない)して呉(く)れ、038入会料(にふくわいれう)として十(じふ)円(ゑん)を請求(せいきう)する。039直様(すぐさま)十(じふ)円(ゑん)を放(はう)り出(だ)し種々(いろいろ)と手続(てつづ)きを済(す)まして、040それから安(やす)い宿(やど)を探(さが)し、041日々(にちにち)柔術(じうじゆつ)の型(かた)を稽古(けいこ)したり、042科白(せりふ)を覚(おぼ)えたり、043十二三(じふにさん)人(にん)の男(をとこ)がやつて居(ゐ)た。044愚図(ぐづ)々々(ぐづ)して居(を)ると五(ご)円(ゑん)の金(かね)が無(な)くなつて了(しま)ふ。045さうして臀部(でんぶ)に大(おほ)きな瘍(ちやう)が出来(でき)てビクとも出来(でき)ず、046うづいて堪(たま)らない。
047(喜楽)『こんな事(こと)では芝居(しばゐ)どころの騒(さわ)ぎぢやない。048何(なん)とかして吾(わが)家(や)へ帰(かへ)りたいものだが歩(ある)いて去(い)ぬ事(こと)は出来(でき)ず、049俥賃(くるまちん)はなし、050一層(いつそう)の事(こと)、051枳殻邸(きこくてい)の附近(ふきん)に弟(おとうと)の政一(まさいち)が子(こ)に行(い)つて居(を)るから、052其処迄(そこまで)俥(くるま)で運(はこ)んで貰(もら)ひ世話(せわ)にならうかなア』
053と考(かんが)へ込(こ)んで居(を)ると腹(はら)の中(なか)から又(また)もや玉(たま)ごろが喉元(のどもと)へつめ上(あが)つて来(き)た。054さうして、
055『アハヽヽヽ』
056と可笑(おか)しさうに笑(わら)ひ出(だ)す。
057喜楽『足(あし)の腫物(はれもの)が痛(いた)くて何(なに)どこでもないのに、058可笑(おか)しさうに腹(はら)の中(なか)から笑(わら)ふ奴(やつ)は何(なに)枉津(まがつ)ぢやい』
059と呶鳴(どな)つて見(み)た。060腹(はら)の中(なか)からさも可笑(おか)しさうに小気味(こぎみ)良(よ)さ相(さう)の声(こゑ)で、
061『イヒヽヽヽ』
062と連続(れんぞく)的(てき)に十(じつ)分間(ぷんかん)程(ほど)笑(わら)ひつづける。063さうして、
064松岡『俺(おれ)は松岡(まつをか)ぢや、065貴様(きさま)が新聞(しんぶん)の広告(くわうこく)を見(み)て、066役者(やくしや)になり度(た)相(さう)にして居(を)るから、067一寸(ちよつと)改心(かいしん)の為(ため)に嬲(なぶ)つて見(み)たのだ。068本当(ほんたう)に日本一(につぽんいち)の大馬鹿(おほばか)だのう、069オホヽヽヽ』
070と笑(わら)ひ出(だ)す。071進退(しんたい)維谷(これきは)まつた喜楽(きらく)は如何(どう)する事(こと)も出来(でき)ず、072宿賃(やどちん)を三日分(みつかぶん)三(さん)円(ゑん)六十銭(ろくじつせん)払(はら)ひ、073丹波(たんば)へ帰(かへ)らうとして宿(やど)の門口(かどぐち)を立(た)つて出(で)た。074知(し)らぬ間(ま)に臀部(でんぶ)の大(おほ)きな腫物(はれもの)は嘘(うそ)をついた様(やう)に治(なほ)つて居(ゐ)た。075それきり壮士(さうし)俳優(はいいう)になつて見度(みた)いと云(い)ふ心(こころ)は、076スツカリ消(き)え失(う)せ、077一心(いつしん)不乱(ふらん)に神界(しんかい)の御用(ごよう)に尽(つく)すと云(い)ふ心(こころ)になつたのである。
078 同(おな)じ穴太(あなを)の斎藤(さいとう)某(ぼう)と云(い)ふ紋屋(もんや)の息子(むすこ)が、079肺病(はいびやう)で苦(くる)しみ医薬(いやく)の効(かう)もなく困(こま)つて居(を)るから、080其処(そこ)へ助(たす)けに行(い)つたら如何(どう)だ……と おいよと云(い)ふ婆(ばあ)サンが出(で)て来(き)て、081頻(しき)りに勧(すす)めるので、082喜楽(きらく)も、
083『彼処(あそこ)の息子(むすこ)の計(けい)サンの病(やまひ)を癒(なほ)してやつたら、084チツと村(むら)の者(もの)も気(き)がつくだらう。085信仰(しんかう)をするだらう』
086と思(おも)ふたので、087朝(あさ)早(はや)くから其(その)家(うち)に羽織(はおり)袴(はかま)で訪問(はうもん)して、
088喜楽(きらく)『計(けい)サンの病気(びやうき)平癒(へいゆ)をさしてやりませうか』
089と掛合(かけあ)ふて見(み)た。090此処(ここ)の奥(おく)サンはお悦(えつ)と云(い)ひ、091随分(ずゐぶん)口(くち)の八釜(やかま)しい女(をんな)で、092村(むら)の人(ひと)から雲雀(ひばり)のお悦(えつ)サンと仇名(あだな)をとつて居(ゐ)た。093お悦(えつ)サンは喜楽(きらく)の姿(すがた)を見(み)て目(め)を円(まる)うし、
094お悦(えつ)『これこれ、095飯綱使(いづなつか)ひの喜三(きさ)ヤン、096何(なん)ぞ用(よう)かい、097大方(おほかた)お前(まへ)は、098家(うち)の計(けい)の病気(びやうき)を拝(をが)んでやらうと云(い)つて来(き)たのだらう。099アヽいや いや いや、100神(かみ)さまのかの字(じ)を聞(き)いても腹(はら)が立(た)つ、101家(うち)の親類(しんるゐ)は天理(てんり)サンに呆(ほう)けて家(いへ)も倉(くら)もサツパリとられて了(しま)つた。102近(ちか)はんは稲荷下(いなりさ)げに呆(ほう)けて相場(さうば)して、103家(いへ)も屋敷(やしき)も田地(でんち)迄(まで)売(う)つて了(しま)つた。104此(この)時節(じせつ)に神々(かみかみ)吐(ぬか)す奴(やつ)に碌(ろく)な者(もの)はない。105お前(まへ)サンも人(ひと)の処(とこ)を一杯(いつぱい)かけようと思(おも)ふて来(き)たのんだらう。106サア何卒(どうぞ)帰(かへ)つて下(くだ)さい。107然(しか)し喜楽(きらく)サン、108俺(わし)が斯(こ)う云(い)ふとお前(まへ)は腹(はら)を立(た)てて、109あたんに飯綱(いひづな)をつけて帰(かへ)るかも知(し)れぬが、110憑(つ)けるなら憑(つ)けなされ。111俺(わし)ん所(ところ)は黒住(くろずみ)さまを祀(まつ)つてあるから、112飯綱(いひづな)位(くらゐ)に仇(あだ)はしられませぬから大丈夫(だいぢやうぶ)ぢや。113黒住(くろずみ)さまは天照皇(てんせうくわう)大神宮(だいじんぐう)さまぢや、114天狗(てんぐ)サンや四足(よつあし)とはてんからお顔(かほ)の段(だん)が違(ちが)ひますぞえ。115サア早(はや)う去(い)んで下(くだ)され。116其処(そこ)等(ら)がウサウサして来(き)た。117又(また)計(けい)の病気(びやうき)が重(おも)うなると困(こま)るから……サア去(い)んでと云(い)ふたら去(い)んでおくれ。118エー尻太(しぶと)い人(ひと)ぢやなア、119蛙切(かわづき)りの子(こ)は蛙切(かわづき)りさへして居(を)れば宜(よ)いのに、120どてらい山子(やまこ)を起(おこ)して金(かね)も無(な)い癖(くせ)に、121人(ひと)の金(かね)で乳屋(ちちや)をしたり、122其(その)乳屋(ちちや)が又(また)面白(おもしろ)くない様(やう)になつたので、123そろそろ商売替(しやうばいが)へをして飯綱使(いひづなづか)ひをするなんて、124お前(まへ)にも似合(にあ)はぬ事(こと)をするぢやないか。125昨日(きのふ)も次郎松(じろまつ)サンが出(で)て来(き)て何(なに)も彼(か)も云(い)ふてをりましたぞえ。126薩張(さつぱ)り化(ば)けの皮(かは)が剥(む)けて居(を)るぢやないか。127亀岡(かめをか)の紙屑屋(かみくづや)へは如何(どう)でしたな』
128と口(くち)を極(きは)めて罵詈(ばり)嘲弄(てうろう)する。129喜楽(きらく)はむかついて堪(たま)らぬけれど、
130『此処(ここ)が一(ひと)つ辛抱(しんばう)だ。131こんな八釜(やかま)しい女(をんな)の誤解(ごかい)をといておかねば将来(しやうらい)の為(た)め面白(おもしろ)くない』
132と思(おも)ふたので、133色々(いろいろ)雑多(ざつた)と神(かみ)様(さま)の道(みち)を説(と)いて聞(き)かせたが、134てんで耳(みみ)をふさいで聞(き)かうとせぬ。135お悦(えつ)サンは半泣声(はんなきごゑ)を出(だ)して、
136お悦(えつ)『エーエー煩(うる)さい。137何程(なにほど)落語家(はなしか)の喜楽(きらく)サンが甘(うま)い事(こと)云(い)つても、138論(ろん)より証拠(しようこ)、139現在(げんざい)身内(みうち)の次郎松(じろまつ)サンが証拠人(しようこにん)だから……エー穢(けがら)はしい、140早(はや)く去(い)んで下(くだ)さい。141これお留(とめ)、142塩(しほ)もつておいで……』
143と下女(げぢよ)の名(な)迄(まで)呼(よ)びたてて人(ひと)を塩(しほ)でもかけてぶつ帰(かへ)さうとして居(ゐ)る。144仕方(しかた)が無(な)いのでトボトボと吾(わが)家(や)を指(さ)して帰(かへ)つて来(き)た。
145 小幡橋(をばたばし)の袂(たもと)まで帰(かへ)つて来(く)ると、146次郎松(じろまつ)サンが真青(まつさを)な顔(かほ)して出(で)て来(く)るのに出会(であ)つた。147次郎松(じろまつ)はついにない優(やさ)しい顔(かほ)をして、
148次郎松『もしもし上田(うへだ)先生(せんせい)、149一寸(ちよつと)頼(たの)まれて下(くだ)され。150二三(にさん)日前(にちまへ)から家(うち)の阿栗(おぐ)(一人娘(ひとりむすめ)の名(な))に狐(きつね)が憑(つ)いて囈言(うさごと)を云(い)ふたり、151雪隠(せつちん)へ行(い)つて尻(しり)から出(で)るものを手(て)に掬(すく)ひ、152コロコロ団子(だんご)を拵(こしら)へて仏壇(ぶつだん)に供(そな)へたり、153妙(めう)な手付(てつき)で躍(をど)つたり、154跳(は)ねたりした挙句(あげく)は、155布団(ふとん)をグツスリ被(かぶ)つて寝通(ねとほ)しぢや。156モウこれからお前(まへ)には敵対(てきた)はぬから何卒(どうぞ)堪忍(かんにん)して呉(く)れ。157あんまり俺(おれ)が反対(はんたい)するのでお前(まへ)が怒(おこ)つて、158それ……あの……何々(なになに)を憑(つ)けたのぢやらう。159もうこれから屹度(きつと)お前(まへ)の云(い)ふ通(とほ)りにするから、160何々(なになに)を連(つ)れて行(い)つて下(くだ)され。161ナア喜楽(きらく)先生(せんせい)、162何卒(どうぞ)頼(たの)みますわ』
163と橋(はし)の上(うへ)で大(おほ)きな声(こゑ)で云(い)ふ。164人(ひと)に聞(きこ)えては態(ざま)が悪(わる)いと思(おも)ふては、165キヨロキヨロ其処(そこ)等(ら)を見廻(みまは)して居(を)ると、166松(まつ)サンは頓着(とんちやく)なしに娘(むすめ)の病気(びやうき)の事(こと)を喋(しやべ)り立(た)てる。167仕方(しかた)が無(な)いので喜楽(きらく)は、
168喜楽(きらく)『兎(と)も角(かく)行(い)つて見(み)ませう』
169と先(さき)に立(た)つて次郎松(じろまつ)の家(うち)へ行(い)つた。170おこの婆(ばあ)サンは喜楽(きらく)の顔(かほ)を見(み)て、171いきなり、
172おこの『これ喜楽(きらく)サン、173お腹(はら)が立(た)つたぢやらうが何卒(どうぞ)怺(こら)へてお呉(く)れ。174昨夜(ゆうべ)から阿栗(おぐ)が喜楽(きらく)サン喜楽(きらく)サンと八釜(やかま)しう云(い)ふて仕様(しやう)がない。175あまり宅(うち)の松(まつ)が神(かみ)さまの悪口(わるくち)を云(い)ふもんだから、176お前(まへ)が怒(おこ)つて一寸(ちよつと)……したのだらう。177何(なん)と云(い)ふても隠居(いんきよ)母家(おもや)の間柄(あひだがら)、178宅(うち)の難儀(なんぎ)はお前(まへ)の処(ところ)の難儀(なんぎ)だ、179又(また)お前(まへ)の処(ところ)の難儀(なんぎ)は矢張(やつぱり)俺(おれ)の宅(うち)の難儀(なんぎ)だ。180悪(わる)い事(こと)せずに、181早(はや)う飯綱(いひづな)を連(つ)れて去(い)んでくれ。182年寄(としより)の頼(たの)みぢやから……たつた一人(ひとり)の孫(まご)があんな態(ざま)になつてるのを見(み)て居(を)る俺(わし)の心(こころ)はいぢらしいわいなア、183アンアンアン』
184と泣(な)き出(だ)す。185喜楽(きらく)はムツとして、
186喜楽(きらく)『これ、187おこのサン、188そんな無茶(むちや)な事(こと)云(い)ひなさんな、189殺生(せつしやう)ぢやないか。190誰(たれ)がそんな物(もの)を使(つか)ふものか、191自分(じぶん)の宅(うち)に置(お)いた奉公人(ほうこうにん)でさへも仲々(なかなか)言(い)ふ事(こと)を聞(き)かぬぢやないか。192仮令(たとへ)そんな狐(きつね)があるにした処(ところ)で人間(にんげん)の云(い)ふ事(こと)を聞(き)きさうな筈(はず)がない。193あんまり見違(みちが)ひをしておくれな、194わしは腹(はら)が立(た)つ。195村中(むらぢう)の者(もの)に飯綱使(いひづなづか)ひぢやと悪(わる)く云(い)はれるのも、196皆(みな)松(まつ)サンが仕様(しやう)もない事(こと)を触(ふ)れて歩(ある)くから俺(おれ)が迷惑(めいわく)をしてるのぢや。197結構(けつこう)な神(かみ)さまの名(な)まで悪(わる)くして堪(たま)らぬぢやないか』
198おこの『その腹立(はらだ)ちは尤(もつと)もぢやが、199外(ほか)ぢやないから何卒(どうぞ)機嫌(きげん)を直(なほ)して阿栗(おぐ)の病気(びやうき)を助(たす)けてやつてくれ。200これ松(まつ)、201お前(まへ)もチツと喜楽(きらく)サンに頼(たの)まぬかいな』
202 奥(おく)の間(ま)で阿栗(おぐ)と云(い)ふ娘(むすめ)は、203ケラケラケラと他愛(たわ)いもなく狐(きつね)が憑(つ)いて笑(わら)ふて居(ゐ)る。204助(たす)けてやつても悪(わる)く云(い)はれる、205助(たす)けてやらねば尚(なほ)悪(わる)く云(い)はれる、206こんな男(をとこ)にかかつたら如何(どう)する事(こと)も出来(でき)ぬ。207エー仕方(しかた)がないと病人(びやうにん)の前(まへ)へ端坐(たんざ)して天津(あまつ)祝詞(のりと)を奏上(そうじやう)し、208神言(かみごと)を静(しづか)に唱(とな)へて一(ひと)二(ふた)三(み)四(よ)……と天(あま)の数歌(かずうた)を四五回(しごくわい)繰返(くりかへ)した。209病人(びやうにん)はムクムクムクと立(た)ち上(あ)がり、210矢庭(やには)に跣足(はだし)のまま庭(には)に下(お)り、211門口(かどぐち)の戸(と)に頭(あたま)を打(う)つて『キヤツ』と云(い)つたまま仰向(あふむ)けに倒(たふ)れた。212此(この)時(とき)高畑(たかはた)の狐(きつね)が退(の)いたのである。213それから娘(むすめ)の病気(びやうき)はスツカリ癒(なほ)つて了(しま)つた。214松(まつ)サンは口(くち)を尖(とが)らして、
215次郎松(じろまつ)『これ、216喜楽(きらく)サン、217お前(まへ)は何(なん)と云(い)ふ悪戯(いたづら)をする男(をとこ)だ。218人(ひと)の処(とこ)の娘(むすめ)へ狐(きつね)を憑(つ)けて長(なが)い事(こと)苦(くる)しめ、219知(し)らぬかと思(おも)ふて居(を)つたが、220宅(うち)の母者人(ははじやひと)[※「母者人」とは母親を親しみを込めていう言葉。]や、221此(この)松(まつ)サンの黒(くろ)い目(め)でサツパリ看破(みやぶ)られ、222しやう事(こと)なしに憑(つ)けた狐(きつね)をおひ出(だ)したのだらう。223今度(こんど)はこれで怺(こら)へてやるが、224一人娘(ひとりむすめ)を又(また)こんな目(め)に遭(あ)はすと警察(けいさつ)へつき出(だ)して了(しま)ふぞ。225サア飯綱使(いひづなづか)ひ、226早(はや)う去(い)ね、227何程(なんぼ)仇(あたん)をしようと思(おも)ふても、228宅(うち)には金比羅(こんぴら)さまのお札(ふだ)が此(この)通(とほ)り沢山(たくさん)にあるから、229これから金比羅(こんぴら)さまを祈(いの)つてお前(まへ)の魔術(まじゆつ)が利(き)かぬ様(やう)にしてやる。230お前(まへ)も、231もういい加減(かげん)に改心(かいしん)をして元(もと)の乳屋(ちちや)になり、232年寄(としより)やお米(よね)はんに安心(あんしん)をさしたら如何(どう)ぢや。233お前(まへ)処(とこ)が難儀(なんぎ)をすると矢張(やつぱり)黙(だま)つて見捨(みす)てておく訳(わけ)には行(ゆ)かぬから、234親切(しんせつ)に気(き)をつけるのだから悪(わる)う思(おも)ふ事(こと)はならぬぞ』
235と娘(むすめ)を助(たす)けて貰(もら)うてお礼(れい)を云(い)ふ処(どころ)か、236アベコベに不足(ふそく)のタラダラを並(なら)べ罵詈(ばり)を逞(たくま)しうし、237お為(た)めごかしの御(ご)意見(いけん)を諄々(じゆんじゆん)と聞(き)かして呉(く)れた。238松(まつ)サンは其(その)翌日(あくるひ)から益々(ますます)猛烈(まうれつ)に反対(はんたい)をしだし、
239次郎松(じろまつ)『宅(うち)の娘(むすめ)に喜楽(きらく)がド狐(ぎつね)を憑(つ)けて苦(くる)しめよつた。240到頭(たうとう)化(ば)けが現(あら)はれて俺(おれ)に責(せ)め付(つ)けられ、241仕様事(しやうこと)なしに骨折(ほねお)つて憑(つ)けた狐(きつね)をおひ出(だ)して連(つ)れて去(い)によつた。242俺(おれ)は親類(しんるゐ)で居(を)つて云(い)ふのだから嘘(うそ)ぢやない。243みな用心(ようじん)しなされや』
244と其処等(そこら)中(ぢう)を触(ふ)れ歩(ある)いた。245喜楽(きらく)こそ宜(よ)い面(つら)の皮(かは)である。
246(大正一一・一〇・一〇 旧八・二〇 北村隆光録)
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