霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~
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第二三章 海老坂(ゑびさか)〔一〇三五〕

インフォメーション
著者:出口王仁三郎 巻:霊界物語 第37巻 舎身活躍 子の巻 篇:第4篇 山青水清 よみ(新仮名遣い):やまあおくみずきよし
章:第23章 海老坂 よみ(新仮名遣い):えびさか 通し章番号:1035
口述日:1922(大正11)年10月12日(旧08月22日) 口述場所: 筆録者:松村真澄 校正日: 校正場所: 初版発行日:1924(大正13)年3月3日
概要: 舞台: あらすじ[?]このあらすじはMさん作成です(一部加筆訂正してあります)。一覧表が「王仁DB」にあります。[×閉じる]:
小林貞蔵氏の宅で四五日ばかり滞在し、村中の老若男女が信者になった。信者たちからお礼をいただき、北桑田へ渡ろうと海老坂峠にさしかかった。そこで日暮れになり、坂道の途中にある古寺の地蔵堂で横になり、眠りについてしまった。
夜中に坊主に怒鳴りつけられ、出て行くようにと言われたが、神も仏も元は一株だからと一夜の宿を乞うと、坊主はなかなかものの分かったことを言うと感心し、庫裏に招いてくれた。
話してみると奇遇にも、この坊主は喜楽の伯父の兄の子で、子供のころに四五回遊んだこともある人見与三郎という男であることが判明した。
与三郎と喜楽はすっかり打ち解けて、ここに四五日逗留したのち、再開を約して出立した。安懸という田舎の村では、井戸堀人足たちが生き埋めになる事故に遭遇し、とっさに神勅によって指示を出して人足たちを救うという経験もした。
この村は船岡の妙霊教会の信者が多くいたが、そこは喜楽の伯父が教導職であったため、そこでの布教はせずに園部へ帰ってきた。それ以降、この村の人々は妙霊教会への参拝の途次に、園部に立ち寄ってくれる者がたくさんあった。また、小林貞蔵氏も信者を連れて園部に来ていた。
人見与三郎は大正六年ごろ大本に来ていたが、その後再び乞われて元の地蔵堂に帰ってしまった。
明治三十二年ごろ、船井郡紀伊の庄村木崎の森田民という婆さんに稲荷が乗り移ってたくさん参拝者があるというので、信者に紛れて調べにいったことがある。
婆さんは狐の焼き物に向かって神占をなし、信者たちに判じ物の答えを与えていた。婆さんは喜楽が霊学の先生だと見破り、狐の神様が先生に頼んで教導職を授けてもらうように言っている、と告げた。
聞けば、もともと百姓をしていたときに無実の罪で狐の親子三匹を殺し、狐の霊に悩まされるようになった。そこで狐の霊に談判をし、神様に祀るから赦してくれと頼んだところ、世間の仕事を辞めて人助けをするなら赦してやる、という条件で今のような境遇になったのだという。
喜楽は婆さんに自分のことを判じてくれと頼んだ。すると婆さんの狐の神様が言うことには、今、園部で信者たちが先生としてかつごうとしているが、喜楽が納まるべきところはここから七里ほど西北であり、一月後に迎えがくる、また嫁もちゃんと決まっている、とのことであった。
園部に帰ってみると、田植えが終わったころに再度迎えに行く、という四方氏の手紙がきていたのである。
主な登場人物[?]【セ】はセリフが有る人物、【場】はセリフは無いがその場に居る人物、【名】は名前だけ出て来る人物です。[×閉じる]: 備考: タグ: データ凡例: データ最終更新日:2022-10-27 16:53:24 文字数:5575 OBC :rm3723
愛善世界社版:275頁 八幡書店版:第7輯 134頁 修補版: 校定版:286頁 普及版:138頁 初版: ページ備考:
001 小林(こばやし)貞蔵(ていざう)氏(し)の宅(たく)で四五(しご)日(にち)計(ばか)り滞在(たいざい)してゐる間(あひだ)に、002村中(むらぢう)の老若(らうにやく)男女(なんによ)が集(あつ)まり、003鎮魂(ちんこん)を受(う)けたり、004神懸(かむがかり)の修行(しうぎやう)をしたりして、005神徳(しんとく)の広大(くわうだい)なるに感謝(かんしや)し、006全部(ぜんぶ)信者(しんじや)となつて了(しま)つた。007小林(こばやし)氏(し)はせめて一月(ひとつき)計(ばか)り自分(じぶん)の宅(たく)に居(を)つて貰(もら)ひ度(た)いと頼(たの)むのも聞(き)かずに此(この)家(や)を立出(たちい)で、008信者(しんじや)から二三(にさん)円(ゑん)計(ばか)りの礼(れい)を貰(もら)ひ、009それを以(もつ)て北桑田(きたくはだ)へ渡(わた)らむと、010日(ひ)の暮(くれ)前(まへ)から神(かみ)の命(めい)のまにまに海老坂(えびさか)峠(たうげ)まで差(さし)かかつた。011日(ひ)はズツポリと暮(く)れ、012其(その)上(うへ)に坂路(さかみち)のこととて、013最早(もはや)一歩(いつぽ)も進(すす)む事(こと)が出来(でき)なくなつた。014此(この)坂路(さかみち)の中途(ちうと)に古寺(ふるでら)が建(た)つてゐる。015そして古(ふる)い堂(だう)に地蔵(ぢざう)が祀(まつ)つてあつた。016止(や)むを得(え)ず喜楽(きらく)は此(この)堂(だう)へ這入(はい)つて一夜(いちや)を明(あ)かさうと、017仏壇(ぶつだん)の前(まへ)でゴロリと横(よこ)たはり其(その)儘(まま)眠(ねむり)に就(つ)いた。
018 夜中(よなか)時分(じぶん)に妙(めう)な物音(ものおと)がしたので、019フト目(め)を醒(さ)まして見(み)れば、020黒(くろ)い提灯(ちやうちん)をさげた大坊主(おほばうず)が堂(だう)の入口(いりぐち)に立(た)ち、021大(おほ)きな声(こゑ)で心経(しんきやう)を唱(とな)へてゐる。022喜楽(きらく)は驚(おどろ)いて起上(おきあが)ると、023坊主(ばうず)は大(おほ)きな声(こゑ)で、
024坊主(ばうず)『断(ことわ)りもなく此(この)堂(だう)に寝(ね)てゐる奴(やつ)は何者(なにもの)だ。025怪(け)しからぬ、026サア早(はや)く出(で)て行(い)け!』
027と呶鳴(どな)りつける。028喜楽(きらく)は起(おき)あがり、029一寸(ちよつと)頭(あたま)を下(さ)げて、
030喜楽(きらく)『お和尚(せう)サン、031誠(まこと)に済(す)まぬ事(こと)を致(いた)しましたが、032私(わたし)は霊学(れいがく)の修行者(しうぎやうしや)で、033神道(しんだう)を開(ひら)きに歩(ある)いて居(を)る者(もの)で御座(ござ)りますが、034思(おも)ひの外(ほか)道(みち)が遠(とほ)かつたので、035途中(とちう)に日(ひ)が暮(く)れ、036一寸(ちよつと)失礼(しつれい)さして貰(もら)ひました。037どうぞ今晩(こんばん)丈(だけ)此処(ここ)で泊(と)めて下(くだ)さいな』
038坊主(ばうず)『神道(しんだう)の行者(ぎやうじや)が仏(ぶつ)の堂(だう)で泊(と)まるといふ事(こと)があるものか。039お前(まへ)サンはイカサマ神道家(しんだうか)だ。040売僧(マイス)坊主(ばうず)だなア』
041と自分(じぶん)の坊主(ばうず)たる事(こと)を忘(わす)れて、042声(こゑ)に角(かど)を立(た)てて呶鳴(どな)つてゐる。
043喜楽(きらく)『神(かみ)さまも仏(ほとけ)さまも元(もと)は一株(ひとかぶ)だから、044そんな区別(くべつ)を立(た)てずに今晩(こんばん)丈(だけ)泊(と)めて下(くだ)さい』
045坊主(ばうず)『ウンさうか、046神(かみ)も仏(ほとけ)も一株(ひとかぶ)だといふのか。047中々(なかなか)お前(まへ)は能(よ)う分(わか)つたことを言(い)ふ。048そんなら今晩(こんばん)は泊(と)まつて下(くだ)さい。049併(しか)しここでは仕方(しかた)がないから庫裏(くり)の方(はう)へ来(き)て下(くだ)さい。050何(なん)だか地蔵堂(ぢざうだう)が気(き)に掛(かか)つて寝(ね)られぬので、051一寸(ちよつと)見(み)に来(き)たのだ。052お茶(ちや)なつと進(しん)ぜよう』
053と打(う)つて変(かは)つた砕(くだ)け方(かた)に喜楽(きらく)はヤツと胸(むね)をなで卸(おろ)し、054大坊主(おほばうず)に導(みちび)かれて、055庫裏(くり)の方(はう)へついて行(い)つた。
056 此(この)寺(てら)は此(この)坊主(ばうず)一人(ひとり)より外(ほか)に誰(たれ)も人(ひと)らしい者(もの)は住(す)んで居(ゐ)なかつた。057ソロソロと身(み)の上(うへ)話(ばなし)を互(たがひ)に始(はじ)めて見(み)ると、058不思議(ふしぎ)にも此(この)坊主(ばうず)は喜楽(きらく)の伯母(をば)の嫁入(よめい)つて居(ゐ)た、059南桑田(みなみくはた)郡(ぐん)千代川(ちよかは)村(むら)字(あざ)今津(いまづ)の人見(ひとみ)弥吉(やきち)といふ伯父(をぢ)の兄(あに)の子(こ)であつた。060子供(こども)の時(とき)には四五回(しごくわい)も遊(あそ)んだことのある人見(ひとみ)与三郎(よさぶろう)といふ男(をとこ)で、061放蕩(はうたう)の結果(けつくわ)親(おや)の財産(ざいさん)を残(のこ)らずなくして了(しま)ひ、062それから園部(そのべ)監獄(かんごく)の看守(かんしゆ)となり、063巡査(じゆんさ)も勤(つと)め、064これも又(また)酒(さけ)の為(ため)に免職(めんしよく)さされ、065それから易者(えきしや)を習(なら)ひ、066真言(しんごん)秘密(ひみつ)の法(はふ)を覚(おぼ)え、067無住(むぢう)の寺(てら)を幸(さいは)ひ、068留守(るす)坊主(ばうず)に雇(やと)はれてゐた事(こと)が分(わか)つた。069此(この)奇遇(きぐう)に両人(りやうにん)は打(うち)とけて、070いろいろの事(こと)を語(かた)り合(あ)ひ、071ここに四五(しご)日(にち)逗留(とうりう)して、072人見(ひとみ)に鎮魂(ちんこん)帰神(きしん)の霊術(れいじゆつ)を教(をし)へてやり、073後日(ごじつ)の再会(さいくわい)を約(やく)して海老坂(えびさか)峠(たうげ)を北(きた)へ渡(わた)り、074安懸(あかげ)といふ田舎(いなか)の村(むら)迄(まで)辿(たど)り着(つ)いた。
075 さうすると俄(にはか)に警鐘(けいしよう)が響(ひび)く、076太鼓(たいこ)が鳴(な)つて来(く)る。077村人(むらびと)は『野添(のぞへ)に火事(くわじ)がある!』と云(い)つて、078一生(いつしやう)懸命(けんめい)に鳶口(とびぐち)や竜頭水(りうとうすゐ)、079水桶(みづをけ)などを持(も)つて駆出(かけだ)す。080喜楽(きらく)も村人(むらびと)の後(あと)から走(はし)つて野添(のぞへ)といふ小村(こむら)まで従(つ)いて往(い)つた。081併(しか)し乍(なが)ら何処(どこ)にも煙(けぶり)は立(た)つてゐず、082火事(くわじ)らしきものも無(な)かつた。083されど野添(のぞへ)の寺(てら)の鐘(かね)や太鼓(たいこ)が頻(しき)りに鳴(な)つてゐる。084向(むか)うから走(はし)つて来(き)た人(ひと)の話(はなし)によると、085深(ふか)い井戸(ゐど)を掘(ほ)つてゐた所(ところ)、086俄(にはか)にウラが来(き)て、087井戸掘(ゐどほり)人足(にんそく)が埋(う)まつて了(しま)つたから、088掘(ほ)り出(だ)す為(ため)に、089近在(きんざい)の人(ひと)を集(あつ)める為(ため)の警鐘(けいしよう)太鼓(たいこ)であつた事(こと)が分(わか)つた。
090 行(い)つて見(み)れば百(ひやく)人(にん)計(ばか)りの人(ひと)が井戸(ゐど)の端(はた)へ寄(よ)つて、091鶴嘴(つるばし)や鍬(くわ)で井戸(ゐど)から四五間(しごけん)わきの方(はう)から掘(ほ)りかけてゐる。092グヅグヅしてゐると、093埋(うま)つた土砂(どしや)と水(みづ)の為(ため)に息(いき)が切(き)れて了(しま)ふ虞(おそれ)がある。094喜楽(きらく)は忽(たちま)ち大地(だいち)に瞑目(めいもく)静坐(せいざ)して神勅(しんちよく)を受(う)けた。095さうすると腹(はら)の中(なか)から、
096『小松林(こまつばやし)だ』
097といふ声(こゑ)が出(で)て来(き)て、
098『種油(たねあぶら)を五六升(ごろくしよう)、099井戸(ゐど)の中(なか)へまくか、100油(あぶら)がなければ酢(す)を一斗(いつと)計(ばか)り撒(ま)け』
101といふ神勅(しんちよく)が下(くだ)る。102そこで其(その)由(よし)を村人(むらびと)に告(つ)げてやると、103忽(たちま)ち酢屋(すや)から五升樽(ごしやうだる)を二(ふた)つ計(ばか)り持(も)つて来(き)て、104井戸(ゐど)の中(なか)へダブダブと投込(なげこ)んだ。105そして大勢(おほぜい)がよつて集(たか)つて二(に)時間(じかん)計(ばか)りかかつて、106埋(うも)つた人足(にんそく)を引上(ひきあ)げて見(み)た。107幸(さいは)ひに息(いき)は絶(た)えて居(ゐ)なかつた。108其(その)男(をとこ)は口中(くちなか)某(ぼう)といふ男(をとこ)であつた。109其(その)男(をとこ)の話(はなし)によると、
110口中(くちなか)『俄(にはか)にウラが来(き)て土砂(どしや)に埋(う)められた時(とき)、111幸(さいは)ひ横(よこ)の方(はう)から出(で)てゐた大(おほ)きな石(いし)の下(した)に体(からだ)をのがれ、112腰(こし)から下(した)は水(みづ)にひたり、113体中(からだぢう)土砂(どしや)につめられたけれ共(ども)、114突出(つきで)た石(いし)のおかげで首(くび)丈(だけ)は自由(じいう)に動(うご)く事(こと)が出来(でき)た。115追々(おひおひ)息(いき)は苦(くる)しくなつて、116最早(もはや)生命(いのち)が終(をは)るかと思(おも)つて居(ゐ)ると、117俄(にはか)に酢(す)の匂(にほ)ひがして来(き)て、118息(いき)が楽(らく)になりました。119其(その)時(とき)にどこともなしに小松林(こまつばやし)が……今(いま)お前(まへ)の生命(いのち)を助(たす)けてやらう……といふ声(こゑ)が聞(きこ)えました』
120と嬉(うれ)し泣(な)きし乍(なが)ら物語(ものがた)つてゐる。121大勢(おほぜい)の人々(ひとびと)は喜楽(きらく)に向(むか)つて、122非常(ひじやう)に感謝(かんしや)をし、123二三(にさん)日(にち)逗留(とうりう)してくれといふので、124口中(くちなか)の家(いへ)に泊(とま)つて、125霊学(れいがく)の話(はなし)をしてゐた。126併(しか)し此(この)村(むら)は大部分(だいぶぶん)船岡(ふなをか)の妙霊(めうれい)教会所(けうくわいじよ)の信者(しんじや)であつた。127そして其(その)教会(けうくわい)の会長(くわいちやう)といふのが、128喜楽(きらく)の伯父(をぢ)に当(あた)る佐野(さの)清六(せいろく)といふ教導職(けうだうしよく)であつた為(ため)、129宗教(しうけう)上(じやう)の関係(くわんけい)から村人(むらびと)の止(と)めるのも聞(き)かず、130園部(そのべ)の会合所(くわいがふしよ)へ帰(かへ)つて来(き)た。
131 それより此(この)附近(ふきん)の人々(ひとびと)は船岡(ふなをか)の妙霊(めうれい)教会(けうくわい)へ参拝(さんぱい)の途次(とじ)、132黒田(くろだ)の会合所(くわいがふしよ)へ参拝(さんぱい)して帰(かへ)る者(もの)も沢山(たくさん)にあつた。133又(また)小林(こばやし)貞蔵(ていざう)氏(し)も沢山(たくさん)な信者(しんじや)を伴(つ)れて、134黒田(くろだ)の会合所(くわいがふしよ)へ幾度(いくど)となく参(まゐ)つて来(き)た。
135 因(ちなみ)に海老坂(えびさか)の地蔵堂(ぢざうだう)の留守(るす)坊主(ばうず)であつた人見(ひとみ)与三郎(よさぶろう)は、136何(なん)とかいふ法名(はふめう)を持(も)つてゐたが忘(わす)れて了(しま)つた。137大正(たいしやう)六(ろく)年(ねん)頃(ごろ)大本(おほもと)へやつて来(き)て、138門掃(かどは)きや其(その)他(た)種々(いろいろ)の事(こと)を手伝(てつだ)ふてゐたが、139再(ふたた)び村人(むらびと)の請(こ)ひに依(よ)つて、140元(もと)の地蔵堂(ぢざうだう)へ帰(かへ)つて了(しま)つた。
141 船井郡(ふなゐぐん)紀井(きゐ)の庄村(しやうむら)木崎(きざき)の、142森田(もりた)民(たみ)といふ五十余(ごじふあま)りの婆(ば)アサンに稲荷(いなり)サンがのり憑(うつ)り、143沢山(たくさん)な信者(しんじや)が参拝(さんぱい)するのを聞(き)き、144明治(めいぢ)三十二(さんじふに)年(ねん)の五(ご)月(ぐわつ)の末(すゑ)、145喜楽(きらく)は羽織(はおり)袴(はかま)をつけず、146普通(ふつう)の百姓(ひやくしやう)のやうな風(ふう)をして、147一(いつ)ペンどんな神懸(かむがかり)[※初版・愛世版では「神懸」、校定版では「神憑」。]だか調(しら)べて見(み)ようと思(おも)ひ、148信者(しんじや)に紛(まぎ)れて行(い)つて見(み)た。
149 産土(うぶすな)の大宮(おほみや)神社(じんじや)の一町(いつちやう)計(ばか)り上(うへ)の方(はう)にクヅ屋葺(やぶき)の小(ちひ)さい家(いへ)があつて、150其(その)横(よこ)に六畳敷(ろくでふじき)計(ばか)りの新(あたら)しい紅殻染(べにがらぞめ)の家(いへ)が立(た)つてゐた。151其(その)前(まへ)に小(ちひ)さい祠(ほこら)が赤(あか)く塗(ぬ)つて建(た)ててある。152そして焼物(やきもの)の狐(きつね)が四(よつ)つ計(ばか)り祀(まつ)つてあり、153小(ちひ)さき鈴(すず)をつつて、154赤(あか)や白(しろ)や黄色(きいろ)の鐘(かね)の緒(を)が一(いつ)尺(しやく)五寸(ごすん)計(ばか)り垂(た)れ下(さ)がり、155それに何(なん)歳(さい)の男(をとこ)とか女(をんな)とか書(か)いて五筋(いつすぢ)六筋(むすぢ)づつ下(さ)がつてゐる。156数十(すうじふ)人(にん)の老若(らうにやく)男女(なんによ)の参詣者(さんけいしや)を背後(うしろ)にして、157其(その)婆(ば)アサンは祠(ほこら)の前(まへ)にしやがみ、158鈴(すず)をからからとふつては、
159婆(ばば)『あゝ左様(さやう)か、160へー、161さ様(やう)ですか、162オホヽヽヽヽ』
163などと独(ひと)り言(ごと)をいうてゐるかと思(おも)へば、164又(また)、
165『只今(ただいま)何村(なにむら)の何某(なにぼう)といふ何(なん)才(さい)の男(をとこ)が、166病気(びやうき)で困(こま)つて居(を)りますが、167これは如何(どう)したら直(なほ)りますか?』
168と云(い)つては手(て)を拍(う)ち、
169『あゝ左様(さやう)か、170分(わか)りました』
171と云(い)ひ、172又(また)次(つぎ)の伺(うかが)ひをしては、
173『あゝ左様(さやう)か、174そんなら大(おほ)バコを煎(せん)じて呑(の)ませばよいのですな。175ヘー黒豆(くろまめ)と柳(やなぎ)の葉(は)とまぜてどすか、176ハイそない言(い)うてやります』
177と云(い)うてる。178一(ひと)わたり伺(うかが)ひがすむと、179記憶(きおく)のよい婆(ば)アサンと見(み)えて、180一々(いちいち)病気(びやうき)の様子(やうす)から薬(くすり)のさしづをやつてゐる。181不思議(ふしぎ)なことには、182此(この)婆(ば)アサンの指図(さしづ)に依(よ)つて大体(だいたい)の病気(びやうき)は治(なほ)つたといふことである。183そこで一(ひと)つ可笑(おか)しい事(こと)は、184一人(ひとり)の婆(ば)アサンが心配(しんぱい)相(さう)な顔(かほ)して伺(うかが)つて居(ゐ)た。185其(その)次第(しだい)は、
186女(をんな)『何遍(なんべん)嫁(よめ)を貰(もら)うてもすぐに帰(かへ)つて了(しま)ふので、187両親(りやうしん)も心配(しんぱい)を致(いた)して居(を)りますが、188嫁(よめ)が育(そだ)たぬのは何(なん)ぞ先祖(せんぞ)の祟(たた)りでもあるのか、189但(ただし)は家相(かさう)でも悪(わる)いのですか、190一遍(いつぺん)伺(うかが)うて下(くだ)さい』
191といふ。192沢山(たくさん)の信者(しんじや)は一人(ひとり)も残(のこ)らず帰(かへ)つて了(しま)つた後(あと)には、193お民(たみ)といふ婆(ば)アサンと、194今(いま)尋(たづ)ねてゐる五十(ごじふ)計(ばか)りの女(をんな)と喜楽(きらく)と三(さん)人(にん)であつた。
195 お民(たみ)は早速(さつそく)例(れい)の祠(ほこら)の前(まへ)で伺(うかが)ひを立(た)て、
196お民(たみ)『義経(よしつね)大明神(だいみやうじん)さま、197桂(かつら)大明神(だいみやうじん)さま、198玉房(たまふさ)大明神(だいみやうじん)さま、199玉芳(たまよし)大明神(だいみやうじん)さま』
200と連呼(れんこ)し乍(なが)ら、201以前(いぜん)の女(をんな)の願(ねがひ)を伺(うかが)つてゐる。202そして時々(ときどき)『ホヽヽヽヽ』とこけるやうにして笑(わら)ふ。203暫(しばら)くするとお民(たみ)サン此方(こちら)へやつて来(き)て云(い)ふには、
204お民(たみ)『お前(まへ)さんとこの息子(むすこ)はコレで嫁(よめ)さんを五(ご)人(にん)貰(もら)うたでせう。205皆(みな)帰(かへ)つたのは肝腎(かんじん)のお道具(だうぐ)が蓑(みの)○になつてるから、206それで皆(みな)帰(かへ)つて了(しま)はれるのですから、207此奴(こいつ)ア一寸(ちよつと)六(む)つかしいものです。208毛抜(けぬき)で抜(ぬ)いた所(ところ)で又(また)生(は)えますサカえなア』
209女(をんな)『何(なん)とかお稲荷(いなり)サンのおかげで治(なほ)して頂(いただ)く訳(わけ)には行(ゆ)きませぬか』
210と心配(しんぱい)相(さう)にお民(たみ)の顔(かほ)を覗(のぞ)き込(こ)む。211お民(たみ)サンは首(くび)を傾(かたむ)け、
212お民(たみ)『マア信心(しんじん)して見(み)なさい。213信心(しんじん)さへ通(とほ)つたら、214神(かみ)さまの事(こと)ですから、215何(なん)とかして下(くだ)さりませう。216サアもう帰(かへ)つて下(くだ)され。217私(わたし)はこれから一(ひと)つ行(ぎやう)をせなならぬのです。218神(かみ)さまが大変(たいへん)お急(せ)きですから……』
219といつて体(てい)よく帰(かへ)して了(しま)つた。220そしてお民(たみ)婆(ば)アサンは喜楽(きらく)に向(むか)ひ、
221お民(たみ)『先生(せんせい)、222あなたは黒田(くろだ)の御(お)方(かた)ですやろ。223信者(しんじや)に化(ば)けて私(わたし)を調(しら)べに来(き)なさつたなア。224神(かみ)さまが先生(せんせい)に頼(たの)んで、225教導職(けうだうしよく)を受(う)けるやうに手続(てつづ)きをして貰(もら)へと言(い)うてゐやはります。226どうぞお世話(せわ)をして下(くだ)さいな』
227喜楽(きらく)『お前(まへ)サンは普通(ふつう)の御(お)台(だい)サンと違(ちが)うて仲々(なかなか)能(よ)う分(わか)る人(ひと)だ。228そして焼物(やきもの)の稲荷(いなり)サンに向(むか)つていろいろと話(はな)しをして御座(ござ)つたが、229あんな焼物(やきもの)の稲荷(いなり)サンが物言(ものい)ひますか』
230と尋(たづ)ねて見(み)ると、231お民(たみ)サンは、232言下(げんか)に、
233お民(たみ)『へーへー言(い)ははります共(とも)、234今(いま)あの帰(い)んだお方(かた)の息子(むすこ)はんの事(こと)を伺(うかが)ひましたが、235妙(めう)でしたよ。236私(わたし)がジツとして焼物(やきもの)の稲荷(いなり)サンを見(み)つめて居(ゐ)ると、237稲荷(いなり)サンの股(また)から、238突然(とつぜん)にポコンと○○が現(あら)はれ、239先(さき)まで毛(け)が一杯(いつぱい)生(は)えて居(を)りましたので、240私(わたし)が稲荷(いなり)サンに向(むか)つて、241……此(この)男(をとこ)は蓑(みの)○だから、242それで嫁(よめ)さまが居(を)りつかぬのどすか、243と尋(たづ)ねましたら、244オヽさうだと言(い)はれました。245オホヽヽヽ』
246と笑(わら)うて居(ゐ)る。247そして、
248お民(たみ)『先生(せんせい)も一(いつ)ぺんあの稲荷(いなり)サンの前(まへ)で問(と)うて見(み)なさい』
249とすすめるので、250稲荷(いなり)の前(まへ)にしやがんで、251いろいろ問答(もんだふ)をしてみたけれど、252何(なん)ともかんとも一口(ひとくち)も答(こた)へなかつた。253それからお民(たみ)サンの霊感者(れいかんしや)になつた来歴(らいれき)を尋(たづ)ねて見(み)ると、254左(さ)の通(とほ)り面白(おもしろ)い経歴(けいれき)を物語(ものがた)つた。
255お民(たみ)『私(わたし)と内(うち)の太吉(たきち)サンと二人(ふたり)が薩摩芋(さつまいも)や桑(くは)を作(つく)つてゐますと、256毎年(まいねん)毎年(まいねん)薩摩芋(さつまいも)を掘(ほ)つて食(く)ふ奴(やつ)がある。257雪隠(せんち)のおとしわらを引張(ひつぱ)り出(だ)し、258肝腎(かんじん)の肥(こえ)にする糞(くそ)まで食(く)つて了(しま)うので、259大方(おほかた)裏(うら)の山(やま)に棲(す)んでる奴狐(どぎつね)奴(め)が芋(いも)や糞(くそ)を食(くら)ふのに違(ちが)ひないから、260一(ひと)つくすべて捕(と)つてやらうと相談(さうだん)をきめて、261太吉(たきち)サンと私(わたし)と伜(せがれ)の留吉(とめきち)と三(さん)人(にん)が、262一方(いつぱう)の穴(あな)を松葉(まつば)でくすべ、263一方(いつぱう)から掘(ほ)つて居(ゐ)た所(ところ)、264夫婦(ふうふ)の狐(きつね)が子(こ)二匹(にひき)うんで居(を)りました。265おのれ糞(くそ)ぐらひ狐(きつね)めが……と、266いきなり親子(おやこ)三(さん)人(にん)が備中鍬(びつちうくは)を振(ふ)り上(あ)げて、267其(その)狐(きつね)を四匹(しひき)とも叩(たた)き殺(ころ)し、268皮(かは)は下木崎(しもきざき)の新平(しんぺい)サンに売(う)り、269肉(にく)の甘(うま)い所(ところ)は食(く)つて了(しま)ひました。270さうすると三日目(みつかめ)から私(わたし)の体中(からだぢう)が、271水腫(みづぶく)れになり、272苦(くる)しうて苦(くる)しうて堪(たま)らず、273お櫃(ひつ)を開(あ)けると狐(きつね)の顔(かほ)が中(なか)に居(ゐ)る、274雪隠(せんち)へ行(い)つても狐(きつね)が居(ゐ)る。275終(しま)ひには何(なに)も彼(か)も残(のこ)らずそこらが狐(きつね)の顔(かほ)になり、276恐(こわ)い顔(かほ)してねめつけますので、277私(わたし)が狐(きつね)に向(むか)つて……コレお前(まへ)妾(わたし)が大事(だいじ)にして作(つく)つた芋(いも)を毎年(まいねん)取(と)つて食(く)ひ、278肥料(こやし)にせうと思(おも)うた糞(くそ)まで食(く)たくせに、279何(なに)が恨(うら)めしうてアタンをするのだと云(い)ひますと、280狐(きつね)の親子(おやこ)四匹(しひき)が、281そこへ出(で)て来(き)て云(い)ふには、282芋(いも)を食(く)たのも、283糞(くそ)を食(く)たのも皆(みな)木崎(きざき)の丸(まる)といふ犬(いぬ)の所作(しよさ)だ。284それに私(わたし)達(たち)親子(おやこ)の命(いのち)を取(と)り、285皮(かは)を売(う)り、286肉(にく)まで食(くら)うとは余(あま)りだから、287お前(まへ)等(ら)親子(おやこ)三(さん)人(にん)の命(いのち)を取(と)り、288弟(おとうと)の髯定(ひげさだ)の命(いのち)も取(と)らねば承知(しようち)せぬと云(い)ふて怖(こわ)い顔(かほ)して睨(にら)めつけました。289そこで私(わたし)が狐(きつね)に向(むか)つて……ソラ誠(まこと)にすまなんだ。290お前(まへ)もモウ斯(か)うなつては仕方(しかた)がない因縁(いんねん)ぢやと諦(あきら)めて下(くだ)さい。291私(わたし)等(ら)の命(いのち)を取(と)つた所(ところ)で、292お前(まへ)の命(いのち)が助(たす)かる訳(わけ)もなし、293何(ど)うぢやここは一(ひと)つ相談(さうだん)だが、294コレからお前(まへ)を神(かみ)サンに祀(まつ)つて上(あ)げるからどうぞ勘忍(かんにん)して呉(く)れと頼(たの)んで見(み)た所(ところ)、295中々(なかなか)淡白(あつさり)した狐(きつね)で……さうぢや、296お前(まへ)のいふ通(とほ)り、297命(いのち)を取(と)つて見(み)た所(ところ)で仕方(しかた)がない、298わしを祭(まつ)つて呉(く)れるのなら勘忍(こらへ)てやろ、299其(その)代(かは)りに人(ひと)を助(たす)けて、300病気(びやうき)を治(なほ)したり、301いろいろの事(こと)を知(し)らしてやるから、302お前(まへ)は私(わたし)の容(い)れ物(もの)になつて、303モウ今日(けふ)限(かぎ)り仕事(しごと)なんかすることはならぬぞ。304其(その)御(お)礼(れい)に毎日(まいにち)七銭(しちせん)づつのお金(かね)をやらう……と云(い)ひました。305そして四匹(しひき)の狐(きつね)に義経(よしつね)大明神(だいみやうじん)、306桂(かつら)大明神(だいみやうじん)、307玉房(たまふさ)大明神(だいみやうじん)、308玉芳(たまよし)大明神(だいみやうじん)と名(な)をつけて祭(まつ)つて呉(く)れと云(い)ひましたので、309此(この)赤(あか)い祠(ほこら)を建(た)てて祭(まつ)つて居(を)ります。310さうすると沢山(たくさん)の人(ひと)が参(まゐ)つて来(き)て、311一文(いちもん)供(そな)へていぬる人(ひと)や五厘(ごりん)包(つつ)んで呉(く)れる人(ひと)や、312中(なか)には二十銭(にじつせん)もはり込(こ)んで供(そな)へてくれる人(ひと)もありますが、313妙(めう)なもんで、314一月(ひとつき)ためて置(お)くとヤツパリ二(に)円(ゑん)十銭(じつせん)で、315一(いち)日(にち)に七銭(しちせん)の割(わり)になつて居(ゐ)ます。316七銭(しちせん)さへあれば一寸(ちよつと)米(こめ)が七合(しちがふ)計(ばか)り買(か)へますから、317私(わたし)丈(だけ)食(く)ふには不自由(ふじゆう)は御座(ござ)いませぬ』
318と真面目(まじめ)くさつて話(はな)してゐる。319喜楽(きらく)は、
320喜楽(きらく)『何(なん)と妙(めう)な狐(きつね)サンぢやなア。321それ丈(だけ)何(なに)もかもよく分(わか)るのなら、322私(わたし)の事(こと)も一(ひと)つ伺(うかが)つて貰(もら)へまいかなア』
323ときりだすと、324お民(たみ)サンは言下(げんか)に、
325お民(たみ)『あんたは今(いま)園部(そのべ)の人(ひと)が沢山(たくさん)寄(よ)つて、326公園(こうゑん)の中(なか)で教会(けうくわい)を建(た)て、327あんたを先生(せんせい)になつて貰(もら)はうと云(い)うて騒(さわ)いでゐる。328そして先生(せんせい)もならうかなアと思(おも)うて御座(ござ)るやうだが、329あんたの納(をさ)まる所(ところ)は之(これ)から七(しち)里(り)ほど西北(せいほく)に、330チヤンときまつて居(ゐ)ます。331モ一月(ひとつき)程(ほど)したら迎(むか)へに来(く)る人(ひと)があります。332あんたの嫁(よめ)サンもチヤンときまつてますで、333お澄(すみ)サンといふ名(な)ですワ』
334と事(こと)もなげに言(い)ふ。335喜楽(きらく)は昨年(さくねん)の秋(あき)、336綾部(あやべ)へ行(い)つた時(とき)、337教祖(けうそ)にお竜(りよう)サンといふ娘(むすめ)のあることは聞(き)いてゐたが、338お澄(すみ)と云(い)ふ娘(むすめ)のある事(こと)は知(し)らなかつた。339そこで大方(おほかた)四方(しかた)すみ子(こ)の事(こと)ではあるまいかとも思(おも)うてみた。340併(しか)し綾部(あやべ)へは殆(ほとん)ど十(じふ)里(り)ある。341七(しち)里(り)と云(い)ふのは可笑(おか)しい。342大方(おほかた)和知(わち)の方面(はうめん)に自分(じぶん)の行(ゆ)く所(ところ)がきまつて居(ゐ)るのかなアとも考(かんが)へても見(み)た。343それからお民(たみ)に別(わか)れて黒田(くろだ)の会合所(くわいがふしよ)へ帰(かへ)つてみると、344綾部(あやべ)より四方(しかた)平蔵(へいざう)として封書(ふうしよ)が来(き)てゐる。345開(ひら)いて見(み)れば、
346『田(た)の植付(うゑつ)けが済(す)み次第(しだい)、347出口(でぐち)教祖(けうそ)さまの御(ご)命令(めいれい)で、348御(ご)相談(さうだん)に参(まゐ)りますから、349どうぞ何処(どこ)へも行(ゆ)かずに待(ま)つてゐて下(くだ)さい……』
350といふ意味(いみ)が認(したた)めてあつた。351……又(また)綾部(あやべ)の連中(れんちう)から呼(よ)びに来(く)るのかなア、352モウ去年(きよねん)の様(やう)な事(こと)なら行(ゆ)かぬがましだ……と、353気(き)にもとめず、354又(また)お民(たみ)の神占(しんせん)をも半信(はんしん)半疑(はんぎ)で、355手紙(てがみ)の事(こと)などもスツカリ忘(わす)れてゐた。
356 所(ところ)へ[*「所へ」はママ。]園部川(そのべがは)で漁(りよう)の為(ため)瓶付(びんづけ)をしてゐたら、357四方(しかた)氏(し)が訪(たづ)ねて来(き)たので、358いよいよ綾部(あやべ)へ行(ゆ)く事(こと)となり、359今度(こんど)は落付(おちつ)いて教祖(けうそ)と共(とも)に金明会(きんめいくわい)を開(ひら)き、360御用(ごよう)をする事(こと)となつた。
361(大正一一・一〇・一二 旧八・二二 松村真澄録)
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